84 / 279
第二部 絆ぐ伝説
第三話一二章 次なる旅路
しおりを挟む アンキセウスは内心溜息をつき、苦く笑った。所詮、金も力もないただの奴隷あがりの召使の自分に、どうしてリィウスを助けることができるだろう。そんな絶望的な諦観が、最近のアンキセウスを、ふとすれば虚無的にさせていた。
「ああ! ずるい、ずるい! 兄さんばかりいい思いをして、ずるい!」
あられもない格好のまま、ナルキッソスが地団駄ふんだ。
一瞬、アンキセウスは本当にナルキッソスの気が狂ったのではないかと疑った。
蝋燭一本の薄闇のなかに、あらためて彼を見ると、心なしか肌はやつれ、唇はひからびて見え、どことなく生気がないように感じられる。
若いくせに荒淫にふけり酒に溺れ、夜更かしが多いせいだろう。思い出せば、ナルキッソスはここ数日、きちんとした食事を取ってないことを思い出した。
一人だけいる厨房の奴隷女は、言われれば食物を用意するが、言われない限りはなにもしない。最初は、ちゃんと用意していたが、ナルキッソスがろくに手をつけず、食堂にもあまり顔を出さなくなったので、止めてしまったのだ。貴族の家ではあるまじきことである。
リィウスがいたころには信じられないような、だらけた空気が屋敷じゅうに漂っている。
アンキセウスも、この横暴な主人に対しては、どうしても誠実な気持ちで面倒みようなどとは思えず、食事を取るまいが夜更かししようが、注意しようなどとは思わなかった。注意したところで聞くわけもないからだ。
あらためて見渡すと、室内の掃除もあまりきちんとされておらず、象牙の小卓のうえには飲みほした瓶や杯がかたづけられることもなく放置されている。室全体、いや、屋敷全体に饐えた空気が満ちあふれているようだ。
(もう、この家は終わりだな)
リィウスが身を売ると決めたとき、プリスクス家は終わったのかもしれない。レムスとロムレスの時代、つまりローマ建国のころから栄えつづけたこの家も、もはや終わろうとしている。
奴隷として生まれ、奴隷として育った屋敷である。自分の人生と運命を支配しつづけた家の終焉を間のあたりにしながら、アンキセウスの胸には、いい気味だ、というような感慨はわいてこない。むしろ哀愁めいた切ないものが胸を埋めつくす。
「ああ! ずるい、ずるい! 兄さんばかりいい思いをして、ずるい!」
あられもない格好のまま、ナルキッソスが地団駄ふんだ。
一瞬、アンキセウスは本当にナルキッソスの気が狂ったのではないかと疑った。
蝋燭一本の薄闇のなかに、あらためて彼を見ると、心なしか肌はやつれ、唇はひからびて見え、どことなく生気がないように感じられる。
若いくせに荒淫にふけり酒に溺れ、夜更かしが多いせいだろう。思い出せば、ナルキッソスはここ数日、きちんとした食事を取ってないことを思い出した。
一人だけいる厨房の奴隷女は、言われれば食物を用意するが、言われない限りはなにもしない。最初は、ちゃんと用意していたが、ナルキッソスがろくに手をつけず、食堂にもあまり顔を出さなくなったので、止めてしまったのだ。貴族の家ではあるまじきことである。
リィウスがいたころには信じられないような、だらけた空気が屋敷じゅうに漂っている。
アンキセウスも、この横暴な主人に対しては、どうしても誠実な気持ちで面倒みようなどとは思えず、食事を取るまいが夜更かししようが、注意しようなどとは思わなかった。注意したところで聞くわけもないからだ。
あらためて見渡すと、室内の掃除もあまりきちんとされておらず、象牙の小卓のうえには飲みほした瓶や杯がかたづけられることもなく放置されている。室全体、いや、屋敷全体に饐えた空気が満ちあふれているようだ。
(もう、この家は終わりだな)
リィウスが身を売ると決めたとき、プリスクス家は終わったのかもしれない。レムスとロムレスの時代、つまりローマ建国のころから栄えつづけたこの家も、もはや終わろうとしている。
奴隷として生まれ、奴隷として育った屋敷である。自分の人生と運命を支配しつづけた家の終焉を間のあたりにしながら、アンキセウスの胸には、いい気味だ、というような感慨はわいてこない。むしろ哀愁めいた切ないものが胸を埋めつくす。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

悪女の死んだ国
神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。
悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか.........
2話完結 1/14に2話の内容を増やしました
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

ぼくの家族は…内緒だよ!!
まりぃべる
児童書・童話
うちの家族は、ふつうとちょっと違うんだって。ぼくには良く分からないけど、友だちや知らない人がいるところでは力を隠さなきゃならないんだ。本気で走ってはダメとか、ジャンプも手を抜け、とかいろいろ守らないといけない約束がある。面倒だけど、約束破ったら引っ越さないといけないって言われてるから面倒だけど仕方なく守ってる。
それでね、十二月なんて一年で一番忙しくなるからぼく、いやなんだけど。
そんなぼくの話、聞いてくれる?
☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。

昨日の敵は今日のパパ!
波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。
画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。
迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。
親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。
私、そんなの困ります!!
アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。
家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。
そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない!
アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる