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第二部 絆ぐ伝説
第一話一一章 修行・鍛錬・学習
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こうして、ロウワンの修行の日々ははじまった。
午前中は剣の稽古。
昼からはハルキスについて歴史や文化、政治・経済などを学び、さらに、ハルキスたちが考案した『都市網国家』についての講義も受ける。
夜は夜で天命の理の修行。
まさに、朝、目を覚ましたときから夜、寝るまで一時も休む間のない修行しゅぎょうの日々。
まさに『過酷』。
そう言っていい毎日だった。
だが、なにしろ、ロウワンには大きな目的がある。
――亡道の世界との戦いを終わらせ、天命の巫女さまを人間に戻す。
と言う目的が。
その目的を叶えるために必要なことなのだ。弱音ひとつ吐かずにこなしつづけた。
幸い、ハルキスの家は天命の家であり、炊事・洗濯・掃除といった家事の類はすべて、自動的に行ってくれた。おかげで、ロウワンは物語のなかによく出てくる弟子のように、師匠の身のまわりの世話や家事に時間をとられることなく修行に専念できた。そうでなければとうてい、これだけ修行しゅぎょうの日々を送ることは出来なかった。
サルたちの使うカトラスはときおり、この島に迷い込んできた海賊たちの残していったものだった。ハルキスの家には剣以外にも海賊の残していった服や物資などが置かれていた。ロウワンはそのなかからいくつか引っ張り出して自分用の服にした。おとなたちの着ていた服なのでまだまだ少年であるロウワンの身には大きすぎる。それでも、裾や袖をめくればとくに不便でもなく着こなすことは出来た。
朝、目を覚まし、朝食を終えるとさっそく剣の稽古。相手を務めるのは三刀流のサルたち。と言っても、いきなり剣で打ちあうのではない。
『あなたには剣の素振りはまだ早い。まずは足捌きを徹底的に鍛えなさい』
〝詩姫〟からそう言われたし、足捌きの重要性、有効性は最初にサルたちに襲われたときに思い知った。
そこでまずは〝詩姫〟に教えられたとおり、足捌きを徹底的に鍛えた。
前に進み、後ろに引き、右に移り、左に移り、弧を描いて移動する。
まるで、舞でも舞っているかのような軽妙な動き。それだけを見れば剣の稽古をしていると思うものはいないだろう。
踊り子見習い。
そう思うにちがいない。
その稽古を三刀流のサルたちに相手に嫌と言うほどつづけた。その変幻自在の動きにあわせ、すべての剣をかわせるようになるまで。
稽古の間、服は着ていない。ハルキスの家にある服はどれもおとな用でロウワンには大きすぎる。日常生活では裾や袖をめくっていれば問題ないとして、剣の稽古となればさすがにそうはいかない。そこで、裸で稽古することにした。どうせ、人目があるわけではいないのだ。それで、かまいはしないのだ。
最初のうちこそ裸で稽古するのは心細かったし、頼りなかった。それも、すぐに慣れてしまった。ただし、〝鬼〟の大刀だけはいつも背中にかけていた。
子どもひとり分ほどもある重さの大刀だ。そんなものを背中にかけていれば重いし、動きづらい。すぐに疲れる。それでも、ロウワンはこの大刀を背負っての稽古をつづけた。
――僕はいつかこの大刀をもって〝鬼〟の前に立つ。この大刀を自在に扱えるだけの体力を身につけないと意味がないんだ。
その一心で。
足捌きに自信がもてるようになったところでようやく、剣をもった。
もちろん、〝鬼〟の大刀をもつのはまだ早い。こんな重い武器をもつだけの体力も筋力も、いまのロウワンにはまだまだ不足している。だから、サルたちと同じ、海賊たちの残していったカトラスを選んだ。
そのカトラスを手にサルたちと打ちあった。ここでも、最初からまともに打ちあったわけではない。まずは守りを身につけることに徹した。足捌きとあわせてカトラスを盾のように扱い、サルたちの変幻自在の攻撃を受けとめる。
その修行に徹した。
サルたちの攻撃を手にしたカトラスで受けとめ、その動きをジッと観察することでロウワンはあることに気がついた。
――両足にもった剣よりも、尻尾で振りまわす剣の方が速いし、威力もある。
