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第三部 終わりの伝説
一一章 そして、終わりのとき
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――天命の巫女だと⁉ 馬鹿な。なぜ、きさまがここに……。
おうおう、亡道の司め、うろたえておるわ。感じるぞ。大物ぶって超然とした振りをしていても内心、驚き、あわて、脅威さえ感じていることが。
亡道の司のそのようなうろたえ振りを身近に感じるのは実に良い気分じゃ。先ほどは亡道の司が感情をもっていることの残酷さを感じたが……いまは、感情をもっておることに感謝じゃ。
――天命の巫女。お前は自らを天命の曲を奏でる自動人形にかえた。この場にこうして現れるなど出来るはずが……。
亡道の司のその言葉に――。
天命の巫女さまは答えた。
「わたしは千年前にすでに、人間に戻っていましたよ」
――なに⁉
「他ならぬ、賢者マークスⅡによって人間に戻されたのです」
天命の巫女さまはわしを見た。『運命を選びしもの』に特有の覚悟と決意に満ちた視線。けれど、すべてを包み込む優しさと慈愛に満ちた視線。
わしはごく自然に天命の巫女さまの前に跪いておった。貴婦人に対する騎士の礼を取っていた。千歳もとうに越したいまのわしじゃが……このときばかりは、幽霊船の操舵室ではじめてハープをかき鳴らしづける天命の巫女さまのお姿を見たときの少年の心に戻っておった。
「その節はご苦労さまでした、マークスⅡ。あなたの尽力によってわたしは人間に戻ることができました。あなたの勇気と献身には感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました」
「……もったいなきお言葉です、天命の巫女さま」
あふれる涙と共に――。
わしはそう答えておった。
なんという感慨深いことじゃったろう。天命の巫女さまを人間に戻すために奔走した若き日々。人をすて、天命の理となってからの千年を超える年月。そのすべてがいま、報われた。そう思うことが出来た。
「亡道の司よ」
天命の巫女さまは亡道の司に語りかけた。
「千年前のあの日。マークスⅡの尽力によって人間に戻ったわたしは、再び自分自身に天命の理をかけ、ハープを鳴らしつづける役目を負いました。しかし、それは、自動人形に戻ることではなかった。千年の時をかけ、わたしのなかで亡道の世界を退ける新たなる曲を養うため。感じるでしょう? わたしのこの身のなかで『早く生まれ出たい』と、そう熱望し、脈動している曲があることを。いまこそ、この新たなる曲をもってあなたを、亡道の世界を退ける!」
――馬鹿な。そんなことができるものか。我らは亡道の司。亡道の世界そのもの。我らを退けることなど……。
「出来るのです」
――なに……?
「なぜなら、あなたは天命の世界を取り込んだから」
――⁉
「あなたがその身に取り込んだ天命の世界。それが、わたしの奏でる新たな曲と共鳴し、あなたを、すべての亡道のものを内側から破滅させるのです。そして、亡道の世界を退ける」
「くくく……く、く、くくくくく……」
くぐもった笑い声が聞こえた。おかしくておかしくてたまらない。その思いを必死に押し殺している。そんな声。
マークスⅢじゃった。
相棒であるリョキの背にまたがり、鬼骨を手にした今代の勇者が、身を震わせて笑っておった。そして――。
「あはは、あーはっはっはっはっ!」
爆笑した。
勇者が。
リョキが。
決戦兵たちが。
そして、このわしや、ゼッヴォーカーの導師までもが。
その場にいる誰もが笑っておった。おかしくておかしくてたまらぬと爆笑しておった。
何百という爆笑の声がひとつになり、共鳴し、渦となって大広間を埋め尽くした。その声は床と言わず、壁と言わず、天井と言わず、広間全体を揺るがせていた。そして――。
亡道の司は戸惑っておった。
うろたえておった。
わしはそのことをはっきりと感じ取っていた。亡道の司はいま、目の前で起きてることが理解出来ず、うろたえ、おののき、怖れてさえおったのじゃ!
「あははははっ! 無邪気だな、亡道の司! このわたしがお前たちを倒すための主役だなどと、本気で思っていたのか」
――な、なに……?
「きさまらを倒す主役はあくまでも天命の巫女さま。我らは全員、天命の巫女さまが準備を整えるまでの時間を稼ぐための囮に過ぎない」
――ば、馬鹿な。おぬしらはたしかに怖れておったではないか。おののいておったではないか。あれはいったい、なんだったというのだ。
その言葉に――。
ゼッヴォーカーの導師が答えた。
――説明しよう、亡道の司よ。人はあれを『演技』という。
――な、なに?
――説明しよう、亡道の司よ。お前は言ったな。亡道のものは決してかわれぬ。そう決めつけたことこそが我らの過ちだと。だが、我らがそんなことを見落とすと本気で思ったのか?
