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第二部 絆ぐ伝説
第五話三章 開戦
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海の上にふたつの船団があった。
ガレノア率いる自由の国の船団と、ローラシアから派遣された船団である。
自由の国の船団は海域の一カ所に固まり、動くことなく相手の訪れをまっている。それに対してローラシア船団は帆をいっぱいに張って波を蹴立てて、怒濤の勢いで自由の国の船団めがけて突き進んでいる。その勢いのちがいは得物を狙うサメの群れと、その標的とされて恐怖に身を強張らせ、逃げることも出来ない小魚の群れに見えた。
実際、神の視点をもって空から見下ろせば、双方の戦力差は歴然だった。
単純な数だけから言えば自由の国の船団の方が多い。しかし、その多くは小型のガレー船であり、大砲もろくに積んでいない。それに対してローラシア船団は強力な大型船を多数そろえた最新の船団であり、大砲の数は実に二千を超える。このちがいを見れば、誰であれローラシア側の圧勝、自由の国の惨敗を予想するだろう。しかし――。
長年の相棒である『海の女』号の甲板に仁王立ちとなり、迫りつつあるローラシア船団を睨みつけているガレノアは勝利を疑っていなかった。
ニヤリ、と、そんな音が聞こえてきそうなほどの獰猛な笑みを浮かべ、楽しげにしている。その猛気に打たれてか、肩の鸚鵡も盛んに羽をバタつかせている。
自由の国の船団はまず中央に旗艦たる『海の女』号を配置し、その前方に最強戦力たる天命船『輝きは消えず』号。そこには空狩りの行者ただひとりが乗り込んでおり、潮風に自慢のかんざし飾りをシャラシャラ言わせている。
『海の女』号の両翼には自由の国の船団におけるたった二隻の三級艦、プリンス率いる『黒の誇り』号と、〝ブレスト〟の『砂漠の踊り子』号が並んでいる。その他の船は、凸状に並んだこの四隻の左右から後方にかけて、扇形に広がる形で並んでいる。
舌なめずりするガレノアの横には参謀長として灰色の男、ボウが控えている。メリッサは爆砕射の開発者として、その側にいるべく『砂漠の踊り子』号に乗り込んでいる。
空はよく晴れて太陽が輝き、はるか彼方の水平線までもよく見渡すことが出来る。しかし、風は強く、横からの風が吹き付け、船を揺らしている。波も高く、船に乗り慣れていない素人であればたちまち船酔いにかかり、呻きながら寝転がる羽目になりそうなほど。
強い風は帆船にとってはもちろん、操船を難しくするやっかいな要素。しかし、逆にうまく利用することさえ出来れば、いつにない快速で移動することが出来る。操船に絶対の自信をもつ海賊たちにとってはまさに絶好の状況と言える。
もちろん、これは、偶然そうなったわけではない。ガレノアたちが長年の経験から強風の吹く日と海域とを割り出し、ローラシア船団にわざと情報を流すことでこの日、この場におびき寄せたのだ。自らの装備に溺れたローラシア船団は戦場の状況も、船員たちの技量の差も考えず、まんまと誘いに乗ってやってきたというわけだ。
この時点で、自由の国はすでにひとつの勝利をあげていると言えた。それも、最終的な勝敗を左右するきわめて大きな勝利をだ。
「ローラシア船団、接近!」
マスト高くに設置された見張り台の上から水兵の声が降りそそぐ。
さすがに、ガレノアほど自分たちの勝利を確信できないのだろう。唾を飲み、緊張した声だった。それでも、ガレノアに鍛えられているだけあって、自らの役割はまっとうした。
「ローラシア船団、先頭に一二隻の天命船! その後方に一級艦、二級艦からなる本隊一〇隻! 左右両翼に三級艦、四級艦からなる船団が二四隻ずつ! 天命船、速度をあげて接近中! 本隊はその後ろからややゆっくりめに接近! あっ、左右両翼が向きをかえました! 外側に向かって迂回する模様!」
