壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第七話七章 サラフディンにて

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 港町サラフディン。
 ゴンドワナしょう王国おうこくを代表する港町であり、最大の玄関口。レムリア伯爵領のデーヴァヴァルマン、東方の覇者・盤古ばんこ帝国ていこく嬴政えいせいと並ぶ世界三大港町のひとつ。
 世界中から人・金・物・情報が集まり、栄耀栄華をほしいままにしたこの港町も、パンゲアの操る怪物たちとの戦いにおいて甚大な被害を出した。一時は港町としての機能のほとんどを失い、大型の船をとめることはできず、立ち寄る船も激減していた。しかし、商魂たくましいゴンドワナ人たちはそんなことでめげはしない。
 「港を再建しろ、船を呼べ! そうすりゃ、また稼げるぞ!」
 それを合い言葉に、幼い子どもたちまで団結して港の再建に取り組んだ。
 ゴンドワナという国家にしても、サラフディンが早期に復旧するか否かは国の財政、ひいては、体勢の安定に直結する。商魂たくましい、ときにたくましすぎるゴンドワナ商人たちだ。いつまでも船のよれない港町などにこだわるはずもなく、一刻も早く再建しないことには、商人たちが続々とこの地をはなれて本当に見捨てられた『過去の遺物』になってしまう。そんなことになればゴンドワナの税収は激減。事実上の支配者である評議会は市民からの突きあげを食らい、総入れ替えぐらいは余儀なくされていたところだ。
 評議会は自分たちの立場を守るためにもサラフディンを早急に復興させなければならなかった。評議会のそんな思惑おもわくとサラフディン市民の誇り――あるいは、欲望――とがうまく重なりあい、市民たちの再建への熱意を評議会が全面的に支援する、という理想的な官民一体の協力関係が構築された。
 その結果、膨大な資金と労働力とが投入され、サラフディンは誰も想像しなかったほどの速さで復興を遂げた。もちろん、いまだ『完璧』というわけではなく、いま、このときも港のあちこちで再建のための工事が行われている。
 それでも、すでにかつての八割ほどの状態にまで戻っており、一時は立ち寄れなくなっていた大型の船も普通に行き交うようになっている。それはまさに、サラフディン市民の意思の強さとたくましさとを証明するものだった。
 ロウワンとロウワン率いる自由の国リバタリアの船団はそんな再建途上にあるサラフディンの町へとやってきた。この地において同盟軍と合流し、最後の準備を整える。そして、ロウワン、野伏のぶせ行者ぎょうじゃ、メリッサたちは陸路、ローラシアとの国境に向かい、〝ブレスト〟・ザイナブ、プリンスたちは配下の船団を指揮してサラスヴァティー長海をさかのぼる。上流域の港町に乗り込み、そこから一気にローラシア本国を突く。
 その予定となっていた。
 そのロウワンたちを、サラフディンの警護を担うポーラ傭兵団の団長ボーラと、ゴンドワナ評議会議長ヘイダールの名代みょうだいたる『砂漠の王子さま』ロスタムが出迎えた。
 いまは亡きガレノアの喧嘩友だちであり、ガレノアと共に『女海賊の双璧』と呼ばれたボーラは、いまもそのたくましい肉体にふてぶてしい笑みを浮かべ、いかにも『頼りになる海のおとこ』という印象で、ただそこにいるだけで、その姿を見るものに安心感を与える風格に満ちている。
 ロスタムもまた、世の女性すべてをとりこにするような美しすぎるほど美しいその顔にかすかなうれいを含んだはかなげな表情を浮かべ、『夢の世界の王子さま』という印象。そのはかなげな姿がまた、世の女性たちの心を奪うのである。
 「あんなやつがいるから、おれたちが迷惑する!」
 とは、この世界のもう一方の構成要素である男たちの一致した声であるが。
 ロウワンはこのふたりとはすでに馴染みであり、よく知っていた。だが、いまひとり、今回が初対面の人物がいた。同盟国であるレムリア伯爵領から派遣された軍指揮官のヴァレリである。
