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第二部 絆ぐ伝説
第四話五章 教皇との出会い
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始祖国家パンゲア。
その教都エデンにそびえる大聖堂ヴァルハラ。
――それを見るとき、人は誰しもこの世界をはじめて見る赤子となる。
そう称されるこの大建築物を前に、ロウワンたちはまさにその言葉通りになっていた。その威容に圧倒されてすっかりおのぼりさんとなり、口をポカンと開けて見上げてるばかり。なんとも間抜け面となっていた。
道行く人々がその姿を見て微笑ましく思いこそすれ、嗤いものにするような様子ひとつないのは、この地に住まう人々でさえ日々、同じ思いをしているからに他ならない。
それほどまでに人の心を打ち、感動を越える畏敬の念を抱かせる存在。
それが、大聖堂ヴァルハラ。
「……すごい。人間にこんな建物が作れるなんて」
トウナが思わずそう呟いたのも当然と思えるその威容。
広い。
大きい。
美しい。
すべてが完璧に計算されつくし、石の積み方ひとつ、壁の出っ張りひとつに至るまですべてが調和し、違和感を感じさせる部分がひとつもない。正門の大きさと形、アーチの角度、窓の数と配置、それら一つひとつの調和が重なりあい、共鳴し、より大きな調和を生みだしている。それはもはや『建物』という概念をはるかに超え、ひとつの世界。
そう。
人は世界を創りあげた。
そう言うことの出来る存在だった。
それはまるで、神そのものが肉体をもってその場にいるかのよう。見るものは誰しも心を打たれずにはいられない。ともすれば、その場にひれ伏し、感動の涙を流してしまいそう。事実、あたりにいる観光客のなかには涙を流して手を合わせているものが何人もいる。
「……たしかに」
と、ロウワンもその威容を見上げながら言った。
「この大聖堂はあまりにも完璧な作りすぎて、現代では再現することすら不可能だと言われている。事実、建てられてからすでに数百年の時が立つというのに、この大聖堂を越える建築物はおろか、並び称されるような建築物すら世界中のどこにもない。まさに、天下にふたつとない唯一無二の建築物」
その噂は聞いていた。
幼い頃からそう聞かされ、一度は見てみたいと思っていた。しかし――。
いざ見てみると、聞いていたよりずっとすごい。ここまで心を打たれた建物ははじめてだった。
「あまりの美しさと完成度から『かつて、神に討伐された悪魔が服従の証として建て、神に捧げた』なんていう伝説もあるほどだけど……納得だな」
「たしかに」
野伏もうなずいた。
「盤古帝国の首都、崑崙も壮麗な都市だったが、ここまでの建築物はなかった」
「あなたは、崑崙にいたことがあるのか?」
「少しの間だけだけだがな。崑崙は東方世界の中心であり、頂点として君臨する都市。そこには世界中のあらゆる人間、あらゆる産物が集まり、ないものはないと言われていた。その崑崙にさえない建築物。たしかに『悪魔が建てた』と言われた方が納得がいくな」
「キキキッ」
――これは建物じゃない。おれたちの住む森と同じ匂いがする。
ビーブも手話でそう語った。
森と同じ。
そう言われて、心から納得できる存在だった。
「たしかに。これはまさに、神に捧げられた建築物であり、神そのものをこの世に現出させる依代として作られた建物だ」
ロウワンはそう語った。
「大聖堂ヴァルハラ。これは、まちがいなく『神の肉体』として作られた場所なんだ」
「それで、ロウワン。これから、どうするの? 教皇に会うんでしょう?」
ああ、と、ロウワンは答えた。
「教皇に会うこと自体は実は誰でも出来る。参拝を申し込めば誰であれ、この大聖堂のなかでの拝謁が認められる。ただし、それは本当に参拝で、遠くから見て声をかけてもらえるだけ。政治的な話はもちろん、会話が出来るわけじゃない」
ロウワンはそう言ってからつづけた。
「そもそも、教皇はあくまでも宗教的、精神的な指導者。政治的な話は騎士団の担当で、国家として面会を申し込んだ場合、相手となるのは騎士団の総将だそうだ」
「騎士団が政治を担当しているのか?」と、野伏。
