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第二部 絆ぐ伝説
第四話一五章 大公との対話
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大公邸の謁見の間。
そこはやはり、馬鹿馬鹿しいほどに壮大な部屋だった。
六公爵専用の大広間ほどではないがとにかく、広く、大きく、天井が高い。目につく限りいたるところに贅を凝らした装飾が施されている。華美な上にも華美な飾りを施されたその装飾の数々は、目を開いている限り容赦なく目のなかに飛び込んでくる。チカチカと目の痛む刺激を与えてくる。それはもはや『目を楽しませる』などと言う次元ではなく、視覚に対する暴力そのものに他ならない。
自らの冨と権勢をこれでもかとばかりに相手に見せつけ威圧する。それを目的としたこれ見よがしな作りは、華美をきらい、さげなさのなかに美を求める野伏や行者の『粋』とは対極にあるもので、このふたりがこの間にいれば、その俗悪な精神に対する無言の抗議として、ずっと目を閉じているにちがいない。そして、この間の主人たるローラシアの貴族たちは、そんな態度を『自分の威に打たれて目を開けられないのだ』と解釈し、悦に入るのだ。それが、ローラシア貴族というものだった。
ともかく、その謁見の間にロウワンとビーブ、それに、トウナはやってきていた。ひざまずくロウワンたちの前、床が一段、高くなった場所に椅子が並び、その上に大公サトゥルヌスと、メルクリウスをのぞく四人の公爵が座している。わざわざ床を一段、持ちあげているところに『きさまら、下賤のものは、我々とは存在がちがうのだ。そのことをわきまえよ』という無言の圧力が込められている。
謁見の間の左右の壁の前には肩に小銃を担ぎ、サーベルを佩いた衛兵たちが並んでいる。いずれも顔立ちがよく、体型も均整がとれている。背の低いもの、痩せすぎのもの、太りすぎのものなどはひとりもいない。そんな兵士たちが軍服に身を固め、直立不動の姿勢で並んでいるのだ。年頃の女性たちが見ればキャアキャア騒ぐような、そんな見目麗しい姿であることはまちがいない。
大公邸のなかで六公爵を守るという最高の栄誉を担っているだけあって、この衛兵たちはローラシア軍のなかでも精鋭中の精鋭、つまり、その全員が家柄と見た目で選ばれた貴族の子弟であり、公邸の飾り人形、と言う意味である。実際、装備ばかりは立派だが、実戦に参加したことは一度もない。
例えば、ロゼウィック男爵のもとで最前線のイスカンダル城塞群を守っていた現場の部隊と比べれば、軍隊と言うこともできないような素人集団。
生前のロゼウィック男爵はこの衛兵たちの姿を皮肉ってよく言っていたものだ。もちろん、上流貴族たちに聞かれないようにだが。
「直立不動の見目麗しい姿がほしいならそれこそ、人形に軍服を着せて立たせておけばいいのだ。そうすれば、決して動かんぞ」
ともかく、そんな場所にロウワンたちはやってきている。大公との謁見の場ということで当然、武器はもっていない。入室する前にとりあげられている。ロウワンも両腰に差しているカトラスはもちろん、普段なら決して手放すことはない〝鬼〟の大刀さえ預け、完全な丸腰である。
野伏がこの場にいないのは、太刀を渡すよう要求された際『この太刀はおれそのもの、おれの生命だ。手放すわけにはいかん』と、あくまでも拒否したからである。そのため、謁見の間どころか大公邸そのものに入ることを許可されず、表でまっている。己の生命と呼ぶ太刀をその腰に差したまま。
一方、ビーブがこの場にいられるのは侮蔑が徹底していたからである。
「誇り高きローラシア貴族ともあろうものが動物など相手に出来るか!」
