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第二部 絆ぐ伝説
第八話一三章 妖気対亡道
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「おおおおおっ!」
その叫びとともに、野伏の太刀が満月を描いて真っ向から振りおろされた。亡道の騎士の左肩から右脇腹へと抜ける一刀。その途中にある心臓を真っ二つに両断する、いや、粉砕する。そのための一撃だった。
亡道の騎士の剣が自身の右下から左上に向かって振るわれ、野伏の太刀を受けとめる。巨大な力と力がぶつかりあい、つぶしあい、ひしゃげて、ちぎれた力が火の玉となって四方八方に飛び散った。
まるで、熟れすぎたトマトがぶつかりあい、果肉を飛び散らせるかのようなその光景。飛び散った火の玉は時の凍りついた世界に激突し、透明な結晶をガラス細工のごとくに粉々にぶち壊した。
巨大な音を立てて太刀と剣がはじかれる。あまりの勢いに野伏も、そして、亡道の騎士も、後ろにはじかれ、体勢をくずした。
野伏にして体勢をたもつことができないほどに巨大な反動。そこに込められている力がどれほどのものかわかろうというものだ。
はじかれた太刀と剣が再び満月を描いて振るわれ、空中で激突する。巨大な音を立ててはじかれ、みたび、翻って相手を襲う。
それはもはや、太刀と剣のぶつかりあいではなかった。野伏のまとう妖気と、亡道の騎士から吹き出す亡道の気配。あまりにも濃密すぎて、ほとんど物質と化した力と力のぶつかりあいだった。
それぞれの力を流し込まれた太刀と剣は、その身に巨大な力をまとっていた。その力が、手でちぎれるほどに粘ついた大気の固まりと化して刀身にまとわりついている。太刀が振るわれるつどその力が後方に押し流され、長い尾がたなびく。
その姿はまさに彗星。
長い尾を引いて空を舞う彗星そのままの姿だった。
人の手で振るわれる彗星と化した太刀と剣が幾度となく激突し、はじかれ、翻り、ぶつかりあう。刀身のまとう力が巨大すぎてもはや、刀身と剣身が直接、ぶつかりあうことはない。ぶつかるのは、刃のまとう力そのもの。刃にまとわりつく粘つく大気と化した妖気と亡道の気配が衝突し、はじかれ、その衝撃で飛び散った余波が結晶化した世界を砕きつづける。
振るわれる太刀と剣が彗星なら、それを振るう両者はまさに彗星を引きつけ、その尾を長く吹きながす太陽そのもの。互いに巨大な力を身にまとい、炎と化した光を吹きあげているかのよう。あまりの熱量に足元では結晶化した大地が次々と蒸発し、穴が開いていく。
『砕けている』のではない。
『蒸発している』のだ。
真っ赤に熱せられた鉄の棒を突き込まれた、小さな水たまりのように。
それほどに巨大な力のぶつかりあい。
これほどの激しい力のぶつかりあいがこの世にあっていいのか。
見るものにそう思わせる光景だった。
「……すごい」
あまりの熱さとまぶしさに左腕で顔を覆いながら、ロウワンが思わず呟いた。それは、両者のまとう力もさることながら、野伏の表情に関しての呟きだった。
こんなにも必死な形相の野伏はいままで見たことがない。宿敵であった人食い鬼との戦いにおいてすら、ここまでの形相にはなっていなかった。それは、亡道の騎士がいかに力をしぼり尽くさなければ対抗できない相手かを物語っていた。
「……これが、野伏の本気か。『逃げろ』と言ったわけだ。あんな力をまともに食らったら死ぬどころか、まるごと蒸発してしまう」
「まったくだね」
ロウワンに並んで立つ行者がうなずいた。その喉にはすべてを呑み干す貪食の土曜の空が開いており、あたりかまわず飛び散る力を呑み干し、皆を流れ弾から守っている。しかし、あまりにも濃密な力に呑み干すのも大変なのだろう。ひどく具合が悪そうだ。世の女性すべてが羨むような白い肌がいまや『白い』を通りこして青白くなっている。いつも涼しげに振る舞う行者にして、脂汗まで流しているのだからよほどつらいのだろう。
「やれやれ。この間の〝賢者〟たちといい、僕の空で呑み干せない力に立てつづけに出会うとはね。自信をなくしてしまうよ、まったく。誰か、優しく慰めてくれないかい?」
