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第二部 絆ぐ伝説
第八話一五章 ……勝てない
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怨ッ……。
声がした。
その声に、ロウワンたち全員がギョッとした。
怨、怨怨怨怨ッ……。
呻くような、不気味な地鳴りのような、そして、死にかけた獣が最後の死力をふりしぼって吠えるような、そんな声をあげていたのは突如として表われた宙に浮かぶ人物ではなかった。
長剣をその手に握り、全身から亡道の気配を噴きだす鎧騎士だった。
「……あいつ。声を出せたのか」
ロウワンは思わずそう言っていた。
そして、鎧騎士が放っていたのは声だけではなかった。
怒り。
憎悪。
怨恨。
それらのありとあらゆる負の感情が亡道の気配とともに鎧騎士の全身から噴きあがり、その場を染めあげた。あまりにも濃密な負の感情を浴びせられたせいで、ロウワンたちは思わず吐き気を覚えるほどの不快感を感じたはずだった。
怨怨怨怨ッ……!
鎧騎士――亡道の騎士が吠えた。どうすれば、ここまでの憎しみをもつことができるのか。そう思わせるほどの声。その声を聞いただけでこの世界にいることが嫌になり、死んで別の世界に逃げたくなる。
それほどまでに憎しみに満たされた声だった。
その声とともに――。
亡道の騎士が飛んだ。
宙に浮かぶ存在――亡道の司に向かって。
ありとあらゆる負の感情を噴きあげて。手にした剣を振りかざし、その剣身にいままでとは比べものにならないほどのすさまじい量の亡道の気配をまとわせて。
怨怨怨怨ッ……!
咆哮とともに、長い尾を引く彗星と化した剣が振りおろされる。いや、叩き込まれる。塵も残すまいとばかりにぶつけられる。
――あんなものを食らったら……。
ロウワンは思った。
――たしかに、この世のどんなものでも塵ひとつ残らず消えてしまう。
ロウワンにそう思わせたほどの一撃。怖いとか、恐ろしいとか、そんな感情そのものが根っ子から蒸発してしまうような、それぐらい、すさまじい怨念に満ちた剣。しかし――。
その剣が亡道の司に届くことはなかった。
亡道の司は表情ひとつかえずに右手を出した。手のひらが開かれ、そこから名状しがたい色合いの靄が放たれた。それはまぎれもなく亡道。亡道の世界の一部だった。
亡道の司の放った靄が亡道の騎士の全身を包んだ。名状しがたい色合いの靄が生き物のごとくに全身に張りつき、締めあげる。それだけで――。
亡道の騎士は身動きひとつとれなくなっていた。
怨怨怨怨ッ……!
動きを封じられた亡道の騎士が叫んだ。底知れない憎しみと、それをはるかに超えるくやしさの込められた声。その一声を聞いた誰もが、
――この復讐を叶えさせてやりたい。
そう思う声。
しかし、それほどの憎しみも、くやしさも、亡道の司に届くことはない。わずかなりと影響を与えることはできない。
それが、亡道の司。
人ならぬ、異なる世界の化身。
怨嗟の声とともに亡道の騎士の全身が靄に呑み込まれていく。姿が消えていく。どこかに転移させられたのか、それとも、この世そのものから消滅させられたのか。
それは、わからない。
わからないままに亡道の騎士の姿は消えていく。すさまじい怨念の声だけを残して、亡道の騎士は消えていった。塵ひとつ残らず消えたのは――。
亡道の騎士の方だった。
「お、おいおい、なんなんだよ、こりゃあっ!」
ハーミドが叫んでいた。限界まで目を見開き、両腕を大きく振りまわして。その全身が『理解不能!』と叫んでいる。
「あの鎧騎士は立派な化け物だったじゃないか! その化け物を苦もなくひねるって……何者なんだよ、あいつはあっ⁉」
ハーミドのその叫びに答えたのはロウワンだった。いや、ハーミドに対して答えたわけではない。思わず呟いていた。ただ、それだけ。しかし、結果としてはこの上ない答えになっていた。
「亡道の……司」
「なにっ⁉」
ハーミドが叫んだ。表情がかわった。驚きではない。恐怖でもない。歓喜の表情だった。
「お、おいおい、本当かよ⁉ あれが、亡道の司だって⁉ つまり、相手側のボスってことだろ? 取材させろよ。こんな機会、めったにないぞ!」
