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第二部 絆ぐ伝説
第二話二三章 海賊たち
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「武器をすてよ! 総員、新たなる頭に従え!」
海の厳しさに鍛えられた灰色の男のその宣言に――。
ハルベルトの仲間たちは怯えたように武器をすて、後ずさった。両手をあげ、降伏の意思を示す。
もし、ロウワンが見るからに強豪そうな大男でもあったら逆に、ここまで怯えることはなかっただろう。しかし、ロウワンは見た目はあくまでも一三歳の子供。そんな子供が荒くれものひとりをあっさり殺し、しかも、平然としている。その事実がロウワンをして、人の姿をした『なにか』に見せていた。事実、ゴロツキたちのロウワンを見る目は、物語のなかに出てくる異界の魔物を見る人間のそれだった。
その様子を見て、残り二隻の船員たちも次々と武器を捨てた。もとより、おこぼれ目当てにハルベルトに群がっていただけのゴロツキたち。共通の目的をもっていたわけではないし、ハルベルトという人物に心酔していたわけでもない。殺されたからと言って仇を取ってやろうなどと思う忠臣などひとりもいなかった。
ロウワンは怯えるゴロツキたちは無視してボウに視線を向けた。静かに尋ねた。
「あなたは?」
「ボウと申します、若き頭よ。ハルベルトからは『参謀長』と呼ばれておりました」
「参謀長ねえ」
ロウワンの後ろからおかしそうな声がした。
のっそりと、重々しいくせに柔軟さを感じさせる足音がした。まるで、食糧を求めて森を往くクマのようなその足音。その歩の運び方ひとつで、人並み外れた豪勇であることを感じさせる。
ガレノアだった。
ガレノアがニヤニヤと笑みを浮かべながらロウワンの横に並んだ。
「かつての下っ端船長が大した出世じゃねえか」
「ガレノアか……」
久しいな、と、灰色の男は旧知の熊人間に目をやった。
「風の噂に引退したって聞いていたのによ。まさか、お前がハルベルトの野郎のもとにいたとはな。どうりで、ポッと出のくせに襲撃の手際がよかったわけだぜ」
「知っているのか、ガレノア?」と、ロウワン。
「ああ。こいつは元軍人の海賊でよ。軍人だった頃から何度もやりあったもんさ」
ガレノアはそう言ってから野太い笑みをロウワンに向けた。
「こいつは役に立つぜ、ロウワン。このガレノアさまを手こずらせた軍人なんざ、後にも先にもこいつひとりだからな。こいつが手に入れば、それだけでやりあった甲斐があるってもんだ」
「そうか」
と、ロウワンは改めてボウに視線を向けた。
「では、ボウ。あなたを代表として話を進める。ハルベルト海凶団はこのロウワンに従う。そう思っていいんだな?」
「はい。あなたは古からの作法に則り、堂々と頭の座を懸けて挑み、勝利しました。ならば、あなたこそ我らが頭。私は古からの作法に従います」
「わかった。歓迎する。では、さっそく働いてもらおう。まずは、あなたの判断で抵抗しそうなものは全員、拘束した上で船室に閉じ込めるように。従うものたちを再編して船の操作に当たってくれ。それから、武器の類は大砲の砲弾も含めてすべて、こちらの船に移してくれ」
「かしこまりました」
ボウは重々しく頭を垂れると、その指示を実行するべく動きはじめた。
次いで、ロウワンはガレノアに指示した。
「ガレノア」
「おう」
「捕縛した三隻の船長を早急に選出してくれ」
「承知した」
と、こちらも時間を無駄にすることなく歩き去る。
ふう、と、一息ついたロウワンにミッキーが近づいた。
「よう、大したもんだぜ。命令する姿も堂に入ってるじゃないか。とても、あの小僧と同じ人間とは思えないねえ。『海の女』号に乗り込んだばかりの頃は、船酔いと船の匂いに苦しんで『帰る、帰る、うちに帰る!』なんて大泣きしてたのになあ」
言われて、ロウワンは頬を真っ赤にした。
「……言わないでくれ。あの頃は本当にただの子どもだったんだ。できることなら忘れたいことなんだ」
「いやいや、忘れるこたあないって。昔の自分を思い出して恥ずかしくなるのは、それだけ成長したってことだからな」
「……そうだな」
と、ロウワンは改めて息をついた。
