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第二部 絆ぐ伝説
第四話六章 特別な囚人
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「アイヴィー! なんで、あなたがここにいるんだ⁉」
ロウワンは驚きのあまり、叫んだ。
もちろん、その驚きはその場にいる全員の共有するものだった。ビーブとトウナは目も口も見開き、唖然としているし、野伏でさえ、必死に無表情を保とうとしているようだが驚きを隠し通せていない。
かの人たちの驚きは二重のものだった。ひとつは単純に、教皇の部屋にアイヴィーがいること。もうひとつは、
――かの人は、本当にアイヴィーなのか?
その思いだった。
たしかに姿形は同じなのだ。
同じ顔。
同じ体型。
しかし、全体から受ける印象がまったくちがう。
いまのアイヴィーは天帰教のシスター服ではなく、おそらく、私的な部屋着だろう。淡い若草色のドレスをまとっている。決して華美なものではなく、シンプルでクラシックななデザイン。それだけに時代を超えた品の良さが感じられ、若い女性の素の魅力を引き出している。
この場に行者がいればきっと、こう言っていただろう。
「あえて過剰な修飾を廃し、素材の良さを引き立てることに徹したデザイン。粋だ」
その表情も態度も、共に落ち着き払った淑女のもので、ヌーナで出会ったあのガチャガチャした性格のシスターと同一人物とはとても思えない。
――実は双子の姉とか?
そんなことまで思ったし、そう言われていた方が納得していただろう。だが――。
目の前の女性の発した一言が、そうではないことを全員に知らしめた。
「久しぶりですね、ロウワン。あのときはお世話になりました。ビーブ、トウナ、野伏も壮健そうでなによりです」
「アイヴィー。やっぱり、あなたはアイヴィーなんだな。どうして、シスターであるあなたがここにいるんだ? ここは教皇猊下のお部屋だろう?」
言われてアイヴィーはドレスの裾をちょっとつまみ、片脚を後ろに引いて優雅なカーテシーを披露した。あまりに堂に入ったその仕種に、ロウワンやトウナは思わずお辞儀を返してしまった。
「騙してしまった形になったことはお詫びします。わたしがパンゲアの教皇アルヴィルダです」
「あ、あなたが……?」
「どういうこと?」
「キキキッ?」
ロウワン、トウナ、ビーブが口々に尋ねる。野伏はひとり唇を引き結び無言で、教皇を名乗る旧知の女性を見つめている。監視していると言ってもいい。
「あのときは、各地の視察のためにお忍びで行動していたものですから」
「お忍びって……パンゲアの教皇猊下ともあろう方がたったひとりで?」
「はい」
と、アイヴィーこと教皇アルヴィルダは当然のように答えた。その泰然自若の見本とも言うべき態度には、野伏でさえ内心で舌を巻いたほどだった。
ロウワンとしては、にわかには信じられないことだった。わずかな間とはいえ一緒に旅をした女性が実は、大陸最強国家の最高指導者だったなどとは。とは言え――。
――あのときから、たしかに違和感はあったな。
なにしろ、ロウワンでさえ息を切らすほどの険しい山道を、一時も休むことなく喋り倒しながら平然と歩きつづけていたのだ。とてもではないが、教会で暮らすシスターの体力とは思えなかった。
――パンゲアの教皇は代々、天命の理によってその知識と技を次代の教皇に伝えている、か。あの体力もそのひとつだったのか?
