壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第一話一章 少年に戻る

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 亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせ、天命てんめい巫女みこさまを人間に戻す。
 その思いのもと、少年は旅立った。幼いその身には大きすぎる船長服を着込み、騎士マークスの意思を受け継いで。
 名乗る名前はマークスⅡ。
 それこそ、騎士マークスの思いを受け継いだとの決意の証。
 騎士マークスの白骨死体は船長席に移し、形を崩さないよう丁寧ていねいに席に座らせた。
 天命てんめい巫女みこを人間に戻すため、亡道もうどう世界せかいを旅し、その魂をこの船に移植した騎士マークスには船長席こそがふさわしい。
 ただひたすらにハープをかき鳴らす『壊れたオルゴール』――天命てんめい巫女みこもその隣に移した。船長席に座る白骨死体と、その隣にたたずみ、永遠にハープを奏でつづける自動人形。
 あまりにも伝奇的なその光景を前に少年は呟く。
 「騎士マークス。僕はあなたに誓う。あなたの意思を受け継ぐことを。そして――」
 少年は天命てんめい巫女みこを見つめた。
 ハープを手に、この世界を亡道もうどう世界せかいから守るため、天命てんめいきょくを奏でつづける聖なる女性を。
 かのを見つめる少年の目にはなんとも言えないねつっぽさが詰まっていた。
 「……天命てんめい巫女みこさま。僕は必ず、あなたを人間に戻す」
 それは、おのれの魂に刻み込む神聖なる誓約。
 決して破ることは許されない誓い。
 少年は大きすぎる船長服をひるがえし、船長室を出た。操舵室に向かった。なかに入り、舵輪だりんを握った。
 「さあ、出発だ! まずは天詠てんよみのしまへ向かう!」
 船長気取りでそう叫ぶ。
 亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせ、天命てんめい巫女みこさまを人間に戻す英雄たるこの自分。その自分が真っ先に向かうところは天詠てんよみのしま以外にはない。
 天詠てんよみのしまに上陸し、その城から狭間の世界に向かい、ゼッヴォーカーの導師に出会うのだ。そして、天命てんめい巫女みこさまが、騎士マークスがそうしたように導師からの教えを受け、亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせる英雄となる!
 その思いのもと、少年は叫ぶ。
 「出発進行、ヨーソロー!」
 そう叫び、ガラガラと音を立てて舵輪だりんをまわす。
 まわす方向も、まわし方も、掛け声までもすべて適当。海賊見習いになって間もない使いっ走りの少年には船を操るための知識も技術もこれっぽっちも備わっていない。そもそも、騎士マークスの魂が乗り移ったこの船は人間に操られる必要などない。自分の意思ひとつでどこへでも行ける。舵輪だりんを勢いよくまわして見せたのは単なる気分の問題だ。
 騎士マークスの魂を宿した幽霊船はおお海原うなばらを進みはじめた。
 折れたマスト。
 穴だらけの甲板かんぱん
 ボロボロの船体。
 どこからどう見ても廃棄処分にするしかないボロ船。それでも――。
 千年の間、海を渡りつづけた歴戦の勇士なのだ。
 幽霊船は進む。
 進みつづける。
 どこに向かっているのか。
 そんなことは誰にもわからない。