そんな軽口にもいつものイタズラっぽさがない。案外、本気でへこんでいるのかも知れない。
――行者がここまで言うなんて。それほどすごい力ということか。だけど、こんな力を出せるならどうして〝賢者〟たちと戦ったときに出さなかったんだ? もし、この力を出してくれていればルドヴィクスを助けられたかも知れないのに……。
ロウワンはそう思い、喉に小骨が刺さったような気分になった。その疑問に答えたのは行者だった。
「ロウワン。周囲に注意しておいて。いまの野伏は眼前の敵に全神経を集中している。他の誰かに横から攻撃されたらまともに受けてしまう。そのとき、助けに入れるのは、いまのこの状況では君しかいない」
――ああ、そうか。
行者に言われてロウワンは得心した。
――ただひとりの相手に全神経を集中している。だからこそ、あの力が出せるのか。〝賢者〟と戦ったときは無数の枝が相手だったから、それができなかったというわけか。
そう思い、納得したが、同時に恥ずかしくもなった。『わざと手を抜いていたのか?』などと野伏に対して疑いを抱いたことに対して。
――いままで一緒に戦ってきて、野伏が戦いの場で手を抜くような人物ではないことはわかっていたはずなのにな。失礼なことを思った。
こんな場でも生真面目に反省するロウワンだった。
そのロウワンの横でくやしそうに舌打ちする音がした。ハーミドだった。
「ちっ、なんてこったい。このおれが手も足も出せないなんてよ。あの騎士野郎に通用する武器さえありゃあ、おれの自慢の一撃を食らわしてやるってのに」
そう言って音高く自分の手のひらを拳で叩き、くやしがっている。新聞記者とはいえ喧嘩上等の武闘派。戦いの場で役に立てないことが腹立たしくてならないのだろう。
「ロウワン」
メリッサが声をあげた。亡道の騎士に蹴り飛ばされ、血を吐いて吹き飛ばされたビーブを看護していたのだが、状況は芳しくないらしい。眉をよせ、美しい顔を曇らせている。
「ビーブが危険な状態よ。内臓を完全に蹴破られているわ」
「ビーブ」
言われて、ロウワンはビーブの側にひざまづいた。ビーブは口から泡交じりの血を吐きながらいまにも息絶えそうな様子だった。
「メリッサ師。天命の理を使えば、お互いの天命を入れ替えることができる。そうでしたね?」
「えっ? え、ええ、それはそうだけど……」
「それなら、ビーブの傷ついた内臓とおれの内臓の天命を入れ替えてください。ビーブが助かるように」
「それでは、あなたが死んでしまうわ!」
「だから、死なない程度に。半分ぐらい天命を入れ替えればお互い、傷ついてはいても死にはしないという状態に。あなたなら、できるでしょう?」
ロウワンはまっすぐにメリッサの目を見つめた。あまりにも真摯なその視線に見つめられ、メリッサもうなずいた。
「たかがサルのためにそこまでするの?」
とは言わないし、思いもしなかった。ロウワンとビーブの絆の深さを知っているものなら、そんなことは決して思いもしない。
「わかったわ。でも、あなたひとり分の天命では、お互いに死ぬことになりかねない。わたしの天命も含めてふたり分でやれば……」
「そういうことなら、おれの分の天命とやらも使ってくれ」
話を聞いていたらしいハーミドが言った。
「正直、なんのことやらよくわからんが、協力する人間が多ければ、それだけ安全にビーブ卿を助けられるんだろう? だったら、おれにも手伝わせてくれ。おれひとり、なんの役にも立てないなんて意地に懸けて許せないからな」
「わかったわ。それじゃ、こっちに来て。ビーブを囲んで輪になって」
メリッサの言葉通り、ロウワンたち三人はビーブを囲む輪となった。メリッサが術式を唱え、天命の理を発動させる。
「うっ……」
ロウワンが低く呟き、ハーミドが二日酔いのような表情になった。腹のなかにはっきりとした痛みと、重いしこりのようなものを感じたのだ。
――これは……思ったより、不快だな。でも、その分、ビーブの傷は良くなっているはずだ。
ロウワンはそう思った。そして、事実、ビーブの目には見るみる生気が戻りつつあった。口からあふれ出ていた泡交じりの血も、いつの間にかとまっている。
「……キキッ」
少々、弱々しいものの、それでもはっきりした声でビーブが鳴いた。
「……ビーブ。よかった」