「ああ。このパンゲアはもともと、騎士マークスが作りあげた人類騎士団が国となったものだからな。伝統的に騎士が政治や外交も司っている」
「なるほどな」
「でも、それじゃどうするの?」と、トウナ。
「教皇と会って話が出来ないんじゃ意味がないんでしょう?」
「だいじょうぶ。ブージが得意の闇人脈を使って段取りをつけてくれた」
「ブージが?」
と、トウナは露骨に顔をしかめて見せた。
「……あいつ、本当に役に立つのよね」
それが気に入らない、と、トウナは吐き捨てた。
その態度にロウワンは思わず苦笑した。
「みんな、そう言ってるよ。『ブージはいやなやつだが、役に立つ。だから、文句も言えない。それが腹が立つ』ってね」
「正直すぎる人間はきらわれるものだからな」と、野伏。
「ブージが正直な人間?」
「自分の欲望を、あそこまで正直に面に出せる人間は他にいない」
「たしかに」
と、ロウワンもトウナも、そして、ビーブですら心からうなずいた。
「とにかく、いつまでもこうしていても仕方がない。ブージが渡りをつけてくれた人物に会いにいこう。その人が、ルキフェルという人に会わせてくれるそうだ」
「ルキフェル?」
「騎士団の筆頭将軍だそうだよ。騎士団の頂点は総将で、ソロモンという人だそうだ。でも、さっきも言ったように、パンゲアでは騎士団が政治も担当している。だから、騎士団の上層部は騎士と言うより政治家で、ソロモン総将も実質的には国家元首と言った立場だ。戦場に出るようなことはないらしい。かわりに、戦場で指揮を執る軍事面の頂点が筆頭将軍。そういう仕組みだそうだ」
「その筆頭将軍が教皇に会わせてくれるわけ?」
「ブージが言うには、そういう段取りらしい」
「……そう」
と、トウナは複雑な表情を浮かべた。
段取り通りに行かなければブージに文句を言ってやれる。でも、教皇に会えないのは困る。だけど、教皇に会えればブージの手柄を認めないわけにはいかないし……。
と言った心情がもろに顔に出ているのだった。
「とにかく、おれたちはブージの紹介してくれた人に会いに行ってくる。野伏。あなたはその間、コーヒーハウスに出向いてパンゲアの兵をボコボコにしてくれ。
『自由の国の兵は恐ろしく強い』
その印象を植え付けておいてくれ」
とにかく、一目置かれる力がなければ、相手にしてもらえないからね。
ロウワンはそう付け加えた。
「承知した。しかし、本当にいいのか? これから対話をしようという国の兵をぶちのめしたりして」
「場所がコーヒーハウス、一生ものの傷をつけたり、殺すまではしない、と言う条件を守ってくれればね。どの国でもコーヒーハウスは治外法権で喧嘩なんて日常茶飯事。そのなかでのことはいちいち問題にしない」
「わかった。そういうことなら遠慮なくぶちのめしてこよう」
野伏はそう言うと、裏地に鮮やかな牡丹の花をあしらった襟をたなびかせ、コーヒーハウスに向かった。
「ああ、頼む」
ロウワンはその一言で野伏を見送った。
――もし、返り討ちに遭ったら……。
などとは、考えることもない。野伏の強さはわかっている。いくら訓練された兵であれ、人間相手に負けるはずがない。
――野伏が勝てない相手なんて、〝鬼〟だけだろう。
その確信がある。
そのロウワンの足元ではビーブがこれまた複雑そうな表情を浮かべている。
どうせなら、自分も野伏と一緒に暴れたい。でも、おれがロウワンを守らなきゃ誰が守るんだ……。
その思いがあるのだろう。そんなビーブを、ロウワンは『くすり』と笑って見守った。
「さて。それじゃ、おれたちも行こうか」
ロウワンはそう言って、歩きだした。
トウナがどんなに気に入らなくても、ブージの仕事ぶりはたしかだった。
ブージが紹介してくれた人物に言うと、段取り通りにすぐに筆頭将軍ルキフェルに会わせてくれた。
ルキフェルはまだ二〇代前半の年若い人物だった。この若さでパンゲア軍の事実上の頂点にまで登りつめたのだ。その一点だけで尋常な人物でないことが知れる。
野伏に引けをとらないほどの長身と、抜き身の剣のように強靱な体付き。顔立ちは端正で、いかにも真面目そう。動作の一つひとつが礼儀正しく、洗練されており、全身から『騎士』という銘にふさわしい誠実さが感じられる。
その姿はまさに、ロウワンがかつて歴史物語のなかで出会い、憧れていた騎士そのもの。家出して、ガレノアの船に乗り込む前の少年が出会っていれば一目で心酔し、従者として側に仕えたいと思ったにちがいない。
それが、パンゲア騎士団筆頭将軍ルキフェルという人物だった。
そのルキフェルは紹介状を見ると、すぐにうなずいた。
「なるほど。貴公がロウワン卿ですか」
『卿』などと呼ばれたことのないロウワンは少々、居心地の悪い思いをした。
「かしこまりました。すぐに教皇猊下にお伝えします。宿の用意をさせていただきますので、そちらでおまちください」
むしろ、拍子抜けするぐらいあっさりと話が通り、筆頭将軍との対面は終わった。軍事面での頂点と対面するとなれば、もっと警戒されるだろうと思っていたのだが……。
「ずいぶん、簡単にすんだな」
「それに、あなたのことを知っていたみたいだけど」
「それはまあ、ガレノアたちが自由の国の名前を広めてくれているから。聞いたことぐらいはあるだろう」
「それもそうね」
と、トウナも納得した。
なんと言ってもロウワンは自由の国の主催。ガレノアたちの活動はすべて、ロウワンの名のもとに行われている。一国の軍事責任者ともあろうものが、急速に勢力を拡大している新勢力の主催者の名前を知らないとなれば、それはむしろ職務怠慢と言うべきだろう。知っているのが当然。そう思うべきだった。
「……でも、だからこそ警戒される。そう思っていたんだけどな」
ロウワンは首をひねった。
とは言え、大陸最強国家の精神的指導者に会うとなれば簡単にいくわけがない。しばらくの足止めは覚悟しなければならないだろう。その間、情報を集めて……。
そう思っていただけにその夜、筆頭将軍自らが宿を訪れ、こう言ったときにはロウワンは心底、驚いた。
「面会の準備が整いました。大聖堂においでください」
「もう、お会いできるのですか⁉」
しかも、場所は大聖堂のなかの教皇の私室だという。
――まさか、いきなり、そんな場所に招かれるなんて。
さすがに不審感が頭をもたげてくる。
それでも、絶好の好機にはちがいないし、自分たちであれば、たとえ罠であっても打ち破れるはず。それに、もし本当に裏もないままに私室に招いたのだとすれば、腹を割って話し合いたいという意思表示だろう。この機会を逃がすわけにはいかなかった。
「わかりました。すぐにうかがいます」
そして、ロウワン、ビーブ、トウナ、野伏の四人はルキフェルの用意した馬車に乗って大聖堂に向かった。途中、トウナがロウワンに話しかけた。
「正直、拍子抜けだけど、よけいな時間をとられずにすんだのはありがたいわね」
「ああ、そうだな」
ロウワンもうなずいた。
ふたりとも、多少の疑念は抱きつつも、すんなりと面会にこぎ着けることが出来たことに喜んでいた。ただひとり、野伏だけがなんともつまらなそうな表情をしている。
「どうかしたのか、野伏?」
「……まさか、一日で面会にこぎ着けるとはな。これではもう、パンゲア兵の相手も終わりか」
「……暴れたりないのか?」
「もう充分、暴れたでしょう。今日一日だけで二〇軒以上のコーヒーハウスで、一〇〇人以上の兵士をボコボコにしたらしいじゃない」
――恐ろしく強い東洋風の剣客が、パンゲア兵を叩きのめしている。
その噂は夜になる前に町中で持ちきりになっていた。ボコボコにされた兵士たちがそろいもそろってその剣客の強さ、正々堂々とした振る舞いを熱烈に褒め称えていたこともあって、すっかり評判になっていたのだ。明日の新聞の一面を飾るであろうことは確実である。しかし――。
当の野伏はなんとも言えないむすっとした表情をしていた。
「量ばかり食っても腹がふくれるばかりで満足感はない。質がともなわなければ」
「……頼むから『ルキフェル将軍に喧嘩を売る』なんて言わないでくれよ。ここはコーヒーハウスじゃないんだ。それこそ、戦争をふっかけたのも同じになる」
ロウワンのその言葉に――。
野伏はギラリ、と、目を光らせた。
「……その手があったか」
ロウワンが必死にお願いした結果かどうか結局、野伏はルキフェルに喧嘩を売ることはなく、一行は無事、大聖堂に到着した。