 しかし、少年はこの船が自分を天詠てんよみのしまへと連れて行ってくれることを疑っていなかった。なぜなら、
 「僕こそは亡道もうどう世界せかいとの戦いを終わらせ、天命てんめい巫女みこさまを人間に戻す英雄になるんだから」
 太陽は燦々さんさんと輝き、潮風が吹きぬける。
 空には群れを成した海鳥たちが飛び、海を見ればトビウオの群れが水面を跳ねている。
 どこまでも明るく、光に満ちたその光景。
 暗闇や、不吉な予感などひとつもないかのようなその世界。
 それはまるで、少年の心にあふれる希望をそのまま映したかのような光景だった。
 そんな世界を突如として引き裂いたのは、ひとつの音。
 恐ろしく大きく、重苦しい音。
 使いっ走りの見習い少年とは言え、その音は知っていた。女海賊ガレノアの船に乗っていたとき、聞いたことがある。
 「救難信号だ!」
 少年は叫んだ。
 そう。それは、窮地きゅうちに追い込まれた船が万に一つの助けを求めてかき鳴らす音。沈みゆく船の最後の咆哮ほうこう
 「大変だ! この近くの海で船が沈みそうになっているんだ! マークス、すぐに音のした方に向かって!」
 少年の声に従ったのか、幽霊船は向きをかえた。音のした方へと向かって行った。
 さすがに騎士マークスの魂を宿した天命てんめいせん。マストの折れたボロ船とはとうてい思えない速度で海を渡り、その場へと駆けつけた。
 少年がその場で見たもの。それは――。
 「海賊だ!」
 胸が高鳴った。
 そこで見たものは一隻の船が海賊船に襲われている光景だった。
 船は客船らしい。それも、かなり大型の高級船。まるで、海をく乙女のように優美なデザインで、ぜいらした装飾そうしょくほどこされている。船首に取りつけられたフィギュアヘッドは壺を抱えた乙女の上半身で、それだけでもいくらの値がつくことか。海賊から見れば『襲ってください』と言わんばかりの姿なのにはちがいない。
 そして、その海をく乙女を襲うのは――。
 「よかった。ガレノア船長の船じゃない」
 少年はホッと胸をなでおろした。
 わずかな間とはいえ、見習いとして世話になった相手。その相手を敵にまわすのはさすがに気が引ける。
 目の前の海賊船はガレノアの船とは大きさもちがえば形もちがう。まったく、別の船。マストにひるがえる旗は見たことのないものだった。少年の知らない、出会ったことのない海賊だ。
 客船は必死に逃げようとしたのだろう。しかし、速度や航海性能よりも乗り心地を重視した豪華客船ではとうてい、速度と操舵性という実用的な能力のみに特化した海賊船から逃れることは出来なかったのだ。すでに隣接され、フックのついた縄で捕えられ、互いの甲板かんぱんの間には橋が架けられている。
 海賊たちはすでにその橋を渡って客船に乗り込み、剣を振りまわして乱暴の限りを尽くしているようだ。客船は最後の望みとして救難信号をあげるのが精一杯だったのだ。
 「助けなきゃ! マークス、あの船に向かって!」
 少年は叫んだ。その声に応じるかのように幽霊船はその場へと向かった。当たるか当たらないかという絶妙の距離で客船に隣接した。
 少年は幽霊船の甲板かんぱんから客船の甲板かんぱんへと飛び移った。なんということのない普通の少年でさえそれができるぐらいぴったりと、幽霊船は客船によりそっていたのだ。
 少年はいっぱしのつもりで腰に差していたカトラスを抜き放った。どんな相手もこの刃で斬り捨ててやるつもりだった。
 ――海賊ぐらい退治できないで、なにが天命てんめい巫女みこさまを人間に戻すだ!
