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第二部 絆ぐ伝説
第二話一九章 海凶ハルベルト
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「ようやく、見つけたぜ」
ハルベルトは望遠鏡をのぞき込みながら舌なめずりした。望遠鏡のレンズのなかにはここ一月あまりの間、狙いつづけている標的である『海の女』号が映っている。
「たかが海賊風情が一ヶ月もおれを引っぱりまわしやがって。さっさとやられて、おれの英雄伝説の一部になればいいんだ。それが、貴族さまと平民との関係ってものだろうが」
ハルベルトはまだ二一歳。その内面を反映してか表情は野卑なものだったが、顔立ちそのものは貴族の若君らしく端正なものだった。波打つ豊かな金髪に青い瞳。白い肌。それらも、ローラシア貴族の典型的な特徴。背も高く、均整のとれた体付きをしており、女性の気を惹く要素には事欠かない。
目を痛めているわけでもないのに右目を眼帯で覆い、上半身がすっぽり隠れてしまいそうなぐらい左右に大きくつばの張り出した船長帽をかぶっている。それに、足元まで裾の広がる長衣の船長服。腰には陸の世界では広く使われているが、丈夫な帆を切り裂いたり、水に濡れたロープを切断したりと言った船上での用途には向かないサーベルを差している。
帽子も服も黒字に金と銀の糸で刺繍した豪奢なもので、サーベルも無駄に装飾性の高い護拳をつけている。
見栄えばかりを問題とした実用性皆無の服装であり、現実の海賊とはなんの関係もない物語の表紙を飾る海賊そのものの姿。ロウワンの、大きすぎる船長服を着込んだその姿が児童による学芸会のものなら、ハルベルトの格好は貴族たちが自己満足のためにサロンで披露し、心にもないお世辞を言い合う金ピカ芝居だった。南洋のこの強い日差しと暑さのもと、まるで防寒着のように分厚い作りの長衣を、ただ見栄えのためだけに着込んでいるその根性だけは褒めてやってもいいかも知れない。
その金ピカ芝居の主人公はいま、生意気にも自分に逆らいつづける海賊船を今度こそ始末してやろうと指示を発した。
「砲撃戦、準備! 片っ端から撃ちまくって連中の度肝を抜いてやれ!」
オオッー、と、周囲が歓声をあげて盛りあがる。そのなかでただひとり、冷静に指摘する声がした。
「おまちください、ハルベルト提督。この距離で撃っても当たりはしません」
冷静に事実を指摘したのは『参謀長』のボウである。
ハルベルトはボウが密かに思うところの『軍隊ごっこ』に興じており、自身を『提督』と呼ばせているほか、配下のものたちにも軍隊と同様の階級と役職をつけている。そのなかで『参謀長』という重職に就いているのがボウというわけだった。
ボウは生粋の海の戦士だった。若い頃にはるか東方の盤古帝国から流れながれてやってきた。最初の頃は商船――と言っても、商売もするが略奪もすると言う、商船なんだか海賊船なんだかよくわからない船だったが――の船員として働き、その後、ローラシア海軍に入隊。独立して船をもち、海賊となった。
このあたりの海では豊富な知識と経験、そして、用意周到な戦術とで知られ、『海賊殺し』として怖れられていたものだった。
実際、どの国の海軍も兵士たちに対する過酷な扱いから練度も士気も低く、海賊船にはとても太刀打ちできないのだが、ボウの指揮する船だけは別だった。どのような海賊とも互角以上に渡りあい、戦果をあげてきた。ローラシアの歴史上、軍を抜けるに当たって兵士たちが嘆き悲しんだ船長などおよそ、このボウただひとりである。
海賊になってからもその手腕は健在で、他の海賊たちから怖れられた。得に、ガレノアとは因縁の仲であり、海軍としても、海賊としても何度となくやり合ってきた。お互いに相手の力量も、性格も、知り尽くしている仲である。数年前まではボウとガレノアと言えば『海の双璧』と呼ばれ、他の海賊たちから怖れられるとともに敬意を表される存在だった。
髪も、髭も、肌さえも、南洋の強い日差しと潮風に鍛えられ、灰色に染まっている。見た目は七〇を超えた老人のようにも思えるが、それはこれまでの過酷な人生から来る老け込みであって、実際には五〇を超えたばかりである。
しかし、海賊としては高齢なのは事実。そのため、数年前に引退して、やることのない日々を酒場で過ごす毎日を送っていた。そこを、気まぐれに海賊になることにしたハルベルトに誘われた。その豊富な知識と経験を買われ、『参謀長』として誘われたのである。
海軍の参謀長と比較してもかなりの高額と言っていい報酬を提示されたが、それ自体はボウにとって魅力ある条件ではなかった。海賊生活によってすでに一財産は築いていたし、これから死ぬまでの間、金に困る心配まったくなかったからだ。
ただ、『酒だけを飲んで過ごすには残りの人生は長すぎる』ことに気がついた頃合いでもあり、『もう一度、海に出たい』との思いが募っていた頃でもあった。そのため、ハルベルトの誘いに乗り、再び海の世界に戻ってきた。
以来、『参謀長』として、若く、経験の少ないハルベルトを補佐してきた。もっとも、ハルベルトがボウの意見を聞くかどうかはまったく、その時その場の気分によるものだったが。
「提督」
と、灰色の参謀長は息子世代の艦長に向かって重ねて、言った。
「この距離で砲撃しても当たりはしません。貴重な砲弾を無駄にするだけです」
参謀長としてもっともな意見だったが、このときのハルベルトは他人の意見を聞く気分ではなかったらしい。ボウの忠言を一蹴してのけた。
「構わん。せいぜい脅してやればいい。砲弾なんぞ、親父に言えばいくらでも手に入る」
「提督。ガレノアを甘く見てはいけません。あやつはどんな国からの支援も受けることなく、己の腕一本を頼りに生き抜いてきた海賊です。追い詰めたと思ってもどのような反撃に出てくるかわかりません。それに……」
ボウは海の向こうに目をやった。そこには、『海の女』号によりそうようにして、もう一隻の見慣れない船がいた。ボウの灰色の肌に隠そうともしない警戒の念がにじんでいる。
「『海の女』号だけならともかく、見慣れない船がいます。しかも、あの船にはマストもなければ、櫂もない様子。それからして、あの船は……」
「やかましい! 年寄りの繰り言はたくさんだ。歳のせいで不安が尽きないというならとっとと引退して酒でも飲んでろ!」
事実、引退して酒を飲む毎日を送っていたと言うのに『年寄りの知識と経験を買って』仲間に誘ったくせに、そう言い放つハルベルトだった。
ハルベルトは本物の放蕩息子だった。
ローラシアでも名のある侯爵家の四男に産まれ、幼い頃から粗暴な振る舞いで周囲の眉をひそめさせてきた。もともと、貴族の家にとって次男や三男など長男が早死にした場合にそなえての予備に過ぎない。長男が無事に成長すればもはや用済み。
複数の子どもに財産を分割して贈り、財力と領地を小さくしていくわけにはいかないので、すべての財産は長男が受け継ぐ。となれば、次男、三男など用無しどころか単なる邪魔者。身の振り方など、後継者のいない貴族の家に養子に入るか、軍隊に入るか、さもなければ、兄のお情けでわずかばかりの年金をもらい、屋敷の片隅で無為の日々を送るぐらいしかない。
まして、ハルベルトは四男。しかも、幸か不幸か上の三人の兄はいずれも子どもの頃から強健で、早死にしそうな要素はまるでなかった。となれば、まったくのよけいものであり、両親も関心を示すことはほとんどなかった。
これは、ハルベルトにとっては願ってもない環境だった。
『関心がない』と言うことは、『なにをしてもお咎めなし』と言うこと。と言うわけで、幼い頃からやりたい放題。家庭教師の言いつけを破っては真剣を振りまわし、使用人やメイドを追いまわしていた。
家庭教師の方でも侯爵家の四男坊などまともに教育する気もなく、放っておいた。とにかく、家庭教師として雇われてさえいれば、実際に教育するかどうかなどには関係なく給料をもらえるのだから無理もない。下手に『教育』しようとして厳しく当たったら親に告げ口され、せっかくの職を失いかねない、と言う事情もあった。
両親にしてもよけいものの四男の教育程度などなんの興味も関心もなかったので、それで問題なかったのである。
