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第二部 絆ぐ伝説
第一話一五章 怪物
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「なるほど。海の雌牛はいまも健在。しかし、一度、出かければ三日間、帰ってこない、か」
「はい。三日あれば船出には充分。海の雌牛がいない間に島を出ようと思います」
ロウワンはハルキスに観察結果を報告し、その旨を告げた。
ハルキスはうなずいた――ように思えた。いまでは身動きひとつできない白骨だが、感情の動きは一種の波動めいたものとして感じとることができる。それに慣れると決して表情の動くことのないしゃれこうべさえ、なにやら表情豊かに見えてくるから不思議である。
「たしかにな。三日間の留守があると言うならわざわざいるときに向かって争う必要はない。平穏に旅立つことが出来るならそれに越したことはない。しかし……」
ハルキスの声に疑問の響きが加わった。普通の肉体をもつ人間なら小首をかしげ、顎に指を当てて考え込むポーズをしているところだ。
「なぜ、三日間と決まって留守にする? 海に出て食糧を探し、戻ってくるのか? しかし、それならわざわざ三日間と決める必要もないはずだ。いや、そもそも、島のなかの水路に潜んでいる必要自体があるまい。あの巨体、あの力であれば、怖れるものなどないはずだ。それなのに、わざわざ島のなかの水路に隠れ住む。そんな必要があることと言えば……」
「あ、あの、先生……?」
突然、学者モードに入りこんで考察をはじめた師匠に向かい、ロウワンは戸惑った声をあげた。
ハルキスは弟子の声にようやく、我に返ったらしい。気がついたような声をあげた。目の前の弟子の存在を思い出し、顔をあげる仕種が目に浮かぶ声だった。
「ん? おお、すまんすまん。つい夢中になってしまって忘れていた」
「いえ、先生らしいです」
この一年ですぐに学者モードに入ってしまうハルキスの性格はよくわかっている。ロウワンは歳に似合わないおとなびた苦笑を浮かべた。
――もう五〇〇歳以上だって言うのに、いまだに好奇心旺盛ですぐに考え込んでしまう。やっぱり、先生はすごい。
素直にそう思うし、弟子として誇らしくもある。尊敬もしている。だけどやっぱり――。
苦笑してしまう態度なのだった。
「こほん」
と、ハルキスは咳払いした。骨だけしかない身で器用なことをする師匠であった。
「前にも言ったが、この家にあるものはなんでももっていって構わん。まあ、『なんでも』と言ったところで価値のあるものと言えば、弾圧から逃れるときにかろうじて持ち出した書物ぐらいのものだが……」
「『ぐらい』なんてとんでもない。先生の本はどれも大変な価値がありますよ」
ロウワンは熱心に言った。お世辞ではない。おべっかでもない。本心である。ハルキスの書物はどれも貴重な資料であり、ロウワンにとって大きな学びだった。とくに、歴史関係の本は貴重だった。この五〇〇年における戦乱で失われた、多くの記録にふれることか出来たのだから。
「うむうむ。私の大切な書物だからな。価値があるのは当然だな」
と、弟子に言われてあっさり上機嫌になる、なかなかお調子者の師匠であった。
「あとは海賊たちの残していった武器や衣服だな。もっていけば当面の役には立とう。あんなものでも売ればいくらかにはなるはずだしな。あとは……」
ハルキスは家に合図した。しばらくして枕ほどの大きさの箱が運ばれてきた。
「これは?」
「開けてみよ」
ロウワンはハルキスに言われて箱を開けた。『あっ』と、声をあげて目を見開いた。そこにあったものは箱いっぱいにぎっしり詰まった硬貨だった。
「私からの餞別だ。もっていけ」
ハルキスは驚く弟子にそう告げた。
「博士であろうと、天命の使い手であろうと、金がなければなにもできん。それが、人の世の真実だからな。弾圧から逃れる際、書物と同等以上に必死になって持ち出した。財産自体はもっとあったのだが……」
なにぶん、激しい弾圧だったのでそれだけしか持ち出せなかった。
聞いてもいないのにわざわざ悔しそうにそう付け加えたのは、『おれは金持ちだったんだぞ!』と弟子を相手に見栄を張りたかったからにちがいない。現世を超越した賢者を気取っていても、骨だけの姿になっていても、俗っぽさは抜けないハルキスなのであった。
