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第二部 絆ぐ伝説
第三話一〇章 野伏、独白
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おれはヌーナ共和国の生まれだ。
おれが七歳になった頃、元首の選出を巡って国民同士の争いが起きた。めずらしいことではない。ヌーナでは毎年どころか、毎月のように同じような争いが起きていたからな。ほんの七歳の子供でさえ慣れっこになっていた。正直『またか』ぐらいにしか思っていなかった。
だが、このときの争いはなかなかに激しいものだった。一度に五人の候補者が立候補し、それぞれに支持者がついていたことも原因だったのだろう。支持者同士が争い、流血沙汰にまで発展した。
いくらヌーナでも実際に暴力が振るわれることは稀だ。ほとんどの場合は言い争い、罵倒はしても、選挙によって新しい元首が選ばれればとりあえずは平穏を取り戻す。
そんな具合だった。
だが、その年はちがった。支持者同士の罵りあいが際限なく加熱していき、ついにはある派閥が別の派閥を襲撃した。襲われた派閥が応戦し、さらに別の派閥が加わり、国全体を巻き込む内戦にまで発展した。まあ、それも、ヌーナにとっては数年に一度は起こる程度のことでしかなかったが。
そんななか、ひとりの候補者が争いを避けるため、支持者を引き連れてヌーナを出る決意をした。これも別にめずらしいことではない。争いに負けた派閥が追放されたり、そもそも争いを避けるために自ら出て行くことはよくあることだ。
ただ、この集団にはそれまでとはちがう点があった。
ほとんどの場合、追放された派閥や自ら出ていったものたちはパンゲアに行く。パンゲアはヌーナにとってほぼ唯一、交流のある国であり、馴染みがあったからな。
それに、大国パンゲアなら数百人程度の難民を受け入れることはなんでもない。なによりも経済的な繁栄が天地の差だ。パンゲアに逃れれば一定の生活は保障される。だが――。
ヌーナの民にとっては重大な問題がある。パンゲアは天帰教会が絶対の権力を握っており、天帰教の教皇が最高指導者として君臨している。『民衆自身の手で国の元首を選ぶ』という余地はまったくない。
それは、『国家元首は自ら選ぶ』ことに限りない誇りをもつヌーナ人にとっては屈辱以外のなにものでもない。自らの誇りとする権利を投げすて、自分が選んだわけでもない相手に従わなければならないのだからな。だが、ほとんどの場合、ヌーナにいられなくなった身であることをもってその権利の喪失と見なし、パンゲアの法のもとで暮らすことを選んだ。
だが、その年のその集団はちがった。あくまでも『自分たちの元首は自分たちで選ぶ』権利を守ろうとした。そのため、パンゲアには向かわず、さらなる山奥を切り開いて自分たちの国を作ろうとした。
その数およそ三〇〇人。自ら選んだ指導者に率いられたその集団はヌーナを出、さらなる山奥へと向かった。おれの両親もその集団の一員だった。おれは姉と共に両親に連れられて、この旅に加わった。
そして、おれのとなりにいたのが幼馴染みのユキだ。まだ七歳ではあったが、おれはユキが好きだった。恋人同士だった。少なくとも、自分たちではそう思っていた。手作りの草の指輪を交換し、将来を約束した仲だった。
――ユキはおれが守る。
子供心にそう誓い、ユキの手をしっかりと握りしめて山を歩きつづけた。
やがて、ある場所に到達した。おとなたちは顔を集めて相談し、その地を切り開いて自分たちの国、自分たちの理想を実現できる国を作ることに決めた。
だが、その地には大きな問題があった。
そこは鬼の縄張りだった。狩猟地と言ってもいい。だが、だからこそ、他の人間は寄りつかず、争いに巻き込まれる心配もなければ、山賊に襲われる不安もない。わずか三〇〇人程度の小集団にとっては『他の人間に襲われる心配がない』ことがなにより大切だった。
――鬼に関しては交渉して許しを得れば良い。
おとなたちはそう判断した。
そして、その地を切り開き、自分たちの国を作ろうとした。もちろん、実体は小さな村、いや、単なる住み処と言った方がいいような場所に過ぎなかった。しかし、当人たちはあくまでも本気で『自分たちの理想の国を作ろう』との思いに燃えていた。
おれも七歳の子供なりに必死に働いた。草刈りでも、薪拾いでも、子守でも、その歳の子どもに出来ることはなんでもやった。
そうすることで、ユキとの将来を確かなものにできる。
そう信じていた。
だが、ある日、鬼との交渉に出向いていたおとなたちが帰ってきた。そして、言った。
「この地に住むことを許してもらう条件として、毎年ひとりの娘を贄として捧げ、貢ぎ物を差し出すことにした」
そう。
ひどい話だ。
おとなたちは自分たちが他の人間に襲われずに暮らせるよう、自分たちの娘を犠牲とすることにしたんだ。
おれは怒った。反対した。それじゃまるで鬼がおれたちの支配者じゃないか。自分たちの元首は自分たちで選ぶ。その誇りは、矜持はどこへやった!