と言うわけで、誰にもとめられることなくハルベルトの暴虐振りはどんどん増していった。一〇歳になる頃には町の不良少年たちを集めて盗賊団気取りになり、貧民街に押し入っては人を襲い、家に火を放った。別に殺すまでやる気はなかったのだが、ついついやり過ぎてしまい『結果として』死なせたことも何度もある。
これらはもちろんれっきとした犯罪であり、法に照らせば子どもとは言え死刑は免れない。しかし、そこは大陸一、身分制の厳しいローラシアのこと。貴族の若君が貧民や奴隷を相手にする限りにおいては、どれほど傷つけようと、殺そうと『若さまのたわむれ』ですんでしまう。被害に遭った側がどんなに憤ったところで罰せられることはない。
そんな環境のなか、ハルベルトの乱暴狼藉はますばかり。気がついてみれば『あいつのもとにいればなんだってやりたい放題だ』と舌なめずりする質の悪い連中が集まり、ちょっとした勢力に成りおおせていた。そして、二十歳を超えたあるとき、突然、『海賊になる』ことを決意。たまたま、見かけた海賊物語の表紙に描かれている海賊船長の姿が格好良かったから、と言うのがその理由である。
欠点をあげようと思えばいくらでもあげることの出来るハルベルトだが、『行動力がない』という悪評だけは存在しない。むしろ、『行動力がありすぎる』という問題があった。これはもちろん『考えなしにやりたい放題』という意味である。
ともかく、その行動力にものを言わせて父親に直談判し、船を手に入れてもらった。父親にしてみれば『なにやら揉め事ばかり起こしているよけいもの』が自分からいなくなると言い出しのだから好都合。喜んで、海軍に交渉し、中古の軍艦をまわしてやった。
かくして、ハルベルトは物語の表紙そのままの船長帽と船長服を身にまとい、ゴロツキ仲間たちを中心に、親の金にものを言わせて船乗りたちをかき集め――そのうちのひとりがボウである――海の世界へと乗り出した。
それだけなら別段、話題になるようなことでもない。
意気揚々と海に出たはいいものの、陸とは比べものにならない海の脅威に巻き込まれるか、海賊相手の抗争によって殺されるかして、そのまま忘れ去られるだけのことだった。そうなったところで、侯爵家の両親は悲しみもしなかったし、仇を取ろうともしなかったろう。なにしろ、船をくれてやった時点で『よけいものの四男』のことなど忘れ去っていたのだから。
ところが、ハルベルトは強運だった。あるいは、悪運だった。
強力な軍艦と無尽蔵の補給、そして、ボウという優秀な『参謀長』の存在によって近隣の海賊たちを次々と撃破。ハルベルト自身、貴族としてはまったくの失格だったが、海賊としては一定の素質と才能があったのかも知れない。
ともかく、急激に勢力を広げたハルベルトは調子に乗って『海賊王になる!』との野心を掲げ、活動を激化させた。その勢いのままにパンゲアの居留地のひとつを襲い、焼き払い、略奪し、住人を皆殺しにした。
この残虐行為によってハルベルトは海賊の枠を越え『海凶』と呼ばれる存在になったのである。海賊のなかでもひときわ残忍で、血に飢えた存在として。
普通であれば、ここまでやればさすがに問題となり、指名手配もされる。ところが、これがちょうど、パンゲアがローラシアに攻め込んだ矢先のことだったのだ。たちまち『単なる趣味』で行われた惨劇は『侵略者に挑む若き英雄』の行いとされ、新聞で報道され、ローラシア中で賛美された。
それを知った両親からも呼び戻され、生まれてはじめて息子扱いされた上に、後継者たる長男よりも上位に扱われた。
これに気をよくしたハルベルトはさらなる英雄を目指して暴れまわった。
さらに、ふたつの居留地を焼き払い、住人を皆殺しにした。そのうちのひとつはローラシアと同盟関係にあるゴンドワナ商王国の居留地であり、本来であれば外交上、はなはだまずい行為だった。しかし、都合の悪い事実は誰も報道したりしないからいいのである。
そのなかでハルベルトが標的に定めたのがガレノアと、ガレノア海賊団だった。この辺り一帯の海賊としてもっとも名の知られたガレノアである。そのガレノアを倒したとなればハルベルトはまさに近隣の王。辺り一帯の海賊を従える一大勢力と成りおおせることが出来る。
――そうなりゃあ、おれの国を作ることだってできるぜ!