報告のために声を張りあげているうちに自分でも興奮してきたのだろう。望遠鏡を両手に握って目に押しつけ、その身が落ちそうなぐらい見張り台から身を乗り出している。その様子は見ていてハラハラするぐらいのものだった。
その報告を聞いたガレノアはニッと笑った。隣に控える灰色の参謀長を見た。眼帯に包まれていない残された目に率直な賞賛の光があった。
「どうやら、お前の予想通りの攻撃を仕掛けてくるらしいな」
言われて、ボウは重々しくうなずいた。
装備で圧倒的に勝るローラシア船団に小細工する必要はない。まずは、正面から堂々と近づく。そうすることで相手を威圧、防衛本能に身を縛らせ、密集隊形をとらせる。
そこに、強力な天命船一二隻を突撃させ、中央突破。自由の国の船団を左右に分断したところで、迂回路をとった左右両翼がそれぞれに分断された半分の船団に襲いかかる。
戦闘に入ったところで本体が左右いずれか一方に攻撃。さらに、中央突破して後方に走り抜けた天命船も反転攻勢。まずは半分になった相手を三方から押し包み、圧倒的な数の大砲の力をもって一気に殲滅。
その間、残った半分は別働隊が逃がさない程度に相手していればよい。そして、半分を撃破したところで総力をあげて残る半分を包囲し叩きのめす。
単純で、いかにも教科書的な戦法ではあるが、効果的な戦法である。
それが、ボウが予測したローラシア船団の戦術であり事実、ローラシア船団はボウの予想通りの動きを見せている。
「情報によれば……」
ボウがその見た目にふさわしい重々しい声をあげた。
「ローラシア船団の指揮官はダリル伯爵。日頃から酒色に溺れ、ご馳走を食い散らす宴会好きのバカ貴族だ。もちろん、実戦の指揮をしたことなどいままでに一度もない」
「ふん」
ガレノアはむしろ、傷ついたように鼻を鳴らした。
「そんなやつを指揮官に据えて攻撃してくるとは、おれたちも舐められたもんだな」
「そういう問題ではない。ダリル伯爵は大公サトゥルヌスの一族だ。大公としては自分の一族に手柄を立てさせ、自分の立場を盤石なものにしたい。そのための人選だ」
「ふん。それが舐めてるってんだよ。戦う前から勝ったあとのことを考えて指揮官を選ぶなんざよ」
「それが、ローラシアという国だ。万事において貴族同士の駆け引きが優先される」
ボウはかつて、ローラシア海軍で船長を務めていたこともある。ローラシアの内情に関しては自由の国でもっともくわしい。
「だが――」
ボウは、灰色の肌のなかの目を鋭く光らせながらつづけた。
「油断は出来んぞ。お飾りの上級貴族はともかく、現場をあずかる下級貴族や平民出身の下士官たちは決して無能ではない。だからこそ、単純な力押しではなく、教科書通りの堅実な戦術をとってきた」
ボウの言う『教科書通り』とは決して貶し言葉ではない。むしろ、褒め言葉である。教科書に載っているということは、これまでに幾度となく実戦でその有効性が証明されてきた戦い方だということでありその分、つけ込む隙がないという意味なのだから。
「ふん。確かにな」
ガレノアも参謀長の言い分を認めた。
「あの艦隊運動は見事なもんだ。内陸国の連中にしちゃあな。もし、これが、ローラシア船団同士の戦いなら……」
ニヤリ、と、ガレノアはふてぶてしい笑みを浮かべながら言った。
「まちがいなく、やつらの勝ちだ。だがな。おれたちはやつらとはちがう。海の上で生き、海の上で死ぬ生粋の海賊だ。そのちがい、たっぷりと見せてやる」
ガレノアとボウが話をしている間、ローラシア船団の旗艦である『貴族の栄光』号の上でも、指揮官であるダリル伯爵とその幕僚たちの間で似たような会話がなされていた。
「見ろ! 自由の国とやらの船団の姿を! ごちゃごちゃと小舟ばかりが並んでおるわ。まるで、オオカミの群れに襲われるウサギそのままではないか。勝利は疑いないぞ!」
