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第二部 絆ぐ伝説
第七話最終章 おれたちの時代だ!
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戦いは終わった。
建国以来、闇の領域に潜み、ローラシアを影から支配してきた〝賢者〟たちは滅びた。
その〝賢者〟たちが作りあげた一〇万を超える化け物たちも、ことごとく討ち果たされた。
もう、ローラシアを脅かすものはいない。
脅威から解放されたのだ。
人々はそのことを喜び、宴を開き、騒ぎ立てた。とは言え――。
『いそがしさ』という点では、戦いが終わってからが本番だった。
とにかく、やるべきこと、やらなければならないことが山積だったのだ。
まずは、一〇万に及ぶ化け物たちの死体の処理をしなくてはならなかった。まさか、これほどの数の死体を放置しておくには行かないし、ビーブの集めた肉食獣たちも、自然の摂理に反したこの化け物たちの肉を食うことは、断固として拒否した。と言って、単純に穴を掘って埋める……というわけにもいかない。
「どんな術を使って作り出されたかわからない化け物たちよ。土に埋めたりしたら、その身から出た毒素によって大地が汚染されかねないわ」
現代の天命の博士たるメリッサがそう警告したからだ。
そこで、メリッサの提言に従い、化け物たちの死体は灰になるまで丹念に焼き払い、残った灰は海に流すことにした。これだけの数の化け物の死骸を人の手でいちいち浄化することはできない。火で焼き、海に流すことで、自然の浄化力に委ねるしかなかったのだ。
これだけでも何十日という時間のかかる大作業だった。一〇万の死体を焼き払うための膨大な量の燃料を集め、毎日まいにち死体を焼き払う。焼却場所とされた平原からは毎日、濛々たる煙が立ちのぼり、空を覆い隠すほど。灰を流された海は灰色に濁り、水の流れも滞ってしまうのではないかと思うほどにドロドロになった。
そして、匂い。化け物を焼くときの匂いは、これがまたすさまじいものだった。そのあまりの悪臭にあたりの人々は鼻をつまんで逃げ出したほどである。焼却の担当となった人々はその匂いに対抗するために鼻のまわりに何重もの布を巻きつけなくてはならなかった。
その作業の間、ホクホク顔で喜んでいたのは、燃料を運ぶ仕事で特別手当を奮発されることになったブージぐらいのものだった。
それから、戦いで死んだ兵士たちの名簿を作り、葬儀をあげ、埋葬する。家族に連絡し、遺髪を届け、一人ひとりの名前を刻んだ慰霊碑を建立する。慰霊のための祭儀を執り行えるよう教会を建てる計画を作りあげる。
〝賢者〟たちの引き起こした殺戮の犠牲者たちを調べあげ、やはり、名簿を作って葬儀を執り行い、瓦礫の山となった町の再建計画を立てる。
避難していた人々に事態の終結を知らせ、帰還を促す。生活基盤を破壊された人々が再建に取り組めるよう一時金も支給しなくてはならないし、犠牲となった人々の親類縁者を探し出して報告もしなくてはならない。
それに、山ほどの負傷者の治療、〝賢者〟たちが支配していた時期に起きたいくつもの凄惨な事件の捜査、混乱に乗じた犯罪の防止……。
やるべきこと、やらなければいけないことはいくらでもあったのだ。
再建するにしてもローラシアの統治機構はすでに壊滅してしまっているので、ゴンドワナ商王国やレムリア伯爵領から官吏を派遣してもらわなくてはならなかった。ドク・フィドロは膨大な負傷者たちを前に配下の医師団を率いて奮闘を重ね、寝る間もないいそがしさ。
「ろくに食事をする暇もないからのう。メスなんぞ握っているとついつい、目の前の患者をばかでかいステーキに見えてくるわい」
