壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第四話二〇章 ……父親だ

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 「お、お前は……!」
 堂々たる体格に短く整えられた頭髪、威厳のある濃い顎髭あごひげ。両の目は商人らしく愛想があるが、その奥には油断ならない計算高さが潜んでいる。熱帯のゴンドワナらしく、白い長衣に青の上衣をまとい、頭にはターバンを乗せている。
 要するに、ゴンドワナの典型的な商人。
 それが、ムスタファ。
 そのムスタファはいま、ロウワンを目の前にして、ロウワン以上に硬直していた。目は限界まで見開かれ、口は開きっぱなしで次の言葉も出てこない。その表情はこれ以上ないほどの驚愕きょうがく強張こわばっている。
 その狼狽ろうばい振り。そして、思わず飛び出した『お前は……!』という言葉。それだけの条件がそろえば、ロウワンの事情を知るものなら誰であれ、ムスタファが何者なのかは察する。
 ビーブ、トウナ、野伏のぶせ。それぞれの視線がロウワンに集中する。だが――。
 「は、はじめまして! 自由の国リバタリアの主催、ロウワンと申します!」
 ロウワンは前に進み出て、食いつかんばかりの勢いで叫んだ。その『誰かが口に開く前に……!』というあわてふためいた態度は、仲間たちの察しを裏付けるのに充分なものだった。
 しかし、ムスタファもさすが、ゴンドワナ評議会に名を連ねるほどの商人。ロウワンの態度から言外の意味をさとり、自分の立場を『公人』として徹底した。
 「こ、これは失礼しました。ロウワンきょう。お初にお目にかかります。私はゴンドワナ評議会の一員で、名をムスタファと申します』
 「ご丁寧に」
 ロウワンはムスタファに向かって頭をさげると、席を勧めた。ビーブやトウナは互いの顔を見合わせたが、この場ではなにも言わなかった。
 ロウワンとムスタファは向かい合わせに席に着いた。それを確認して、謹厳きんげんな老ウエイターがホテル自慢のコーヒーを運んできた。乳白色の、なめらかな陶器の器に満たされた湯気を立てる黒い液体を前に、自由の国リバタリアの主催とゴンドワナ評議会の一員は相対した。その表情はまさに『必死に、自分に公人としての立場を言い聞かせている』人間特有のものだった。
 「……よく、私がここにいることがわかりましたね」
 「……商人にとっては情報が生命ですから」
 「……確かに」
 と、ロウワンはうなずいた。
 ぎこちないやりとりを経て、ロウワンは言った。ふたりとも、口数以上に喉が渇いているはずなのだが、コーヒーに手をつけようとはしない。
 「では、さっそくですが、ご用件を聞かせていただけますか?」
 通常、ゴンドワナ商人がいきなり本題に入ることはない。まずは、美辞びじ麗句れいくを並べたててめちぎり、気分良くさせておいてから本題を切り出す、というのが慣例かんれいである。少なくとも、ゴンドワナ商人の間ではいきなり本題を持ち出すのは『失礼』であり『不作法』だとしてきらわれる。そんなことはムスタファはもちろん、ロウワンだってよく知っている。しかし、そこまでの『演技』をするだけの余裕は、ふたりともさすがになかった。
 「それでは……」
 ムスタファは居住まいを正した。息子の世代の若者相手に、対等の取り引き相手としての態度を貫いている。
 「つい先日、ローラシアから宣戦布告がなされました。そのことはご存じですか?」
 「つい先ほど、聞きました。事実上の降伏勧告であり、服従を求められたと言うのは事実ですか?」
 「事実です。ローラシア大公サトゥルヌスの名において、正式に通達されました。それも、一切の交渉や取り引きに応じない最後通告として」
 「いきなり、最後通告ですか。ずいぶんと極端ですね」
 「はい。まさに青天せいてん霹靂へきれき。あまりにも突然のことなので評議会としても戸惑っております。かと言って、手をこまねいていればみすみす侵略を受けることになるでしょう。そうなれば、我が国単独ではローラシアの軍事力に対抗するのは難しく……」
 「ローラシアはパンゲアにも同時に宣戦布告したと聞いています。と言うことは、それだけの軍事力があると言うことですしね」
 「そのとおりです。我々のつかんでいる情報ではローラシアにそこまでの軍事力はありません。だからこそ、我々は長年にわたり同盟を組み、パンゲアに対抗してきたのです。ですが、ローラシアがここに来て自殺願望に支配されたとは、それ以上に考えられません」
 「ゴンドワナ商人の情報網をもってしてもつかめない戦力がある。そういうことですか」
 「おそらく」
 ロウワンの言葉にムスタファはうなずいた。
 いくらなんでも想像できるはずもない。ローラシアの真の支配者は千年前から生きつづける天詠てんよみの博士はくしたちであり、その千年の間に蓄えた戦力を使って世界を支配しようとしているなどとは。しかし、状況を見ればローラシアに『なにか』の隠し球があることは予想できる。
