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第二部 絆ぐ伝説
第一話二〇章 守られていてたまるか!
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「全砲門開け! 目標、海の雌牛!」
「船長」の指示に従い、『輝きは消えず』号は船体側面に並ぶ砲門を開いた。そのなかから黒光りする砲身がせり出してくる。
「発射ぁっ!」
ロウワンが叫ぶ。その叫びに応え、天命砲から一斉におびただしい光の奔流が放たれた。
天命砲。
それは、その身に込められた『破壊』という名の天命を撃ち出す兵器。『破壊という天命』を対象に植え付けることで自ら壊れるようにする。
そういう兵器だ。いかに、伝説に謳われる海の怪物であろうとも『ただの生物』である以上、天命砲を食らって生きていられるはずがなかった。『破壊という天命』を植え付けられ、自ら壊れ、死んでいく。そのはずだった。それなのに――。
「効かない⁉」
ロウワンは驚きのあまり、叫んだ。たしかに、当たった。直撃したのだ。天命砲の斉射はまちがいなく海の雌牛を包み込んだのだ。
それなのに、海の雌牛は何事もなかったかのように突き進んできた。あり得ない。絶対にあり得ないことのはずだった。海の雌牛が生物である限りは……。
ぶち当たった。
海の雌牛が。
勢いのままに。
『輝きは消えず』号の船体にその頭を叩きつけた。あまりの衝撃にさすがの天命船がひっくり返りそうになる。
「うわああっ!」
何度目だろう。ロウワンの悲鳴が響いた。その横では体の小さなビーブが激しい衝撃に翻弄され、ゴロゴロ転がっている。
これまで、どうにか海の雌牛のぶちかましを避けてきた『輝きは消えず』号だがさすがに、攻撃を仕掛けた直後の突進まではかわせなかった。それでも、転覆せずにすんだのはさすがに、自ら動く天命船だった。普通の船では人の手によって姿勢を立て直さなくてはならない。それではとうてい間に合わず、いまの一撃でひっくり返っていたにちがいない。
しかし、転覆は避けられたとは言え、あの衝撃だ。無傷であるはずがない。おそらく、衝突された箇所には大きな穴が空いていることだろう。そこからは大量の水が流れ込んでいるにちがいない。
天命船は生物の天命を移植した船。その船体には生物の体と同じ自然治癒能力がある。入り込んだ水を排水する機能もある。しかし、それも程度の問題だ。
人間の体は小さな傷ぐらいならすぐに治せるが、折れた骨までも自然に治せるわけではない。
それと同じ。天命船は小さな傷ならば治せるが、大きな損傷となればさすがに治癒能力が追いつかなくなる。排水も同じで、あまりに勢いよく水が流れ込んでくれば排水が間に合わなくなる。要するに、いまのぶちかましによる破損と浸水とでこのまま沈んでもおかしくないと言うことだ。
これまで、『輝きは消えず』号は自らの判断で動き、海の雌牛のぶちかましを避けつづけてきた。船に任せておけば同じことが出来たはずだった。それなのに、ロウワンの指示によって砲撃を行ったためにぶちかましを食らうことになった。その意味で、船を窮地に追いやった責任は『船長』たるロウワンにある。とは言え――。
ロウワンを責めるのも酷だろう。常識で言えば天命砲で殺せない生物などいないはずなのだ。ロウワンが砲撃を命じたのはごくごく当たり前の判断だった。
――なのに、なんで、あいつには効かないんだ⁉
ロウワンは心のなかで叫んだ。
恐慌寸前だった。
天命砲で殺せない生物はいない。しかし、海の雌牛に効かない。と言うことはつまり、海の雌牛は生物ではない?
――まさか、あいつも天命の理で作られた存在なのか⁉
ロウワンはようやく、そのことに思い当たった。もし、そうならば天命砲に対する耐性をもっていても不思議はない。しかし、だとすると海の雌牛は『人の手で作り出された存在』と言うことになる。
――人間がこんな怪物を生み出したって言うのか⁉ なぜ、なんのために?
ロウワンの恐慌寸前の頭にその疑問が渦巻いた。しかし、そんなことを呑気に考えていられる場合ではなかった。
ぬっ、と、海の雌牛が『輝きは消えず』号にめり込んでいた頭部を引いた。天井を仰いだ。
ウロオォォォォォッ!