と、笑えない冗談を飛ばすほど。
〝ブレスト〟、プリンス、ボーラ、ヴァレリと言った軍指揮官たちは秩序を回復し、治安を守るために兵たちを指揮してやはり、不眠不休の活動をつづけていた。
従軍記者のハーミドもまた、一連の出来事を記事としてまとめて人々に知らせるべく、休む間もなく現場を走りまわり、取材に当たっていた。
そのハーミドの活動によって自由の国兵士によるいくつかの略奪、暴行が発覚した。ロウワンは前もってハーミドに言っていたように、それらの兵士たちを草の根分けても探し出し、自らの手で首を刎ねた。残酷なようでも、そうしなくては自由の国が信頼を得ることはできない。
そして、そのロウワンは自由の国の主催として誰よりも激しい職務に追われていた。
次からつぎへと舞い込む報告と書類。各地からあがってくる報告を聞かされすぎて、耳にできたタコがタコ踊りをはじめるほどだったし、無限とも思える書類を決裁し、署名することをつづけたせいで目はショボショボ、背筋はガチガチ、ペンを握る右手はブルブルと震え、食事用のナイフもろくにもてなくなるありさま。職務に忙殺される日々がつづくなかで、一気に一〇〇歳も歳をとってしまったかのような肉体の不自由を感じる羽目になったほどだった。
そのなかでただ三人、それらのいそがしさはどこ吹く風と昼間から風呂に入り、酒を飲み、のんべんだらりと過ごしているものたちがいた。
ビーブ、野伏、行者である。
この三人の職務はあくまでも戦場におけるものなので、戦いが終わってしまえばやることがないのである。
と言うわけで、この三人は今日も今日とて昼間から温泉につかり、持ち込んだ酒を酌み交わしながら呑気に呟いている。
「いやあ、みんな、いそがしくて大変だねえ。その分、僕たちがゆっくり休んであげよう」
実際に現場で生き地獄のような激しい職務に追われている人間たちが聞けば、殴り殺したくなるようなことを平然たる笑顔で言って、心地良さげに息をつく行者であった。
「まったくだ。人が汗水流して働いているのを眺めながら温泉につかり、酒を飲む。人生の幸福、これに尽きる」
「キイ、キキキ、キイ」
――そろそろ、子どもが生まれる頃なんだよなあ。名前、考えておかないとなあ。
三者三様のあまりにも呑気な振る舞いに――。
ロウワンがキレた。
「そんな呑気なことを言ってる暇があるなら少しは手伝ってくれ!」
しかし、行者はキザったらしく指など振って答えて見せた。
「他人の職域は侵さない。それが、粋なおとなの礼儀だよ」
「おれはしょせん、突撃隊の隊長に過ぎないからな。戦後の事務処理やらなにやらは提督たる〝ブレスト〟やプリンスの仕事だ。おれは関係ない」
――いそがしいときに借りるのはネコの手だろ。サルの手を借りようとするなよ。
と、てんで『自分も働こう』などという殊勝な態度は示さない三人だった。
その態度にロウワンはさすがに歯がみしたが、
「そいつらに期待しても無駄よ、ロウワン! それより、早く戻って。あなたが処理するよりも三倍は速く、新しい書類が来てるんだから! サボっていたら書類の山に埋もれることになるわよ!」
「わ、わかったよ、メリッサ師」
なし崩し的にロウワンの秘書役をこなしているメリッサに呼ばれ、ロウワンは職務室に駆け戻っていった。
そのロウワンの姿を見送りながら、三人は異口同音に言った。
「せっかくの親密度を増すための時間だ。邪魔するのは粋ではないからね」
さしもの無限につづくかと思われた職務も、担当した人々の必死の努力によって、ようやく一段落ついた。そんななか、〝ブレスト〟のもとで様々な雑務に奔走していたセシリアがロウワンを尋ねてきた。ロウワンがビーブ、野伏、行者の三人を前になにひとつ仕事を手伝ってくれなかったことを延々と愚痴っていたときのことである。
