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第二部 絆ぐ伝説
第七話一六章 死にゆくものたち
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戦いはすでに十日を超えていた。
双方共に、相手が全滅するまで引くことのない殲滅戦。ローラシア貴族社会の権威と威厳の象徴とも言えた『太陽に至る道』は、化け物たちの死体で埋め尽くされていた。
死体の上に死体が重なり、それ自体が化け物たちの進軍を阻む壁となったかのよう。その壁を乗り越え、仲間たちの死体を踏みしめながら、化け物たちはやってくる。目も、鼻もない、その顔には当然、なんの表情もなく、決してあわてず、急がず、一歩いっぽ着実に迫ってくる。
その化け物たち相手にロウワン率いる連合軍は、ジリジリと後退を重ねながら戦いつづけていた。
それは、敗退とはちがう。化け物たちの死体の壁を避けて動きやすい場所を確保し、化け物たちを深い陣形のなかに引きよせて全方向から攻撃する、そのための戦術的な後退だった。それでも――。
それでも、連合軍が徐々に劣勢になりつつあるのは、どうしようもない事実だった。
戦いの直後は連合軍が圧倒的に優勢だった。人間の軍である連合軍には化け物たちにはない策があった。戦術があった。連携があった。なにより、兵士たちに旺盛な戦意があった。
ローラシアの兵たちには同胞を殺され、家族を人質にとられたことへの怒りと恨みがあった。ローラシアから逃げてきた元奴隷が大勢いる自由の国の兵士たちには『この戦いが終わったら、おれを奴隷として使っていたやつを見つけ出し、捕まえて、今度は自分の方が奴隷主になって使ってやるんだ』という野心があった。それらの思いが旺盛な戦意となって燃えあがり、戦いへと駆り立てていた。それらによって体力でははるかに上回る化け物たちを次々と倒してきたのだ。
――この分なら、さしたる被害もなく一〇万の化け物たちを駆逐できるかも知れない。
そんな、楽観的な気分さえ兵士たちの間に広がりはじめていたのだ。しかし――。
戦いが三日たち、四日たち、五日を超えるころになると形勢が逆転しはじめた。
殺しても、殺しても、化け物たちはやってくる。迫ってくる。人間相手の戦いならとっくに降伏するか、それでなくても逃げ出しており、勝利の宴を開くことができる。
とうに、それだけの損害を与えているのだ。それなのに――。
化け物たちは怯まない。たじろがない。逃げ出さない。ただただ目も鼻もない不気味な顔を揺らしながら迫ってくる。殺しにやってくる。その姿に――。
人間の心が疲れはじめた。
終わりの見えない戦いに耐えられなくなったのだ。
精神だけではない。肉体的にも疲労が溜まっていた。化け物たちは一時も休むことなく迫ってくる。である以上、人間の側も二四時間、一時も休むことなく戦いつづけなくてはならない。いくら、全軍を一二にわけて交代しながらの戦いとはいえ、戦場で満足な休憩なと得られるはずもない。気付かないうちに疲れは溜まり、体は重くなり、動きは鈍る。判断力も衰える。その分、犠牲も増える。
そして、犠牲が増えれば部隊の数は減っていく。自然、休める時間も減っていく。終わりの見えない戦いに疲れきった心に、疲れきった体。そこに鞭打って戦いに向かわなければいけない。士気はさがり、明らかに追い詰められつつあった。
とくに士気の低下が著しいのは、レムリア伯爵領から派遣された兵たちだった。レムリアの兵士たちにしてみれば、自分たちとは直接の関係のない戦い。終わりの見えない戦いのなかで、
「なんで、おれたちが、よその国のために死ななきゃならないんだ⁉」
