壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話最終章 帰還のとき

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 「突っ込めえぇっ!」
 ロウワンの叫びに――。
 『輝きは消えず』号は忠実に応えた。傷の痛みに耐えながら、いまのかのに出来る全速で泳いだ。波を蹴立てて突進してくるうみ雌牛めうしめがけて。
 普通ならば、控えめに言っても無謀な行為だった。
 うみ雌牛めうしは『輝きは消えず』号よりも大きく、重い。その肉体の強度も『輝きは消えず』号よりも上だろう。そんな相手とお互い全速でぶつかりあう。そんな真似をしたら砕け散るのは『輝きは消えず』号の方だ。絶対に、『輝きは消えず』号が無事でいられるわけがない。なにしろ、相手は、何百年にもわたって海の人間たちに怖れられ、数多あまたの船を沈め、食らってきた伝説の怪物なのだから。
 まともにぶつかれば『輝きは消えず』号は微塵みじんに砕かれ、ロウワンとビーブは海に投げ出され、おぼれ死ぬ。そのことに万に一つの疑いもなかった。しかし――。
 ロウワンの手にはその『さだめ』をくつがえす力があった。〝鬼〟から贈られた大刀たいとうが。
 大刀たいとうには〝鬼〟の力が込められている。そして、ロウワンにはマークスの思いとハルキスの遺志、そのふたつを受け継ごうという覚悟があった。ビーブには弟分を守り抜こうという覚悟があった。そのふたつの覚悟が大刀たいとうに流れ込み、そのなかに込められた〝鬼〟の力をふくれあがらせた。
 大刀たいとうがひときわ大きく伸びた……ように見えた。そのなかに〝鬼〟の顔が浮いていた。獰猛どうもうなくせに妙に愛嬌あいきょうのある、野太い笑みを浮かべながら。
 ――やるじゃねえか。おめえら、よ。
 〝鬼〟の笑みはそう言っていた。
 ロウワンはビーブとともに両手に大刀たいとうを握り、両足で舳先へさきに踏ん張り、うみ雌牛めうしの突進を迎え撃つ。
 『輝きは消えず』号が泳ぐ、
 泳ぐ、
 泳ぐ。
 『輝きは消えず』号の全速と重量とを乗せて、ロウワンは〝鬼〟の大刀たいとううみ雌牛めうしの額に突き立てた。さきが体毛を貫き、うみ雌牛めうしの額に突き刺さった。
 とまっていた。
 うみ雌牛めうしが。
 あり得ないことだった。うみ雌牛めうしのクジラに勝る巨体が、波を蹴立てて突進していたその体躯たいくが、たった一本の刀を突き立てられただけでとまったのだ。
 僥倖ぎょうこう
 奇跡。
 いや、意思の力。
 ロウワンとビーブの覚悟が大刀たいとうに込められた〝鬼〟の力を引き出し、伝説の海の怪物の突進を押しとどめた。それは奇跡ではない。まさに『覚悟』の為せる業だった。
 「うわああああっ!」
 ロウワンは叫んだ。渾身こんしんの力を込めた。その横ではビーブもともに大刀たいとうを握り、叫び声を明けでいる。
 『輝きは消えず』号はその叫びに応えた。もてる限りの力を振りしぼって前進した。うみ雌牛めうしの巨体を押し戻した。
 ズ……ザアァッ!
 音を立てて大刀たいとううみ雌牛めうしの額を斬り裂いた。

 ウ……ロロロオオオオオォォォン!

 うみ雌牛めうしった。
 声をあげた。
 それは、傷つけられたことへの痛みの声か。
 殺された我が子のかたきを取れなかったことへの親としての無念の声か。
 その両方だったかも知れない。
 叫び声が空に呑まれ消えていくように、うみ雌牛めうしの姿もまた海の底へと消えていった。エメラルドグリーンの海に巨体が沈み、影となり、小さくなっていく。やがて、完全に消えた。歴史上はじめて――。
 うみ雌牛めうしが負けた瞬間だった。
 ロウワンは魂が抜けたようにその場に立ち尽くしていた。極度の緊張から解放されて一瞬、我を失ったのだ。やがて、我を取り戻した。小さく、息を吐いた。大刀たいとうを見つめながら、深い思いを込めて呟いた。
 「……さすがだよ、〝鬼〟。あなたは」
 それから、その場にしゃがみ込んだ。優しく、舳先へさきにふれた。
 「ありがとう、『輝きは消えず』号。君が頑張ってくれたおかげだ」
 ブルッ、と、『輝きは消えず』号の船体が揺れたように感じた。感謝の言葉に対する照れだったかも知れない。
 「キィッ、キィッ!」
 ビーブは大はしゃぎだった。甲板の上で跳びはねながら叫んでいる。尻尾に握ったカトラスをブンブン振りまわしているのもいつものことだ。
 そんなきょうだいの姿にロウワンは力強くうなずいた。
 「そうだ、ビーブ。僕たちは勝ったんだ。伝説の海の怪物に。これで、僕たちは人の世に戻れる」
 うみ雌牛めうしがあれで死んだはずはない。なんと言っても、何百年もの間、船乗りたちに怖れられてきた伝説の怪物なのだから。しかし、しばらくは傷をやすことだろう。その間にこの海域をはなれることが出来る。人の世にたどり着くことが出来る。
 「行くぞ、ビーブ。人の世に。ハルキス先生の遺産を届け、人の世をかえる。僕たちで人の世に挑むんだ!」
 「キキィッ!」
 ――そうとも。必ず、やってみせる。ハルキス先生の残した宝を人の世に持ち帰り、人の世をかえる。人と人の争いを終わらせるんだ。
 ――僕には騎士マークスの加護かごがあり、〝鬼〟の力がある。ハルキス先生の教えがある。ビーブがいて、『輝きは消えず』号がいる。絶対にやり遂げられる。
 ロウワンはいまはっきりと、そう確信していた。

           第二部第一話完
           第二話につづく
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