この状況にありながら歓喜に満ちてそう叫ぶ。まったく、大した記者根性と言うべきだった。同時に無理無茶無謀の極みでもあったが。
はははは。
はははははは。
亡道の司の笑い声、その場の大気そのものが震え、笑っているのではないかと思わせる声。その声が時が凍り、結晶化した世界に響き渡った。
「はははははは。そこの小僧。お前の視線には覚えがあるぞ」
「なに⁉」
「千年前。我と騎士マークスの戦いを覗いていた視線。そうか。この時代のものであったか」
「気づいていたのか⁉ いや、それより、なんでお前が知っている⁉ あのときの亡道の司は千年前の存在、それも、騎士マークスに倒されたんだ! お前とは別の存在のはずだ!」
はははは。
はははははは。
笑う、笑う、世界が笑う。亡道の司とともに。まるで、ロウワンたちの住むこの世界そのものが亡道の司の下僕となったかのように。
「我は亡道の司。一なる全にして全なる一。すべての我は、ただ我なり」
――そうか。
ロウワンは直感的に、亡道の司の言葉の意味を理解していた。
――亡道の司は人間じゃない。亡道の世界の一部。それが、この世界に入り込み、人の姿になったもの。すべての亡道の司は同じく亡道の世界の一部であり、つながっている。それぞれがちがうものでありながら、すべてが同じもの。記憶を共有しているのは当たり前だ。
「はははは。思い出すぞ。千年前、我は敗れた。人類の前にだ。そして、この世界は摂理を乗り越え、千年の時を得た。屈辱であったぞ。無限の時のなかでこの世界を呑み込み、滅ぼしてきた我が、史上はじめて敗れたのだからな。そんなことをやってのけたのは人類以外におらぬ。誇ってよいぞ、人類よ。お前たちはまぎれもなく、この世界が生んだ最高傑作」
「ちがう! 人類だけの力じゃない。はじまりの種族、ゼッヴォーカーの導師をはじめ、お前に滅ぼされたいくつもの種族の協力があったからこそだ!」
「はははは。その通り。あやつらの結界には苦労させられた。苦い思いをさせられた。此度もまた、忌々しい思いをさせられるところであったわ。だが、救われた。お前たち、人類のおかげでな」
「なんだと⁉ どういうことだ!」
ロウワンは叫んだ。
しかし、亡道の司は答えない。ただ笑う、笑いつづける。
「はははは。おかげで我は、この大地に自らの要素を隅々まで行き渡らせることができた。もはや、この地は我の世界。我はこの地より無限の力を得る。千年前の二の舞はあり得ん。我は今度こそ摂理に従い、この世界を滅ぼす」
――くそっ!
ロウワンは心に叫んだ。
亡道の司の言うとおりだ。千年前、人類が亡道の司を退けることができたのは文字通り、全人類の死力を尽くしたから。
天命の巫女が自らを犠牲にして天命の曲を奏でつづけることで亡道の世界と亡道の司とを切りはなし、無限の力を奪った。その上で、一千万に及ぶ戦士たちが一年にわたって戦いつづけ、その力を消耗させた。そこまでした上でようやく、天命の巫女の血という切り札を使い、騎士マークスが倒すことができたのだ。
逆に言えば、そこまでの数と時間を費やさなければ倒せない相手。
それが、亡道の司。
その亡道の司が自らの世界とのつながりを得て、無限の力を取り戻した。
四かも、いまの世界は人と人が争い、総力を結集するなど無理な話。それでは――。
――勝てない。
ロウワンはその事実を悟った。
怒りもなく、絶望もなく、自分でも驚くぐらい淡々と、その事実を受け入れていたのだ。それはまさに、『本当の意味』での絶望。あらゆる希望が失われ、事実を受け入れるしかない。
そのことを思い知らされたからこその思いだった。
亡道の司の右手がロウワン立ちに向けられた。その手のひらから先ほどの靄とはちがう、しかし、やはり、名状しがたい色の炎が吹き出された。すべてを滅ぼす亡道の炎だった。
「させるかっ!」
野伏が叫んだ。太刀を振るい、吹きつける炎の前に立ちはだかった。自らの背骨を削りだして作りあげた自らの分身。ありとあらゆる妖物を食らって己の力へとかえるその太刀を振るい、亡道の炎を断ち切ろうとする。だが――。
「うおおおっ!」
