壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

文字の大きさ
上 下
199 / 279
第二部 絆ぐ伝説

第八話四章 失うことを怖れないために

しおりを挟む
 「貴族を憎んでいるのですか?」
 セシリアのその問いに――。
 「もちろんだ」
 プリンスはためらうことなく答えた。
 「ローラシアの貴族たちには奴隷として扱われ、むちで殴られ、『商品』として売り払われた。おれだけではない。多くの仲間たちが同じ目に遭わされてきた。憎くないわけがないだろう」
 「……そうですね。でも、それは貴族だけの行いですか?」
 「なに?」
 「〝ブレスト〟提督から色々なことを教わりました。世の中には女性たちに対してひどいことを行う人たちがいると。そして、その人たちは貴族ではありません。平民です。平民だって同じように多くの人を苦しめている。ならば、憎むべきは、そのような行為をしている『個人』であるはず。『貴族』という『存在』そのものを憎むのは筋がちがう。そうではありませんか?」
 「それは……」
 プリンスははじめて怯んだ。
 セシリアの言い分はもっともなものだった。たしかに、貴族でなくても人を奴隷、いや、奴隷以下に扱う人間は大勢いる。そんな人間のなかには『出世した元奴隷』だっているのだ。その事実を無視して『貴族だけ』を責めるほど、プリンスは狭量ではなかった。
 セシリアはつづけた。
 「たしかに、プリンスさまの言うとおり、貴族は多くの罪を犯してきました。奴隷制はまちがっている。ローラシアでの戦いで元奴隷身分の人たちと関わり、そのことを確信しました。安心の国ラインでは奴隷制は認めません。女性だけではなく、元奴隷身分の人たちも安心して暮らせる、そんな国を目指します。でも……」
 と、セシリアはプリンスの目をまっすぐに見据えながらつづけた。
 「貴族のしてきたことは罪だけではありません。貴族は自らの資産を使って領地を整備し、学校を建て、貧しい人々のために救護院を建て、運営資金を寄付してきました。それらはすべて『貴族の義務』として行われてきたことです。罪を犯すのは貴族も平民も同じ。ですが、『貴族の義務』に従い、人々のために自らの資産を使ってきたのは貴族だけです。だったら、貴族という存在そのものがおとしめられる理由はない。ちがいますか?」
 セシリアはプリンスの瞳をまっすぐに見据えながらそう問いかける。
 プリンスはその問いに答えられなかった。口を閉ざしているしかなかった。プリンスにしても、貴族たちが奴隷を使う一方で貧しい人々のために多額の寄付を日常的に行っていることは知っている。その寄付によって多くの人々の命が救われてきたことを知っている。その点を指摘されればたしかに、貴族という『存在そのもの』を憎むことはできない。
 「東方の盤古ばんこ帝国においては……」
 一〇年に渡って東方世界を旅してきた野伏のぶせが言った。
 「主権者たる皇帝の権力は西方世界の王の比ではない。はるかに巨大で徹底したものだ。理由のひとつが『貴族がいない』ことだ」
 「貴族がいないこと?」
 「そうだ。盤古ばんこ帝国に貴族はいない。そのために、冨も、権力も、すべての力が皇帝ひとりに集中する。そのことが、皇帝を西方世界では考えられない絶対権力者にしている。貴族という存在は民衆の敵として語られることが多いが反面、ひとりの人間に力が集中するのを防ぐ防壁でもある」
 「一理あるね」
 今度は行者ぎょうじゃが言った。
 「僕も長らくこの世を見てきたけど、貴族という存在は良くも悪くも大きなものだよ。多くの貴族が林立する国においては常に逃げ場がある。たとえ、どこかの貴族に睨まれても他の貴族のもとに逃げ込めば身の安全は保証される。
 貴族のいない国ではそうはいかない。権力者に睨まれればそれで終わり。逃げ込む場もなく処刑されるだけ。それに、貴族たちは自分の力を増やすために学問を普及させ、産業を振興させもする。それが、結果として民衆のためになる。
 貴族なき国ではちがう。権力者が王ひとりしかいない国ではわざわざ自分の力を増やす必要がないから学問も広めず、産業も振興しない。結果としてその国は停滞ていたいしたままとなり、民衆はいつまでたっても豊かになれない。貴族という『存在そのもの』を敵視するのはまちがっている。僕もそう思うよ」
 「わたしも同感」
 メリッサも口をそろえた。
 「『もうひとつの輝き』のひとりとして歴史を学んできたけど、たしかに貴族のいる国と貴族のいない国では発展の度合いがちがう。貴族のいる国では、貴族同士の争いがその理由とはいえ、それが結果として国の発展につながる。貴族のいない国では絶対権力者がただひとり君臨する。そのために、その立場を守ることだけに注意が行き、国は発展しない。問題は『貴族そのもの』ではなく、『貴族のかた』だと思うわ」
 「プリンス」
 ロウワンがプリンスに語りかけた。
 「おれも、セシリアたちの言うことには一理あると思う。そもそも、『貴族』という存在を否定するなら、一方で『王』という存在を認めるのも変な話だ。貴族を否定するなら王も否定されるべきだ。しかし、それでは、自分の国を作ることはできない。そうだろう?」
 「それは、そうだが……」
 プリンスとしてもそう答えるしかなかった。
 ロウワンはついで、セシリアに視線を向けた。
 「でも、セシリア。君の言ったように、貴族も罪を犯す。君は『貴族の義務』と言ったけど、それを忠実に遂行すいこうする貴族ばかりではない。義務を果たすことなく、領地からむしり取った金で享楽きょうらくにふけるだけ。そんな貴族も多くいる。そうだろう?」
 そう語るロウワンの口調と表情とが熱を帯びている。トウナたちがハネムーンにも行かず、政治の話をすることに不満を覚えていたロウワンだが結局、この根っからの朴念仁ぼくねんじんにとっては、色恋いろこい沙汰ざたよりもこうした話の方が興味を惹かれるのだ。
 「それは……そうですけど」
 ロウワンに言われて、今度はセシリアが怯んだ。セシリアにしても『正真正銘のクズ』とも言うべき貴族がいることは知っている。父がよく、酒に酔ってはそんな貴族の悪口を言っていたものだ。
 ロウワンは自分のなかの思いを整理するようにひとつ、うなずいた。
