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第二部 絆ぐ伝説
第六話三章 ルキフェル失脚
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「なりません、筆頭将軍! いかにあなたでも事前のお約束もなしに教皇猊下にお会いするなど……」
大聖堂ヴァルハラ。
始祖国家パンゲアの中枢たるその荘厳な神の依代のなかに、衛兵たちの必死な叫びが響いている。その叫びに包まれながら、筆頭将軍ルキフェルは足音高く床を鳴らしながら教皇アルヴィルダのもとへ向かっていた。
その表情は唇を真一文字に結んだ確固たる決意を示すもので、なにを言っても無駄そのもの。衛兵たちもそれと察して力ずくで押しとどめようとした。だが――。
「退け!」
ルキフェルはまとわりつく衛兵たちを腕の一振りで払いながら叫んだ。
その叫びに、と言うより、ルキフェルの全身から噴きあがる覚悟に気圧されて、衛兵たちは道を空けた。ルキフェル自身はもちろん知る術もないことだが、大聖堂のなかを突き進むルキフェルのその姿は千年前、天命の巫女ただひとりの騎士として、天命の巫女を連れて国を出ようとしたときの騎士マークスに酷似していた。
「私は教皇アルヴィルダ猊下に直訴しなければならんのだ! 邪魔立てするなら誰であれ斬り捨てる!」
その叫びと共にルキフェルは『天上との架け橋』と呼ばれる長い廊下を足音高く進んでいく。
その声。
その表情。
全身から噴きあがるその覚悟。
そのすべてに圧倒され、衛兵たちはもはやルキフェルをとめる気力をなくしていた。
もとより、筆頭将軍と言えばすべての軍事部門を統括する身であり、衛兵たちにとっては雲の上の存在。最高司令官とも言うべき人物。それだけでも力ずくで遮るなどできるものではない。
まして、ルキフェルと言えば、パンゲア内に隠れもない最強の騎士。そのルキフェルが揺らぐことのない覚悟をもって進んでいるのだ。いかに、信仰に篤く、使命に忠実な衛兵たちであっても手出しできるものではない。その姿に息を呑み、不吉な予感に青ざめながら後ろ姿を見送るしかなかった。
ルキフェルはただひとり、天上への架け橋を歩いていく。
祭室を目指して。
燃える瞳に限りない義憤を、真一文字に結んだ唇に使命感を、そして、脈打つ心臓にはパンゲア騎士たる誇りを込めて。
祭室の目前へとやってきた。目の前には、かつて神に捕らわれた悪魔が神への奉仕として作らされたと言われる扉がそびえている。たしかに、人の手で作れるとは思えない、荘厳という言葉ですら到底たりないその扉にルキフェルは両手をかけた。全体重をかけて押し開いた。無数の色彩が目を貫き、絢爛たる光が祭室からあふれ出る。
神の栄光を描いた絢爛と言うにはあまりにも美麗なステンドグラス。そのステンドグラスに埋め尽くされ、無数の色彩の光が反射し、飛び交うその祭室に、教皇アルヴィルダは立っていた。忠実なる親衛隊が左右に立ち並び、通路を作っているその奥に。
アルヴィルダの脇にはアルヴィルダとルキフェル、そして、いまひとり、アルヴィルダの双子の妹アルテミシアにとっても『師父』とも呼べる人物、総将ソロモン。
「教皇猊下!」
ルキフェルは叫んだ。
確固たる決意にその表情を固めたまま、氾濫する光のなかをアルヴィルダのもとに歩みよる。左右に忠実なる親衛隊が並ぶ絨毯の上を通って。
「どうしたのです、ルキフェル。雷霆の長城において、前線の指揮を執っているはずのあなたがここにいるなどとは」
「雷霆の長城はローラシア軍に攻められていると聞いている。まさか、筆頭将軍ともあろうものが敵前逃亡でもあるまいに」
アルヴィルダが、ソロモンが、それぞれに口にする。
そう声をかけるふたりは気がついただろうか。ルキフェルの胸。誇らしく掲げられていた筆頭将軍たることを示す階級章がいまはないことに。
ルキフェルは、アルヴィルダの前に進み出ると片膝をついた。その瞳にかわることのない決意を込め、教皇を見上げた。幼馴染みでもあり、いまや全人類を統べる身を自認するうら若き女性を。