そんな不満が噴き出してくるのは当然だった。
「これは、ローラシアのための戦いではない!」
指揮官を務める力天将軍ヴァレリは兵士たちの間をまわって、そう鼓舞してまわった。
「ロウワンどのの叫びを思いだせ! この戦いは我らの未来のため、我らの子孫のためのものだ! 我が子の、その子の、さらにその子たちが争わずに生きていける、そんな世界を作るための時間を手に入れる。そのための戦いだ。ローラシアのためではない! 我ら自身の未来のための戦いだ!」
そう叫び、兵士たちを鼓舞することができるのも、ヴァレリがそれだけ兵士たちから信頼され、慕われているからこそ。人望のない、名前だけの将軍であれば兵士たちはとっくに見限り、逃げ出していただろう。
指揮官たちの必死の鼓舞でどうにか持ちこたえていたものの、このままでは兵士たちの心が折れ、総崩れになるのは時間の問題かと思われた。
そんななか、誰よりもジリジリとした心を抱えていたものがいる。
ロウワンである。
積みあがる死体。増えつづける負傷者。手の打ちようがなく、殺す以外に苦しみから救ってやることのできない重傷者たち。
そんな兵士たちの姿を見て、ロウワンはついに我慢の限界に達した。
「もう耐えられない! 野伏、行者。おれたちも戦おう。おれたちが前線に出れば、化け物たちの勢いを少しでも減らすことができるはずだ」
ロウワンのその言葉に――。
野伏は残酷なほどに力強く首を左右に振った。
「それは、駄目だ」
「野伏!」
「落ち着け、ロウワン。おれたちが化け物相手の戦いで消耗したら誰が大公邸に乗り込み、〝賢者〟たちを倒す? おれとて、数万の化け物どもを相手に切り結ぶことはできない。行者の力もそう長く、広範囲にわたって及ぼすことはできない。おれたちは化け物相手の戦いで消耗することはできないんだ。突破できる程度に化け物たちの数が減るまで、ここでまちつづけるんだ」
「でも……!」
それでは、兵士たちがどんどん死んでしまう!
そう悲鳴をあげるロウワンに向かって、今度は行者が言った。
「僕からも言わせてもらうよ。君があせって飛び出して、〝賢者〟たちを倒せなくなったらどうする? 臆病者の〝賢者〟たちだ。大公邸や、自分たちの巣になんの細工もしていないはずがない。化け物相手に消耗した体でその罠をかいくぐり、〝賢者〟たちを殺す。そんなことができるつもりかい?」
「でも……」
「ロウワン。つらいでしょうけど、かの人たちの言う通りよ。〝賢者〟たちから世界を守る。あなたは、この戦いの意義をそう説いた。兵士たちはその言葉に従い、そのために戦っている。あなたには〝賢者〟たちを倒す義務と責任がある。それを果たせなかったら兵士たちは無駄死に。あなたは、自分自身で鼓舞した兵士たちを裏切ることになるのよ」
「………」
「オタオタしてんじゃねえ! 根性、入れろ、オラアッ!」
メリッサにつづき、一時、休憩のために本陣にまでさがってきていたボーラ傭兵団の団長、ボーラが荒々しい声をあげた。
「どう、きれい事を言ってみたって、指揮官の仕事ってえのは兵士たちを殺すことなんだぜ。その覚悟がねえなら指揮官なんぞやめちまいな」
荒々しく、豪快にそう言いきってから、ボーラはニヤリと笑って見せた。
「もし、この場にガレノアがいたらきっと、そう言ってるよ。ここは我慢するんだね、ロウワン。あんたの思いをぶつけるときは必ず来るさ」
ガレノア。
ロウワンに最初の幸運を授け、そして、未来を救うために〝鬼〟に立ち向かい、散っていった女海賊。その屈強な体格と鸚鵡を肩に載せて豪快に酒をかっ食らう姿を思い出し、ロウワンはグッと拳を握りしめた。
さらに、ビーフが言った。
