壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第七話五章 戦いの理由

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 太陽はとうに海の向こうに姿を隠し、中天の空には星々を従えた月が、闇の世界の女王のごとく、輝いている。
 その月明かりに照らされ、波の音が響く医療都市イムホテピア。そこにある自由の国リバタリアの会議場。
 そこに、ロウワンとトウナがふたりきりでいた。
 人目を忍んで男女の営みにふけっている……わけでは、もちろんない。
 このふたりでは、どこかの誰かがふたりをさらい、一室に監禁して一週間たったところで、そんなことにはなりはしない。脱出のための方法について真剣に議論し、行動するばかりだ。
 このときもまた同様に、ふたりの間の空気はいたって真面目で真剣なものだった。ピリピリとした緊張感が張り詰め、緊迫している。色恋沙汰などが入り込む余地は一寸たりともなかった。
 ロウワンとトウナが真剣きわまる態度でいま、行っていること。
 それは、出撃のための最も重要な要素を決めるためだった。すなわち――。
 自由の国リバタリアはなぜ、戦うのか。
 その点である。
 死者の出ない戦争などあり得ない。ひとたび、戦端が開かれれば――たとえ、それがどんなに規模の小さいものであっても――血が流れ、死者が出る。まして、今回は国と国の大規模な戦い。それも、相手は千年前の秘術によって作られた人外の化け物たち。大砲の弾ですら一発や二発では死ぬことのない化け物兵。メリッサたち『もうひとつの輝き』の手によっていくつもの新兵器が開発されているとは言え、その化け物相手の戦いではどれほどの死者が出ることか。そして――。
 その兵士たちを死なせるのはロウワンなのだ。
 ロウワンが『戦う』と決めたから、自由の国リバタリアの兵士たちはローラシアに乗り込み、人知を越えた化け物と戦うことになった。そして、その戦いのなかで死ぬことになったのだ。それならば――。
 ――死んでいく人たちが納得のいく理由を示さなくちゃならない。
 ロウワンはそう思う。
 それが、他人に対して『戦って死ね』と命じる立場の人間としての最低限の礼儀だと。
 「どんな理由をつけたところで、戦争で死ぬのに納得いく理由になんてならないのかも知れないけど」
 そうも思う。
 まったく、いかなる理由があれ、戦争を起こすなど罪でしかない。
 無数の人間の生命、無数の人間の未来、無数の人間の可能性。それを失うことになるのだから。そして、それは、この世界そのものにとっての損失に他ならない。
 そんな損失をもたらすとはなんと罪深いことか。いったい、どれほどに手を汚すことになるのだろうか。しかし、だからこそ――。
 ――だからこそ、おれがやる。他人の手を汚させはしない。
 ロウワンはそう決意している。
 自分の手を汚したくないばかりに他人に汚れ役を引き受けさせるなんて。そんなことは卑怯者のやることだ。おれはそんな卑怯者にはならない。
 若者らしい一途な正義感をもって、ロウワンはそう決意している。まして――。
 ロウワンは自分の目の前にいる若い女性――もはや、実年齢から言っても、見た目から言っても、その立場から言っても『少女』とは言えない――トウナを見つめた。
 まして、トウナに責任を押しつけ、手を汚させるわけにはいかない。トウナには汚れのない手のまま『戦いのあとの世界』を築いてもらわなければならないのだから。
 ――そうとも。罪はすべておれが背負う。他人には背負わせない。
 気負いすぎるぐらいそう気負ってしまうのが『若さ』というものだったろうか。ロウワンはまだ一〇代半ば。『おとなのズルさ』を身につけ、要領よく人生を渡っていくにはまだ若すぎた。
 「戦争を正当化する理由はない。でも、だからこそ、死んでいく人々が『自分の死はなんのためなのか』と言うことを、納得できる形で示すことが必要だと思う。たとえ、それが幻想に過ぎないものだとしても」
 「そうね」
 と、トウナもうなずいた。