「教皇猊下。このルキフェル、一命を賭して提言いたします!」
「一命を賭す、とは穏やかではありませんね」
アルヴィルダはそう前置きしてからつづけた。
「パンゲアの誇る筆頭将軍にして最強の騎士。そのルキフェルともあろうものが命を賭しての提言とあらば、非礼を咎めている場合ではありませんね。なんなりと聞きましょう」
「教皇猊下。どうか、〝神兵〟を、あの人ならざる怪物どもを、いますぐ廃棄してください!」
「なにを言い出すかと思えば」
アルヴィルダはルキフェルの訴えをせせら笑った。あまりにも冷淡なその態度。あまりにも冷ややかなその口調。とてもではないが大切な幼馴染みであり、股肱の臣に対するものとは思えなかった。もし――。
もし、いまこの場に、ロウワンがいてアルヴィルダの態度を見ていたなら激しい違和感を覚えずにはいられなかっただろう。それぐらい、いつものアルヴィルダとはちがう印象だった。
「〝神兵〟は我がパンゲアが手にした力。大陸統一という我らが悲願を達成するための切り札。その〝神兵〟を廃棄しろなどと、ルキフェル。あなたは我がパンゲアが神より与えられし使命を忘れたのですか?」
「忘れてはおりません。大陸統一は我が悲願でもあります。だからこそ言うのです。あのような怪物どもを用いていては行き着く先は大陸統一ではなく、滅亡です。いますぐ廃棄し、そのような未来を防がねばなりません」
「なにを言うのです、ルキフェル。〝神兵〟があればこそ、我らは大切な兵士を死なせることなく、大陸統一のための戦いを進めることができるのではありませんか」
アルヴィルダが言うと、ソロモンもつづけた。
「ルキフェルよ。雷霆の長城での戦いについてはすでに報告を受けておる。長城はローラシアの化け物どもに襲われたそうではないか。おぬしもその化け物相手には為す術なく、パイモンが〝神兵〟を使うことでようやく押しとどめたと聞いている。そうではないのか?」
「そのとおりです、ソロモン総将。たしかに、私はローラシアの化け物どもの前に敗北しました」
「ならば、ルキフェルよ。〝神兵〟を廃棄するなど考えることもできまい。おぬしでさえ敗北したほどの相手。到底、人の手には負えまい。そのような化け物どもが敵にいるいま、〝神兵〟を廃棄すれば、我が国民はローラシアに蹂躙されることになるぞ」
「だからこそ! だからこそ、言うのです。パンゲアが〝神兵〟を量産すればするほど、ローラシアもあの化け物どもを作り出す。人の手には負えない妖物どもが世界にあふれることになるのです! そのような未来が正しいものであるはずがありません。いますぐ、〝神兵〟を捨て去り、また、ローラシアにもあの化け物どもを廃棄するよう呼びかけ……」
「ローラシアに呼びかけるだと?」
ソロモンもまた、ルキフェルの訴えをせせら笑った。それはやはり、息子とも思う腹心の部下に対するものとは思えない冷淡な態度だった。
「ローラシアがそのような呼びかけに応じるとでも思うのか? 我らが〝神兵〟を廃棄したとなればローラシアの不信心どものこと。喜び勇んで化け物どもを引き連れ、我らが国民を襲いに来るわ」
「そうだとしても」
師父とも言うべきソロモンのあまりにも冷淡な態度を前にしても、ルキフェルは揺らぐことはなかった。断固たる決意を込めて訴えつづけた。
「そうだとしても、まずこちらから行動を起こさないことにはなにもかわりません。先に〝神兵〟という怪物を使ったのは我々なのです。ならば、我々の側がまず怪物の廃棄を実行して見せなければなりません。あのような妖物どもが世にあふれかえる。そのようなおぞましい未来だけは避けなくてはならないのです!」
「〝神兵〟の廃棄を認めることはできません」
「教皇猊下!」
「世界と人類をひとつに。それは、我がパンゲアの悲願。その悲願を叶えるための力を手に入れたというのに、手放すことなどどうしてできましょう」
「制御できぬ力など危険なだけ! 武力は国の大事なれば常に人の手で、人の意思で制御され、制限されて用いられなければなりません。たとえ、敵相手であろうと無制限な武力の使用などあってはなりません。そのためには、あのような人を超えた兵器などあってはならないのです」