――ロウワン。もう少しの辛抱だ。人間たちはたしかに成果を出している。鳥たちの報告によれば、化け物の数はすでに半分を切っている。バラバラに行動しているせいで、大公邸を囲んでいた壁もすでに緩みはじめている。もう少しだ。もう少し我慢すれば突破できるようになる。
「……ああ」
きょうだい分であるビーブのその言葉に――。
ロウワンは拳を握りしめながらうなずいた。それでも――。
――その『あと少し』の間に、どれだけの人間が死ぬんだ⁉
その怒りにも似た思いが胸の奥からわき起こるのはどうしようもなかった。そして――。
ロウワンの危惧したとおり、ひとつの破滅が訪れた。
それは、本陣へと駆けてきた男装の少女の声によって届けられた。
「兄さま、ルドヴィクス兄さま! アルバート兄さまが……!」
「アルバート?」
いまは男装して『セシル』という男性名を名乗っている妹セシリアの叫びに、ルドヴィクスは眉をひそめた。
衛兵隊の中級指揮官に担がれて運ばれてきたほんの少年、誰が見てももう手遅れだと思うしかない重傷を負った若き騎士の姿を見て、ルドヴィクスは顔色をかえた。
「アルバート⁉ なぜだ、アルバート! なんで、お前がこの場にいる⁉」
その叫びに――。
セシリアが、アルバートを担いできた指揮官が戸惑いの表情を浮かべた。
「……まさか。ご存じなかったのですか、ルドヴィクス兄さま。アルバート兄さまはフィルの町までわたしたちを届けたあと、ローラシアにお戻りになったんです」
「なんだって⁉」
「自分はローラシアの騎士だ。自分もローラシアを守るために戦う。そう仰って……」
「じ、自分は、アルバートからこう言われました。『ルドヴィクス兄さま、いえ、隊長から前線部隊に加わり、戦うように命じられました』と。だから、てっきり、隊長もご存じなのだとばかり……」
「……兄さま」
野戦病院――と言うには、あまりにも簡素な天幕――の寝台に寝かしつけられたアルバートは、息も絶え絶えの姿で尊敬する兄を見た。その姿を見、声を聞いたとき、ルドヴィクスは――。
すさまじい怒りを噴きあげた。
「馬鹿野郎! なぜ、戻ってきた、なぜ、戻ってきた⁉ おれが公私混同と言われるのを承知でお前を伝令役にしたのは、なんとしても死なせたくなかったからなんだぞ!」
ルドヴィクスはそう怒鳴り、アルバートにつかみかかりそうになった。あまりの勢いに、その場にいた人間たちが数人がかりでとめなければならないほどだった。
末妹のセシリアが無事に自由の国にたどり着き、援軍を連れてきてくれた。アルバートとソフィアのふたりも無事に自由の国にたどり着き、安全に過ごしている。そうとばかり思っていたのだ。それなのに、それなのに……。
すべては乱戦のなか、部隊同士の連絡も満足にできない状況のなかで起きたことだった。
「兄さま……」
アルバートは弱々しい声で言った。
「……僕だって、ローラシアの騎士なんです。ローラシアの人々を捨てて、自分だけ逃げることはできなかった」
「……アルバート」
「……褒めてください、兄上。僕は全力で戦いました。ふがいなくもろくな戦果もあげられませんでしたが……それでも、全力で戦ったんです。ローラシアの人々を守るために。僕は騎士として、たしかに使命を果たした。そうですよね?」
「その通りです、ルドヴィクス隊長」
アルバートを担いできた中級指揮官が、胸に手を添えてそう証言した。
「アルバートは、この幼さで誰よりも勇敢に戦いました。正真正銘の見事な騎士でした」
「……そうか」
もはや、言葉もなく、ルドヴィクスはそう言うしかなかった。
そんなルドヴィクスの肩に手をかけたものがいる。自由の国の医師、ドク・フィドロである。ルドヴィクスの肩にかけられていないもう一方の手には、小さな瓶が握られている。安楽死用の毒の小瓶だった。