 四〇代半ばの人物で、レムリア人らしい、いかにも無邪気で『楽しいことが大好き!』といった笑顔を浮かべている。その笑顔が歳よりも若く――悪く言えば『軽く』――見せている。その笑顔を見ればたいていの人は『きっと、小学校の先生かなにかなのだろう』と思うだろう。ところがこのヴァレリ、レムリア伯爵領の誇る九人の将軍のひとりなのである。
 レムリア伯爵領は――一応――天帰てんききょうを国教とする国であり、その天帰てんききょうにおいて神に仕える九人の天使にちなんだ九天きゅうてん将軍しょうぐんが存在している。ヴァレリはそのうちの力天りきてん将軍しょうぐんであり、おもに国外で活動するための遊撃隊の役割を担っている。それだけに、実戦経験はもっとも豊富。配下の部隊は戦闘能力の高さはもちろん、生存能力に長けた自給自足型の部隊であり、どのような場所に放り出されてもその場その場で必要なものを調達し、生き残り、任務を達成するためのしぶとさをもっている。異国の地において化け物たちを相手にする今回の戦いにおいて、これほどふさわしい部隊はいないだろう。
 そのしぶとさから一名『ゴキブリ部隊』とまで呼ばれる――遊び心あふれるレムリア人にとって、この名称は決して悪名でもなければ、蔑称べっしょうでもない――部隊を指揮するヴァレリは、ロウワンを見るなり大きく両腕を広げ、満面の笑みで近寄ってきたものである。
 「おお! 貴公がロウワンどのですか そのお若さで知恵と見識に満ちた大人物だと聞いております。そのロウワンどのと共に戦えるなど武人として名誉の極み。我らの力が必要なときはなんなりと言ってください。決して、期待は裏切りませんぞ」
 その馴れ馴れしいほど気さくな態度、軍服と言うよりも道化師の衣装と呼びたくなるような派手な色彩の服装、体中に貼り付けた勲章……と、まるで『玩具おもちゃの兵隊さん』と言いたくなるような出で立ちで、まさに、典型的なレムリア人。謹厳きんげん実直じっちょくを絵に描いて、額縁をつけて金庫にしまったようなパンゲア人であれば、その外見だけで『軽薄けいはくそのもので中身のないうつけ者』と決めつけ、見下していただろう。
 ロウワンも正直、その馴れ馴れしいほどの気さくさには辟易へきえきした。しかし、『軽薄けいはくなだけの人物』などとは夢にも思わなかった。そんな人物であれば、レムリアのあるじたる伯爵クナイスルがこの場に派遣するはずがなかった。
 ロウワンはクナイスルとは『ゴーリキの乱』において共に戦った仲であり、見た目とは裏腹なその有能さ、誠実さはよく知っている。そのクナイスルが派遣したからには一角ひとかどの人物であるはずだった。
 「なにしろ、我らは、その名も高き漆黒のゴキブリ部隊。いかなる任務であろうとしぶとく、素早く、人目をかいくぐって達成してご覧に入れます!」
 『ゴキブリ部隊』という、どう考えてもめているとは思えない通り名を、まるで神から与えられた尊称のごとくに胸を張って語るその姿を見ると、その思いも少々、揺らいでしまったが。
 とは言え、ヴァレリはたしかに一角ひとかどの人物だった。その年齢にふさわしく、武芸の腕は円熟の域に達しており、見た目の軽薄けいはくさとは裏腹の勇猛さ、任務に対する忠実さで知られている。兵たちからの人望も厚い。
 ただ、その一方で奇妙な癖も知られている。
 『健康』を意味するその名前のせいなのかなんなのか、とにかく健康志向なのだ。『健康に良い』と聞いたことはなんでもすぐに試すし、実行する。一説では、給料のほとんどを『効能豊か』とされる諸外国の希少な食品を取り寄せるために費やしており、生活費の方は趣味のビリヤードで稼いでいるとかいないとか。
 その態度には、さすがの遊び心あふれるレムリア人でもあきれることが多いのだが、本人はというと、
 「健康はなによりの宝。自分の健康のために投資するのは当たり前だ」
 と、一向に意に介さない。