「セシル? 君はセシルなのか?」
ロウワンは訪れたセシリアを見て、驚きに目を丸くした。一瞬、誰かわからなかった。セシリアが貴族の令嬢らしく、派手ではないがさりげない高級感のある――行者ならば『粋だね』と言いそうな――女性用のドレスを着ていたからである。
驚くロウワンに向かい、セシリアは生真面目に答えた。
「ロウワンさま。そして、皆さま。いままで隠していて申し訳ありませんでした。これが、わたしの本来の姿。わたしの本当の名はセシリア。ローラシア伯爵の娘、セシリアです」
「なんだって⁉ 君は女の子だったのか」
「はい。年端もいかない娘と知られれば危険にさらされる。そのことを思い知らされたために男の振りをしていました。ですが、もうその必要もありません。これからは、本来の姿であるローラシア貴族の娘として、ルドヴィクス兄さま、アルバート兄さまの妹として、ライン公国の再建に取り組む所存。ですから、皆さまをだましていたお詫びも兼ねて、ご挨拶に参りました」
セシリアはそう言って優雅なカーテシーを披露して見せた。
荒っぽく切られた短い髪。
南国の日差しと潮風に鍛えられ、赤く染まった肌。
数々の手仕事によってすっかり荒れ果て、ゴツゴツになった手と指。
いずれも、かつての蝶よ、花よと育てられた貴族令嬢であった頃のセシリアからは考えられない姿。それでも――。
そうして、挨拶をするセシリアの姿はやはり、誇り高き貴族令嬢のものだった。
「そ、そうだったのか……」
と、ロウワンは本気で衝撃を受けている。
ふたりとも大真面目なので、まわりのおとなたちとしてはどうにも反応に困ってしまう。結局、そのことを口にしたのは同性であるメリッサだった。
「あの……セシリア。気分、出しているところを悪いんだけど、あなたを男と思っていたのはロウワンだけだから」
一瞬――。
ロウワンとセシリアはともにキョトンとした表情になった。それから、なんとも間の抜けた声をあげた。
「えっ?」
「はっ?」
「だからね。あなたが女の子であることはみんな、最初からわかっていたの。ロウワン以外はね」
「そうなのか⁉」
「そ、そうだったんですか……⁉」
ロウワンとセシリアが同時に叫んだ。
行者が苦笑しながら付け加えた。
「セシリア。君は男として振る舞っているつもりだったんだろうけどね。立ち居振る舞いはどこからどう見ても貴族の令嬢のままだったよ。あれでだませるのは、よほどの朴念仁だけだよ」
「そ、そうだったんですか……⁉ でも、誰もそんなこと……」
「本人が男の振りをしているなら、あえてだまされてやる。それが、海賊たちの流儀というものだ」
「おれは気付かなかったぞ!」
ロウワンが叫ぶと、ビーブが言った。
――お前が『よほどの朴念仁』だってことを知らないのも、お前だけだよ。
きょうだい分のその言葉に――。
呆然として我を忘れるロウワンだった。
「と、とにかく。これでもう、似合いもしない男装なんてしなくてすむんだし、よかったわね、セシリア」
同性のよしみだろう。メリッサがセシリアを慰めるつもりでとどめをさした。
メリッサの言葉にセシリアは真っ赤になって身をちぢこませた。決死の覚悟で告白しにきたというのにすべてバレバレだったなんて……バツが悪くて仕方がない。
「と、とにかく……!」
気を取り直したようにロウワンが叫んだ。
「いったん、タラの島に戻ろう。これからのことを決めるんだ!」
同じ頃――。
ローラシアの一角において、もうひとつの物語がはじまっていた。
プリンス。自由の国の指揮官たる若者はいま、貴族の御曹司の前に仁王立ちになっていた。その目は怒りと憎悪にたぎっており、怯えた表情を浮かべてうろたえるばかりの貴族の御曹司と著しい対照を成していた。