 「誰だって、自分の一生が無駄なものだったなんて思いたくはないものね。人はいつか死ぬ。だからこそ、自分の死には、自分の生にはたしかに意味があったんだって、納得したいわよね」
 「ああ」
 そしていま、ロウワンは、自分のめいで死んでいく人間たちがその死に意味を見いだせる理由を探している。トウナは、ロウワンの語るその理由を文書にまとめ、各地で経営しているコーヒーハウスを通じて伝えることで、世間を納得させるためにここにいる。
 「……自由の国リバタリアが戦う理由」
 「千年前の亡霊からこの世界を守る。そのためでしょう?」
 トウナはそう言った。尋ねた、というより、確認したと言うべきだろう。トウナにとっては、最初からそのつもりだったのだから。
 しかし、ロウワンはうなずかなかった。しばらくの間、じっと目を閉ざして黙っていた。その閉ざした瞳の奥でどれほどの思いが、どれほどの言葉が渦巻いているのか、余人にはわかるはずもない。
 トウナもあえてかそうとはせず、ロウワンが口を開くのをまった。
 ロウワンが目を開けた。そして、言った。
 「……いや。それはちがう」
 「ちがう?」
 トウナは眉をひそめた。
 ロウワンはうなずいた。
 「そうだ。千年前の亡霊から世界を守る。それは、たしかに必要なことだ。でも、それは目的じゃない。手段に過ぎない。おれの目的は人と人の争いを終わらせること。その一点だ。覚えているだろう、トウナ? おれがこの島ではじめて人を殺したあと、『人を助けるために人を殺さなくちゃいけない世界なんて、人殺しが英雄ともてはやされる世界なんてかえてやる』って、そう誓ったのを」
 「……ええ」
 トウナは哀しみを込めた顔でうなずいた。
 忘れるはずがない。どうして、忘れることができるだろう。
 タラの島を襲撃した海賊ブージの一党。その襲撃からタラの島を守るため、ロウワンは生まれてはじめて人を殺した。自分の手で直接、人を殺したのだ。
 島の人々がロウワンを英雄としてもてはやすなか、ロウワンは自分のことを『人殺し』とののしっていた。自分を責めていた。そして、
 「くそ、くそ、くそ! かえてやる、絶対にかえてやる! 人を助けるために人を殺さなきゃいけない世界なんて、人殺しが英雄ともてはやされる世界なんて。このおれが絶対にかえてやる!」
 そう叫びながら一晩中、泣きじゃくっていたのだ。
 トウナはそんなロウワンを一晩中、抱きしめていた。
 その夜のことを忘れられるはずがなかった。
 ロウワンは再びうなずいた。その瞳は前を向いていても、そこを見ているわけではない。すでに通りすぎたあの日のことを見ているのは明らかだった。
 「そうだ。おれの目的はあくまでもそれなんだ。ローラシアの〝賢者〟たちとの戦いはもちろん、亡道もうどうつかさとの戦いだってそのための手段に過ぎない。人殺しが英雄とされる世の中を終わらせる。そのために、人と人が争うことのない世界を、それを可能にする新しい文明を築く。
 それが、おれの目的なんだ。だけど、その目的を叶えるためには時間がかかる。一〇世代、二〇世代、あるいはもっと多くの世代が必要かも知れない。その時間を作らなくちゃならない。そして、ローラシアの〝賢者〟たちにしろ、亡道もうどうつかさにしろ、その時間を奪おうとしている。
 ローラシアの〝賢者〟たちは、自分たちが永遠に支配者でいられるよう世界の歴史をとめようとしている。永遠に千年前の世界に閉じ込めようとしている。亡道もうどうつかさに敗れれば、この世界そのものが滅びる。どちらにしても、戦って倒さなければ、おれたちは自分の望む世界を作りあげるための時間を失うことになる。
 だから、戦う。それが、自由の国リバタリアの戦う理由だ」
 「わかったわ」
 トウナはうなずいた。唇をまっすぐに引きしめたその表情は、ロウワンに劣らず厳しく、そして、悲しみを湛えたものだった。
 「コーヒーハウスで販売している新聞にあなたの言葉を載せて、世間に広める。そして、その思いに共感し、同じ未来を求める人たちを集めるわ」
 「頼む」
 ロウワンは短く言った。