炎にまかれ、吹き飛ばされたのは野伏の方だった。
あの野伏が、人類世界最強の戦士であるあの野伏が、苦もなく吹き飛ばされた。
その光景を見てもロウワンはなにも感じなかった。
――当たり前のことだ。
もはや、その思いしかなかったからだ。
亡道の炎はそのままロウワンたちに向かって突き進んだ。結いあげた髪に挿したかんざしの飾りが鳴る音ともに、今度は行者がその炎の前に立ちはだかった。喉元の貪食の土曜の空を全開にし、亡道の炎を呑み干そうとする。だが――。
「うわっ!」
それも無駄。行者は炎にまかれ、吹き飛ばされた。
「行者⁉」
叫んだのはメリッサであって、ロウワンではなかった。ロウワンは意思なき人形のようにその場に突っ立っているだけだった。
「……はは。まいったね」
行者が苦笑交じりに言った。
「『呑み干せない』どころじゃない。『呑む』ことすらできなかったよ。本当、自信なくなるよ、これじゃあ」
行者がそう自嘲するのも無理はない。行者の喉元。この世のすべての女がうらやましがるほどに白く、なまめかしいその肌にはゾッとするような火傷の跡があった。亡道の炎を受けたことになる焼けただれた跡。おそらくはもう二度と消えないであろう傷。
「お、おいおい、どうするんだよ。あのふたりがあっけなくやられちまうなんて……!」
「ロウワン!」
「キキキッ……」
ハーミドが叫び、メリッサとビーブもロウワンに呼びかけた。
しかし、ロウワンは聞いていない。いや、耳では聞いていても、心には届いていないようだった。
――勝てない。
ロウワンの心はその思いだけで占められていた。
――亡道の司には勝てない。このまま、ここで滅びるしかない。
ロウワンのその思いは現実のものになろうとしていた。野伏と行者、そのふたりを吹き飛ばした亡道の炎は天高く舞い、そこに集まり、天かける炎の獣となった。
獣は吠えた。
ロウワンたちめがけて襲いかかった。
――駄目だ。すべて終わりだ。
見るものがいれば一〇〇人が一〇〇人、そう思う。思わざるを得ない状況。しかし――。
突然、炎の獣の姿がかき消えた。突然、放たれたなにかの力によって存在ごとかき消された。
「なに⁉」
亡道の司が叫んだ。
亡道の司が叫ぶ。驚愕の声をあげる。それはまさに、この世界が成り立って以来、はじめての出来事だったろう。
ズシリ。
そんな、力感に満ちた足音ともに『そいつ』はやってきた。
筋肉は巨人。
息はドラゴン。
瞳に映るは原初の|混沌《こんとん》。
見たもの誰もが思わず心を許してしまう、そんな愛嬌のある笑顔とともに、その巨大な男はやってきた。
そして、その巨漢の隣には首輪だけをつけた全裸の少女。
「へっ。しけた面してんじゃねえか」
足音とともに現われた巨漢の男が言った。
「そんなことじゃあ、ガレノアとボウが泣くぜ。おめえ、よ」
〝鬼〟……。
声がした。
その声に、ロウワンたち全員がギョッとした。
怨、怨怨怨怨ッ……。
呻くような、不気味な地鳴りのような、そして、死にかけた獣が最後の死力をふりしぼって吠えるような、そんな声をあげていたのは突如として表われた宙に浮かぶ人物ではなかった。
長剣をその手に握り、全身から亡道の気配を噴きだす鎧騎士だった。
「……あいつ。声を出せたのか」
ロウワンは思わずそう言っていた。
そして、鎧騎士が放っていたのは声だけではなかった。
怒り。
憎悪。
怨恨。
それらのありとあらゆる負の感情が亡道の気配とともに鎧騎士の全身から噴きあがり、その場を染めあげた。あまりにも濃密な負の感情を浴びせられたせいで、ロウワンたちは思わず吐き気を覚えるほどの不快感を感じたはずだった。
怨怨怨怨ッ……!
鎧騎士――亡道の騎士が吠えた。どうすれば、ここまでの憎しみをもつことができるのか。そう思わせるほどの声。その声を聞いただけでこの世界にいることが嫌になり、死んで別の世界に逃げたくなる。
それほどまでに憎しみに満たされた声だった。
その声とともに――。
亡道の騎士が飛んだ。
宙に浮かぶ存在――亡道の司に向かって。
ありとあらゆる負の感情を噴きあげて。手にした剣を振りかざし、その剣身にいままでとは比べものにならないほどのすさまじい量の亡道の気配をまとわせて。
怨怨怨怨ッ……!