「……ようやく、見つけた」
そう呟くなかにどれほどの思いが込められているか、余人にわかるはずもない。
「な、なんだ、なにを言っている? お前は誰だ、私になんの用だ?」
「これを見ればわかるか?」
プリンスはそう言って服を脱ぎ、背中を見せつけた。無数の傷跡が走るたくましい背中を。
「そ、その傷……まさか、お前は……」
「そうだ。おれはプリンス。子どもの頃、散々お前に鞭打たれた奴隷の子だ」
「その、その奴隷がいまさらなんの用だ⁉」
「お前を捕えに来た」
「なに⁉」
「お前だけではない。奴隷を使ってきたローラシア貴族すべてを捕える。そして、おれの国において刑罰を与える」
「お、お前の国……? 刑罰だと?」
「そうだ。おれの国だ。おれは自分の国を作る。そして、王となる。奴隷など存在しない国をだ。お前たちはその国で自分たちのしてきたことの意味を思い知ることになる。自分が奴隷として使ってきた人間のもとで、奴隷として使ってきたのと同じ期間、奴隷として使われることになる。鞭打たれ、命令され、服従を強制され、朝から晩まで一時も休む間もなく主人のために働かされる。そんな生活を送ることになる。自分たちのしてきたことの意味を思い知るために」
「ば、馬鹿な……! 奴隷風情がなにを言うか⁉ 私は栄えあるローラシア貴族だ! 貴族に対して、そんな扱いは許されんぞ!」
「かつての世界ならその通りだな」
プリンスは無慈悲なほどにはっきりと、そう告げた。
「かつての、秩序が固定され、揺らぐことのなかった平和な時代ならばその通りだ。だが、そんな時代は永遠に去った。これからは秩序が固定されず、かわりつづける世界となる。おれたちがそんな世界を作る。奴隷が王となり、貴族が奴隷となる。そんな世界をだ。お前たちの時代はすでに終わった。これからは――」
プリンスは大きく息を吸い込むと、ひとつの事実を宣言した。
「おれたちの時代だ」
第二部第七話完
第二部第八話につづく
建国以来、闇の領域に潜み、ローラシアを影から支配してきた〝賢者〟たちは滅びた。
その〝賢者〟たちが作りあげた一〇万を超える化け物たちも、ことごとく討ち果たされた。
もう、ローラシアを脅かすものはいない。
脅威から解放されたのだ。
人々はそのことを喜び、宴を開き、騒ぎ立てた。とは言え――。
『いそがしさ』という点では、戦いが終わってからが本番だった。
とにかく、やるべきこと、やらなければならないことが山積だったのだ。
まずは、一〇万に及ぶ化け物たちの死体の処理をしなくてはならなかった。まさか、これほどの数の死体を放置しておくには行かないし、ビーブの集めた肉食獣たちも、自然の摂理に反したこの化け物たちの肉を食うことは、断固として拒否した。と言って、単純に穴を掘って埋める……というわけにもいかない。
「どんな術を使って作り出されたかわからない化け物たちよ。土に埋めたりしたら、その身から出た毒素によって大地が汚染されかねないわ」
現代の天命の博士たるメリッサがそう警告したからだ。
そこで、メリッサの提言に従い、化け物たちの死体は灰になるまで丹念に焼き払い、残った灰は海に流すことにした。これだけの数の化け物の死骸を人の手でいちいち浄化することはできない。火で焼き、海に流すことで、自然の浄化力に委ねるしかなかったのだ。
これだけでも何十日という時間のかかる大作業だった。一〇万の死体を焼き払うための膨大な量の燃料を集め、毎日まいにち死体を焼き払う。焼却場所とされた平原からは毎日、濛々たる煙が立ちのぼり、空を覆い隠すほど。灰を流された海は灰色に濁り、水の流れも滞ってしまうのではないかと思うほどにドロドロになった。
そして、匂い。化け物を焼くときの匂いは、これがまたすさまじいものだった。そのあまりの悪臭にあたりの人々は鼻をつまんで逃げ出したほどである。焼却の担当となった人々はその匂いに対抗するために鼻のまわりに何重もの布を巻きつけなくてはならなかった。
その作業の間、ホクホク顔で喜んでいたのは、燃料を運ぶ仕事で特別手当を奮発されることになったブージぐらいのものだった。
それから、戦いで死んだ兵士たちの名簿を作り、葬儀をあげ、埋葬する。家族に連絡し、遺髪を届け、一人ひとりの名前を刻んだ慰霊碑を建立する。慰霊のための祭儀を執り行えるよう教会を建てる計画を作りあげる。
〝賢者〟たちの引き起こした殺戮の犠牲者たちを調べあげ、やはり、名簿を作って葬儀を執り行い、瓦礫の山となった町の再建計画を立てる。
避難していた人々に事態の終結を知らせ、帰還を促す。生活基盤を破壊された人々が再建に取り組めるよう一時金も支給しなくてはならないし、犠牲となった人々の親類縁者を探し出して報告もしなくてはならない。
それに、山ほどの負傷者の治療、〝賢者〟たちが支配していた時期に起きたいくつもの凄惨な事件の捜査、混乱に乗じた犯罪の防止……。
やるべきこと、やらなければいけないことはいくらでもあったのだ。
再建するにしてもローラシアの統治機構はすでに壊滅してしまっているので、ゴンドワナ商王国やレムリア伯爵領から官吏を派遣してもらわなくてはならなかった。ドク・フィドロは膨大な負傷者たちを前に配下の医師団を率いて奮闘を重ね、寝る間もないいそがしさ。
「ろくに食事をする暇もないからのう。メスなんぞ握っているとついつい、目の前の患者をばかでかいステーキに見えてくるわい」
と、笑えない冗談を飛ばすほど。
〝ブレスト〟、プリンス、ボーラ、ヴァレリと言った軍指揮官たちは秩序を回復し、治安を守るために兵たちを指揮してやはり、不眠不休の活動をつづけていた。
従軍記者のハーミドもまた、一連の出来事を記事としてまとめて人々に知らせるべく、休む間もなく現場を走りまわり、取材に当たっていた。
そのハーミドの活動によって自由の国兵士によるいくつかの略奪、暴行が発覚した。ロウワンは前もってハーミドに言っていたように、それらの兵士たちを草の根分けても探し出し、自らの手で首を刎ねた。残酷なようでも、そうしなくては自由の国が信頼を得ることはできない。
そして、そのロウワンは自由の国の主催として誰よりも激しい職務に追われていた。
次からつぎへと舞い込む報告と書類。各地からあがってくる報告を聞かされすぎて、耳にできたタコがタコ踊りをはじめるほどだったし、無限とも思える書類を決裁し、署名することをつづけたせいで目はショボショボ、背筋はガチガチ、ペンを握る右手はブルブルと震え、食事用のナイフもろくにもてなくなるありさま。職務に忙殺される日々がつづくなかで、一気に一〇〇歳も歳をとってしまったかのような肉体の不自由を感じる羽目になったほどだった。
そのなかでただ三人、それらのいそがしさはどこ吹く風と昼間から風呂に入り、酒を飲み、のんべんだらりと過ごしているものたちがいた。
ビーブ、野伏、行者である。
この三人の職務はあくまでも戦場におけるものなので、戦いが終わってしまえばやることがないのである。
と言うわけで、この三人は今日も今日とて昼間から温泉につかり、持ち込んだ酒を酌み交わしながら呑気に呟いている。
「いやあ、みんな、いそがしくて大変だねえ。その分、僕たちがゆっくり休んであげよう」
実際に現場で生き地獄のような激しい職務に追われている人間たちが聞けば、殴り殺したくなるようなことを平然たる笑顔で言って、心地良さげに息をつく行者であった。
「まったくだ。人が汗水流して働いているのを眺めながら温泉につかり、酒を飲む。人生の幸福、これに尽きる」
「キイ、キキキ、キイ」
――そろそろ、子どもが生まれる頃なんだよなあ。名前、考えておかないとなあ。
三者三様のあまりにも呑気な振る舞いに――。
ロウワンがキレた。
「そんな呑気なことを言ってる暇があるなら少しは手伝ってくれ!」
しかし、行者はキザったらしく指など振って答えて見せた。
「他人の職域は侵さない。それが、粋なおとなの礼儀だよ」
「おれはしょせん、突撃隊の隊長に過ぎないからな。戦後の事務処理やらなにやらは提督たる〝ブレスト〟やプリンスの仕事だ。おれは関係ない」
――いそがしいときに借りるのはネコの手だろ。サルの手を借りようとするなよ。
と、てんで『自分も働こう』などという殊勝な態度は示さない三人だった。
その態度にロウワンはさすがに歯がみしたが、
「そいつらに期待しても無駄よ、ロウワン! それより、早く戻って。あなたが処理するよりも三倍は速く、新しい書類が来てるんだから! サボっていたら書類の山に埋もれることになるわよ!」
「わ、わかったよ、メリッサ師」
なし崩し的にロウワンの秘書役をこなしているメリッサに呼ばれ、ロウワンは職務室に駆け戻っていった。
そのロウワンの姿を見送りながら、三人は異口同音に言った。
「せっかくの親密度を増すための時間だ。邪魔するのは粋ではないからね」
さしもの無限につづくかと思われた職務も、担当した人々の必死の努力によって、ようやく一段落ついた。そんななか、〝ブレスト〟のもとで様々な雑務に奔走していたセシリアがロウワンを尋ねてきた。ロウワンがビーブ、野伏、行者の三人を前になにひとつ仕事を手伝ってくれなかったことを延々と愚痴っていたときのことである。
「セシル? 君はセシルなのか?」
ロウワンは訪れたセシリアを見て、驚きに目を丸くした。一瞬、誰かわからなかった。セシリアが貴族の令嬢らしく、派手ではないがさりげない高級感のある――行者ならば『粋だね』と言いそうな――女性用のドレスを着ていたからである。
驚くロウワンに向かい、セシリアは生真面目に答えた。
「ロウワンさま。そして、皆さま。いままで隠していて申し訳ありませんでした。これが、わたしの本来の姿。わたしの本当の名はセシリア。ローラシア伯爵の娘、セシリアです」
「なんだって⁉ 君は女の子だったのか」
「はい。年端もいかない娘と知られれば危険にさらされる。そのことを思い知らされたために男の振りをしていました。ですが、もうその必要もありません。これからは、本来の姿であるローラシア貴族の娘として、ルドヴィクス兄さま、アルバート兄さまの妹として、ライン公国の再建に取り組む所存。ですから、皆さまをだましていたお詫びも兼ねて、ご挨拶に参りました」
セシリアはそう言って優雅なカーテシーを披露して見せた。
荒っぽく切られた短い髪。
南国の日差しと潮風に鍛えられ、赤く染まった肌。
数々の手仕事によってすっかり荒れ果て、ゴツゴツになった手と指。
いずれも、かつての蝶よ、花よと育てられた貴族令嬢であった頃のセシリアからは考えられない姿。それでも――。
そうして、挨拶をするセシリアの姿はやはり、誇り高き貴族令嬢のものだった。
「そ、そうだったのか……」
と、ロウワンは本気で衝撃を受けている。
ふたりとも大真面目なので、まわりのおとなたちとしてはどうにも反応に困ってしまう。結局、そのことを口にしたのは同性であるメリッサだった。
「あの……セシリア。気分、出しているところを悪いんだけど、あなたを男と思っていたのはロウワンだけだから」
一瞬――。
ロウワンとセシリアはともにキョトンとした表情になった。それから、なんとも間の抜けた声をあげた。
「えっ?」
「はっ?」
