壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第六話二三章 ……やっと、出会えた

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 すべての船乗りたちにとってありがたいことに、海ではなぎの日がつづいていた。
 空を見上げれば、昼は太陽、夜には月と星が輝き、ときに雲が表われることはあっても雨になる気配はまったくない。潮風は心地よく、決して強くはないが船を動かすのには充分な勢いで吹きつづけている。波も穏やかで船を大きく揺らすことはない。
 ときおり、波の切れ目からトビウオの群れが水面を跳ねていくのが見える。その魚たちを追ってか、空を見上げれば水鳥の群れ。何羽もの水鳥たちが陣形を組み、青い空を飛んでいる。
 まさに、船乗りたちにとって絶好の日和。漁師たちは喜び勇んで漁のために船を出し、交易船はこの機にできるだけ距離を稼いでおこうと張り切ってを操作する。そして、普段は根城に潜んでいる海賊たちも、お宝を積み込みすぎて沈没の危機にある船を救ってやる機会を得るべく近隣の海に出かけていく。
 すべての船乗りが『ずっと、こんな陽気ならいいのに……』と思わずにいられない、そんな心地よい日々。そのなかを波を蹴って進む一隻の大型帆船はんせん。海賊たることを示すドクロの旗と、自由の国リバタリアの船であることを示す旗。ふたつの旗を掲げている。
 『砂漠の踊り子』号。
 自由の国リバタリア第二代提督〝ブレスト〟・ザイナブの指揮するこの船もまた、まわりの穏やかさに影響されたかのように一時の嵐を通り抜け、穏やかな日々を過ごしていた。
 あの日以来、〝ブレスト〟のセシリアに対する扱いは明らかにかわった。相変わらず、船のなかでの仕事はある。〝ブレスト〟との立ち合いも毎日、行っている。それでも、仕事の量はひとりの船員として当たり前程度に減ったし、〝ブレスト〟相手の立ち合いも、厳しくはあるが『イジメ』から『稽古けいこ』と呼べる程度のものになっていた。
 そして、セシリア。貴族の箱入り娘であったかのはいま、嵐のあとの晴れ間のように、蛹から抜け出した蝶のように、その姿をかえていた。
 セシリアが『砂漠の踊り子』号に乗っていたのはほんのわずかな日数のことだったが、一二歳という成長期の体はやはり、順応が早い。〝ブレスト〟によって体中につけられた無数の傷とあざ。それらが成長著しい若い肉体の治癒ちゆりょくによってやされ、影も形もなくなった頃、セシリアの姿はまったくの別人となっていた。
 乱暴に、短く刈りあげられていただけの髪はいまでは短いなりにきちんと整えられている。南の海の日差しと潮風に鍛えられた肌はグッとたくましさを増し、華奢きゃしゃであったその身も幅と厚みを増したよう。
 そして、その風貌ふうぼう。貴族らしい愛らしさに包まれていたその顔は、いまでは引き締まった凛々りりしさが加わり、まさに『少年』を思わせるものになっていた。貴族として育った品格と立ち居振る舞いも合わさって、まるで神話のなかの少年神のように見える。腰にいたカトラスも、以前であれば子どもがいきがって玩具おもちゃを身につけているようにしか見えなかったのに、いまでは若き騎士を思わせる姿となっている。
 そのセシリアはいま、日差しと潮風にさらされながら『砂漠の踊り子』号の舳先へさきに立ち、海の向こうに見える小さな島を一心に見つめている。若々しいほおが紅潮し、興奮と緊張を示している。
 「あれが……」
 セシリアは呟いた。すぐそばにいる〝ブレスト〟に向かって尋ねた。
 「あれが、タラの島……。自由の国リバタリアの本拠地なのですね?」
 「ええ」
 と、〝ブレスト〟は短く答えた。その肩の上にはいつものように鸚鵡おうむが乗っている。
 「あくまでも『仮の』だけど。とにかく、あの島に自由の国リバタリアの会議場があるわ」
 「あそこに行けば……あそこに行けば、ロウワンさまにお会いできるんですね?」
 もう一時いっときだってまてない。