とばかりに、大公邸の誰もが見て見ぬ振り。そこにいないものとして扱った。おかげでビーブは無人の野を行くがごとく。いつも通り、堂々と抜き身のカトラスを尻尾に握り、この場に列席していられる。大公サトゥルヌスをはじめとする六公爵もビーブの存在を気にしていることはまちがいないのだがなにぶん、貴族意識の権化とも言うべき六公爵である。
『下賤な動物ごとき、相手に出来るか!』と、やはり見て見ぬ振り。
ビーブはそれに対する意趣返しか、この際、からかってやろうとの思惑からか、その場でやりたい放題。目の下に指をついて、思いきり舌を出して『あっかんべー』したり、尻を向けてお尻ペンペンしたりと、悪ふざけを連発。それを見ている衛兵たちは、こらえようとしてもこらえきれずに身を震わせたり、吹き出したりしている。
六公爵もこのときばかりはロゼウィック男爵がよく言っていたように、人形に軍服を着させて並べておけばよかったと思ったかも知れない。とは言え、ビーブの姿が目に入るのは六公爵も同じこと。しかし、『公爵』という立場上、衛兵たちのように表に出すわけにはいかない。ビーブの悪ふざけの連発におかしいやら、腹立たしいやら、あれこれと感情を刺激されはするのだが、公爵たるの矜持に懸けて威厳を保たなければならない、と、無理やり無視を決め込もうとしている。
とは言え、どうしてもその姿は目に入る。表情が動く。それを無理やり押さえ込もうと身じろぎする。必死に平静を装おうと身もだえするその姿は、先客に占拠されているトイレの前で便意を必死にこらえる人間を見るのと同じぐらい笑えるものだった。
ロウワンにしても、トウナにしても、気位の高い貴族たちがその気位の高さゆえにそんな姿をさらさなければならないという皮肉には心が躍った。ずっと見ていてやりたいぐらいだった。
とは言え、今回は自由の国の代表として交渉に来ているのである。いつまでも、身もだえする年寄りたちを見て楽しんでいるわけにもいかない。公爵たちが平静を装おうとするのに必死で声をかけることもできないようなので、ロウワンの方から語りかけた。
「拝謁をお許しいただき、恐悦至極に存じます。サトゥルヌス大公閣下。自由の国の主催、ロウワンと申します」
ゴンドワナ商人の息子として生まれ、幼少の頃から商業用の口上を叩き込まれたロウワンである。この程度のご機嫌とりはする。
「う、うむ……」
ロウワンに言われてようやく、この場が会見の場であることを思い出したのだろう。大公サトゥルヌスは自慢の鷲鼻をうごめかせて返事をした。
「きさまが自由の国の主催とやらか」
「はい」
ロウワンは素直に返事をした。
サトゥルヌスが名前ではなく『自由の国の主催』という呼び方をしたのは、『きさまごときを同格などと認めてたまるか!』という明確な意思表示であった。ロウワンもそのことは感じとったが、それで気分を害するようなロウワンではない。大切なのは目的を遂げることであって、自分の矜持や名誉などではないことをよく知っていた。この場にはあくまでも『ロウワン』という『個人』としてではなく『自由の国の主催』という『公人』としてきているのだ。その立場さえ認識されていればそれでいい。
「して、その自由の国の主催とやらがなんの用だ?」
「実は、その点で迷っております」
「なに?」
「我々、自由の国の目的は人と人の争いをなくすこと。そのために、すべての国との友好を求めております。しかしながら、ローラシアは徹底した身分制度の国。身分制度をもたない自由の国とは相容れない存在であり……」
「ふん」
と、サトゥルヌスは大きな鷲鼻を鳴らしてロウワンの言葉を遮った。
「なにを言い出すかと思えば。現実を知らぬ平等主義者か。よいか。人には生まれながらに上下の差があるのだ。上に生まれたものは下のものを率い、下に生まれたものは上のものに従う。それでこそ世の秩序は保たれ、民も皆、幸福に暮らせるのだ。我らと友好を結びたいと言うならまず、その現実をわきまえよ」
「あんたたちが上だなんて、誰が決めたのよ」
