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第二部 絆ぐ伝説
第八話二章 ……バカ
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タラの島は盛大な騒ぎに包まれていた。
沖合いにとまった船が鼓膜も破れよとばかりに祝砲を打ち鳴らし、クナイスルの連れてきたレムリアの楽団が、道化師そこのけの派手な衣装を身につけて楽曲をかき鳴らしながら練り歩く。
クナイスルとソーニャの夫妻が手にてをとって率先して踊り出す。それに刺激を受けた自由の国の兵士たち――お祭り好きな元海賊たち――が、我もわれもと踊り出す。
陽気な浮かれ騒ぎに誘われて、海賊酒場の踊り子たちも手にした楽器を打ち鳴らしながら自慢のダンスを披露する。楽曲と歌声が島中に響き渡り、踊り狂う人々が埋め尽くす。
あたり一面に並べられた卓の上に置かれているのは自由の国の料理長兼参謀であるミッキーが、ここぞとばかりに腕を振るったご馳走の数々。漁村らしい新鮮な海産物をふんだんに使った名物料理の山。
「さあ、今日は腕によりをかけて作ったからな! いくらでも食ってくれよ」
そう言いながら次々、料理を盛りつけていく。
卓の脇には子どもがなかに入って泳げそうなほど大きな樽。なかに満たされているのはもちろん、海賊御用達の酒であるラム酒。元海賊たちが、タラの島の漁師たちが、手にてにもった杯を樽のなかに突っ込み、なかのラム酒を酌んでは浴びるように飲んでいる。
「いやあ、これが結婚式かあ。これなら毎日、結婚式でもいいなあ」
と、いまだに『結婚式』というものがよくわかっていないタラの島の住人は少々、ずれた感想を示していたが、それでも、とにかく、めでたい席にはちがいない。
人間たちの陽気な浮かれ騒ぎに自然もその気になったのか、太陽は燦々と踊り狂う光をそそぎ、風は草木を揺らして自然の音楽を奏でている。空には海鳥たちが舞い、鳴き声を残していく。
もはや、結婚式なんだが、単なるらんちき騒ぎなんだかわからない。島中が際限のない喧噪に包まれたかのようなその状況。
その状況のなかでただ一カ所、静謐と言っていいほどの静けさに包まれている場所がある。
ガレノア、ボウ、ルドヴィクス、アルバート……。
死んでいった仲間たちのために用意された席。
その場に用意された酒と料理にはさすがに誰も手をつけようとはせず、静けさを保っている。しかし――。
一見、静かであっても、見るものが見れば見える。豪放磊落なガレノアが豪快に笑い、謹厳実直なボウが折り目正しく杯を掲げ、騎士ルドヴィクスが誇り高く佇み、少年アルバートがその横で頬を上気させて立っているその姿が。
島中をお祭り騒ぎが包むなか、主役のふたり、トウナとプリンスはそれぞれの控え室で最後の準備に入っていた。
トウナはメリッサや〝ブレスト〟・ザイナブ、セシリア、ドク・フィドロの妻であるマーサとその娘ナリスらに囲まれ、生まれてはじめてまとうドレス姿を披露していた。
タラの島にウェディングレドレスなどあるはずもなく、ロウワンに言われてブージが急遽、仕入れてきたものである。
赤を基調とした、それはもうあでやかなドレスであって、トウナの野性的な美貌と南洋の日差しと潮風に鍛えられた赤銅色の肌、引き締まった力強い肢体によく似合う。深紅のドレスをまとって佇む姿はまさに、咲き誇る炎の花。華やかで情熱的な火の国の美女である。
「すごい、きれい。さすがに、赤が似合うわね」
「トウナさま、素敵です!」
「ほんとほんと、もとがいいからドレスも映えるよねえ」
「トウナお姉ちゃん、カッコいい!」