おれはそう、おとなたちに食ってかかった。だが、たった七歳の子どもの言うことなど聞いてもらえるはずがない。いや、むしろ、痛いところをついたからこそ、おとなたちの怒りを買ったのかも知れない。おれはおとなたちの腕一本で吹っ飛ばされた。
生け贄は実行された。
クジによって娘のひとりが選ばれ、わずかばかりの蓄えと共に鬼のもとへと運ばれていった。おれはとめようとした。おとなたちに食ってかかり、かみつき、引っ掻き、ムチャクチャに暴れまわった。その結果として散々にぶちのめされ、納屋に閉じ込められた。
痣だらけの体でおれは泣いた。自分の意思を押し通すことも出来ない自分の弱さにだ。
そして、それから毎年ひとりずつ、クジによって生け贄の娘が選ばれ、なけなしの蓄えと共に鬼のもとへと運ばれていった。おれはそれを見て誓った。
――いつかきっと、おれがこんなことはやめさせる。鬼をおれの手で倒してみせる。
そのためにおれは、しゃにむに体を鍛えはじめた。
そんなおれを村の連中は、なにかの化け物を見るような目で見ていた。誰もがおれを避けていた。両親でさえもおれにはひどくよそよそしかった。そんなおれにまともに接してくれたのは四つ上の姉と、幼馴染みのユキだけだった。
そして、数年がたった。おれは一三歳になっていた。いまから一〇年前のことだ。
その年の生け贄としておれの姉が選ばれた。
そうとも。
おれの姉だ。ユキとただふたり、おれにまともに接してくれていた姉が生け贄に選ばれたんだ。
受け入れられるわけがない。
おれは姉を連れて逃げた。姉は反対した。そんなことをしたら村に迷惑がかかる。自分ひとりの命で他の人たちが助かるなら自分は鬼のもとに行く。
そう言ってな。
そう言う姉をおれは力ずくで引きずっていった。日頃の稽古のおかげで一三歳とは言え、一七の娘よりはずっと体も大きく、力も強くなっていたからな。おれは姉を洞窟に隠し――いや、監禁し――そのまま守り抜くつもりだった。だが――。
突如として鬼が村を襲った。
おれが姉を連れて逃げたばかりに村は生け贄を出せなくなった。もちろん、村はかわりの生け贄を選ぼうとしたが、期日までには間に合わなかった。鬼からすれば、それは明らかに契約違反。
鬼の逆鱗にふれずにはいない行為だった。その報復として、鬼は村を襲った。
おとなたちに為す術はなかった。
本気の鬼に立ち向かえる人間などいるはずもない。村人たちに出来ることはただひとつ、改めて生け贄と財貨を送ることを約束し、怒りをなだめること。
それだけだった。
そして、鬼の怒りをなだめるためには一〇人の生け贄が必要だった。おとなたちは急いで一〇人の娘を選んだ。そのなかには、見つけ出されたおれの姉も含まれていた。
改めて鬼のもとへと連れて行かれるときのあの目、おれを見るその目をおれは忘れない。おれの行いを哀しむようなあの目だけは。
そして、おれにはおとなたちの怒りが向けられた。
「このガキ! なんてことしやがる!」
「てめえのせいで国が丸ごと滅びるところだったんだぞ! おれたちの理想の国がだ!」
「ガキだと思って大目に見ていたが、もう勘弁ならねえ! てめえみてえな疫病神は追い出してやる!』
おとなたちがよってたかっておれを殴り、蹴り、罵声を浴びせた。その目は憎悪にまみれ、蹴りつける足にはいささかの遠慮もなかった。遠巻きに見つめる他のおとなたちもとめようとはしなかった。嫌悪を込めて足蹴にされるおれを見つめていた。
「きさまさえよけいなことをしなけりゃ、生け贄ひとりといくらかの財貨ですんだんだ! それを見ろ! きさまのせいでこれだけの人間が死んだ! この疫病神が!」
そう叫びながらおれを足蹴にするおとなたちに対し、おれはただ黙って耐えていることしか出来なかった。
おれはまちがってはいない?
生け贄など出そうとする方がまちがっている?
どちらが正しいかなど問題ではない。問題はおれが弱かったと言うこと。当時のおれには自分の意思を押し通すだけの強さがなかった。だから、負けた。だから、姉を守ることが出来なかった。弱いことこそがおれの罪だった。
おとなたちは散々おれをぶちのめしたあと、唾を吐き捨てて去って行った。おとなたちで協議しておれをどうするか決めるつもりだったんだろう。
おれに近づくものは誰もいなかった。おれに近づき介抱してくれたのはただひとり、ユキだけだった。
おれは泣きながらユキを抱きしめた。そのときのおれにあったのは恐怖だけだった。
このままならいずれ必ず、ユキも生け贄に選ばれ、鬼に捧げられるときが来る。
――ユキだけは、ユキだけは助けてみせる!
おれはそう誓った。
強くなる。
鬼よりも強くなって、鬼を倒してみせる。
そう誓ったんだ。
その夜、おれは村を出た。鬼を殺す力を手に入れ、ユキを助けるために。
そのために、大アトラス山嶺を徒歩で抜けて東に向かった。
そう。いまにして思えば無謀の極みだな。あの峻険な山々を一三歳の子供が、それもなんの準備もなく踏破しようというのだからな。
普通なら死んでいるところだ。だが、おれは生き残った。険しい山を越え、東の地へとたどり着いた。もともと山育ちで山には慣れていたし、幼い頃からの稽古のおかげで人並み外れて頑健だったということもある。
なにより、おれのなかにはカッカと燃える炎があった。怒りの炎、姉を助けられなかった自分への怒りの炎が。その炎がおれの体を内から熱し、峻険な山々の寒波をはね除けた。
そして、おれは盤古帝国にたどり着いた。そこからさらに東に向かい、修行を重ねた。
そして、一〇年。
おれは帰ってきた。
鬼を殺す力を手に入れて。
ユキがまだ無事でいれば鬼を殺し、ユキを助けるために。
すでに生け贄に捧げられてしまっていればやはり鬼を殺し、仇を討つために。
そのためにおれは戻ってきた。そう。おれは鬼を殺す。そして、ユキを助ける。そのために――。
いまから鬼のもとに向かう。
おれが七歳になった頃、元首の選出を巡って国民同士の争いが起きた。めずらしいことではない。ヌーナでは毎年どころか、毎月のように同じような争いが起きていたからな。ほんの七歳の子供でさえ慣れっこになっていた。正直『またか』ぐらいにしか思っていなかった。
だが、このときの争いはなかなかに激しいものだった。一度に五人の候補者が立候補し、それぞれに支持者がついていたことも原因だったのだろう。支持者同士が争い、流血沙汰にまで発展した。
いくらヌーナでも実際に暴力が振るわれることは稀だ。ほとんどの場合は言い争い、罵倒はしても、選挙によって新しい元首が選ばれればとりあえずは平穏を取り戻す。
そんな具合だった。
だが、その年はちがった。支持者同士の罵りあいが際限なく加熱していき、ついにはある派閥が別の派閥を襲撃した。襲われた派閥が応戦し、さらに別の派閥が加わり、国全体を巻き込む内戦にまで発展した。まあ、それも、ヌーナにとっては数年に一度は起こる程度のことでしかなかったが。
そんななか、ひとりの候補者が争いを避けるため、支持者を引き連れてヌーナを出る決意をした。これも別にめずらしいことではない。争いに負けた派閥が追放されたり、そもそも争いを避けるために自ら出て行くことはよくあることだ。
ただ、この集団にはそれまでとはちがう点があった。
ほとんどの場合、追放された派閥や自ら出ていったものたちはパンゲアに行く。パンゲアはヌーナにとってほぼ唯一、交流のある国であり、馴染みがあったからな。
それに、大国パンゲアなら数百人程度の難民を受け入れることはなんでもない。なによりも経済的な繁栄が天地の差だ。パンゲアに逃れれば一定の生活は保障される。だが――。
ヌーナの民にとっては重大な問題がある。パンゲアは天帰教会が絶対の権力を握っており、天帰教の教皇が最高指導者として君臨している。『民衆自身の手で国の元首を選ぶ』という余地はまったくない。
それは、『国家元首は自ら選ぶ』ことに限りない誇りをもつヌーナ人にとっては屈辱以外のなにものでもない。自らの誇りとする権利を投げすて、自分が選んだわけでもない相手に従わなければならないのだからな。だが、ほとんどの場合、ヌーナにいられなくなった身であることをもってその権利の喪失と見なし、パンゲアの法のもとで暮らすことを選んだ。
