壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第五話一四章 戦い

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 「かしらは誰かな、老いぼれ」
 〝ブレスト〟の発したその一言に――。
 その場に緊張とざわめきが走った。
 それは、海賊であれば誰もが知る言葉。
 かしらの座を賭けて決闘を挑むときの伝統的な台詞せりふ
 〝ブレスト〟は海賊の伝統にのっとり、自由の国リバタリアの主催の座を賭けての決闘をロウワンに申し込んだのだ。
 「おい、〝ブレスト〟!」
 ガレノアがさすがに気色けしきばんで〝ブレスト〟に詰め寄った。
 「お前、いきなりなにを言ってやがる。おれたちゃあ、もう海賊じゃねえ。自由の国リバタリアの軍人だぞ。海賊の流儀は通用しねえし、自由の国リバタリアの主催の座は決闘で決められるもんじゃねえ」
 「あなたらしくもない」
 「なんだと……?」
 かすかな軽蔑けいべつさえ含んだ〝ブレスト〟のその一言に――。
 ガレノアの残された左目に熱雷が宿った。かつてない暴発の気配に、その場にいた人々が引き潮のように後ずさった。そのなかで〝ブレスト〟はただひとり、『すずやか』と言ってもいい視線でガレノアを見返していた。
 「この海の上で『恐怖の代名詞』とまで言われた女海賊も、もう歳かしらね。そんなお行儀の良いことを言い出すなんて。もう引退してネコでも抱いて日向ぼっこでもしていれば?」
 「てめえ……」
 ガレノアが怒りを込めた目で〝ブレスト〟を睨みつけた。
 「言ってくれるじゃねえか。おれさま相手にそこまで言うなら覚悟はしてるってわけだな。いいだろう。おれさまが相手してやらあ」
 「まってくれ。ガレノア」
 ロウワンが〝ブレスト〟に詰め寄るガレノアを引き留めた。
 「挑まれたのはおれだ。おれが相手をする」
 「ロウワン⁉」
 「いいんだ。呼び名がかわったところで本質までかわるわけじゃない。自由の国リバタリアの主催としてやっていくためには、自分の力を示しつづけてなくてはいけないことはわかっている」
 「その覚悟は認めてあげるわ。では、わたしと立ち会うのね?」
 「ああ。いま、この場でな」
 ロウワンはそう言うと両腰に差したカトラスを抜き、両手に握った。
 〝ブレスト〟も愛用のシャムシールを抜き放った。その仕種が戦士と言うより、剣舞を舞う舞姫のように優雅で美しい。
 「ちっ……」
 ガレノアは舌打ちすると不承ふしょう不承ぶしょうと言った様子で後ずさった。〝ブレスト〟の態度はいろいろと不愉快だが、ロウワンが受けて立った以上、なにも言えない。いかにも不満そうな顔付きで、決闘の場を空けるために距離をとった。
 「ガレノア。合図を頼む」
 ロウワンに言われ――。
 ガレノアは太い腕を高々とかかげ、勢いよく振りおろした。
 「はじめ!」
 その声と共に――。
 ふたりは同時に動いた。
 と言っても、このふたりの剣技では相手に向かってまっすぐ突っ込む……などということはしない。を描いて、円に沿って移動しながら相手に近づいていく。
 空をく鳥の目をもって見下ろせば、まるで渦に飲まれた二艘にそうの小舟が円を描いて中央に引きよせられるように近づいていき、渦の中心点で激突する様が見られたことだろう。
 高い金属音が響いた。
 ふたりの腕がしなやかに伸び、を描いて剣が振るわれる。音を立てて弾きあい、回転し、再びぶつかりあう。ふたつの肉体が躍動し、手足が伸び、回転し、剣と剣がぶつかりあう。そこには力感と言ったものは一切、感じられず、余分な力を抜いた、無駄のない動き特有の優美さだけが存在していた。
 その姿はふたりの戦士による真剣勝負と言うより、舞台の上の俳優と踊り子による息の合った剣舞のよう。戦いを見守る周囲の船員たちからも思わず感嘆の声がもれるほど。
 剣と剣が激しく打ちあい、連鎖する金属音もまるで、琴の音のように美しく響いている。その舞と音曲の美しさに、周囲の船員たちのなかには思わず唄いだしてしまい、あわてて口を押さえるものまでいる始末。
 だが、もちろん、戦っているふたりは本気で相手を倒すために戦っている。とくに、〝ブレスト〟のむき出しの敵意はむしろ『憎悪』と言ってもいいほどに激しいものだった。
 なぜ、はじめて会ったばかりのロウワン相手に、これほどの敵意を向けるのか。