メリッサが、セシリアが、マーサが、ナリスが、口々に賞賛する。目をキラキラさせて、頬を上気させ、興奮しながら褒め称える。しかし、その中心にいるトウナは少々、居心地が悪そう。ドレスに包まれた手や足を動かしながらなにやら気にしている。
「こんな格好……あたしには似合わないと思うけど」
戸惑った様子でそう呟く。
都会から遠くはなれた小さな漁村の生まれ。洗いざらしのシャツに七分丈のパンツ、頭には布を巻きつけて……という格好で通してきたトウナである。いままでドレスはおろか、スカートさえはいたことがない。それがいきなり、こんな華やかなドレスを着せられたのだ。戸惑うのも無理はない。
「そんなことないわよ、よく似合ってるわ」
メリッサが言うと、セシリアも両手を握りしめて力いっぱい力説した。
「そうです! トウナさまは自分で思っているよりずっと美人なんですから。自信をもってください!」
貴族令嬢として恋愛物語によく親しみ『結婚』という出来事に対する強い憧れをもっていたセシリアである。美しい花嫁を間近に見られてすっかり興奮している。
「そうだよ。トウナお姉ちゃん、すごくきれいだよ」
と、トウナの友人代表を務めるナリスも熱心にそう主張した。
『ロウワン兄ちゃんのコンヤクシャ』を自認するこのおしゃまな少女は、いつもロウワンの側にいたトウナが他の男と結婚するのが嬉しくて仕方がないらしい。トウナの結婚話を聞いて以来、人一倍はしゃいでいる。
「……本当。こんなにきれいなのにもったいない。男と結婚するなんて」
と、その場で唯一、憂鬱そうにしている〝ブレスト〟が呟いた。
普段の胸をむき出しにした格好はさすがに結婚式の場にはふさわしくないということで、純白のスラリとしたドレスをまとっている。それが、砂漠の踊り子を思わせるしなやかな肢体によく似合う。顔には相変わらず布を巻きつけて隠しているがそれでも、普段の洗いざらしの布ではなく、ドレスに合わせた白い布を巻いているのはかの人なりに気を使った結果……なのだろうか。
〝ブレスト〟の方にとまるオウムの鸚鵡が翼を大きく広げながら一声、鳴いたのは、〝ブレスト〟の言葉に合意したのか、それとも、たしなめたのか。ただ単に、普段とはちがう服のせいで、とまり心地が悪かっただけかも知れないが。
「さあさあ、もう時間だよ。花嫁さまが遅れちゃあ、話にならないからね。出向くとしよう」
マーサが陽気にそう言うと、友人代表のナリスがトウナの手をとった。
「さあ、行こう、トウナお姉ちゃん!」
「え、ええ……」
いまだにドレス姿に戸惑ったままのトウナはナリスに手を引かれるままに式場に向かって歩きだした。
それと同じ頃、もう一方の主役である新郎のプリンスもまた、仲間たちに囲まれていた。
ロウワン、ビーブ、野伏、行者、それに、トウナの父であるボニトォらに囲まれて、こちらもまたブージが急遽、仕入れてきた漆黒のフロックコートを身にまとっている。
黒い肌と精悍な風貌、クロヒョウを思わせる機能美あふれる肉体に、男性的なシルエットのフロックコートがよく似合う。威厳すら感じさせるその姿。それはまさに黒の王。結婚式の主役にふさわしい出で立ちである。
「さすがだな、プリンス。威厳たっぷりの堂々とした姿だ」
と、ロウワンも手放しで賛辞した。
「キキキ、キイ、キイ」
――ああ。おれの次くらいにカッコいいぜ。
と、ビーブもかの人らしい褒め方をした。
「あ、ああ……」
プリンスは胸の前で拳を握りしめ、緊張した面持ちでうなずいた。
その様子を見て行者がおもしろそうに口にした。相変わらず東方の仙人を思わせる服装で、結いあげた髪に挿したかんざしの飾りをシャラシャラ言わせている。
「おや? なんだか、緊張しているみたいだね、プリンス。さては、結婚式を目前に怖くなったかな? 自由を求めて逃走したいと言うなら手伝うよ?」
「馬鹿言え。誰が逃げるか。トウナを幸せにしてみせる。その決意の重圧だ」
きっぱりと、そう言いきるプリンスだった。
その言葉を受けて野伏が『うむうむ』とうなずいた。こちらはいったいどこで仕入れてきたのか、紋付き袴という重厚きわまる出で立ち。結婚式の場でも愛用の太刀を佩いているのが野伏らしい。
「東方世界では『妻を怖れない男こそ真の勇者』という言葉がある。真の勇者を目指すことだな」
「いや、それは……」
プリンスはたちまち自信なさげな表情を浮かべた。
惚れた弱み。トウナにきらわれるかも知れないと思えば、怖れずにはいられない。
「しかしなあ……」
と、トウナの父であるボニトォが漁師らしいぶっとい腕を組んで呟いた。
「あのトウナが結婚かあ。いまだに信じられん」
そう首をひねっている。
タラの島では結婚はあくまでも家と家の決まり事。本人の意思は関係ない。ただ、トウナの場合、『島長の孫』という立場にあったので、相手は決められていなかった。
「島長の孫として、島一番の漁師と結婚させる」
ということで意見は決まっていたのだが、トウナと同世代の男たちではまだまだ『島一番の漁師』と言うには遠い。そのため、相手が決まるのはまだしばらく先のことになると思われていた。
それが、この際は幸いした。すでにトウナに決まった相手がいたらやはり、揉めていただろう。タラの島のような小さな村社会においては、古くからの慣習というものは無視し得ない力をもっている。
ロウワンはボニトォの様子を見て内心、胸をなで下ろしていた。
トウナの親が、黒人であるプリンスとの結婚に反対するのではないか。
密かにそう疑っていたからだ。
これは別に、ロウワンの偏見というわけではない。事実、大陸では、黒人が黒人以外と結婚することは禁忌とされる地域の方がずっと多いのだ。
ロウワンの生まれ故郷であるゴンドワナは、ローラシアなどに比べれば黒人差別はずっと少ない。奴隷制もない。それでも、裕福な黒人とか、黒人以外と結婚している黒人などは見たことがない。
――タラの島の人たちが、そんなことを気にしない人たちでよかった。
ロウワンとしては、そう胸をなで下ろさずにはいられない。大切な友人同士の結婚。それが、差別意識によって邪魔されるなど悲しすぎる。もっとも――。
そんなことは最初から無用な心配ではあった。タラの島には『黒人奴隷』などという存在はおろか、黒人そのものが存在しない。黒人に対する差別意識などもちようがなかったのだから。
タラの島の人々は人種的にはパンゲア人の同類なのだが、南洋の日差しと潮風に鍛えられた肌はたくましい赤銅色であり、黒人と大してちがわない、という事情もある。
ちなみに、ボニトォは日頃の漁師姿のままである。新婦の父親としてボニトォにもモーニングコートが用意されたのだが、ボニトォは太い腕を組んで鼻を鳴らし、一蹴したものである。
「おれは漁師だ。漁師の正装と言ったら漁姿に決まっている。だから、おれは、漁姿で娘の結婚を見届けるんだ」
その誇りの前には誰も、なにも言えなかった。
もっとも、着る気になったところで、そのぶっとい腕ではモーニングコートの袖がちぎれる結果になっただけだろうけれど。
「さあ、もう時間だ。行こう、プリンス」
ロウワンが言った。
プリンスは決意を込めた表情でうなずいた。
「……ああ」
プリンスは背筋を伸ばし、胸を張った堂々とした姿で歩きだした。その横には友人代表を務めるロウワンが付き従う。
急遽、修復された島でただひとつの教会。その前で友人たちに付き添われて式の主役である新郎新婦は会合した。
いったん、立ちどまり、視線を交わす。それから、友人たちとはなれ、お互いに歩みよる。間近で立ちどまり、お互いの目をじっと見つめる。
その姿に、浮かれ騒いでいた元海賊たちも、タラの島の住人たちも目を奪われ一瞬、騒ぐのを忘れた。陽気な楽隊たちでさえ一瞬、楽曲をかき鳴らすことを忘れて見入ったほど。