案内された教皇の私室。そこで、自分たちを出迎えたうら若い女性を見たとき、ロウワンは驚きの叫びをあげた。
「アイヴィー⁉」
その教都エデンにそびえる大聖堂ヴァルハラ。
――それを見るとき、人は誰しもこの世界をはじめて見る赤子となる。
そう称されるこの大建築物を前に、ロウワンたちはまさにその言葉通りになっていた。その威容に圧倒されてすっかりおのぼりさんとなり、口をポカンと開けて見上げてるばかり。なんとも間抜け面となっていた。
道行く人々がその姿を見て微笑ましく思いこそすれ、嗤いものにするような様子ひとつないのは、この地に住まう人々でさえ日々、同じ思いをしているからに他ならない。
それほどまでに人の心を打ち、感動を越える畏敬の念を抱かせる存在。
それが、大聖堂ヴァルハラ。
「……すごい。人間にこんな建物が作れるなんて」
トウナが思わずそう呟いたのも当然と思えるその威容。
広い。
大きい。
美しい。
すべてが完璧に計算されつくし、石の積み方ひとつ、壁の出っ張りひとつに至るまですべてが調和し、違和感を感じさせる部分がひとつもない。正門の大きさと形、アーチの角度、窓の数と配置、それら一つひとつの調和が重なりあい、共鳴し、より大きな調和を生みだしている。それはもはや『建物』という概念をはるかに超え、ひとつの世界。
そう。
人は世界を創りあげた。
そう言うことの出来る存在だった。
それはまるで、神そのものが肉体をもってその場にいるかのよう。見るものは誰しも心を打たれずにはいられない。ともすれば、その場にひれ伏し、感動の涙を流してしまいそう。事実、あたりにいる観光客のなかには涙を流して手を合わせているものが何人もいる。
「……たしかに」
と、ロウワンもその威容を見上げながら言った。
「この大聖堂はあまりにも完璧な作りすぎて、現代では再現することすら不可能だと言われている。事実、建てられてからすでに数百年の時が立つというのに、この大聖堂を越える建築物はおろか、並び称されるような建築物すら世界中のどこにもない。まさに、天下にふたつとない唯一無二の建築物」
その噂は聞いていた。
幼い頃からそう聞かされ、一度は見てみたいと思っていた。しかし――。
いざ見てみると、聞いていたよりずっとすごい。ここまで心を打たれた建物ははじめてだった。
「あまりの美しさと完成度から『かつて、神に討伐された悪魔が服従の証として建て、神に捧げた』なんていう伝説もあるほどだけど……納得だな」
「たしかに」
野伏もうなずいた。
「盤古帝国の首都、崑崙も壮麗な都市だったが、ここまでの建築物はなかった」
「あなたは、崑崙にいたことがあるのか?」
「少しの間だけだけだがな。崑崙は東方世界の中心であり、頂点として君臨する都市。そこには世界中のあらゆる人間、あらゆる産物が集まり、ないものはないと言われていた。その崑崙にさえない建築物。たしかに『悪魔が建てた』と言われた方が納得がいくな」
「キキキッ」
――これは建物じゃない。おれたちの住む森と同じ匂いがする。
ビーブも手話でそう語った。
森と同じ。
そう言われて、心から納得できる存在だった。
「たしかに。これはまさに、神に捧げられた建築物であり、神そのものをこの世に現出させる依代として作られた建物だ」
ロウワンはそう語った。
「大聖堂ヴァルハラ。これは、まちがいなく『神の肉体』として作られた場所なんだ」
「それで、ロウワン。これから、どうするの? 教皇に会うんでしょう?」
ああ、と、ロウワンは答えた。
「教皇に会うこと自体は実は誰でも出来る。参拝を申し込めば誰であれ、この大聖堂のなかでの拝謁が認められる。ただし、それは本当に参拝で、遠くから見て声をかけてもらえるだけ。政治的な話はもちろん、会話が出来るわけじゃない」
ロウワンはそう言ってからつづけた。
「そもそも、教皇はあくまでも宗教的、精神的な指導者。政治的な話は騎士団の担当で、国家として面会を申し込んだ場合、相手となるのは騎士団の総将だそうだ」
「騎士団が政治を担当しているのか?」と、野伏。
「ああ。このパンゲアはもともと、騎士マークスが作りあげた人類騎士団が国となったものだからな。伝統的に騎士が政治や外交も司っている」
「なるほどな」
「でも、それじゃどうするの?」と、トウナ。
