壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第六話一六章 グリムの素顔

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 セシリアにとっては、拷問にも等しい船旅が何日かつづいた。
 舟は上流から中流域を抜け、下流に至りつつあった。長海ちょうかいの幅はますます広くなり、潮の流れも感じるようになっていた。そこで、グリムが口を開いた。
 「さて、ここらでいいだろう」
 「おう」
 と、ポールがニヤリと笑いながらかいぐ手をとめた。それはいままでのような、茶目っ気のある陽気な笑みではなかった。いやしい品性を隠そうともしない野卑やひな笑みだった。
 「ど、どうしたのですか?」
 いままで聞いたことのないグリムの口調と、ポールの野卑やひな笑み。それらに不吉なものを感じながらセシリアは尋ねた。
 「どうして、舟をとめるのです? わたしは自由の国リバタリアに……」
 「目的地にはもう着いたんだよ、お嬢ちゃん」
 「着いた? でも、自由の国リバタリアは南の海にあると……。ここはまだ、サラスヴァティー長海ちょうかいのはず……」
 そういぶかしむセシリアに向かって――。
 ポールがおけに汲んだ水をぶちまけた。
 「キャアッ!」
 思いがけない扱いに、セシリアは悲鳴をあげた。ポールがそんなセシリアを押さえつけた。グリムががさがさのポロ布を手にセシリアの髪と顔をゴシゴシ拭いた。セシリアがどんなにいやがり、悲鳴をあげようともおかまいなし。やがて、吹き終えたグリムは満足そうにニヤリと笑って見せた。
 「なるほど。こいつは上玉だぜ」
 そこにいたのは、泥と垢にまみれたくすんだ色合いの子どもなどではなかった。髪こそ乱暴に短く切られているものの、鮮やかな金髪と白磁はくじの肌をもつ貴族の令嬢だった。
 「マギー。おめえの言ったとおりだったな。こいつは、めったに見られねえ上玉だぜ」
 「だろう、親父? おれの目に狂いはないって。こいつは高く売れるよ」
 そう言うマギーの顔にはポールと同じ、品性のいやしさを丸出しにしたいやらしい笑みが浮いていた。いや、それよりなによりその声は……。
 「あ、あなた。女性じゃ……ない?」
 マギーの声を聞いたセシリアはうろたえたように言った。
 ニヤリ、と、マギーは笑った。自分の髪に手をかけると、むしりとった。それは地毛ではなく、長いカツラだった。カツラをとり、ぼろ布で顔をこすって化粧を落とすと、そこにはなかなかに整った顔立ちだが、品性のいやしさは隠しようもないゲスな優男やさおとこの顔があった。
 「はっはっ! まんまとだまされたな、お嬢ちゃん。こいつは昔からのおれの部下で、女装の名人なのさ。女がひとりいるだけで、安心して引っかかるやつがわんさと増えるんでな」
 「あんたも顔を汚して男の振りをしているつもりだったようだけどね。甘いよ。男の格好はしていても立ち居振る舞いは女そのもの。それも、いいところのお嬢さんだってのが一目でわかる。変装するならおれみたいに、細かい立ち居振る舞いまでしっかり身につけないとね」
 と、わざとらしく片目などをつぶって見せる。
 「まあ、いいじゃねえか。おかげで、久しぶりの大金にありつけるんだからよ」
 ポールが笑った。その声は大きかったが、例えば、あのガレノアのような堂々とした豪快な笑いではない。いやしさと卑劣さを感じさせる薄笑いに過ぎなかった。
 ポールの言葉を受けて、グリムも笑った。
 「ああ、その通りだ。こいつを売り飛ばせば良い金になる。やっと、運が戻ってきたってもんだぜ」
 「う、売る……?」
 貴族の令嬢、それも、一二歳の少女に過ぎないセシリアに『売り飛ばす』という言葉の本当の意味がわかるはずもない。しかし、その言葉に含まれる不吉さは感じとることができた。
 「あ、あなたたち……あなたたちはいったい、何者なのです⁉」