「……ルドヴィクス君。気の毒だが、弟さんはもう助からん。せめてこれ以上、苦しまないようにしてやろう」
そう言って、アルバートに毒を飲ませようとする。だが――。
ルドヴィクスは首を左右に振った。
「無用です、ドクター。アルバートは自分の弟。それは、自分のやることです」
そう言うと――。
ルドヴィクスは腰の剣を引き抜いた。思いきり振りかぶり、切っ先をアルバートの心臓に突き立てた。
「兄さま!」
セシリアの悲鳴が響き、アルバートは苦しみから解放された。そのあとには――。
人目もはばからずに泣き叫ぶルドヴィクスの声だけが響いた。
「……まっていろ、アルバート。必ず、かならず、このおれが〝賢者〟たちを殺し、お前の仇をとってやる。お前の血を、お前の魂を吸ったこの剣に懸けて」
同じ頃――。
アルバートのように身内に看取られることもなく、誰に褒められることもなく、ただひとりの同僚に看取られて死んでいこうとしている名も無きひとりの兵士の姿があった。傷ついた実を寝台に横たえ、なにかをつかむように空に向かって手を伸ばしている。
「へ、ヘヘ……。見てくれたか、親父、お袋。おれさ。勇者さまと一緒に魔王と戦ったんだぜ。未来のためにさ。立派だろう? 格好いいだろう? 褒めてくれよな」
そう言って――。
誰に知られることもなく、名も無きひとりの兵士は逝った。
無数の死。
無数の破滅。
無数の人生の終焉。それでも――。
それでも、それらの死は決して無駄なものではなかった。『死』と引き替えに兵士たちはたしかに化け物たちを減らし、未来を守るための礎となった。
さらに、数日が過ぎたとき、ビーブがロウワンに伝えた。
――おい、ロウワン! 鳥たちからの報告だ。化け物どもの壁が崩れたぞ!
同時に、野伏もついに言った。
「おれも確認した。いまなら化け物どもを突破して、大公邸に乗り込める。指示を出せ、ロウワン! いまこそ、堪えにこらえてきた思いを爆発させるときだ」
「よし……」
野伏の言葉に――。
ロウワンはうなずいた。
「ビーブ、野伏、行者、メリッサ、ルドヴィクス! 行くぞ!大公邸に乗り込み、〝賢者〟を討つ!」
双方共に、相手が全滅するまで引くことのない殲滅戦。ローラシア貴族社会の権威と威厳の象徴とも言えた『太陽に至る道』は、化け物たちの死体で埋め尽くされていた。
死体の上に死体が重なり、それ自体が化け物たちの進軍を阻む壁となったかのよう。その壁を乗り越え、仲間たちの死体を踏みしめながら、化け物たちはやってくる。目も、鼻もない、その顔には当然、なんの表情もなく、決してあわてず、急がず、一歩いっぽ着実に迫ってくる。
その化け物たち相手にロウワン率いる連合軍は、ジリジリと後退を重ねながら戦いつづけていた。
それは、敗退とはちがう。化け物たちの死体の壁を避けて動きやすい場所を確保し、化け物たちを深い陣形のなかに引きよせて全方向から攻撃する、そのための戦術的な後退だった。それでも――。
それでも、連合軍が徐々に劣勢になりつつあるのは、どうしようもない事実だった。
戦いの直後は連合軍が圧倒的に優勢だった。人間の軍である連合軍には化け物たちにはない策があった。戦術があった。連携があった。なにより、兵士たちに旺盛な戦意があった。
ローラシアの兵たちには同胞を殺され、家族を人質にとられたことへの怒りと恨みがあった。ローラシアから逃げてきた元奴隷が大勢いる自由の国の兵士たちには『この戦いが終わったら、おれを奴隷として使っていたやつを見つけ出し、捕まえて、今度は自分の方が奴隷主になって使ってやるんだ』という野心があった。それらの思いが旺盛な戦意となって燃えあがり、戦いへと駆り立てていた。それらによって体力でははるかに上回る化け物たちを次々と倒してきたのだ。
――この分なら、さしたる被害もなく一〇万の化け物たちを駆逐できるかも知れない。
そんな、楽観的な気分さえ兵士たちの間に広がりはじめていたのだ。しかし――。
戦いが三日たち、四日たち、五日を超えるころになると形勢が逆転しはじめた。
殺しても、殺しても、化け物たちはやってくる。迫ってくる。人間相手の戦いならとっくに降伏するか、それでなくても逃げ出しており、勝利の宴を開くことができる。
とうに、それだけの損害を与えているのだ。それなのに――。
化け物たちは怯まない。たじろがない。逃げ出さない。ただただ目も鼻もない不気味な顔を揺らしながら迫ってくる。殺しにやってくる。その姿に――。
人間の心が疲れはじめた。
終わりの見えない戦いに耐えられなくなったのだ。
精神だけではない。肉体的にも疲労が溜まっていた。化け物たちは一時も休むことなく迫ってくる。である以上、人間の側も二四時間、一時も休むことなく戦いつづけなくてはならない。いくら、全軍を一二にわけて交代しながらの戦いとはいえ、戦場で満足な休憩なと得られるはずもない。気付かないうちに疲れは溜まり、体は重くなり、動きは鈍る。判断力も衰える。その分、犠牲も増える。
そして、犠牲が増えれば部隊の数は減っていく。自然、休める時間も減っていく。終わりの見えない戦いに疲れきった心に、疲れきった体。そこに鞭打って戦いに向かわなければいけない。士気はさがり、明らかに追い詰められつつあった。
とくに士気の低下が著しいのは、レムリア伯爵領から派遣された兵たちだった。レムリアの兵士たちにしてみれば、自分たちとは直接の関係のない戦い。終わりの見えない戦いのなかで、
「なんで、おれたちが、よその国のために死ななきゃならないんだ⁉」
そんな不満が噴き出してくるのは当然だった。
「これは、ローラシアのための戦いではない!」
指揮官を務める力天将軍ヴァレリは兵士たちの間をまわって、そう鼓舞してまわった。
「ロウワンどのの叫びを思いだせ! この戦いは我らの未来のため、我らの子孫のためのものだ! 我が子の、その子の、さらにその子たちが争わずに生きていける、そんな世界を作るための時間を手に入れる。そのための戦いだ。ローラシアのためではない! 我ら自身の未来のための戦いだ!」
そう叫び、兵士たちを鼓舞することができるのも、ヴァレリがそれだけ兵士たちから信頼され、慕われているからこそ。人望のない、名前だけの将軍であれば兵士たちはとっくに見限り、逃げ出していただろう。
指揮官たちの必死の鼓舞でどうにか持ちこたえていたものの、このままでは兵士たちの心が折れ、総崩れになるのは時間の問題かと思われた。
そんななか、誰よりもジリジリとした心を抱えていたものがいる。
ロウワンである。
積みあがる死体。増えつづける負傷者。手の打ちようがなく、殺す以外に苦しみから救ってやることのできない重傷者たち。
そんな兵士たちの姿を見て、ロウワンはついに我慢の限界に達した。
「もう耐えられない! 野伏、行者。おれたちも戦おう。おれたちが前線に出れば、化け物たちの勢いを少しでも減らすことができるはずだ」
ロウワンのその言葉に――。
野伏は残酷なほどに力強く首を左右に振った。
「それは、駄目だ」
「野伏!」
「落ち着け、ロウワン。おれたちが化け物相手の戦いで消耗したら誰が大公邸に乗り込み、〝賢者〟たちを倒す? おれとて、数万の化け物どもを相手に切り結ぶことはできない。行者の力もそう長く、広範囲にわたって及ぼすことはできない。おれたちは化け物相手の戦いで消耗することはできないんだ。突破できる程度に化け物たちの数が減るまで、ここでまちつづけるんだ」
「でも……!」
それでは、兵士たちがどんどん死んでしまう!
