48 / 279
第二部 絆ぐ伝説
第一話最終章 帰還のとき
しおりを挟む
「突っ込めえぇっ!」
ロウワンの叫びに――。
『輝きは消えず』号は忠実に応えた。傷の痛みに耐えながら、いまのかの人に出来る全速で泳いだ。波を蹴立てて突進してくる海の雌牛めがけて。
普通ならば、控えめに言っても無謀な行為だった。
海の雌牛は『輝きは消えず』号よりも大きく、重い。その肉体の強度も『輝きは消えず』号よりも上だろう。そんな相手とお互い全速でぶつかりあう。そんな真似をしたら砕け散るのは『輝きは消えず』号の方だ。絶対に、『輝きは消えず』号が無事でいられるわけがない。なにしろ、相手は、何百年にもわたって海の人間たちに怖れられ、数多の船を沈め、食らってきた伝説の怪物なのだから。
まともにぶつかれば『輝きは消えず』号は木っ端微塵に砕かれ、ロウワンとビーブは海に投げ出され、おぼれ死ぬ。そのことに万に一つの疑いもなかった。しかし――。
ロウワンの手にはその『定め』を覆す力があった。〝鬼〟から贈られた大刀が。
大刀には〝鬼〟の力が込められている。そして、ロウワンにはマークスの思いとハルキスの遺志、そのふたつを受け継ごうという覚悟があった。ビーブには弟分を守り抜こうという覚悟があった。そのふたつの覚悟が大刀に流れ込み、そのなかに込められた〝鬼〟の力をふくれあがらせた。
大刀がひときわ大きく伸びた……ように見えた。そのなかに〝鬼〟の顔が浮いていた。獰猛なくせに妙に愛嬌のある、野太い笑みを浮かべながら。
――やるじゃねえか。おめえら、よ。
〝鬼〟の笑みはそう言っていた。
ロウワンはビーブとともに両手に大刀を握り、両足で舳先に踏ん張り、海の雌牛の突進を迎え撃つ。
『輝きは消えず』号が泳ぐ、
泳ぐ、
泳ぐ。
『輝きは消えず』号の全速と重量とを乗せて、ロウワンは〝鬼〟の大刀を海の雌牛の額に突き立てた。切っ先が体毛を貫き、海の雌牛の額に突き刺さった。
とまっていた。
海の雌牛が。
あり得ないことだった。海の雌牛のクジラに勝る巨体が、波を蹴立てて突進していたその体躯が、たった一本の刀を突き立てられただけでとまったのだ。
僥倖。
奇跡。
いや、意思の力。
ロウワンとビーブの覚悟が大刀に込められた〝鬼〟の力を引き出し、伝説の海の怪物の突進を押しとどめた。それは奇跡ではない。まさに『覚悟』の為せる業だった。
「うわああああっ!」
ロウワンは叫んだ。渾身の力を込めた。その横ではビーブもともに大刀を握り、叫び声を明けでいる。
『輝きは消えず』号はその叫びに応えた。もてる限りの力を振りしぼって前進した。海の雌牛の巨体を押し戻した。
ズ……ザアァッ!
音を立てて大刀が海の雌牛の額を斬り裂いた。
ウ……ロロロオオオオオォォォン!