 早く会いたい。
 そんな、ほとんど恋い焦がれる相手に対するような思いのこもった言葉だった。
 セシリアは胸元をつかんだ手に力を込めた。ギュッと握りしめた。その手のなかには肌身離さず大切にもっている長兄ルドヴィクスからの手紙が握られている。
 〝ブレスト〟はセシリアに答えた。
 「帰っていればね」
 「帰っていれば?」
 「ロウワンは各国との交渉のために、あちこちを飛びまわっている。一応の予定は聞いているけど、予定通りに進む船旅なんてあるはずもなし。いま現在、タラの島にいるとは断言できない」
 「そう……ですか」
 セシリアは残念そうに呟いた。それでも、うつむいたりはしない。国を出て以来の苦難を乗り越え、たくましいうみおとこへと生まれ変わったセシリアである。うつむき、うなだれるような弱さとはもう無縁だった。
 「会えないなら、会える場所まで行くだけです」
 きっぱりと――。
 そう言いきった。
 〝ブレスト〟は、そう言い切るセシリアをチラリと見た。顔中を覆う布からのぞく切れ長の瞳。その瞳にどんな思いが込められているかは誰にもわからなかっただろう。
 「……あそこでまっていれば、いずれ会える。お前が探しに行くよりその方が早い」
 そう言って――。
 〝ブレスト〟は、その場をはなれた。

 『砂漠の踊り子』号はタラの島に入港した。
 かつてはパンゲアの、忘れられたも同然の居留きょりゅうのひとつとして、小さくて貧しい漁村ぎょそんに過ぎなかったタラの島。そのタラの島はいま、大きく姿をかえつつあった。
 自由の国リバタリアの仮の本拠地として、大型帆船はんせんも港に入れるよう大規模な改修が行われ、大きな桟橋さんばしが延びている。島の端では遠くはなれた島と島とを安全に結びつけるための海上鉄道の工事がすでにはじまっている。
 作業員たちのなかに混じって、蒸気機関で動く大きな作業機械が動いている。大きな音を立て、濛々もうもうたる煙を噴きだしながら。その音と煙とはまさに、地底深く潜むドラゴンが地上に表われたかのよう。人間の何倍もの力を発揮する頼もしい姿だった。
 港を望む浜辺の近くには医師の養成所が建てられ、その前にはグラウンドが整備されている。そのグラウンドでは、まだ幼い黒人の女の子たちが集まり、ボールを追いかけ、走りまわっている。
 小さな島であることはかわらない。それでも、いまのタラの島は、より良い未来を生みだそうとしている、混沌こんとんのごとき活力の渦巻くひとつの卵だった。
 島長しまおさを務めるトウナが〝ブレスト〟を出迎えた。
 「お帰りなさい、〝ブレスト〟」
 「ええ」
 と、〝ブレスト〟は短く答えた。
 男に対しては冷淡を極め、残酷ですらある〝ブレスト〟だが、女性相手だからと言って愛想が良くなるわけでもない。トウナもすでに〝ブレスト〟のそんな性格は知っているので、なにも言わない。苦笑気味に微笑ほほえんだだけだった。
 「それで? 様子はどう?」
 「ローラシアの混乱は予想以上だった。何万という人間が逃れようと各地の港に殺到している。その数は増える一方」
 「でしょうね。こちらに流れてくる避難民もどんどん増えているもの」
 トウナはそう言ってから言葉を切った。〝ブレスト〟の隣に並ぶ小柄な人物を見つめた。
 「それで、〝ブレスト〟。こちらの人は?」
 「ローラシアからの避難民のひとり。ロウワンに用があると」
 「ロウワンに?」
 「はい」
 と、セシリアは背筋をまっすぐに伸ばした。トウナの顔をまっすぐに見つめながら答えた。
 「僕はローラシア伯爵家の息子、セシル。兄ルドヴィクスのめいでロウワンさまにお会いするべく、まかり越しました」
 信用を得ようと思ったのだろう。そう言ってから、付け加えた。
 「兄ルドヴィクスは、メルクリウスの乱においてロウワンさまと共に戦った仲なのです」
 「メルクリウスの乱?」
 トウナが眉をひそめた。
 「それじゃ、もしかして、あのときの衛兵隊長?」
 「兄をご存じなのですか⁉」
