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第二部 絆ぐ伝説
第二話一四章 裏切られない条件
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『輝きは消えず』号はタラの島を出航した。
船上にいるものはロウワンとビーブ、そして、トウナ。
トウナはもちろん、すでにロウワンたちの仲間のつもりでいるがそれだけではない。タラの島の代表として、ロウワンの行いを見届ける証人としても同行する必要があるのだった。
『輝きは消えず』号は相変わらずトウナが乗り込んでいることが気に入らないと見えて、なにかと『お化粧』を要求してきた。しかし、ここまで来るとトウナも意地である。言われるまでもなく船内の隅々までピカピカに磨きあげ、文句を言えないようにした。
なにしろ、漁村の娘。男たちが漁から帰ってくれば村人総出で船の手入れをしなければならない。船の清掃や手入れには慣れているのだ。
「どう? これでもまだ文句ある?」
モップを聖剣のごとく掲げて勝ち誇った表情で宣言する。
『輝きは消えず』号も困ったらしい。文句を言いたいが、つけようがない。なんとも煮え切らない様子で船体を『ブルッ』と振るわせたきり、なにも要求しなくなった。それを感じたトウナは、
――勝った!
と、ひとり、拳を突きあげたのだった。
人間の少女と船の女性。
なかなかに陰湿な女同士の争いが繰り広げられるなか、ロウワンは望遠鏡をのぞき込んで海の様子を確かめていた。ちなみにビーブはあいかわらず潮風で毛がベタつくのが気に入らないらしく、時間さえあれば毛繕いしている。
「様子はどう?」
トウナはモップ片手に尋ねた。『輝きは消えず』号に乗り込んでいる限り、このモップこそはトウナの相棒であり最大の武器である。
ロウワンは望遠鏡であたりを一通り見渡してから答えた。
「まだ、見えないな」
「本当にこの辺にいるの?」
トウナは重ねて尋ねた。ロウワンが旧知の海賊であるガレノアとその船を探してこの海域にやってきたことをトウナはもちろん、知っている。
「ガレノアはこのあたりの海を根城にしている海賊だ。必ずいる」
「でも、それって一年前のことでしょう? どこか、別の場所に移ったんじゃない?」
「ガレノアは二〇年以上、海賊として活動してきた。その間ずっと、この海域を根城にしてきたんだ。このあたりのことは知り尽くしているし、アジトにしている島も幾つもあるそうだ。一年やそこらでそれらを捨てて別の海の移るなんてまず考えられない」
「でも……」
と、トウナの顔に不安がよぎった。それだけではなく、ロウワンを責めるような表情もわずかながらに混じっていた。
「……本当に、そのガレノアっていう海賊を仲間にするつもりなの?」
「もちろんだ」
ロウワンは迷いなく答えた。
「いまも言ったとおり、ガレノアは二〇年以上、海賊として活動してきた凄腕だ。名も知られているし、顔も広い。ガレノアの名前を聞けば商人たちはわざわざ敵にまわそうなんて思わない。他の海賊たちを誘って仲間にしやすくもなる。ガレノアひとりを仲間にすることで一気に話が進む」
そのためにも、なんとしてもガレノアを仲間にしないと。
ロウワンはそう強調した。
トウナはあくまで不満そうだ。頬をふくらませながら言った。
「でも……しょせん、海賊でしょう? 信用できるの?」
なにかあったら、すぐに裏切るんじゃないの?
トウナがそう言ったのは当然のことだったろう。なにしろ、実際に海賊に島を襲われ、村を焼かれ、住人を殺されさえしたのだ。その海賊は頭であるブージが殺したが、そのブージにしても島の宝を奪おうとしてことにはちがいない。トウナ自身、ブージに部下に襲われるところだった。そのせいで――。
――ロウワンは人殺しをすることになってしまった。
ギュ、と、拳を握りしめてトウナは思う。
トウナは忘れていない。
僕は人殺しなんてしたくない、と、叫んだロウワンの姿を。
おれは英雄なんかじゃない、ただの人殺しだ、と、泣きじゃくっていたロウワンの姿を。
そして、『人を殺す』という、もう決して引き返せない一線を越えてしまったことでかわってしまったロウワン。
――あいつらさえ来なければ誰も死なずにすんだし、ロウワンだって人殺しにならずにすんだのに。
その思いがある。そう思えば海賊という存在に対して怒りもわくし、憎くもなる。信用する気になれないのは当然だった。
そんなトウナの気を知ってか知らすが、ロウワンは望遠鏡をのぞき込みながら答えた。『大丈夫』と。
――なにがだいじょうぶなのよ? 『ガレノアは信用できる人だ』とでも言うつもり?
