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第二部 絆ぐ伝説
第二話九章 嫁姑(?)戦争
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ロウワンたちは『輝きは消えず』号に乗り、目的地である港町デーヴァヴァルマンを目指していた。
天命船である『輝きは消えず』号の船足をもってすればタラの島からデーヴァヴァルマンまでは数日の距離。とくに海の荒れる時機でもなく、そもそも、北の大陸にほど近いこの海域は波風ともに比較的穏やかであり、危険も少ない。
例え、海賊に目をつけられたところで天命船に追いつけるガレー船や帆船などあるはずもなく、これと言って問題のない気楽な旅になるはずだった。ところが――。
ロウワンたちの旅はなかなかに『良い雰囲気』とはならなかった。
その主な理由はロウワンたち『四人』の人間関係にあった。
『輝きは消えず』号の船体がグラグラと揺れた。まるで、抗議するかのようにと言うか、子どもが駄々をこねるようにと言うか、とにかく、その不満たらたらの揺れ方にロウワンは溜め息をついた。
「やれやれ。また『お化粧』のおねだりか。悪いけど、トウナ、頼む」
言われて、トウナは思いきり頬をふくらました。
「もう! いったい、一日に何度、拭き掃除させれば気がすむのよ? それも、あたしばっかり」
トウナが腕を組んで、ぷんぷん怒ってみせるのも無理はない。なにしろ、出航以来、『輝きは消えず』号は毎日、決まって何度も『お化粧』、つまり、拭き掃除をおねだりしてくる。しかも、トウナひとりで行うよう要求してくるのだ。それに応じなければたちまちヘソを曲げて、梃子でも動かなくなる。
ロウワンは肩をすくめながらトウナに説明した。
「どうやら、女の子が自分に乗り込んでいることが気に入らないみたいだ」
「なんで、女だと気に入らないのよ?」
船のくせに!
と、トウナはますます怒ってみせる。
「『輝きは消えず』号はなかなかにワガママなお嬢さまだからな。自分以外の女子がいることに腹が立つんだろう」
「なんで船が女なのよ⁉ あなたって、実は変態だったの?」
「……『輝きは消えず』号を作ったのはハルキス先生だ。おれが作ったわけじゃない」
トウナの言い草に、ロウワンはさすがに傷ついたような表情をして見せた。
「じゃあ、ハルキス先生っていうのが女好きの変態だったわけ?」
「そういうわけじゃないと思うけど……」
ロウワンは一応、そうは言ったものの完全に否定することもできなかった。白骨になっても俗っぽさの抜けていなかったハルキスのお茶目な一面を思い出すと、
――そんなこともあるかもなあ。
と、苦笑交じりに思えてくるのだ。
とは言え、師を悪く言われたならかばうのが弟子というものだろう。ロウワンはいまは亡き師の名誉のために答えた。
「別にハルキス先生の趣味というわけじゃないと思う。昔から、船は女性として扱われてきた。その慣習に従っただけだろう」
……多分。
と、ロウワンは胸のなかだけで付け加えた。
「だからって!」
トウナの怒りは収まらない。
しかし、そこで船体がグラグラ揺れた。ロウワンはもう一度、溜め息をついた。
「お嬢さまがお怒りだ。『早くしなさい!』とお怒りだ。頼むよ、トウナ。君だって、海の真ん中で船に動かなくなられては困るだろう?」
「それは! ……そうだけど」
「キキキッ」
――文句言うなよ。甲板掃除は新入りの仕事と昔から決まってるんだ。しっかりやれよ、一番の新入り。
ビーブは先輩風を吹かせてそう告げると、長い尻尾を器用にくねらせ、トウナの尻をペシペシ叩いた。
「いちいちお尻を叩くなって言ってるでしょ、このスケベ猿!」
トウナは両腕を振りあげて怒鳴った。その剣幕にビーブは楽しそうに逃げ出した。ロウワンがトウナに告げた。