「ルキフェルよ」
師父たるソロモンが若い息子を諭すように言った。
「お前はまだ若い。理想を現実に優先している。戦争とは、現実とは、お前が思っているほど甘くもなければ、美しくもない」
「ソロモン総将。たしかに、私はあなたに比べればまだまだひよっ子。私の思いは青臭い理想に過ぎないのかも知れません。ですが、理想がなければ人をなにを目指して歩めばいいのですか?」
ルキフェルはそう言ってから、さらに訴えかけた。
「ソロモン総将。あなたは幼い頃の私たちにこう教えてくださった。
『理想とは砂漠の星のようなもの。いくら星を目指したところで星そのものにたどり着くことは決してできない。しかし、星を目指すことで、目的地まで迷うことなく歩いていける』と。
私はその教えを受けて以来、常にその言葉を胸に刻んできました。目指すべき理想を決して忘れまい、理想を忘れて迷うようなことはするまい、と。そのあなたがいま、理想を否定されるのですか?」
「ルキフェル」
アルヴィルダが静かに言った。
「私たちには揺らぐことのない理想があるではありませんか。世界を、人々をひとつにし、人と人の争いのない世界を築くという理想が。その理想を目指して邁進しているというのに、それに反対しているのはあなたなのですよ?」
「そのためなら、世界を滅ぼしてもいいと言うのか⁉」
ルキフェルは叫んだ。
それは、教皇に対する叫びではなかった。大切な幼馴染みの心に向けた叫びだった。
「思い出せ、アルヴィルダ! おれとお前、それに、アルテミシアの三人でいつも話しあったじゃないか。世界と人類をひとつにしよう、人と人が争うことのない世界を作ろうと。その目的は、誰もが戦乱に怯えることなく平穏に、幸福に暮らしていける世界を作ることにあったはず。あのような怪物どもに頼っていて、そんな世界が作れるはずがない!
想像してみろ! あの怪物どもが我らの制御をはなれて暴走したときのことを。
誰がとめられる?
誰が倒すことができる?
誰の手にも負えはしない! 万が一にもやつらが暴走すれば、そのあとに来るものは世界の破滅、終わることのない殺戮の日々だ! 誰も戦乱に怯えることのない世界どころか、すべての人間が怪物に襲われ、殺されることに怯え、逃げ惑わなくてはならない世界になってしまうんだぞ! そんな未来を招きたいというのか⁉」
「いいではありませんか」
「なっ……⁉」
あまりにも意外な言葉にルキフェルは絶句した。アルヴィルダはかの人らしくもない冷淡な薄笑いさえ浮かべながらつづけた。
「死ぬことのなにがいけないのです? 世界がひとつになれば生も死もない。すべては同じこと。すべての人間が死んでひとつになれると言うのならそれこそ、我がパンゲアの悲願、神より与えられし使命の達成ではありませんか。それを喜ばずにどうするのです?」
「お前……」
ルキフェルは限界まで目を見開いてアルヴィルダを見た。いや、アルヴィルダの姿をして『なにか』を。
「お前は……誰だ? アルヴィルダがそんなことを言うはずがない! お前はいったい、誰なんだ⁉」
「全人類を統べる存在たる教皇。その教皇を『お前』呼ばわりですか。なんたる不敬。ソロモン。いかに、筆頭将軍とはいえ、かかる非礼を許してはおけません」
「御意」
ソロモンは重々しくうなずいた。自らの直属たる親衛隊に命令を下した。
「親衛隊! 反逆者ルキフェルを捕えよ!」
その命のままに――。
列をなし、通路を作っていた親衛隊が動き出した。ルキフェルに近づき、両腕を捕えた。
「放せッ!」
そう叫ぼうとしたルキフェルの声が途中でとまった。それを見たからだ。いかなる意思も、感情も、かけらほども感じさせることのない親衛隊たちの表情。
「お前たち……」
ルキフェルは一瞬で悟った。それは、いかなる意味でも『人間が』浮かべることのできる表情ではなかった。
「お前たち……お前たち、いったい、誰なんだあっ!」
その叫びを残し――。
ルキフェルは連れて行かれる。そして――。
――はははは。
――はははははは。