 「メルクリウスの乱のときは、あたしもその場にいたから」
 話が途切れたのを見計らって、〝ブレスト〟が肝心なことを尋ねた。
 「トウナ。ロウワンは帰ってきている?」
 「ええ」
 と、トウナはうなずいた。
 パアッとセシリアの顔が黄金色に輝いた。
 「ロウワンさまがおられる……お会いできるのですか⁉」
 「ええ。案内するわ。ついてきて」
 「はい!」
 セシリアは、トウナと〝ブレスト〟に連れられて自由の国リバタリアの会議場に向かった。
 ――ようやく、会える。兄から与えられた使命を果たすことができる。
 その緊張に体が突っ張り、手足をまっすぐ伸ばした妙な歩き方になっている。
 〝ブレスト〟は、グラウンドで走りまわっている黒人の女の子たちをチラリと見た。トウナに向かって、言った。
 「黒人の女の子たちのための医師の養成所を建てる。本当だったのね」
 「もちろん」
 と、トウナはうなずいた。
 「このタラの島が発展し、繁栄できるように。そして、奴隷の子として産まれた女の子たちが豊かな人生を送れるようにするために。このタラの島を医療の島として成長させる。黒人の女の子たちを医師として育てあげ、各地に派遣する。それが、あたしの島長しまおさとしての最初の事業」
 キッパリと――。
 トウナはそう言いきった。
 その言葉に戸惑い、不思議なものを語るように口にしたのはセシリアである。
 「黒人の女の子たちを医師に? 黒人がお医者さまになることなんてできるのですか?」
 セシリアがそう尋ねたことを責めるわけにはいかないだろう。
 黒人は生まれつき知能が低く、奴隷として人に使われることこそが幸せなのだ。
 それが、ローラシア貴族社会の『常識』というものなのだから。
 トウナと〝ブレスト〟は、そんなセシリアをまじまじと見た。セシリアはなんで自分がそんな視線で見られるのかわからず、居心地悪そうに身じろぎした。
 トウナは溜め息をついた。
 「とりあえず、プリンスには会わせない方がよさそうね」
 「たしかに。セシルの教育は、わたしがやっておく」
 「ええ。お願い」
 ふたりの会話の意味がわからないまま、セシリアはふたりについていった。
 やがて、自由の国リバタリアの会議場が見えてきた。その目的のために使われている古い掘っ立て小屋が。
 セシリアは『信じられない』といった様子で目をしぱたたかせた。
 「あ、あれが、自由の国リバタリアの会議場なのですか?」
 ローラシア貴族として『会議場』と言えば石造りの立派な建物だとしか想像できないセシリアである。目の前のみすぼらしい小屋が会議場だと言われても納得できるわけがない。
 「あくまで仮の、よ」
 と、トウナが答えた。
 「一応、立て直す案も出たんだけど。どうせ、ここは一時凌ぎの場所。いずれはもっと大きな島に本拠地を移して、そこに必要な施設を建てる予定だから、わざわざ直す必要もない、と言うことでそのままになっているわ」
 トウナはそう言って、ほとんど『立てかけているだけ』と言ってもいいような扉を開け、なかに入った。土がむき出しになったそこには、妙齢みょうれいの美しい女性とはかま姿すがた太刀たちいた剣客けんかく、それに、尻尾にカトラスを握って得意気に振りまわしているサルという面々と共に、凜々りりしい若者がいた。船長服を着込み、左右の腰にカトラスを差し、背中には巨大な大刀たいとうを背負っている。
 「ロウワン」
 と、トウナは船長服姿の若者に呼びかけた。
 「あなたに、お客さまよ」
 「お客さま?」
 ロウワンは眉をひそめた。セシリアを見た。セシリアはゴクリ、と、唾を飲み込んだ。
 「あ、あなたが、ロウワンさま……ですか?」
 「そうだ。おれがロウワン。『さま』はいらないけどね」
 その答えに――。
 セシリアのなかで緊張の糸が一気に弾けた。
 ――やっと……やっと、会えた……!
 その思いに――。
 セシリアはその場で泣きくずれていた。
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