 見ているものはそう思うだろう。
 〝ブレスト〟は『ロウワン』相手に敵意をぶつけているのではない。『男』を相手にぶつけている。そのことに気がつけるものがどれほどいただろうか。
 剣と剣のぶつかり合いが何度、つづいたろうか。
 互いの剣はお互いの剣と打ちあうばかりでいまだ、相手の衣服にすらふれていない。
 男と女。とは言え、ロウワンの体はまだまだ子ども。男の優位性を発揮できるほどには育っていない。
 力ではほぼ五分。
 速さも対等。
 間合いでは〝ブレスト〟。
 〝ブレスト〟がロウワンに比べてとくに背が高いわけではない。しかし、砂漠の踊り子のように手足の長い体型。そして、手にするシャムシールはロウワンのもつカトラスよりも刀身が長い。その分、間合いが長くなる。
 その点では〝ブレスト〟が有利。しかし、ロウワンは二刀流。左右の手に一本ずつカトラスをもっている。盾ももたず、鎧も着けない生身の戦いにおいて、武器の数の多さは純粋な有利点となる。さらに、シャムシールは切れ味は鋭いがその分、刃が薄い。切れ味では劣っても肉厚の刃をもつ頑丈なカトラスとまともにぶつかれば、へし折られてしまう。
 〝ブレスト〟はその点を自分自身の技量で補い、ロウワンの斬撃を受けとめるのではなく、受け流し、体勢を崩すことで致命の一撃を加えようとする。しかし、ロウワンの体勢は崩れない。たとえ、剣を弾かれようと、受け流されようと、そのたびに柔軟に体勢を入れ替え、隙を見せることがない。そのまま流れるような動作で途切れることのない斬撃を繰り出しつづける。
 あせりを見せはじめたのは〝ブレスト〟の方だった。
 〝ブレスト〟にしてみれば、剣技と言うより舞のような自分の動きでロウワンを翻弄ほんろうし、圧倒できる気でいたのだ。事実、いままでどんな相手も自分の動きに戸惑い、隙を見せ、たおれてきた。それなのに、ロウワンは自分の動きに平気でついてくる。と言うより、自分と同じような『舞』の動きをしている。これでは、独特の動きをもって翻弄ほんろうすることなど出来はしない。
 〝ブレスト〟にとって、ロウワンが自分と同じような動きをしてくることはまったくの想定外だった。一方、ロウワンにとってはを描き、手足を大きく伸ばして攻撃してくる〝ブレスト〟の動きは、ハルキスの島で三刀流のサルたちを相手にさんざん経験したもの。ロウワンにとってはむしろ、もっとも戦いやすい相手。それだけでロウワンが有利であったし、心理的にも優位に立っていた。
 〝ブレスト〟は戦い方をかえた。
 動きで翻弄ほんろうしようとするのをやめ、ロウワンの頭部めがけて集中的に攻撃を繰り出した。まるで、相手の首をね飛ばす、それしか考えていないかのような攻撃。
 ロウワンはその攻撃のことごとくを受けとめ、はじき返した。しかし、それこそが〝ブレスト〟の狙い。ロウワンか頭部への攻撃に慣れ、下半身の防御がおろそかになったその瞬間、頭部を狙っていたはずのシャムシールがいきなり軌道をかえ、満月を描いてロウワンの足元をなぎ払った。
 並の戦士であればその一撃で終わっていた。突然の、攻撃の軌道の変化に対応出来ず、足元を斬られて転がっていたところだ。
 ロウワンはそうではなかった。
 変幻自在の攻撃にはやはり、三刀流のサルたち相手の稽古で慣れている。とっさに右足を浮かせ、片脚立ちになることで足元をなぎ払う一撃をかわした。だが――。
 それこそが、〝ブレスト〟の真の狙い。
 『国一番の踊り子だった』と噂されるしなやかな体が回転し、ロウワンの足元を空しく通りすぎたシャムシールが円を描いて再度、ロウワンの頭部めがけて叩き込まれようとした。
 普通なら――。
 ロウワンの身につけている剣技が普通のものなら、今度こそ終わっていた。
 片脚立ちの不安定な姿勢。動くこともままならない。そこへ、回転の勢いをつけて新たな斬撃が襲ってくるのだ。防ぐことも、避けることも出来ずに斬り裂かれるしかない。
 普通なら。
 あいにく、ロウワンの身につけた剣技は『普通』のものではなかった。片脚立ちの不安定な体勢を逆に利用して独楽こまのように回転し、重心を前に移動。そのまま、前に倒れ込む。倒れる前に足を出し、前進。言わば『前に落ちる勢い』を利用して前進することで、筋肉に頼って動くよりも速く移動できる。
 ロウワンは知らなかったがそれは、東方世界の武術において『縮地』と呼ばれる技法と同じものだった。