 「そこで……」
 と、ムスタファは若者の真意を探る目付きになった。
 「ゴンドワナとしては自由の国リバタリアと同盟を組み、事態に対処したいのです。私はそのために派遣されました」
 ロウワンはうなずいた。
 「お話はわかりました。ですが、お答えする前にふたつの点で確認させていただきたい」
 「なんでしょう?」
 「まず、ローラシアが自由の国リバタリアにも宣戦を布告したというのは事実ですか?」
 「事実です。アブドゥバル長海ちょうかいの港から、ローラシアの船団が出撃したことも確認しています」
 アブドゥバル長海ちょうかいとは大陸の西、ローラシアとゴンドワナを隔てる深く、広大な入り江であり、ガンガ、サラスヴァティーと並ぶ三長海ちょうかいのひとつである。
 「ゴンドワナがローラシア船団の出撃を阻止しなかったのは……」
 ムスタファがそう言いかけたのは『ゴンドワナはローラシア船団の出撃を阻止しなかった。つまり、ゴンドワナはローラシアに協力した。自由の国リバタリアに対する敵対行動をとった』と、解釈されるのを怖れたからである。
 しかし、ロウワンはムスタファの言葉をさえぎると、落ち着き払って言った。
 「ご心配には及びません。自由の国リバタリアの海軍は世界最強。指揮を執るのは百戦ひゃくせん錬磨れんまの海賊ガレノア、その補佐をするのはローラシアでも名船長として知られたボウ。配下の船長や船員にも十人力の豪勇がそろっています。かのたちに任せておけば必ず、ローラシア船団を殲滅せんめつしてくれます。あなた方が危険を冒す必要はありません」
 「そう言っていただけて安心しました。もちろん、ローラシア船団に関する詳細な情報は、こちらで調べ尽くした上でガレノア提督宛に送らせていただきました」
 そう付け加えて『恩を売る』ことを忘れないあたり、さすがゴンドワナ商人だった。
 「ありがとうございます。そのお心遣いは忘れません。では、もうひとつ、確認させていただきます。我々はこちらに来る前、ローラシアによっています。そのことはご存じですか?」
 「存じあげております」
 ムスタファは『当然』とばかりに胸を張って答えた。
 世界中に散らばっているゴンドワナ商人。その商人たちが形作る情報網は世界最大にして、最高精度である。
 「では、メルクリウスの乱も?」
 「はい」
 「我々もまた、メルクリウスの乱に関わりました。その際に、サトゥルヌス大公から身分に関わりなく、ローラシアを出たいものは出て行けるという『出国の自由』を取り付けました。今回の件は、その一件と関わりがあるのでしょうか?」
 「そこまではわかりません。今回の件に関してはローラシアの機密保持は徹底しており、我がゴンドワナの情報網をもってしても上層部の動きがまったくつかめていないのです」
 「つまり、関係している可能性もあると言うことですね?」
 「否定は出来ません」
 「わかりました」
 と、ロウワンはうなずいた。
 「我々の行動が今回の件に結びついた可能性がある以上、放っておくわけにはいきません。こちらから、同盟関係を結んでくださるようお願いします」
 「おお、それはありがたい」
 「ですが……」
 「なにか?」
 「失礼ですが、あなたが評議会の一員となったのはごく最近のことかと。そのあなたに、一存で同盟を締結するほどの権限があるのですか?」
 「これは、手厳しい」
 と、ムスタファは言った。かすかに苦笑した様子があった。
 「確かに、私は評議会のなかでは新参者でしてな。実のところ、それが理由でこうして使いに出されたというわけで。私はあくまでも連絡係であって、自由の国リバタリアの主催どのを評議会にお招きするのが役割なのです」
 「では、評議会まで案内してくださるのですね?」
 「もちろんです」
 「同盟の締結はその場において、と言うことですか」
 「そうです。評議会議長ヘイダールが署名します」
 「わかりました。では、そちらの準備がすみ次第、ご連絡ください。我々はいつでも向かえますので」
 「ありがとうございます。では、この場は失礼させていただきます。改めて、迎えをよこしますので」
 「はい」
 ロウワンが短く答えると、ふたりとも気が抜けたように息をつき、肩を落とした。
 ――やっと、終わった。
 そんな安堵の息がもれるのが聞こえるような態度だった。
 ムスタファの姿が見えなくなると、
 「はあ……」
 と、ロウワンは息をついて、椅子の上でクラゲのようにだらけてしまった。そのだらしない姿に、謹厳きんげんな老ウエイターは眉をひそめた。
 「ロウワン」
 と、トウナがさして遠慮するふうでもなく尋ねた。
 「いまの人って……」
 「……ああ」
 と、ロウワンはうなずいた。
 「……おれの父親だ」
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