壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第七話一一章 もはや、これまでか

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 「ルドヴィクス隊長、もうだめです!」
 とうに二十歳はたちを超えたその衛兵の叫びはまるで、恐怖に泣き叫ぶ幼い子どものもののように聞こえた。
 実際、その通りなのだろう。そう叫ぶ衛兵の顔は親に捨てられた幼子おさなごのような不安と恐怖にさいなまれており、目には涙が溜まっている。
 その表情はまさに幼児。
 そう呼ぶにふさわしいものだった。
 しょせん、だい公邸こうていを威厳深く飾り立てるためのお飾りの軍隊。実際の戦場に立つことなどそもそも考えられもせず、『女にモテる』ためにスポーツとして軍事訓練を行ってきただけの玩具おもちゃの兵隊たち。
 それでも、とにかく、体を鍛え、武器の扱いを学び、生存訓練を行ってきた。なんの訓練も受けていない素人に比べれば、体も心も力強く、頑健なはずだった。
 そんな軍人である大の男がいま、顔をくしゃくしゃにして恐怖に怯えている。不安と心細さにさいなまれている。完全に心が壊れ、幼児退行を起こしているのだ。自分を守ってくれる『親』を探し求めて必死なのだ。しかし――。
 「なさけない」
 その姿をそうさげすむことのできる人間など、この世にいないだろう。
 それぐらい、いま、かのたちがさらされている状況は過酷なものだった。
 ローラシアだい公国こうこくライン公国。
 六つある公国のうちの五つまでが〝賢者〟たちに降伏し、その支配を受け入れたあと、ただひとつ、ライン公国だけが衛兵隊長ルドヴィクスの指揮のもと、抵抗をつづけてきた。しかし、その抵抗も終わろうとしていた。ルドヴィクスたちにもはや戦う力はなく、敵は容赦なく迫ってくる。
 ルドヴィクス配下の衛兵隊を中心に、貴族たちの私兵や志願兵をかき集めて作られたその最後の軍団は、最大で二万近くになっていた。しかし、その最後の軍団もいまやわずか数百人。ルドヴィクスの周囲に群がるわずかな人員だけ。それぞれの判断で逃げ出した兵士たちも相当数いるはずだから、全員が戦死したわけではないだろう。しかし、そのほとんどが化け物たちの手にかかって殺されたことはまちがいない。
 誇りを懸けた抵抗だった。
 未来を懸けた抵抗だった。
 ――脅されて言うことを聞いていれば一生、脅される。未来を守りたければ『いくら脅しても無駄だ』という気概を見せつけろ!
 かつて聞いたその言葉。その言葉に突き動かされるままに降伏を拒否し、戦ってきたのだ。自分の、自分たちの未来を誰にも支配させないために。しかし――。
 しょせん、化け物たちを殺せる武器をもたないルドヴィクスたちにまともな戦いができるはずもない。それは『戦い』ではなく『抵抗』。市民たちをひとりでも多く逃がすための時間稼ぎ。自分たちが化け物の前に立ちはだかり、殺されることで、市民たちが逃げる時間を稼ぐ。ほんの少しだけ。ただ、それだけの行為。
 目につく建物すべてを破壊して瓦礫がれきの山とかえて壁を作り、掘を掘って道を断ち切り、化け物たちの侵攻をわずかでも遅らせようと必死にあらがった。それでも、化け物たちはやってくる。壁を崩し、掘を踏み越えて。そして、追いつかれてしまえば、もはや勝負にならない。
 大砲の直撃を受けてさえ、一発や二発では死ぬことのない強靱な肉体。兵士たちのもつ小銃で傷つさけられるはずもない。撃ってもうってもとめられない。
 無言のままに迫ってくる。
 近づいてくる。
 響くものは大地を揺らす足音と、必死に抵抗をつづける兵士たちの悲鳴だけ。
 かまとなった両腕が振るわれ、悲鳴をあげる兵士たちを斬り捨てる。その死体を踏みつぶし、新たなる獲物を求めて化け物たちは歩きつづける。
 勝ち目のない戦いに、ルドヴィクスたちは後退にこうたいを重ねてきた。そして、いまやもうこれ以上、さがることのできない場所まで追い詰められていた。
 そこはすでにライン公国の国境。この線を越えて後退するということはつまり、守るべき国を捨てて逃げ出すと言うこと。
 『ライン公国を守る』
 その大義が失われる最後の一線。
 その一線を越えるわけには行かなかった。
 『ライン公国を守る』という大義に殉じ、死んでいった兵士たちの思いに懸けて。しかし――。
 いまや、ルドヴィクスの眼前は化け物たちが埋め尽くしていた。
 全身、筋肉がむき出しになったかのような血管だらけの肉体。
 心臓のように脈打つ頭部。
 かまとなった両腕。
 そんな姿の異形いぎょうの化け物たちが視界を埋め尽くすがごとくに立ち並び、やってくる。足音高く行進してくる。自分たちを殺し尽くすために。
 その数、およそ数万。
 ――なんて数だ。
 ルドヴィクスはそう呻くしかなかった。