「だからね。あなたが女の子であることはみんな、最初からわかっていたの。ロウワン以外はね」
「そうなのか⁉」
「そ、そうだったんですか……⁉」
ロウワンとセシリアが同時に叫んだ。
行者が苦笑しながら付け加えた。
「セシリア。君は男として振る舞っているつもりだったんだろうけどね。立ち居振る舞いはどこからどう見ても貴族の令嬢のままだったよ。あれでだませるのは、よほどの朴念仁だけだよ」
「そ、そうだったんですか……⁉ でも、誰もそんなこと……」
「本人が男の振りをしているなら、あえてだまされてやる。それが、海賊たちの流儀というものだ」
「おれは気付かなかったぞ!」
ロウワンが叫ぶと、ビーブが言った。
――お前が『よほどの朴念仁』だってことを知らないのも、お前だけだよ。
きょうだい分のその言葉に――。
呆然として我を忘れるロウワンだった。
「と、とにかく。これでもう、似合いもしない男装なんてしなくてすむんだし、よかったわね、セシリア」
同性のよしみだろう。メリッサがセシリアを慰めるつもりでとどめをさした。
メリッサの言葉にセシリアは真っ赤になって身をちぢこませた。決死の覚悟で告白しにきたというのにすべてバレバレだったなんて……バツが悪くて仕方がない。
「と、とにかく……!」
気を取り直したようにロウワンが叫んだ。
「いったん、タラの島に戻ろう。これからのことを決めるんだ!」
同じ頃――。
ローラシアの一角において、もうひとつの物語がはじまっていた。
プリンス。自由の国の指揮官たる若者はいま、貴族の御曹司の前に仁王立ちになっていた。その目は怒りと憎悪にたぎっており、怯えた表情を浮かべてうろたえるばかりの貴族の御曹司と著しい対照を成していた。
「……ようやく、見つけた」
そう呟くなかにどれほどの思いが込められているか、余人にわかるはずもない。
「な、なんだ、なにを言っている? お前は誰だ、私になんの用だ?」
「これを見ればわかるか?」
プリンスはそう言って服を脱ぎ、背中を見せつけた。無数の傷跡が走るたくましい背中を。
「そ、その傷……まさか、お前は……」
「そうだ。おれはプリンス。子どもの頃、散々お前に鞭打たれた奴隷の子だ」
「その、その奴隷がいまさらなんの用だ⁉」
「お前を捕えに来た」
「なに⁉」
「お前だけではない。奴隷を使ってきたローラシア貴族すべてを捕える。そして、おれの国において刑罰を与える」
「お、お前の国……? 刑罰だと?」
「そうだ。おれの国だ。おれは自分の国を作る。そして、王となる。奴隷など存在しない国をだ。お前たちはその国で自分たちのしてきたことの意味を思い知ることになる。自分が奴隷として使ってきた人間のもとで、奴隷として使ってきたのと同じ期間、奴隷として使われることになる。鞭打たれ、命令され、服従を強制され、朝から晩まで一時も休む間もなく主人のために働かされる。そんな生活を送ることになる。自分たちのしてきたことの意味を思い知るために」
「ば、馬鹿な……! 奴隷風情がなにを言うか⁉ 私は栄えあるローラシア貴族だ! 貴族に対して、そんな扱いは許されんぞ!」
「かつての世界ならその通りだな」
プリンスは無慈悲なほどにはっきりと、そう告げた。
「かつての、秩序が固定され、揺らぐことのなかった平和な時代ならばその通りだ。だが、そんな時代は永遠に去った。これからは秩序が固定されず、かわりつづける世界となる。おれたちがそんな世界を作る。奴隷が王となり、貴族が奴隷となる。そんな世界をだ。お前たちの時代はすでに終わった。これからは――」
プリンスは大きく息を吸い込むと、ひとつの事実を宣言した。
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