咆哮が響いた。海の雌牛の全身にこれまでにない力が溜められていくのがわかった。
渾身のぶちかましがくる!
ロウワンはそう察した。察したくなどないが、察しないわけにはいかない。目の前の事態から目をそらしていれば為す術なくぶちかまされ、海のモクズとされることになる。
「避けろ!」
力の限り、叫んだ。指示と言うより、むしろ悲鳴だった。
『輝きは消えず』号はその声に忠実だった。と言うより、自分自身の防衛本能に従ったのだろう。力を振り絞り、できうる限りの速度で『泳いだ』。前方に向けて突き進んだ。
間一髪だった。海の雌牛は暴走する巨大な塊と化して、『輝きは消えず』号が泳いで去ったあとに渾身のぶちかましを叩き込んだ。
もし、一瞬でも遅れていれば。
『輝きは消えず』号の泳ぐ速度が少しでも遅かったら。
まちがいなくぶちかましを食らい、今度こそ沈められているところだった。
――くそっ!
ロウワンは心に叫んだ。
――船におんぶに抱っこか。僕はなにもできない。また、助けられているだけなのか⁉
自分を助けるために死んでいったハルキス。その姿が頭に浮かぶ。
――僕がもっと強ければ、海の雌牛の子どもを殺せるぐらいに強ければ、ハルキス先生は死なずにすんだ。それなのに……そして、いまも、ハルキス先生の残してくれた天命船によって守られている。助けられている。
「昔話のお姫さまか⁉」
ロウワンはそう言う表現で自分自身のふがいなさを罵った。なんとかしなければ。役に立たなければ。他者の犠牲で生き残るなんてまっぴらだ。自分の力で海の雌牛を倒せないならせめて、『輝きは消えず』号が倒せるよう的確な指示を出さなくては。でも、どうすればいい?
――天命砲で天井を撃って、崩落させ、生き埋めにする?
論外だった。
船体側面に配置された砲だ。天井を撃てるほど急角度にすることはできない。仮にできたところで、海の雌牛を生き埋めにするほどの崩落が起きれば、先にこっちが沈む。
――じゃあ、どうすればいい、どうすれば
ロウワンが迷っていると、
「キキィ、キィ、キィ!」
怒りに満ちた叫びが響いた。
ビーブだった。若き三刀流のサルの剣士が四本の手足ではね飛びながら叫んでいた。甲板の上をゴロゴロ転がされたのがよほど屈辱だったのだろう。顔面を赤ん坊の尻のように真っ赤にし、尻尾に握ったカトラスをいまにもすっぽ抜けそうなほどの勢いでブンブン振りまわしている。
――お前の背負っている大刀をおれに貸せ! やつに飛び乗って叩きつけてやる!
ビーブは跳びはねながら両手でそう語った。
――無理だよ、ビーブ。君の体格じゃこの大刀は扱えない。
――じゃあ、どうすんだよ⁉
内心の苛立ちが目に見えるような荒々しい手の動きだった。
どうすんだよ⁉
その叫びはロウワンこそがあげたいものだった。しかし――。
ビーブがあまりに激しい怒りをぶつけてきたものだから逆に冷静になれたらしい。頭の芯がすうっと冷たく、落ち着いていくのが感じられた。
――そうだ。考えろ、考えるんだ。ハルキス先生が言っていたじゃないか。『いま、為すべきことを考えろ』って。僕がいまするべきことはなんだ? 海の雌牛と戦うことか? 殺すことなのか?