「あの時期を乗り越えられたのは、あなたやドク・フィドロが親身になって世話してくれたおかげだ。得にあなたには世話になった。あなたに教えられた手話や生存技術がなかったら、ハルキス先生の島に着いたあと、生き延びることも出来なかった。ありがとう」
ミッキーは照れくさそうに笑って見せた。指で鼻の下などをこすってみせる。
「なあに、いいってことよ。これだけ立派に成長したなら世話した甲斐もあるってもんだからな」
その頃にはもうひとりの恩人であるドク・フィドロも医師としての行動を開始していた。戦いが終わったと見るやその好々爺然とした姿を船室から現わし、怪我人たちを見てまわり、三つの集団にわけた。
ひとつは軽傷で、さしあたっては放置していてもかまわない集団。
ふたつ目は重傷ですぐに治療を施さなければならない集団。
そして、三つ目は――。
すでに、手遅れの集団。
ドクはこの第三の集団を集めると、手早く毒を飲ませてこれ以上、苦しまないように安楽死させた。残酷なように見えてもこれが正解なのである。薬も人手も限られているなか、助からないものを助けようと躍起になれば、それ以外の助かるはずだったものたちまで助からなくなる。
そうなれば、無駄に死者が増える。切り捨てるべきは切り捨ててこそより多くの人間を救えるのだし、『船』という『辺境』で医療を行うためにはそれができるだけの非情さが必要なのだ。
ドクは第三集団を安楽死させると、第二集団の治療に取りかかった。妻のマーサと娘のナリスも手伝っている。
トウナも自分から手伝った。マーサはともかく、一〇歳のナリスでさえ助手として働いているのだ。それなのに、なにもしないで立っているだけ、などというのは、かの人の矜持が許さなかった。
漁村であれば漁の最中や船の修理などで怪我をするなど当たり前。毒をもつ魚に刺されたり、毒蛇に噛まれたりすることもある。そんなとき、専門の医師などいない離れ小島の漁村では、自分たちで治療して治すしかない。そんな漁村の娘として、怪我の治療には慣れているのだ。
トウナはドクの指示に従い、テキパキと治療を進めた。患者のなかに見覚えのある黒人の姿があった。
「プリンス、だったわね。あなたも怪我をしているじゃない。早く脱いで」
「い、いや、おれは……」
プリンスはあわてて後ずさった。戦闘中の、人とも思えない勇猛さが嘘のような腰抜けな態度だった。
「早く。放っておいたら傷口が化膿して大変なことになるわよ」
トウナの言うことはもっともだった。大きな傷こそないものの、一貫して最前線で戦っていただけに幾つもの傷を負っているのだ。早く治療しなければ傷口が腐りはじめる。
「いや、おれはドクに……」
そう言うプリンスの頬は真っ赤になっているのだが、黒い肌のせいでそのことがわからない。トウナは押しを強く、迫った。タラの島で怪我の治療を嫌がる子どもたちを相手にしたことが何度もあるのだ。
「ドクはもっと重傷の人たちの治療にかかりきりなの。いいから、早く脱いで」
強引に脱がせにかかる。プリンスは一応は抵抗したものの、治療してくれようという少女を力ずくではね除けるわけにもいかず、結局は服を脱がされてしまった。そして――。
トウナの表情がかわった。驚きと、それ以上の恐怖に支配された。
プリンスの広い背中。そこには一面に鞭の跡が残っていた。
「これは……」
「……もとは奴隷だからな。鞭で打たれるなんていつものことだった」
「……そう」
トウナは短く答えた。それ以外、なにを言っていいのかわからなかった。
「……とにかく、治療を」
トウナはプリンスの傷口を酒で洗い、煮沸消毒した布で丁寧に拭き取ると、ドクから手渡された薬を塗り込んでいった。その上から包帯を巻き付ける。
「……終わったわ」
「……ありがとう」
「……いえ」
「おーい、トウナ!」
マーサの呼ぶ声がした。
「そっちは男連中に任せておいていいから、こっちを手伝っておくれ。女手が必要なんだ」
「わかったわ。それじゃ、プリンス……」
「……ああ。ありがとう」
トウナはマーサに呼ばれ、船室に入った。そこには十数人もの、ほんの少年に見える船員たちが集まっていた。
――なに? 男の子たち? あたしとあんまりかわらないように見えるけど……こんな男の子たちまで乗っていたの?