トウナはそう思って不満を覚えた。しかし、いまのロウワンはもうそんな甘っちょろいことを言うような子どもではなかった。ロウワンはこう言ったのだ。
「裏切られないための方法ならハルキス先生から教わっている」
「裏切られない方法⁉ そんなのあるの?」
「ハルキス先生からは他人に裏切られないためには、ふたつの条件があればいいと教えられた。
ひとつは強いこと。
もうひとつは、目的を共有すること。
強いものを裏切って弱いものにつく馬鹿はいない。誰よりも強ければ裏切られることはない。そして、同じ目的をもつ仲間は窮地に陥っても裏切りはしない。それどころか、自分の生命を懸けても協力してくれる。逆に言えば、同じ目的をもたないものは仲間とは言えない、と言うことだ」
淡々と、あくまでも理詰めにそう語るロウワンの態度がトウナを驚かせた。その言葉はたしかに正しいのだろう。しかし、そう語る口調には人間的な甘さやぬくもりといったものがまったく感じられなかった。冷淡で、人の心を突き放した、まるで無言で時を刻む時計のように数理だけに支配された口調。正しいだけでなんの感情も、思いもない、そんな話し方。
――これじゃいけない!
トウナはロウワンの口調に危機感を感じた。
これを言ったのがもし、二〇を超えたおとなであれば気にしたりはしなかっただろう。でも……。
――ロウワンはまだ一三歳なのよ⁉
以前のロウワンはこうではなかったはずだ。こんな風に淡々と、人の心を突き放して冷然と数理だけを語る、そんな人間ではなかったはずだ。
――やっぱり、『あのとき』からかわってしまった。
いままでも漠然と思っていた不安をトウナはいま、はっきりと感じた。
――このままではいけない。
トウナはそう思う。
おとなになるのはいいことだ。子どもの殻を破り、おとなになる。それは、目的を達成するために必要なこと。でも――。
――そのかわり、人間らしさを失ったらなんの意味があるの?
いまのロウワンはまるで、目的を達成するためだけに動く自動人形のよう。トウナはロウワンにそんな人間になってほしくなかった。出会ったばかりの頃の、明るさと朗らかさをもつ人間でありつづけてほしかった。ロウワンがかわるきっかけを作ってしまった身として、そう切に願っていた。
――でも……そのために、あたしになにができるの?
肝心のそのことがわからなかった。
ロウワンはそんなトウナの内心を知るよしもなく、相変わらず淡々として、数理だけを突き詰めるような口調でつづけた。
「強さに関して言えば、おれがガレノアに勝てばすむ話だ。ガレノアは船長として優れているだけではなく一番の戦士でもあったからな。ガレノアに勝てば、誰もおれに逆らおうとはしなくなる。そして、もうひとつ、目的に関して言えば……」
ロウワンはいったん、言葉を区切ってからつづけた。
「実のところ、海賊ほど都市網国家という概念と相性のいい人間はいない。なにしろ、海賊は陸の世界から逃げ出した人間たちだ。秩序や身分がガチガチに固められ、かえようがない。そんな陸の世界から『自由と平等』を求めて海の世界に逃れた人間。それが海賊だ。ある意味では最初から都市網国家の理念をもっていると言える」
「たしかに、ブージもそんなことを言っていたけど」
トウナはブージの言葉を思い出した。
「おれの手下にも同じことを言うやつが多くてな。
『国や地主に奪われるために働くなんてごめんだ』
そう言って陸の生活を投げ捨て、海賊になった連中さ』
ブージはたしかにそう言ったのだ。
「そう。海賊って言うのはみんな、そういう人間だ。陸の世界に耐えられなくなり、自由と平等を求めて海に逃げた人間。そうでなくてどうして、つらいばかりの船での暮らしなんか送るものか」
「でも、あなたは海賊に憧れていたんでしょう?」
「そうだ。まだ現実を知らない子どもの頃にな。けれど、海賊船での暮らしはそんな憧れでやっていけるような、そんな甘いものじゃない。ガレノアの船に乗ってすぐ、そのことを思い知らされた。その頃にはもう船は海の上だったから逃げ出しようもなかったけど……もし、逃げ場があればすぐに船をおりて家に逃げ帰っていただろうな」
ガレノアの船に乗り込んだ最初の数日間。
その間、どんなに家での暮らしが恋しかったことか。母や父、騎士マークスの伝説を語ってくれた祖母がどんなに恋しかったことか。
「……海賊なんて、帰る場所のある人間のやることじゃない」
「キキ、キキィッ」
ビーブがロウワンの足元で声をあげた。さすがに、終わらない毛繕いにうんざりしたらしい。両手をせわしなく動かした。
――けどよう。そのガレノアってやつ、まだ生きてるのか? 海賊なんて捕まれば縛り首なんだろ? 一年の間にくたばっちまってるんじゃねえのか?