「まあ、五〇〇年前の硬貨だ。いまの時代に使えるかどうかはわからんがな。それでも、古銭としての価値はあるはずだ。いつの時代にも古銭の収集家というものはいて、古い金に大金を払うからな。ずっとしまいっぱなしだったから状態も良いし、うまく行けば額面以上の値になるだろう」
「あ、ありがとうございます。でも、本当にいいんですか? こんな大金……」
「かまわん。こんな離れ小島では使い道もないからな。使える場所に出してやらねば恨まれる。実は最近、金の精が夜なよな化けて出るようになっていてな」
そう言ってカラカラと笑うハルキスだった。
そんなハルキスが急に深刻めいた雰囲気になった。口ごもった。
「ただ……」
「ただ……なんです?」
「いや、これは言っても詮なきことか。忘れてくれ」
「はあ……」
ロウワンは曖昧にうなずいた。もちろん、なにを言おうとしたのか気にはなる。気にはなるがしかし、いくら、師と弟子の間柄と言えど、相手が言いたがらないことを無理に聞き出そうとするなど失礼というもの。まだまだ子どものロウワンもその程度のことはわきまえていた。
「あ、そう言えば……」
ロウワンは半ば意識して話題をかえた。
「ビーブが一緒に島を出ると言っているんですけど……」
「ああ。そのことは聞いている。かまわんから連れて行け」
「いいんですか?」
「もちろんだ。あのサルたちは家族であってペットでもなければ、下僕でもない。子どもが広い世界を見たいというなら快く送り出してやるのがおとなの務め。一緒に広い世界を渡ってくるがいい」
「はい!」
それから数日かけて出発の準備をした。水路に向かい、クジラよりも大きな影が海に向かって出て行くのを確認した。
「よし、いよいよ出発だ!」
ロウワンは胸の高鳴りを感じながらそう叫んだ。一年ぶりに人の世に戻るのだ。そのことに対する不安や緊張がないと言えば嘘になる。それでもやはり、世界に飛びだして自分が身につけた技と知識を試すことへの興奮の方がはるかに勝る。
――そうとも。僕は絶対にやってみせる。なんとしても人と人の争いを収め、亡道の世界との戦いを終わらせ、天命の巫女さまを人間に戻すんだ!
まとめておいた荷を背負い、この日のために用意しておいた車椅子にハルキスを乗せて洞窟に向かう。ハルキスの乗ってきた天命船を隠してある洞窟のなかの湖。そこは、ハルキス自身の手によって天命の理をかけた岩によって全体をふさがれている。紛れ込んだ海賊たちに発見されないように。その岩はハルキスでなければ退けられないし、どかすためには近くにまで行かなければいけない。ハルキス自身を連れて行く必要があるのだった。
ハルキスが洞窟まで出向くというので忠実な護衛であるサルたちも同行している。洞窟のなかを歩くとあって足にはなにももっていないが、尻尾にはしっかりとカトラスを握り、クルクルと振りまわしている。群れの先頭を歩くのは、ひときわ高く尻尾をあげた堂々たる姿勢のビーブである。
「群れがこぞってついてくるなんて……さすが、先生。慕われていますね」
「うむ。これが人徳というものだ。よく覚えておくがいい」
「はい。でも、いっそのこと、先生も一緒に島を出ませんか? 先生と、群れのみんながいてくれれば僕も心強いですし」
「なにを言っている。いまさら、五〇〇年も前の人間が出向いてどうする。いまの世界はいまの人間が守るべきものだ。過去の亡霊に助けてもらわなければならないようでは守る価値もないぞ」
「……はい」
「それにだ」
「それに?」
「私のような優秀すぎる存在が出向いてはお前のやることがなくなるからな。弟子に活躍の場を作ってやるのが師の務めというものだ」
そう言って、カラカラと愉快そうに笑うハルキスだった。
――やれやれ。相変わらずだな、先生は。
ロウワンはそう思い、苦笑した。ハルキスと出会うことで『苦笑』というおとなっぽい感情を覚えたロウワンだった。とは言え、師の心がわからないロウワンではない。
――先生は僕のことを信用して任せようとしてくれているんだ。期待に応えないとな。
そう思い、心に誓った。