尻尾に握った剣による攻撃は必然的に振り子のようなカーブを描く。一見すると大振りで力感にも欠ける。それなのに、ずっと速く感じられるし、受けとめたときの衝撃も大きい。
――そうか。力で剣を振ろうとすると剣の重さを力で支えなくちゃならない。その分、振りが遅くなる。そうじゃなく、力を抜いて、剣の重さを生かして振り抜く。その方が速く、鋭く、威力ある攻撃になる。
ロウワンはその事実を自分の剣技に取り入れた。全身をサルの尻尾のように意識し、力を抜き、剣の重さを生かして大きく振り抜く。
――力を抜いて。剣の重さで自然に振り抜くんだ。
常にそのことを意識して剣を振るった。
ただ、問題がひとつ。剣をもった右手を大きく振るとその勢いで体がもっていかれてしまう。振った方向に体勢が傾いてしまう。その分、隙が生まれ、次の動作に移るまでの時間が長くなる。
――だったら、左手にももてばいい。左手にも剣をもって、右手を振るのと逆方向に左手を振れば、お互いの力を打ち消しあって体をもっていかれなくてすむ。体が傾かなければ隙も出来ないし、次の動作に移るまでの時間も短くてすむ。
ロウワンは何度もなんども工夫を重ね、そのことに思い至った。
全身の力を抜き、剣の重さを生かして自然に振り抜き、クルリクルリと回転する。
その動きは剣技と言うよりも剣舞とも言うべきものに見えた。
ロウワンはもちろん知らなかったが、その技法は武術の奥義とも言える『脱力』そのものだった。
剣の稽古を終えると汗を流し、昼食。それからすぐにハルキスについて勉強。現代ではほぼ失われている五〇〇年前までの歴史を知ることができるのは楽しかった。
とくに、亡道の司との戦いが終わった直後の一〇〇年間。すべての人間が必死になって亡道に侵されて変異した世界をもとに戻そうと力を尽くした一〇〇年間。その間に注ぎ込まれた当時の人々の苦労と思い。
――未来のために世界をもとに戻す。
その思いにふれるつど、ロウワンは思いを新たにした。
――過去の人たちが苦労に苦労を重ねて世界をもとに戻してくれた。だからこそ、いまの世界がある。僕たちはこうして生きていられる。その人たちの思いを無駄にしないためにも必ず、この世界は僕たちが守っていく。
だが、同時に、
――でも、どうして、一緒に頑張ってきた人たちがお互いに争うようになっていったんだろう?
その疑問もふくれあがっていった。
それについてハルキスは答えた。
「人類はあまたの戦いを繰り返してきた。だが、結局、その理由はひとつしかない。
『自分の望む暮らしを手に入れる』
その一事だ」
「自分の望んだ暮らしを手に入れる?」
「そうだ。人は一人ひとりちがう。同じ人間などどこにもいない。さらに言うなら『人類』などというひとまとめの存在はどこにもいない。
そんなものは幻想だ。存在するものは個々の人間だけ。そして、人間は一人ひとり望むものも、好むものもちがう。当然、望む暮らしもちがう。望む暮らしがちがうもの同士が一緒に暮らしていればどうなるか。
自分の望む暮らしをしようとすれば、そのたびに相手に反対される。とめられる。苛々が募り、相手に対する不満が生まれる。不満はやがて憎悪となる。
『自分が望む暮らしが出来ないのはあいつが邪魔するからだ。あいつさえいなければ自分は望む暮らしを手に入れられる。幸せになれる』
そう思うようになる。
その思いの行き着くところ、自分のとっての邪魔者を力ずくで排除しようとするようになる。そうして、争いがはじまる。
人と国、国と国の争いも同じ。領土国家においては人間は生まれた場所に支配される。『その国』に生まれた人間は『その国』の法に支配される。そこに、その人間の意思が介在する余地はない。
『自分はこの国の法が気に入らない。だから、この国の法には従わない』
そんなことは許されない。それは国に対する叛逆であり、処罰の対象とされる。もし、それに抵抗し、自分の望む暮らしを手に入れようと思えば力によるしかない。力をもって立ち向かい、国を倒す。それ以外、自分の望む暮らしを手に入れる方法はない。
国と国の関係も同じ。他の国が自分のほしい土地や資源をもっている。その土地や資源があれば自分はもっと幸せになれる。その思いのまま侵略し、土地や資源を奪おうとする。