だが、その年のその集団はちがった。あくまでも『自分たちの元首は自分たちで選ぶ』権利を守ろうとした。そのため、パンゲアには向かわず、さらなる山奥を切り開いて自分たちの国を作ろうとした。
その数およそ三〇〇人。自ら選んだ指導者に率いられたその集団はヌーナを出、さらなる山奥へと向かった。おれの両親もその集団の一員だった。おれは姉と共に両親に連れられて、この旅に加わった。
そして、おれのとなりにいたのが幼馴染みのユキだ。まだ七歳ではあったが、おれはユキが好きだった。恋人同士だった。少なくとも、自分たちではそう思っていた。手作りの草の指輪を交換し、将来を約束した仲だった。
――ユキはおれが守る。
子供心にそう誓い、ユキの手をしっかりと握りしめて山を歩きつづけた。
やがて、ある場所に到達した。おとなたちは顔を集めて相談し、その地を切り開いて自分たちの国、自分たちの理想を実現できる国を作ることに決めた。
だが、その地には大きな問題があった。
そこは鬼の縄張りだった。狩猟地と言ってもいい。だが、だからこそ、他の人間は寄りつかず、争いに巻き込まれる心配もなければ、山賊に襲われる不安もない。わずか三〇〇人程度の小集団にとっては『他の人間に襲われる心配がない』ことがなにより大切だった。
――鬼に関しては交渉して許しを得れば良い。
おとなたちはそう判断した。
そして、その地を切り開き、自分たちの国を作ろうとした。もちろん、実体は小さな村、いや、単なる住み処と言った方がいいような場所に過ぎなかった。しかし、当人たちはあくまでも本気で『自分たちの理想の国を作ろう』との思いに燃えていた。
おれも七歳の子供なりに必死に働いた。草刈りでも、薪拾いでも、子守でも、その歳の子どもに出来ることはなんでもやった。
そうすることで、ユキとの将来を確かなものにできる。
そう信じていた。
だが、ある日、鬼との交渉に出向いていたおとなたちが帰ってきた。そして、言った。
「この地に住むことを許してもらう条件として、毎年ひとりの娘を贄として捧げ、貢ぎ物を差し出すことにした」
そう。
ひどい話だ。
おとなたちは自分たちが他の人間に襲われずに暮らせるよう、自分たちの娘を犠牲とすることにしたんだ。
おれは怒った。反対した。それじゃまるで鬼がおれたちの支配者じゃないか。自分たちの元首は自分たちで選ぶ。その誇りは、矜持はどこへやった!
おれはそう、おとなたちに食ってかかった。だが、たった七歳の子どもの言うことなど聞いてもらえるはずがない。いや、むしろ、痛いところをついたからこそ、おとなたちの怒りを買ったのかも知れない。おれはおとなたちの腕一本で吹っ飛ばされた。
生け贄は実行された。
クジによって娘のひとりが選ばれ、わずかばかりの蓄えと共に鬼のもとへと運ばれていった。おれはとめようとした。おとなたちに食ってかかり、かみつき、引っ掻き、ムチャクチャに暴れまわった。その結果として散々にぶちのめされ、納屋に閉じ込められた。
痣だらけの体でおれは泣いた。自分の意思を押し通すことも出来ない自分の弱さにだ。
そして、それから毎年ひとりずつ、クジによって生け贄の娘が選ばれ、なけなしの蓄えと共に鬼のもとへと運ばれていった。おれはそれを見て誓った。
――いつかきっと、おれがこんなことはやめさせる。鬼をおれの手で倒してみせる。
そのためにおれは、しゃにむに体を鍛えはじめた。
そんなおれを村の連中は、なにかの化け物を見るような目で見ていた。誰もがおれを避けていた。両親でさえもおれにはひどくよそよそしかった。そんなおれにまともに接してくれたのは四つ上の姉と、幼馴染みのユキだけだった。
そして、数年がたった。おれは一三歳になっていた。いまから一〇年前のことだ。
その年の生け贄としておれの姉が選ばれた。
そうとも。
おれの姉だ。ユキとただふたり、おれにまともに接してくれていた姉が生け贄に選ばれたんだ。
受け入れられるわけがない。
おれは姉を連れて逃げた。姉は反対した。そんなことをしたら村に迷惑がかかる。自分ひとりの命で他の人たちが助かるなら自分は鬼のもとに行く。
そう言ってな。
