壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話一七章 さよなら、先生

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 ほとばしった大量の血がロウワンの視界を真っ赤に染めた。
 怪物の額から吹き出した血が。
 ロウワンの突き出した大刀たいとうは怪物の額に深々と刺さっていた。カトラスでは傷ひとつつけられなかった絡みあった長い体毛。〝鬼〟の大刀たいとうはその体毛を易々やすやすと貫き、皮膚を裂き、骨までも貫いていた。その切っ先はまちがいなく怪物の脳にまで届いていたはずだった。しかし――。
 怪物はとまらない。
 人の言葉では表現出来ない奇声をあげて、頭を振りまわしながら走りつづける。
 傷の痛みが狂わせたのか、狂乱の雄叫びをあげての奔走ほんそうだった。
 「うわあああっ!」
 ロウワンはメチャクチャに振りまわされていた。
 トンボの足に紐をくくりつけブンブン振りまわすオモチャのように。
 怪物が頭を振りまわすつど、体がちぎれそうな衝撃が走る。いまにも吹き飛ばされてしまいそう。そのなかでもこれだけははなすまいと両手にあらん限りの力を込めて大刀たいとうつかを握っている。しかし――。
 いくら成長したとは言えまだまだ少年に過ぎない身。その握力ではつかを握りつづけていることなど不可能だった。右に、左に、上に、下に、勢いよく振りまわされて、ついにロウワンの握力は限界に達した。一〇本の指が大刀たいとうつかから引きはがされ、その身が宙に舞った。
 「うわあああっ!」
 悲鳴をあげた。
 クルクルと回転しながら飛んでいった。勢いのままに地面に叩きつけられようとした。その寸前、
 「キキキィッ!」
 叫びとともにビーブが駆けつけ、その身をロウワンと地面の間に滑り込ませた。
 「はうわっ!」
 ビーブの体がクッションとなって、地面に直接、叩きつけられることだけは避けることが出来た。
 「ご、ごめん、ビーブ。ありがとう。大丈夫?」
 大丈夫なわけがない。いくらロウワンが人間としてはまだ子どもとは言え、ビーブに比べればずっと大きいし、体重も重い。そのロウワンがあれだけの勢いで飛ばされたのを身をていしてかばったのだ。普通なら押しつぶされ、絶命ぜつめいしていてもおかしくない。
 そんなことはわかっている。
 それでも、そう尋ねるしかないロウワンだった。
 「キ、キキィ……」
 ビーブは小さく、しかし、はっきりと鳴いた。
 ――気にするな。おれはお前の兄貴なんだからな。
 そう言いたげに歯をむいて笑って見せた。
 ロウワンはホッとした。
 ビーブが無事な理由は見当がついた。
 マークスの船長服だ。ビーブが自分と地面の間のクッションとなったように、マークスの船長服が自分とビーブとの間のクッションとなってビーブを守ってくれた。
 騎士マークスはいまもたしかに、この服を通じて自分を守ってくれている。
 見守ってくれている。
 ロウワンは改めてそのことを感じた。
 ロウワンはヨロヨロと立ちあがった。いくら、地面に直接、叩きつけられることは避けられたとは言え、あの勢いで落下したのだ。全身に大きな痛手を負っていた。普通に立ちあがることはできず、両拳を地面についてなんとか起きあがった。
 前を見ればあの怪物。額に大刀たいとうを突きたて、そこから滝のように血を流している。それでも――。
 怒りに満ちた目でこちらを睨みつけ、全身から憎悪の気を吹き出しながら迫りつつある。
 ――くそっ、どうすればいい?
 あの巨体による突撃をまともに食らったら今度こそ終わりだ。いくら、マークスの加護があるとは言え、全身を押しつぶされ、グシャグシャの肉塊にされてしまうことは避けられない。かと言って、並の武器ではとうてい歯が立たない。
 ――あの大刀たいとう
 ロウワンは怪物の額に刺さったままの大刀たいとうに目をやった。
 ――せめて、あの大刀たいとうを取り戻すことが出来れば……。
 しかし――。
 大刀たいとうは怪物の額に深々と刺さっている。あんなにも深く刺さった刃物を抜き取ることなど出来るものだろうか。それも、怒りにかられて襲いかかってくる相手から。
 ――でも、やらなくちゃ。そうでなくちゃあいつを倒すことは出来ない。
 倒すことが出来なければこの島から出ていくことができない。
 と言うことはつまり、人と人の争いを収めることも、亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせることも、天命てんめい巫女みこを人間に戻すことも、なにひとつできなくなると言うことだ。
 ――いやだ、いやだ、いやだ! そんなことになってたまるもんか! 僕は必ず天命てんめい巫女みこさまを人間に戻す。そのためにこの一年、必死に修行してきたんだ。こんなところで足止めなんて食らってたまるもんか。
 ロウワンは怪物を睨みつけた。怪物は怒りにかられてやってくる。ゾウに勝る巨体を一歩いっぽ近づけてくる。そのとき――。
 「キキィッ!」
 けたたましい叫びが響いた。
 それも、何十個も。
 サルたちだった。尻尾にカトラスを握ったサルの剣士たちが一斉に怪物に襲いかかったのだ。
 「みんな!」
 ロウワンは叫んだ。
 「ダメだ! みんな逃げて! そいつにカトラスは通用しない! 逃げるんだ!」
 サルたちはロウワンの言葉を理解しているはずだった。この一年、一緒に暮らしてきたのだから。しかし、だからこそ、誰も逃げない。攻撃をやめない。
 群れの仲間を守る。
 その使命感にかられて攻撃を繰り返す。
 怪物の体毛が巨大な鞭のようにうなり、サルたちを打ちのめす。
 二度、三度、四度……。
 サルたちは何度もなんども吹き飛ばされる。それでも一匹たりとあきらめない、逃げ出さない。体が動くかぎり襲いかかり、攻撃を仕掛ける。その頑健さ、耐久力はさすが、野生の生き物だった。
 しかし、いくら野性の体力と言っても限界はある。このままでは遠からずサルたちは皆殺しにされてしまう。それは確実だった。
 ――くそっ!