肌身離さずもっている酒瓶を揺すりながら『グワッハッハッ!』と笑うダリル伯爵だった。その笑い方が『豪快』ではなく、『下品』にしか見えないところがガレノアとダリルの『貫禄のちがい』というものだった。
『常に酒瓶を手にしている』という点もガレノアと同じだが、ちがうのはガレノアがどんなに飲んでも酔って正体を失うということがないのに対し、ダリルはいつだって酔っ払って千鳥足の上機嫌、と言うところだった。
幼い頃からの贅沢三昧で体格だけは立派に育ったが全身、脂肪の塊で、筋肉はろくについていない。三〇代半ばの若さでありながらまともに走ることすら出来ないというポンコツである。
剣も、銃も使えず、もちろん、これまでに戦場に出た経験などない。取り柄と言えば始終、酒に酔っているために船酔いの心配がなく、恐怖を感じない、と言うことぐらい。
そんな人物がこの海戦の指揮官に選ばれた理由はただひとつ。
ボウが看破したように、サトゥルヌスの一族であったから。
その一点である。
もし、他の公爵たちの一族が指揮官を務め、勝利を飾ったら当然、その公爵の発言力が増すことになる。それは、大公としてはなんとしても避けたい事態だった。せっかく、大公となって全権を握る立場になったというのに、他の公爵に遠慮して気を使わなければならないのではその甲斐がない。
大公として、その権力を自在に振るいたかったし、他の公爵たちに一方的に命令する立場を堅持したい。そのためには、自分の一族に手柄を立てさせる必要があった。だから、大公の権利を乱用して無理やり一族のものを指揮官に据えたのだ。
実際の能力や経験などは関係なく、ただひたすらに貴族の都合が優先される。
ボウの言ったとおり、それがローラシアという国だった。しかし――。
これも、ボウが言ったとおりだが、その下で働く下級貴族や平民出身の下士官たちは決して無能ではなかった。やっかいな上級貴族たちの扱い方もよく心得ていた。今回も下級貴族からなる幕僚たちが指揮官そっちのけで自分たちで情報を集め、作戦を立案し、ダリルを褒めて、おだてて、その気にさせる、と言うやり方で自分たちの計画した戦術を承知させたのだ。
そうでなければダリルのこと。ただ一言『全軍突撃!』ですませていただろう。そのあとに行われるのは統率のとれた戦闘などではなく、大きさも性能もまったくちがう船が入り乱れての個人的な喧嘩であったにちがいない。それを防ぎ、統率のとれた戦闘に持ち込んだ幕僚たちは確かに有能だった。
そして、その有能な幕僚たちは指揮官の下卑た態度に内心、舌打ちしつつも己の職務をまっとうしようとしていた。
「閣下。油断は禁物です。相手は、数は少なくとも名うての海賊揃い。どんな手を使ってくるかわかりませんぞ」
「かまうな、正面から押しつぶせ! 全軍突撃!」
ダリルは大声で叫んだ。
単純極まりない命令だが、幕僚たちとしてはこの際、この方がありがたい。どうせ、軍学の「ぐ」の字も知らない素人に細かい指示をされたところで迷惑にしかならないのだ。
ローラシア船団は獰猛なサメの群れと化して自由の国の船団に襲いかかった。
ローラシア船団にとって誤算と言えば、標的とした相手が無力な小魚などではなく、クジラをも襲うシャチの群れであったと言うことだろう。
相手が充分に近づいたのを確認すると、ガレノアは甲板を踏みならした。肩の鸚鵡が声高く鳴いた。ガレノアは勢いよく右腕を振りあげた。強風によってあおられる帆のはためく音に勝る大声を張りあげた。
「祭りのはじまりだ! 銅鑼を鳴らせ、旗をあげろ!」
その命令を受けて――。
甲板上に置かれた銅鑼が音高く鳴らされ、戦闘開始を告げる旗が掲げられた。それを見て指示を下したのが『砂漠の踊り子』号船長〝ブレスト〟・ザイナブである。
「撃て」
静かに、しかし、風の精霊の恩寵を受けているかのようによく通る声が流れた。
不安げに見守るメリッサの目の前で砲手が爆砕射を操作する。火薬に火がつけられ、轟音とともに砲弾が撃ち出される。この時代の常識には存在しないまったく新しい砲弾が。
その砲弾は通常の砲弾では考えられないほどの速度と直線軌道をもって先頭を走る天命船に直撃した。轟音を立てて爆発し、炎が弾けた。そのあとに皆が見たもの。それは――。
船体に巨大な穴を空け、為す術もなく沈んでいく天命船の姿だった。
おおおっ、と、自由の国の船員たちが快哉の叫びをあげた。
「すげえっ! 本当に一撃で天命船を沈めたぞ!」
「いいぞおっ! もっとやれ!」
船員たちの騒ぎをよそに、ガレノア、ボウ、プリンス、〝ブレスト〟、メリッサたちはその威力に納得のうなずきをしていた。
自由の国の快哉はローラシア側にとっての衝撃であり、驚愕であり、恐慌でさえあった。
天命船が沈められた。
海の上で無敵を誇るはずの天命船が。
それも、ただ一撃で。
「ば、馬鹿な……!」
常に酒に酔い、すべての感覚が鈍っているダリルでさえ目を見開き、驚愕の声をあげた。
手にしていた酒瓶を落としてしまい、甲板に落ちて、割れて、中身が飛び散り、琥珀色の液体が甲板を濡らした。
「ありえん! なぜだ、どうして、こんなことになる⁉ まだ一〇〇〇メートルはあるぞ。こんな距離で大砲が当たるわけがない! まして、天命船を一撃で沈めるなど……。いったい、なにが起きた⁉」
なにが起きた、とは奇妙な叫びだ。
幕僚たちはそう思った。事実はたったいま、この目で見たとおり。
ローラシアの秘蔵っ子である天命船が敵の一撃で沈められた。
それだけではないか。
とは言え、幕僚たちにしても自分たちの常識ではあり得ない事実を見せつけられて度肝を抜かれたのは同じ。とっさに適切な判断も出来ず、指示も下せず、船団は当初の予定通りに進むしかなかった。そのなかで、虎の子の天命船は次々と沈められていた。
「撃て」
〝ブレスト〟の命令が響き、爆砕射が火を放つ。
撃ち出された砲弾は糸を引くように標的めがけてまっすぐに飛び、着弾と同時に爆発し、強固なはずの天命船の防御を打ち破って海のモクズとかえていく。
そのたびごとに船員たちの叫びが響く。
「うひょお。また一発で沈めたぜ!」
「すげえっ! 無敵じゃねえか。どんどんやれえっ!」
腕を振りあげ、足を踏みならし、歓声をあげる。
その様子はもはや戦場の兵士というより活劇を見守る観客のよう。砲手もその勢いに気をよくしたのだろう。次々と砲弾を撃ち出し、天命船を沈めていく。だが――。
そのなかでただひとり、メリッサだけは不安に表情を曇らせ、ギュッと手を握りしめていた。
――まだ耐久性の検証もされていないのに、あんなに立てつづけに撃ったら……。
その懸念は当たった。
七隻目を沈め、八発目を撃とうとしたそのとき、爆砕射の後ろから『しゅ~』という不吉な音がした。砲弾を装填するための蓋が真っ赤に熱していた。そのことに砲手が気がついたときはもう遅かった。爆砕射は激しい音を立てて爆発していた。
爆風が舞い散り、破片が吹き飛んだ。
メリッサは手で顔を覆いながら悔しそうに叫んだ。
「なんてこと……! たった七発で暴発するなんて……」
「充分だ」
この爆発にも動じることなく〝ブレスト〟は静かに言った。
「相手の接近前に天命船を半数以上、沈められた。立派なものだ。あとは……」
顔を覆う布の隙間からのぞく切れ長の目が冷たく光り、むき出しの胸が飢えたオオカミの顔となった。
「我々の出番だ」
爆砕射が暴発した姿はガレノアにも見えていた。
だからと言ってもちろん、うろたえるようなガレノアではない。もとより、爆砕射の耐久性に不安があることはメリッサから聞かされていた。途中で吹っ飛ぶなど織り込みずみ。
まずは相手の接近前に爆砕射で天命船の数を減らすだけ減らしておいて、そこからが本番。ガレノアにしてみれば計画通りの展開に過ぎない。
ガレノアは獰猛な笑みを浮かべた。甲板を踏みならした。
「さあ、次はおれたちの出番だ! 銅鑼を鳴らせ、旗をかえろ、突撃のときは来たれり!
