壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第六話一〇章 貴族から兵士へ

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 アルバート、ソフィア、セシリアの三人は、街道をはなれた野原のなかをウマに乗って駆けていた。
 衛兵であるアルバートはもちろん、ソフィアとセシリアもなかなかに活発なたちだったので、貴族令嬢としてはめずらしく乗馬の経験がある。『騎兵のように疾駆しっくする』というわけにはさすがに行かないが、素直でおとなしい性格のウマならば問題なく乗りこなすことができる。そして、かのたちの家には馴染みのあるウマが何頭もいた。おかげで、まだ一二歳のセシリアも苦労することなくウマを走らせることができた。
 「このまま、最短距離を通ってフィルの町に向かう!」
 妹たちを常に視界のなかに収めていられるよう、あえて最後尾を走っているアルバートが声をあげた。
 「フィルの町はここから一番、近い港町で、そこから船に乗れば自由の国リバタリアまで直行できるからだ」
 アルバートはフィルの町に行くための街道を通らず、あえて野山のなかを駆けることを選んだ。理由は三つ。
 ひとつは、妹たちに語ったように最短距離で向かうため。
 ひとつは、避難民でごった返す街道を通ることで、はぐれる危険をさけるため。
 そして、もうひとつは――。
 妹たちに生き残るすべを叩き込むためだった。
 アルバートはウマを走らせながら野山の一角、前方に広がるこんもりとした木立を指さした。
 「もう夕方だ。今日はあの木立で夜を明かす」
 そう言って今度は先頭に立ってウマを木立に向けて走らせた。
 三人は木立のなかに入って、ウマをおりた。さっそく、セシリアが唇をとがらせた不満顔で文句を言った。
 「アルバート兄さま。どうして、こんなところで夜明かしするんです? ちゃんと町に行って、宿屋に泊まればいいではありませんか」
 「セシリア。僕たちは呑気な旅行客じゃない。町によったり、宿屋に泊まったり、そんなことをしている余裕はないんだ」
 アルバートは妹の不満を一言で切り捨てた。セシリアはますます頬をふくらませたが、アルバートにしても、ソフィアにしても、そんなことにいちいちかまっている余裕はない。
 アルバートたちも一日中、ウマを走らせていてお腹はペコペコだったが、まずはウマの世話である。ウマがへばってしまえば、フィルの町まで行く道程が大幅に遅れてしまう。
 木立のなかの小さな池でウマたちに水を飲ませ、あたりの草を食べさせる。満足したところでウマたちを木につないだ。それからようやく、『お荷物』である人間たちの食事である。
 アルバートはふたりの妹に言って、あたりの枯れ葉や枯れ草を集めさせた。ソフィアは不平ひとつ言わずに黙って枯れ葉を集めたが、セシリアの方は文句たらたらだった。貴族の箱入り娘として、銀の食器と高価な刺繍ししゅう道具以外なにももったことがない、という暮らしをしてきたセシリアである。枯れ葉や枯れ草を手にもって集めるなんて『気持ち悪い』の一言でしかない。指が土で汚れるし、そして、なにより――。
 「きゃあああっ!」
 セシリアが絹を裂くような叫びをあげた。手にした枯れ葉を放り出し、泣き叫んだ。
 「どうした⁉」
 さすがに、アルバートとソフィアも手にした枯れ葉を放り出して妹のところに駆けつけた。セシリアは放り出した枯れ葉を指さして叫んだ。 
 「虫、虫が……!」
 「虫?」
 アルバートは呆気あっけにとられて枯れ葉を見た。その上には枯れ葉を食べるダンゴムシがモゾモゾと動いていた。
 「枯れ葉に虫がついているのは当たり前だ。ちゃんと、運べ」
 「いやです! 虫のついた葉っぱなんて、さわりたくありません!」
 「運ぶんだ、セシリア! でないと、火をおこせない。食事もできないぞ」
 兄にそう一喝いっかつされて――。
 セシリアはメソメソと泣きながら枯れ葉を運んだ。
