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第二部 絆ぐ伝説
第二話八章 船の暮らし
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太陽の光を浴びてキラキラと輝く海の上を、『輝きは消えず』号が疾走している。
ガレー船や帆船では考えられない速さで海を渡るその姿はまさに『泳ぐ』と言うのがふさわしい。その軽快な疾走感は『輝きは消えず』号をして『船』と言うより、『船の姿の魚』に見せていた。
人工物であることを越えて、生物特有の躍動感がそこにあるのだ。
もちろん、生物の『天命』を植えつけられた天命船である。ある意味ではまちがいなく『生物』であるわけなのだが。
その『輝きは消えず』号にはいま、三人の男女が乗っている。
ロウワンはあいかわらず大きすぎる船長服を着込み、身長ほどもある巨大な大刀を背負っている。さらに、両腰には二本のカトラス。
ビーブは自前の毛皮だけをまとい、
――海はきらいだ。毛がベタつく。
と、不平不満を漏らしている。それでも、尻尾に握ったカトラスを振りまわすことは決してやめない。
そして、トウナ。
新たに三人目の乗組員となったかの人は、いかにも漁村の娘らしく、飾り気のない洗いざらしのシャツを着込み、七分丈のパンツとサンダルをはいている。島の習慣で日焼け止めとして魚の油を塗っているので、なめらかな肌が日の光を浴びてきらめいている。
頭には布を巻きつけて強い葉差しから頭部を守り、腰にはロウワンを真似て二本のカトラスを差している。
最初は、武器として銛を持ち込むつもりだったのだが、
「君にその武器は大きすぎるし、重すぎる。おれたちの船にカトラスが何本もあるからそのなかから適当なものを選んだ方がいい」
と、ロウワンに言われたのでその通りにした。
ロウワンが歳に似合わぬ凄腕の剣士であることも、自分が戦いにおいては素人であることも自覚している。歳は下でも戦いに関してはロウワンが先輩。その忠告は素直に聞いておくことにしたのだ。
肩まで届く波打つ黒髪。
日に焼けた赤銅色の肌。
力強く、引き締まった肢体。
いかにも気の強そうなくっきりとした美しい顔立ち。
そんな目立つ容姿の一五歳の少女が頭に布を巻きつけ、二本のカトラスを両腰に差して船に乗っているのだ。飾り気のない服装のおかげで年相応の胸のふくらみも、それ以上に大きな尻のふくらみもすべて露わになっているしで、いっぱしの『女海賊』として、物語の表紙を飾れそうな姿である。
その新米『女海賊』は、吹きつける潮風に揺れる髪をなでつけながら、誰に言うともなく呟いた。
「……すごい速さね。船がこんなに速く進むものだなんて知らなかったわ」
「天命船だからさ」
ロウワンが答えた。
「ガレー船や、帆船だったら、こうはいかない。自分で『泳いで』くれるからいちいち操作しなくていいしな。ガレー船や帆船だったら海を渡るのは大変な苦労だ」
「そうなの?」
「もちろん。ガレー船は手漕ぎだからな。船を進めるために漕ぎ手は二〇時間以上もぶっつづけて櫂を漕ぎつづけることもあるそうだ」
「二〇時間も⁉」
「ああ。それも、ほとんどの場合、ガレー船の漕ぎ手は奴隷だからな。鎖で漕ぎ座につながれ、監視人に鞭で打たれながら櫂を漕ぐことになる」
「そんな、ひどい!」
「ひどいさ。それが、海賊が増えつづける理由のひとつだよ。みんな、そんな境遇からは逃げ出したいから機会さえあれば進んで海賊になる」
もちろん、海賊になったからと言って漕ぎ手としての苦労がかわるわけではない。あいかわらず『死んだ方がマシ』な重労働だ。