「だが、まあ、なんだ。お前では手に余ることがあったらいつでも訪ねてくるがいい。表だって活動するわけにもいかないが、黒幕としてなら助けてやろう。『陰の実力者』というやつも一興だからな」
「……はい。先生。頼りにしています」
「うむうむ。大いに尊敬し、頼るが良いぞ」
そう言って――。
なんとも愉快そうに笑うハルキスだった。
そして、人間と白骨死体とサルの群れ、と言うなんとも珍妙な一行は洞窟のなかに入っていった。ヒカリゴケのぼんやりとした明りに照らされたなかを湖目指して歩いて行く。
洞窟のなかは静かなものだった。肝心の海の雌牛が海に出ているとあって安全そのもの。なんの問題もなく進んで行けた。それでも、護衛としての誇りをもつサルたちは尻尾に握ったカトラスを振りまわしつつ、油断なくあたりの気配を探っている。
やがて、巨大な岩によって遮られた場所に着いた。
「ここだ。少しまて」
ハルキスがなにやら言葉を唱えると、岩はまるで生あるもののように左右に動いた。洞窟のなかの湖が姿を現わした。
「わあっ」
ロウワンは思わず感嘆の声をあげた。知識として頭のなかにはあってもやはり、実際に見ると驚きがちがう。
サルたちと一緒に、岸辺にとめてあったボートに乗り込み、湖を渡っていく。さほど広い湖ではなく、すぐに天命船のもとについた。その船は五〇〇年もの間、放置されていたとは思えないほど真新しい輝きに包まれていた。
「……すごい。これが先生の船」
「そうだ。私の船だ。私自ら天命の理を施した、な」
ハルキスは限りない誇りを込めてそう語った。
大型船、と言うわけではない。例えば、〝鬼〟が乗っていた船に比べればずっと小さい。それでも、ロウワンの想像よりも立派なものだった。
三〇人ばかりが乗れる中型の快速艇。
そんな印象。
もちろん、天命船であるからには手漕ぎの船や帆船など比較にもならない速度で『泳げる』ことはまちがいない。
「さて、すぐに乗り込んでもいいわけだが……」
ハルキスが言った。
「その前に水路につづく壁を開けてしまおうか。ロウワン。船を壁によせろ」
「はい」
ロウワンは師の言葉に従った。船を岩壁によせる。ハルキスが再び言葉を唱える。岩が左右に開き、水路への道は開かれた。しかし――。
それは、致命的な失策だった。
開かれた水路の向こう。そこから、ソレがやってきたからだ。
水中を動く黒い影。影は水面に浮かびあがり、水を割って姿を現わした。それは――。
巨大なゾウほどもある、長く分厚い毛を伸ばしたウシだった。
「はい。三日あれば船出には充分。海の雌牛がいない間に島を出ようと思います」
ロウワンはハルキスに観察結果を報告し、その旨を告げた。
ハルキスはうなずいた――ように思えた。いまでは身動きひとつできない白骨だが、感情の動きは一種の波動めいたものとして感じとることができる。それに慣れると決して表情の動くことのないしゃれこうべさえ、なにやら表情豊かに見えてくるから不思議である。
「たしかにな。三日間の留守があると言うならわざわざいるときに向かって争う必要はない。平穏に旅立つことが出来るならそれに越したことはない。しかし……」
ハルキスの声に疑問の響きが加わった。普通の肉体をもつ人間なら小首をかしげ、顎に指を当てて考え込むポーズをしているところだ。
「なぜ、三日間と決まって留守にする? 海に出て食糧を探し、戻ってくるのか? しかし、それならわざわざ三日間と決める必要もないはずだ。いや、そもそも、島のなかの水路に潜んでいる必要自体があるまい。あの巨体、あの力であれば、怖れるものなどないはずだ。それなのに、わざわざ島のなかの水路に隠れ住む。そんな必要があることと言えば……」
「あ、あの、先生……?」
突然、学者モードに入りこんで考察をはじめた師匠に向かい、ロウワンは戸惑った声をあげた。
ハルキスは弟子の声にようやく、我に返ったらしい。気がついたような声をあげた。目の前の弟子の存在を思い出し、顔をあげる仕種が目に浮かぶ声だった。
「ん? おお、すまんすまん。つい夢中になってしまって忘れていた」
「いえ、先生らしいです」
この一年ですぐに学者モードに入ってしまうハルキスの性格はよくわかっている。ロウワンは歳に似合わないおとなびた苦笑を浮かべた。
――もう五〇〇歳以上だって言うのに、いまだに好奇心旺盛ですぐに考え込んでしまう。やっぱり、先生はすごい。
