壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第五話七章 都市網国家

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 「住み分け。領土の否定。流動性秩序。この三つが都市としもう国家こっかの柱となります」
 「ほう」
 と、ゴンドワナ評議会議長ヘイダールは言葉を返しながらチェスの駒を動かした。
 ゴンドワナ商王しょうおうこくの評議会議事堂。
 そのなかに用意された議長執務室。
 あらゆる虚飾を排した実用性一点張り、機能美のみを追求するゴンドワナ建築らしく、この執務室もまた飾り気のないものだった。広さは必要最小限、部屋を飾る絵画や美術品、花のひとつもない。
 そのかわり、左右の壁を本棚が埋め尽くし、歴代の資料や書類がビッシリと収納されている。
 まさに『仕事部屋』。
 そう一目でわかる部屋だった。
 その部屋のなかでいまロウワンは、評議会議長ヘイダールとふたり、小さな卓に向かい合って座り、チェスを打ちながら都市としもう国家こっかについて説明していた。南の海で自由の国リバタリアとローラシアの海戦が行われている頃、ふたりは毎日のようにこうして対話していたのである。
 チェスを打っているのはヘイダールの趣味ではあるが同時に『商売のためには、雑談や趣味の話を通じて気心を知ることも大切』というゴンドワナ商人の教えもある。
 もっともロウワンはチェスについては『ルールは知っている』という程度の素人だったが。それでも、ヘイダールの方も『下手の横好き』の見本として知られる程度には下手くそな指し手だったので、ふたりの戦績はほぼ五分というなかなかの好敵手振りとなっていた。
 まあ、一流の指し手が見れば、そのつたなさに怖気おぞけを振るうぐらいのヘボゲームではあったのだが。本人たちが『好勝負』と思っているならいいのである。
 「それは、どういう意味ですかな?」
 ヘイダールは、駒を盤の上に置く音を響かせながら尋ねた。
 ロウワンはその一手に対してポーンを動かしながら答えた。
 「ひとつずつ、説明します。まずは住み分け。人はそれぞれちがう。望むものもちがえば、欲するものもちがう。そんな人間たちを同じ法のもとで、同じ暮らしをさせようとするから摩擦が起こる。自分の望みを叶えるために相手が邪魔になる。だから、相手を憎み、排除しようとする。同じことを望むもの同士が集まって暮らすならそんな争いは起こらない。
 その点を、我が師ハルキスはこんな例え話で説明していました。
 『あるところに一羽の鳥がいた。
 その鳥は毎日、同じ池に水を飲みに来ていた。そのうちに池に住む魚と愛しあうようになった。
 鳥と魚は結婚することにした。
 最初は魚が鳥のもとに向かうことになった。しかし、魚は鳥の巣につくと、あたりに水を吐き散らし、池にかえようとした。それでは、鳥は生きていけない。
 そこで、次に池に向かって一緒に住もうとした。しかし、鳥は池の水を吹き飛ばし、池を空にかえようとした。それでは、魚が生きていけない。
 鳥と魚はたちまちに争いあった。
 さんざん争ったあと結局、鳥は空、魚は池に住み、いままで通りに鳥が毎日、魚のもとを訪れることとした。そうして、鳥と魚は仲むつまじく交際をつづけた』
 人の世もそれと同じ。無理に一緒に住もうとして、自分の望む暮らしを相手に押しつければ争いになる。お互い、自分の望む暮らしをしながら付き合えば良い友人になれるし、恋人でもいられる。
 だから、都市としもう国家こっかは誰もが自分の望む暮らしを送れるようにする。
 都市としもう国家こっかにおいては、人は誰も生まれた国に縛られることはありません。自分の望む法をもつ国と契約し、自分の望む暮らしを送ることが出来る。自分の望む法を掲げる国がないなら自分で新しい法を作り、新しい国を作る。そうすることで、一人ひとりが自分の望む暮らしを送る。
 その上で、協力できるところだけ協力しあえばいい」
 「協力しあえるところだけ協力する?」
 「そうです。新しい商売に共同出資するために、子育ての方針について同意している必要はない。そう言うことです」
 「なるほど。それは、よくわかりますな」
 商売のためとあれば互いの主義主張も、相手の人格も一切、気にしないゴンドワナ商人にとっては実にわかりやすい話であった。
 「しかし、住み分けすることで、人と人の争いがなくなるという保証があるのですかな?」
 「ありません」
 率直に、ロウワンはそう答えた。
 そのいさぎよさはヘイダールが思わず感心してしまうほどのものだった。
 「ですが、人類はこれまでずっと『世界をひとつに』と言って争ってきました。パンゲアが歴史的に幾度となく他国に侵攻し、いままた世界を征服しようとしているのもまさにそのため。世界をひとつにしようとしてのことです。ならば、ちがう方法を試してみてもいいはずです」
 「ふむ。なるほど」
 と、ヘイダールは長考の末にようやく自らのビショップを動かした。
 「次に領土の否定ですが……」
 ロウワンはヘイダールの一手に対し、自らのキングを逃がしながらつづけた。
 「人類は昔から領土を巡って争ってきました。ですが、そもそも領土とはなんでしょう? 我が師ハルキスは領土についてこう語りました。
 『領土とは交通網のことだ。国はそれだけでは国たり得ない。街道を築き、交通網を整備し、人・物・情報を動かして、はじめて国たり得る。ならば、誰かが交通網を整備し、維持・管理しなくてはならない。
 誰がそれをやる?
 この範囲の交通網の維持・管理はこのものが責任をもつ。
 そう決めたものが領土だ』と」
 「ふむ。それはもっともですな」
 ヘイダールは一も二もなくうなずいた。
 人・物・情報を動かすことで利を得る商人からすれば、なんともわかりやすい定義である。
 ロウワンはつづけた。
 「ならば、領土とは国家にとって不可欠のものではありません。要は、交通網の整備さえ出来ればいいのです。たとえば、交通網を整備するための専門の会社を作り、その会社に任せてしまえばいい。そうすれば、国は領土をもつ必要はない。国の大きさは領土ではなく契約する都市の数で決まり、どれだけの数の都市と契約できるかはその国の掲げる法による。
 戦争によって勢力を拡大するのではなく、自らの掲げる法の魅力によって契約する都市をふやし、勢力を拡大する。それが、都市としもう国家こっかの在り方です」
 「ふむ。なるほど」
 ヘイダールが腕組みして思案顔になったのは果たして、ロウワンの言葉に対してだったろうか。それとも、チェスの次の一手を考えあぐねてのことだったろうか。
 「ですが、おっしゃるとおり、国は古来より領土を巡って争ってきた存在。その領土を捨てることが出来ますかな?」
 「そのために、都市としもう国家こっかにおいては国を『国家』としてではなく、『会社』として考えます」
 「会社として?」
 「そうです。会社には領土はありません。そもそも、領土をもとうという発想がない。もし、すべての国が国家としてではなく、会社として運営されたなら領土など気にすることもなくなるでしょう。領土がなくなれば、領土を巡る争いもなくなる。そういうことです」
 「なるほど。国を国家としてではなく、会社として再定義する。それは、我々、商人にとってはなんとも魅力的な話ですな。しかし……」
 ヘイダールはそう言うと手を動かした。ようやく、いい指し手を見つけたらしい。ひげの奥の口でニンマリ笑いながら、ナイトを動かした。
 今度はロウワンがむずかしい顔をする番だった。
 「しかし、それはそれで問題が起きそうですな。たとえば、ある場所に有望な鉱山があったとします。その鉱山の所有権を巡って争いが起きたならどう解決するのです? 領土がなければ所有権を決めることも出来ますまい」
 「その鉱山に都市を作ります。鉱山の所有権はあくまでもその都市にあり、国はその都市と契約することで、間接的に鉱山を所有することになります」
 「しかし、法に従う人間ばかりではありませんぞ。もし、その法を破り、力ずくで鉱山をものにしようとするものがいたらどうするのです?」
 「都市としもう国家こっかは誰にでも『世界の支配者』になる機会を与える仕組みです。なにしろ、自分の望む法を作り、その法をもって世界中の都市と契約できれば世界の支配者なのですから。自分を世界の支配者にしてくれるかも知れない仕組みを壊そうとする人間がいますか?」
 「……ふむ」
 「それでも、もし、そんな破壊者が現われたなら……金で解決します」
 「金で?」
 「そうです。金で飼えない人間はいません。札束で横っ面を引っぱたき、酒池肉林という檻の中に閉じ込めて現実から隔離します。その間に自分たちで勝手に世界を動かします。これは、古来より佞臣ねいしん奸臣かんしんと呼ばれる人間たちが主君たるものを操ってきた方法。その有効性に疑いの余地はありません」
 思わず――。
 ヘイダールは大口をあげて笑っていた。
 「なるほど。それはわかりやすい。賄賂で解決とは、我ら商人の得意技ですからな」
 と、ヘイダールはやけに正直なことを口にした。
 「そして、流動性秩序ですが……平和こそ、人類の敵。我が師ハルキスはそう言いきりました」
 「ほう?」
 ヘイダールは興味深そうに目の奥を光らせた。
 人類が望みつづけてきた平和。それが『人類の敵』とはどういう意味か。
 ロウワンはむずかしい顔をして盤を眺めながらつづけた。
 「そも平和とはなにか。それは、秩序の固定に他ならない。そして、秩序の固定とは金持ちは永遠に金持ちのまま、貧乏人は永遠に貧乏人のままと言うことを意味します。
 それは、言ってみればまわらない車輪のようなもの。
 車輪の下の部分は上に行こうと望んで車輪をまわそうとし、車輪の上の部分は上でありつづけるために車輪をとめたままにしようとする。車輪を動かそうとする力ととめたままにしておこうとする力。
 そのふたつの力がぶつかりあえば、車輪は壊れるしかない。
 平和とはまさに、その状態を作り出すもの。だからこそ、『平和』とは争いのもとであり、人類の敵。