 この状況でそう詰問してのけたのは、それこそ『貴族の矜持きょうじ』というものだった。
 ――わたしは貴族の娘! 貴族の娘として、常に堂々と振る舞わなくてはならない。
 その一心で、必死に自分をふるい立たせる。
 そんなセシリアの健気けなげさに対し、グリムは粗野そやな薄笑いで応じた。
 「おれはカタールってえ、海賊さ。グリムってのは、お前みたいな世間知らずを捕まえるための仮の名前さ。知ってるか? 『グリム』って名前には『仮面、残酷、野蛮』ってえ意味があるんだぜ?」
 「か、海賊……?」
 「そうとも。サラスヴァティー長海ちょうかい根城ねじろにする海賊、カタール一家っていやあ、このあたりじゃ、ちったあ名の知れた存在だったんだ。それが、自由の国リバタリアのやつらがよけいな真似をしやがって」
 グリム、いや、海賊カタールは忌々いまいましそうに舌打ちした。
 「なにが秩序だ、なにが安全だ! そんなもんを笑い飛ばす自由と無法が海の世界ってもんだろうがよ。それなのに、人を追いまわしやがって。おかげで、部下たちも捕まるか、られるか、投降するか……結局、残ったのはこのふたりだけさ。おかげでかつてはあちこちの町やら船やらを襲った海賊カタールさまも、ガキをさらっては売り飛ばしてチマチマ稼ぐ小悪党さ。けど、今回はようやく運がまわってきたぜ。てめえを売り飛ばせば、たんまり儲かる。久しぶりに酒をたらふく飲めるってもんだ」
 「お、お金なら差しあげます! ですから、わたしを自由の国リバタリアまで送ってください!」
 セシリアは必死に叫んだ。有り金すべて、小さな手のひらに載せて差し出した。ニヤリ、と、カタールは相手をさげすむ笑みを浮かべた。
 カタールの腕が動き、セシリアの手のひらの金をすべて奪い取った。
 「もちろん、この金はいただくさ。その上で、お前を売り飛ばす。その方がずっと良い金になるからな」
 「そ、そんな……」
 カタールは舌なめずりした。グリムを名乗っていた頃の柔和にゅうわさはすでに消え、残酷さといやしさだけがその顔に張りついていた。
 「いや、まてよ。その前に楽しませてもらうってのもありだな。まだ、ちいっとばかし若すぎるが、これだけの上玉なら……」
 そのいやしい笑みを向けられて――。
 セシリアは生まれてはじめて『女として』の恐怖を感じた。
 貴族の箱入り娘として蝶よ、花よと育てられた一二歳の少女である。実際になにをされるのかなど想像することもできはしない。それでも、女としての本能で自分の身に迫る危険は感じとっていた。
 ――これが……これが。ソフィア姉さまの言っていた『女の危険』ということ? ソフィア姉さまはこんなことにならないように、わたしに男になるように言った。それなのに、わたしは……。
 賢いソフィアはいつだって正しかった。そう。いつだって正しいことを言っていた。そして、今回も。
 あの乱暴もすべては幼い妹を思ってのこと。それなのに、自分はその思いを汲み取ることができず、男になろうとしなかった。そのために迎えたいまの事態。セシリアは自分の愚かさに絶望するしかなかった。
 ズイッ、と、カタールがセシリアに近づいた。
 セシリアは顔を真っ白にして声にならない悲鳴をあげた。
 そのとき――。
 「親父!」
 マギーの叫びが響いた。悲鳴だった。
 「まずいぜ、デカい帆船はんせんがやってきやがる! 自由の国リバタリアの旗をかかげてる!」
 「なんだと⁉」
 カタールはマギーの指さす方を見た。そこにはたしかに自由の国リバタリアの旗をかかげた一隻の大型帆船はんせん。高々とかかげて、こちらにグングン迫ってくる。その姿に――。
 今度は、カタールが顔面蒼白になった。
 「……やべえ。最悪だ。ありゃあ『砂漠の踊り子』号。『男殺し』の〝ブレスト〟・ザイナブの船じゃねえか!」
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