だから、私たちは都市網国家を考案したのだ。誰もが自分の望む暮らしを手に入れられるように。
都市網国家に領土はない。領土がないのだから土地をめぐっての争いなど起きようがない。ほしい資源は交易によって手に入れる。そして、なによりも、都市網国家においては生まれに縛られることはない。都市は自らを支配する法を自ら選ぶ。この世にあるどの国とでも自由に契約し、望む暮らしを手に入れられる。
もし、自分の生まれた都市が自分の気に入らない法に支配されることを選べば、他の都市に移ることが出来る。この世に自分の望む法がなければ自分で作ることが出来る。
『自分の掲げる法はこういうものだ』
そう宣言し、都市と契約を結ぶことが出来れば国が生まれる。誰でも、自分の法を掲げ、自分の国をもつことができるのだ。そして、もし、世界中のすべての都市と契約を結ぶことが出来れば世界の支配者。争う以外の方法で自分の望む暮らしを手に入れられる世界。それが都市網国家なのだ」
ハルキスは熱く語る。
その思いは五〇〇年前、若く希望に燃えていた頃となにもかわらない。
ロウワンはハルキスの教えを貪欲に吸収した。
都市網国家の理念、現実のものとする方法。それらを学んだ。他人に正確に思いを伝える方法、説得のための話術、他人の立場に立つことの大切さ。それらも学んだ。
「話せばわかる。よく言われる言葉だ。だが、その言葉の意味することは『相手は必ず自分に賛成するようになる』というものでしかない。『自分が相手に賛成する』とはまったく思っていない。常に自分こそが正しく、相手はまちがっている。その思いに貫かれた実に傲慢な考えだ。相手の立場となり、相手の視点となり、なぜ、その相手がその思いを抱くに至ったか。その背景にまで踏み込まなくてはとうてい、他人を理解することなどできん」
夜には天命の理の講義がまっている。
ロウワンは天命の理について身近に体験したことはない。物語のなかでふれたことがあるだけだ。そのなかの印象ではいわゆる『魔法』と同じようなものだと思っていた。呪文ひとつでなんでもできる便利な技だと。
実際の天命の理はそんな便利なものでも都合の良いものでもなかった。そもそも、物語のなかに出てくる魔法とはまるでちがうものだった。
ある存在のもつ天命に干渉し、別の天命を加えることで新しい天命をもった存在を生み出す。
それが天命の理。
天命船を例に説明しよう。
ここに『船』という存在がある。船は海を渡るための存在だが、自力で動けるわけではない。海流に乗るか、風を受けるか、櫂をこぐか。そのいずれかの力が加わらなければ動かない。
それが船という存在の天命。
そこに、『魚』という存在の天命を加える。魚は自分で泳ぐ。その『自分で泳ぐ』という天命を船に加えることで、自力で動く船を作りあげる。
それが、天命の理。
ただし、船に魚の天命を加えただけでは人の言うことを聞くようにはならない。そこで、人間の指示を聞く存在――イヌやウマ、ときには人そのものなど――の天命から『人の指示を聞く』という部分を取り出し、付け加える。そうすることで人の指示に従い、自分の力で大海原を渡る天命船が出来上がる。
言葉で説明するだけでもなかなかに面倒だが、実際に作るとなればはるかに複雑で精妙な作業が必要となる。
天命船の場合で言えばうまいこと魚のもつ『自分で泳ぐ』という天命と、イヌのもつ『人の指示を聞く』という天命を加えることではじめて『人の指示に従い、自分で動く』船が完成する。まちがって魚の『人の指示を理解出来ない』天命と、イヌの『水に濡れることをきらう』天命を付け加えてしまえば、人の言うことを聞かない上に水から逃げ出そうとす珍妙な船が出来上がってしまう。
自分の望む天命を作り出すためにはきわめて複雑で精緻な操作が必要なのだ。
また、この技術は戦うには向かない。
剣に炎の天命を加え『炎の剣』を作ることはできる。
布の服に金属の天命を加え『金属並の強度をもつ服』を作ることもできる。
しかし、物語のなかの魔法使いのように自ら炎や稲妻を生み出し、敵を撃破する……などと言うことは出来ない。天命の理とはあくまでも複雑で微妙な作業の積み重ねなのだ。
ロウワンはそれだけのことを毎日まいにち学んでいった。吸収していった。そうして、自分自身を育てていった。それこそ、大地が水を吸収し、植物を育てるように。