そう思えば、たしかに納得が出来る。
ひとりで行動していたのもそれができるだけの実力があればこそ、なのだろう。
「で、でも、あのときとはずいぶん様子がちがうような……」
「あのときはあのとき。いまは『教皇アルヴィルダ』としてお会いしていますから」
トウナの言葉に、教皇アルヴィルダはそう答えた。
ロウワンはうなずいた。
居住まいを正し、右拳を胸に当てて敬意を示した。
「わかりました。では、僕たちも教皇猊下として話をさせていただきます」
「さすが、ロウワン。話が早くて助かります」
そう言って――。
アルヴィルダはニッコリと微笑んだ。
そして、会見ははじまった。
始祖国家パンゲアの最高指導者と新興勢力の主催。
非公式であっても大陸の、いや、世界そのものの運命を左右しうる重大な会見だった。
一同が席に着いたテーブルの上には茶菓子はおろか、湯気を立てるティーカップひとつない。アルヴィルダは茶を運ばせようとはしなかったし、ロウワンももちろん催促したりはしなかった。そのことが、両者の本気度を感じさせた。
「教皇アルヴィルダ猊下。自由の国主催ロウワン。単刀直入に聞かせていただきます」
「どうぞ」
と、アルヴィルダは答えた。
ロウワンがなにを尋ねてくるか、正確に予想している声であり、表情だった。
「なぜ、ローラシア、ゴンドワナ両国に侵攻したのですか?」
「世界平和のためです」
「平和のために戦争を起こしたって言うの⁉」
トウナが思わず叫んでしまい、あわてて口を押さえる。
ゴンドワナ商人の息子として、幼い頃から礼儀――と、ついでに商売用の口上――を教育されてきたロウワンとちがい、トウナは小さな島の、小さな居留地の出身。しかも、島長の孫。敬語を使う機会などあるはずもない。長となってからは、外部の人間と話すときには気をつけているのだが興奮するとすぐに地が出る。
トウナは真っ赤になって恥じ入った。場合が場合なら不敬罪でその場で首を刎ねられても文句を言えないところである。しかし、アルヴィルダは気にした様子もなかった。年下の少女の目を見据え、これ以上ないほどの真剣な表情で答えた。
「トウナ。あなたもその目で見たでしょう。ヌーナの人々が元首の人選を巡って争っていることを。それに……」
チラリ、と、野伏を見やってからつづけた。
「野伏と鬼の戦いを。あれが、この世界で起きていることです。この世界にはあまりにも多くの価値観、あまりにも多くの思想があり、そのちがいが争いの原因となっています。だからこそ、この世から争いをなくすためには、神の教えのもと人々の思いをひとつにしなくてはならないのです」
「そ、それじゃ本当に……戦争をなくすために戦争を起こしたと?」
「そうです」
きっぱりと――。
アルヴィルダは言い切った。
そう言ったときのアルヴィルダには崇高なまでの誇りが満ちており、その言葉に一片の嘘偽りもないことは明らかだった。
答えたのはロウワンだった。
「この世から戦争をなくす。その目的には一も二もなく賛成します。僕自身、トウナの島を襲った海賊たちを殺した。そのとき、誓いました。『人を守るために人を殺さなくてはならない世界なんて、かえてやる』と。そのときから、僕の目的は人と人の争いを終わらせることになりました」
「では、わたしたちは同志。そう思って良いのですか?」
「目的においてはまちがいなく同志です。ですが、手段についてはそうはいきません」
「と、言いますと?」
「僕は師であるハルキスから教わりました。
『人間は共存という言葉の意味を誤解している。自然界における共存とは一緒に棲むことではない。一緒に棲まなくていいよう棲み分けることだ。すべての生物に同じ暮らしをさせようとすれば結局、一種類の生物しか生きられなくなる』
ハルキスの教えのもと、僕は都市網国家を作りあげることとしました」
「都市網国家については聞き及んでいます。『誰もが自分の望む暮らしを作りあげられる世界』でしたね」
「より正確には『誰もが自分の望む暮らしを作れるようにすることで、人と人が争う必要をなくした世界』です。都市網国家を目指す僕の立場からすれば、すべてをひとつにしようとするパンゲアのやり方はとうてい、受け入れられません」
「恐ろしいことです。都市網国家のやり方では、すべての人間がバラバラになってしまう。バラバラになった人と人は際限なく殺しあうことでしょう。ロウワン。あなたは争いに満ちたこの世界にさらなる争いを招こうとしているのですよ」