 その言葉自体は正しいのだがなにぶん、健康志向が極端すぎて『雪深い山間の寺院に伝わる養生食』だの『太古からの秘宝を受け継ぐ一族によって作られた秘薬』だの『妖怪変化が死して千年の時を経て石となった魔石』だの言う怪しげな代物まで取り寄せてはむさぼり食っている。おかげで、レムリアでは『望み通りの健康を得るのが先か、怪しげなものを食いすぎてくたばるのが先か』と噂されている。宮廷においては公然と賭けの対象になっているほどだ。その賭けをはじめたのが他ならぬ伯爵クナイスルであると言うのが……なんとも、レムリアらしいところ。
 これが、真面目すぎるほど真面目で禁欲的な気風のパンゲアであれば『そのような怪しげなものに頼るのではなく、規則正しい節度ある生活を心がけ、神への感謝を捧げて暮らしなさい』と、事あるごとに懇々こんこんと説教されるところだ。まあ、どんなにお説教されたところで自分の道を曲げるようなヴァレリではないが。
 だが、私生活でどのように怪しげな点があろうと、『人生の師』たることを期待しているわけではない。軍人として誠実で有能ならそれで充分だった。
 「クナイスル伯爵のことはよく存じています。とても、誠実で有能な方です。そのクナイスル伯爵が送ってくださった方であれば、なんの心配もありません。頼りにさせていただきます」
 ロウワンに笑顔でそう言われ、ヴァレリは下手くそな素人芝居のような大袈裟な態度で胸を反らし、喜んで見せた。
 ロウワンは同盟国の将軍に対する礼儀を果たしたあと、ボーラとロスタムのふたりに視線を向けた。
 「ボーラ団長。出発の準備は?」
 「ああ。すでに準備万端、整ってるよ。いつでも出発できるさ」
 ボーラはいかにも『頼りになる姉御』といった印象の笑顔を浮かべると、力強く請け負って見せた。
 「ロスタム卿。国境に集結しているというローラシア軍の情報は?」
 「これまでに得られている情報に関しては、こちらにまとめておきました」
 と、ロスタムは分厚い書類の束を差し出した。さすが、やり手のロスタムだけあって、このあたりは抜かりがない。
 「口頭でかいつまんでご説明することもできますが、いかがいたします?」
 「書類は受けとります。ですが、まずは口頭での説明を」
 「かしこまりました」
 ロウワンにそう返答され、ロスタムは軽く会釈えしゃくしてから説明をはじめた。
 「国境に集結しているローラシア兵はおよそ一五万」
 「一五万?」
 ロスタムの言葉にロウワンは眉をひそめた。さすがに、その数は予想を大きく超えるものだった。
 「それほどの数が集結しているのですか?」
 「はい。もともと、ローラシアの軍勢は五〇万ほど。ただ、イスカンダル城塞じょうさいぐんの壊滅と、〝賢者〟を名乗るものたちの引き起こした殺戮さつりくとによって、その数は激減しています。さらに、ライン公国においてはいまなお一定の抵抗が行われており……」
 「ライン公国。ルドヴィクス卿配下の軍勢ですね」
 「その通りです。その抵抗戦にもかなりの数が参加している模様です。また、〝賢者〟たちの引き起こした殺戮さつりくの際にも、かなりの数が国外に脱出しています。それらを考えあわせると、この『一五万』という数は、現在のローラシア軍のほぼ全軍と言っていいでしょう」
 「……ほぼ全軍。それをすべて国境に向けるなんて。それでは、国内はがら空き。〝賢者〟たちは無防備になっているはずだ。それなのに、そんな真似ができるなんて、〝賢者〟たちは、よほど自分たちに自信があるのか」
 ロウワンはそう言ったが、異を唱えたのは数多あまたの戦場を渡り歩いてきた百戦ひゃくせん錬磨れんま剣客けんかく野伏のぶせだった。
 「いや、逆だ。自信がないからこそ、人間の兵士たちをすべて、自分たちから遠ざけたんだ。側に置いておいて、反乱を起こされることを怖れてな」
 「僕もそう思うよ」
 行者ぎょうじゃもそう言った。
 「本当に自信があるならみずから陣頭に出て、指揮を執っているはずさ。ところが、いまだに、自分たちの城に籠もったまま外に出てこようとしない。それは、怯えたアナグマのやることだ。自分に自信のある肉食獣のやることではないよ」