「とにかく、頼む。手伝ってやりたいけど君ひとりでやらないとお嬢さまが機嫌を損ねるからな。島のためだと思ってやってくれ」
ロウワンはそう言い残し、去って行く。船室に籠もってハルキスの島からもってきた書を読みふけるのだろう。振り返りもせずに去って行くその後ろ姿を見ながらトウナは怒ったように呟いた。
「……なによ、ロウワンのやつ。おとなっぽくなったのはいいけどその分、やけに素っ気なくなったんじゃないの?」
『あれ』以来、ロウワンはたしかにかわった。歳に似合わない落ち着きに満たされ、『シブい』と言いたくなるほどの風格さえにじませている。
――正直、格好良くなったとは思うけど。
赤銅色に焼けた頬をかすかに赤くしてトウナは思う。
――逆に、以前はあった可愛げとか、愛想の良さとかがなくなっちゃった気がするんだけど……。
『あれ』以前のロウワンは明るくて、朗らかで、表情のよく動く、褒められれば得意にもなる愛想の良い子どもだった。
いまのロウワンはちがう。
落ち着きと風格が出た分、表情が動かなくなっている。とくに、笑ってみせることなどなくなっていた。『おとなびた』と言えば聞こえはいいが、他人との間に垣根を作って距離を置こうとしているようにも感じられる。一三歳の少年が示すには不自然な態度ではあった。
――でも、ロウワンがそうなったのはあたしを、あたしたちの島を救うために人を殺した結果だものね。
それを思うとトウナの胸は突き刺されたように痛む。
あのとき、自分は威勢のいいことを言うばかりでなにも出来なかった。襲いかかってくる海賊たち相手に一歩も動けなかった。あのとき、自分が言葉通りに海賊たちを殺していれば、年下の少年に『人殺し』の重荷を背負わせることもなかったのに……。
『ブン、ブン!』と、トウナは思いきり首を振った。いまさらそんなことを悔やんでも仕方がない。いまはとにかく自分のやるべきことをやるとしよう。『輝きは消えず』号にヘソを曲げられては困るのは確かだし……。
トウナはモップを手に『輝きは消えず』号の甲板をゴシゴシやりはじめた。
――今度はきっと、あたしがやる。
その決意を込めながら。
船体がグラグラ揺れる。
グラグラ、
グラグラ、
揺れつづける。
トウナは両手にもったモップをへし折らんばかりの勢いで怒りの声をあげた。
「ああ、もう! なにが気に入らないのよ⁉ ちゃんと、掃除してるでしょう!
強すぎる?
もっと、優しく?
こんな感じ?
今度は弱すぎる?
どうしろって言うのよ!
適度な力加減を身につけろ?
あたしは船じゃないのよ。船にとって適度な力加減なんてわかるわけがないでしょう!」
さんざん怒りの声をあげながら、それでも、どうにか、拭き掃除を終わらせる。
「はあ~、やっと終わった」
これで解放される。
そう思い、額の汗を拭った。
ところが――。
船体が盛大に揺れた。
「なによ、まだ不満なの⁉ ちゃんと、きれいにしたでしょう。えっ? 隅に汚れが残ってる? あんたは姑か⁉」
『女同士』波長が合うのか、船体の微妙な揺れ加減で『輝きは消えず』号がなにを言いたいのか、なんとなくわかるトウナであった。
トウナはぶちぶち文句を言いながらも船体の隅っこにある小さな汚れを落としにかかった。
「大体、天命船って、汚れは自分で『食べて』消せるんでしょう? それをわざわざこんな細かい汚れまで落とさせるなんてまるで嫁いびりじゃないの。言っておくけど、あたしはロウワンの嫁じゃないのよ。あたし相手に嫁いびりなんてお門違いだわ。
えっ?
……そうね。たしかに、急に大人びて格好良くはなったけど。
あなたも感じていたわけね。
ええ。無理しているようでどこか痛々しいのよね。それだけ『人を殺した』って言う経験がロウワンにとって大きな衝撃だったんでしょう。そりゃあ、あたしだって気にしてるわよ。ロウワンに人殺しをさせちゃったのはあたしなんだから。
なに?