そう悲鳴をあげるロウワンに向かって、今度は行者が言った。
「僕からも言わせてもらうよ。君があせって飛び出して、〝賢者〟たちを倒せなくなったらどうする? 臆病者の〝賢者〟たちだ。大公邸や、自分たちの巣になんの細工もしていないはずがない。化け物相手に消耗した体でその罠をかいくぐり、〝賢者〟たちを殺す。そんなことができるつもりかい?」
「でも……」
「ロウワン。つらいでしょうけど、かの人たちの言う通りよ。〝賢者〟たちから世界を守る。あなたは、この戦いの意義をそう説いた。兵士たちはその言葉に従い、そのために戦っている。あなたには〝賢者〟たちを倒す義務と責任がある。それを果たせなかったら兵士たちは無駄死に。あなたは、自分自身で鼓舞した兵士たちを裏切ることになるのよ」
「………」
「オタオタしてんじゃねえ! 根性、入れろ、オラアッ!」
メリッサにつづき、一時、休憩のために本陣にまでさがってきていたボーラ傭兵団の団長、ボーラが荒々しい声をあげた。
「どう、きれい事を言ってみたって、指揮官の仕事ってえのは兵士たちを殺すことなんだぜ。その覚悟がねえなら指揮官なんぞやめちまいな」
荒々しく、豪快にそう言いきってから、ボーラはニヤリと笑って見せた。
「もし、この場にガレノアがいたらきっと、そう言ってるよ。ここは我慢するんだね、ロウワン。あんたの思いをぶつけるときは必ず来るさ」
ガレノア。
ロウワンに最初の幸運を授け、そして、未来を救うために〝鬼〟に立ち向かい、散っていった女海賊。その屈強な体格と鸚鵡を肩に載せて豪快に酒をかっ食らう姿を思い出し、ロウワンはグッと拳を握りしめた。
さらに、ビーフが言った。
――ロウワン。もう少しの辛抱だ。人間たちはたしかに成果を出している。鳥たちの報告によれば、化け物の数はすでに半分を切っている。バラバラに行動しているせいで、大公邸を囲んでいた壁もすでに緩みはじめている。もう少しだ。もう少し我慢すれば突破できるようになる。
「……ああ」
きょうだい分であるビーブのその言葉に――。
ロウワンは拳を握りしめながらうなずいた。それでも――。
――その『あと少し』の間に、どれだけの人間が死ぬんだ⁉
その怒りにも似た思いが胸の奥からわき起こるのはどうしようもなかった。そして――。
ロウワンの危惧したとおり、ひとつの破滅が訪れた。
それは、本陣へと駆けてきた男装の少女の声によって届けられた。
「兄さま、ルドヴィクス兄さま! アルバート兄さまが……!」
「アルバート?」
いまは男装して『セシル』という男性名を名乗っている妹セシリアの叫びに、ルドヴィクスは眉をひそめた。
衛兵隊の中級指揮官に担がれて運ばれてきたほんの少年、誰が見てももう手遅れだと思うしかない重傷を負った若き騎士の姿を見て、ルドヴィクスは顔色をかえた。
「アルバート⁉ なぜだ、アルバート! なんで、お前がこの場にいる⁉」
その叫びに――。
セシリアが、アルバートを担いできた指揮官が戸惑いの表情を浮かべた。
「……まさか。ご存じなかったのですか、ルドヴィクス兄さま。アルバート兄さまはフィルの町までわたしたちを届けたあと、ローラシアにお戻りになったんです」
「なんだって⁉」
「自分はローラシアの騎士だ。自分もローラシアを守るために戦う。そう仰って……」
「じ、自分は、アルバートからこう言われました。『ルドヴィクス兄さま、いえ、隊長から前線部隊に加わり、戦うように命じられました』と。だから、てっきり、隊長もご存じなのだとばかり……」
「……兄さま」
野戦病院――と言うには、あまりにも簡素な天幕――の寝台に寝かしつけられたアルバートは、息も絶え絶えの姿で尊敬する兄を見た。その姿を見、声を聞いたとき、ルドヴィクスは――。
すさまじい怒りを噴きあげた。
「馬鹿野郎! なぜ、戻ってきた、なぜ、戻ってきた⁉ おれが公私混同と言われるのを承知でお前を伝令役にしたのは、なんとしても死なせたくなかったからなんだぞ!」
