壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話一六章 サルたちの闘い

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 それは、ウシではなかった。
 姿形はたしかにウシに似ている。ガッシリとした体躯。短く太い四本の足。三日月のように曲がった二本の角。そして、『人懐っこい』とさえ言えそうなほど優しげな瞳。
 それらはたしかに『ウシ』という存在のもつ要素……天命てんめいだった。
 しかし、それはウシではない。断じてない。ゾウをも凌ぐほどの巨体。全身を包む、まるでドレッドヘアのように絡まった長い体毛。なによりも水のなかから現れいずる。
 そんなウシがいるはずがなかった。それでもなお――。
 それは、ウシだった。古くから豊穣ほうじょうのシンボルとしてあがめられ、『神』とも呼ばれることのある生き物だった。
 「……うみ雌牛めうし
 ボートの上でかいを握ったままロウワンは呻いた。
 「そ、そんな……僕はたしかに確認したんだ。うみ雌牛めうしはたしかに海に出て行ったじゃないか! いままでは一度、海に出れば三日間、戻ってこなかったのに……今回に限ってすぐに戻ってきたって言うのか⁉」
 ゴウッ!
 水がゆれた。大きな波が襲いかかり、ボートを揺らした。
 ――まずい!
 ロウワンは心に叫んだ。
 伝説に言うではないか。
 ――うみ雌牛めうしは船を食う。
 ――それが本当なら天命てんめいせんを襲われてしまう!
 たしかに、この相手は伝説に唄われるほどの大きさではない。それでも、ゾウに勝る巨体である。本気で暴れればハルキスの船ぐらい沈めることは簡単だろう。そうなれば――。
 ――この島から出ていけなくなる!
 その恐怖がロウワンの背筋を走り抜けた。そんな少年を叱咤したのは師の一声だった。
 「おちつけ、ロウワン! どんなことにも不測の事態は付きものだ。事前の予測通りに行くことなどなにもない。こんなことでうろたえていてはこれから先、なにひとつ為すことなど出来んぞ」
 「は、はい……!」
 「落ち着いて、いま為すべきことを考えろ。いま、一番に気に懸けなくてはならないことはなんだ?」
 「……船の安全を確保すること」
 「ならば、そのためにどうすればいい? そのことを考え、行動しろ。うろたえている場合ではないぞ」
 「はい!」
 ロウワンは叫んだ。
 その間にも例の怪物は湖を泳いで近づいてくる。それによって生まれる波が小さなボートを木の葉のようにグラグラ揺らす。
 ――どうしよう、どうすればいい? まずはあいつを船から引き離さないと。でも、どうやって……。
 「キキキィッ!」
 甲高い叫びがあがった。
 うろたえながらも必死に頭を働かせようとするロウワンとは対照的に、怒りにかられて行動を開始したものたちがいた。一緒にボートに乗り込んでいたサルたちだ。
 迫り来る怪物の姿に守るべき相手の危険を感じとったのだろう。尻尾にカトラスを握る勇敢なサルの群れは次々とボートから飛び出し、怪物に向かって行った。
 「危ない!」
 ロウワンは叫んだ。しかし、そのときにはサルたちはすでに怪物に飛びつき、尻尾に握ったカトラスを突き立てていた。しかし――。
 歯が立たない。
 文字通り、刃が通じない。
 ドレッドヘアのように絡まりあった長い体毛がサルたちの攻撃をことごとく跳ね返す。
 ブルッ。
 怪物が身を震わせた。
 その一震いでその身にしがみついたサルたちが吹き飛ばされた。次々と大きな音を立てて湖に叩き込まれた。もとより、サルたちの強さは両足と尻尾に三本の剣を握り、森のなかで枝から枝へと飛び移りつつ、変幻自在の剣技を駆使することにあった。
 それがいまは尻尾にしか剣を握っていない。つかまって移動出来る木の枝もなく、そもそも水の上。水に落ちてしまえばせっかくの剣も自分の身を水中に引きずり込む重しにしかならない。それでも――。
 それでも、サルたちは四本の手足で必死に水をかいて進み、怪物への攻撃を重ねた。群れのために。群れの仲間を守るために。その思い、その闘志はまさに『見上げたもの』と言うほかなかった。
 ヒュンッ!
 空気を切る音がした。
 怪物の絡まりあった体毛が跳ねあがり、サルたちを打ち払った。鮮血がしぶき、サルたちが吹き飛ばされ、大きな音を立てて湖に叩き込まれた。
 ――あの体毛は武器としても使えるのか
 ロウワンは心に叫んだ。
 まずい。このままではサルたちは皆殺しにされてしまう。
 その隙に天命てんめいせんへ……などという発想はロウワンにはない。
 『たかがサル』などとサルたちを見下す意識はロウワンにはなかった。ロウワンにとって、このサルたちはただのサルなどではない。この一年、ともに過ごした仲間であり、剣の師匠でもあるのだ。その仲間たちを見殺しにすることなどできるはずもなかった。
 「お前たち!」
 ハルキスが叫んだ。
 自意識過剰な俗物である、かのらしくもない切羽詰まった必死な声。ハルキスにとってサルたちは五〇〇年にわたって自分の側にいてくれた大切な家族。その家族が自分を守るために傷ついていく。死んでいこうとしている。だと言うのに、すでに白骨死体に過ぎない自分にはなにもできない……。
 平気でいられるはずがなかった。
 ――このままじゃダメだ。とにかく、あいつを陸の上に引っ張り出さないと。
 ロウワンは心に叫んだ。
 かつて、ハルキスは洞窟内を歩いているところをうみ雌牛めうしに襲われた。水のなかに入ったところを襲われたわけではない。と言うことは、うみ雌牛めうしは縄張りを守るために陸にも上がるし、陸にいる相手を襲いもする。ならば、陸の上に引っ張り出すことも可能なはずだった。でも、どうやって?
 ロウワンは必死に頭を巡らせた。それでも、良い案は浮かんでこない。ハルキスも黙り込んだままだ。大切な家族たちの危機になにかを考えるどころではないのかも知れない。
 「キキキィッ!」
 突然、怒りに満ちた声が響いた。ビーブだった。ビーブがロウワンの隣で怒りにかられて跳びはね、尻尾に握ったカトラスを振りまわしている。
 ――お前はここにいろ。
 『まだ子どもだから』という理由でおとなたちから置いてきぼりにされたが、もう黙っていられない。あんな奴、おれがぶっ倒してやる!
 小さな体全体でそう叫んでいる。その怒りのまま、湖に飛び込もうとした。ロウワンがその体を両手で抱きとめた。
 「ダメだ、ビーブ! お前までやられちゃうぞ」
 ロウワンは必死に叫んだ。しかし――。
 そのとき、ロウワンの頭に天啓てんけいが閃いた。
 「そうだ、ビーブ! ちょっとまってて」
 ロウワンはビーブをはなすと背中の大刀たいとうをとめているロープをほどいた。そのロープを今度はビーブの体に巻きつけた。
 ――いいか、ビーブ。よく見て。あいつと水の上でやりあったって勝ち目はない。陸の上に引っ張り出さないとダメだ。だから、ビーブ。君はあいつに近づいて攻撃を仕掛けて。やつの注意を引くんだ。危なくなったら僕がロープを引っ張ってこっちに戻す。そうしたら、また近づいて攻撃。それを繰り返して奴を陸地まで連れて行くんだ。
 ロウワンは急いで手を動かして手話でそれだけのことを伝えた。
 ビーブも手話で答えた。
 ――わかった、任せとけ!
 ――頼む!
 「キキィッ!」
 ビーブは叫びとともに湖に飛び込んだ。野性の体力にものを言わせて、尻尾にカトラスを握ったまま泳いで怪物に突撃する。ロウワンはビーブの命綱であるロープを握りしめ、ハラハラと見守っていた。
 「キキキィッ!」
 ビーブが怒りの声をあげて怪物の体に飛びついた。尻尾に握ったカトラスを思いきり突き立てた。結果は同じ。さしもの鋭い一撃も絡みあった体毛に阻まれて傷ひとつつけられはしない。それでも――。
 怪物の注意を引くことはたしかにできた。
 ジロリ、と、怪物がこちらを見た。人懐っこい。そうとさえ言えるほど優しげに見えた瞳に、はっきりとした敵意と殺意が浮かんだ。
 ゴウッ!
 怪物が音を立てて泳ぎだした。ロウワンの乗るボートめがけて。ロウワンは必死にかいをこいで陸地を目指した。ビーブはその間にも攻撃を仕掛けつづけている。
 怪物の立てる波に揺られながらもロウワンはなんとかボートを岸辺につけた。
 「先生、ここでまってて!」
 ロウワンはそう叫ぶとボートを飛び降りた。その両手にはしっかりと〝鬼〟の大刀たいとうを握りしめている。そのままボートをあとに走った。巨大な重量をもつものが地上を歩く、大きくて重々しい音がした。
 ――よし、追ってきている。いいぞ、もっと来い。
 充分に湖から引き離したところで立ちどまった。振り返った。怪物は重々しく、しかし、はっきりと自分を追ってきている。
 それを確認し、ロウワンは〝鬼〟の大刀たいとうを構えた。
 カトラスでは、いや、人間の剣ではこの怪物相手にかすり傷ひとつつけることは出来ない。だけど、この大刀たいとうなら、〝鬼〟の獲物であるこの大刀たいとうならいかな怪物と言えど斬り裂けるはずだった。
 ――でも、それは僕にこの剣を扱えてこそ。いまの僕ではまだまだこの大刀たいとうを振りまわすことは出来ない。どうすれば……。
 そう思ったところでふと、気付いた。
 ――振りまわす? なんで、振りまわさなきゃいけない? あいつは僕を目指してまっすぐ走ってくるんだ。だったら……。
 ロウワンはその場にひざをついた。両手で握った大刀たいとうつかを地面に立てた。そのままの姿勢で怪物がやってくるのをまった。
 ――さあ、来い。うみ雌牛めうし。〝鬼〟とお前とどっちが強いか試してやる。
 怪物は突撃してくる。頭を低く下げて、二本の角を向けてまっすぐに。その姿勢、その動きはまさに闘牛だった。
 二本の角がロウワンに迫る。
 ロウワンはスッと大刀たいとうを前に出した。
 血飛沫が舞った。
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