 だが――。
 客船の甲板かんぱんに飛び移った途端、襲ってきたものはむせかえるような血の匂い。思わず胃がひっくり返り、胃液が逆流しそうなほどの悪臭だった。
 ぬるり、と、足元が滑った。見てみると甲板かんぱんはすでに血だまりとなっていた。その血に足を取られたのだ。
 甲板かんぱんはすでにいたるところ斬り捨てられ、川のように血を流す怪我人と死体ばかり。海賊たちは血塗られた剣を振りかざし、返り血を浴びた悪鬼の形相で獲物を探し、生き残りを追い詰めていく。
 容赦なく剣が振りおろされ、悲鳴が響き、血が流れる。その光景に――。
 少年は精神を直接、ぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
 ひざが砕けた。その場にうずくまった。せっかくのカトラスを一度も振ることなく取り落とし、手足を血だまりのなかに埋めて吐いていた。
 忘れていた。
 すっかり、忘れていたのだ。
 自分は実戦経験ひとつない、ただの子供だと言うことを。
 幼い頃から海賊の絵本を読み聞かせてもらった。自分で本を読めるようになってからは本を読むたびに空想の世界で剣を振りまわし、悪の海賊たちと戦った。
 そして、幽霊船。
 騎士マークスの魂の宿った幽霊船に乗ってからは騎士マークスの記憶にふれ、亡道もうどうつかさとの壮絶な戦いを目撃した。
 そのために、まるで自分のことを百の戦場を駆け抜けた歴戦の勇士のように思っていた。
 だが、それは完全な勘違い。実際のかのは自ら剣を振るって戦ったことなどない、ただの子供に過ぎなかった。海賊見習いだったとは言え、ガレノアの船には年端としはもいかない子供を相手に本気で剣を振りまわすような乱暴者はいなかった。もし、いたとしてもガレノアがその拳で叩きのめし、追い出していただろう。
 そして、ガレノアは『壊れたオルゴール』を求めて騎士マークスの幽霊船を追いかけていた。そのために、襲撃を行ったり、他の海賊と戦ったりする機会もなかった。その頃の少年は使いっ走りとして見張りをしたり、甲板かんぱん掃除をしたり、他の船員たちから言いつけられる細々とした雑務さえこなしていればよかった。自ら剣をもって戦う必要などどこにもなかった。
 そんな少年が突然、現実の殺戮さつりくの場に飛び込んだ。
 物語のなかではない、本当に人が斬られ、死んでいくその場へと。
 それでいきなり剣を振るって海賊たちを追っ払う大活躍など出来るはずがない。そんなことが出来るのは物語のなかの主人公だけ。現実の子供に出来ることは、その光景に魂までも怯えあがり、震えることだけなのだ。
 少年は血だまりのなかにうずくまり、吐いて、吐いて、吐きつづけて、そのことを思い知らされた。
 「あ~ん、なんだ、このガキは?」
 海賊の頭が少年を見つけ、やってきた。
 左右には側近だろう。ひときわ大柄で腕の立ちそうな――そして、それ以上に凶暴そうな――ふたりの男を従えている。
 「ガキのくせに船長服なんぞ着て、いっぱしの船長気取りか? それにしても、古びちゃあいるがやけに上等の服じゃねえか。こいつあ高く売れるぜ」
 頭はそう言うとホクホク顔で少年の身から船長服をはぎとった。
 「返せ! それは僕の服だ」
 などと叫ぶだけの気力もなく、少年はされるがままに転がっていた。
 ――マークス……幽霊船は?
 少年は吐くものがなくなってもなお、吐き気のとまることのない胃を抱えながら自分の乗ってきた幽霊船を探した。だが――。
 いつの間にいなくなったのか、幽霊船は影も形もなくなっていた。
 ――そんな……。どうして? どうして、マークスは助けてくれないんだ?
 「おい、小僧」
 海賊の頭が少年の腹を蹴りあげた。
 少年は呻いた。痛みはあるがさほどは感じない。吐くだけ吐いたせいですでに感覚は麻痺してしまっている。
 「こんな上等な服を着ているってこたあ、ただのガキじゃねえだろ。名のある貴族かなんかの息子ってとこか? こいつあ、いい獲物が手に入ったな」
 このガキを人質にすりゃあ、身代みのしろきんをたっぷりせしめてやれるぜ。
 凶猛きょうもうに輝く海賊の頭の目がそう言っていた。そのとき――。
 「おかしら! 船が近づいてきます!」
 海賊のひとりがそう叫んだ。その声に――。
 少年の瞳に輝きが戻った。
 ――マークスが戻ってきてくれたのか。
 一縷いちるの望みを託してそう思った。
 だが、ちがった。海を渡り、波を蹴立ててやってくるその船。その船は幽霊船とは似ても似つかない船だった。幽霊船よりもはるかにに大きく、ずっと立派な船。三本のマストにかけられた帆は風をいっぱいに受けて大きく張っている。
 そして、マストにかけられた旗。
 その旗を見た海賊のひとりが恐怖のあまり心臓発作を起こしそうな声で叫んだ。
 「〝鬼〟だ! ありゃあ、〝鬼〟の船だ!」
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