ひょっとして、それが気に入らなかったの?
そう。
思っていたより、ロウワンのことを心配していたわけね。
なるほど。あなたにとって自分を作ってくれたハルキス先生は、言わば親。そのハルキス先生があとを託したロウワンは『守るべき弟』って言うわけね。
ロウワンを人殺しにしたことは謝る……気はないわ。謝ってすむ問題じゃないもの。でも、だからこそ、これ以上、ロウワンに重荷を背負わせる気はないわ。今度こそはあたしが自分でやる。島を守れるぐらい強くなってみせる。だから――」
トウナは大きく息を吸い込んだ。吐いた、そして、叫んだ。
「いい加減にしなさい! あんたのお化粧係なんかにされたら迷惑なのよ! 強くなるために剣の稽古をしたいんだから。
こら、拗ねるな!
体を揺らすな!
このワガママお嬢!」
やっぱり――。
女同士、険悪になるトウナと『輝きは消えず』号なのだった。
船の上に魚の焼ける香ばしい匂いが漂っている。そのなかに含まれる何種類ものスパイスの香りが鼻腔をくすぐり、なんとも食欲を刺激する。ビーブなど両手にもったナイフとフォークで皿をチャンチャン叩いて、いまにも涎を垂れ流しそうな勢いだ。
「はい、おまちどおさま」
皿を叩く音に誘われるようにしてトウナが焼き魚をもってやってきた。三人分の魚をそれぞれの皿に盛りつけていく。皿から立ちのぼる香ばしい匂いにビーブは喜色満面、喜びを爆発させている。
「すまないな、トウナ。君にばかり食事を作らせてしまって」
「あなたのせいじゃないでしょ」
みんな、『この女』が悪いのよ!
と、ばかりに、甲板を蹴りつけるトウナであった。
ロウワンとしては本来、食事当番は交代でこなすつもりだったのだ。ところが、ここでも『輝きは消えず』号の『嫁いびり』が炸裂した。食事の準備と後片付けはトウナが常に、すべてやらないと気がすまない。ロウワンが手伝おうものなら振り落とさんばかりの勢いでグラグラ揺れる。
「さすがに、ワガママすぎるとは思う。『輝きは消えず』号とはきちんと話をつけるつもりだ」
「それはダメ」
ロウワンの言葉に――。
トウナは即答した。
「『輝きは消えず』号とのことはあたしに任せて。あなたは口出ししないで。いいわね?」
「……君がそう言うならいいけど」
なんでトウナがそんなことを言うのか理解出来ず、それでも、一応はうなずくロウワンであった。
――これは、あたしと『輝きは消えず』号の女の戦い。ロウワンに口出しされるのは筋がちがうわ。
トウナにはその思いがある。なんとしても、自分の手でねじ伏せてやらないと気がすまない!