 車輪を壊さないためにはまわしつづけること。上と下が常に入れ替われるようにすること。『平和』という固定された秩序ではなく、常にかわり、動きつづける秩序を構築すること。それが、ハルキスの語ったことです」
 「なるほど。ですが、その流動性秩序とやらは、どうやって構築するのですかな?」
 人は一度つかんだ栄華は決して手放さないもの。車輪の上にいるものが、その車輪を回転させることを望むとは思えませんな。
 ヘイダールはそう指摘した。
 「それは、ハルキスにもわからずじまいだったそうです」
 ロウワンはようやく駒を動かしながら答えた。
 「ですが、ハルキスは五〇〇年も昔の人間。そんな過去の人になにもかも教えてもらわなくてはならないとしたら、いまを生きる我々がふがいなさ過ぎます。この答えは私たち自身で見出すべきでしょう」
 「『親がすべての金勘定をしてはいけない。息子のために残しておけ』。ゴンドワナにはそんなことわざがあります。まさに、その精神ですな。我々の成長のために必要な宿題というわけですな」
 「はい。私も幼い頃から父によくそう言われて育ちました」
 ロウワンは苦笑交じりに言った。
 ロウワンの父ムスタファは、自分のしたくないことを息子に押しつけるとき、よくこのことわざを使ったものだ。
 結局、ロウワンの一手によってヘイダールが負けを認め、この一戦はロウワンの勝利となった。
 ヘイダールは駒を大切そうにしまいながら言った。
 「しかし、都市としもう国家こっかの理念には感銘を受けますが、実現するのはむずかしいでしょうな」
 「……はい」
 と、ロウワンもそのことを認めた。
 「都市としもう国家こっかの実現のためには、なによりもまず緊密な情報網と交通網の整備が必要です。いまの技術ではまだまだ。大陸の端と端で一瞬にして会話が出来、空を飛んで人・物・情報をやり取りする。そんな時代になれば簡単でしょうが」
 「はっはっ。さすがにそのような時代は人の身に過ぎると思いますがな。実現するとしてもはるか先でしょう」
 「……そうですね」
 ロウワンはそう答えたが、胸のうちでは静かな炎がチロチロと燃えつづけていた。
 ――確かに、実現するためには長い時間がかかるだろう。いや、そもそも、実現しようのないことかも知れない。それでも、もし、実現できたなら人類に途方もない利益をもたらすことになる。どれだけの時がかかろうとも挑戦するだけの価値はあるはずだ。
 ヘイダールが大事なチェスの駒を箱にしまい終えたそのときだ。
 執務室の部屋がノックされた。
 「入れ」
 ヘイダールの返事に応え、扉が開かれた。
 初老の男性がうやうやしく礼をしながら言った。
 「朗報です。自由の国リバタリアの船団がローラシア船団を壊滅させたのこと」
 「おお」
 と、ヘイダールは声をあげ、ロウワンは納得顔でうなずいた。
 「お聞きします。自由の国リバタリア船団の被害は?」
 「ほとんどないとのことです」
 「そうですか」
 ロウワンはホッとした様子で息をついた。ガレノアやボウのことを信頼してはいてもやはり、不安はあったのだ。
 その様子をヘイダールは微笑ましそうに眺めていたが、ふいに威儀を正した。
 「ロウワンどの。これで、あなたの言葉の正しさは証明されました。これより、我がゴンドワナは自由の国リバタリアの第一の友人として振る舞いますぞ。我らの力、あてにしてくだされ」
 「ありがとうございます。我が自由の国リバタリアもゴンドワナの友人として尽くす所存。なんなりとお申しつけください」
 「おうおう。嬉しいことを言ってくださる。して、ロウワンどの。これからどうなさる?」
 「自由の国リバタリアに帰ります。くわしい戦況も知りたいですし、ゴンドワナ防衛の友軍を派遣しなくてはいけませんから」
 いつまたパンゲア、あるいはローラシアの軍が攻めてくるかもわからない。しかし、サラフディンを守るボーラ傭兵団は先の戦いで大きな被害を受けた。次に同規模の攻撃を受ければとても守りきれない。
 と言って、新たな傭兵団を雇おうにも近辺の海賊や傭兵団は自由の国リバタリアが――と言うか、ガレノアが――すべて傘下に収めてしまったので、雇おうにも相手がいない。サラフディンを守るための兵は自由の国リバタリアから派遣するしかないのだった。
 そして、それは、自由の国リバタリアにとっても、自分たちが同盟相手として頼りになることを示すための大切な方策でもあった。
 「ふむ。では、ロウワンどの。今後の行動について、老婆心ながらひとつ、提案させていただきますぞ」
 「提案?」
 「はい」
 ヘイダールの瞳が油断なく輝いた。
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