 化け物たちに通用する武器がないなかで、ありったけの大砲をかき集めて砲撃を集中し、燃えるものはすべて燃やして炎に巻くことで、それでも、いくらかの化け物を殺すことはできたはずだった。それなのに――。
 ちっとも減らない。
 少なくならない。
 それどころか、増える一方。最初の頃はウサギを追う猟犬程度だった化け物たちがいまや、草原を埋め尽くし、あらゆるものを食い尽くす巨大なイナゴの群れのように見えている。それぐらい、すさまじい数の化け物たちが集まっていた。
 ――当たり前か。
 ルドヴィクスは心に思った。
 もともと、〝賢者〟たちは六つの公国すべてに同時に侵攻した。化け物たちをけしかけた。そのうちの五公国がすでに降伏し、化け物を向かわせておく必要はなくなった。各公国を襲っていた化け物たちがこの一カ所に集中したとなれば、数が増える一方なのも当たり前。そもそも、〝賢者〟たちから見れば気にとめる必要もない微弱な抵抗。人間が巣に近づくのを食い止めようとして、足元に群がる数匹のアリのようなもの。
 その気になれば、いつでも踏みつぶせる。
 皆殺しにできる。
 自分たちが今のいままで全滅せずにすんでいるのは、自分たちが強かったからではない。必死の抵抗が功を奏していたからでもない。ただ単に、〝賢者〟たちが本気になって踏みつぶそうとしていなかっただけ。ちょっと本気になればこうなる。
 その現実をルドヴィクスは思い知らされていた。
 化け物たちは急がない。あわてない。走りもしない。歩くだけ。
 銃火器をもってもいない。唯一の武器はかまとなった両腕だけ。接近さえされなければ危険はない。
 しかし、化け物たちは疲れない。あきらめない。死への恐怖も感じない。
 銃で撃たれようが、大砲の直撃を受けようが、かまうことなく進んでくる。近づいてくる。決して急がず、あわてず、ゆっくりと。一歩いっぽ着実に。そして、目についた生きとし生けるものすべてを、かまとなったその両腕で斬り刻む。
 ゆっくりと、一歩いっぽ近づいてくるからこそ、それはまさに恐怖そのものの光景だった。
 そんな化け物たちがやってくる。
 何万という数をなして。
 どこまでもつづく分厚い生きた壁となって。
 たとえ、最盛期の二万近い兵がいたところで、武器の通用しない相手とまともに戦うことなどできるはずもない。まして、いま、この場にはせいぜい数百人の兵士たちしかいない。しかも、そのほとんどが傷つき、弱っている。まともに武器を使い、戦えるものが何人いることか。
 そして、ルドヴィクスには、かのたちを救うための剣聖の技もなければ、偉大なる魔法使いの力もない。これまで共に戦ってきた仲間たちの最後の生き残り。かのたちが化け物に殺されるのを指をくわえて見ていることしかできない無力な人間に過ぎなかった。
 ――皆殺し、だな。
 ルドヴィクスは、その現実を受け入れるしかなかった。
 自由の国リバタリアの援軍も間に合わなかった。そもそも、本気で援軍が来ると思って弟妹たちに命令したわけではない。半ば以上、公私混同と呼ばれないように弟妹たちを逃がすための口実だったのだ。
 ――おれがまちがっていたのか? おれが抵抗を叫んだばかりに多くの兵が死んだ。他の公国のようにさっさと降伏し、従っていればよかったのか?
 いや、ちがう。そうではない。
 ルドヴィクスは強く頭を振って、わき起こる思いを振り払った。
 ――降伏すれば永遠に脅される。アルバートやソフィア、セシリアたちが恐怖に支配され、言いなりにさせられることになる。そんな未来を認めるわけにはいかない。そのために、おれは抵抗したんだ。勝てないまでも抵抗すれば、いくら脅しても決して屈しないと思い知らせれば、やつらもいくら脅しても無駄だと知る。無駄なことはしなくなる。それだけ、アルバートたちの未来は安全なものとなる。そのために、おれは死ぬんだ。
 「脅されて言うことを聞いていれば一生、脅される。自分の未来を守りたかったら『いくら脅しても無駄だ』という気概を見せつけろ!」
 メルクリウスの乱の折り、ロウワンが叫んだその言葉。この戦いのなかで心の支えとして、幾度となく心のなかに呟いたその言葉をルドヴィクスはいま、声にして呟いた。
 「そうだったな。ロウワンどの。おれはあなたの言葉に殉じる。あとは頼む。アルバート。ソフィア。セシリア。おれは死ぬ。だが、お前たちは生き延びて、なんとしても誰にも支配されない未来をつかめ」
 そう呟くと――。
 ルドヴィクスは最後の時を迎えるべく目を閉じた。しかし、すぐに思い直した。目を開けた。キッ、と、最後の意地に懸けて力強い視線を前に向けた。
 ――おれは兵士たちを死なせてきた。最後の瞬間をこの目で見届ける義務がある。
 ルドヴィクスがそう覚悟を決めたその瞬間。
 轟音が鳴り響いた。
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