ときは夕刻。
昼の明るさが消え、黄昏へと移ろう時刻。海の向こうに姿を消す夕陽を眺めながらの雄大なディナーだった。
タラの島からもってきたナッツ類の前菜。干し野菜のサラダ。塩のスープ。メインディッシュにはトウナの焼いた魚。船の上とは思えない豪勢な食事。カビの生えたビスケットならましな方、虫食いや、腐った食物を無理やり詰め込まされる各国海軍の下級水夫たちが見たら涎を垂れながらしてうらやましがり、それだけで軍を脱走して加わりたくなる光景だった。
『輝きは消えず』号もこのときばかりはさすがに邪魔はせず、ゆったりと夕暮れ時の海の上を進んでいる。
前菜、サラダ、スープと食べ進め、いよいよメインディッシュの焼き魚。
ロウワンは一口、食べてうなずいた。
「うん。あいかわらず、おいしいな。タラの島の伝統料理だったな」
「伝統……って言うほど大層なものじゃないけどね。昔から伝えられてきた調理法なのはたしかよ。あたしも小さい頃から母さんに教わったわ」
「それは、立派に伝統だよ。とくにスパイスの使い方が絶妙だ。何種類ものスパイスを使いわけてこれだけの味を出すなんて大変だろう?」
「……だから、そんな大層なものじゃないって」
トウナはちょっと照れたように答えた。
「男の人たちが獲ってきた魚のうち、質の良いものはみんな商人に売り払っちゃうから、島に残るのは質が低かったり、傷んだりしている魚ばかり。そんな魚をなんとか食べられるようにするために、あれこれスパイスを使うようになった。それだけよ」
「その『それだけ』が大したことなんだよ。この味なら北の大陸でも充分、売り物になる」
「こんなものが?」
トウナはマジマジと目の前の魚を見た。
トウナにしてみればなんら特別なところのない、食べ飽きたと言ってもいいほどの味。そんなものが売り物になると言われてもピンとこない。
「君たちは自分の価値を知らなすぎだ。それもこれも、離れ小島に住んでいて直接、北の大陸と関わろうとしないから。その意味でも、自分たちでコーヒーハウスをだすのは意義がある。北の大陸で商売することで情勢をくわしく知られるようになれば、自分たちの価値もわかる。自分たちの品にどんな値がつくかはっきりわかる。そうなれば、いままでよりずっと稼げる。稼げるようになれば、兵を雇って島の護衛に当てることだって出来る。絶対に自分たちで商売をはじめるべきだ」
「……そうね。自分たちの島は自分たちで守れるようにならなきゃいけないし、そのためにはたしかに稼げるようにならないとね。今回の旅ではその点をしっかりと確かめさせてもらうわ」
「ああ、その意気だ」
驚いたことに――。
ロウワンがいきなり『にっこり』と微笑んだ。ロウワンの笑みなど何日ぶりだろう。いきなりの不意打ちにトウナは思わずドキリとしてしまう。その途端――。
『輝きは消えず』号が大きく揺れた。
「いきなり、気分を出すんじゃない!」
トウナの怒りの声が響いたのだった。
天命船である『輝きは消えず』号の船足をもってすればタラの島からデーヴァヴァルマンまでは数日の距離。とくに海の荒れる時機でもなく、そもそも、北の大陸にほど近いこの海域は波風ともに比較的穏やかであり、危険も少ない。
例え、海賊に目をつけられたところで天命船に追いつけるガレー船や帆船などあるはずもなく、これと言って問題のない気楽な旅になるはずだった。ところが――。
ロウワンたちの旅はなかなかに『良い雰囲気』とはならなかった。
その主な理由はロウワンたち『四人』の人間関係にあった。
『輝きは消えず』号の船体がグラグラと揺れた。まるで、抗議するかのようにと言うか、子どもが駄々をこねるようにと言うか、とにかく、その不満たらたらの揺れ方にロウワンは溜め息をついた。
「やれやれ。また『お化粧』のおねだりか。悪いけど、トウナ、頼む」
言われて、トウナは思いきり頬をふくらました。
「もう! いったい、一日に何度、拭き掃除させれば気がすむのよ? それも、あたしばっかり」
トウナが腕を組んで、ぷんぷん怒ってみせるのも無理はない。なにしろ、出航以来、『輝きは消えず』号は毎日、決まって何度も『お化粧』、つまり、拭き掃除をおねだりしてくる。しかも、トウナひとりで行うよう要求してくるのだ。それに応じなければたちまちヘソを曲げて、梃子でも動かなくなる。
ロウワンは肩をすくめながらトウナに説明した。
「どうやら、女の子が自分に乗り込んでいることが気に入らないみたいだ」
「なんで、女だと気に入らないのよ?」
船のくせに!