 アルバートはそれぞれの運んだ枯れ葉や枯れ草を集めて、三つの山を作った。火打ち石と火口ほくちを取り出した。枯れ葉の上に火口ほくちをおき、両手に火打ち石をもつ。
 「よく見ていろよ。火はこうやっておこすんだ」
 言いながら火打ち石を打ちつける。飛び散った火花が火口ほくちに移って、かすかな火が生まれた。
 アルバートはその火に息を吹きかけて空気を送り込み、徐々に大きくしていく。やがて、大きくなった火は枯れ葉に燃え移り、盛んに燃えるようになった。
 「こうやって火を大きくして、それから枝をくべて本格的な焚き火にするんだ。いきなり、枝を入れると火が消えてしまうからな。ふたりもやってみろ」
 そう言いながら、ふたりの妹に火打ち石を手渡す。
 ソフィアの方は学問好きなだけあって、火のおこし方も書物で読んだことがあるし、さとたちなのですぐにコツをつかんだ。二、三度、試しただけですぐに火をおこすことができた。
 苦戦したのはセシリアである。何度やってもうまく行かない。火打ち石を打ちあわせても火花が散らなかったり、火花が散っても火口ほくちに燃え移らなかったり、燃え移っても今度は、息の吹き方が弱すぎたり、強すぎたりして消してしまう……。
 何度やってもうまく行かないので、セシリアは涙ぐんだ。訴えかける視線で兄を見た。
 「……だめです、アルバート兄さま。できません」
 ルドヴィクスも、アルバートも、こうして泣きつけば、いつだって助けてくれた。かわりにやってくれた。しかし、それはもう通用しない過去の話だった。
 甘えてくる妹をアルバートは強い視線で睨みつけた。その表情はセシリアがいままでに見たことのないほど怖いものだった。その表情にセシリアは怯えた表情を浮かべた。
 「自分でやるんだ、セシリア」
 「で、でも……」
 「やるんだ! いいか、セシリア。僕たちはもう貴族の坊ちゃん、嬢ちゃんではいられないんだ。ローラシアは滅んだ。〝賢者〟を名乗る、わけのわからない連中と、そいつらの操る化け物たちによって滅ぼされたんだ。そのままでいいのか? もとの暮らしを取り戻したくはないのか?」
 「いやです! わたしは自分の家で、お父さまやお母さま、兄さまたちや姉さまと一緒に暮らしたいです!」
 「だったら、やるんだ! もとの暮らしを取り戻すためには戦わなくちゃならない。戦って、取り戻さなくちゃならないんだ。僕たちは兵士にならなくちゃならない。まずは、生きるすべを身につけるんだ」
 アルバートは言いながら胸が切り裂かれる思いだった。まだ一二歳のかわいい妹にこんなことを言わなくてはならない。残酷な現実を突きつけなくてはならない。
 そのことに心が痛む。できることならこんな現実からは守ってやりたい。いままで通り、温室のなかで暮らさせてやりたい。苦労は全部、自分がかわりに引き受けてやりたい。でも――。
 それが決してできないことを、アルバートは知っていた。
 ――ごめん、セシリア。でも、できるようにならなくちゃいけないんだ。僕がお前の側にいてやれるのは、もうあと少しのことなんだから……。
 アルバートはともすれば差し出してしまいそうになる両腕を組み、妹を睨みつけた。ソフィアもまた、決して手を貸そうとはしなかった。聡明そうめいなソフィアには、兄のアルバートがどうして、セシリアにこんなことをさせているのかよくわかっていた。
 兄も、姉も、助けてはくれない。セシリアはその現実を思い知った。何度、試してもうまく行かないことにメソメソと泣きくずれながら、必死に火打ち石を打ちつづける。何十回目だろう。ようやく、火をおこすことに成功した。
 セシリアはホッとした。これでもう大丈夫。そう思った。ところが――。
 「さあ。これを木の枝に刺して、火にかざして焼くんだ」
 そう言ってアルバートが差し出したもの。それは――。
 木の幹をけずって掘り出した、丸々と太ったイモムシだった。
 「きゃああああっ!」
 セシリアは悲鳴をあげた。絶叫だった。座ったまま後ろに這いずって逃げ出した。
 「い、いやです! そんなもの、食べられません!」