「教皇と会って話が出来ないんじゃ意味がないんでしょう?」
「だいじょうぶ。ブージが得意の闇人脈を使って段取りをつけてくれた」
「ブージが?」
と、トウナは露骨に顔をしかめて見せた。
「……あいつ、本当に役に立つのよね」
それが気に入らない、と、トウナは吐き捨てた。
その態度にロウワンは思わず苦笑した。
「みんな、そう言ってるよ。『ブージはいやなやつだが、役に立つ。だから、文句も言えない。それが腹が立つ』ってね」
「正直すぎる人間はきらわれるものだからな」と、野伏。
「ブージが正直な人間?」
「自分の欲望を、あそこまで正直に面に出せる人間は他にいない」
「たしかに」
と、ロウワンもトウナも、そして、ビーブですら心からうなずいた。
「とにかく、いつまでもこうしていても仕方がない。ブージが渡りをつけてくれた人物に会いにいこう。その人が、ルキフェルという人に会わせてくれるそうだ」
「ルキフェル?」
「騎士団の筆頭将軍だそうだよ。騎士団の頂点は総将で、ソロモンという人だそうだ。でも、さっきも言ったように、パンゲアでは騎士団が政治も担当している。だから、騎士団の上層部は騎士と言うより政治家で、ソロモン総将も実質的には国家元首と言った立場だ。戦場に出るようなことはないらしい。かわりに、戦場で指揮を執る軍事面の頂点が筆頭将軍。そういう仕組みだそうだ」
「その筆頭将軍が教皇に会わせてくれるわけ?」
「ブージが言うには、そういう段取りらしい」
「……そう」
と、トウナは複雑な表情を浮かべた。
段取り通りに行かなければブージに文句を言ってやれる。でも、教皇に会えないのは困る。だけど、教皇に会えればブージの手柄を認めないわけにはいかないし……。
と言った心情がもろに顔に出ているのだった。
「とにかく、おれたちはブージの紹介してくれた人に会いに行ってくる。野伏。あなたはその間、コーヒーハウスに出向いてパンゲアの兵をボコボコにしてくれ。
『自由の国の兵は恐ろしく強い』
その印象を植え付けておいてくれ」
とにかく、一目置かれる力がなければ、相手にしてもらえないからね。
ロウワンはそう付け加えた。
「承知した。しかし、本当にいいのか? これから対話をしようという国の兵をぶちのめしたりして」
「場所がコーヒーハウス、一生ものの傷をつけたり、殺すまではしない、と言う条件を守ってくれればね。どの国でもコーヒーハウスは治外法権で喧嘩なんて日常茶飯事。そのなかでのことはいちいち問題にしない」
「わかった。そういうことなら遠慮なくぶちのめしてこよう」
野伏はそう言うと、裏地に鮮やかな牡丹の花をあしらった襟をたなびかせ、コーヒーハウスに向かった。
「ああ、頼む」
ロウワンはその一言で野伏を見送った。
――もし、返り討ちに遭ったら……。
などとは、考えることもない。野伏の強さはわかっている。いくら訓練された兵であれ、人間相手に負けるはずがない。
――野伏が勝てない相手なんて、〝鬼〟だけだろう。
その確信がある。
そのロウワンの足元ではビーブがこれまた複雑そうな表情を浮かべている。
どうせなら、自分も野伏と一緒に暴れたい。でも、おれがロウワンを守らなきゃ誰が守るんだ……。
その思いがあるのだろう。そんなビーブを、ロウワンは『くすり』と笑って見守った。
「さて。それじゃ、おれたちも行こうか」
ロウワンはそう言って、歩きだした。
トウナがどんなに気に入らなくても、ブージの仕事ぶりはたしかだった。
ブージが紹介してくれた人物に言うと、段取り通りにすぐに筆頭将軍ルキフェルに会わせてくれた。
ルキフェルはまだ二〇代前半の年若い人物だった。この若さでパンゲア軍の事実上の頂点にまで登りつめたのだ。その一点だけで尋常な人物でないことが知れる。
野伏に引けをとらないほどの長身と、抜き身の剣のように強靱な体付き。顔立ちは端正で、いかにも真面目そう。動作の一つひとつが礼儀正しく、洗練されており、全身から『騎士』という銘にふさわしい誠実さが感じられる。
その姿はまさに、ロウワンがかつて歴史物語のなかで出会い、憧れていた騎士そのもの。家出して、ガレノアの船に乗り込む前の少年が出会っていれば一目で心酔し、従者として側に仕えたいと思ったにちがいない。