 ふたりから口々にそう言われて、ロウワンはうなずいた。
 「なるほど。そう言うものか。となると、〝賢者〟たちの戦いではその怯えを突くべきだな」
 「その通りだ。どれほど力があろうと、怯えて隠れている相手なら怖れることはない。本当に恐ろしいのは自ら打って出る気概の持ち主だけだ」
 こと戦場経験においては自分を遙かに上回る野伏のぶせにそう言われ、ロウワンは納得してうなずいた。
 「それで、ロスタム卿。国境に集結しているローラシア軍の様子はわかりますか?」
 「それが少々、奇妙なのです」
 「奇妙?」
 「はい。ローラシア軍が国境に集結してから、もうかなりの日数が立っています。装備の面でも問題はない様子。普通であればとっくに国境を越え、我が国に対して侵攻しているはずです。それなのに、いまだに国境に留まったまま。こちらに向かって動こうとはしていません」
 「なぜ? 理由はわかりますか?」
 「さすがに、正確なところはわかりません。ただ、憶測おくそく交じりでよければ『ためらっている』と言うことになるかと思います」
 「ためらっている?」
 「はい。なにしろ、今回の件はローラシア軍にとっては災害以外の何物でもありません。突然、現われた〝賢者〟を名乗る正体不明のものどもに襲われ、支配され、そのあげくに他国への侵攻を命じられているのですから。できることならば避けたいというのが本音でしょう。そのために、あれこれ言い訳を並べて国境にとどまっているのだと思われます」
 「……なるほど」
 「ですが……」
 と、ロスタムは『砂漠の王子さま』なその美貌びぼうに、印象そのままのうれいの表情を浮かべた。
 「いつまでも……というわけにはいかないでしょう。なにしろ、ローラシアの兵たちは家族を人質にとられて侵略を強制されているのです。しびれを切らした〝賢者〟から厳命されれば、進まないわけにはいかないでしょう」
 自分たちの家族のために。
 と、ロスタムはうれいを含んだ表情と、重々しい口調とで付け加えた。
 「たしかに」
 と、ロウワンも静かにうなずいた。
 「ですが、その言葉を聞いて私も覚悟が決まりました。一刻も早く、国境に向けて出発します」
 出発します。
 その言葉に――。
 野伏のぶせ、メリッサ、ボーラ、ヴァレリらがそろって表情を引き締めた。行者ぎょうじゃでさえ、いつも浮かべているあるかなしかのかすかな微笑を忘れ、深刻な面持ちになっているようだ。
 家族を人質にとられ、侵略を強制されている兵たちと戦う。
 それだけでも充分に気が重い。その上、純軍事的にも楽観はできない。
 相手は一五万の大軍。しかも、ただの一五万ではない。家族を人質にとられ、退くことを許されない死兵たちなのだ。どれほど不利になろうと命ある限り、向かってくる。攻め込んでくる。
 その死兵たちに対するこちらの軍は、自由の国リバタリアの軍勢がおよそ五万。ヴァレリ率いるレムリア軍が二万。ゴンドワナの軍事力は傭兵団頼みであり、国中の傭兵団をまとめれば二〇万は超える。とは言え、そのすべてを投入できるはずもなく、今回の戦いで動かせるのは一〇分の一程度。すべてを集めても一〇万に満たない。
 一〇万に満たない兵で、すべて死兵と化した一五万と戦う……。
 それが、どれほど苦しい戦いになることか。
 百戦ひゃくせん錬磨れんま野伏のぶせやボーラ、ヴァレリたちにとっては言われるまでもなく、はっきりとわかることだった。
 しかし――。
 ロウワンはすでに決意を固めており、その表情が揺らぐことはない。ならば――。
 自分たちもその決意のままに戦う。
 その場にいる誰もがそう覚悟していた。
 誰もが地獄のような戦いを予想していたのだ。このときは。
 「ロウワンさま」
 ロスタムが、ロウワンに向かって言った。
 「実は、出発前に会っていただきたい人物がいるのです」
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