と、トウナはますます怒ってみせる。
「『輝きは消えず』号はなかなかにワガママなお嬢さまだからな。自分以外の女子がいることに腹が立つんだろう」
「なんで船が女なのよ⁉ あなたって、実は変態だったの?」
「……『輝きは消えず』号を作ったのはハルキス先生だ。おれが作ったわけじゃない」
トウナの言い草に、ロウワンはさすがに傷ついたような表情をして見せた。
「じゃあ、ハルキス先生っていうのが女好きの変態だったわけ?」
「そういうわけじゃないと思うけど……」
ロウワンは一応、そうは言ったものの完全に否定することもできなかった。白骨になっても俗っぽさの抜けていなかったハルキスのお茶目な一面を思い出すと、
――そんなこともあるかもなあ。
と、苦笑交じりに思えてくるのだ。
とは言え、師を悪く言われたならかばうのが弟子というものだろう。ロウワンはいまは亡き師の名誉のために答えた。
「別にハルキス先生の趣味というわけじゃないと思う。昔から、船は女性として扱われてきた。その慣習に従っただけだろう」
……多分。
と、ロウワンは胸のなかだけで付け加えた。
「だからって!」
トウナの怒りは収まらない。
しかし、そこで船体がグラグラ揺れた。ロウワンはもう一度、溜め息をついた。
「お嬢さまがお怒りだ。『早くしなさい!』とお怒りだ。頼むよ、トウナ。君だって、海の真ん中で船に動かなくなられては困るだろう?」
「それは! ……そうだけど」
「キキキッ」
――文句言うなよ。甲板掃除は新入りの仕事と昔から決まってるんだ。しっかりやれよ、一番の新入り。
ビーブは先輩風を吹かせてそう告げると、長い尻尾を器用にくねらせ、トウナの尻をペシペシ叩いた。
「いちいちお尻を叩くなって言ってるでしょ、このスケベ猿!」
トウナは両腕を振りあげて怒鳴った。その剣幕にビーブは楽しそうに逃げ出した。ロウワンがトウナに告げた。
「とにかく、頼む。手伝ってやりたいけど君ひとりでやらないとお嬢さまが機嫌を損ねるからな。島のためだと思ってやってくれ」
ロウワンはそう言い残し、去って行く。船室に籠もってハルキスの島からもってきた書を読みふけるのだろう。振り返りもせずに去って行くその後ろ姿を見ながらトウナは怒ったように呟いた。
「……なによ、ロウワンのやつ。おとなっぽくなったのはいいけどその分、やけに素っ気なくなったんじゃないの?」
『あれ』以来、ロウワンはたしかにかわった。歳に似合わない落ち着きに満たされ、『シブい』と言いたくなるほどの風格さえにじませている。
――正直、格好良くなったとは思うけど。
赤銅色に焼けた頬をかすかに赤くしてトウナは思う。
――逆に、以前はあった可愛げとか、愛想の良さとかがなくなっちゃった気がするんだけど……。
『あれ』以前のロウワンは明るくて、朗らかで、表情のよく動く、褒められれば得意にもなる愛想の良い子どもだった。
いまのロウワンはちがう。
落ち着きと風格が出た分、表情が動かなくなっている。とくに、笑ってみせることなどなくなっていた。『おとなびた』と言えば聞こえはいいが、他人との間に垣根を作って距離を置こうとしているようにも感じられる。一三歳の少年が示すには不自然な態度ではあった。
――でも、ロウワンがそうなったのはあたしを、あたしたちの島を救うために人を殺した結果だものね。
それを思うとトウナの胸は突き刺されたように痛む。
あのとき、自分は威勢のいいことを言うばかりでなにも出来なかった。襲いかかってくる海賊たち相手に一歩も動けなかった。あのとき、自分が言葉通りに海賊たちを殺していれば、年下の少年に『人殺し』の重荷を背負わせることもなかったのに……。
『ブン、ブン!』と、トウナは思いきり首を振った。いまさらそんなことを悔やんでも仕方がない。いまはとにかく自分のやるべきことをやるとしよう。『輝きは消えず』号にヘソを曲げられては困るのは確かだし……。
トウナはモップを手に『輝きは消えず』号の甲板をゴシゴシやりはじめた。
――今度はきっと、あたしがやる。
その決意を込めながら。
船体がグラグラ揺れる。
グラグラ、
グラグラ、
揺れつづける。
トウナは両手にもったモップをへし折らんばかりの勢いで怒りの声をあげた。
「ああ、もう! なにが気に入らないのよ⁉ ちゃんと、掃除してるでしょう!