と、トウナが口に出して言わず、胸のなかだけに収めたのは成長したと言うべきだろう。ロウワンと出会う前のトウナであれば思わずそう口走ったあげく、実力行使にさえ出ていたかも知れない。
実際、鍛錬ひとつせずに贅沢三昧の暮らしにふけっている年寄りたちなど、トウナであれば簡単にぶちのめし、蹴り倒し、這いつくばったところをグルグル巻きにしてやれる。
そのはるか手前で踏みとどまったのはトウナ自身がタラの島の長として、商人たちとのやりとりを学んでいたからである。
「人に、生まれながらの差があることは否定しません」
ロウワンはそう答えた。
サトゥルヌスの言い草に腹を立てたのはロウワンも同じだが、その怒りをすぐに表に出して交渉を台無しにするほど、ゴンドワナ商人の息子は単純ではない。
「しかし、それは、あくまでも個々の人間の間のこと。身分や階級は関係ありますまい。自分はゴンドワナの出身です。かの国においては金こそが正義。財産があるものほど偉い。それが常識。ですが、金持ちのなかにも腐った人間はいました。貧乏人のなかにも家族を抱え、日々を懸命に生きている高潔な人物はいました。人の上下は身分で示されるものではありません。ローラシアも同じではないのですか? 『下賤』とされる平民や奴隷のなかにも、その精神においては貴族そこのけという人物は確かにいることでしょう」
「きさま! 我ら大貴族を奴隷と同じと申すか⁉」
「奴隷のなかにも、その魂においては貴族と呼べるものがいる。そう申しあげております」
「同じことだ! なんたる侮辱、なんたる不愉快! これ以上、我らの名誉を汚すとあればその舌、引きちぎって魚の餌にしてくれるぞ!」
「では、どうあっても身分制度を改める気はないと?」
「身分制度は『改める』などと言う対象ではない。それは、この世の真理だ」
「亡道の司との戦いはいかがいたします?」
「なに?」
「千年前の戦いのことはご存じでしょう。その戦いがいま再び、迫りつつあります。対処するためには、各国との連携が不可欠と考えますが?」
「なにが、亡道の司か。何者であろうと、我らローラシア貴族の栄光は汚せん。他国との関係など必要ない」
「対パンゲアと言うことでは、ゴンドワナと同盟を組んでいるはずですが?」
「あれは、やつらが泣きついてくるから守ってやっているだけだ。パンゲアの侵略を阻んでいるのは我らローラシアだ。ゴンドワナの腰抜けたちは、我らに守られてコソコソと奇襲をかけるだけ。『同盟』などと申す関係ではないわ」
――なるほど。ゴンドワナ商人の甘言を真に受けているわけか。
ロウワンはそう察した。
商売を有利に進めるために相手を褒めて、おだてて、持ちあげて、良い気分にさせる。そんなことはゴンドワナ商人であれば当たり前。生まれてすぐに親に教えられることだ。
外交においても同じ。ゴンドワナの外交官はローラシア貴族相手にさんざんへりくだって見せて、ご機嫌取りをしているのだろう。ローラシアをパンゲアの侵略からの盾として利用するために。サトゥルヌスはその態度を真に受けてゴンドワナの申し出を『服従』と思い込んでいるわけだ。
――それが、ローラシアとゴンドワナの同盟が長続きしている理由か。
ロウワンはそう納得した。
もちろん、ゴンドワナはにこやかな笑みの下で、
――この程度のおべっかでその気になる輩は、その程度に扱っておけばよいのだ。
と、腹のなかで舌を出しながら嘲っているにちがいないのだが。
――しかし、これはどうしようか。
ロウワンは心のなかで迷った。
亡道の司との戦いが迫っているなか、人間同士の争いなどしたくはない。しかし、サトゥルヌスの選民思想の強固さと単純さは予想以上。ここはひとつ、ゴンドワナを見習って徹底的にへりくだり、おだてあげ、利用しようか?
しかし、それでは、ローラシアの奴隷制を容認するのも同じ。それでは、自由の国の理念に反する。とすると、ローラシアとの関係はあきらめるべきか?