それほど、絵になる光景だった。
咲き誇る炎の花と黒の王。
そのふたりが寄り添い、見つめあう姿はまさに名画と呼ぶにふさわしい光景だった。
プリンスはじっと目の前のトウナを見つめた。これから先、自らの伴侶となり、共に生きていく咲き誇る炎の花を。
「……きれいだ。おれは世界一の幸せものだ」
「……バカ」
さすがに照れたのだろう。トウナの赤銅色の肌にいつも以上の赤みが差した。
照れ隠しのために唇を真一文字に惹き結んだ怒ったような表情で、プリンスの腕に自分の腕を絡ませる。そのまま、夫を引きずるようにして式場目指して歩きだす。プリンスもまた、自分の足に力を込め、妻の腕をしっかりと抱きかかえながら歩きだす。ふたりの未来に向かって。
一瞬、自分たちの使命を忘れていた楽隊が役割を思い出し、楽曲をかき鳴らす。踊るようにして練り歩き、新郎新婦の旅立ちを祝福する。教会の扉が開けられ、トウナとプリンスは腕を組んだまま、なかに入った。
神父役は島の慣習に従い、先代島長であるトウナの祖父コドフが務める。
トウナとプリンスがコドフの前で立ちどまった。コドフはさすがに緊張した面持ちで孫娘とその婿とを出迎えた。
「ここに、おぬしたちは夫婦となる。力を合わせ、共に生き、ともに暮らし、ともに死ぬことを誓うか?」
「誓います」
トウナとプリンスは口をそろえて答えた。
「よろしい。では、誓いの杯を」
神酒の満たされた杯が運ばれ、トウナとプリンスは同じその杯から酒を飲み、互いの将来を誓った。コドフの誇らしげな宣言が行われた。
「海と空の神々も照覧あれ! ここに、一組の夫婦が誕生した。神々の慈悲のあらんことを!」
そして、トウナとプリンスは誓いの口づけを交わした。
歓喜が爆発し、島中が祝福に包まれた。ここに――。
一組の若い夫婦が正式に誕生したのである。
沖合いにとまった船が鼓膜も破れよとばかりに祝砲を打ち鳴らし、クナイスルの連れてきたレムリアの楽団が、道化師そこのけの派手な衣装を身につけて楽曲をかき鳴らしながら練り歩く。
クナイスルとソーニャの夫妻が手にてをとって率先して踊り出す。それに刺激を受けた自由の国の兵士たち――お祭り好きな元海賊たち――が、我もわれもと踊り出す。
陽気な浮かれ騒ぎに誘われて、海賊酒場の踊り子たちも手にした楽器を打ち鳴らしながら自慢のダンスを披露する。楽曲と歌声が島中に響き渡り、踊り狂う人々が埋め尽くす。
あたり一面に並べられた卓の上に置かれているのは自由の国の料理長兼参謀であるミッキーが、ここぞとばかりに腕を振るったご馳走の数々。漁村らしい新鮮な海産物をふんだんに使った名物料理の山。
「さあ、今日は腕によりをかけて作ったからな! いくらでも食ってくれよ」
そう言いながら次々、料理を盛りつけていく。
卓の脇には子どもがなかに入って泳げそうなほど大きな樽。なかに満たされているのはもちろん、海賊御用達の酒であるラム酒。元海賊たちが、タラの島の漁師たちが、手にてにもった杯を樽のなかに突っ込み、なかのラム酒を酌んでは浴びるように飲んでいる。
「いやあ、これが結婚式かあ。これなら毎日、結婚式でもいいなあ」
と、いまだに『結婚式』というものがよくわかっていないタラの島の住人は少々、ずれた感想を示していたが、それでも、とにかく、めでたい席にはちがいない。
人間たちの陽気な浮かれ騒ぎに自然もその気になったのか、太陽は燦々と踊り狂う光をそそぎ、風は草木を揺らして自然の音楽を奏でている。空には海鳥たちが舞い、鳴き声を残していく。
もはや、結婚式なんだが、単なるらんちき騒ぎなんだかわからない。島中が際限のない喧噪に包まれたかのようなその状況。
その状況のなかでただ一カ所、静謐と言っていいほどの静けさに包まれている場所がある。
ガレノア、ボウ、ルドヴィクス、アルバート……。
死んでいった仲間たちのために用意された席。
その場に用意された酒と料理にはさすがに誰も手をつけようとはせず、静けさを保っている。しかし――。
一見、静かであっても、見るものが見れば見える。豪放磊落なガレノアが豪快に笑い、謹厳実直なボウが折り目正しく杯を掲げ、騎士ルドヴィクスが誇り高く佇み、少年アルバートがその横で頬を上気させて立っているその姿が。
島中をお祭り騒ぎが包むなか、主役のふたり、トウナとプリンスはそれぞれの控え室で最後の準備に入っていた。
トウナはメリッサや〝ブレスト〟・ザイナブ、セシリア、ドク・フィドロの妻であるマーサとその娘ナリスらに囲まれ、生まれてはじめてまとうドレス姿を披露していた。
タラの島にウェディングレドレスなどあるはずもなく、ロウワンに言われてブージが急遽、仕入れてきたものである。
赤を基調とした、それはもうあでやかなドレスであって、トウナの野性的な美貌と南洋の日差しと潮風に鍛えられた赤銅色の肌、引き締まった力強い肢体によく似合う。深紅のドレスをまとって佇む姿はまさに、咲き誇る炎の花。華やかで情熱的な火の国の美女である。
「すごい、きれい。さすがに、赤が似合うわね」
「トウナさま、素敵です!」
「ほんとほんと、もとがいいからドレスも映えるよねえ」
「トウナお姉ちゃん、カッコいい!」
メリッサが、セシリアが、マーサが、ナリスが、口々に賞賛する。目をキラキラさせて、頬を上気させ、興奮しながら褒め称える。しかし、その中心にいるトウナは少々、居心地が悪そう。ドレスに包まれた手や足を動かしながらなにやら気にしている。
「こんな格好……あたしには似合わないと思うけど」
戸惑った様子でそう呟く。
都会から遠くはなれた小さな漁村の生まれ。洗いざらしのシャツに七分丈のパンツ、頭には布を巻きつけて……という格好で通してきたトウナである。いままでドレスはおろか、スカートさえはいたことがない。それがいきなり、こんな華やかなドレスを着せられたのだ。戸惑うのも無理はない。
「そんなことないわよ、よく似合ってるわ」
メリッサが言うと、セシリアも両手を握りしめて力いっぱい力説した。
「そうです! トウナさまは自分で思っているよりずっと美人なんですから。自信をもってください!」
貴族令嬢として恋愛物語によく親しみ『結婚』という出来事に対する強い憧れをもっていたセシリアである。美しい花嫁を間近に見られてすっかり興奮している。
「そうだよ。トウナお姉ちゃん、すごくきれいだよ」
と、トウナの友人代表を務めるナリスも熱心にそう主張した。
『ロウワン兄ちゃんのコンヤクシャ』を自認するこのおしゃまな少女は、いつもロウワンの側にいたトウナが他の男と結婚するのが嬉しくて仕方がないらしい。トウナの結婚話を聞いて以来、人一倍はしゃいでいる。
「……本当。こんなにきれいなのにもったいない。男と結婚するなんて」
と、その場で唯一、憂鬱そうにしている〝ブレスト〟が呟いた。
普段の胸をむき出しにした格好はさすがに結婚式の場にはふさわしくないということで、純白のスラリとしたドレスをまとっている。それが、砂漠の踊り子を思わせるしなやかな肢体によく似合う。顔には相変わらず布を巻きつけて隠しているがそれでも、普段の洗いざらしの布ではなく、ドレスに合わせた白い布を巻いているのはかの人なりに気を使った結果……なのだろうか。
〝ブレスト〟の方にとまるオウムの鸚鵡が翼を大きく広げながら一声、鳴いたのは、〝ブレスト〟の言葉に合意したのか、それとも、たしなめたのか。ただ単に、普段とはちがう服のせいで、とまり心地が悪かっただけかも知れないが。
「さあさあ、もう時間だよ。花嫁さまが遅れちゃあ、話にならないからね。出向くとしよう」
マーサが陽気にそう言うと、友人代表のナリスがトウナの手をとった。
「さあ、行こう、トウナお姉ちゃん!」
「え、ええ……」
いまだにドレス姿に戸惑ったままのトウナはナリスに手を引かれるままに式場に向かって歩きだした。
それと同じ頃、もう一方の主役である新郎のプリンスもまた、仲間たちに囲まれていた。
ロウワン、ビーブ、野伏、行者、それに、トウナの父であるボニトォらに囲まれて、こちらもまたブージが急遽、仕入れてきた漆黒のフロックコートを身にまとっている。
黒い肌と精悍な風貌、クロヒョウを思わせる機能美あふれる肉体に、男性的なシルエットのフロックコートがよく似合う。威厳すら感じさせるその姿。それはまさに黒の王。結婚式の主役にふさわしい出で立ちである。
「さすがだな、プリンス。威厳たっぷりの堂々とした姿だ」
と、ロウワンも手放しで賛辞した。
「キキキ、キイ、キイ」
――ああ。おれの次くらいにカッコいいぜ。
と、ビーブもかの人らしい褒め方をした。
「あ、ああ……」
プリンスは胸の前で拳を握りしめ、緊張した面持ちでうなずいた。
その様子を見て行者がおもしろそうに口にした。相変わらず東方の仙人を思わせる服装で、結いあげた髪に挿したかんざしの飾りをシャラシャラ言わせている。
「おや? なんだか、緊張しているみたいだね、プリンス。さては、結婚式を目前に怖くなったかな? 自由を求めて逃走したいと言うなら手伝うよ?」
「馬鹿言え。誰が逃げるか。トウナを幸せにしてみせる。その決意の重圧だ」
きっぱりと、そう言いきるプリンスだった。
その言葉を受けて野伏が『うむうむ』とうなずいた。こちらはいったいどこで仕入れてきたのか、紋付き袴という重厚きわまる出で立ち。結婚式の場でも愛用の太刀を佩いているのが野伏らしい。
「東方世界では『妻を怖れない男こそ真の勇者』という言葉がある。真の勇者を目指すことだな」
「いや、それは……」
プリンスはたちまち自信なさげな表情を浮かべた。
惚れた弱み。トウナにきらわれるかも知れないと思えば、怖れずにはいられない。
「しかしなあ……」
と、トウナの父であるボニトォが漁師らしいぶっとい腕を組んで呟いた。
「あのトウナが結婚かあ。いまだに信じられん」
そう首をひねっている。
タラの島では結婚はあくまでも家と家の決まり事。本人の意思は関係ない。ただ、トウナの場合、『島長の孫』という立場にあったので、相手は決められていなかった。
「島長の孫として、島一番の漁師と結婚させる」
ということで意見は決まっていたのだが、トウナと同世代の男たちではまだまだ『島一番の漁師』と言うには遠い。そのため、相手が決まるのはまだしばらく先のことになると思われていた。
それが、この際は幸いした。すでにトウナに決まった相手がいたらやはり、揉めていただろう。タラの島のような小さな村社会においては、古くからの慣習というものは無視し得ない力をもっている。
ロウワンはボニトォの様子を見て内心、胸をなで下ろしていた。
トウナの親が、黒人であるプリンスとの結婚に反対するのではないか。
密かにそう疑っていたからだ。
これは別に、ロウワンの偏見というわけではない。事実、大陸では、黒人が黒人以外と結婚することは禁忌とされる地域の方がずっと多いのだ。
ロウワンの生まれ故郷であるゴンドワナは、ローラシアなどに比べれば黒人差別はずっと少ない。奴隷制もない。それでも、裕福な黒人とか、黒人以外と結婚している黒人などは見たことがない。
――タラの島の人たちが、そんなことを気にしない人たちでよかった。
ロウワンとしては、そう胸をなで下ろさずにはいられない。大切な友人同士の結婚。それが、差別意識によって邪魔されるなど悲しすぎる。もっとも――。