 ロウワンは心に叫んだ。
 ――僕に〝鬼〟みたいな力があればあんなやつ、一撃で倒してやれるのに。なんで僕は〝鬼〟みたいな大男じゃないんだ⁉
 ロウワンが自分のふがいなさに自分自身を罵倒ばとうした、そのとき――。
 ロウワンの視界の片隅に奇妙なものが映った。それはのそのそと動く白い枝を組み合わせたようなもの……。
 「ハルキス先生⁉」
 ハルキスだった。
 動けない白骨死体であるはずのハルキスがのそのそと怪物に近づいているのだ。
 なぜ、動くことが出来るのか。その理由はすぐにわかった。
 「天命てんめいことわり!」
 そう。ハルキスは改めて自分自身に天命てんめいことわりをかけたのだ。サルたちの一匹から『自分で動く』という天命てんめいを抜き出し、自分にかけたにちがいない。その証拠にいまのハルキスは地面に両手両足をつき、サルのように四つん這いで歩いている。しかし――。
 「先生! そんなことをしたら先生の命が……」
 もともと、失われるはずだった魂を天命てんめいことわりによって骨に宿し、無理やり生き延びてきた身。しかも、五〇〇年もの時がたち、その効果も失われつつある。そこへ、新しい天命てんめいを加えたりしたら――。
 ――バランスが崩れて生命を維持できなくなる!
 ロウワンもこの一年、ハルキスについて天命てんめいことわりを学んだ身。その程度のことはわかる。
 ハルキスは弟子の思いなど関係なしに怪物に近づいた。立ちあがった。そっと骨だけの手を怪物に当てた。すると――。
 おお。
 どうしたことだろう。怪物が急に苦しみだした。その場で身もだえはじめた。
 その巨大な体が徐々にしぼんでいくように見えた。いや、『見えた』のではない。実際にしぼんでいた。まるで、生きたままミイラになっていくように。
 ――怪物を無理やり成長させているんだ!
 ロウワンはそのことを察した。
 あらゆる生物のもつ『成長する』、『歳をとる』という天命てんめい。その天命てんめい干渉かんしょうし、加速させることで無理やり成長させ、歳をとらせている。しかし、成長するためには栄養が必要だ。その栄養を補給できないならどうなる?
 自分の体を栄養にかえるしかない!
 栄養補給できない状態で無理やり成長させられることで、怪物の体は自分自身を食いはじめた。自らの血を、肉を、骨を、成長のための栄養にかえて食っている。いや、食わされている。
 そのために、成長すればするほど肉体がミイラのようにしぼんでいく。このまま干渉かんしょうをつづければさしもの怪物も死ぬことになる。
 ――すごい。
 ロウワンは思った。
 ――戦闘には向かないって教えられた天命てんめいことわり。でも、こんな使い方もあるんだ。
 師の柔軟な発想に感動さえ覚えていた。しかし――。
 「やめてください、先生! そんなことをつづけていたら先生だって力尽きてしまう!」
 「黙れ、弟子!」
 ハルキスの叱責しっせきが飛んだ。
 そのあまりに激しさにロウワンは『ビクッ!』と身をすくませた。
 「弟子が師の心配をするなど永遠に早いわ。弟子はな。自分の弟子のことだけ心配していればいいのだ」
 「で、でも、先生がいなくなったら誰が都市網国家を実現させるんです⁉」
 「そのためのお前だろう」
 「………!」
 「師が為せなかったことは弟子が受け継ぐものだ。まさか、『自分には出来ません』などと情けないことは言うまいな」
 「先生……」
 そして、ハルキスは言った。ロウワンの心に刻み込まれるその一言を。
 「あとにつづくを信ず」
 「……はい」
 その言葉に――。
 ハルキスはたしかに笑った。
 「ただひとつ。心残りがある」
 「心残り?」
 「この五〇〇年、なによりも気にかかっていたのは仲間のことだ。あのとき、バラバラに逃げた仲間たち、あの仲間たちは無事に逃げ延びることが出来たのか。それがずっと気にかかっていた」
 「……先生」
 「ロウワンよ。これは師としてではなく、ひとりの人間としての頼みだ。どうか、私の仲間たちを探してくれ。あの弾圧を逃げ延び、どこかに居場所を得たならば必ずや研究をつづけていたはずだ。いまもその研究を受け継ぐものがどこかにいるかも知れん。そのものたちを探してくれ。頼む」
 「……はい、先生。必ず」
 「うむ。頼んだぞ、ロウワン」
 そのとき――。
 ハルキスの骨だけの顔はたしかにこの上ない笑顔を浮かべていた。
 ハルキスは最後の力を放った。怪物が叫び声をあげた。それは死に対する恐怖の声か、それとも、死を強制されることへの無念の叫びだったろうか。そのどちらでもあったかも知れない。
 やがて、すべてが終わった。
 ロウワンの目の前にはすっかりしなびたミイラと化した怪物の死体と、もう話すこともなくなった白骨死体だけがあった。
 ロウワンはその骨に誓った。
 「約束します、先生。僕があなたの思いを受け継ぐ。そして、あなたの仲間を見つけ出してみせます」
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