」命令のままに銅鑼が鳴らされ、全軍突撃を示す旗が掲げられる。
ただひとり、『輝きは消えず』号に乗り込み、先頭に立つ行者があでやかな唇に妖しい笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか。『輝きは消えず』号。君の美しさを見せてあげよう」
その声に応えるかのように『輝きは消えず』号は動き出した。
それを合図とするかのように自由の国の全軍が一斉に動いた。
獰猛にして狡猾、クジラさえも食らう猛々しいシャチの群れがいま、うろたえるサメの群れに襲いかかった。
ガレノア率いる自由の国の船団と、ローラシアから派遣された船団である。
自由の国の船団は海域の一カ所に固まり、動くことなく相手の訪れをまっている。それに対してローラシア船団は帆をいっぱいに張って波を蹴立てて、怒濤の勢いで自由の国の船団めがけて突き進んでいる。その勢いのちがいは得物を狙うサメの群れと、その標的とされて恐怖に身を強張らせ、逃げることも出来ない小魚の群れに見えた。
実際、神の視点をもって空から見下ろせば、双方の戦力差は歴然だった。
単純な数だけから言えば自由の国の船団の方が多い。しかし、その多くは小型のガレー船であり、大砲もろくに積んでいない。それに対してローラシア船団は強力な大型船を多数そろえた最新の船団であり、大砲の数は実に二千を超える。このちがいを見れば、誰であれローラシア側の圧勝、自由の国の惨敗を予想するだろう。しかし――。
長年の相棒である『海の女』号の甲板に仁王立ちとなり、迫りつつあるローラシア船団を睨みつけているガレノアは勝利を疑っていなかった。
ニヤリ、と、そんな音が聞こえてきそうなほどの獰猛な笑みを浮かべ、楽しげにしている。その猛気に打たれてか、肩の鸚鵡も盛んに羽をバタつかせている。
自由の国の船団はまず中央に旗艦たる『海の女』号を配置し、その前方に最強戦力たる天命船『輝きは消えず』号。そこには空狩りの行者ただひとりが乗り込んでおり、潮風に自慢のかんざし飾りをシャラシャラ言わせている。
『海の女』号の両翼には自由の国の船団におけるたった二隻の三級艦、プリンス率いる『黒の誇り』号と、〝ブレスト〟の『砂漠の踊り子』号が並んでいる。その他の船は、凸状に並んだこの四隻の左右から後方にかけて、扇形に広がる形で並んでいる。
舌なめずりするガレノアの横には参謀長として灰色の男、ボウが控えている。メリッサは爆砕射の開発者として、その側にいるべく『砂漠の踊り子』号に乗り込んでいる。
空はよく晴れて太陽が輝き、はるか彼方の水平線までもよく見渡すことが出来る。しかし、風は強く、横からの風が吹き付け、船を揺らしている。波も高く、船に乗り慣れていない素人であればたちまち船酔いにかかり、呻きながら寝転がる羽目になりそうなほど。
強い風は帆船にとってはもちろん、操船を難しくするやっかいな要素。しかし、逆にうまく利用することさえ出来れば、いつにない快速で移動することが出来る。操船に絶対の自信をもつ海賊たちにとってはまさに絶好の状況と言える。
もちろん、これは、偶然そうなったわけではない。ガレノアたちが長年の経験から強風の吹く日と海域とを割り出し、ローラシア船団にわざと情報を流すことでこの日、この場におびき寄せたのだ。自らの装備に溺れたローラシア船団は戦場の状況も、船員たちの技量の差も考えず、まんまと誘いに乗ってやってきたというわけだ。
この時点で、自由の国はすでにひとつの勝利をあげていると言えた。それも、最終的な勝敗を左右するきわめて大きな勝利をだ。
「ローラシア船団、接近!」
マスト高くに設置された見張り台の上から水兵の声が降りそそぐ。
さすがに、ガレノアほど自分たちの勝利を確信できないのだろう。唾を飲み、緊張した声だった。それでも、ガレノアに鍛えられているだけあって、自らの役割はまっとうした。
「ローラシア船団、先頭に一二隻の天命船! その後方に一級艦、二級艦からなる本隊一〇隻! 左右両翼に三級艦、四級艦からなる船団が二四隻ずつ! 天命船、速度をあげて接近中! 本隊はその後ろからややゆっくりめに接近! あっ、左右両翼が向きをかえました! 外側に向かって迂回する模様!」