ロウワンがその判断に迷ったときだ。
突然、部屋の外で大きな音がした。
何事か⁉
と、全員が扉の方を向いたとき、その扉が開いて、ひとりの官僚が泡を食って飛び込んできた。
「た、たたたた大変です、ペニン公爵メルクリウスが謀反を起こしました!」
その言葉に――。
ロウワン、ビーブ、トウナは一斉に立ちあがった。
そこはやはり、馬鹿馬鹿しいほどに壮大な部屋だった。
六公爵専用の大広間ほどではないがとにかく、広く、大きく、天井が高い。目につく限りいたるところに贅を凝らした装飾が施されている。華美な上にも華美な飾りを施されたその装飾の数々は、目を開いている限り容赦なく目のなかに飛び込んでくる。チカチカと目の痛む刺激を与えてくる。それはもはや『目を楽しませる』などと言う次元ではなく、視覚に対する暴力そのものに他ならない。
自らの冨と権勢をこれでもかとばかりに相手に見せつけ威圧する。それを目的としたこれ見よがしな作りは、華美をきらい、さげなさのなかに美を求める野伏や行者の『粋』とは対極にあるもので、このふたりがこの間にいれば、その俗悪な精神に対する無言の抗議として、ずっと目を閉じているにちがいない。そして、この間の主人たるローラシアの貴族たちは、そんな態度を『自分の威に打たれて目を開けられないのだ』と解釈し、悦に入るのだ。それが、ローラシア貴族というものだった。
ともかく、その謁見の間にロウワンとビーブ、それに、トウナはやってきていた。ひざまずくロウワンたちの前、床が一段、高くなった場所に椅子が並び、その上に大公サトゥルヌスと、メルクリウスをのぞく四人の公爵が座している。わざわざ床を一段、持ちあげているところに『きさまら、下賤のものは、我々とは存在がちがうのだ。そのことをわきまえよ』という無言の圧力が込められている。
謁見の間の左右の壁の前には肩に小銃を担ぎ、サーベルを佩いた衛兵たちが並んでいる。いずれも顔立ちがよく、体型も均整がとれている。背の低いもの、痩せすぎのもの、太りすぎのものなどはひとりもいない。そんな兵士たちが軍服に身を固め、直立不動の姿勢で並んでいるのだ。年頃の女性たちが見ればキャアキャア騒ぐような、そんな見目麗しい姿であることはまちがいない。
大公邸のなかで六公爵を守るという最高の栄誉を担っているだけあって、この衛兵たちはローラシア軍のなかでも精鋭中の精鋭、つまり、その全員が家柄と見た目で選ばれた貴族の子弟であり、公邸の飾り人形、と言う意味である。実際、装備ばかりは立派だが、実戦に参加したことは一度もない。
例えば、ロゼウィック男爵のもとで最前線のイスカンダル城塞群を守っていた現場の部隊と比べれば、軍隊と言うこともできないような素人集団。
生前のロゼウィック男爵はこの衛兵たちの姿を皮肉ってよく言っていたものだ。もちろん、上流貴族たちに聞かれないようにだが。
「直立不動の見目麗しい姿がほしいならそれこそ、人形に軍服を着せて立たせておけばいいのだ。そうすれば、決して動かんぞ」
ともかく、そんな場所にロウワンたちはやってきている。大公との謁見の場ということで当然、武器はもっていない。入室する前にとりあげられている。ロウワンも両腰に差しているカトラスはもちろん、普段なら決して手放すことはない〝鬼〟の大刀さえ預け、完全な丸腰である。
野伏がこの場にいないのは、太刀を渡すよう要求された際『この太刀はおれそのもの、おれの生命だ。手放すわけにはいかん』と、あくまでも拒否したからである。そのため、謁見の間どころか大公邸そのものに入ることを許可されず、表でまっている。己の生命と呼ぶ太刀をその腰に差したまま。
一方、ビーブがこの場にいられるのは侮蔑が徹底していたからである。
「誇り高きローラシア貴族ともあろうものが動物など相手に出来るか!」
とばかりに、大公邸の誰もが見て見ぬ振り。そこにいないものとして扱った。おかげでビーブは無人の野を行くがごとく。いつも通り、堂々と抜き身のカトラスを尻尾に握り、この場に列席していられる。大公サトゥルヌスをはじめとする六公爵もビーブの存在を気にしていることはまちがいないのだがなにぶん、貴族意識の権化とも言うべき六公爵である。
