壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話二三章 尻尾を立てろっ!

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 「ビーブ!」
 叫びとともに歓喜かんきの笑みが爆発した。
 海に浮かぶ『輝きは消えず』号、そして、その甲板の上で跳びはねるビーブ。その姿がロウワンの表情に生気を蘇らせた。
 「キキィッ、キイキイッ!」
 ――早く来い、早く、はやく!
 ビーブが跳びはね、叫びつつ、両手をせわしなく動かしてそう呼びかける。尻尾に握ったカトラスもあいかわらず振りまわしている。
 言われるまでもなかった。ロウワンは立ちあがると砂浜を力の限り、駆けた。
 その全身から湯気が立っている。とっくに体を動かすための養分を使い果たしている。それでもなお、無理やり動かすために体そのものを養分として『食って』いる。そのために体全体が燃焼ねんしょうし、煙と化していく。その結果だった。
 大きな音を立てて、エメラルドグリーンの海に飛び込んだ。燃えあがり、全身が火傷しているような体に潮水しおみずが心地いい。
 ロウワンは必死に泳いだ。『輝きは消えず』号が迎えにやってくる。波を蹴立てて近づいてくる。ビーブが甲板からなわ梯子ばしごを投げ込んだ。波に呑まれて揺れるそれを、ロウワンは必死につかんだ。
 ビーブが小さな体にむち打って必死になわ梯子ばしごを引きあげようとする。ロウワンはなわ梯子ばしごを必死につかみ、船の腹に足をかけてのぼっていく。
 ようやくのぼりきった。甲板にその身を乗せた。そのころにはロウワンも、ビーブも、疲れきっていた。
 「は、はあはあ、ありがとう、ビーブ。よく来てくれたね。信じてたよ」
 ロウワンは疲れきった顔に、それでもありったけの笑みを浮かべて礼を言った。
 それでも、ビーブはすまなそうに両手を動かした。
 ――すまねえ、きょうだい。あいつに空けられた穴が思ったよりでっかくってよ。あたりにあるものをなんでもかんでもつめこんでふさぐのに手間取って遅くなったんだ。
 それはまたビーブらしい、なんとも豪快で野性的な対処法だ。
 それでも、とにかく、ビーブは来てくれた。ロウワンのために必死に働き、『輝きは消えず』号をここまで連れてきてくれたのだ。そのことに関しては感謝しかなかった。
 ――気にしないで。来てくれたんだからそれで充分だよ。さあ、これからが僕たちの覚悟の見せ所だ。『尻尾を立てろっ!』ってやつだ。
 ――おおっ!
 言われて――。
 ビーブは天に向かって思いきり尻尾を伸ばした。その先端にもたれたカトラスが日の光を浴びて白く輝く。
 それは確かに若者たちの決意を示す美しい光景だった。
 しかし、そんな一コマに酔いしれている場合ではなかった。うみ雌牛めうし天命てんめいほうの砲撃をあれほど受けたにもかかわらずまるで応えていないようだった。少しばかり足止めできただけで『輝きは消えず』号、いや、ロウワンを追って海に入ろうとしていた。エメラルドグリーンの海がふたつに割れ、その巨体に押しのけられ、波となって左右に散っていく。
 ――チッ、あの野郎。全然効いてねえ。ありったけの弾を食らわせてやったってのによ。
 「やっぱり、あいつは自然の怪物なんかじゃない。天命てんめいことわりによって生み出された正真しょうしん正銘しょうめいの化け物なんだ」
 ロウワンは改めてそのことを認識した。
 「『輝きは消えず』号!」
 ロウワンは叫んだ。
 船長として船に指示を下した。
 「やつを振り切れるか? とにかく、ここからはなれるんだ!」
 人に従うよう作られている天命てんめいせんはその指示に忠実だった。グルリと回転し、船首の向きを逆方向に向けると、エメラルドグリーンの海を泳ぎはじめた。
 だが、遅い。
 動きが鈍い。
 後ろからは波を蹴立てうみ雌牛めうしが迫ってくる。グングン距離をつめてくる。やはり、うみ雌牛めうしは海の怪物だった。その動きは陸地にいるときは比べものにならないほどはやかった。しかし――。
 本来であれば充分に振り切れたはずなのだ。天命てんめいせんは風任せの帆船や、人力で動かす手こぎの船とはわけがちがう。『泳ぐ』という生物の天命を植え付けられた、言わば『人工の生き物』。本来であればうみ雌牛めうしと同じか、それ以上の速さで泳げるはずなのだ。それがいまは、なんとももっさりした動きしか出来ずにいる。
 「……痛むのか」
 ロウワンは呟いた。
 生物のもつ天命を植え付けることで自ら動き、自然しぜん治癒ちゆ能力のうりょくさえもたせた天命てんめいせん。それはまちがいなく便利なもので、ただの船では望むべくもない性能をもっている。