アルヴィルダのものでもない、ソロモンのものでもない、誰のものとも知れない高らかな笑い声が、渓谷に吹く風のように大聖堂のなかに響き渡っていた。
大聖堂ヴァルハラ。
始祖国家パンゲアの中枢たるその荘厳な神の依代のなかに、衛兵たちの必死な叫びが響いている。その叫びに包まれながら、筆頭将軍ルキフェルは足音高く床を鳴らしながら教皇アルヴィルダのもとへ向かっていた。
その表情は唇を真一文字に結んだ確固たる決意を示すもので、なにを言っても無駄そのもの。衛兵たちもそれと察して力ずくで押しとどめようとした。だが――。
「退け!」
ルキフェルはまとわりつく衛兵たちを腕の一振りで払いながら叫んだ。
その叫びに、と言うより、ルキフェルの全身から噴きあがる覚悟に気圧されて、衛兵たちは道を空けた。ルキフェル自身はもちろん知る術もないことだが、大聖堂のなかを突き進むルキフェルのその姿は千年前、天命の巫女ただひとりの騎士として、天命の巫女を連れて国を出ようとしたときの騎士マークスに酷似していた。
「私は教皇アルヴィルダ猊下に直訴しなければならんのだ! 邪魔立てするなら誰であれ斬り捨てる!」
その叫びと共にルキフェルは『天上との架け橋』と呼ばれる長い廊下を足音高く進んでいく。
その声。
その表情。
全身から噴きあがるその覚悟。
そのすべてに圧倒され、衛兵たちはもはやルキフェルをとめる気力をなくしていた。
もとより、筆頭将軍と言えばすべての軍事部門を統括する身であり、衛兵たちにとっては雲の上の存在。最高司令官とも言うべき人物。それだけでも力ずくで遮るなどできるものではない。
まして、ルキフェルと言えば、パンゲア内に隠れもない最強の騎士。そのルキフェルが揺らぐことのない覚悟をもって進んでいるのだ。いかに、信仰に篤く、使命に忠実な衛兵たちであっても手出しできるものではない。その姿に息を呑み、不吉な予感に青ざめながら後ろ姿を見送るしかなかった。
ルキフェルはただひとり、天上への架け橋を歩いていく。
祭室を目指して。
燃える瞳に限りない義憤を、真一文字に結んだ唇に使命感を、そして、脈打つ心臓にはパンゲア騎士たる誇りを込めて。
祭室の目前へとやってきた。目の前には、かつて神に捕らわれた悪魔が神への奉仕として作らされたと言われる扉がそびえている。たしかに、人の手で作れるとは思えない、荘厳という言葉ですら到底たりないその扉にルキフェルは両手をかけた。全体重をかけて押し開いた。無数の色彩が目を貫き、絢爛たる光が祭室からあふれ出る。
神の栄光を描いた絢爛と言うにはあまりにも美麗なステンドグラス。そのステンドグラスに埋め尽くされ、無数の色彩の光が反射し、飛び交うその祭室に、教皇アルヴィルダは立っていた。忠実なる親衛隊が左右に立ち並び、通路を作っているその奥に。
アルヴィルダの脇にはアルヴィルダとルキフェル、そして、いまひとり、アルヴィルダの双子の妹アルテミシアにとっても『師父』とも呼べる人物、総将ソロモン。
「教皇猊下!」
ルキフェルは叫んだ。
確固たる決意にその表情を固めたまま、氾濫する光のなかをアルヴィルダのもとに歩みよる。左右に忠実なる親衛隊が並ぶ絨毯の上を通って。
「どうしたのです、ルキフェル。雷霆の長城において、前線の指揮を執っているはずのあなたがここにいるなどとは」
「雷霆の長城はローラシア軍に攻められていると聞いている。まさか、筆頭将軍ともあろうものが敵前逃亡でもあるまいに」
アルヴィルダが、ソロモンが、それぞれに口にする。
そう声をかけるふたりは気がついただろうか。ルキフェルの胸。誇らしく掲げられていた筆頭将軍たることを示す階級章がいまはないことに。
ルキフェルは、アルヴィルダの前に進み出ると片膝をついた。その瞳にかわることのない決意を込め、教皇を見上げた。幼馴染みでもあり、いまや全人類を統べる身を自認するうら若き女性を。
「教皇猊下。このルキフェル、一命を賭して提言いたします!」
「一命を賭す、とは穏やかではありませんね」
アルヴィルダはそう前置きしてからつづけた。