『下賤な動物ごとき、相手に出来るか!』と、やはり見て見ぬ振り。
ビーブはそれに対する意趣返しか、この際、からかってやろうとの思惑からか、その場でやりたい放題。目の下に指をついて、思いきり舌を出して『あっかんべー』したり、尻を向けてお尻ペンペンしたりと、悪ふざけを連発。それを見ている衛兵たちは、こらえようとしてもこらえきれずに身を震わせたり、吹き出したりしている。
六公爵もこのときばかりはロゼウィック男爵がよく言っていたように、人形に軍服を着させて並べておけばよかったと思ったかも知れない。とは言え、ビーブの姿が目に入るのは六公爵も同じこと。しかし、『公爵』という立場上、衛兵たちのように表に出すわけにはいかない。ビーブの悪ふざけの連発におかしいやら、腹立たしいやら、あれこれと感情を刺激されはするのだが、公爵たるの矜持に懸けて威厳を保たなければならない、と、無理やり無視を決め込もうとしている。
とは言え、どうしてもその姿は目に入る。表情が動く。それを無理やり押さえ込もうと身じろぎする。必死に平静を装おうと身もだえするその姿は、先客に占拠されているトイレの前で便意を必死にこらえる人間を見るのと同じぐらい笑えるものだった。
ロウワンにしても、トウナにしても、気位の高い貴族たちがその気位の高さゆえにそんな姿をさらさなければならないという皮肉には心が躍った。ずっと見ていてやりたいぐらいだった。
とは言え、今回は自由の国の代表として交渉に来ているのである。いつまでも、身もだえする年寄りたちを見て楽しんでいるわけにもいかない。公爵たちが平静を装おうとするのに必死で声をかけることもできないようなので、ロウワンの方から語りかけた。
「拝謁をお許しいただき、恐悦至極に存じます。サトゥルヌス大公閣下。自由の国の主催、ロウワンと申します」
ゴンドワナ商人の息子として生まれ、幼少の頃から商業用の口上を叩き込まれたロウワンである。この程度のご機嫌とりはする。
「う、うむ……」
ロウワンに言われてようやく、この場が会見の場であることを思い出したのだろう。大公サトゥルヌスは自慢の鷲鼻をうごめかせて返事をした。
「きさまが自由の国の主催とやらか」
「はい」
ロウワンは素直に返事をした。
サトゥルヌスが名前ではなく『自由の国の主催』という呼び方をしたのは、『きさまごときを同格などと認めてたまるか!』という明確な意思表示であった。ロウワンもそのことは感じとったが、それで気分を害するようなロウワンではない。大切なのは目的を遂げることであって、自分の矜持や名誉などではないことをよく知っていた。この場にはあくまでも『ロウワン』という『個人』としてではなく『自由の国の主催』という『公人』としてきているのだ。その立場さえ認識されていればそれでいい。
「して、その自由の国の主催とやらがなんの用だ?」
「実は、その点で迷っております」
「なに?」
「我々、自由の国の目的は人と人の争いをなくすこと。そのために、すべての国との友好を求めております。しかしながら、ローラシアは徹底した身分制度の国。身分制度をもたない自由の国とは相容れない存在であり……」
「ふん」
と、サトゥルヌスは大きな鷲鼻を鳴らしてロウワンの言葉を遮った。
「なにを言い出すかと思えば。現実を知らぬ平等主義者か。よいか。人には生まれながらに上下の差があるのだ。上に生まれたものは下のものを率い、下に生まれたものは上のものに従う。それでこそ世の秩序は保たれ、民も皆、幸福に暮らせるのだ。我らと友好を結びたいと言うならまず、その現実をわきまえよ」
「あんたたちが上だなんて、誰が決めたのよ」
と、トウナが口に出して言わず、胸のなかだけに収めたのは成長したと言うべきだろう。ロウワンと出会う前のトウナであれば思わずそう口走ったあげく、実力行使にさえ出ていたかも知れない。
実際、鍛錬ひとつせずに贅沢三昧の暮らしにふけっている年寄りたちなど、トウナであれば簡単にぶちのめし、蹴り倒し、這いつくばったところをグルグル巻きにしてやれる。