トウナには遠慮してとても聞けないことを堂々と聞けるあたりが、やはりビーブ。信頼関係がちがう。
「ガレノアは二〇年以上にわたって生き抜いてきた海賊だ。簡単にやられたりしない。いまも生きて、活動しているはずだ。もし、死んでいても計画が台無しになるわけじゃない。他の手頃な海賊を相手に同じことをするだけだ」
ロウワンはトウナにもわかるよう、手話と言葉の両方でそう答えた。
――死んでいても計画が台無しになるわけじゃない。
仮にも顔見知りの生き死にをそんな風に簡単に割り切ってしまう態度に、トウナはやはり心配になった。
――いまのロウワンにとって『他人』はみんな、自分の目的を達成するための道具なの?
そう思わされてしまう。
ほう、と、ロウワンはひとつ息をついた。
「根をつめていても仕方がないな。いくら、航路が決まっているとは言え、広い海の上。そう簡単に出会えるものじゃない。ゆっくり探すとしよう」
ロウワンはそう言ったが、だからと言って昼寝して過ごせるわけではない。船を手入れし、剣の稽古をし、ハルキスの島からもってきた本を読む。とくにトウナの場合、手話を覚える必要もあったし、剣も一から学ばなくてはならない。
島のために商人になる。
そう決めた以上、商人としての勉強ももちろん必要だ。幸い、ハルキスの島からもってきた本のなかには商業に関するものも何冊もあった。これはもちろん偶然ではなく、ロウワンが『金を稼ぐ手段』が必要なためにわざわざ選んでもってきたからだ。
トウナはそれらの本をむさぼるように読んだ。その熱心さはさすがに生まれ故郷の将来がかかっているだけのことはあった。ハルキスの蔵書はいずれも五〇〇年以上前のものなので現代から見れば時代遅れだったり、制度がかわっていたりすることもあるだろう。それでも、
「この世界は五〇〇年前からずっと戦争をしていて、ほとんどかわっていないからな。これらの本の内容はいまでも充分に通用する」
ロウワンが弾劾混じりに言ったとおり、商人としての知識は充分に学べるはずだった。そもそも、ロウワンは商人国家であるゴンドワナの出身。それも、有力な商人の息子として父親から商業の基礎ぐらいは教えられている。その知識と照らし合わせることで、これらの本の内容が古びていないことは確認している。そして、その事実が、
――五〇〇年間、戦争以外はなにもしていなかったのか。
というロウワンの怒りに火を注ぎ『必ずかえてやる』という思いをいっそう、強くするのだった。
しばらく、そんな日々がつづいたが、ある日ついに、望遠鏡をのぞき込んでいたロウワンが声をあげた。
「いた! 『海の女』号だ」
『海の女』号。
それは、ガレノアの愛船の名前。しかし――。
望遠鏡のレンズの向こうに見えるその船はロウワンの記憶にある『海の女』号とはちがっていた。ロウワンの記憶のなかの『海の女』号は海の女神のフィギュアヘッドをつけた堂々たる帆船だった。だが、いま、ロウワンの目に映る『海の女』号は帆は破れ、マストは折れ、船体の傾いた惨憺たる有様のボロ船だった。
船上にいるものはロウワンとビーブ、そして、トウナ。
トウナはもちろん、すでにロウワンたちの仲間のつもりでいるがそれだけではない。タラの島の代表として、ロウワンの行いを見届ける証人としても同行する必要があるのだった。
『輝きは消えず』号は相変わらずトウナが乗り込んでいることが気に入らないと見えて、なにかと『お化粧』を要求してきた。しかし、ここまで来るとトウナも意地である。言われるまでもなく船内の隅々までピカピカに磨きあげ、文句を言えないようにした。
なにしろ、漁村の娘。男たちが漁から帰ってくれば村人総出で船の手入れをしなければならない。船の清掃や手入れには慣れているのだ。
「どう? これでもまだ文句ある?」
モップを聖剣のごとく掲げて勝ち誇った表情で宣言する。
『輝きは消えず』号も困ったらしい。文句を言いたいが、つけようがない。なんとも煮え切らない様子で船体を『ブルッ』と振るわせたきり、なにも要求しなくなった。それを感じたトウナは、
――勝った!
と、ひとり、拳を突きあげたのだった。
人間の少女と船の女性。
なかなかに陰湿な女同士の争いが繰り広げられるなか、ロウワンは望遠鏡をのぞき込んで海の様子を確かめていた。ちなみにビーブはあいかわらず潮風で毛がベタつくのが気に入らないらしく、時間さえあれば毛繕いしている。
「様子はどう?」
トウナはモップ片手に尋ねた。『輝きは消えず』号に乗り込んでいる限り、このモップこそはトウナの相棒であり最大の武器である。
ロウワンは望遠鏡であたりを一通り見渡してから答えた。
「まだ、見えないな」
「本当にこの辺にいるの?」
トウナは重ねて尋ねた。ロウワンが旧知の海賊であるガレノアとその船を探してこの海域にやってきたことをトウナはもちろん、知っている。
「ガレノアはこのあたりの海を根城にしている海賊だ。必ずいる」
「でも、それって一年前のことでしょう? どこか、別の場所に移ったんじゃない?」
「ガレノアは二〇年以上、海賊として活動してきた。その間ずっと、この海域を根城にしてきたんだ。このあたりのことは知り尽くしているし、アジトにしている島も幾つもあるそうだ。一年やそこらでそれらを捨てて別の海の移るなんてまず考えられない」
「でも……」
と、トウナの顔に不安がよぎった。それだけではなく、ロウワンを責めるような表情もわずかながらに混じっていた。
「……本当に、そのガレノアっていう海賊を仲間にするつもりなの?」
「もちろんだ」
ロウワンは迷いなく答えた。
「いまも言ったとおり、ガレノアは二〇年以上、海賊として活動してきた凄腕だ。名も知られているし、顔も広い。ガレノアの名前を聞けば商人たちはわざわざ敵にまわそうなんて思わない。他の海賊たちを誘って仲間にしやすくもなる。ガレノアひとりを仲間にすることで一気に話が進む」
そのためにも、なんとしてもガレノアを仲間にしないと。
ロウワンはそう強調した。
トウナはあくまで不満そうだ。頬をふくらませながら言った。
「でも……しょせん、海賊でしょう? 信用できるの?」
なにかあったら、すぐに裏切るんじゃないの?
トウナがそう言ったのは当然のことだったろう。なにしろ、実際に海賊に島を襲われ、村を焼かれ、住人を殺されさえしたのだ。その海賊は頭であるブージが殺したが、そのブージにしても島の宝を奪おうとしてことにはちがいない。トウナ自身、ブージに部下に襲われるところだった。そのせいで――。
――ロウワンは人殺しをすることになってしまった。
ギュ、と、拳を握りしめてトウナは思う。
トウナは忘れていない。
僕は人殺しなんてしたくない、と、叫んだロウワンの姿を。
おれは英雄なんかじゃない、ただの人殺しだ、と、泣きじゃくっていたロウワンの姿を。
そして、『人を殺す』という、もう決して引き返せない一線を越えてしまったことでかわってしまったロウワン。
――あいつらさえ来なければ誰も死なずにすんだし、ロウワンだって人殺しにならずにすんだのに。
その思いがある。そう思えば海賊という存在に対して怒りもわくし、憎くもなる。信用する気になれないのは当然だった。
そんなトウナの気を知ってか知らすが、ロウワンは望遠鏡をのぞき込みながら答えた。『大丈夫』と。
――なにがだいじょうぶなのよ? 『ガレノアは信用できる人だ』とでも言うつもり?
トウナはそう思って不満を覚えた。しかし、いまのロウワンはもうそんな甘っちょろいことを言うような子どもではなかった。ロウワンはこう言ったのだ。
「裏切られないための方法ならハルキス先生から教わっている」
「裏切られない方法⁉ そんなのあるの?」
「ハルキス先生からは他人に裏切られないためには、ふたつの条件があればいいと教えられた。
ひとつは強いこと。
もうひとつは、目的を共有すること。
強いものを裏切って弱いものにつく馬鹿はいない。誰よりも強ければ裏切られることはない。そして、同じ目的をもつ仲間は窮地に陥っても裏切りはしない。それどころか、自分の生命を懸けても協力してくれる。逆に言えば、同じ目的をもたないものは仲間とは言えない、と言うことだ」
淡々と、あくまでも理詰めにそう語るロウワンの態度がトウナを驚かせた。その言葉はたしかに正しいのだろう。しかし、そう語る口調には人間的な甘さやぬくもりといったものがまったく感じられなかった。冷淡で、人の心を突き放した、まるで無言で時を刻む時計のように数理だけに支配された口調。正しいだけでなんの感情も、思いもない、そんな話し方。
――これじゃいけない!
トウナはロウワンの口調に危機感を感じた。
これを言ったのがもし、二〇を超えたおとなであれば気にしたりはしなかっただろう。でも……。
――ロウワンはまだ一三歳なのよ⁉
以前のロウワンはこうではなかったはずだ。こんな風に淡々と、人の心を突き放して冷然と数理だけを語る、そんな人間ではなかったはずだ。
――やっぱり、『あのとき』からかわってしまった。
いままでも漠然と思っていた不安をトウナはいま、はっきりと感じた。
――このままではいけない。
トウナはそう思う。
おとなになるのはいいことだ。子どもの殻を破り、おとなになる。それは、目的を達成するために必要なこと。でも――。
――そのかわり、人間らしさを失ったらなんの意味があるの?
いまのロウワンはまるで、目的を達成するためだけに動く自動人形のよう。トウナはロウワンにそんな人間になってほしくなかった。出会ったばかりの頃の、明るさと朗らかさをもつ人間でありつづけてほしかった。ロウワンがかわるきっかけを作ってしまった身として、そう切に願っていた。
――でも……そのために、あたしになにができるの?
肝心のそのことがわからなかった。
ロウワンはそんなトウナの内心を知るよしもなく、相変わらず淡々として、数理だけを突き詰めるような口調でつづけた。
「強さに関して言えば、おれがガレノアに勝てばすむ話だ。ガレノアは船長として優れているだけではなく一番の戦士でもあったからな。ガレノアに勝てば、誰もおれに逆らおうとはしなくなる。そして、もうひとつ、目的に関して言えば……」
ロウワンはいったん、言葉を区切ってからつづけた。
「実のところ、海賊ほど都市網国家という概念と相性のいい人間はいない。なにしろ、海賊は陸の世界から逃げ出した人間たちだ。秩序や身分がガチガチに固められ、かえようがない。そんな陸の世界から『自由と平等』を求めて海の世界に逃れた人間。それが海賊だ。ある意味では最初から都市網国家の理念をもっていると言える」
「たしかに、ブージもそんなことを言っていたけど」
トウナはブージの言葉を思い出した。
「おれの手下にも同じことを言うやつが多くてな。
『国や地主に奪われるために働くなんてごめんだ』
そう言って陸の生活を投げ捨て、海賊になった連中さ』
ブージはたしかにそう言ったのだ。
「そう。海賊って言うのはみんな、そういう人間だ。陸の世界に耐えられなくなり、自由と平等を求めて海に逃げた人間。そうでなくてどうして、つらいばかりの船での暮らしなんか送るものか」
「でも、あなたは海賊に憧れていたんでしょう?」
「そうだ。まだ現実を知らない子どもの頃にな。けれど、海賊船での暮らしはそんな憧れでやっていけるような、そんな甘いものじゃない。ガレノアの船に乗ってすぐ、そのことを思い知らされた。その頃にはもう船は海の上だったから逃げ出しようもなかったけど……もし、逃げ場があればすぐに船をおりて家に逃げ帰っていただろうな」
ガレノアの船に乗り込んだ最初の数日間。
その間、どんなに家での暮らしが恋しかったことか。母や父、騎士マークスの伝説を語ってくれた祖母がどんなに恋しかったことか。
「……海賊なんて、帰る場所のある人間のやることじゃない」
「キキ、キキィッ」
ビーブがロウワンの足元で声をあげた。さすがに、終わらない毛繕いにうんざりしたらしい。両手をせわしなく動かした。
――けどよう。そのガレノアってやつ、まだ生きてるのか? 海賊なんて捕まれば縛り首なんだろ? 一年の間にくたばっちまってるんじゃねえのか?
トウナには遠慮してとても聞けないことを堂々と聞けるあたりが、やはりビーブ。信頼関係がちがう。
「ガレノアは二〇年以上にわたって生き抜いてきた海賊だ。簡単にやられたりしない。いまも生きて、活動しているはずだ。もし、死んでいても計画が台無しになるわけじゃない。他の手頃な海賊を相手に同じことをするだけだ」
ロウワンはトウナにもわかるよう、手話と言葉の両方でそう答えた。
――死んでいても計画が台無しになるわけじゃない。
仮にも顔見知りの生き死にをそんな風に簡単に割り切ってしまう態度に、トウナはやはり心配になった。
――いまのロウワンにとって『他人』はみんな、自分の目的を達成するための道具なの?
そう思わされてしまう。
ほう、と、ロウワンはひとつ息をついた。
「根をつめていても仕方がないな。いくら、航路が決まっているとは言え、広い海の上。そう簡単に出会えるものじゃない。ゆっくり探すとしよう」
ロウワンはそう言ったが、だからと言って昼寝して過ごせるわけではない。船を手入れし、剣の稽古をし、ハルキスの島からもってきた本を読む。とくにトウナの場合、手話を覚える必要もあったし、剣も一から学ばなくてはならない。
島のために商人になる。
そう決めた以上、商人としての勉強ももちろん必要だ。幸い、ハルキスの島からもってきた本のなかには商業に関するものも何冊もあった。これはもちろん偶然ではなく、ロウワンが『金を稼ぐ手段』が必要なためにわざわざ選んでもってきたからだ。
トウナはそれらの本をむさぼるように読んだ。その熱心さはさすがに生まれ故郷の将来がかかっているだけのことはあった。ハルキスの蔵書はいずれも五〇〇年以上前のものなので現代から見れば時代遅れだったり、制度がかわっていたりすることもあるだろう。それでも、
「この世界は五〇〇年前からずっと戦争をしていて、ほとんどかわっていないからな。これらの本の内容はいまでも充分に通用する」
ロウワンが弾劾混じりに言ったとおり、商人としての知識は充分に学べるはずだった。そもそも、ロウワンは商人国家であるゴンドワナの出身。それも、有力な商人の息子として父親から商業の基礎ぐらいは教えられている。その知識と照らし合わせることで、これらの本の内容が古びていないことは確認している。そして、その事実が、
――五〇〇年間、戦争以外はなにもしていなかったのか。
というロウワンの怒りに火を注ぎ『必ずかえてやる』という思いをいっそう、強くするのだった。
しばらく、そんな日々がつづいたが、ある日ついに、望遠鏡をのぞき込んでいたロウワンが声をあげた。
「いた! 『海の女』号だ」
『海の女』号。
それは、ガレノアの愛船の名前。しかし――。
望遠鏡のレンズの向こうに見えるその船はロウワンの記憶にある『海の女』号とはちがっていた。ロウワンの記憶のなかの『海の女』号は海の女神のフィギュアヘッドをつけた堂々たる帆船だった。だが、いま、ロウワンの目に映る『海の女』号は帆は破れ、マストは折れ、船体の傾いた惨憺たる有様のボロ船だった。
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