「ピーチパイはお好きですか?」
「ピーチパイ?」
「ピーチパイを食べて『おいしい』と思う心にちがいはない。では、ピーチパイを食べて『おいしい』と思わない人は人間ではないのですか? そして、世の中にはたしかに、甘い物を好まない人はいるのです。
同じ人間。
同じ人類。
人間は、その言葉を繰り返しながら争いをつづけてきた。
同じ人間。
そう思うからこそ、自分とちがう人間が許せなくなる。自分とちがうものは人間ではないと思うようになる。そうして、争いをつづけてきたのです。
ならば、もういい加減、ちがうやり方を試してみてもいい頃です」
「それが『都市網国家』だと言うのですか?」
「『ちがうやり方』のひとつです」
ロウワンはそういう答え方をした。
「人間はみな、ちがう。同じ人間など、どこにもいない。パンゲア人も、ローラシア人も存在しない。いるのはただ個々の人間だけ。その前提のもとに立つことで、人と人はちがって当たり前と認識し、そのちがいを受け入れる。そして、ちがうなかに同じ部分を見出すことで仲間意識を育む。そんなやり方を試してみてもいいでしょう」
ロウワンとアルヴィルダ。
ふたりは真っ向から視線を交わし、自らの思いをぶつけあう。
ビーブも、トウナも、野伏も、誰も一言も発しない。立ち入ろうとしない。
歴史と伝統を背負って立つ教皇と、新しい世界を築こうとする若者の対話。
それは、余人が割って入れるようなものではなかった。
「では、ロウワン」
アルヴィルダは覚悟を秘めた声で尋ねた。
「あなたは、自由の国は、我がパンゲアと戦うと言うのですか?」
「いいえ。僕はパンゲアはもちろん、他のどの国、どの勢力とも戦うことは望みません。ただ、都市網国家の理念を受け入れていただきたいだけです。
世界をひとつに。
あなたの、パンゲアのその理念を否定はしません。ですが、どうか、それを望まない人にまで押しつけないでください。その理念を共有する人だけを集め、それ以外の人には関わらないでください。
パンゲアの理念が正しいならば、パンゲアはまちがいなく世界一の繁栄を迎えるでしょう。それを見れば人は真似る。誰しも、幸せな人生を送りたいのですから。
戦争などに頼らなくても、パンゲアがその理念のもと世界一幸せな国となれば、パンゲアの理念は自然に広まる。その道を選んでいただきたいのです」
そうすれば、僕たちは争う必要はないのです。
ロウワンはそう告げた。だが――。
アルヴィルダは首を横に振った。
「そして、他の国の人々が争い、殺しあうのを見て見ぬ振りをしろと? 出来ません。わたしには神の教えの体現者として、地上における代理人として、すべての人間に幸せを与える責任があるのです」
「なぜ、他の国が争い、殺しあうと決めつけるのです?」
「現に、殺しあっているではありませんか」
「その殺しあいをはじめたのは、パンゲアです」
がっちりと――。
ふたりの視線が絡みあい、衝突した。
「亡道の司はどうするのです?」
ロウワンはそう尋ねた。
「亡道の司?」
「パンゲアはもともと、騎士マークスが作りあげた人類騎士団が発展した国。亡道の司と、その戦いについてもご存じのはず。そして、前回の戦いから数えれば、亡道の司はすでにこの世界に出現しているはず。新たな戦いが迫っているというのに、人間同士で争っていてどう立ち向かうと言うのです?」
「小さなことです」
「なっ……⁉」
「亡道の司がなんだと言うのです。しょせん、千年前の人類に敗れた相手ではありませんか。そんな相手を怖れて、現実の悲劇を見過ごしてどうするのです」
「その勝利のために、どれほどの犠牲を払ったと思っているのです⁉」
「戦争の犠牲になるのはいいのですか⁉」
アルヴィルダはそう一喝した。
「千年前の戦いのあと、世界はどうなりました? 最初の頃こそ復興のために手を取りあった。協力しあった。ですが、そんな心はすぐに忘れ、人類は人間同士で争いはじめた。この五〇〇年、人類は同じ人間同士で殺しあってきたのです。
そんな悲劇は終わらせなくてはなりません。そのために、神の教えのもと、人の心をひとつにする。その目的の前には亡道の司など論ずるにも足りません」
「では、どうあっても戦争をつづけると?」
「もちろんです」
「どうあっても、パンゲアの、天帰教の教えに従いたくないという人がいたら?」
「殺します」
きっぱりと――。
アルヴィルダはそう言いきった。