 「だったら。問題なのは貴族という『存在そのもの』ではない。貴族の地位にふさわしくないものが貴族でいること、貴族の地位にふさわしいものが貴族になれないこと、よりはっきり言えば『貴族という身分』が固定されてしまっていることが問題なんだ。
 だったら、固定しなければいい。貴族にふさわしくないものは貴族ではいられず、貴族にふさわしいものが貴族になれる、そんな世界を作ればいい。もともと、固定されることなくかわりつづける秩序、流動性秩序こそが都市としもう社会しゃかいの目指すものなんだからな」
 「貴族にふさわしくないものは貴族ではいられず、貴族にふさわしいものが貴族になれる……」
 プリンスが噛みしめるようにして、ロウワンの言葉を繰り返した。
 「つまり、奴隷身分のものであっても、貴族にふさわしい精神の持ち主であれば貴族になれる。そういうことか」
 「そうだ。ただし、都市としもう社会しゃかいでは奴隷制は認めない。そこは『奴隷身分』ではなく『平民』と言うべきだな」
 「奴隷が存在せず、貴族にふさわしい精神の持ち主だけが貴族になれる。そんな世界ができるなら異存はない。しかし、どうやって実現する?」
 プリンスのその問いに答えたのはメリッサだった。
 「貴族の養成所。それが、『もうひとつの輝き』が出した答えのひとつよ」
 「貴族の養成所?」
 「そう。血統ではなく、精神をもって貴族の後継者とする。貴族それぞれが身分を問わずに人材を集め、自分たちの後継者としての教育をほどこし、それにふさわしい能力と精神の持ち主を後継者に指名する。そういう制度よ」
 「そうすれば、うまく行くと?」
 プリンスに問われて、メリッサは自信なさげに首を左右に振って見せた。
 「あくまで、理論のひとつよ。実際に試したことはないんだから、現実にどうかはわからないわ」
 「それに……」
 ロウワンが言った。なんとも深刻な面持ちだった。
 「〝賢者〟との戦いで思い知った。失うことを怖れる人間がどんなに浅ましくなるかと言うことを」
 ロウワンの言葉に、野伏のぶせ行者ぎょうじゃ、メリッサらが一様に吐き気を覚えたような表情になった。かのたちもロウワンと同じく〝賢者〟たちと対峙たいじしている。その浅ましさ、醜さを見せつけられているのだ。
 「〝賢者〟たちは、千年前は本当に英雄だったんだ。亡道もうどうつかさから世界を守るために全力を尽くしていた。それなのに、英雄の立場を失うことを怖れたためにあんな醜悪な存在になってしまった。でも、それは〝賢者〟だけの問題じゃない。おれたちだってそうだ。〝賢者〟に言われたよ。
 『お前のような若造になにがわかる』ってね。
 そう。おれはまだ若い。失うほどなにかを得てはいない。歳をとり、失うものの方が多くなったなら、そのときには〝賢者〟のように失うことを怖れる浅ましい存在になり果てるかも知れない」
 ロウワンの言葉に誰も、なにも言えなかった。
 そんなことにはならない!
 根拠こんきょもないのにそんなことを言い放つような不実な人間は、この場にはひとりもいなかった。
 「失うことを怖れる心。それがある限り、流動性秩序などと言ってみても無駄だろう。失うことを恐れ、自分の立場を永遠のものにするために秩序を固定しようとする人間たちは必ず表れる。そうなれば結局、人と人の争いが起きるだけだ。そうさせないためには『失うことを怖れない』人間たちを育てていかなくてはならない……」
 ――でも、どうすればそんなことができる?
 ロウワンはその深刻な疑問を抱いたときだ。トウナが口を開いた。
 「ロウワン。その点に関して、会ってもらいたい人がいるわ」
 「会ってもらいたい人?」
 「そう。わたしたちはコーヒーハウスを通じて国作りのための人材を募集してきた。そこに、応募してきたひとりよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

悪女の死んだ国

神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。 悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか......... 2話完結 1/14に2話の内容を増やしました

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

ぼくの家族は…内緒だよ!!

まりぃべる
児童書・童話
うちの家族は、ふつうとちょっと違うんだって。ぼくには良く分からないけど、友だちや知らない人がいるところでは力を隠さなきゃならないんだ。本気で走ってはダメとか、ジャンプも手を抜け、とかいろいろ守らないといけない約束がある。面倒だけど、約束破ったら引っ越さないといけないって言われてるから面倒だけど仕方なく守ってる。 それでね、十二月なんて一年で一番忙しくなるからぼく、いやなんだけど。 そんなぼくの話、聞いてくれる? ☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

昨日の敵は今日のパパ!

波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。 画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。 迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。 親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。 私、そんなの困ります!! アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。 家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。 そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない! アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか? どうせなら楽しく過ごしたい! そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。

処理中です...