かくして、ハルベルトは、海賊王として『南の海に自分の王国を作る』という野心を掲げ、ガレノア海賊団を追いまわしていたのだった。
そして、いま、絶好の機会を手に入れた。
目の前に『海の女』号がいる。しかも、先の戦闘で傷つき、いまにも沈みそうな様子のままで。となれば、ハルベルトとしては躊躇する理由はなかった。
「砲撃だ! 当たるかどうかなんて気にするな! 景気よく撃ちまくって、海賊王ハルベルトの誕生を祝いまくれ!」
ハルベルトは望遠鏡をのぞき込みながら舌なめずりした。望遠鏡のレンズのなかにはここ一月あまりの間、狙いつづけている標的である『海の女』号が映っている。
「たかが海賊風情が一ヶ月もおれを引っぱりまわしやがって。さっさとやられて、おれの英雄伝説の一部になればいいんだ。それが、貴族さまと平民との関係ってものだろうが」
ハルベルトはまだ二一歳。その内面を反映してか表情は野卑なものだったが、顔立ちそのものは貴族の若君らしく端正なものだった。波打つ豊かな金髪に青い瞳。白い肌。それらも、ローラシア貴族の典型的な特徴。背も高く、均整のとれた体付きをしており、女性の気を惹く要素には事欠かない。
目を痛めているわけでもないのに右目を眼帯で覆い、上半身がすっぽり隠れてしまいそうなぐらい左右に大きくつばの張り出した船長帽をかぶっている。それに、足元まで裾の広がる長衣の船長服。腰には陸の世界では広く使われているが、丈夫な帆を切り裂いたり、水に濡れたロープを切断したりと言った船上での用途には向かないサーベルを差している。
帽子も服も黒字に金と銀の糸で刺繍した豪奢なもので、サーベルも無駄に装飾性の高い護拳をつけている。
見栄えばかりを問題とした実用性皆無の服装であり、現実の海賊とはなんの関係もない物語の表紙を飾る海賊そのものの姿。ロウワンの、大きすぎる船長服を着込んだその姿が児童による学芸会のものなら、ハルベルトの格好は貴族たちが自己満足のためにサロンで披露し、心にもないお世辞を言い合う金ピカ芝居だった。南洋のこの強い日差しと暑さのもと、まるで防寒着のように分厚い作りの長衣を、ただ見栄えのためだけに着込んでいるその根性だけは褒めてやってもいいかも知れない。
その金ピカ芝居の主人公はいま、生意気にも自分に逆らいつづける海賊船を今度こそ始末してやろうと指示を発した。
「砲撃戦、準備! 片っ端から撃ちまくって連中の度肝を抜いてやれ!」
オオッー、と、周囲が歓声をあげて盛りあがる。そのなかでただひとり、冷静に指摘する声がした。
「おまちください、ハルベルト提督。この距離で撃っても当たりはしません」
冷静に事実を指摘したのは『参謀長』のボウである。
ハルベルトはボウが密かに思うところの『軍隊ごっこ』に興じており、自身を『提督』と呼ばせているほか、配下のものたちにも軍隊と同様の階級と役職をつけている。そのなかで『参謀長』という重職に就いているのがボウというわけだった。
ボウは生粋の海の戦士だった。若い頃にはるか東方の盤古帝国から流れながれてやってきた。最初の頃は商船――と言っても、商売もするが略奪もすると言う、商船なんだか海賊船なんだかよくわからない船だったが――の船員として働き、その後、ローラシア海軍に入隊。独立して船をもち、海賊となった。
このあたりの海では豊富な知識と経験、そして、用意周到な戦術とで知られ、『海賊殺し』として怖れられていたものだった。
実際、どの国の海軍も兵士たちに対する過酷な扱いから練度も士気も低く、海賊船にはとても太刀打ちできないのだが、ボウの指揮する船だけは別だった。どのような海賊とも互角以上に渡りあい、戦果をあげてきた。ローラシアの歴史上、軍を抜けるに当たって兵士たちが嘆き悲しんだ船長などおよそ、このボウただひとりである。
海賊になってからもその手腕は健在で、他の海賊たちから怖れられた。得に、ガレノアとは因縁の仲であり、海軍としても、海賊としても何度となくやり合ってきた。お互いに相手の力量も、性格も、知り尽くしている仲である。数年前まではボウとガレノアと言えば『海の双璧』と呼ばれ、他の海賊たちから怖れられるとともに敬意を表される存在だった。
髪も、髭も、肌さえも、南洋の強い日差しと潮風に鍛えられ、灰色に染まっている。見た目は七〇を超えた老人のようにも思えるが、それはこれまでの過酷な人生から来る老け込みであって、実際には五〇を超えたばかりである。