 そして、前進するロウワンの目の前。そこにあるものは、いまだ回転中の無防備な〝ブレスト〟の背中。斬撃を繰り出そうとする動きの途中。〝ブレスト〟こそ、防ぐことも、避けることも出来ない状況。ロウワンはただ、そのまま腕を前に伸ばせばよかった。ただ、それだけで、手にしたカトラスの切っ先が〝ブレスト〟の無防備な背中に突き刺さる。
 そして、ロウワンはそうした。
 これは、〝ブレスト〟の側が申し入れてきた決闘。その背に剣を突き立てることをためらう理由などロウワンにはなかった。
 ロウワンの腕がまっすぐに伸びる。
 その延長で、カトラスがまっすぐに〝ブレスト〟の背中めがけて突き進む。
 前進の勢いと、ロウワンの全体重が乗った切っ先が肉を裂いて〝ブレスト〟の背中に潜り込む。
 金属が肉を裂く音がして、大きな血の花が咲いた。
 「それまで!」
 その様を見て――。
 ガレノアが宣言した。
 ロウワンは〝ブレスト〟の背中から剣を抜くと、音もなく後ろにさがった。
 追撃はしない。
 とどめを刺す気もない。
 だからと言って、油断はしない。全身から余分な力を抜いて脱力し、二本の剣を手にしたまま相手が攻撃してくればいつでも反撃できる体勢を整えている。
 〝ブレスト〟はロウワンを睨みつけた。背中の傷からはとめどなく血が流れ、甲板かんぱんを濡らしている。それでも、その目に宿る敵意と憎悪はいささかも衰えていない。
 「もういいだろ」
 ガレノアがそんな〝ブレスト〟に近づいた。
 「その傷でも悲鳴ひとつあげないのはさすがだけどよ。ロウワンがわざと急所を外さなけりゃあお前、死んでたんだぜ。そのことがわからねえほど鈍くはねえだろう」
 「くっ……」
 〝ブレスト〟はロウワンを睨みつけた。背中から襲う激痛。それを超える灼熱しゃくねつの熱さ。気を抜けば口から吹き出しそうな悲鳴を、唇を噛みしめて必死にこらえる。
 「……殺せ。それが、海賊の掟だろう」
 「おれたちは海賊じゃない。殺すまでやる必要はない」
 それが、〝ブレスト〟の台詞せりふに対するロウワンの答えだった。
 「まして、あなたはガレノアが自分の後継者と認めた人物だ。失うわけにはいかない。だが……」
 ロウワンは右手にもったカトラスの刀身を〝ブレスト〟の肩に載せた。まるで、騎士の叙任じょにんしきの際の儀式のように。
 「『殺せ』というならその命はおれがもらう。あなたには今後、一生、都市としもう社会しゃかい実現のために行動してもらう。いいな?」
 「くっ……」
 〝ブレスト〟は呻いた。唇を噛みしめた。ロウワンに背を向けた。そのまま歩き去ろうとした。
 逃げた……のではない。船長としての仕事に戻ろうというのだ。血に染まりながらなお美しいその背中に向かい、ロウワンは言った。
 「〝ブレスト〟・ザイナブ。これだけは忘れないでくれ。都市としもう社会しゃかいにおいては誰であれ、自分の望む国を作ることができる。あなたも、あなたが望むならいつでも自由の国リバタリアから独立し、自分の望む法をもつ、自分の望む国を作ることができる。都市としもう社会しゃかいにおいては自分の望む暮らしを手に入れるために争う必要なんてないんだ」
 その言葉に――。
 〝ブレスト〟は答えなかった。両の目に敵意を燃やし、唇を噛みしめたまま、無言で歩き去ろうとする。ロウワンはその背に向かいもう一度、声をかけた。
 「……その傷、放っておくなよ。ちゃんと、ドクに治療してもらってくれ」
 その言葉は果たして、〝ブレスト〟の心に届いただろうか。
 ガレノアがロウワンに近づいた。
 「すまんな、ロウワン。今回はおれの監督かんとく不行ふゆきだ。まさか、あいつがいきなり決闘を申し入れるとは思わなかった。だが……」
 ガレノアは言い訳することへのバツの悪さをにじませながら、つづけた。
 「あいつはお前を憎んでいるわけじゃない。男そのものを憎んでいるんだ。男によほどひどい目に遭わされたことがあるらしくてな」
 「……ああ」
 と、〝ブレスト〟の歩き去った方を見ながら、ロウワンはうなずいた。
 「かのの激しい思いは戦っている間中、感じていた。なにがあればあそこまで激しい思いを抱くことになるのか、見当もつかないけど……もう誰にもそんな思いはさせない。そのために、都市としもう社会しゃかいを実現させる。ガレノア。各部門の責任者を集めてくれ。自由の国リバタリアの会議を開く」
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