素直にそう思うし、弟子として誇らしくもある。尊敬もしている。だけどやっぱり――。
苦笑してしまう態度なのだった。
「こほん」
と、ハルキスは咳払いした。骨だけしかない身で器用なことをする師匠であった。
「前にも言ったが、この家にあるものはなんでももっていって構わん。まあ、『なんでも』と言ったところで価値のあるものと言えば、弾圧から逃れるときにかろうじて持ち出した書物ぐらいのものだが……」
「『ぐらい』なんてとんでもない。先生の本はどれも大変な価値がありますよ」
ロウワンは熱心に言った。お世辞ではない。おべっかでもない。本心である。ハルキスの書物はどれも貴重な資料であり、ロウワンにとって大きな学びだった。とくに、歴史関係の本は貴重だった。この五〇〇年における戦乱で失われた、多くの記録にふれることか出来たのだから。
「うむうむ。私の大切な書物だからな。価値があるのは当然だな」
と、弟子に言われてあっさり上機嫌になる、なかなかお調子者の師匠であった。
「あとは海賊たちの残していった武器や衣服だな。もっていけば当面の役には立とう。あんなものでも売ればいくらかにはなるはずだしな。あとは……」
ハルキスは家に合図した。しばらくして枕ほどの大きさの箱が運ばれてきた。
「これは?」
「開けてみよ」
ロウワンはハルキスに言われて箱を開けた。『あっ』と、声をあげて目を見開いた。そこにあったものは箱いっぱいにぎっしり詰まった硬貨だった。
「私からの餞別だ。もっていけ」
ハルキスは驚く弟子にそう告げた。
「博士であろうと、天命の使い手であろうと、金がなければなにもできん。それが、人の世の真実だからな。弾圧から逃れる際、書物と同等以上に必死になって持ち出した。財産自体はもっとあったのだが……」
なにぶん、激しい弾圧だったのでそれだけしか持ち出せなかった。
聞いてもいないのにわざわざ悔しそうにそう付け加えたのは、『おれは金持ちだったんだぞ!』と弟子を相手に見栄を張りたかったからにちがいない。現世を超越した賢者を気取っていても、骨だけの姿になっていても、俗っぽさは抜けないハルキスなのであった。
「まあ、五〇〇年前の硬貨だ。いまの時代に使えるかどうかはわからんがな。それでも、古銭としての価値はあるはずだ。いつの時代にも古銭の収集家というものはいて、古い金に大金を払うからな。ずっとしまいっぱなしだったから状態も良いし、うまく行けば額面以上の値になるだろう」
「あ、ありがとうございます。でも、本当にいいんですか? こんな大金……」
「かまわん。こんな離れ小島では使い道もないからな。使える場所に出してやらねば恨まれる。実は最近、金の精が夜なよな化けて出るようになっていてな」
そう言ってカラカラと笑うハルキスだった。
そんなハルキスが急に深刻めいた雰囲気になった。口ごもった。
「ただ……」
「ただ……なんです?」
「いや、これは言っても詮なきことか。忘れてくれ」
「はあ……」
ロウワンは曖昧にうなずいた。もちろん、なにを言おうとしたのか気にはなる。気にはなるがしかし、いくら、師と弟子の間柄と言えど、相手が言いたがらないことを無理に聞き出そうとするなど失礼というもの。まだまだ子どものロウワンもその程度のことはわきまえていた。
「あ、そう言えば……」
ロウワンは半ば意識して話題をかえた。
「ビーブが一緒に島を出ると言っているんですけど……」
「ああ。そのことは聞いている。かまわんから連れて行け」
「いいんですか?」
「もちろんだ。あのサルたちは家族であってペットでもなければ、下僕でもない。子どもが広い世界を見たいというなら快く送り出してやるのがおとなの務め。一緒に広い世界を渡ってくるがいい」
「はい!」
それから数日かけて出発の準備をした。水路に向かい、クジラよりも大きな影が海に向かって出て行くのを確認した。
「よし、いよいよ出発だ!」
ロウワンは胸の高鳴りを感じながらそう叫んだ。一年ぶりに人の世に戻るのだ。そのことに対する不安や緊張がないと言えば嘘になる。それでもやはり、世界に飛びだして自分が身につけた技と知識を試すことへの興奮の方がはるかに勝る。
――そうとも。僕は絶対にやってみせる。なんとしても人と人の争いを収め、亡道の世界との戦いを終わらせ、天命の巫女さまを人間に戻すんだ!