 「食べるんだ! でないと、生き残れないぞ」
 アルバートはそう言って自分の分のイモムシを枝に突き刺し、火にかざした。ソフィアも黙々と同じことをした。そして、ふたりは火で焼いたイモムシを食べはじめた。
 セシリアはそんなふたりの前でメソメソと泣きくずれていた。それでも、アルバートも、ソフィアも助けてはくれない。どこからか上等なパンと肉のディナーを出してくれる……などということはない。
 その現実を思い知らされ、セシリアは泣きながら自分の分のイモムシを枝に突き刺し、火にくべた。焼けたイモムシをおぞましさをこらえながら食べた。
 悲しかった。
 みじめだった。
 貴族の令嬢である自分がこんな、奴隷でさえ食べないようなものを食べている。自分がなにか、いやしいケダモノになってしまった気がした。
 実のところ、イモムシは見た目さえ別にすれば、きわめて優れた食糧である。栄誉は豊富だし、ナッツに似た香ばしい味わいとチーズのようにトロッとした食感がある。だが、もちろん、いまのセシリアには、そんなものを感じている余裕はない。ただ、ただ、悲しさとみじめさとを感じながら、泣きながら食べるばかり。
 それでも、なんとか、ようやく、食べ終え、空っぽだった胃を慰めた。そうすると今度は、別の欲求が出てくる。
 さすがに、こんなことは兄とは言え、男性には言えない。セシリアは顔を耳まで赤くしながら、姉のソフィアに耳打ちした。
 ソフィアは軽くうなずくと、セシリアを連れて木立の奥に入っていった。アルバートも事情を察して黙って見送った。
 ソフィアは手頃な場所に行くと、セシリアに地面に穴を掘らせた。そして、言った。
 「その穴に用を足しなさい。すんだら、その上に土をかけるのよ」
 「な、なんで、そんな……!」
 「ここには、宿屋はもちろん、トイレだってないの。用を足すにはこれしかないのよ」
 「で、でも……」
 「アルバート兄さまがおっしゃっていたでしょう。わたしたちはもう、貴族の箱入り娘ではいられないの。わたしたちの国を、わたしたちの暮らしを取り戻すためには、どんな場所でも生きていける兵士にならなくてはならないのよ」
 ソフィアは妹にそう言うと、手本を見せるように自分でも穴を掘ってその場で用を足した。それを見たセシリアは、泣くなくその場にしゃがみ込んで用を足した。どのみち、腹はもうパンパンでこれ以上、我慢しようにもできなかったのだ。
 用を足したあと、セシリアはソフィアに手を引かれてアルバートのもとへと戻ってきた。これまで想像すらしたことのない経験に、ほとんど虚脱状態になっており、ひとりではまともに歩けなかったからだ。
 気持ちが悪い。
 全身が汚れてしまった気がする。
 せめて、風呂に入り、全身を洗い清めたい。セシリアはボソリと兄と姉に向かって言った。
 「お風呂……入りたいです」
 「そんなものはない。すぐに寝るんだ。明日は日の出と共に起きて、フィルの町に向かう」
 アルバートはそう言って、セシリアに毛布を放り投げた。
 三人は焚き火を囲んで毛布にくるまり、横になった。パチパチという火のはぜる音に混じって、セシリアのすすり泣く声が聞こえる。
 これまで、貴族の令嬢としてふかふかで清潔な天蓋つきのベッドでしか眠ったことのないセシリアだ。毛布一枚にくるまって地べたの上で寝るなど、耐えられるはずもない。眠ることもできずにメソメソと泣くばかり。
 その声にアルバートも、ソフィアも苛立ちが募っていく。
 ふたりだってまだ一五、六の子どもなのだ。耐えがたい思いをしているのは、かのたちも同じ。それなのに、ひとりだけメソメソと泣かれるのはしゃくにさわる。腹が立つ。
 セシリアはまだ一二歳なんだから、と、必死に自分に言い聞かせ、腹立ちを押さえる。無理やりに寝ようとする。相手がかわいい妹でなければ容赦なく怒鳴りつけていたにちがいない。
 セシリアのすすり泣く声が響くなか――
 夜は徐々に更けていった。
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