否。
断じて否。
そんなことがいまの自分のやるべきことであるはずがなかった。
――そうだ。僕の目的はあくまでもこの島を出て、人の世に戻ること。海の雌牛と戦うことじゃない。だったら、この島から出ることさえ出来ればいいんだ。海の雌牛を倒す必要なんてない。
――そうだ。このまま水路を伝って海に出ることさえ出来ればいい。追いかけてきたとしても、そのまま振り切ってしまえばいいんだ。
ロウワンはようやくそのことに思い至った。
しかし、海の雌牛を避けて海に出ようにも位置取りが悪かった。『輝きは消えず』号は湖の奥側に追い込まれており、水路に向かう先には海の雌牛が陣取っている。水路に向かうには海の雌牛に向かっていかなければならない。
それは、あまりにも無謀だった。そもそも、執拗に繰り返される海の雌牛のぶちかましを避けて水路に向かうなど不可能だろう。避ける以外のことに気を使っていればまちがいなく木っ端微塵にされる。
――だったら、海の雌牛の気をそらせばいい。その間に、『輝きは消えず』号を海に出してしまえばいいんだ。
「ビーブ!」
ロウワンは叫んだ。兄貴分をもって任じるビーブにして、思わずびっくりするぐらいの大声だった。
「ビーブ、よく見て……」
ロウワンは手を動かし、自分の考えを相棒に伝えた。
「キキィッ⁉」
ビーブは叫んだ。『とんでもない!』とばかりに跳びはねた。
「これしかないんだ! この島を出るためには、ハルキス先生の死を無駄にしないためには。あとは頼むよ、ビーブ」
「キ……」
ハルキスの名を出されてはビーブとしても反対は出来ない。ハルキスに対する思いはビーブも同じなのだ。いや、生まれた頃からずっと一緒にいた分、ロウワンよりも強いかも知れない。
「『輝きは消えず』号!」
ロウワンは船の名を叫んだ。
「一度でいい! やつのすぐそばにうまいことつけてくれ。僕がやつに飛びつけるように!」
――船使いが荒い!
『輝きは消えず』号が言葉を話すことが出来れば、そう返すにちがいない要求だった。しかし、ハルキスによって生み出された天命船は船長の指示にはあくまでも忠実だった。芸術的とも言える泳ぎを見せ、海の雌牛の側面にぴったりと寄り添った。
「よし!」
ロウワンは叫んだ。背中に担いだ〝鬼〟の大刀を抜き放った。
「いやああああっ!」
叫びとともに跳んだ。海の雌牛の背中に飛び乗った。思いきり、両手にもった大刀を突き立てた。
海の雌牛の巨体に比べればあまりにも小さな武器。しかし、〝鬼〟の大刀。その切っ先はたしかに海の雌牛の体表を貫き、痛みを与えた。もしかしたら、人間が腕についた蚊を叩くようなものだったかも知れない。
ブルッ、と、海の雌牛が身を震わせた。
その一震いで――。
ロウワンは湖に放り出されていた。
「船長」の指示に従い、『輝きは消えず』号は船体側面に並ぶ砲門を開いた。そのなかから黒光りする砲身がせり出してくる。
「発射ぁっ!」
ロウワンが叫ぶ。その叫びに応え、天命砲から一斉におびただしい光の奔流が放たれた。
天命砲。
それは、その身に込められた『破壊』という名の天命を撃ち出す兵器。『破壊という天命』を対象に植え付けることで自ら壊れるようにする。
そういう兵器だ。いかに、伝説に謳われる海の怪物であろうとも『ただの生物』である以上、天命砲を食らって生きていられるはずがなかった。『破壊という天命』を植え付けられ、自ら壊れ、死んでいく。そのはずだった。それなのに――。
「効かない⁉」
ロウワンは驚きのあまり、叫んだ。たしかに、当たった。直撃したのだ。天命砲の斉射はまちがいなく海の雌牛を包み込んだのだ。
それなのに、海の雌牛は何事もなかったかのように突き進んできた。あり得ない。絶対にあり得ないことのはずだった。海の雌牛が生物である限りは……。
ぶち当たった。
海の雌牛が。
勢いのままに。
『輝きは消えず』号の船体にその頭を叩きつけた。あまりの衝撃にさすがの天命船がひっくり返りそうになる。
「うわああっ!」
何度目だろう。ロウワンの悲鳴が響いた。その横では体の小さなビーブが激しい衝撃に翻弄され、ゴロゴロ転がっている。
これまで、どうにか海の雌牛のぶちかましを避けてきた『輝きは消えず』号だがさすがに、攻撃を仕掛けた直後の突進まではかわせなかった。それでも、転覆せずにすんだのはさすがに、自ら動く天命船だった。普通の船では人の手によって姿勢を立て直さなくてはならない。それではとうてい間に合わず、いまの一撃でひっくり返っていたにちがいない。
しかし、転覆は避けられたとは言え、あの衝撃だ。無傷であるはずがない。おそらく、衝突された箇所には大きな穴が空いていることだろう。そこからは大量の水が流れ込んでいるにちがいない。
天命船は生物の天命を移植した船。その船体には生物の体と同じ自然治癒能力がある。入り込んだ水を排水する機能もある。しかし、それも程度の問題だ。
人間の体は小さな傷ぐらいならすぐに治せるが、折れた骨までも自然に治せるわけではない。
それと同じ。天命船は小さな傷ならば治せるが、大きな損傷となればさすがに治癒能力が追いつかなくなる。排水も同じで、あまりに勢いよく水が流れ込んでくれば排水が間に合わなくなる。要するに、いまのぶちかましによる破損と浸水とでこのまま沈んでもおかしくないと言うことだ。
これまで、『輝きは消えず』号は自らの判断で動き、海の雌牛のぶちかましを避けつづけてきた。船に任せておけば同じことが出来たはずだった。それなのに、ロウワンの指示によって砲撃を行ったためにぶちかましを食らうことになった。その意味で、船を窮地に追いやった責任は『船長』たるロウワンにある。とは言え――。
ロウワンを責めるのも酷だろう。常識で言えば天命砲で殺せない生物などいないはずなのだ。ロウワンが砲撃を命じたのはごくごく当たり前の判断だった。
――なのに、なんで、あいつには効かないんだ⁉
ロウワンは心のなかで叫んだ。
恐慌寸前だった。
天命砲で殺せない生物はいない。しかし、海の雌牛に効かない。と言うことはつまり、海の雌牛は生物ではない?
――まさか、あいつも天命の理で作られた存在なのか⁉
ロウワンはようやく、そのことに思い当たった。もし、そうならば天命砲に対する耐性をもっていても不思議はない。しかし、だとすると海の雌牛は『人の手で作り出された存在』と言うことになる。
――人間がこんな怪物を生み出したって言うのか⁉ なぜ、なんのために?
ロウワンの恐慌寸前の頭にその疑問が渦巻いた。しかし、そんなことを呑気に考えていられる場合ではなかった。
ぬっ、と、海の雌牛が『輝きは消えず』号にめり込んでいた頭部を引いた。天井を仰いだ。
ウロオォォォォォッ!
咆哮が響いた。海の雌牛の全身にこれまでにない力が溜められていくのがわかった。
渾身のぶちかましがくる!
ロウワンはそう察した。察したくなどないが、察しないわけにはいかない。目の前の事態から目をそらしていれば為す術なくぶちかまされ、海のモクズとされることになる。
「避けろ!」
力の限り、叫んだ。指示と言うより、むしろ悲鳴だった。
『輝きは消えず』号はその声に忠実だった。と言うより、自分自身の防衛本能に従ったのだろう。力を振り絞り、できうる限りの速度で『泳いだ』。前方に向けて突き進んだ。
間一髪だった。海の雌牛は暴走する巨大な塊と化して、『輝きは消えず』号が泳いで去ったあとに渾身のぶちかましを叩き込んだ。
もし、一瞬でも遅れていれば。
『輝きは消えず』号の泳ぐ速度が少しでも遅かったら。
まちがいなくぶちかましを食らい、今度こそ沈められているところだった。
――くそっ!
ロウワンは心に叫んだ。
――船におんぶに抱っこか。僕はなにもできない。また、助けられているだけなのか⁉
自分を助けるために死んでいったハルキス。その姿が頭に浮かぶ。
――僕がもっと強ければ、海の雌牛の子どもを殺せるぐらいに強ければ、ハルキス先生は死なずにすんだ。それなのに……そして、いまも、ハルキス先生の残してくれた天命船によって守られている。助けられている。
「昔話のお姫さまか⁉」
ロウワンはそう言う表現で自分自身のふがいなさを罵った。なんとかしなければ。役に立たなければ。他者の犠牲で生き残るなんてまっぴらだ。自分の力で海の雌牛を倒せないならせめて、『輝きは消えず』号が倒せるよう的確な指示を出さなくては。でも、どうすればいい?
――天命砲で天井を撃って、崩落させ、生き埋めにする?