しかし、少なくとも、海賊の世界では身分は平等だ。奴隷の身分からは解放されるし、襲撃に成功すれば分け前もきちんともらえる。
食事も『腐って虫の湧いたビスケットをほんの少し』ではなく、もっとまともなものを腹いっぱい食える。酒も飲める。
襲撃で活躍して知恵と勇気を仲間に認められれば、船長になることだって可能なのだ。
未来への希望も、展望もなく、いつ使い捨てにされるとも知れない漕ぎ手として一生を送るより、縛り首の恐怖はあっても海賊としておもしろおかしく生きたい。そう思うものが多いのは当然と言える。
各国の海軍が海賊を掃討できないのはそれも一因だった。
肝心の船員たちが隙あらば船を抜け出し、海賊の仲間になりたい。
そう思っており、実際に機会さえあれば実行するというのに、どうして海賊と戦えると言うのか。各国が自前の海軍よりも海賊を頼りにし、いざ戦争となればこぞって海賊たちを傘下に納めようとするのも当然なのだった。
「でも、帆船ならそんな苦労はないんでしょう?」
トウナが恐るおそると言った様子で尋ねた。
タラの島で遠洋漁業に繰り出すために使われるのは大型の帆船だ。一〇代半ば以上の島の男たちがみんなで乗り込み、魚を獲り、コーヒー豆やスパイス、めずらしい生き物たちなど、南洋の産物を得るために乗り出していく。家族であり、仲間である島の男たちが船のなかでそんなひどい扱いを受けているとは思いたくない。
「たしかに、帆船なら漕ぎ手の苦労はないけどな」
ロウワンの答えに――。
トウナはホッと胸をなで下ろした。
「でも、帆船には帆船の苦労がある。風がなくなってしまえば動けないし、逆に風が強すぎれば帆が破れたり、マストが折れたりするのを防ぐために風に吹かれながら帆を操らなくちゃならない。嵐のときなんて大変を通り越して悲惨だ。雨風に打たれながら水を吸ってずっしりと重くなった帆やロープを扱わなきゃならない。強風に煽られてグラグラ揺れる船の上で作業するんだ。ちょっとでも気を抜けば自分が風に飛ばされて海に投げ落とされる。水を吸って硬くなったロープを切らなきゃいけないこともある。半端な力でできることじゃない。下手に切ろうとすれば刃物の方が折れてしまう。船乗りがカトラスを好んで使うのは、カトラスの短くて分厚い刃がそれらの作業に適しているからでもあるんだ」
「……そ、そう。船を扱うって大変なのね」
トウナはおぞましげに身を震わせながら言った。
ロウワンはその態度にふと気付いた。
「そう言えば、君は船に乗ったことはないのか? 漁村の娘なのに」
そう問われて――。
トウナは悔しそうに唇を噛みしめた。
「男なら、あたしぐらいの歳になればもう一人前として漁に連れて行かれるんだけど……あたしは女だから許されなかったのよ」
「……そうか。たしかに、どこでも女性の船乗りはめずらしいからな」
――ブージたちにたったひとりで立ち向かったのは、そのための意地もあったのか。
ロウワンはそう思い、納得したのだった。
「だけど、船乗りの男たちはみんな知り合いなんだろう? 船での話を聞いたことはないのか?」
「海の神秘とか、漁に向かった先での島での暮らしとか、めずらしい風物の話とかはよく聞いたけど……船での苦労話は聞いたことがないわ」
「そうか。まあ、おれも物語のなかでは格好良くて浪漫のある話しか目にしなかったからな。船暮らしの大変さを思い知ったのは実際にガレノアの船に乗ってからだ」
「『ガレノア』って、あなたが最初に乗ったって言う海賊船の女船長よね?」
「ああ。見た目はとてもじゃないけど『女』って言う感じじゃなかったけどな」
右目には眼帯、肩には鸚鵡。いかつい風貌にたくましい体付き。手にはラム酒の大瓶。
いまではすっかり懐かしくなったガレノアの姿を思い出し、ロウワンは苦笑した。