トウナはそう思ったが、同時に首をひねった。『男の子』と言うにはなにか引っかかるものがあったのだ。その違和感の正体は『男の子』たちが治療のために服を脱ぎはじめたときにすぐわかった。その『男の子』たちは皆、女性だったのだ。
「女性がこんなに乗っていたの?」
トウナはさすがに驚いて目を丸くした。
マーサが答えた。
「まあね。昔っから『船に女を乗せるのは不吉だ』って言われていてね。女は簡単には船に乗せちゃもらえないのさ」
「でも、あなたやナリスは……」
「医者っていう重要な船員の女房と娘だからだよ。そんなコネのない女たちが船に乗るには男装する必要があるのさ。たいていの女は男の格好をすると男の子に見えるからね。見習いとして雇ってもらえるんだ」
それに、と、マーサは付け加えた。
「男どものなかで女の格好をしていると、いろいろまずいことがあるからね」
わかるだろう、と、マーサは視線で尋ねた。
トウナはうなずいた。もちろん、その言葉の意味はわかる。島の女たちがときおりやってくる海賊や船乗り相手に『世話を焼く』のをその目で見て来たトウナである。ロウワンのような『お子ちゃま』とはちがう。
「ま、うちの場合、お頭が女だったからよそよりはましだったけどね。それでも、女が海に出るには『女のまま』では、いられないのさ」
マーサはそう言って男装をといた女性船員たちの治療をはじめた。トウナとナリスはそろって助手として働いた。
その頃にはロウワンの指示もあらかた遂行されていた。
「ロウワンどの」
と、物堅い灰色の男は、孫のような年代の少年相手にあくまでも敬意を払って接している。
「武器弾薬の移送、終了しました」
「わかった。ありがとう、ご苦労さま」
ロウワンはねぎらいの言葉をかけてからつづけた。
「ハルベルト海凶団には根城にしている島はあるのか?」
「はい。この近くの比較的、大きな島にアジトを作っております。現時点で千人近い人間が住んでおります」
「千人? そんなにいるのか? 下手な居留地より多いじゃないか」
「ほとんどが酒場の女ですが」
その言葉に――。
ガレノアが嘲笑った。
「穴をそろえるのだけは熱心てわけか。ポッと出のヤンチャ野郎らしいな」
「穴をそろえる? どういう意味だ?
ロウワンが真顔で尋ねた。
『酒場の女』と聞いても『酒を出す店員』としか想像できない『お子ちゃま』ロウワンである。『穴』という言葉の意味などわかるわけもない。
ロウワンの質問に、その場は静まり返った。ロウワンはなぜそんなことになったのかわからず、頭のまわりに『?』マークを飛ばしている。
やがて、ガレノアが豪快に笑い飛ばした。
「わっはっはっはっ! 穴は男の人生にゃ付きものってことさ。お前もいずれわかる」
笑いながらロウワンの背中をバシバシ叩く。
「と、とにかく、ハルベルト海凶団のアジトに向かう。そこで、船員たちも含めて全員に都市網国家の説明を行う。参加を希望するものは受け入れ、希望しないもの、陸に帰りたがっているものは港まで送るよう手配する。それが終わったらタラの島に凱旋だ。ガレノア。自由の国の提督として船団の指揮を執ってくれ」
「おう、任せな。お頭」
指示を終えて去っていくロウワンの背中を見ながら、ボウが呟いた。
「……ありがとう、ご苦労さま、か。そんな言葉はとんと言われた覚えがないな」
「へっ、やけにしんみりしてるじゃねえか。おめえも年取ったもんだな。やっぱ、現役復帰なんてせずに陸でのらくらしてた方がよかったんじゃねえか?」
「ふん。酒だけ飲んで暮らすには人生は長すぎる。お前も一度、引退してみればわかる」
「へっ、一緒にすんじゃねえよ。誰が引退なんぞするか。おれさまは一生、現役だぜ」
お前らしい、と、ボウは言った。
「……正直、ハルベルトのもとでは海に戻ったことが正しかったのかどうかわからなかった。だが、とうやく、これでよかったのだと思えるようになった」
人と人の争いを終わらせる、か。
ボウは噛みしめるように呟いた。
「この歳になってようやく、この命を懸けるに足る夢に出会えた気がする」
ほっ、と、ガレノアは一瞬、虚を突かれた表情になった。それから、豪快に笑い出した。