「人の心をひとつにするためには異端は排除しなければなりません。それが罪だと言うのなら、その罪はわたしが引き受けます。わたしが地獄の炎に焼かれることで、世界に平和をもたらしましょう」
「それも、古くから繰り返されてきたことですね。人をひとつにまとめるために異端を排除する。しかし、そんなことができた試しはない」
「それは、そのための力が足りなかったからです。ですが、わたしたちはその力を手に入れた。わたしたちなら出来ます」
「力……。イスカンダル城塞群を制圧した『怪物』たちのことですか?」
「怪物ではありません。〝神兵〟です」
「〝神兵〟?」
「そうです。世界をひとつに。それは、代々の教皇の悲願。そして、その悲願を叶えるための力。それが〝神兵〟。わたしたちはこの力を使って必ず、この世界をひとつにします」
そして、会談は終わった。
宿へ帰る道すがら。
ロウワンたちは馬車に揺られながら話していた。
「……交渉は決裂。そういうことね」
「……だな」
トウナの言葉にロウワンはうなずいた。
「……あの教皇。あの場で始末してしまった方がよかったのではないか?」
太刀の柄に手をかけ、鞘口からわずかに抜きながら――。
そう言ったのは野伏である。
ロウワンの指示さえあればいますぐ大聖堂にとって返し、教皇の首をとる。
その意思表示である。
ロウワンは首を振った。
「それは、出来ない。それは『自分とちがうものを排除』することだ。都市網国家の理念のもとで、そんな真似は許されない」
ロウワンはそう言うとむしろ、自分自身に言い聞かせるように語った。
「……人と人の争いを終わらせる。その目的は同じなんだ。それならきっと、手を取り合える。その余地はあるはずだ」
同じ頃――。
パンゲアの教皇アルヴィルダは双子の妹である仮面の大司教アルテミシア、騎士団総将ソロモンと共に、大聖堂の地下へと向かっていた。
大聖堂の地下深くに作られた秘密の場所。
そこに向かって。
「ロウワンとはどのような人物なのです、姉上?」
「どこまでもまっすぐで、とても気持ちの良い若者です。人と人の争いを終わらせる。その目的はわたしたちとまったく同じ」
でも――。
と、アルヴィルダは言った。
「都市網国家。そんなものを認めるわけには行きません。人と人をバラバラにし、争いの種をまき散らすなど。人は神の教えのもと、ひとつにならなければならないのです。それが、人と人の争いをなくすただひとつの方法なのですから」
「はい、姉上」
「仰るとおりです」
教皇の言葉にアルテミシアとソロモンは力強くうなずいた。
やがて、アルヴィルダたちはひとつの部屋にたどり着いた。この三人の他、パンゲアでもごく限られたものしか知らない秘密の部屋。
部屋のなかでは幾人もの天詠みの博士たちが自分の仕事に没頭していた。天命の理を伝えてきたのは『もうひとつの輝き』だけではない。パンゲアもまた、神の神秘に隠された最奥のなかで、その技術を伝えてきたのである。
そして、天詠みの博士たちの働くその部屋にはある『特別な囚人』がいた。
「ご機嫌はいかが?」
アルヴィルダはそう話しかけた。
天命の理によってかけられた幾重もの結界に捕えられ、身動きすらも出来ない『特別な囚人』に向かって。
「亡道の司」
ロウワンは驚きのあまり、叫んだ。
もちろん、その驚きはその場にいる全員の共有するものだった。ビーブとトウナは目も口も見開き、唖然としているし、野伏でさえ、必死に無表情を保とうとしているようだが驚きを隠し通せていない。
かの人たちの驚きは二重のものだった。ひとつは単純に、教皇の部屋にアイヴィーがいること。もうひとつは、
――かの人は、本当にアイヴィーなのか?
その思いだった。
たしかに姿形は同じなのだ。
同じ顔。
同じ体型。
しかし、全体から受ける印象がまったくちがう。
いまのアイヴィーは天帰教のシスター服ではなく、おそらく、私的な部屋着だろう。淡い若草色のドレスをまとっている。決して華美なものではなく、シンプルでクラシックななデザイン。それだけに時代を超えた品の良さが感じられ、若い女性の素の魅力を引き出している。
この場に行者がいればきっと、こう言っていただろう。
「あえて過剰な修飾を廃し、素材の良さを引き立てることに徹したデザイン。粋だ」
その表情も態度も、共に落ち着き払った淑女のもので、ヌーナで出会ったあのガチャガチャした性格のシスターと同一人物とはとても思えない。
――実は双子の姉とか?