「パンゲアの誇る筆頭将軍にして最強の騎士。そのルキフェルともあろうものが命を賭しての提言とあらば、非礼を咎めている場合ではありませんね。なんなりと聞きましょう」
「教皇猊下。どうか、〝神兵〟を、あの人ならざる怪物どもを、いますぐ廃棄してください!」
「なにを言い出すかと思えば」
アルヴィルダはルキフェルの訴えをせせら笑った。あまりにも冷淡なその態度。あまりにも冷ややかなその口調。とてもではないが大切な幼馴染みであり、股肱の臣に対するものとは思えなかった。もし――。
もし、いまこの場に、ロウワンがいてアルヴィルダの態度を見ていたなら激しい違和感を覚えずにはいられなかっただろう。それぐらい、いつものアルヴィルダとはちがう印象だった。
「〝神兵〟は我がパンゲアが手にした力。大陸統一という我らが悲願を達成するための切り札。その〝神兵〟を廃棄しろなどと、ルキフェル。あなたは我がパンゲアが神より与えられし使命を忘れたのですか?」
「忘れてはおりません。大陸統一は我が悲願でもあります。だからこそ言うのです。あのような怪物どもを用いていては行き着く先は大陸統一ではなく、滅亡です。いますぐ廃棄し、そのような未来を防がねばなりません」
「なにを言うのです、ルキフェル。〝神兵〟があればこそ、我らは大切な兵士を死なせることなく、大陸統一のための戦いを進めることができるのではありませんか」
アルヴィルダが言うと、ソロモンもつづけた。
「ルキフェルよ。雷霆の長城での戦いについてはすでに報告を受けておる。長城はローラシアの化け物どもに襲われたそうではないか。おぬしもその化け物相手には為す術なく、パイモンが〝神兵〟を使うことでようやく押しとどめたと聞いている。そうではないのか?」
「そのとおりです、ソロモン総将。たしかに、私はローラシアの化け物どもの前に敗北しました」
「ならば、ルキフェルよ。〝神兵〟を廃棄するなど考えることもできまい。おぬしでさえ敗北したほどの相手。到底、人の手には負えまい。そのような化け物どもが敵にいるいま、〝神兵〟を廃棄すれば、我が国民はローラシアに蹂躙されることになるぞ」
「だからこそ! だからこそ、言うのです。パンゲアが〝神兵〟を量産すればするほど、ローラシアもあの化け物どもを作り出す。人の手には負えない妖物どもが世界にあふれることになるのです! そのような未来が正しいものであるはずがありません。いますぐ、〝神兵〟を捨て去り、また、ローラシアにもあの化け物どもを廃棄するよう呼びかけ……」
「ローラシアに呼びかけるだと?」
ソロモンもまた、ルキフェルの訴えをせせら笑った。それはやはり、息子とも思う腹心の部下に対するものとは思えない冷淡な態度だった。
「ローラシアがそのような呼びかけに応じるとでも思うのか? 我らが〝神兵〟を廃棄したとなればローラシアの不信心どものこと。喜び勇んで化け物どもを引き連れ、我らが国民を襲いに来るわ」
「そうだとしても」
師父とも言うべきソロモンのあまりにも冷淡な態度を前にしても、ルキフェルは揺らぐことはなかった。断固たる決意を込めて訴えつづけた。
「そうだとしても、まずこちらから行動を起こさないことにはなにもかわりません。先に〝神兵〟という怪物を使ったのは我々なのです。ならば、我々の側がまず怪物の廃棄を実行して見せなければなりません。あのような妖物どもが世にあふれかえる。そのようなおぞましい未来だけは避けなくてはならないのです!」
「〝神兵〟の廃棄を認めることはできません」
「教皇猊下!」
「世界と人類をひとつに。それは、我がパンゲアの悲願。その悲願を叶えるための力を手に入れたというのに、手放すことなどどうしてできましょう」
「制御できぬ力など危険なだけ! 武力は国の大事なれば常に人の手で、人の意思で制御され、制限されて用いられなければなりません。たとえ、敵相手であろうと無制限な武力の使用などあってはなりません。そのためには、あのような人を超えた兵器などあってはならないのです」
「ルキフェルよ」
師父たるソロモンが若い息子を諭すように言った。
「お前はまだ若い。理想を現実に優先している。戦争とは、現実とは、お前が思っているほど甘くもなければ、美しくもない」