ロウワンが心から安堵した表情を浮かべた。その表情ひとつでふたりの関係がわかろうというものだった。
「やれやれ、一安心だな」
ハーミドが腹を押さえながら、それでも、野太い笑みを浮かべていった。
「ええ。今後の治療は必要だけど、でも、これで命に関わるようなことはないわ」
メリッサも自分の腹を押さえながらホッとした様子で言った。
「やれやれ、そっちはなんとかなったみたいだね」
ただひとり、壁となってはじけ飛ぶ力の余波を呑み干し、ロウワンたちを守っていた行者が息をつきながら言った。
「でも、あっちはまずいことになっているよ」
「えっ?」
言われて、ロウワンは野伏と亡道の騎士の戦いに目を向けた。
両者は相変わらず、太刀と剣にまとわせた力と力をぶつけあい、激しく戦っている。しかし――。
あきらかに野伏が押されていた。ついさっきまでは完全に互角だった。しかし、いまでは力と力がぶつかりあい、はじかれるつど、野伏の方が大きく体勢をくずされるようになっている。そのために、次の一撃を放つまでに時間がかかり、その分、打ち込まれやすくなるという悪循環。
このままでは野伏がやられる。
素人目にもそうわかる状況。まして、ロウワンであればその事実ははっきりわかる。
「野伏が負けるって言うのか? あの野伏が?」
野伏が負ける相手がこの世にいるなんて、今のいままで思いもしなかった。そう。亡道の司と〝鬼〟をただふたつの例外として。
「あの騎士は亡道の世界から力を引き出している」
行者が言った。
「まさに、無限の力の噴出口だよ。それに対して、野伏はいくら強力な妖気をもっているとはいえ、その量は有限。騎士の力がかわらないのに対して、野伏の妖気はどんどん落ちている。このままではやられるのは時間の問題だよ」
行者の言葉に――。
ロウワンは『ギリッ』と歯ぎしりした。
行者の言うことは正しい。それはわかる。疑いの余地はない。しかし、では、どうすればいい? 両者の放つ力はあまりにも強く、濃密に過ぎる。うかつに近づけば、それだけで蒸発してしまう。
――どうすればいい? どうすれば、野伏を助けられる?
必死に考えるロウワンの目の前。
そこで、野伏と亡道の騎士の戦いはつづいていた。
その叫びとともに、野伏の太刀が満月を描いて真っ向から振りおろされた。亡道の騎士の左肩から右脇腹へと抜ける一刀。その途中にある心臓を真っ二つに両断する、いや、粉砕する。そのための一撃だった。
亡道の騎士の剣が自身の右下から左上に向かって振るわれ、野伏の太刀を受けとめる。巨大な力と力がぶつかりあい、つぶしあい、ひしゃげて、ちぎれた力が火の玉となって四方八方に飛び散った。
まるで、熟れすぎたトマトがぶつかりあい、果肉を飛び散らせるかのようなその光景。飛び散った火の玉は時の凍りついた世界に激突し、透明な結晶をガラス細工のごとくに粉々にぶち壊した。
巨大な音を立てて太刀と剣がはじかれる。あまりの勢いに野伏も、そして、亡道の騎士も、後ろにはじかれ、体勢をくずした。
野伏にして体勢をたもつことができないほどに巨大な反動。そこに込められている力がどれほどのものかわかろうというものだ。
はじかれた太刀と剣が再び満月を描いて振るわれ、空中で激突する。巨大な音を立ててはじかれ、みたび、翻って相手を襲う。
それはもはや、太刀と剣のぶつかりあいではなかった。野伏のまとう妖気と、亡道の騎士から吹き出す亡道の気配。あまりにも濃密すぎて、ほとんど物質と化した力と力のぶつかりあいだった。
それぞれの力を流し込まれた太刀と剣は、その身に巨大な力をまとっていた。その力が、手でちぎれるほどに粘ついた大気の固まりと化して刀身にまとわりついている。太刀が振るわれるつどその力が後方に押し流され、長い尾がたなびく。
その姿はまさに彗星。
長い尾を引いて空を舞う彗星そのままの姿だった。
人の手で振るわれる彗星と化した太刀と剣が幾度となく激突し、はじかれ、翻り、ぶつかりあう。刀身のまとう力が巨大すぎてもはや、刀身と剣身が直接、ぶつかりあうことはない。ぶつかるのは、刃のまとう力そのもの。刃にまとわりつく粘つく大気と化した妖気と亡道の気配が衝突し、はじかれ、その衝撃で飛び散った余波が結晶化した世界を砕きつづける。