「わっはっはっはっ! さすがだぜ、わかってるじゃねえか。よおし、今夜はとことん飲もうぜ。おれたちの夢の前祝いだ!」
海の厳しさに鍛えられた灰色の男のその宣言に――。
ハルベルトの仲間たちは怯えたように武器をすて、後ずさった。両手をあげ、降伏の意思を示す。
もし、ロウワンが見るからに強豪そうな大男でもあったら逆に、ここまで怯えることはなかっただろう。しかし、ロウワンは見た目はあくまでも一三歳の子供。そんな子供が荒くれものひとりをあっさり殺し、しかも、平然としている。その事実がロウワンをして、人の姿をした『なにか』に見せていた。事実、ゴロツキたちのロウワンを見る目は、物語のなかに出てくる異界の魔物を見る人間のそれだった。
その様子を見て、残り二隻の船員たちも次々と武器を捨てた。もとより、おこぼれ目当てにハルベルトに群がっていただけのゴロツキたち。共通の目的をもっていたわけではないし、ハルベルトという人物に心酔していたわけでもない。殺されたからと言って仇を取ってやろうなどと思う忠臣などひとりもいなかった。
ロウワンは怯えるゴロツキたちは無視してボウに視線を向けた。静かに尋ねた。
「あなたは?」
「ボウと申します、若き頭よ。ハルベルトからは『参謀長』と呼ばれておりました」
「参謀長ねえ」
ロウワンの後ろからおかしそうな声がした。
のっそりと、重々しいくせに柔軟さを感じさせる足音がした。まるで、食糧を求めて森を往くクマのようなその足音。その歩の運び方ひとつで、人並み外れた豪勇であることを感じさせる。
ガレノアだった。
ガレノアがニヤニヤと笑みを浮かべながらロウワンの横に並んだ。
「かつての下っ端船長が大した出世じゃねえか」
「ガレノアか……」
久しいな、と、灰色の男は旧知の熊人間に目をやった。
「風の噂に引退したって聞いていたのによ。まさか、お前がハルベルトの野郎のもとにいたとはな。どうりで、ポッと出のくせに襲撃の手際がよかったわけだぜ」
「知っているのか、ガレノア?」と、ロウワン。
「ああ。こいつは元軍人の海賊でよ。軍人だった頃から何度もやりあったもんさ」
ガレノアはそう言ってから野太い笑みをロウワンに向けた。
「こいつは役に立つぜ、ロウワン。このガレノアさまを手こずらせた軍人なんざ、後にも先にもこいつひとりだからな。こいつが手に入れば、それだけでやりあった甲斐があるってもんだ」
「そうか」
と、ロウワンは改めてボウに視線を向けた。
「では、ボウ。あなたを代表として話を進める。ハルベルト海凶団はこのロウワンに従う。そう思っていいんだな?」
「はい。あなたは古からの作法に則り、堂々と頭の座を懸けて挑み、勝利しました。ならば、あなたこそ我らが頭。私は古からの作法に従います」
「わかった。歓迎する。では、さっそく働いてもらおう。まずは、あなたの判断で抵抗しそうなものは全員、拘束した上で船室に閉じ込めるように。従うものたちを再編して船の操作に当たってくれ。それから、武器の類は大砲の砲弾も含めてすべて、こちらの船に移してくれ」
「かしこまりました」
ボウは重々しく頭を垂れると、その指示を実行するべく動きはじめた。
次いで、ロウワンはガレノアに指示した。
「ガレノア」
「おう」
「捕縛した三隻の船長を早急に選出してくれ」
「承知した」
と、こちらも時間を無駄にすることなく歩き去る。
ふう、と、一息ついたロウワンにミッキーが近づいた。
「よう、大したもんだぜ。命令する姿も堂に入ってるじゃないか。とても、あの小僧と同じ人間とは思えないねえ。『海の女』号に乗り込んだばかりの頃は、船酔いと船の匂いに苦しんで『帰る、帰る、うちに帰る!』なんて大泣きしてたのになあ」
言われて、ロウワンは頬を真っ赤にした。
「……言わないでくれ。あの頃は本当にただの子どもだったんだ。できることなら忘れたいことなんだ」
「いやいや、忘れるこたあないって。昔の自分を思い出して恥ずかしくなるのは、それだけ成長したってことだからな」
「……そうだな」
と、ロウワンは改めて息をついた。