強すぎる?
もっと、優しく?
こんな感じ?
今度は弱すぎる?
どうしろって言うのよ!
適度な力加減を身につけろ?
あたしは船じゃないのよ。船にとって適度な力加減なんてわかるわけがないでしょう!」
さんざん怒りの声をあげながら、それでも、どうにか、拭き掃除を終わらせる。
「はあ~、やっと終わった」
これで解放される。
そう思い、額の汗を拭った。
ところが――。
船体が盛大に揺れた。
「なによ、まだ不満なの⁉ ちゃんと、きれいにしたでしょう。えっ? 隅に汚れが残ってる? あんたは姑か⁉」
『女同士』波長が合うのか、船体の微妙な揺れ加減で『輝きは消えず』号がなにを言いたいのか、なんとなくわかるトウナであった。
トウナはぶちぶち文句を言いながらも船体の隅っこにある小さな汚れを落としにかかった。
「大体、天命船って、汚れは自分で『食べて』消せるんでしょう? それをわざわざこんな細かい汚れまで落とさせるなんてまるで嫁いびりじゃないの。言っておくけど、あたしはロウワンの嫁じゃないのよ。あたし相手に嫁いびりなんてお門違いだわ。
えっ?
……そうね。たしかに、急に大人びて格好良くはなったけど。
あなたも感じていたわけね。
ええ。無理しているようでどこか痛々しいのよね。それだけ『人を殺した』って言う経験がロウワンにとって大きな衝撃だったんでしょう。そりゃあ、あたしだって気にしてるわよ。ロウワンに人殺しをさせちゃったのはあたしなんだから。
なに?
ひょっとして、それが気に入らなかったの?
そう。
思っていたより、ロウワンのことを心配していたわけね。
なるほど。あなたにとって自分を作ってくれたハルキス先生は、言わば親。そのハルキス先生があとを託したロウワンは『守るべき弟』って言うわけね。
ロウワンを人殺しにしたことは謝る……気はないわ。謝ってすむ問題じゃないもの。でも、だからこそ、これ以上、ロウワンに重荷を背負わせる気はないわ。今度こそはあたしが自分でやる。島を守れるぐらい強くなってみせる。だから――」
トウナは大きく息を吸い込んだ。吐いた、そして、叫んだ。
「いい加減にしなさい! あんたのお化粧係なんかにされたら迷惑なのよ! 強くなるために剣の稽古をしたいんだから。
こら、拗ねるな!
体を揺らすな!
このワガママお嬢!」
やっぱり――。
女同士、険悪になるトウナと『輝きは消えず』号なのだった。
船の上に魚の焼ける香ばしい匂いが漂っている。そのなかに含まれる何種類ものスパイスの香りが鼻腔をくすぐり、なんとも食欲を刺激する。ビーブなど両手にもったナイフとフォークで皿をチャンチャン叩いて、いまにも涎を垂れ流しそうな勢いだ。
「はい、おまちどおさま」
皿を叩く音に誘われるようにしてトウナが焼き魚をもってやってきた。三人分の魚をそれぞれの皿に盛りつけていく。皿から立ちのぼる香ばしい匂いにビーブは喜色満面、喜びを爆発させている。
「すまないな、トウナ。君にばかり食事を作らせてしまって」
「あなたのせいじゃないでしょ」
みんな、『この女』が悪いのよ!