そうして、一年の時が過ぎた。
午前中は剣の稽古。
昼からはハルキスについて歴史や文化、政治・経済などを学び、さらに、ハルキスたちが考案した『都市網国家』についての講義も受ける。
夜は夜で天命の理の修行。
まさに、朝、目を覚ましたときから夜、寝るまで一時も休む間のない修行しゅぎょうの日々。
まさに『過酷』。
そう言っていい毎日だった。
だが、なにしろ、ロウワンには大きな目的がある。
――亡道の世界との戦いを終わらせ、天命の巫女さまを人間に戻す。
と言う目的が。
その目的を叶えるために必要なことなのだ。弱音ひとつ吐かずにこなしつづけた。
幸い、ハルキスの家は天命の家であり、炊事・洗濯・掃除といった家事の類はすべて、自動的に行ってくれた。おかげで、ロウワンは物語のなかによく出てくる弟子のように、師匠の身のまわりの世話や家事に時間をとられることなく修行に専念できた。そうでなければとうてい、これだけ修行しゅぎょうの日々を送ることは出来なかった。
サルたちの使うカトラスはときおり、この島に迷い込んできた海賊たちの残していったものだった。ハルキスの家には剣以外にも海賊の残していった服や物資などが置かれていた。ロウワンはそのなかからいくつか引っ張り出して自分用の服にした。おとなたちの着ていた服なのでまだまだ少年であるロウワンの身には大きすぎる。それでも、裾や袖をめくればとくに不便でもなく着こなすことは出来た。
朝、目を覚まし、朝食を終えるとさっそく剣の稽古。相手を務めるのは三刀流のサルたち。と言っても、いきなり剣で打ちあうのではない。
『あなたには剣の素振りはまだ早い。まずは足捌きを徹底的に鍛えなさい』
〝詩姫〟からそう言われたし、足捌きの重要性、有効性は最初にサルたちに襲われたときに思い知った。
そこでまずは〝詩姫〟に教えられたとおり、足捌きを徹底的に鍛えた。
前に進み、後ろに引き、右に移り、左に移り、弧を描いて移動する。
まるで、舞でも舞っているかのような軽妙な動き。それだけを見れば剣の稽古をしていると思うものはいないだろう。
踊り子見習い。
そう思うにちがいない。
その稽古を三刀流のサルたちに相手に嫌と言うほどつづけた。その変幻自在の動きにあわせ、すべての剣をかわせるようになるまで。
稽古の間、服は着ていない。ハルキスの家にある服はどれもおとな用でロウワンには大きすぎる。日常生活では裾や袖をめくっていれば問題ないとして、剣の稽古となればさすがにそうはいかない。そこで、裸で稽古することにした。どうせ、人目があるわけではいないのだ。それで、かまいはしないのだ。
最初のうちこそ裸で稽古するのは心細かったし、頼りなかった。それも、すぐに慣れてしまった。ただし、〝鬼〟の大刀だけはいつも背中にかけていた。
子どもひとり分ほどもある重さの大刀だ。そんなものを背中にかけていれば重いし、動きづらい。すぐに疲れる。それでも、ロウワンはこの大刀を背負っての稽古をつづけた。
――僕はいつかこの大刀をもって〝鬼〟の前に立つ。この大刀を自在に扱えるだけの体力を身につけないと意味がないんだ。
その一心で。
足捌きに自信がもてるようになったところでようやく、剣をもった。
もちろん、〝鬼〟の大刀をもつのはまだ早い。こんな重い武器をもつだけの体力も筋力も、いまのロウワンにはまだまだ不足している。だから、サルたちと同じ、海賊たちの残していったカトラスを選んだ。
そのカトラスを手にサルたちと打ちあった。ここでも、最初からまともに打ちあったわけではない。まずは守りを身につけることに徹した。足捌きとあわせてカトラスを盾のように扱い、サルたちの変幻自在の攻撃を受けとめる。
その修行に徹した。
サルたちの攻撃を手にしたカトラスで受けとめ、その動きをジッと観察することでロウワンはあることに気がついた。
――両足にもった剣よりも、尻尾で振りまわす剣の方が速いし、威力もある。
尻尾に握った剣による攻撃は必然的に振り子のようなカーブを描く。一見すると大振りで力感にも欠ける。それなのに、ずっと速く感じられるし、受けとめたときの衝撃も大きい。