海の雌牛が仰け反った。
声をあげた。
それは、傷つけられたことへの痛みの声か。
殺された我が子の仇を取れなかったことへの親としての無念の声か。
その両方だったかも知れない。
叫び声が空に呑まれ消えていくように、海の雌牛の姿もまた海の底へと消えていった。エメラルドグリーンの海に巨体が沈み、影となり、小さくなっていく。やがて、完全に消えた。歴史上はじめて――。
海の雌牛が負けた瞬間だった。
ロウワンは魂が抜けたようにその場に立ち尽くしていた。極度の緊張から解放されて一瞬、我を失ったのだ。やがて、我を取り戻した。小さく、息を吐いた。大刀を見つめながら、深い思いを込めて呟いた。
「……さすがだよ、〝鬼〟。あなたは」
それから、その場にしゃがみ込んだ。優しく、舳先にふれた。
「ありがとう、『輝きは消えず』号。君が頑張ってくれたおかげだ」
ブルッ、と、『輝きは消えず』号の船体が揺れたように感じた。感謝の言葉に対する照れだったかも知れない。
「キィッ、キィッ!」
ビーブは大はしゃぎだった。甲板の上で跳びはねながら叫んでいる。尻尾に握ったカトラスをブンブン振りまわしているのもいつものことだ。
そんなきょうだいの姿にロウワンは力強くうなずいた。
「そうだ、ビーブ。僕たちは勝ったんだ。伝説の海の怪物に。これで、僕たちは人の世に戻れる」
海の雌牛があれで死んだはずはない。なんと言っても、何百年もの間、船乗りたちに怖れられてきた伝説の怪物なのだから。しかし、しばらくは傷を癒やすことだろう。その間にこの海域をはなれることが出来る。人の世にたどり着くことが出来る。
「行くぞ、ビーブ。人の世に。ハルキス先生の遺産を届け、人の世をかえる。僕たちで人の世に挑むんだ!」
「キキィッ!」
――そうとも。必ず、やってみせる。ハルキス先生の残した宝を人の世に持ち帰り、人の世をかえる。人と人の争いを終わらせるんだ。
――僕には騎士マークスの加護があり、〝鬼〟の力がある。ハルキス先生の教えがある。ビーブがいて、『輝きは消えず』号がいる。絶対にやり遂げられる。
ロウワンはいまはっきりと、そう確信していた。
第二部第一話完
第二話につづく
ロウワンの叫びに――。
『輝きは消えず』号は忠実に応えた。傷の痛みに耐えながら、いまのかの人に出来る全速で泳いだ。波を蹴立てて突進してくる海の雌牛めがけて。
普通ならば、控えめに言っても無謀な行為だった。
海の雌牛は『輝きは消えず』号よりも大きく、重い。その肉体の強度も『輝きは消えず』号よりも上だろう。そんな相手とお互い全速でぶつかりあう。そんな真似をしたら砕け散るのは『輝きは消えず』号の方だ。絶対に、『輝きは消えず』号が無事でいられるわけがない。なにしろ、相手は、何百年にもわたって海の人間たちに怖れられ、数多の船を沈め、食らってきた伝説の怪物なのだから。
まともにぶつかれば『輝きは消えず』号は木っ端微塵に砕かれ、ロウワンとビーブは海に投げ出され、おぼれ死ぬ。そのことに万に一つの疑いもなかった。しかし――。
ロウワンの手にはその『定め』を覆す力があった。〝鬼〟から贈られた大刀が。
大刀には〝鬼〟の力が込められている。そして、ロウワンにはマークスの思いとハルキスの遺志、そのふたつを受け継ごうという覚悟があった。ビーブには弟分を守り抜こうという覚悟があった。そのふたつの覚悟が大刀に流れ込み、そのなかに込められた〝鬼〟の力をふくれあがらせた。
大刀がひときわ大きく伸びた……ように見えた。そのなかに〝鬼〟の顔が浮いていた。獰猛なくせに妙に愛嬌のある、野太い笑みを浮かべながら。
――やるじゃねえか。おめえら、よ。
〝鬼〟の笑みはそう言っていた。
ロウワンはビーブとともに両手に大刀を握り、両足で舳先に踏ん張り、海の雌牛の突進を迎え撃つ。
『輝きは消えず』号が泳ぐ、
泳ぐ、
泳ぐ。
『輝きは消えず』号の全速と重量とを乗せて、ロウワンは〝鬼〟の大刀を海の雌牛の額に突き立てた。切っ先が体毛を貫き、海の雌牛の額に突き刺さった。
とまっていた。
海の雌牛が。
あり得ないことだった。海の雌牛のクジラに勝る巨体が、波を蹴立てて突進していたその体躯が、たった一本の刀を突き立てられただけでとまったのだ。
僥倖。
奇跡。
いや、意思の力。
ロウワンとビーブの覚悟が大刀に込められた〝鬼〟の力を引き出し、伝説の海の怪物の突進を押しとどめた。それは奇跡ではない。まさに『覚悟』の為せる業だった。
「うわああああっ!」
ロウワンは叫んだ。渾身の力を込めた。その横ではビーブもともに大刀を握り、叫び声を明けでいる。
『輝きは消えず』号はその叫びに応えた。もてる限りの力を振りしぼって前進した。海の雌牛の巨体を押し戻した。
ズ……ザアァッ!