振るわれる太刀と剣が彗星なら、それを振るう両者はまさに彗星を引きつけ、その尾を長く吹きながす太陽そのもの。互いに巨大な力を身にまとい、炎と化した光を吹きあげているかのよう。あまりの熱量に足元では結晶化した大地が次々と蒸発し、穴が開いていく。
『砕けている』のではない。
『蒸発している』のだ。
真っ赤に熱せられた鉄の棒を突き込まれた、小さな水たまりのように。
それほどに巨大な力のぶつかりあい。
これほどの激しい力のぶつかりあいがこの世にあっていいのか。
見るものにそう思わせる光景だった。
「……すごい」
あまりの熱さとまぶしさに左腕で顔を覆いながら、ロウワンが思わず呟いた。それは、両者のまとう力もさることながら、野伏の表情に関しての呟きだった。
こんなにも必死な形相の野伏はいままで見たことがない。宿敵であった人食い鬼との戦いにおいてすら、ここまでの形相にはなっていなかった。それは、亡道の騎士がいかに力をしぼり尽くさなければ対抗できない相手かを物語っていた。
「……これが、野伏の本気か。『逃げろ』と言ったわけだ。あんな力をまともに食らったら死ぬどころか、まるごと蒸発してしまう」
「まったくだね」
ロウワンに並んで立つ行者がうなずいた。その喉にはすべてを呑み干す貪食の土曜の空が開いており、あたりかまわず飛び散る力を呑み干し、皆を流れ弾から守っている。しかし、あまりにも濃密な力に呑み干すのも大変なのだろう。ひどく具合が悪そうだ。世の女性すべてが羨むような白い肌がいまや『白い』を通りこして青白くなっている。いつも涼しげに振る舞う行者にして、脂汗まで流しているのだからよほどつらいのだろう。
「やれやれ。この間の〝賢者〟たちといい、僕の空で呑み干せない力に立てつづけに出会うとはね。自信をなくしてしまうよ、まったく。誰か、優しく慰めてくれないかい?」
そんな軽口にもいつものイタズラっぽさがない。案外、本気でへこんでいるのかも知れない。
――行者がここまで言うなんて。それほどすごい力ということか。だけど、こんな力を出せるならどうして〝賢者〟たちと戦ったときに出さなかったんだ? もし、この力を出してくれていればルドヴィクスを助けられたかも知れないのに……。
ロウワンはそう思い、喉に小骨が刺さったような気分になった。その疑問に答えたのは行者だった。
「ロウワン。周囲に注意しておいて。いまの野伏は眼前の敵に全神経を集中している。他の誰かに横から攻撃されたらまともに受けてしまう。そのとき、助けに入れるのは、いまのこの状況では君しかいない」
――ああ、そうか。
行者に言われてロウワンは得心した。
――ただひとりの相手に全神経を集中している。だからこそ、あの力が出せるのか。〝賢者〟と戦ったときは無数の枝が相手だったから、それができなかったというわけか。
そう思い、納得したが、同時に恥ずかしくもなった。『わざと手を抜いていたのか?』などと野伏に対して疑いを抱いたことに対して。
――いままで一緒に戦ってきて、野伏が戦いの場で手を抜くような人物ではないことはわかっていたはずなのにな。失礼なことを思った。
こんな場でも生真面目に反省するロウワンだった。
そのロウワンの横でくやしそうに舌打ちする音がした。ハーミドだった。
「ちっ、なんてこったい。このおれが手も足も出せないなんてよ。あの騎士野郎に通用する武器さえありゃあ、おれの自慢の一撃を食らわしてやるってのに」
そう言って音高く自分の手のひらを拳で叩き、くやしがっている。新聞記者とはいえ喧嘩上等の武闘派。戦いの場で役に立てないことが腹立たしくてならないのだろう。
「ロウワン」
メリッサが声をあげた。亡道の騎士に蹴り飛ばされ、血を吐いて吹き飛ばされたビーブを看護していたのだが、状況は芳しくないらしい。眉をよせ、美しい顔を曇らせている。
「ビーブが危険な状態よ。内臓を完全に蹴破られているわ」
「ビーブ」
言われて、ロウワンはビーブの側にひざまづいた。ビーブは口から泡交じりの血を吐きながらいまにも息絶えそうな様子だった。
「メリッサ師。天命の理を使えば、お互いの天命を入れ替えることができる。そうでしたね?」
「えっ? え、ええ、それはそうだけど……」