そんなことは最初から無用な心配ではあった。タラの島には『黒人奴隷』などという存在はおろか、黒人そのものが存在しない。黒人に対する差別意識などもちようがなかったのだから。
タラの島の人々は人種的にはパンゲア人の同類なのだが、南洋の日差しと潮風に鍛えられた肌はたくましい赤銅色であり、黒人と大してちがわない、という事情もある。
ちなみに、ボニトォは日頃の漁師姿のままである。新婦の父親としてボニトォにもモーニングコートが用意されたのだが、ボニトォは太い腕を組んで鼻を鳴らし、一蹴したものである。
「おれは漁師だ。漁師の正装と言ったら漁姿に決まっている。だから、おれは、漁姿で娘の結婚を見届けるんだ」
その誇りの前には誰も、なにも言えなかった。
もっとも、着る気になったところで、そのぶっとい腕ではモーニングコートの袖がちぎれる結果になっただけだろうけれど。
「さあ、もう時間だ。行こう、プリンス」
ロウワンが言った。
プリンスは決意を込めた表情でうなずいた。
「……ああ」
プリンスは背筋を伸ばし、胸を張った堂々とした姿で歩きだした。その横には友人代表を務めるロウワンが付き従う。
急遽、修復された島でただひとつの教会。その前で友人たちに付き添われて式の主役である新郎新婦は会合した。
いったん、立ちどまり、視線を交わす。それから、友人たちとはなれ、お互いに歩みよる。間近で立ちどまり、お互いの目をじっと見つめる。
その姿に、浮かれ騒いでいた元海賊たちも、タラの島の住人たちも目を奪われ一瞬、騒ぐのを忘れた。陽気な楽隊たちでさえ一瞬、楽曲をかき鳴らすことを忘れて見入ったほど。
それほど、絵になる光景だった。
咲き誇る炎の花と黒の王。
そのふたりが寄り添い、見つめあう姿はまさに名画と呼ぶにふさわしい光景だった。
プリンスはじっと目の前のトウナを見つめた。これから先、自らの伴侶となり、共に生きていく咲き誇る炎の花を。
「……きれいだ。おれは世界一の幸せものだ」
「……バカ」
さすがに照れたのだろう。トウナの赤銅色の肌にいつも以上の赤みが差した。
照れ隠しのために唇を真一文字に惹き結んだ怒ったような表情で、プリンスの腕に自分の腕を絡ませる。そのまま、夫を引きずるようにして式場目指して歩きだす。プリンスもまた、自分の足に力を込め、妻の腕をしっかりと抱きかかえながら歩きだす。ふたりの未来に向かって。
一瞬、自分たちの使命を忘れていた楽隊が役割を思い出し、楽曲をかき鳴らす。踊るようにして練り歩き、新郎新婦の旅立ちを祝福する。教会の扉が開けられ、トウナとプリンスは腕を組んだまま、なかに入った。
神父役は島の慣習に従い、先代島長であるトウナの祖父コドフが務める。
トウナとプリンスがコドフの前で立ちどまった。コドフはさすがに緊張した面持ちで孫娘とその婿とを出迎えた。
「ここに、おぬしたちは夫婦となる。力を合わせ、共に生き、ともに暮らし、ともに死ぬことを誓うか?」
「誓います」
トウナとプリンスは口をそろえて答えた。
「よろしい。では、誓いの杯を」
神酒の満たされた杯が運ばれ、トウナとプリンスは同じその杯から酒を飲み、互いの将来を誓った。コドフの誇らしげな宣言が行われた。
「海と空の神々も照覧あれ! ここに、一組の夫婦が誕生した。神々の慈悲のあらんことを!」
そして、トウナとプリンスは誓いの口づけを交わした。
歓喜が爆発し、島中が祝福に包まれた。ここに――。
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アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
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