そのはるか手前で踏みとどまったのはトウナ自身がタラの島の長として、商人たちとのやりとりを学んでいたからである。
「人に、生まれながらの差があることは否定しません」
ロウワンはそう答えた。
サトゥルヌスの言い草に腹を立てたのはロウワンも同じだが、その怒りをすぐに表に出して交渉を台無しにするほど、ゴンドワナ商人の息子は単純ではない。
「しかし、それは、あくまでも個々の人間の間のこと。身分や階級は関係ありますまい。自分はゴンドワナの出身です。かの国においては金こそが正義。財産があるものほど偉い。それが常識。ですが、金持ちのなかにも腐った人間はいました。貧乏人のなかにも家族を抱え、日々を懸命に生きている高潔な人物はいました。人の上下は身分で示されるものではありません。ローラシアも同じではないのですか? 『下賤』とされる平民や奴隷のなかにも、その精神においては貴族そこのけという人物は確かにいることでしょう」
「きさま! 我ら大貴族を奴隷と同じと申すか⁉」
「奴隷のなかにも、その魂においては貴族と呼べるものがいる。そう申しあげております」
「同じことだ! なんたる侮辱、なんたる不愉快! これ以上、我らの名誉を汚すとあればその舌、引きちぎって魚の餌にしてくれるぞ!」
「では、どうあっても身分制度を改める気はないと?」
「身分制度は『改める』などと言う対象ではない。それは、この世の真理だ」
「亡道の司との戦いはいかがいたします?」
「なに?」
「千年前の戦いのことはご存じでしょう。その戦いがいま再び、迫りつつあります。対処するためには、各国との連携が不可欠と考えますが?」
「なにが、亡道の司か。何者であろうと、我らローラシア貴族の栄光は汚せん。他国との関係など必要ない」
「対パンゲアと言うことでは、ゴンドワナと同盟を組んでいるはずですが?」
「あれは、やつらが泣きついてくるから守ってやっているだけだ。パンゲアの侵略を阻んでいるのは我らローラシアだ。ゴンドワナの腰抜けたちは、我らに守られてコソコソと奇襲をかけるだけ。『同盟』などと申す関係ではないわ」
――なるほど。ゴンドワナ商人の甘言を真に受けているわけか。
ロウワンはそう察した。
商売を有利に進めるために相手を褒めて、おだてて、持ちあげて、良い気分にさせる。そんなことはゴンドワナ商人であれば当たり前。生まれてすぐに親に教えられることだ。
外交においても同じ。ゴンドワナの外交官はローラシア貴族相手にさんざんへりくだって見せて、ご機嫌取りをしているのだろう。ローラシアをパンゲアの侵略からの盾として利用するために。サトゥルヌスはその態度を真に受けてゴンドワナの申し出を『服従』と思い込んでいるわけだ。
――それが、ローラシアとゴンドワナの同盟が長続きしている理由か。
ロウワンはそう納得した。
もちろん、ゴンドワナはにこやかな笑みの下で、
――この程度のおべっかでその気になる輩は、その程度に扱っておけばよいのだ。
と、腹のなかで舌を出しながら嘲っているにちがいないのだが。
――しかし、これはどうしようか。
ロウワンは心のなかで迷った。
亡道の司との戦いが迫っているなか、人間同士の争いなどしたくはない。しかし、サトゥルヌスの選民思想の強固さと単純さは予想以上。ここはひとつ、ゴンドワナを見習って徹底的にへりくだり、おだてあげ、利用しようか?
しかし、それでは、ローラシアの奴隷制を容認するのも同じ。それでは、自由の国の理念に反する。とすると、ローラシアとの関係はあきらめるべきか?
ロウワンがその判断に迷ったときだ。
突然、部屋の外で大きな音がした。
何事か⁉
と、全員が扉の方を向いたとき、その扉が開いて、ひとりの官僚が泡を食って飛び込んできた。
「た、たたたた大変です、ペニン公爵メルクリウスが謀反を起こしました!」
その言葉に――。
ロウワン、ビーブ、トウナは一斉に立ちあがった。
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