それが、パンゲア騎士団筆頭将軍ルキフェルという人物だった。
そのルキフェルは紹介状を見ると、すぐにうなずいた。
「なるほど。貴公がロウワン卿ですか」
『卿』などと呼ばれたことのないロウワンは少々、居心地の悪い思いをした。
「かしこまりました。すぐに教皇猊下にお伝えします。宿の用意をさせていただきますので、そちらでおまちください」
むしろ、拍子抜けするぐらいあっさりと話が通り、筆頭将軍との対面は終わった。軍事面での頂点と対面するとなれば、もっと警戒されるだろうと思っていたのだが……。
「ずいぶん、簡単にすんだな」
「それに、あなたのことを知っていたみたいだけど」
「それはまあ、ガレノアたちが自由の国の名前を広めてくれているから。聞いたことぐらいはあるだろう」
「それもそうね」
と、トウナも納得した。
なんと言ってもロウワンは自由の国の主催。ガレノアたちの活動はすべて、ロウワンの名のもとに行われている。一国の軍事責任者ともあろうものが、急速に勢力を拡大している新勢力の主催者の名前を知らないとなれば、それはむしろ職務怠慢と言うべきだろう。知っているのが当然。そう思うべきだった。
「……でも、だからこそ警戒される。そう思っていたんだけどな」
ロウワンは首をひねった。
とは言え、大陸最強国家の精神的指導者に会うとなれば簡単にいくわけがない。しばらくの足止めは覚悟しなければならないだろう。その間、情報を集めて……。
そう思っていただけにその夜、筆頭将軍自らが宿を訪れ、こう言ったときにはロウワンは心底、驚いた。
「面会の準備が整いました。大聖堂においでください」
「もう、お会いできるのですか⁉」
しかも、場所は大聖堂のなかの教皇の私室だという。
――まさか、いきなり、そんな場所に招かれるなんて。
さすがに不審感が頭をもたげてくる。
それでも、絶好の好機にはちがいないし、自分たちであれば、たとえ罠であっても打ち破れるはず。それに、もし本当に裏もないままに私室に招いたのだとすれば、腹を割って話し合いたいという意思表示だろう。この機会を逃がすわけにはいかなかった。
「わかりました。すぐにうかがいます」
そして、ロウワン、ビーブ、トウナ、野伏の四人はルキフェルの用意した馬車に乗って大聖堂に向かった。途中、トウナがロウワンに話しかけた。
「正直、拍子抜けだけど、よけいな時間をとられずにすんだのはありがたいわね」
「ああ、そうだな」
ロウワンもうなずいた。
ふたりとも、多少の疑念は抱きつつも、すんなりと面会にこぎ着けることが出来たことに喜んでいた。ただひとり、野伏だけがなんともつまらなそうな表情をしている。
「どうかしたのか、野伏?」
「……まさか、一日で面会にこぎ着けるとはな。これではもう、パンゲア兵の相手も終わりか」
「……暴れたりないのか?」
「もう充分、暴れたでしょう。今日一日だけで二〇軒以上のコーヒーハウスで、一〇〇人以上の兵士をボコボコにしたらしいじゃない」
――恐ろしく強い東洋風の剣客が、パンゲア兵を叩きのめしている。
その噂は夜になる前に町中で持ちきりになっていた。ボコボコにされた兵士たちがそろいもそろってその剣客の強さ、正々堂々とした振る舞いを熱烈に褒め称えていたこともあって、すっかり評判になっていたのだ。明日の新聞の一面を飾るであろうことは確実である。しかし――。
当の野伏はなんとも言えないむすっとした表情をしていた。
「量ばかり食っても腹がふくれるばかりで満足感はない。質がともなわなければ」
「……頼むから『ルキフェル将軍に喧嘩を売る』なんて言わないでくれよ。ここはコーヒーハウスじゃないんだ。それこそ、戦争をふっかけたのも同じになる」
ロウワンのその言葉に――。
野伏はギラリ、と、目を光らせた。
「……その手があったか」
ロウワンが必死にお願いした結果かどうか結局、野伏はルキフェルに喧嘩を売ることはなく、一行は無事、大聖堂に到着した。
案内された教皇の私室。そこで、自分たちを出迎えたうら若い女性を見たとき、ロウワンは驚きの叫びをあげた。
「アイヴィー⁉」
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