 「戦いは目的を達成するための手段に過ぎない。君がその目的を達成するために行動してくれる。だから、おれはあとの心配なしに戦える。この世界を……頼む」
 「ええ」
 ロウワンの言葉に――。
 トウナは決意を込めてうなずいた。
 世界の多くの人間にとっては余計なお世話だったかも知れない。お笑いぐさでさえあったかも知れない。一〇代半ばの若造ふたりが――それも、誰からの了承も得ないで勝手に――世界を背負おうとしているのだから。
 しかし、このふたりにとってそれは、決して裏切ることの許されない誓約だった。
 生きる目的、自分自身の存在意義そのものだった。
 それから、ふたりしてロウワンの思いを言葉にし、文章にまとめた。何度もなんども推敲すいこうを繰り返し、言葉一つひとつの使い方にまでこだわり、宣言文として完成させた。あとはこの文章を印刷し、新聞に載せ、コーヒーハウスで配ることだ。
 世間の人々に自由の国リバタリアの戦う理由を知らせ、支持を取りつけ、ひとりでも多くの協力者、同じ未来を望み、そのために行動しようとする人間を得るために。
 「あとは、あたしがやっておくわ」
 トウナがそう言った。
 「ロウワンはもう休んで。あなたはこれから当分の間、休みなんてとれないんだから」
 せめて、この島にいる間ぐらいは。
 そんなトウナの気遣いだった。
 「ああ、ありがとう」
 トウナの気遣いに感謝を示しつつ、ロウワンは答えた。
 「それじゃ、あとは任せる。よろしく頼む」
 「ええ」
 トウナはうなずいた。それから、少しためらったあと、ロウワンに改めて声をかけた。
 「ねえ……」
 「なんだ?」
 「ローラシアの兵士たちと戦うの?」
 その言葉に――。
 ロウワンは『ドキリ』とした表情を浮かべた。
 ロウワンにしてもその点はふれられたくないことだった。天命てんめいことわりによって生みだされた化け物たち。そいつらと戦い、殺すのはいい。ふたりの正義感から言っても、人倫から言っても、後ろめたく思う理由はひとつもない。しかし、人間の兵士たち相手となるとちがう。
 自分なりの理由をもって立ち向かってくる兵士たちなら、ことは対等の勝負。お互いの正義を実現させるための戦い。そう思い、納得することもできる。しかし、今回はちがう。今回、戦い、殺すべき相手となるローラシア兵たちは、あくまでも〝賢者〟たちに支配され、脅されて、戦いに出向いてきている。
 被害者たちなのだ。
 その被害者たちを殺すなんて……。
 ――ロウワンにそんなことはさせたくない。
 トウナはそう思う。だからと言って、どうすればいいのだろう?
 ローラシア兵だって戦わなければ自分や、自分の家族の命がなくなるのだ。たとえ、こちらに戦う気がなくても、向こうは死に物狂いで襲ってくる。それなのに『殺さないように……』などと気遣っていては、勝てる戦いも勝てなくなる。ロウワンたち自由の国リバタリアの軍勢は皆殺しにされ、世界は未来に向かう時間を失うことになる。
 それを防ぎ、未来を得るためには向かってくるローラシア兵たちを殺さなくてはならないのだ。それを、殺さずにすませるなんて……。
 奇跡でも起きない限り、不可能なこと。
 「……うん」
 と、ロウワンはうなずいた。その表情は、これから罪を犯そうとする人間のそれのように見えた。
 「考えていることはある」
 「考えていること?」
 「でも、うまくいくかどうかわからない。そもそも、そんなことをしていいのかもわからない。もし、失敗したら……」
 それきり、ロウワンはなにも言わなかった。
 言えなかったのだ。
 それだけ、内心で迷いがある。
 結局、ロウワンはトウナに対して、はっきり答えることなく会議場を出て行った。あとには、編集作業をつづけるトウナだけが残された。
 会議場から少しはなれると、自分に入れ替わるようにして会議場に入っていく黒い人影が見えた。文字通りの黒い人影で、その肌は夜の闇に溶け込むように黒い。
 ロウワンはその人物の名を呟いた。
 「プリンス?」
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