「ソロモン総将。たしかに、私はあなたに比べればまだまだひよっ子。私の思いは青臭い理想に過ぎないのかも知れません。ですが、理想がなければ人をなにを目指して歩めばいいのですか?」
ルキフェルはそう言ってから、さらに訴えかけた。
「ソロモン総将。あなたは幼い頃の私たちにこう教えてくださった。
『理想とは砂漠の星のようなもの。いくら星を目指したところで星そのものにたどり着くことは決してできない。しかし、星を目指すことで、目的地まで迷うことなく歩いていける』と。
私はその教えを受けて以来、常にその言葉を胸に刻んできました。目指すべき理想を決して忘れまい、理想を忘れて迷うようなことはするまい、と。そのあなたがいま、理想を否定されるのですか?」
「ルキフェル」
アルヴィルダが静かに言った。
「私たちには揺らぐことのない理想があるではありませんか。世界を、人々をひとつにし、人と人の争いのない世界を築くという理想が。その理想を目指して邁進しているというのに、それに反対しているのはあなたなのですよ?」
「そのためなら、世界を滅ぼしてもいいと言うのか⁉」
ルキフェルは叫んだ。
それは、教皇に対する叫びではなかった。大切な幼馴染みの心に向けた叫びだった。
「思い出せ、アルヴィルダ! おれとお前、それに、アルテミシアの三人でいつも話しあったじゃないか。世界と人類をひとつにしよう、人と人が争うことのない世界を作ろうと。その目的は、誰もが戦乱に怯えることなく平穏に、幸福に暮らしていける世界を作ることにあったはず。あのような怪物どもに頼っていて、そんな世界が作れるはずがない!
想像してみろ! あの怪物どもが我らの制御をはなれて暴走したときのことを。
誰がとめられる?
誰が倒すことができる?
誰の手にも負えはしない! 万が一にもやつらが暴走すれば、そのあとに来るものは世界の破滅、終わることのない殺戮の日々だ! 誰も戦乱に怯えることのない世界どころか、すべての人間が怪物に襲われ、殺されることに怯え、逃げ惑わなくてはならない世界になってしまうんだぞ! そんな未来を招きたいというのか⁉」
「いいではありませんか」
「なっ……⁉」
あまりにも意外な言葉にルキフェルは絶句した。アルヴィルダはかの人らしくもない冷淡な薄笑いさえ浮かべながらつづけた。
「死ぬことのなにがいけないのです? 世界がひとつになれば生も死もない。すべては同じこと。すべての人間が死んでひとつになれると言うのならそれこそ、我がパンゲアの悲願、神より与えられし使命の達成ではありませんか。それを喜ばずにどうするのです?」
「お前……」
ルキフェルは限界まで目を見開いてアルヴィルダを見た。いや、アルヴィルダの姿をして『なにか』を。
「お前は……誰だ? アルヴィルダがそんなことを言うはずがない! お前はいったい、誰なんだ⁉」
「全人類を統べる存在たる教皇。その教皇を『お前』呼ばわりですか。なんたる不敬。ソロモン。いかに、筆頭将軍とはいえ、かかる非礼を許してはおけません」
「御意」
ソロモンは重々しくうなずいた。自らの直属たる親衛隊に命令を下した。
「親衛隊! 反逆者ルキフェルを捕えよ!」
その命のままに――。
列をなし、通路を作っていた親衛隊が動き出した。ルキフェルに近づき、両腕を捕えた。
「放せッ!」
そう叫ぼうとしたルキフェルの声が途中でとまった。それを見たからだ。いかなる意思も、感情も、かけらほども感じさせることのない親衛隊たちの表情。
「お前たち……」
ルキフェルは一瞬で悟った。それは、いかなる意味でも『人間が』浮かべることのできる表情ではなかった。
「お前たち……お前たち、いったい、誰なんだあっ!」
その叫びを残し――。
ルキフェルは連れて行かれる。そして――。
――はははは。
――はははははは。
アルヴィルダのものでもない、ソロモンのものでもない、誰のものとも知れない高らかな笑い声が、渓谷に吹く風のように大聖堂のなかに響き渡っていた。
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