「それなら、ビーブの傷ついた内臓とおれの内臓の天命を入れ替えてください。ビーブが助かるように」
「それでは、あなたが死んでしまうわ!」
「だから、死なない程度に。半分ぐらい天命を入れ替えればお互い、傷ついてはいても死にはしないという状態に。あなたなら、できるでしょう?」
ロウワンはまっすぐにメリッサの目を見つめた。あまりにも真摯なその視線に見つめられ、メリッサもうなずいた。
「たかがサルのためにそこまでするの?」
とは言わないし、思いもしなかった。ロウワンとビーブの絆の深さを知っているものなら、そんなことは決して思いもしない。
「わかったわ。でも、あなたひとり分の天命では、お互いに死ぬことになりかねない。わたしの天命も含めてふたり分でやれば……」
「そういうことなら、おれの分の天命とやらも使ってくれ」
話を聞いていたらしいハーミドが言った。
「正直、なんのことやらよくわからんが、協力する人間が多ければ、それだけ安全にビーブ卿を助けられるんだろう? だったら、おれにも手伝わせてくれ。おれひとり、なんの役にも立てないなんて意地に懸けて許せないからな」
「わかったわ。それじゃ、こっちに来て。ビーブを囲んで輪になって」
メリッサの言葉通り、ロウワンたち三人はビーブを囲む輪となった。メリッサが術式を唱え、天命の理を発動させる。
「うっ……」
ロウワンが低く呟き、ハーミドが二日酔いのような表情になった。腹のなかにはっきりとした痛みと、重いしこりのようなものを感じたのだ。
――これは……思ったより、不快だな。でも、その分、ビーブの傷は良くなっているはずだ。
ロウワンはそう思った。そして、事実、ビーブの目には見るみる生気が戻りつつあった。口からあふれ出ていた泡交じりの血も、いつの間にかとまっている。
「……キキッ」
少々、弱々しいものの、それでもはっきりした声でビーブが鳴いた。
「……ビーブ。よかった」
ロウワンが心から安堵した表情を浮かべた。その表情ひとつでふたりの関係がわかろうというものだった。
「やれやれ、一安心だな」
ハーミドが腹を押さえながら、それでも、野太い笑みを浮かべていった。
「ええ。今後の治療は必要だけど、でも、これで命に関わるようなことはないわ」
メリッサも自分の腹を押さえながらホッとした様子で言った。
「やれやれ、そっちはなんとかなったみたいだね」
ただひとり、壁となってはじけ飛ぶ力の余波を呑み干し、ロウワンたちを守っていた行者が息をつきながら言った。
「でも、あっちはまずいことになっているよ」
「えっ?」
言われて、ロウワンは野伏と亡道の騎士の戦いに目を向けた。
両者は相変わらず、太刀と剣にまとわせた力と力をぶつけあい、激しく戦っている。しかし――。
あきらかに野伏が押されていた。ついさっきまでは完全に互角だった。しかし、いまでは力と力がぶつかりあい、はじかれるつど、野伏の方が大きく体勢をくずされるようになっている。そのために、次の一撃を放つまでに時間がかかり、その分、打ち込まれやすくなるという悪循環。
このままでは野伏がやられる。
素人目にもそうわかる状況。まして、ロウワンであればその事実ははっきりわかる。
「野伏が負けるって言うのか? あの野伏が?」
野伏が負ける相手がこの世にいるなんて、今のいままで思いもしなかった。そう。亡道の司と〝鬼〟をただふたつの例外として。
「あの騎士は亡道の世界から力を引き出している」
行者が言った。
「まさに、無限の力の噴出口だよ。それに対して、野伏はいくら強力な妖気をもっているとはいえ、その量は有限。騎士の力がかわらないのに対して、野伏の妖気はどんどん落ちている。このままではやられるのは時間の問題だよ」
行者の言葉に――。
ロウワンは『ギリッ』と歯ぎしりした。
行者の言うことは正しい。それはわかる。疑いの余地はない。しかし、では、どうすればいい? 両者の放つ力はあまりにも強く、濃密に過ぎる。うかつに近づけば、それだけで蒸発してしまう。
――どうすればいい? どうすれば、野伏を助けられる?
必死に考えるロウワンの目の前。
そこで、野伏と亡道の騎士の戦いはつづいていた。
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