「その船に乗って鍛えられたことで、あなたは強くなったのよね?」
「ガレノアの船では船乗りと海賊としての基本を叩き込まれた。船の扱い、海賊の掟、無人島での生き残り方、声が使えないときのための手話……。それから、〝鬼〟の船で〝詩姫〟から剣の基礎を教えられ、ハルキス先生の島で学問を学び、ビーブたちを相手に剣の修行をした」
ロウワンはそう説明した。
改めて語ってみると本当に多くのことを学んできた。もう何十年もの間、旅をつづけてきた気がする。実際にはガレノアの船に乗り込んでからまだ二年とたっていないというのに。
「……とにかく、そうやって修行してきたからあなたは強くなった。そうよね?」
「ああ。そうだ」
「じゃあ、お願い。あたしを鍛えて」
「君を?」
さすがに驚いて、目を丸くしてトウナを見た。
トウナは真剣そのものの表情でうなずいた。そこにはタラの島でただひとり、海賊たちに立ち向かったときと同じ覚悟が宿っていた。
「あの一件で思い知ったわ。島を守るためには力が必要。あたしも強くならなきゃいけないの。だから、お願い。あたしにあなたの剣を教えて」
ロウワンはトウナの目を見つめた。トウナは力強く、まっすぐな視線で見返してきた。その目を見てどうして断れるというのだろう? こんなにも真剣に請うているというのに。
「わかった」
ロウワンはうなずいた。
トウナの顔がパアッと輝いた。
「ただし、剣を振るうのはあとだ。まずは足捌きを徹底的に学ぶこと。腕だけで振るっていたって人を斬ることは出来ないからな」
「たしかに、あのブージって言う海賊もそう言っていたけど……」
「それと、稽古の相手はビーブにしてもらった方がいい」
「サルに⁉」
トウナは驚いて叫んだ。
すると、それまで潮風に吹かれてベタつく毛を繕うのに必死だったビーブが叫びだした。
――なんだよ、動物。おれさまが師匠じゃ不満だってのかよ?
両手を振りまわしてそう主張する。
ロウワンが言った。
「言っただろう。おれはビーブたちを相手に剣の修行をしたんだ。おれの剣技を覚えたいならビーブに習った方が早い」
「それは、聞いたけど……」
トウナはビーブを見た。
ビーブは歯をむいて唸った。甲板の上で跳びはねた。
「キイ、キイ、キイ!」
「なに⁉ 『言葉もわからない動物に剣が覚えられるのか?』ですって? 失礼ね。たしかに手話はわからないけど言葉が使えないわけじゃないし、あたしは動物じゃないわよ」
「キイ、キイ、キキキッ!」
「『そんなデカい尻でまともに動けるのか?』っですってえ! なお失礼ね! これでも、島の男の子たちに喧嘩で負けたことはないんだから」
ビーブ相手に口喧嘩をはじめたトウナを見て、ロウワンは目を丸くした。
「ビーブの言葉がわかるのか?」
一年に及ぶ付き合いのロウワンですら、ビーブの『キイ、キイ』から正確な意味を汲み取るのはむずかしい。
「なんとなく」
トウナは『ぷんぷん!』とばかりに頬をふくらませ、両腕を組みながら答えた。
女性特有の直感、というものだろうか。トウナにはビーブの言っていることがなんとなくわかるらしい。
「そ、そうか。とにかく、剣を教わるからにはビーブは師匠だ。礼儀は守ることだ」
「……そうね。そうすべきよね。いいわ。それじゃ、ビーブ師匠。これから、よろしくお願いします」
トウナはそう言って右手を差し出した。
――おう。仕方ないからよろしくしてやるぜ。
ビーブは手話でそう答えながらトウナの手に尻尾を載せた。
『バカにしてる!』と思うかも知れないが、実は逆。ビーブたちにとって剣を握る主武器である尻尾を相手に預けることは最大級の信頼の証であり、相手に対する敬意を示しているのだ。
「よし、それじゃ進むとしよう。目的の港まで何日かかかる。その間、みっちり鍛えてもらうといい」
ロウワンのその言葉に応えるように――。
『輝きは消えず』号は、よりいっそう速度を速めて泳ぎだした。
ガレー船や帆船では考えられない速さで海を渡るその姿はまさに『泳ぐ』と言うのがふさわしい。その軽快な疾走感は『輝きは消えず』号をして『船』と言うより、『船の姿の魚』に見せていた。
人工物であることを越えて、生物特有の躍動感がそこにあるのだ。
もちろん、生物の『天命』を植えつけられた天命船である。ある意味ではまちがいなく『生物』であるわけなのだが。
その『輝きは消えず』号にはいま、三人の男女が乗っている。
ロウワンはあいかわらず大きすぎる船長服を着込み、身長ほどもある巨大な大刀を背負っている。さらに、両腰には二本のカトラス。
ビーブは自前の毛皮だけをまとい、
――海はきらいだ。毛がベタつく。
と、不平不満を漏らしている。それでも、尻尾に握ったカトラスを振りまわすことは決してやめない。
そして、トウナ。
新たに三人目の乗組員となったかの人は、いかにも漁村の娘らしく、飾り気のない洗いざらしのシャツを着込み、七分丈のパンツとサンダルをはいている。島の習慣で日焼け止めとして魚の油を塗っているので、なめらかな肌が日の光を浴びてきらめいている。
頭には布を巻きつけて強い葉差しから頭部を守り、腰にはロウワンを真似て二本のカトラスを差している。
最初は、武器として銛を持ち込むつもりだったのだが、
「君にその武器は大きすぎるし、重すぎる。おれたちの船にカトラスが何本もあるからそのなかから適当なものを選んだ方がいい」
と、ロウワンに言われたのでその通りにした。
ロウワンが歳に似合わぬ凄腕の剣士であることも、自分が戦いにおいては素人であることも自覚している。歳は下でも戦いに関してはロウワンが先輩。その忠告は素直に聞いておくことにしたのだ。
肩まで届く波打つ黒髪。
日に焼けた赤銅色の肌。
力強く、引き締まった肢体。
いかにも気の強そうなくっきりとした美しい顔立ち。
そんな目立つ容姿の一五歳の少女が頭に布を巻きつけ、二本のカトラスを両腰に差して船に乗っているのだ。飾り気のない服装のおかげで年相応の胸のふくらみも、それ以上に大きな尻のふくらみもすべて露わになっているしで、いっぱしの『女海賊』として、物語の表紙を飾れそうな姿である。
その新米『女海賊』は、吹きつける潮風に揺れる髪をなでつけながら、誰に言うともなく呟いた。
「……すごい速さね。船がこんなに速く進むものだなんて知らなかったわ」
「天命船だからさ」
ロウワンが答えた。
「ガレー船や、帆船だったら、こうはいかない。自分で『泳いで』くれるからいちいち操作しなくていいしな。ガレー船や帆船だったら海を渡るのは大変な苦労だ」
「そうなの?」
「もちろん。ガレー船は手漕ぎだからな。船を進めるために漕ぎ手は二〇時間以上もぶっつづけて櫂を漕ぎつづけることもあるそうだ」
「二〇時間も⁉」
「ああ。それも、ほとんどの場合、ガレー船の漕ぎ手は奴隷だからな。鎖で漕ぎ座につながれ、監視人に鞭で打たれながら櫂を漕ぐことになる」
「そんな、ひどい!」
「ひどいさ。それが、海賊が増えつづける理由のひとつだよ。みんな、そんな境遇からは逃げ出したいから機会さえあれば進んで海賊になる」
もちろん、海賊になったからと言って漕ぎ手としての苦労がかわるわけではない。あいかわらず『死んだ方がマシ』な重労働だ。
しかし、少なくとも、海賊の世界では身分は平等だ。奴隷の身分からは解放されるし、襲撃に成功すれば分け前もきちんともらえる。
食事も『腐って虫の湧いたビスケットをほんの少し』ではなく、もっとまともなものを腹いっぱい食える。酒も飲める。
襲撃で活躍して知恵と勇気を仲間に認められれば、船長になることだって可能なのだ。
未来への希望も、展望もなく、いつ使い捨てにされるとも知れない漕ぎ手として一生を送るより、縛り首の恐怖はあっても海賊としておもしろおかしく生きたい。そう思うものが多いのは当然と言える。
各国の海軍が海賊を掃討できないのはそれも一因だった。
肝心の船員たちが隙あらば船を抜け出し、海賊の仲間になりたい。
そう思っており、実際に機会さえあれば実行するというのに、どうして海賊と戦えると言うのか。各国が自前の海軍よりも海賊を頼りにし、いざ戦争となればこぞって海賊たちを傘下に納めようとするのも当然なのだった。
「でも、帆船ならそんな苦労はないんでしょう?」
トウナが恐るおそると言った様子で尋ねた。
タラの島で遠洋漁業に繰り出すために使われるのは大型の帆船だ。一〇代半ば以上の島の男たちがみんなで乗り込み、魚を獲り、コーヒー豆やスパイス、めずらしい生き物たちなど、南洋の産物を得るために乗り出していく。家族であり、仲間である島の男たちが船のなかでそんなひどい扱いを受けているとは思いたくない。
「たしかに、帆船なら漕ぎ手の苦労はないけどな」
ロウワンの答えに――。
トウナはホッと胸をなで下ろした。
「でも、帆船には帆船の苦労がある。風がなくなってしまえば動けないし、逆に風が強すぎれば帆が破れたり、マストが折れたりするのを防ぐために風に吹かれながら帆を操らなくちゃならない。嵐のときなんて大変を通り越して悲惨だ。雨風に打たれながら水を吸ってずっしりと重くなった帆やロープを扱わなきゃならない。強風に煽られてグラグラ揺れる船の上で作業するんだ。ちょっとでも気を抜けば自分が風に飛ばされて海に投げ落とされる。水を吸って硬くなったロープを切らなきゃいけないこともある。半端な力でできることじゃない。下手に切ろうとすれば刃物の方が折れてしまう。船乗りがカトラスを好んで使うのは、カトラスの短くて分厚い刃がそれらの作業に適しているからでもあるんだ」
「……そ、そう。船を扱うって大変なのね」
トウナはおぞましげに身を震わせながら言った。
ロウワンはその態度にふと気付いた。
「そう言えば、君は船に乗ったことはないのか? 漁村の娘なのに」
そう問われて――。
トウナは悔しそうに唇を噛みしめた。
「男なら、あたしぐらいの歳になればもう一人前として漁に連れて行かれるんだけど……あたしは女だから許されなかったのよ」
「……そうか。たしかに、どこでも女性の船乗りはめずらしいからな」
――ブージたちにたったひとりで立ち向かったのは、そのための意地もあったのか。
ロウワンはそう思い、納得したのだった。
「だけど、船乗りの男たちはみんな知り合いなんだろう? 船での話を聞いたことはないのか?」
「海の神秘とか、漁に向かった先での島での暮らしとか、めずらしい風物の話とかはよく聞いたけど……船での苦労話は聞いたことがないわ」
「そうか。まあ、おれも物語のなかでは格好良くて浪漫のある話しか目にしなかったからな。船暮らしの大変さを思い知ったのは実際にガレノアの船に乗ってからだ」
「『ガレノア』って、あなたが最初に乗ったって言う海賊船の女船長よね?」
「ああ。見た目はとてもじゃないけど『女』って言う感じじゃなかったけどな」
右目には眼帯、肩には鸚鵡。いかつい風貌にたくましい体付き。手にはラム酒の大瓶。
いまではすっかり懐かしくなったガレノアの姿を思い出し、ロウワンは苦笑した。
「その船に乗って鍛えられたことで、あなたは強くなったのよね?」