そんなことまで思ったし、そう言われていた方が納得していただろう。だが――。
目の前の女性の発した一言が、そうではないことを全員に知らしめた。
「久しぶりですね、ロウワン。あのときはお世話になりました。ビーブ、トウナ、野伏も壮健そうでなによりです」
「アイヴィー。やっぱり、あなたはアイヴィーなんだな。どうして、シスターであるあなたがここにいるんだ? ここは教皇猊下のお部屋だろう?」
言われてアイヴィーはドレスの裾をちょっとつまみ、片脚を後ろに引いて優雅なカーテシーを披露した。あまりに堂に入ったその仕種に、ロウワンやトウナは思わずお辞儀を返してしまった。
「騙してしまった形になったことはお詫びします。わたしがパンゲアの教皇アルヴィルダです」
「あ、あなたが……?」
「どういうこと?」
「キキキッ?」
ロウワン、トウナ、ビーブが口々に尋ねる。野伏はひとり唇を引き結び無言で、教皇を名乗る旧知の女性を見つめている。監視していると言ってもいい。
「あのときは、各地の視察のためにお忍びで行動していたものですから」
「お忍びって……パンゲアの教皇猊下ともあろう方がたったひとりで?」
「はい」
と、アイヴィーこと教皇アルヴィルダは当然のように答えた。その泰然自若の見本とも言うべき態度には、野伏でさえ内心で舌を巻いたほどだった。
ロウワンとしては、にわかには信じられないことだった。わずかな間とはいえ一緒に旅をした女性が実は、大陸最強国家の最高指導者だったなどとは。とは言え――。
――あのときから、たしかに違和感はあったな。
なにしろ、ロウワンでさえ息を切らすほどの険しい山道を、一時も休むことなく喋り倒しながら平然と歩きつづけていたのだ。とてもではないが、教会で暮らすシスターの体力とは思えなかった。
――パンゲアの教皇は代々、天命の理によってその知識と技を次代の教皇に伝えている、か。あの体力もそのひとつだったのか?
そう思えば、たしかに納得が出来る。
ひとりで行動していたのもそれができるだけの実力があればこそ、なのだろう。
「で、でも、あのときとはずいぶん様子がちがうような……」
「あのときはあのとき。いまは『教皇アルヴィルダ』としてお会いしていますから」
トウナの言葉に、教皇アルヴィルダはそう答えた。
ロウワンはうなずいた。
居住まいを正し、右拳を胸に当てて敬意を示した。
「わかりました。では、僕たちも教皇猊下として話をさせていただきます」
「さすが、ロウワン。話が早くて助かります」
そう言って――。
アルヴィルダはニッコリと微笑んだ。
そして、会見ははじまった。
始祖国家パンゲアの最高指導者と新興勢力の主催。
非公式であっても大陸の、いや、世界そのものの運命を左右しうる重大な会見だった。
一同が席に着いたテーブルの上には茶菓子はおろか、湯気を立てるティーカップひとつない。アルヴィルダは茶を運ばせようとはしなかったし、ロウワンももちろん催促したりはしなかった。そのことが、両者の本気度を感じさせた。
「教皇アルヴィルダ猊下。自由の国主催ロウワン。単刀直入に聞かせていただきます」
「どうぞ」
と、アルヴィルダは答えた。
ロウワンがなにを尋ねてくるか、正確に予想している声であり、表情だった。
「なぜ、ローラシア、ゴンドワナ両国に侵攻したのですか?」
「世界平和のためです」
「平和のために戦争を起こしたって言うの⁉」
トウナが思わず叫んでしまい、あわてて口を押さえる。
ゴンドワナ商人の息子として、幼い頃から礼儀――と、ついでに商売用の口上――を教育されてきたロウワンとちがい、トウナは小さな島の、小さな居留地の出身。しかも、島長の孫。敬語を使う機会などあるはずもない。長となってからは、外部の人間と話すときには気をつけているのだが興奮するとすぐに地が出る。
トウナは真っ赤になって恥じ入った。場合が場合なら不敬罪でその場で首を刎ねられても文句を言えないところである。しかし、アルヴィルダは気にした様子もなかった。年下の少女の目を見据え、これ以上ないほどの真剣な表情で答えた。
「トウナ。あなたもその目で見たでしょう。ヌーナの人々が元首の人選を巡って争っていることを。それに……」
チラリ、と、野伏を見やってからつづけた。
「野伏と鬼の戦いを。あれが、この世界で起きていることです。この世界にはあまりにも多くの価値観、あまりにも多くの思想があり、そのちがいが争いの原因となっています。だからこそ、この世から争いをなくすためには、神の教えのもと人々の思いをひとつにしなくてはならないのです」
「そ、それじゃ本当に……戦争をなくすために戦争を起こしたと?」
「そうです」
きっぱりと――。
アルヴィルダは言い切った。
そう言ったときのアルヴィルダには崇高なまでの誇りが満ちており、その言葉に一片の嘘偽りもないことは明らかだった。
答えたのはロウワンだった。
「この世から戦争をなくす。その目的には一も二もなく賛成します。僕自身、トウナの島を襲った海賊たちを殺した。そのとき、誓いました。『人を守るために人を殺さなくてはならない世界なんて、かえてやる』と。そのときから、僕の目的は人と人の争いを終わらせることになりました」
「では、わたしたちは同志。そう思って良いのですか?」
「目的においてはまちがいなく同志です。ですが、手段についてはそうはいきません」