論外だった。
船体側面に配置された砲だ。天井を撃てるほど急角度にすることはできない。仮にできたところで、海の雌牛を生き埋めにするほどの崩落が起きれば、先にこっちが沈む。
――じゃあ、どうすればいい、どうすれば
ロウワンが迷っていると、
「キキィ、キィ、キィ!」
怒りに満ちた叫びが響いた。
ビーブだった。若き三刀流のサルの剣士が四本の手足ではね飛びながら叫んでいた。甲板の上をゴロゴロ転がされたのがよほど屈辱だったのだろう。顔面を赤ん坊の尻のように真っ赤にし、尻尾に握ったカトラスをいまにもすっぽ抜けそうなほどの勢いでブンブン振りまわしている。
――お前の背負っている大刀をおれに貸せ! やつに飛び乗って叩きつけてやる!
ビーブは跳びはねながら両手でそう語った。
――無理だよ、ビーブ。君の体格じゃこの大刀は扱えない。
――じゃあ、どうすんだよ⁉
内心の苛立ちが目に見えるような荒々しい手の動きだった。
どうすんだよ⁉
その叫びはロウワンこそがあげたいものだった。しかし――。
ビーブがあまりに激しい怒りをぶつけてきたものだから逆に冷静になれたらしい。頭の芯がすうっと冷たく、落ち着いていくのが感じられた。
――そうだ。考えろ、考えるんだ。ハルキス先生が言っていたじゃないか。『いま、為すべきことを考えろ』って。僕がいまするべきことはなんだ? 海の雌牛と戦うことか? 殺すことなのか?
否。
断じて否。
そんなことがいまの自分のやるべきことであるはずがなかった。
――そうだ。僕の目的はあくまでもこの島を出て、人の世に戻ること。海の雌牛と戦うことじゃない。だったら、この島から出ることさえ出来ればいいんだ。海の雌牛を倒す必要なんてない。
――そうだ。このまま水路を伝って海に出ることさえ出来ればいい。追いかけてきたとしても、そのまま振り切ってしまえばいいんだ。
ロウワンはようやくそのことに思い至った。
しかし、海の雌牛を避けて海に出ようにも位置取りが悪かった。『輝きは消えず』号は湖の奥側に追い込まれており、水路に向かう先には海の雌牛が陣取っている。水路に向かうには海の雌牛に向かっていかなければならない。
それは、あまりにも無謀だった。そもそも、執拗に繰り返される海の雌牛のぶちかましを避けて水路に向かうなど不可能だろう。避ける以外のことに気を使っていればまちがいなく木っ端微塵にされる。
――だったら、海の雌牛の気をそらせばいい。その間に、『輝きは消えず』号を海に出してしまえばいいんだ。
「ビーブ!」
ロウワンは叫んだ。兄貴分をもって任じるビーブにして、思わずびっくりするぐらいの大声だった。
「ビーブ、よく見て……」
ロウワンは手を動かし、自分の考えを相棒に伝えた。
「キキィッ⁉」
ビーブは叫んだ。『とんでもない!』とばかりに跳びはねた。
「これしかないんだ! この島を出るためには、ハルキス先生の死を無駄にしないためには。あとは頼むよ、ビーブ」
「キ……」
ハルキスの名を出されてはビーブとしても反対は出来ない。ハルキスに対する思いはビーブも同じなのだ。いや、生まれた頃からずっと一緒にいた分、ロウワンよりも強いかも知れない。
「『輝きは消えず』号!」
ロウワンは船の名を叫んだ。
「一度でいい! やつのすぐそばにうまいことつけてくれ。僕がやつに飛びつけるように!」
――船使いが荒い!
『輝きは消えず』号が言葉を話すことが出来れば、そう返すにちがいない要求だった。しかし、ハルキスによって生み出された天命船は船長の指示にはあくまでも忠実だった。芸術的とも言える泳ぎを見せ、海の雌牛の側面にぴったりと寄り添った。
「よし!」
ロウワンは叫んだ。背中に担いだ〝鬼〟の大刀を抜き放った。
「いやああああっ!」
叫びとともに跳んだ。海の雌牛の背中に飛び乗った。思いきり、両手にもった大刀を突き立てた。
海の雌牛の巨体に比べればあまりにも小さな武器。しかし、〝鬼〟の大刀。その切っ先はたしかに海の雌牛の体表を貫き、痛みを与えた。もしかしたら、人間が腕についた蚊を叩くようなものだったかも知れない。
ブルッ、と、海の雌牛が身を震わせた。
その一震いで――。
ロウワンは湖に放り出されていた。
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