「あの時期を乗り越えられたのは、あなたやドク・フィドロが親身になって世話してくれたおかげだ。得にあなたには世話になった。あなたに教えられた手話や生存技術がなかったら、ハルキス先生の島に着いたあと、生き延びることも出来なかった。ありがとう」
ミッキーは照れくさそうに笑って見せた。指で鼻の下などをこすってみせる。
「なあに、いいってことよ。これだけ立派に成長したなら世話した甲斐もあるってもんだからな」
その頃にはもうひとりの恩人であるドク・フィドロも医師としての行動を開始していた。戦いが終わったと見るやその好々爺然とした姿を船室から現わし、怪我人たちを見てまわり、三つの集団にわけた。
ひとつは軽傷で、さしあたっては放置していてもかまわない集団。
ふたつ目は重傷ですぐに治療を施さなければならない集団。
そして、三つ目は――。
すでに、手遅れの集団。
ドクはこの第三の集団を集めると、手早く毒を飲ませてこれ以上、苦しまないように安楽死させた。残酷なように見えてもこれが正解なのである。薬も人手も限られているなか、助からないものを助けようと躍起になれば、それ以外の助かるはずだったものたちまで助からなくなる。
そうなれば、無駄に死者が増える。切り捨てるべきは切り捨ててこそより多くの人間を救えるのだし、『船』という『辺境』で医療を行うためにはそれができるだけの非情さが必要なのだ。
ドクは第三集団を安楽死させると、第二集団の治療に取りかかった。妻のマーサと娘のナリスも手伝っている。
トウナも自分から手伝った。マーサはともかく、一〇歳のナリスでさえ助手として働いているのだ。それなのに、なにもしないで立っているだけ、などというのは、かの人の矜持が許さなかった。
漁村であれば漁の最中や船の修理などで怪我をするなど当たり前。毒をもつ魚に刺されたり、毒蛇に噛まれたりすることもある。そんなとき、専門の医師などいない離れ小島の漁村では、自分たちで治療して治すしかない。そんな漁村の娘として、怪我の治療には慣れているのだ。
トウナはドクの指示に従い、テキパキと治療を進めた。患者のなかに見覚えのある黒人の姿があった。
「プリンス、だったわね。あなたも怪我をしているじゃない。早く脱いで」
「い、いや、おれは……」
プリンスはあわてて後ずさった。戦闘中の、人とも思えない勇猛さが嘘のような腰抜けな態度だった。
「早く。放っておいたら傷口が化膿して大変なことになるわよ」
トウナの言うことはもっともだった。大きな傷こそないものの、一貫して最前線で戦っていただけに幾つもの傷を負っているのだ。早く治療しなければ傷口が腐りはじめる。
「いや、おれはドクに……」
そう言うプリンスの頬は真っ赤になっているのだが、黒い肌のせいでそのことがわからない。トウナは押しを強く、迫った。タラの島で怪我の治療を嫌がる子どもたちを相手にしたことが何度もあるのだ。
「ドクはもっと重傷の人たちの治療にかかりきりなの。いいから、早く脱いで」
強引に脱がせにかかる。プリンスは一応は抵抗したものの、治療してくれようという少女を力ずくではね除けるわけにもいかず、結局は服を脱がされてしまった。そして――。
トウナの表情がかわった。驚きと、それ以上の恐怖に支配された。
プリンスの広い背中。そこには一面に鞭の跡が残っていた。
「これは……」
「……もとは奴隷だからな。鞭で打たれるなんていつものことだった」
「……そう」
トウナは短く答えた。それ以外、なにを言っていいのかわからなかった。
「……とにかく、治療を」
トウナはプリンスの傷口を酒で洗い、煮沸消毒した布で丁寧に拭き取ると、ドクから手渡された薬を塗り込んでいった。その上から包帯を巻き付ける。
「……終わったわ」
「……ありがとう」
「……いえ」
「おーい、トウナ!」
マーサの呼ぶ声がした。
「そっちは男連中に任せておいていいから、こっちを手伝っておくれ。女手が必要なんだ」
「わかったわ。それじゃ、プリンス……」
「……ああ。ありがとう」
トウナはマーサに呼ばれ、船室に入った。そこには十数人もの、ほんの少年に見える船員たちが集まっていた。
――なに? 男の子たち? あたしとあんまりかわらないように見えるけど……こんな男の子たちまで乗っていたの?