まとめておいた荷を背負い、この日のために用意しておいた車椅子にハルキスを乗せて洞窟に向かう。ハルキスの乗ってきた天命船を隠してある洞窟のなかの湖。そこは、ハルキス自身の手によって天命の理をかけた岩によって全体をふさがれている。紛れ込んだ海賊たちに発見されないように。その岩はハルキスでなければ退けられないし、どかすためには近くにまで行かなければいけない。ハルキス自身を連れて行く必要があるのだった。
ハルキスが洞窟まで出向くというので忠実な護衛であるサルたちも同行している。洞窟のなかを歩くとあって足にはなにももっていないが、尻尾にはしっかりとカトラスを握り、クルクルと振りまわしている。群れの先頭を歩くのは、ひときわ高く尻尾をあげた堂々たる姿勢のビーブである。
「群れがこぞってついてくるなんて……さすが、先生。慕われていますね」
「うむ。これが人徳というものだ。よく覚えておくがいい」
「はい。でも、いっそのこと、先生も一緒に島を出ませんか? 先生と、群れのみんながいてくれれば僕も心強いですし」
「なにを言っている。いまさら、五〇〇年も前の人間が出向いてどうする。いまの世界はいまの人間が守るべきものだ。過去の亡霊に助けてもらわなければならないようでは守る価値もないぞ」
「……はい」
「それにだ」
「それに?」
「私のような優秀すぎる存在が出向いてはお前のやることがなくなるからな。弟子に活躍の場を作ってやるのが師の務めというものだ」
そう言って、カラカラと愉快そうに笑うハルキスだった。
――やれやれ。相変わらずだな、先生は。
ロウワンはそう思い、苦笑した。ハルキスと出会うことで『苦笑』というおとなっぽい感情を覚えたロウワンだった。とは言え、師の心がわからないロウワンではない。
――先生は僕のことを信用して任せようとしてくれているんだ。期待に応えないとな。
そう思い、心に誓った。
「だが、まあ、なんだ。お前では手に余ることがあったらいつでも訪ねてくるがいい。表だって活動するわけにもいかないが、黒幕としてなら助けてやろう。『陰の実力者』というやつも一興だからな」
「……はい。先生。頼りにしています」
「うむうむ。大いに尊敬し、頼るが良いぞ」
そう言って――。
なんとも愉快そうに笑うハルキスだった。
そして、人間と白骨死体とサルの群れ、と言うなんとも珍妙な一行は洞窟のなかに入っていった。ヒカリゴケのぼんやりとした明りに照らされたなかを湖目指して歩いて行く。
洞窟のなかは静かなものだった。肝心の海の雌牛が海に出ているとあって安全そのもの。なんの問題もなく進んで行けた。それでも、護衛としての誇りをもつサルたちは尻尾に握ったカトラスを振りまわしつつ、油断なくあたりの気配を探っている。
やがて、巨大な岩によって遮られた場所に着いた。
「ここだ。少しまて」
ハルキスがなにやら言葉を唱えると、岩はまるで生あるもののように左右に動いた。洞窟のなかの湖が姿を現わした。
「わあっ」
ロウワンは思わず感嘆の声をあげた。知識として頭のなかにはあってもやはり、実際に見ると驚きがちがう。
サルたちと一緒に、岸辺にとめてあったボートに乗り込み、湖を渡っていく。さほど広い湖ではなく、すぐに天命船のもとについた。その船は五〇〇年もの間、放置されていたとは思えないほど真新しい輝きに包まれていた。
「……すごい。これが先生の船」
「そうだ。私の船だ。私自ら天命の理を施した、な」
ハルキスは限りない誇りを込めてそう語った。
大型船、と言うわけではない。例えば、〝鬼〟が乗っていた船に比べればずっと小さい。それでも、ロウワンの想像よりも立派なものだった。
三〇人ばかりが乗れる中型の快速艇。
そんな印象。
もちろん、天命船であるからには手漕ぎの船や帆船など比較にもならない速度で『泳げる』ことはまちがいない。
「さて、すぐに乗り込んでもいいわけだが……」
ハルキスが言った。
「その前に水路につづく壁を開けてしまおうか。ロウワン。船を壁によせろ」
「はい」
ロウワンは師の言葉に従った。船を岩壁によせる。ハルキスが再び言葉を唱える。岩が左右に開き、水路への道は開かれた。しかし――。
それは、致命的な失策だった。
開かれた水路の向こう。そこから、ソレがやってきたからだ。
水中を動く黒い影。影は水面に浮かびあがり、水を割って姿を現わした。それは――。
巨大なゾウほどもある、長く分厚い毛を伸ばしたウシだった。
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