「と、言いますと?」
「僕は師であるハルキスから教わりました。
『人間は共存という言葉の意味を誤解している。自然界における共存とは一緒に棲むことではない。一緒に棲まなくていいよう棲み分けることだ。すべての生物に同じ暮らしをさせようとすれば結局、一種類の生物しか生きられなくなる』
ハルキスの教えのもと、僕は都市網国家を作りあげることとしました」
「都市網国家については聞き及んでいます。『誰もが自分の望む暮らしを作りあげられる世界』でしたね」
「より正確には『誰もが自分の望む暮らしを作れるようにすることで、人と人が争う必要をなくした世界』です。都市網国家を目指す僕の立場からすれば、すべてをひとつにしようとするパンゲアのやり方はとうてい、受け入れられません」
「恐ろしいことです。都市網国家のやり方では、すべての人間がバラバラになってしまう。バラバラになった人と人は際限なく殺しあうことでしょう。ロウワン。あなたは争いに満ちたこの世界にさらなる争いを招こうとしているのですよ」
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ロウワンとアルヴィルダ。
ふたりは真っ向から視線を交わし、自らの思いをぶつけあう。
ビーブも、トウナも、野伏も、誰も一言も発しない。立ち入ろうとしない。
歴史と伝統を背負って立つ教皇と、新しい世界を築こうとする若者の対話。
それは、余人が割って入れるようなものではなかった。
「では、ロウワン」
アルヴィルダは覚悟を秘めた声で尋ねた。
「あなたは、自由の国は、我がパンゲアと戦うと言うのですか?」
「いいえ。僕はパンゲアはもちろん、他のどの国、どの勢力とも戦うことは望みません。ただ、都市網国家の理念を受け入れていただきたいだけです。
世界をひとつに。
あなたの、パンゲアのその理念を否定はしません。ですが、どうか、それを望まない人にまで押しつけないでください。その理念を共有する人だけを集め、それ以外の人には関わらないでください。
パンゲアの理念が正しいならば、パンゲアはまちがいなく世界一の繁栄を迎えるでしょう。それを見れば人は真似る。誰しも、幸せな人生を送りたいのですから。
戦争などに頼らなくても、パンゲアがその理念のもと世界一幸せな国となれば、パンゲアの理念は自然に広まる。その道を選んでいただきたいのです」
そうすれば、僕たちは争う必要はないのです。
ロウワンはそう告げた。だが――。
アルヴィルダは首を横に振った。
「そして、他の国の人々が争い、殺しあうのを見て見ぬ振りをしろと? 出来ません。わたしには神の教えの体現者として、地上における代理人として、すべての人間に幸せを与える責任があるのです」
「なぜ、他の国が争い、殺しあうと決めつけるのです?」
「現に、殺しあっているではありませんか」
「その殺しあいをはじめたのは、パンゲアです」
がっちりと――。
ふたりの視線が絡みあい、衝突した。
「亡道の司はどうするのです?」
ロウワンはそう尋ねた。
「亡道の司?」
「パンゲアはもともと、騎士マークスが作りあげた人類騎士団が発展した国。亡道の司と、その戦いについてもご存じのはず。そして、前回の戦いから数えれば、亡道の司はすでにこの世界に出現しているはず。新たな戦いが迫っているというのに、人間同士で争っていてどう立ち向かうと言うのです?」
「小さなことです」
「なっ……⁉」
「亡道の司がなんだと言うのです。しょせん、千年前の人類に敗れた相手ではありませんか。そんな相手を怖れて、現実の悲劇を見過ごしてどうするのです」
「その勝利のために、どれほどの犠牲を払ったと思っているのです⁉」
「戦争の犠牲になるのはいいのですか⁉」
アルヴィルダはそう一喝した。
「千年前の戦いのあと、世界はどうなりました? 最初の頃こそ復興のために手を取りあった。協力しあった。ですが、そんな心はすぐに忘れ、人類は人間同士で争いはじめた。この五〇〇年、人類は同じ人間同士で殺しあってきたのです。
そんな悲劇は終わらせなくてはなりません。そのために、神の教えのもと、人の心をひとつにする。その目的の前には亡道の司など論ずるにも足りません」
「では、どうあっても戦争をつづけると?」
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「どうあっても、パンゲアの、天帰教の教えに従いたくないという人がいたら?」
「殺します」
きっぱりと――。
アルヴィルダはそう言いきった。
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「〝神兵〟?」
「そうです。世界をひとつに。それは、代々の教皇の悲願。そして、その悲願を叶えるための力。それが〝神兵〟。わたしたちはこの力を使って必ず、この世界をひとつにします」
そして、会談は終わった。
宿へ帰る道すがら。
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「……交渉は決裂。そういうことね」
「……だな」
トウナの言葉にロウワンはうなずいた。
「……あの教皇。あの場で始末してしまった方がよかったのではないか?」
太刀の柄に手をかけ、鞘口からわずかに抜きながら――。
そう言ったのは野伏である。