 しかし、便利なだけではない。生物の天命を植え付けた結果、『痛む』という本来、船には無縁の弱点までもってしまっている。
 ただの船であれば、例え船体に穴が空いたとしてもふさぐことさえ出来れば問題なく動く。以前と同じ速度を出せる。
 天命てんめいせんはちがう。
 船体に穴が空けば痛い。穴を防ぎ、浸水を防ぐことが出来たところで、治るまでの間、痛みはずっとつづく。その痛みに気をとられれば速度も鈍る。性能も落ちる。それが、天命てんめいせんの便利さと表裏ひょうり一体いったいになった弱点だった。
 「……ごめん」
 ロウワンは甲板の手すりにやさしく手をかけた。いたわるようになでた。それは、愛馬を気遣う騎士の姿そのものだった。
 「せっかく、迎えに来てくれたのに無理をさせちゃったようだね。ありがとう。でも、ごめん。もう一度だけ、無理をして」
 そう優しく、しかし、静かな決意を込めてそう語りかけた。それから、改めて指示を下した。
 「回頭! 船首をうみ雌牛めうしに向けろ! うみ雌牛めうしに向けて全力で突進するんだ!」
 「キキィッ!」
 ビーブが叫んだ。
 ――おおっ! ついにやるんだな⁉
 ――そうだ、ビーブ。うみ雌牛めうしはなにがなんでも僕たちを追ってくる。なにしろ、僕たちはうみ雌牛めうしの子どもを殺したんだからね。親なら誰だって海の果てまでも追いかけてかたきを取ろうとする。だから、逃げても無駄だ。戦って、撃退しなきゃいけない。それ以外、僕たちが人の世に戻る方法はないんだ。
 ――そうこなくっちゃなっ! 思いきり、体当たりをかましてやろうぜ!
 興奮して跳びはねる相棒に苦笑しながら、ロウワンは手話で説明した。
 ――まさか。体当たりなんてしないよ。そんなことしたって勝てるわけがない。なにしろ、相手は何百年もの間、海で暴れつづけ、多くの船を沈めてきた怪物なんだからね。体当たりしたってこっちがバラバラになるのがオチだ。でも……。
 ロウワンは〝鬼〟の大刀たいとうを構えた。
 刀の姿に〝鬼〟の力を宿したその武器は、南洋の日差しを浴びて禍々まがまがしく輝いていた。
 「僕たちにはこれがある。この〝鬼〟の大刀たいとうが。〝鬼〟こそはこの世界で一番の怪物。〝鬼〟なら、うみ雌牛めうしだって斬れる。そして、この大刀たいとうにはその〝鬼〟の力が宿っている。その力は僕の覚悟で引き出せる。大丈夫。いまの僕なら太陽だって貫いてみせるさ」
 ロウワンはそう言うと駆けるようにして船首に向かった。舳先へさきの一番、先に立った。うみ雌牛めうしは目の前に迫っていた。回頭するのに手間取った分、うみ雌牛めうしはすぐそこに迫っていた。
 「『輝きは消えず』号、船体を沈めろ! 舳先へさきの高さとやつの頭の高さを合わせるんだ。
 ズブズブと音を立てて『輝きは消えず』号が船体を沈めた。三〇人は乗れる中型船が、遠目にはまるで小さなボートに見えるぐらい海中深く身を沈めた。
 ロウワンは舳先へさきにひとり立ち、両手でしっかり大刀たいとうつかを握った。呼吸をひとつ。まっすぐに迫り来るうみ雌牛めうしを見据える。
 いくら、〝鬼〟の大刀たいとうがあるとは言え、ロウワンの力ではまともな打撃など与えられるはずもない。しかし、『輝きは消えず』号の速度と重量をもって突進すれば――。
 充分な威力の一撃をたたき込めるはずだった。
 ――でも、それも結局は僕次第だ。
 ロウワンは改めてそのことを肝に銘じた。
 ――〝鬼〟は鬼だ。覚悟なきものに力を貸したりは決してしない。もし、僕が少しでも弱気になれば、迎え撃つことを怖がって逃げ腰になれば、この大刀たいとうは逆に僕を食らうはずだ。逃げるな。怖れるな。覚悟を決めろ。ただうみ雌牛めうしを倒すことだけを考えるんだ。
 必死に自分に言い聞かせ、精神をふるい起こす。そんなロウアンの背中になにかが乗った。毛むくじゃらの腕が伸びて大刀たいとうつかをしっかり握った。
 ビーブだった。
 ビーブがロウワンの背中に乗り、きょうだいと一緒になって〝鬼〟の大刀たいとうをつかんでいるのだ。
 「キキッ」
 ビーブがロウワンを見て笑って見せた。
 ロウワンも笑みを返した。
 「君も一緒に行くんだね?」
 「キキッ!」
 当たり前だろっ!
 ビーブはそう言わんばかりに笑って見せた。
 「よし、一緒に行こう、きょうだい!」
 「キイッ!」
 「『輝きは消えず』号、全速前進! 全力をもってうみ雌牛めうしに突っ込め!」
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