咆哮とともに、長い尾を引く彗星と化した剣が振りおろされる。いや、叩き込まれる。塵も残すまいとばかりにぶつけられる。
――あんなものを食らったら……。
ロウワンは思った。
――たしかに、この世のどんなものでも塵ひとつ残らず消えてしまう。
ロウワンにそう思わせたほどの一撃。怖いとか、恐ろしいとか、そんな感情そのものが根っ子から蒸発してしまうような、それぐらい、すさまじい怨念に満ちた剣。しかし――。
その剣が亡道の司に届くことはなかった。
亡道の司は表情ひとつかえずに右手を出した。手のひらが開かれ、そこから名状しがたい色合いの靄が放たれた。それはまぎれもなく亡道。亡道の世界の一部だった。
亡道の司の放った靄が亡道の騎士の全身を包んだ。名状しがたい色合いの靄が生き物のごとくに全身に張りつき、締めあげる。それだけで――。
亡道の騎士は身動きひとつとれなくなっていた。
怨怨怨怨ッ……!
動きを封じられた亡道の騎士が叫んだ。底知れない憎しみと、それをはるかに超えるくやしさの込められた声。その一声を聞いた誰もが、
――この復讐を叶えさせてやりたい。
そう思う声。
しかし、それほどの憎しみも、くやしさも、亡道の司に届くことはない。わずかなりと影響を与えることはできない。
それが、亡道の司。
人ならぬ、異なる世界の化身。
怨嗟の声とともに亡道の騎士の全身が靄に呑み込まれていく。姿が消えていく。どこかに転移させられたのか、それとも、この世そのものから消滅させられたのか。
それは、わからない。
わからないままに亡道の騎士の姿は消えていく。すさまじい怨念の声だけを残して、亡道の騎士は消えていった。塵ひとつ残らず消えたのは――。
亡道の騎士の方だった。
「お、おいおい、なんなんだよ、こりゃあっ!」
ハーミドが叫んでいた。限界まで目を見開き、両腕を大きく振りまわして。その全身が『理解不能!』と叫んでいる。
「あの鎧騎士は立派な化け物だったじゃないか! その化け物を苦もなくひねるって……何者なんだよ、あいつはあっ⁉」
ハーミドのその叫びに答えたのはロウワンだった。いや、ハーミドに対して答えたわけではない。思わず呟いていた。ただ、それだけ。しかし、結果としてはこの上ない答えになっていた。
「亡道の……司」
「なにっ⁉」
ハーミドが叫んだ。表情がかわった。驚きではない。恐怖でもない。歓喜の表情だった。
「お、おいおい、本当かよ⁉ あれが、亡道の司だって⁉ つまり、相手側のボスってことだろ? 取材させろよ。こんな機会、めったにないぞ!」
この状況にありながら歓喜に満ちてそう叫ぶ。まったく、大した記者根性と言うべきだった。同時に無理無茶無謀の極みでもあったが。
はははは。
はははははは。
亡道の司の笑い声、その場の大気そのものが震え、笑っているのではないかと思わせる声。その声が時が凍り、結晶化した世界に響き渡った。
「はははははは。そこの小僧。お前の視線には覚えがあるぞ」
「なに⁉」
「千年前。我と騎士マークスの戦いを覗いていた視線。そうか。この時代のものであったか」
「気づいていたのか⁉ いや、それより、なんでお前が知っている⁉ あのときの亡道の司は千年前の存在、それも、騎士マークスに倒されたんだ! お前とは別の存在のはずだ!」
はははは。
はははははは。
笑う、笑う、世界が笑う。亡道の司とともに。まるで、ロウワンたちの住むこの世界そのものが亡道の司の下僕となったかのように。
「我は亡道の司。一なる全にして全なる一。すべての我は、ただ我なり」
――そうか。
ロウワンは直感的に、亡道の司の言葉の意味を理解していた。
――亡道の司は人間じゃない。亡道の世界の一部。それが、この世界に入り込み、人の姿になったもの。すべての亡道の司は同じく亡道の世界の一部であり、つながっている。それぞれがちがうものでありながら、すべてが同じもの。記憶を共有しているのは当たり前だ。
「はははは。思い出すぞ。千年前、我は敗れた。人類の前にだ。そして、この世界は摂理を乗り越え、千年の時を得た。屈辱であったぞ。無限の時のなかでこの世界を呑み込み、滅ぼしてきた我が、史上はじめて敗れたのだからな。そんなことをやってのけたのは人類以外におらぬ。誇ってよいぞ、人類よ。お前たちはまぎれもなく、この世界が生んだ最高傑作」
「ちがう! 人類だけの力じゃない。はじまりの種族、ゼッヴォーカーの導師をはじめ、お前に滅ぼされたいくつもの種族の協力があったからこそだ!」
「はははは。その通り。あやつらの結界には苦労させられた。苦い思いをさせられた。此度もまた、忌々しい思いをさせられるところであったわ。だが、救われた。お前たち、人類のおかげでな」
「なんだと⁉ どういうことだ!」
ロウワンは叫んだ。
しかし、亡道の司は答えない。ただ笑う、笑いつづける。
「はははは。おかげで我は、この大地に自らの要素を隅々まで行き渡らせることができた。もはや、この地は我の世界。我はこの地より無限の力を得る。千年前の二の舞はあり得ん。我は今度こそ摂理に従い、この世界を滅ぼす」
――くそっ!
ロウワンは心に叫んだ。
亡道の司の言うとおりだ。千年前、人類が亡道の司を退けることができたのは文字通り、全人類の死力を尽くしたから。
天命の巫女が自らを犠牲にして天命の曲を奏でつづけることで亡道の世界と亡道の司とを切りはなし、無限の力を奪った。その上で、一千万に及ぶ戦士たちが一年にわたって戦いつづけ、その力を消耗させた。そこまでした上でようやく、天命の巫女の血という切り札を使い、騎士マークスが倒すことができたのだ。
逆に言えば、そこまでの数と時間を費やさなければ倒せない相手。
それが、亡道の司。
その亡道の司が自らの世界とのつながりを得て、無限の力を取り戻した。
四かも、いまの世界は人と人が争い、総力を結集するなど無理な話。それでは――。
――勝てない。
ロウワンはその事実を悟った。
怒りもなく、絶望もなく、自分でも驚くぐらい淡々と、その事実を受け入れていたのだ。それはまさに、『本当の意味』での絶望。あらゆる希望が失われ、事実を受け入れるしかない。
そのことを思い知らされたからこその思いだった。
亡道の司の右手がロウワン立ちに向けられた。その手のひらから先ほどの靄とはちがう、しかし、やはり、名状しがたい色の炎が吹き出された。すべてを滅ぼす亡道の炎だった。
「させるかっ!」
野伏が叫んだ。太刀を振るい、吹きつける炎の前に立ちはだかった。自らの背骨を削りだして作りあげた自らの分身。ありとあらゆる妖物を食らって己の力へとかえるその太刀を振るい、亡道の炎を断ち切ろうとする。だが――。
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もはや、その思いしかなかったからだ。
亡道の炎はそのままロウワンたちに向かって突き進んだ。結いあげた髪に挿したかんざしの飾りが鳴る音ともに、今度は行者がその炎の前に立ちはだかった。喉元の貪食の土曜の空を全開にし、亡道の炎を呑み干そうとする。だが――。
「うわっ!」
それも無駄。行者は炎にまかれ、吹き飛ばされた。
「行者⁉」
叫んだのはメリッサであって、ロウワンではなかった。ロウワンは意思なき人形のようにその場に突っ立っているだけだった。
「……はは。まいったね」
行者が苦笑交じりに言った。
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行者がそう自嘲するのも無理はない。行者の喉元。この世のすべての女がうらやましがるほどに白く、なまめかしいその肌にはゾッとするような火傷の跡があった。亡道の炎を受けたことになる焼けただれた跡。おそらくはもう二度と消えないであろう傷。
「お、おいおい、どうするんだよ。あのふたりがあっけなくやられちまうなんて……!」
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「キキキッ……」
ハーミドが叫び、メリッサとビーブもロウワンに呼びかけた。
しかし、ロウワンは聞いていない。いや、耳では聞いていても、心には届いていないようだった。
――勝てない。
ロウワンの心はその思いだけで占められていた。
――亡道の司には勝てない。このまま、ここで滅びるしかない。
ロウワンのその思いは現実のものになろうとしていた。野伏と行者、そのふたりを吹き飛ばした亡道の炎は天高く舞い、そこに集まり、天かける炎の獣となった。
獣は吠えた。
ロウワンたちめがけて襲いかかった。
――駄目だ。すべて終わりだ。
見るものがいれば一〇〇人が一〇〇人、そう思う。思わざるを得ない状況。しかし――。
突然、炎の獣の姿がかき消えた。突然、放たれたなにかの力によって存在ごとかき消された。
「なに⁉」
亡道の司が叫んだ。
亡道の司が叫ぶ。驚愕の声をあげる。それはまさに、この世界が成り立って以来、はじめての出来事だったろう。
ズシリ。
そんな、力感に満ちた足音ともに『そいつ』はやってきた。
筋肉は巨人。
息はドラゴン。
瞳に映るは原初の|混沌《こんとん》。
見たもの誰もが思わず心を許してしまう、そんな愛嬌のある笑顔とともに、その巨大な男はやってきた。
そして、その巨漢の隣には首輪だけをつけた全裸の少女。
「へっ。しけた面してんじゃねえか」
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