トウナはそう思ったが、同時に首をひねった。『男の子』と言うにはなにか引っかかるものがあったのだ。その違和感の正体は『男の子』たちが治療のために服を脱ぎはじめたときにすぐわかった。その『男の子』たちは皆、女性だったのだ。
「女性がこんなに乗っていたの?」
トウナはさすがに驚いて目を丸くした。
マーサが答えた。
「まあね。昔っから『船に女を乗せるのは不吉だ』って言われていてね。女は簡単には船に乗せちゃもらえないのさ」
「でも、あなたやナリスは……」
「医者っていう重要な船員の女房と娘だからだよ。そんなコネのない女たちが船に乗るには男装する必要があるのさ。たいていの女は男の格好をすると男の子に見えるからね。見習いとして雇ってもらえるんだ」
それに、と、マーサは付け加えた。
「男どものなかで女の格好をしていると、いろいろまずいことがあるからね」
わかるだろう、と、マーサは視線で尋ねた。
トウナはうなずいた。もちろん、その言葉の意味はわかる。島の女たちがときおりやってくる海賊や船乗り相手に『世話を焼く』のをその目で見て来たトウナである。ロウワンのような『お子ちゃま』とはちがう。
「ま、うちの場合、お頭が女だったからよそよりはましだったけどね。それでも、女が海に出るには『女のまま』では、いられないのさ」
マーサはそう言って男装をといた女性船員たちの治療をはじめた。トウナとナリスはそろって助手として働いた。
その頃にはロウワンの指示もあらかた遂行されていた。
「ロウワンどの」
と、物堅い灰色の男は、孫のような年代の少年相手にあくまでも敬意を払って接している。
「武器弾薬の移送、終了しました」
「わかった。ありがとう、ご苦労さま」
ロウワンはねぎらいの言葉をかけてからつづけた。
「ハルベルト海凶団には根城にしている島はあるのか?」
「はい。この近くの比較的、大きな島にアジトを作っております。現時点で千人近い人間が住んでおります」
「千人? そんなにいるのか? 下手な居留地より多いじゃないか」
「ほとんどが酒場の女ですが」
その言葉に――。
ガレノアが嘲笑った。
「穴をそろえるのだけは熱心てわけか。ポッと出のヤンチャ野郎らしいな」
「穴をそろえる? どういう意味だ?
ロウワンが真顔で尋ねた。
『酒場の女』と聞いても『酒を出す店員』としか想像できない『お子ちゃま』ロウワンである。『穴』という言葉の意味などわかるわけもない。
ロウワンの質問に、その場は静まり返った。ロウワンはなぜそんなことになったのかわからず、頭のまわりに『?』マークを飛ばしている。
やがて、ガレノアが豪快に笑い飛ばした。
「わっはっはっはっ! 穴は男の人生にゃ付きものってことさ。お前もいずれわかる」
笑いながらロウワンの背中をバシバシ叩く。
「と、とにかく、ハルベルト海凶団のアジトに向かう。そこで、船員たちも含めて全員に都市網国家の説明を行う。参加を希望するものは受け入れ、希望しないもの、陸に帰りたがっているものは港まで送るよう手配する。それが終わったらタラの島に凱旋だ。ガレノア。自由の国の提督として船団の指揮を執ってくれ」
「おう、任せな。お頭」
指示を終えて去っていくロウワンの背中を見ながら、ボウが呟いた。
「……ありがとう、ご苦労さま、か。そんな言葉はとんと言われた覚えがないな」
「へっ、やけにしんみりしてるじゃねえか。おめえも年取ったもんだな。やっぱ、現役復帰なんてせずに陸でのらくらしてた方がよかったんじゃねえか?」
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お前らしい、と、ボウは言った。
「……正直、ハルベルトのもとでは海に戻ったことが正しかったのかどうかわからなかった。だが、とうやく、これでよかったのだと思えるようになった」
人と人の争いを終わらせる、か。
ボウは噛みしめるように呟いた。
「この歳になってようやく、この命を懸けるに足る夢に出会えた気がする」
ほっ、と、ガレノアは一瞬、虚を突かれた表情になった。それから、豪快に笑い出した。
「わっはっはっはっ! さすがだぜ、わかってるじゃねえか。よおし、今夜はとことん飲もうぜ。おれたちの夢の前祝いだ!」
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