ルドヴィクスはそう怒鳴り、アルバートにつかみかかりそうになった。あまりの勢いに、その場にいた人間たちが数人がかりでとめなければならないほどだった。
末妹のセシリアが無事に自由の国にたどり着き、援軍を連れてきてくれた。アルバートとソフィアのふたりも無事に自由の国にたどり着き、安全に過ごしている。そうとばかり思っていたのだ。それなのに、それなのに……。
すべては乱戦のなか、部隊同士の連絡も満足にできない状況のなかで起きたことだった。
「兄さま……」
アルバートは弱々しい声で言った。
「……僕だって、ローラシアの騎士なんです。ローラシアの人々を捨てて、自分だけ逃げることはできなかった」
「……アルバート」
「……褒めてください、兄上。僕は全力で戦いました。ふがいなくもろくな戦果もあげられませんでしたが……それでも、全力で戦ったんです。ローラシアの人々を守るために。僕は騎士として、たしかに使命を果たした。そうですよね?」
「その通りです、ルドヴィクス隊長」
アルバートを担いできた中級指揮官が、胸に手を添えてそう証言した。
「アルバートは、この幼さで誰よりも勇敢に戦いました。正真正銘の見事な騎士でした」
「……そうか」
もはや、言葉もなく、ルドヴィクスはそう言うしかなかった。
そんなルドヴィクスの肩に手をかけたものがいる。自由の国の医師、ドク・フィドロである。ルドヴィクスの肩にかけられていないもう一方の手には、小さな瓶が握られている。安楽死用の毒の小瓶だった。
「……ルドヴィクス君。気の毒だが、弟さんはもう助からん。せめてこれ以上、苦しまないようにしてやろう」
そう言って、アルバートに毒を飲ませようとする。だが――。
ルドヴィクスは首を左右に振った。
「無用です、ドクター。アルバートは自分の弟。それは、自分のやることです」
そう言うと――。
ルドヴィクスは腰の剣を引き抜いた。思いきり振りかぶり、切っ先をアルバートの心臓に突き立てた。
「兄さま!」
セシリアの悲鳴が響き、アルバートは苦しみから解放された。そのあとには――。
人目もはばからずに泣き叫ぶルドヴィクスの声だけが響いた。
「……まっていろ、アルバート。必ず、かならず、このおれが〝賢者〟たちを殺し、お前の仇をとってやる。お前の血を、お前の魂を吸ったこの剣に懸けて」
同じ頃――。
アルバートのように身内に看取られることもなく、誰に褒められることもなく、ただひとりの同僚に看取られて死んでいこうとしている名も無きひとりの兵士の姿があった。傷ついた実を寝台に横たえ、なにかをつかむように空に向かって手を伸ばしている。
「へ、ヘヘ……。見てくれたか、親父、お袋。おれさ。勇者さまと一緒に魔王と戦ったんだぜ。未来のためにさ。立派だろう? 格好いいだろう? 褒めてくれよな」
そう言って――。
誰に知られることもなく、名も無きひとりの兵士は逝った。
無数の死。
無数の破滅。
無数の人生の終焉。それでも――。
それでも、それらの死は決して無駄なものではなかった。『死』と引き替えに兵士たちはたしかに化け物たちを減らし、未来を守るための礎となった。
さらに、数日が過ぎたとき、ビーブがロウワンに伝えた。
――おい、ロウワン! 鳥たちからの報告だ。化け物どもの壁が崩れたぞ!
同時に、野伏もついに言った。
「おれも確認した。いまなら化け物どもを突破して、大公邸に乗り込める。指示を出せ、ロウワン! いまこそ、堪えにこらえてきた思いを爆発させるときだ」
「よし……」
野伏の言葉に――。
ロウワンはうなずいた。
「ビーブ、野伏、行者、メリッサ、ルドヴィクス! 行くぞ!大公邸に乗り込み、〝賢者〟を討つ!」
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