――そうか。力で剣を振ろうとすると剣の重さを力で支えなくちゃならない。その分、振りが遅くなる。そうじゃなく、力を抜いて、剣の重さを生かして振り抜く。その方が速く、鋭く、威力ある攻撃になる。
ロウワンはその事実を自分の剣技に取り入れた。全身をサルの尻尾のように意識し、力を抜き、剣の重さを生かして大きく振り抜く。
――力を抜いて。剣の重さで自然に振り抜くんだ。
常にそのことを意識して剣を振るった。
ただ、問題がひとつ。剣をもった右手を大きく振るとその勢いで体がもっていかれてしまう。振った方向に体勢が傾いてしまう。その分、隙が生まれ、次の動作に移るまでの時間が長くなる。
――だったら、左手にももてばいい。左手にも剣をもって、右手を振るのと逆方向に左手を振れば、お互いの力を打ち消しあって体をもっていかれなくてすむ。体が傾かなければ隙も出来ないし、次の動作に移るまでの時間も短くてすむ。
ロウワンは何度もなんども工夫を重ね、そのことに思い至った。
全身の力を抜き、剣の重さを生かして自然に振り抜き、クルリクルリと回転する。
その動きは剣技と言うよりも剣舞とも言うべきものに見えた。
ロウワンはもちろん知らなかったが、その技法は武術の奥義とも言える『脱力』そのものだった。
剣の稽古を終えると汗を流し、昼食。それからすぐにハルキスについて勉強。現代ではほぼ失われている五〇〇年前までの歴史を知ることができるのは楽しかった。
とくに、亡道の司との戦いが終わった直後の一〇〇年間。すべての人間が必死になって亡道に侵されて変異した世界をもとに戻そうと力を尽くした一〇〇年間。その間に注ぎ込まれた当時の人々の苦労と思い。
――未来のために世界をもとに戻す。
その思いにふれるつど、ロウワンは思いを新たにした。
――過去の人たちが苦労に苦労を重ねて世界をもとに戻してくれた。だからこそ、いまの世界がある。僕たちはこうして生きていられる。その人たちの思いを無駄にしないためにも必ず、この世界は僕たちが守っていく。
だが、同時に、
――でも、どうして、一緒に頑張ってきた人たちがお互いに争うようになっていったんだろう?
その疑問もふくれあがっていった。
それについてハルキスは答えた。
「人類はあまたの戦いを繰り返してきた。だが、結局、その理由はひとつしかない。
『自分の望む暮らしを手に入れる』
その一事だ」
「自分の望んだ暮らしを手に入れる?」
「そうだ。人は一人ひとりちがう。同じ人間などどこにもいない。さらに言うなら『人類』などというひとまとめの存在はどこにもいない。
そんなものは幻想だ。存在するものは個々の人間だけ。そして、人間は一人ひとり望むものも、好むものもちがう。当然、望む暮らしもちがう。望む暮らしがちがうもの同士が一緒に暮らしていればどうなるか。
自分の望む暮らしをしようとすれば、そのたびに相手に反対される。とめられる。苛々が募り、相手に対する不満が生まれる。不満はやがて憎悪となる。
『自分が望む暮らしが出来ないのはあいつが邪魔するからだ。あいつさえいなければ自分は望む暮らしを手に入れられる。幸せになれる』
そう思うようになる。
その思いの行き着くところ、自分のとっての邪魔者を力ずくで排除しようとするようになる。そうして、争いがはじまる。
人と国、国と国の争いも同じ。領土国家においては人間は生まれた場所に支配される。『その国』に生まれた人間は『その国』の法に支配される。そこに、その人間の意思が介在する余地はない。
『自分はこの国の法が気に入らない。だから、この国の法には従わない』
そんなことは許されない。それは国に対する叛逆であり、処罰の対象とされる。もし、それに抵抗し、自分の望む暮らしを手に入れようと思えば力によるしかない。力をもって立ち向かい、国を倒す。それ以外、自分の望む暮らしを手に入れる方法はない。
国と国の関係も同じ。他の国が自分のほしい土地や資源をもっている。その土地や資源があれば自分はもっと幸せになれる。その思いのまま侵略し、土地や資源を奪おうとする。
だから、私たちは都市網国家を考案したのだ。誰もが自分の望む暮らしを手に入れられるように。