音を立てて大刀が海の雌牛の額を斬り裂いた。
ウ……ロロロオオオオオォォォン!
海の雌牛が仰け反った。
声をあげた。
それは、傷つけられたことへの痛みの声か。
殺された我が子の仇を取れなかったことへの親としての無念の声か。
その両方だったかも知れない。
叫び声が空に呑まれ消えていくように、海の雌牛の姿もまた海の底へと消えていった。エメラルドグリーンの海に巨体が沈み、影となり、小さくなっていく。やがて、完全に消えた。歴史上はじめて――。
海の雌牛が負けた瞬間だった。
ロウワンは魂が抜けたようにその場に立ち尽くしていた。極度の緊張から解放されて一瞬、我を失ったのだ。やがて、我を取り戻した。小さく、息を吐いた。大刀を見つめながら、深い思いを込めて呟いた。
「……さすがだよ、〝鬼〟。あなたは」
それから、その場にしゃがみ込んだ。優しく、舳先にふれた。
「ありがとう、『輝きは消えず』号。君が頑張ってくれたおかげだ」
ブルッ、と、『輝きは消えず』号の船体が揺れたように感じた。感謝の言葉に対する照れだったかも知れない。
「キィッ、キィッ!」
ビーブは大はしゃぎだった。甲板の上で跳びはねながら叫んでいる。尻尾に握ったカトラスをブンブン振りまわしているのもいつものことだ。
そんなきょうだいの姿にロウワンは力強くうなずいた。
「そうだ、ビーブ。僕たちは勝ったんだ。伝説の海の怪物に。これで、僕たちは人の世に戻れる」
海の雌牛があれで死んだはずはない。なんと言っても、何百年もの間、船乗りたちに怖れられてきた伝説の怪物なのだから。しかし、しばらくは傷を癒やすことだろう。その間にこの海域をはなれることが出来る。人の世にたどり着くことが出来る。
「行くぞ、ビーブ。人の世に。ハルキス先生の遺産を届け、人の世をかえる。僕たちで人の世に挑むんだ!」
「キキィッ!」
――そうとも。必ず、やってみせる。ハルキス先生の残した宝を人の世に持ち帰り、人の世をかえる。人と人の争いを終わらせるんだ。
――僕には騎士マークスの加護があり、〝鬼〟の力がある。ハルキス先生の教えがある。ビーブがいて、『輝きは消えず』号がいる。絶対にやり遂げられる。
ロウワンはいまはっきりと、そう確信していた。
第二部第一話完
第二話につづく
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

悪女の死んだ国
神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。
悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか.........
2話完結 1/14に2話の内容を増やしました
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

ぼくの家族は…内緒だよ!!
まりぃべる
児童書・童話
うちの家族は、ふつうとちょっと違うんだって。ぼくには良く分からないけど、友だちや知らない人がいるところでは力を隠さなきゃならないんだ。本気で走ってはダメとか、ジャンプも手を抜け、とかいろいろ守らないといけない約束がある。面倒だけど、約束破ったら引っ越さないといけないって言われてるから面倒だけど仕方なく守ってる。
それでね、十二月なんて一年で一番忙しくなるからぼく、いやなんだけど。
そんなぼくの話、聞いてくれる?
☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。

昨日の敵は今日のパパ!
波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。
画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。
迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。
親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。
私、そんなの困ります!!
アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。
家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。
そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない!
アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる