壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第二話六章 幼年期の終わり

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 そして、三日後。
 自ら決めた期限通り、ブージはやってきた。十数人の手下たちを引き連れて。
 その全員がカトラスか手斧をもっていた。そのうちの数人は小銃まで用意している。実戦経験の多さと、死への恐怖をあざ笑う糞度胸を考えれば、同規模の軍隊であっても勝つことはむずかしいだろう。まして、女子どもと年寄りしかいない離れ小島の住人たちがどう抵抗したところで勝てるはずがない。皆殺しにされ、すべてを奪われるだけだ。
 村長のコドフはそのことをよくわきまえていた。だから、渡せるものをわたして穏便に引き取ってもらうつもりだった。そのために、住民たちを説得して『取り引きの品』を用意していた。
 それらの品々はすでに港に運ばれ、その場に置かれていた。コドフがその横に立ち、その他の島の住人たちは後方で遠巻きに様子を眺めている。
 どの顔も不安そうだ。住民たちのなかには期限が来てもブージがやってこないことを祈ったものもいただろう。しかし、そんなことを祈るのは借金取りが期限までにやってこないことを祈るようなものだった。
 そのなかでただひとり、『取り引きの品』の前に立ち、ブージたちと対峙たいじしている住民がいた。
 トウナ。
 わずか一五歳の少女がたったひとり、その両手に漁用のもりを握りしめ、二〇人近い海賊たちの前に立ちはだかっている。
 額には汗が浮いていた。
 暑さのためではない。緊張と、なによりも恐怖のためだ。それでも、覚悟を決めた表情は揺らぐことはなく、一歩も引かない構えである。
 「帰りなさい」
 トウナは海賊たちに向かってそう言い放った。
 「この島にあるものはこの島の住民たちのもの。お前たちに渡すものなんてなにひとつない。いますぐ帰りなさい」
 『帰ってください』ではない。
 『帰りなさい』
 トウナは海賊たちに向かってはっきりと命令したのだ。
 哀願あいがんでも、懇願こんがんでもなく、命令。
 自由を愛し、誰かに命令されることを根っからきらう海賊たちにとってはなんとも腹立たしいことだった。そのままなら海賊たちが殺到さっとうし、トウナは切り刻まれていただろう。その前に『死ぬよりひどい目』に遭うことだろうが。それも、島の住民たちの目の前で。
 だが、ブージは片手をあげて手下たちを制した。その獰猛どうもう風貌ふうぼうからは考えられないぐらい穏やかな声で語りかけた。
 「……いい目だ。人を殺す覚悟を決めた目だな。あの甘ちゃんの小僧とはちがう」
 「あたしはこの島で生まれ育った。この島の人間よ。この島を守る責任があるわ」
 ギュッ、と、両手でもりを握りしめながらトウナは言い放った。
 をつかむ手がシクシクと痛む。この三日間、トウナはずっともりを振りまわしていた。慣れない作業に手は肉刺まめだらけになっていた。それでも――。
 トウナはもりを握る力を弱めることはなかった。
 ブージはうなずいた。
 「なるほどな。どこの馬の骨ともわからない流れ者の用心棒とは背負うものがちがうってわけだ。けどな、お嬢ちゃん。残念ながら覚悟だけでも勝てないんだよ。もし、あんたにあの小僧っ子ほどの強さがあれば話は別だ。しかし、あんたは素人しろうとだ。構えを見りゃあわかる。もりを振りまわす稽古けいこだけはしたようだが……それこそ『素人しろうとの勘違い』ってヤツだ。武器ってのは腕で振るうもんじゃねえ。下半身で振るもんだ。腕だけで振りまわしたって、人を殺せる威力にはならねえ」
 「………」
 「つまり、お嬢ちゃん。いくら覚悟を決めたところで、あんたの腕じゃあ、おれたちの誰ひとりとして殺せやしねえってことだ。傷のひとつやふたつはつけることも出来るだろう。だが、それだけだ。あんたはメタメタにやられて、『取り引きの品』はおれたちの手に渡る。つまり、あんたがいくら抵抗したも無駄ってことだ。わかったら、おとなしく引きさがりな。そうすりゃあ、あんたには手出しはしねえと約束するぜ」
 なにしろ、おれは紳士だからよ。
 ブージはそう言って、野太い唇をねじ曲げた。しかし――。
 トウナは覚悟を決めた表情のまま、その場を一歩も動こうとしない。
 ブージの表情がさすがにかわった。怒りの色が浮かんだ。せっかく、穏やかに忠告してやったのに、それを無視した相手に対する腹立ちだった。
 「……本当にいいのかい? はじまったらしゃれではすまねえんだぜ? あんたは女だ。しかも、いい年頃のな。それも、こんな離れ小島においておくにはもったいないくらいのべっぴんさんだ。そんなあんたがおれたちに捕まり、船に連れ込まれたら……どんな目に遭うかぐらいはわかるだろう?」
 「生きて捕まる気はないわ。あたしが死ぬか、お前たちが死ぬか。そのどちらかよ」
 やれやれ、と、ブージは首を左右に振った。
 「そこまで言うなら仕方がねえ。弱いものがイキがれば早死にする。その現実を教えてやろうか」
 ブージの手があがった。振りおろそうとした。その合図に合わせて手下たちが動く準備をはじめた。その寸前――。
 その場にひとつの人影が飛び出した。
 コドフだった。
 村長のコドフがその枯れ枝のような体をその場に投げ出し、両手をついてブージに哀願あいがんした。
 「お、おまちください! この娘は自分がなにをしているかわかっていないのです。お渡しできるだけのものは用意しておきました。すぐに船まで運ばせます。ですから、島の人間だけは、どうか……」
 額を地面にすりつけるようにして頼み込む。
 「おじいちゃん!」
 トウナが叫んだ。
 「子どもは黙っておれ! これはおとなの話し合いじゃ!」
 「おじいちゃんこそ引っ込んでて! この島にあるものは、この島の人間が必死で働いて手に入れたものよ。それを、こんな働きもしないで人から奪おうって連中にくれてやるつもりなの?」
 「トウナ! お前のしていることは勇気ではない、無謀と言うんじゃ。逆らえば殺される。それがわかっていて逆らうなど愚かもののすることじゃ」
 「だからって! おとなしく渡していれば永遠に奪われつづける。
 『あの島の連中はちょっと脅せばすぐにお宝を差し出す』
 そんな噂が広まれば他の海賊たちだってよってくる。海賊どもに奪われるために働く羽目になるのよ。あたしはそんな人生はごめんだわ」
 「トウナ……」
 「いい台詞せりふだ」
 ブージが本気で感心した様子で言った。笑うことのなかった目がかすかに微笑んでいるように見えた。
 「おれの手下にも同じことを言うやつが多くてな。
 『国や地主に奪われるために働くなんてごめんだ』
 そう言って陸の生活を投げ捨て、海賊になった連中さ。
 どうだい、お嬢ちゃん。本気でおれの仲間にならねえか? あんたの度胸なら歓迎するぜ」
 仲間となりゃあ、ひどい目に遭わせたりしねえしよ。
 ブージはそう言って笑った。
 「お断りよ」
 トウナはきっぱりとそう答えた。
 「あたしは、人が必死に生み出したものを奪って生きる気はないわ」
 「そうかい」
 と、ブージは本当に残念そうに呟いた。
 「じゃあ、しょうがねえ。そのじいさんの言い分が正しいってことをその身で思い知ってもらおうか。現実ってやつをな!」
 ブージのあげっぱなしだった腕が勢いよく振りおろされた。手下の海賊たちが手にてにカトラスや手斧をもって動き出した。
 「ひっ……!」
 コドフが小さな悲鳴をあげて尻餅をついた格好で後ずさった。後方からは島の住民たちの息を呑む様子が伝わってきた。それでも――。
 トウナはその場を動かない。
 ――この島を守るのは、この島に生まれ育った人間の責任。
 その覚悟のまま立ちはだかっている。
 ブージの手下のうち、半数以上が前に進み出た。さらにそのうちの先頭に立っていた三人がカトラス手をトウナに迫った。カトラスを振りかざした。振りおろそうとした。トウナは――。
 目をつぶることはなかった。
 それだけでも素人しろうととしては大したものだ。普通、戦闘経験のない素人しろうとなら、自分めがけて剣が振りおろされるのを見た途端に目をつぶってしまい、なにもできないままに斬られているところだ。
 トウナはちがった。自分目がけで剣が振りおろされてくるのを見ても、目をつぶることはなかった。しっかりと両目を開けてにらみつけていた。その勇気は賞賛に値した。とは言え――。
 素人しろうとはしろうと。斬りかかられてとっさに反応できるものではない。せっかく握ったもりを動かせないまま、その場に立ち尽くしているしかなかった。
 カトラスの短く、肉厚の刃が肉を裂き、骨を断った。大量の血がしぶき、頭が宙を飛んで、地面に落ちた。
 海賊の頭が。
 トウナのすぐ横。そこに、二本のカトラスを握り、大刀たいとうを背に担いだ若者が立っていた。
 ロウワンだった。
 ロウワンの振るったカトラスの一閃が一撃のもとに海賊の首をね飛ばしていた。
 二閃、
 三閃、
 ロウワンの両手にもたれたカトラスが立てつづけに振るわれ、残るふたりの海賊の首もね飛ばした。そのときにはビーブが海賊たちの足元を走り抜け、通りすぎ様に尻尾に握った剣の一撃を食らわしていた。海賊たちはたちまち足から血を吹き出し、もんどり打って倒れ込んだ。
 無事なのはブージ本人とそのまわりに残る数人だけ。他はすべて殺されるか、倒されるかしていた。
 「……てめえ」
 ブージは呻いた。ロウワンをにらみつけた。
 「……殺したぞ」
 血にまみれたカトラスを両手に握りながら、ロウワンは答えた。
 「もう、ためらわない。必要とあれば全員、殺してみせる」
 その語るロウワンの頬はげっそりとこけ、目の下にはくまができ、ゾッとするようなすごみがあった。三日前までの、あの快活そうな少年と同一人物とは思えない姿だった。
 「……ロウワン」
 トウナはその変わり方に呆然ぼうぜんとして呟いた。
 ロウワンは前に進み出た。
 ブージに剣先を突きつけた。
 その前ではビーブが、剣を握った尻尾をピンと立てて、歯をむき出しにして威嚇いかくのうなり声をあげている。
 「さあ、どうする? このまま、おれたちを相手にするか?」
 「チッ……」
 ブージは忌々しそうに舌打ちした。
 「……おめえはあのときにきっちり殺しておくべきだったぜ。やっぱ、『紳士』ってのは損をするな」
 それから、手下たちに振り返った。
 「……引きあげだ」
 「おかしら⁉」
 「りいが、怪我人だけは連れて帰らせてもらうぞ。これでも、大事な仲間なんでな」
 「おかしら、このまま尻尾巻いて逃げるつもりですかい⁉」
 「あほう!」
 手下の叫びに――。
 ブージは一喝いっかつした。
 「おれたちゃ仕事でやってんだ。『殺す覚悟』を固めたやつを相手にやり合うなんざあ割りが悪すぎらあ。それに、見ろ」
 ブージはあごをしゃくって見せた。それに気付いた手下たちの表情が見るみるかわった。
 いつの間にか――。
 海賊たちは、手にてにもりや包丁をもち、殺気だった様子の島の住民たちに囲まれていた。まだ一〇歳にもなっていない幼い子どもまでその小さな手に棒切れを握りしめ、ジリジリと海賊たちに迫っていく。その様子に――。
 さしもの、荒事あらごとに慣れた海賊たちも怯えた様子になった。
 たったひとりで海賊たちに立ち向かおうとしたトウナの姿が、島の住民たちに覚悟を決めさせたのだ。
 「これで、わかったろう」
 ブージは手下たちに向かって言った。
 「このままここにいりゃあ、おれたちは皆殺しにされるぞ。せっかく、海賊になって好き放題出来るようになったってのに、早死にしたいやつはいねえだろう。さっさと、怪我人どもを船に放り込め!」
 そうして、ブージたちは去って行った。島の産物にはなにひとつ手をつけないまま。
 怪我人を船に運び込んだあと、ブージは言い残した。
 「安心しろ。もう二度と来ねえよ。こんな物騒ぶっそうな島にはな」

 その夜。
 島は宴会だった。
 海賊たちに渡すはずだった食糧を宴会のさかなにまわし、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。幼い子どもに『もう寝なさい』というのも忘れて夜を徹して騒ぎつつけた。
 しかし――。
 その宴会の場に主賓しゅひんとも言うべきふたりの若者の姿はなかった。
 ロウワンは騒ぎの場からはなれた砂浜に立っていた。そのうなだれた後ろ姿は島を救った英雄とはとても思えないものだった。ビーブが気遣わしげに足元に立ち、トウナがその後ろ姿を見つめていた。
 ロウワンの前。
 そこには、かのの殺した三人の海賊の死体があった。
 死体はいずれも埋葬などされなかった。砂浜に立てられた杭にぶらさげられ、鳥に食われ、波に打たれ、朽ちていくに任されている。
 ――この島を襲えばこうなるぞ。
 他の海賊たちに対し、そう警告するために。
 「あ、あの……」
 トウナがようやく言った。
 「……ありがとう。助けてくれて」
 「……君を助けたわけじゃない。おれの目的のためには人を殺す必要もある。その現実を知っただけだ」
 「で、でも、あなたはあたしを、この島を助けてくれた。あなたはこの島の英雄よ。みんなも……」
 「ちがう!」
 トウナの言葉に――。
 ロウワンは叫んだ。
 そのあまりの激しさにトウナは息を呑み、ビーブですら驚いて跳びすさった。
 「おれは人殺しだ! ただの人殺しなんだ! 人殺しが『英雄』なんて呼ばれてもてはやされるのはまちがってる!」
 「で、でも、あなたがあいつらを殺してくれたから、あたしたちは助かったのよ!」
 「人を助けるために人を殺さなきゃならないと言うのなら……世界そのものがまちがってる!」
 ロウワンはその場にくず折れた。拳で砂浜を殴りつけた。
 何度も、
 何度も、
 何度も。
 その目からは涙があふれ出していた。
 「くそっ、くそっ、くそっ! かえてやる、絶対にかえてやる! 人を助けるために人を殺さなきゃいけない世界なんて。人殺しが英雄ともてはやされる世界なんて。このおれが必ずかえてやる!」
 思わず――。
 トウナはその背を抱きしめていた。ビーブが殴りつけられる腕を抱き留めた。ロウワンは――。
 ただただ泣いていた。
 ロウワンの夜は――。
 そうして過ぎていった。
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