「ガレノアの船では船乗りと海賊としての基本を叩き込まれた。船の扱い、海賊の掟、無人島での生き残り方、声が使えないときのための手話……。それから、〝鬼〟の船で〝詩姫〟から剣の基礎を教えられ、ハルキス先生の島で学問を学び、ビーブたちを相手に剣の修行をした」
ロウワンはそう説明した。
改めて語ってみると本当に多くのことを学んできた。もう何十年もの間、旅をつづけてきた気がする。実際にはガレノアの船に乗り込んでからまだ二年とたっていないというのに。
「……とにかく、そうやって修行してきたからあなたは強くなった。そうよね?」
「ああ。そうだ」
「じゃあ、お願い。あたしを鍛えて」
「君を?」
さすがに驚いて、目を丸くしてトウナを見た。
トウナは真剣そのものの表情でうなずいた。そこにはタラの島でただひとり、海賊たちに立ち向かったときと同じ覚悟が宿っていた。
「あの一件で思い知ったわ。島を守るためには力が必要。あたしも強くならなきゃいけないの。だから、お願い。あたしにあなたの剣を教えて」
ロウワンはトウナの目を見つめた。トウナは力強く、まっすぐな視線で見返してきた。その目を見てどうして断れるというのだろう? こんなにも真剣に請うているというのに。
「わかった」
ロウワンはうなずいた。
トウナの顔がパアッと輝いた。
「ただし、剣を振るうのはあとだ。まずは足捌きを徹底的に学ぶこと。腕だけで振るっていたって人を斬ることは出来ないからな」
「たしかに、あのブージって言う海賊もそう言っていたけど……」
「それと、稽古の相手はビーブにしてもらった方がいい」
「サルに⁉」
トウナは驚いて叫んだ。
すると、それまで潮風に吹かれてベタつく毛を繕うのに必死だったビーブが叫びだした。
――なんだよ、動物。おれさまが師匠じゃ不満だってのかよ?
両手を振りまわしてそう主張する。
ロウワンが言った。
「言っただろう。おれはビーブたちを相手に剣の修行をしたんだ。おれの剣技を覚えたいならビーブに習った方が早い」
「それは、聞いたけど……」
トウナはビーブを見た。
ビーブは歯をむいて唸った。甲板の上で跳びはねた。
「キイ、キイ、キイ!」
「なに⁉ 『言葉もわからない動物に剣が覚えられるのか?』ですって? 失礼ね。たしかに手話はわからないけど言葉が使えないわけじゃないし、あたしは動物じゃないわよ」
「キイ、キイ、キキキッ!」
「『そんなデカい尻でまともに動けるのか?』っですってえ! なお失礼ね! これでも、島の男の子たちに喧嘩で負けたことはないんだから」
ビーブ相手に口喧嘩をはじめたトウナを見て、ロウワンは目を丸くした。
「ビーブの言葉がわかるのか?」
一年に及ぶ付き合いのロウワンですら、ビーブの『キイ、キイ』から正確な意味を汲み取るのはむずかしい。
「なんとなく」
トウナは『ぷんぷん!』とばかりに頬をふくらませ、両腕を組みながら答えた。
女性特有の直感、というものだろうか。トウナにはビーブの言っていることがなんとなくわかるらしい。
「そ、そうか。とにかく、剣を教わるからにはビーブは師匠だ。礼儀は守ることだ」
「……そうね。そうすべきよね。いいわ。それじゃ、ビーブ師匠。これから、よろしくお願いします」
トウナはそう言って右手を差し出した。
――おう。仕方ないからよろしくしてやるぜ。
ビーブは手話でそう答えながらトウナの手に尻尾を載せた。
『バカにしてる!』と思うかも知れないが、実は逆。ビーブたちにとって剣を握る主武器である尻尾を相手に預けることは最大級の信頼の証であり、相手に対する敬意を示しているのだ。
「よし、それじゃ進むとしよう。目的の港まで何日かかかる。その間、みっちり鍛えてもらうといい」
ロウワンのその言葉に応えるように――。
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