都市網国家に領土はない。領土がないのだから土地をめぐっての争いなど起きようがない。ほしい資源は交易によって手に入れる。そして、なによりも、都市網国家においては生まれに縛られることはない。都市は自らを支配する法を自ら選ぶ。この世にあるどの国とでも自由に契約し、望む暮らしを手に入れられる。
もし、自分の生まれた都市が自分の気に入らない法に支配されることを選べば、他の都市に移ることが出来る。この世に自分の望む法がなければ自分で作ることが出来る。
『自分の掲げる法はこういうものだ』
そう宣言し、都市と契約を結ぶことが出来れば国が生まれる。誰でも、自分の法を掲げ、自分の国をもつことができるのだ。そして、もし、世界中のすべての都市と契約を結ぶことが出来れば世界の支配者。争う以外の方法で自分の望む暮らしを手に入れられる世界。それが都市網国家なのだ」
ハルキスは熱く語る。
その思いは五〇〇年前、若く希望に燃えていた頃となにもかわらない。
ロウワンはハルキスの教えを貪欲に吸収した。
都市網国家の理念、現実のものとする方法。それらを学んだ。他人に正確に思いを伝える方法、説得のための話術、他人の立場に立つことの大切さ。それらも学んだ。
「話せばわかる。よく言われる言葉だ。だが、その言葉の意味することは『相手は必ず自分に賛成するようになる』というものでしかない。『自分が相手に賛成する』とはまったく思っていない。常に自分こそが正しく、相手はまちがっている。その思いに貫かれた実に傲慢な考えだ。相手の立場となり、相手の視点となり、なぜ、その相手がその思いを抱くに至ったか。その背景にまで踏み込まなくてはとうてい、他人を理解することなどできん」
夜には天命の理の講義がまっている。
ロウワンは天命の理について身近に体験したことはない。物語のなかでふれたことがあるだけだ。そのなかの印象ではいわゆる『魔法』と同じようなものだと思っていた。呪文ひとつでなんでもできる便利な技だと。
実際の天命の理はそんな便利なものでも都合の良いものでもなかった。そもそも、物語のなかに出てくる魔法とはまるでちがうものだった。
ある存在のもつ天命に干渉し、別の天命を加えることで新しい天命をもった存在を生み出す。
それが天命の理。
天命船を例に説明しよう。
ここに『船』という存在がある。船は海を渡るための存在だが、自力で動けるわけではない。海流に乗るか、風を受けるか、櫂をこぐか。そのいずれかの力が加わらなければ動かない。
それが船という存在の天命。
そこに、『魚』という存在の天命を加える。魚は自分で泳ぐ。その『自分で泳ぐ』という天命を船に加えることで、自力で動く船を作りあげる。
それが、天命の理。
ただし、船に魚の天命を加えただけでは人の言うことを聞くようにはならない。そこで、人間の指示を聞く存在――イヌやウマ、ときには人そのものなど――の天命から『人の指示を聞く』という部分を取り出し、付け加える。そうすることで人の指示に従い、自分の力で大海原を渡る天命船が出来上がる。
言葉で説明するだけでもなかなかに面倒だが、実際に作るとなればはるかに複雑で精妙な作業が必要となる。
天命船の場合で言えばうまいこと魚のもつ『自分で泳ぐ』という天命と、イヌのもつ『人の指示を聞く』という天命を加えることではじめて『人の指示に従い、自分で動く』船が完成する。まちがって魚の『人の指示を理解出来ない』天命と、イヌの『水に濡れることをきらう』天命を付け加えてしまえば、人の言うことを聞かない上に水から逃げ出そうとす珍妙な船が出来上がってしまう。
自分の望む天命を作り出すためにはきわめて複雑で精緻な操作が必要なのだ。
また、この技術は戦うには向かない。
剣に炎の天命を加え『炎の剣』を作ることはできる。
布の服に金属の天命を加え『金属並の強度をもつ服』を作ることもできる。
しかし、物語のなかの魔法使いのように自ら炎や稲妻を生み出し、敵を撃破する……などと言うことは出来ない。天命の理とはあくまでも複雑で微妙な作業の積み重ねなのだ。
ロウワンはそれだけのことを毎日まいにち学んでいった。吸収していった。そうして、自分自身を育てていった。それこそ、大地が水を吸収し、植物を育てるように。
そうして、一年の時が過ぎた。
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