しかし、海賊としては高齢なのは事実。そのため、数年前に引退して、やることのない日々を酒場で過ごす毎日を送っていた。そこを、気まぐれに海賊になることにしたハルベルトに誘われた。その豊富な知識と経験を買われ、『参謀長』として誘われたのである。
海軍の参謀長と比較してもかなりの高額と言っていい報酬を提示されたが、それ自体はボウにとって魅力ある条件ではなかった。海賊生活によってすでに一財産は築いていたし、これから死ぬまでの間、金に困る心配まったくなかったからだ。
ただ、『酒だけを飲んで過ごすには残りの人生は長すぎる』ことに気がついた頃合いでもあり、『もう一度、海に出たい』との思いが募っていた頃でもあった。そのため、ハルベルトの誘いに乗り、再び海の世界に戻ってきた。
以来、『参謀長』として、若く、経験の少ないハルベルトを補佐してきた。もっとも、ハルベルトがボウの意見を聞くかどうかはまったく、その時その場の気分によるものだったが。
「提督」
と、灰色の参謀長は息子世代の艦長に向かって重ねて、言った。
「この距離で砲撃しても当たりはしません。貴重な砲弾を無駄にするだけです」
参謀長としてもっともな意見だったが、このときのハルベルトは他人の意見を聞く気分ではなかったらしい。ボウの忠言を一蹴してのけた。
「構わん。せいぜい脅してやればいい。砲弾なんぞ、親父に言えばいくらでも手に入る」
「提督。ガレノアを甘く見てはいけません。あやつはどんな国からの支援も受けることなく、己の腕一本を頼りに生き抜いてきた海賊です。追い詰めたと思ってもどのような反撃に出てくるかわかりません。それに……」
ボウは海の向こうに目をやった。そこには、『海の女』号によりそうようにして、もう一隻の見慣れない船がいた。ボウの灰色の肌に隠そうともしない警戒の念がにじんでいる。
「『海の女』号だけならともかく、見慣れない船がいます。しかも、あの船にはマストもなければ、櫂もない様子。それからして、あの船は……」
「やかましい! 年寄りの繰り言はたくさんだ。歳のせいで不安が尽きないというならとっとと引退して酒でも飲んでろ!」
事実、引退して酒を飲む毎日を送っていたと言うのに『年寄りの知識と経験を買って』仲間に誘ったくせに、そう言い放つハルベルトだった。
ハルベルトは本物の放蕩息子だった。
ローラシアでも名のある侯爵家の四男に産まれ、幼い頃から粗暴な振る舞いで周囲の眉をひそめさせてきた。もともと、貴族の家にとって次男や三男など長男が早死にした場合にそなえての予備に過ぎない。長男が無事に成長すればもはや用済み。
複数の子どもに財産を分割して贈り、財力と領地を小さくしていくわけにはいかないので、すべての財産は長男が受け継ぐ。となれば、次男、三男など用無しどころか単なる邪魔者。身の振り方など、後継者のいない貴族の家に養子に入るか、軍隊に入るか、さもなければ、兄のお情けでわずかばかりの年金をもらい、屋敷の片隅で無為の日々を送るぐらいしかない。
まして、ハルベルトは四男。しかも、幸か不幸か上の三人の兄はいずれも子どもの頃から強健で、早死にしそうな要素はまるでなかった。となれば、まったくのよけいものであり、両親も関心を示すことはほとんどなかった。
これは、ハルベルトにとっては願ってもない環境だった。
『関心がない』と言うことは、『なにをしてもお咎めなし』と言うこと。と言うわけで、幼い頃からやりたい放題。家庭教師の言いつけを破っては真剣を振りまわし、使用人やメイドを追いまわしていた。
家庭教師の方でも侯爵家の四男坊などまともに教育する気もなく、放っておいた。とにかく、家庭教師として雇われてさえいれば、実際に教育するかどうかなどには関係なく給料をもらえるのだから無理もない。下手に『教育』しようとして厳しく当たったら親に告げ口され、せっかくの職を失いかねない、と言う事情もあった。
両親にしてもよけいものの四男の教育程度などなんの興味も関心もなかったので、それで問題なかったのである。
と言うわけで、誰にもとめられることなくハルベルトの暴虐振りはどんどん増していった。一〇歳になる頃には町の不良少年たちを集めて盗賊団気取りになり、貧民街に押し入っては人を襲い、家に火を放った。別に殺すまでやる気はなかったのだが、ついついやり過ぎてしまい『結果として』死なせたことも何度もある。
これらはもちろんれっきとした犯罪であり、法に照らせば子どもとは言え死刑は免れない。しかし、そこは大陸一、身分制の厳しいローラシアのこと。貴族の若君が貧民や奴隷を相手にする限りにおいては、どれほど傷つけようと、殺そうと『若さまのたわむれ』ですんでしまう。被害に遭った側がどんなに憤ったところで罰せられることはない。
そんな環境のなか、ハルベルトの乱暴狼藉はますばかり。気がついてみれば『あいつのもとにいればなんだってやりたい放題だ』と舌なめずりする質の悪い連中が集まり、ちょっとした勢力に成りおおせていた。そして、二十歳を超えたあるとき、突然、『海賊になる』ことを決意。たまたま、見かけた海賊物語の表紙に描かれている海賊船長の姿が格好良かったから、と言うのがその理由である。
欠点をあげようと思えばいくらでもあげることの出来るハルベルトだが、『行動力がない』という悪評だけは存在しない。むしろ、『行動力がありすぎる』という問題があった。これはもちろん『考えなしにやりたい放題』という意味である。
ともかく、その行動力にものを言わせて父親に直談判し、船を手に入れてもらった。父親にしてみれば『なにやら揉め事ばかり起こしているよけいもの』が自分からいなくなると言い出しのだから好都合。喜んで、海軍に交渉し、中古の軍艦をまわしてやった。
かくして、ハルベルトは物語の表紙そのままの船長帽と船長服を身にまとい、ゴロツキ仲間たちを中心に、親の金にものを言わせて船乗りたちをかき集め――そのうちのひとりがボウである――海の世界へと乗り出した。
それだけなら別段、話題になるようなことでもない。
意気揚々と海に出たはいいものの、陸とは比べものにならない海の脅威に巻き込まれるか、海賊相手の抗争によって殺されるかして、そのまま忘れ去られるだけのことだった。そうなったところで、侯爵家の両親は悲しみもしなかったし、仇を取ろうともしなかったろう。なにしろ、船をくれてやった時点で『よけいものの四男』のことなど忘れ去っていたのだから。
ところが、ハルベルトは強運だった。あるいは、悪運だった。
強力な軍艦と無尽蔵の補給、そして、ボウという優秀な『参謀長』の存在によって近隣の海賊たちを次々と撃破。ハルベルト自身、貴族としてはまったくの失格だったが、海賊としては一定の素質と才能があったのかも知れない。
ともかく、急激に勢力を広げたハルベルトは調子に乗って『海賊王になる!』との野心を掲げ、活動を激化させた。その勢いのままにパンゲアの居留地のひとつを襲い、焼き払い、略奪し、住人を皆殺しにした。
この残虐行為によってハルベルトは海賊の枠を越え『海凶』と呼ばれる存在になったのである。海賊のなかでもひときわ残忍で、血に飢えた存在として。
普通であれば、ここまでやればさすがに問題となり、指名手配もされる。ところが、これがちょうど、パンゲアがローラシアに攻め込んだ矢先のことだったのだ。たちまち『単なる趣味』で行われた惨劇は『侵略者に挑む若き英雄』の行いとされ、新聞で報道され、ローラシア中で賛美された。
それを知った両親からも呼び戻され、生まれてはじめて息子扱いされた上に、後継者たる長男よりも上位に扱われた。
これに気をよくしたハルベルトはさらなる英雄を目指して暴れまわった。
さらに、ふたつの居留地を焼き払い、住人を皆殺しにした。そのうちのひとつはローラシアと同盟関係にあるゴンドワナ商王国の居留地であり、本来であれば外交上、はなはだまずい行為だった。しかし、都合の悪い事実は誰も報道したりしないからいいのである。
そのなかでハルベルトが標的に定めたのがガレノアと、ガレノア海賊団だった。この辺り一帯の海賊としてもっとも名の知られたガレノアである。そのガレノアを倒したとなればハルベルトはまさに近隣の王。辺り一帯の海賊を従える一大勢力と成りおおせることが出来る。
――そうなりゃあ、おれの国を作ることだってできるぜ!
かくして、ハルベルトは、海賊王として『南の海に自分の王国を作る』という野心を掲げ、ガレノア海賊団を追いまわしていたのだった。
そして、いま、絶好の機会を手に入れた。
目の前に『海の女』号がいる。しかも、先の戦闘で傷つき、いまにも沈みそうな様子のままで。となれば、ハルベルトとしては躊躇する理由はなかった。
「砲撃だ! 当たるかどうかなんて気にするな! 景気よく撃ちまくって、海賊王ハルベルトの誕生を祝いまくれ!」
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