と、ばかりに、甲板を蹴りつけるトウナであった。
ロウワンとしては本来、食事当番は交代でこなすつもりだったのだ。ところが、ここでも『輝きは消えず』号の『嫁いびり』が炸裂した。食事の準備と後片付けはトウナが常に、すべてやらないと気がすまない。ロウワンが手伝おうものなら振り落とさんばかりの勢いでグラグラ揺れる。
「さすがに、ワガママすぎるとは思う。『輝きは消えず』号とはきちんと話をつけるつもりだ」
「それはダメ」
ロウワンの言葉に――。
トウナは即答した。
「『輝きは消えず』号とのことはあたしに任せて。あなたは口出ししないで。いいわね?」
「……君がそう言うならいいけど」
なんでトウナがそんなことを言うのか理解出来ず、それでも、一応はうなずくロウワンであった。
――これは、あたしと『輝きは消えず』号の女の戦い。ロウワンに口出しされるのは筋がちがうわ。
トウナにはその思いがある。なんとしても、自分の手でねじ伏せてやらないと気がすまない!
ときは夕刻。
昼の明るさが消え、黄昏へと移ろう時刻。海の向こうに姿を消す夕陽を眺めながらの雄大なディナーだった。
タラの島からもってきたナッツ類の前菜。干し野菜のサラダ。塩のスープ。メインディッシュにはトウナの焼いた魚。船の上とは思えない豪勢な食事。カビの生えたビスケットならましな方、虫食いや、腐った食物を無理やり詰め込まされる各国海軍の下級水夫たちが見たら涎を垂れながらしてうらやましがり、それだけで軍を脱走して加わりたくなる光景だった。
『輝きは消えず』号もこのときばかりはさすがに邪魔はせず、ゆったりと夕暮れ時の海の上を進んでいる。
前菜、サラダ、スープと食べ進め、いよいよメインディッシュの焼き魚。
ロウワンは一口、食べてうなずいた。
「うん。あいかわらず、おいしいな。タラの島の伝統料理だったな」
「伝統……って言うほど大層なものじゃないけどね。昔から伝えられてきた調理法なのはたしかよ。あたしも小さい頃から母さんに教わったわ」
「それは、立派に伝統だよ。とくにスパイスの使い方が絶妙だ。何種類ものスパイスを使いわけてこれだけの味を出すなんて大変だろう?」
「……だから、そんな大層なものじゃないって」
トウナはちょっと照れたように答えた。
「男の人たちが獲ってきた魚のうち、質の良いものはみんな商人に売り払っちゃうから、島に残るのは質が低かったり、傷んだりしている魚ばかり。そんな魚をなんとか食べられるようにするために、あれこれスパイスを使うようになった。それだけよ」
「その『それだけ』が大したことなんだよ。この味なら北の大陸でも充分、売り物になる」
「こんなものが?」
トウナはマジマジと目の前の魚を見た。
トウナにしてみればなんら特別なところのない、食べ飽きたと言ってもいいほどの味。そんなものが売り物になると言われてもピンとこない。
「君たちは自分の価値を知らなすぎだ。それもこれも、離れ小島に住んでいて直接、北の大陸と関わろうとしないから。その意味でも、自分たちでコーヒーハウスをだすのは意義がある。北の大陸で商売することで情勢をくわしく知られるようになれば、自分たちの価値もわかる。自分たちの品にどんな値がつくかはっきりわかる。そうなれば、いままでよりずっと稼げる。稼げるようになれば、兵を雇って島の護衛に当てることだって出来る。絶対に自分たちで商売をはじめるべきだ」
「……そうね。自分たちの島は自分たちで守れるようにならなきゃいけないし、そのためにはたしかに稼げるようにならないとね。今回の旅ではその点をしっかりと確かめさせてもらうわ」
「ああ、その意気だ」
驚いたことに――。
ロウワンがいきなり『にっこり』と微笑んだ。ロウワンの笑みなど何日ぶりだろう。いきなりの不意打ちにトウナは思わずドキリとしてしまう。その途端――。
『輝きは消えず』号が大きく揺れた。
「いきなり、気分を出すんじゃない!」
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