ロウワンの指示さえあればいますぐ大聖堂にとって返し、教皇の首をとる。
その意思表示である。
ロウワンは首を振った。
「それは、出来ない。それは『自分とちがうものを排除』することだ。都市網国家の理念のもとで、そんな真似は許されない」
ロウワンはそう言うとむしろ、自分自身に言い聞かせるように語った。
「……人と人の争いを終わらせる。その目的は同じなんだ。それならきっと、手を取り合える。その余地はあるはずだ」
同じ頃――。
パンゲアの教皇アルヴィルダは双子の妹である仮面の大司教アルテミシア、騎士団総将ソロモンと共に、大聖堂の地下へと向かっていた。
大聖堂の地下深くに作られた秘密の場所。
そこに向かって。
「ロウワンとはどのような人物なのです、姉上?」
「どこまでもまっすぐで、とても気持ちの良い若者です。人と人の争いを終わらせる。その目的はわたしたちとまったく同じ」
でも――。
と、アルヴィルダは言った。
「都市網国家。そんなものを認めるわけには行きません。人と人をバラバラにし、争いの種をまき散らすなど。人は神の教えのもと、ひとつにならなければならないのです。それが、人と人の争いをなくすただひとつの方法なのですから」
「はい、姉上」
「仰るとおりです」
教皇の言葉にアルテミシアとソロモンは力強くうなずいた。
やがて、アルヴィルダたちはひとつの部屋にたどり着いた。この三人の他、パンゲアでもごく限られたものしか知らない秘密の部屋。
部屋のなかでは幾人もの天詠みの博士たちが自分の仕事に没頭していた。天命の理を伝えてきたのは『もうひとつの輝き』だけではない。パンゲアもまた、神の神秘に隠された最奥のなかで、その技術を伝えてきたのである。
そして、天詠みの博士たちの働くその部屋にはある『特別な囚人』がいた。
「ご機嫌はいかが?」
アルヴィルダはそう話しかけた。
天命の理によってかけられた幾重もの結界に捕えられ、身動きすらも出来ない『特別な囚人』に向かって。
「亡道の司」
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わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成
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お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。
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悪女の死んだ国
神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。
悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか.........
2話完結 1/14に2話の内容を増やしました
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
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ぼくの家族は…内緒だよ!!
まりぃべる
児童書・童話
うちの家族は、ふつうとちょっと違うんだって。ぼくには良く分からないけど、友だちや知らない人がいるところでは力を隠さなきゃならないんだ。本気で走ってはダメとか、ジャンプも手を抜け、とかいろいろ守らないといけない約束がある。面倒だけど、約束破ったら引っ越さないといけないって言われてるから面倒だけど仕方なく守ってる。
それでね、十二月なんて一年で一番忙しくなるからぼく、いやなんだけど。
そんなぼくの話、聞いてくれる?
☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。
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昨日の敵は今日のパパ!
波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。
画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。
迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。
親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。
私、そんなの困ります!!
アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。
家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。
そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない!
アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
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