そう言う姉をおれは力ずくで引きずっていった。日頃の稽古のおかげで一三歳とは言え、一七の娘よりはずっと体も大きく、力も強くなっていたからな。おれは姉を洞窟に隠し――いや、監禁し――そのまま守り抜くつもりだった。だが――。
突如として鬼が村を襲った。
おれが姉を連れて逃げたばかりに村は生け贄を出せなくなった。もちろん、村はかわりの生け贄を選ぼうとしたが、期日までには間に合わなかった。鬼からすれば、それは明らかに契約違反。
鬼の逆鱗にふれずにはいない行為だった。その報復として、鬼は村を襲った。
おとなたちに為す術はなかった。
本気の鬼に立ち向かえる人間などいるはずもない。村人たちに出来ることはただひとつ、改めて生け贄と財貨を送ることを約束し、怒りをなだめること。
それだけだった。
そして、鬼の怒りをなだめるためには一〇人の生け贄が必要だった。おとなたちは急いで一〇人の娘を選んだ。そのなかには、見つけ出されたおれの姉も含まれていた。
改めて鬼のもとへと連れて行かれるときのあの目、おれを見るその目をおれは忘れない。おれの行いを哀しむようなあの目だけは。
そして、おれにはおとなたちの怒りが向けられた。
「このガキ! なんてことしやがる!」
「てめえのせいで国が丸ごと滅びるところだったんだぞ! おれたちの理想の国がだ!」
「ガキだと思って大目に見ていたが、もう勘弁ならねえ! てめえみてえな疫病神は追い出してやる!』
おとなたちがよってたかっておれを殴り、蹴り、罵声を浴びせた。その目は憎悪にまみれ、蹴りつける足にはいささかの遠慮もなかった。遠巻きに見つめる他のおとなたちもとめようとはしなかった。嫌悪を込めて足蹴にされるおれを見つめていた。
「きさまさえよけいなことをしなけりゃ、生け贄ひとりといくらかの財貨ですんだんだ! それを見ろ! きさまのせいでこれだけの人間が死んだ! この疫病神が!」
そう叫びながらおれを足蹴にするおとなたちに対し、おれはただ黙って耐えていることしか出来なかった。
おれはまちがってはいない?
生け贄など出そうとする方がまちがっている?
どちらが正しいかなど問題ではない。問題はおれが弱かったと言うこと。当時のおれには自分の意思を押し通すだけの強さがなかった。だから、負けた。だから、姉を守ることが出来なかった。弱いことこそがおれの罪だった。
おとなたちは散々おれをぶちのめしたあと、唾を吐き捨てて去って行った。おとなたちで協議しておれをどうするか決めるつもりだったんだろう。
おれに近づくものは誰もいなかった。おれに近づき介抱してくれたのはただひとり、ユキだけだった。
おれは泣きながらユキを抱きしめた。そのときのおれにあったのは恐怖だけだった。
このままならいずれ必ず、ユキも生け贄に選ばれ、鬼に捧げられるときが来る。
――ユキだけは、ユキだけは助けてみせる!
おれはそう誓った。
強くなる。
鬼よりも強くなって、鬼を倒してみせる。
そう誓ったんだ。
その夜、おれは村を出た。鬼を殺す力を手に入れ、ユキを助けるために。
そのために、大アトラス山嶺を徒歩で抜けて東に向かった。
そう。いまにして思えば無謀の極みだな。あの峻険な山々を一三歳の子供が、それもなんの準備もなく踏破しようというのだからな。
普通なら死んでいるところだ。だが、おれは生き残った。険しい山を越え、東の地へとたどり着いた。もともと山育ちで山には慣れていたし、幼い頃からの稽古のおかげで人並み外れて頑健だったということもある。
なにより、おれのなかにはカッカと燃える炎があった。怒りの炎、姉を助けられなかった自分への怒りの炎が。その炎がおれの体を内から熱し、峻険な山々の寒波をはね除けた。
そして、おれは盤古帝国にたどり着いた。そこからさらに東に向かい、修行を重ねた。
そして、一〇年。
おれは帰ってきた。
鬼を殺す力を手に入れて。
ユキがまだ無事でいれば鬼を殺し、ユキを助けるために。
すでに生け贄に捧げられてしまっていればやはり鬼を殺し、仇を討つために。
そのためにおれは戻ってきた。そう。おれは鬼を殺す。そして、ユキを助ける。そのために――。
いまから鬼のもとに向かう。
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