報告のために声を張りあげているうちに自分でも興奮してきたのだろう。望遠鏡を両手に握って目に押しつけ、その身が落ちそうなぐらい見張り台から身を乗り出している。その様子は見ていてハラハラするぐらいのものだった。
その報告を聞いたガレノアはニッと笑った。隣に控える灰色の参謀長を見た。眼帯に包まれていない残された目に率直な賞賛の光があった。
「どうやら、お前の予想通りの攻撃を仕掛けてくるらしいな」
言われて、ボウは重々しくうなずいた。
装備で圧倒的に勝るローラシア船団に小細工する必要はない。まずは、正面から堂々と近づく。そうすることで相手を威圧、防衛本能に身を縛らせ、密集隊形をとらせる。
そこに、強力な天命船一二隻を突撃させ、中央突破。自由の国の船団を左右に分断したところで、迂回路をとった左右両翼がそれぞれに分断された半分の船団に襲いかかる。
戦闘に入ったところで本体が左右いずれか一方に攻撃。さらに、中央突破して後方に走り抜けた天命船も反転攻勢。まずは半分になった相手を三方から押し包み、圧倒的な数の大砲の力をもって一気に殲滅。
その間、残った半分は別働隊が逃がさない程度に相手していればよい。そして、半分を撃破したところで総力をあげて残る半分を包囲し叩きのめす。
単純で、いかにも教科書的な戦法ではあるが、効果的な戦法である。
それが、ボウが予測したローラシア船団の戦術であり事実、ローラシア船団はボウの予想通りの動きを見せている。
「情報によれば……」
ボウがその見た目にふさわしい重々しい声をあげた。
「ローラシア船団の指揮官はダリル伯爵。日頃から酒色に溺れ、ご馳走を食い散らす宴会好きのバカ貴族だ。もちろん、実戦の指揮をしたことなどいままでに一度もない」
「ふん」
ガレノアはむしろ、傷ついたように鼻を鳴らした。
「そんなやつを指揮官に据えて攻撃してくるとは、おれたちも舐められたもんだな」
「そういう問題ではない。ダリル伯爵は大公サトゥルヌスの一族だ。大公としては自分の一族に手柄を立てさせ、自分の立場を盤石なものにしたい。そのための人選だ」
「ふん。それが舐めてるってんだよ。戦う前から勝ったあとのことを考えて指揮官を選ぶなんざよ」
「それが、ローラシアという国だ。万事において貴族同士の駆け引きが優先される」
ボウはかつて、ローラシア海軍で船長を務めていたこともある。ローラシアの内情に関しては自由の国でもっともくわしい。
「だが――」
ボウは、灰色の肌のなかの目を鋭く光らせながらつづけた。
「油断は出来んぞ。お飾りの上級貴族はともかく、現場をあずかる下級貴族や平民出身の下士官たちは決して無能ではない。だからこそ、単純な力押しではなく、教科書通りの堅実な戦術をとってきた」
ボウの言う『教科書通り』とは決して貶し言葉ではない。むしろ、褒め言葉である。教科書に載っているということは、これまでに幾度となく実戦でその有効性が証明されてきた戦い方だということでありその分、つけ込む隙がないという意味なのだから。
「ふん。確かにな」
ガレノアも参謀長の言い分を認めた。
「あの艦隊運動は見事なもんだ。内陸国の連中にしちゃあな。もし、これが、ローラシア船団同士の戦いなら……」
ニヤリ、と、ガレノアはふてぶてしい笑みを浮かべながら言った。
「まちがいなく、やつらの勝ちだ。だがな。おれたちはやつらとはちがう。海の上で生き、海の上で死ぬ生粋の海賊だ。そのちがい、たっぷりと見せてやる」
ガレノアとボウが話をしている間、ローラシア船団の旗艦である『貴族の栄光』号の上でも、指揮官であるダリル伯爵とその幕僚たちの間で似たような会話がなされていた。
「見ろ! 自由の国とやらの船団の姿を! ごちゃごちゃと小舟ばかりが並んでおるわ。まるで、オオカミの群れに襲われるウサギそのままではないか。勝利は疑いないぞ!」
肌身離さずもっている酒瓶を揺すりながら『グワッハッハッ!』と笑うダリル伯爵だった。その笑い方が『豪快』ではなく、『下品』にしか見えないところがガレノアとダリルの『貫禄のちがい』というものだった。
『常に酒瓶を手にしている』という点もガレノアと同じだが、ちがうのはガレノアがどんなに飲んでも酔って正体を失うということがないのに対し、ダリルはいつだって酔っ払って千鳥足の上機嫌、と言うところだった。
幼い頃からの贅沢三昧で体格だけは立派に育ったが全身、脂肪の塊で、筋肉はろくについていない。三〇代半ばの若さでありながらまともに走ることすら出来ないというポンコツである。
剣も、銃も使えず、もちろん、これまでに戦場に出た経験などない。取り柄と言えば始終、酒に酔っているために船酔いの心配がなく、恐怖を感じない、と言うことぐらい。
そんな人物がこの海戦の指揮官に選ばれた理由はただひとつ。
ボウが看破したように、サトゥルヌスの一族であったから。
その一点である。
もし、他の公爵たちの一族が指揮官を務め、勝利を飾ったら当然、その公爵の発言力が増すことになる。それは、大公としてはなんとしても避けたい事態だった。せっかく、大公となって全権を握る立場になったというのに、他の公爵に遠慮して気を使わなければならないのではその甲斐がない。
大公として、その権力を自在に振るいたかったし、他の公爵たちに一方的に命令する立場を堅持したい。そのためには、自分の一族に手柄を立てさせる必要があった。だから、大公の権利を乱用して無理やり一族のものを指揮官に据えたのだ。
実際の能力や経験などは関係なく、ただひたすらに貴族の都合が優先される。
ボウの言ったとおり、それがローラシアという国だった。しかし――。
これも、ボウが言ったとおりだが、その下で働く下級貴族や平民出身の下士官たちは決して無能ではなかった。やっかいな上級貴族たちの扱い方もよく心得ていた。今回も下級貴族からなる幕僚たちが指揮官そっちのけで自分たちで情報を集め、作戦を立案し、ダリルを褒めて、おだてて、その気にさせる、と言うやり方で自分たちの計画した戦術を承知させたのだ。
そうでなければダリルのこと。ただ一言『全軍突撃!』ですませていただろう。そのあとに行われるのは統率のとれた戦闘などではなく、大きさも性能もまったくちがう船が入り乱れての個人的な喧嘩であったにちがいない。それを防ぎ、統率のとれた戦闘に持ち込んだ幕僚たちは確かに有能だった。
そして、その有能な幕僚たちは指揮官の下卑た態度に内心、舌打ちしつつも己の職務をまっとうしようとしていた。
「閣下。油断は禁物です。相手は、数は少なくとも名うての海賊揃い。どんな手を使ってくるかわかりませんぞ」
「かまうな、正面から押しつぶせ! 全軍突撃!」
ダリルは大声で叫んだ。
単純極まりない命令だが、幕僚たちとしてはこの際、この方がありがたい。どうせ、軍学の「ぐ」の字も知らない素人に細かい指示をされたところで迷惑にしかならないのだ。
ローラシア船団は獰猛なサメの群れと化して自由の国の船団に襲いかかった。
ローラシア船団にとって誤算と言えば、標的とした相手が無力な小魚などではなく、クジラをも襲うシャチの群れであったと言うことだろう。
相手が充分に近づいたのを確認すると、ガレノアは甲板を踏みならした。肩の鸚鵡が声高く鳴いた。ガレノアは勢いよく右腕を振りあげた。強風によってあおられる帆のはためく音に勝る大声を張りあげた。
「祭りのはじまりだ! 銅鑼を鳴らせ、旗をあげろ!」
その命令を受けて――。
甲板上に置かれた銅鑼が音高く鳴らされ、戦闘開始を告げる旗が掲げられた。それを見て指示を下したのが『砂漠の踊り子』号船長〝ブレスト〟・ザイナブである。
「撃て」
静かに、しかし、風の精霊の恩寵を受けているかのようによく通る声が流れた。
不安げに見守るメリッサの目の前で砲手が爆砕射を操作する。火薬に火がつけられ、轟音とともに砲弾が撃ち出される。この時代の常識には存在しないまったく新しい砲弾が。
その砲弾は通常の砲弾では考えられないほどの速度と直線軌道をもって先頭を走る天命船に直撃した。轟音を立てて爆発し、炎が弾けた。そのあとに皆が見たもの。それは――。
船体に巨大な穴を空け、為す術もなく沈んでいく天命船の姿だった。
おおおっ、と、自由の国の船員たちが快哉の叫びをあげた。
「すげえっ! 本当に一撃で天命船を沈めたぞ!」
「いいぞおっ! もっとやれ!」
船員たちの騒ぎをよそに、ガレノア、ボウ、プリンス、〝ブレスト〟、メリッサたちはその威力に納得のうなずきをしていた。
自由の国の快哉はローラシア側にとっての衝撃であり、驚愕であり、恐慌でさえあった。
天命船が沈められた。
海の上で無敵を誇るはずの天命船が。
それも、ただ一撃で。
「ば、馬鹿な……!」
常に酒に酔い、すべての感覚が鈍っているダリルでさえ目を見開き、驚愕の声をあげた。
手にしていた酒瓶を落としてしまい、甲板に落ちて、割れて、中身が飛び散り、琥珀色の液体が甲板を濡らした。
「ありえん! なぜだ、どうして、こんなことになる⁉ まだ一〇〇〇メートルはあるぞ。こんな距離で大砲が当たるわけがない! まして、天命船を一撃で沈めるなど……。いったい、なにが起きた⁉」
なにが起きた、とは奇妙な叫びだ。
幕僚たちはそう思った。事実はたったいま、この目で見たとおり。
ローラシアの秘蔵っ子である天命船が敵の一撃で沈められた。
それだけではないか。
とは言え、幕僚たちにしても自分たちの常識ではあり得ない事実を見せつけられて度肝を抜かれたのは同じ。とっさに適切な判断も出来ず、指示も下せず、船団は当初の予定通りに進むしかなかった。そのなかで、虎の子の天命船は次々と沈められていた。
「撃て」
〝ブレスト〟の命令が響き、爆砕射が火を放つ。
撃ち出された砲弾は糸を引くように標的めがけてまっすぐに飛び、着弾と同時に爆発し、強固なはずの天命船の防御を打ち破って海のモクズとかえていく。
そのたびごとに船員たちの叫びが響く。
「うひょお。また一発で沈めたぜ!」
「すげえっ! 無敵じゃねえか。どんどんやれえっ!」
腕を振りあげ、足を踏みならし、歓声をあげる。
その様子はもはや戦場の兵士というより活劇を見守る観客のよう。砲手もその勢いに気をよくしたのだろう。次々と砲弾を撃ち出し、天命船を沈めていく。だが――。
そのなかでただひとり、メリッサだけは不安に表情を曇らせ、ギュッと手を握りしめていた。
――まだ耐久性の検証もされていないのに、あんなに立てつづけに撃ったら……。
その懸念は当たった。
七隻目を沈め、八発目を撃とうとしたそのとき、爆砕射の後ろから『しゅ~』という不吉な音がした。砲弾を装填するための蓋が真っ赤に熱していた。そのことに砲手が気がついたときはもう遅かった。爆砕射は激しい音を立てて爆発していた。
爆風が舞い散り、破片が吹き飛んだ。
メリッサは手で顔を覆いながら悔しそうに叫んだ。
「なんてこと……! たった七発で暴発するなんて……」
「充分だ」
この爆発にも動じることなく〝ブレスト〟は静かに言った。
「相手の接近前に天命船を半数以上、沈められた。立派なものだ。あとは……」
顔を覆う布の隙間からのぞく切れ長の目が冷たく光り、むき出しの胸が飢えたオオカミの顔となった。
「我々の出番だ」
爆砕射が暴発した姿はガレノアにも見えていた。
だからと言ってもちろん、うろたえるようなガレノアではない。もとより、爆砕射の耐久性に不安があることはメリッサから聞かされていた。途中で吹っ飛ぶなど織り込みずみ。
まずは相手の接近前に爆砕射で天命船の数を減らすだけ減らしておいて、そこからが本番。ガレノアにしてみれば計画通りの展開に過ぎない。
ガレノアは獰猛な笑みを浮かべた。甲板を踏みならした。
「さあ、次はおれたちの出番だ! 銅鑼を鳴らせ、旗をかえろ、突撃のときは来たれり!
」命令のままに銅鑼が鳴らされ、全軍突撃を示す旗が掲げられる。
ただひとり、『輝きは消えず』号に乗り込み、先頭に立つ行者があでやかな唇に妖しい笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか。『輝きは消えず』号。君の美しさを見せてあげよう」
その声に応えるかのように『輝きは消えず』号は動き出した。
それを合図とするかのように自由の国の全軍が一斉に動いた。
獰猛にして狡猾、クジラさえも食らう猛々しいシャチの群れがいま、うろたえるサメの群れに襲いかかった。
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