――な、なんだと?
――説明しよう、亡道の司よ。我らがどれほどの時間と、どれほどの思いを懸けて亡道の世界を研究してきたと思う? 我ら自身がいかに強くなろうとも、それだけではお前たちを退けられぬことはわかっていた。お前たちは我らの変化を取り込み、より強くなる。そのことは最初からわかっていたのだ。
――説明しよう、亡道の司よ。そこで、我々はその特性を利用することにした。お前たちにわざと我々の変化を取り込ませ、天命の要素と混じり合わせる。お前たちの取り込んだ天命の要素に天命の巫女の奏でる曲を共鳴させることでお前たちを破滅させる。そのためにな。
――説明しよう、亡道の司よ。すべては、千年前のあのときから決まっていたのだ。賢者マークスⅡの立てた計画に従い、我々は行動し、そしていま、その計画は成就する!
――説明しよう、亡道の司よ。 怖れ、おののいて見せたのは天命の巫女が準備を整えるまでの間、お前たちの意識を天命の巫女に向けさせぬための演技に過ぎん。
――その通りだ、亡道の司よ。
――騎士マークス……。
――すべては賢者マークスⅡの打ち立てた計画通り。相手の手のひらで踊っていたのはお前たちの方だ。
――もっとも。
騎士マークスの言葉にわしもつづいた。
――まったくの演技、と言うわけでもなかったがの。亡道の司一人ひとりがまったくちがう姿をとるとまではさすがに想定しておらんかった。それを見たときには正直、あせったぞ。これでは、すべての亡道の司に等しく効果を及ぼすことは出来んかも知れん。影響を受けず、生き残るものもいるかも知れん、とな。おかげで演技にも迫真の冴えが出たわい。
かんらかんら、と、わしは笑う。
亡道の司を出し抜き、騙してやったのは実に良い気分じゃった。
天命の巫女さまがつづけられた。
「わたしはもそう思いました。一度は不安に駆られました。ですが、だいじょうぶ。一人ひとりちがうとしてもその身に天命の世界を取り込んでいるのは同じ。ならば、わたしの新たな曲は確実に効果を発揮します。さあ、亡道の司、いえ、すべての亡道のものよ。わたしの曲を受けて退きなさい!」
――お、おおおっ!
亡道の司の悲鳴が響く。
天命の巫女さまがハープをかき鳴らし、千年にわたって養われた曲が世界を包む。
亡道の司が、
亡道の騎士が、
亡道の巨人が、
亡道の魚人が、
亡道の獣が、
亡道の種が……。
すべての亡道のものが滅びの時を迎えておった。その身に取り込んだ天命の要素が天命の巫女さまの曲と共鳴を起こすことで、存在そのものを内側から破壊していくのじゃ。
「マークスⅡ、いまこそ!」
――はっ!
天命の巫女さまの言葉に――。
わしは答えた。
――ゼッヴォーカーの導師よ。
――うむ。
――メルデリオの魔術士よ。
――イルキュルスの予言者よ。
――カーバッソの鋼打ちよ。
――ゴルゼクウォの力士よ。
――ハイシュリオスの戦士よ。
――ミスルセスの女帝よ。
――カーンゼリッツの学士よ。
――いまこそ、滅びの定めを覆すとき! 我がもとに来たれ!
『鏡』に入ったすべての先行種族がわしのまわりに集う。すべての『鏡』から先行種族の力が放たれ、わしの身に集中する。その力はわしのなかに飛び込み、千年の時をかけてわしのなかで養われてきた天命の理へと注がれる。
わしのなかの天命の理がふくれあがる。
大きく、大きく、どこまでも、この天命の世界そのものを覆い尽くすまで。
それは、狭間の世界。
先行種族たちが滅びを逃れ、生き延びるために作りあげた狭間の世界そのもの。その狭間の世界をもって天命の世界を覆い、亡道の世界との接触を断つ。
そう。
これこそわしが人の身を捨て、天命の理そのものとなった理由。
わしが人の身を捨てて天命の理となり、千年の間、眠っておったのは、再び亡道の世界との戦いに参加するためではない。天命の世界と亡道の世界を隔てる狭間の世界。その核をわしの身のなかで育てるためじゃった。
天命の世界と亡道の世界とを完全にわけるのではない。
そんなことはできない。
天命の世界と亡道の世界はもともとひとつのものであり、つながっておるのじゃから。もし、そのつながりを完全に断ち切れば、ふたつの世界はもろともに滅びてしまう。存在しつづけるためにはつながりは保たなければならない。そのために――。
狭間の世界という緩衝地帯を設け、一定以上に近づけなくする。
ふたつの世界が重なることがないようにする。
最低限のつながりは残るし、そのつながりを通じて今後も亡道の世界の影響は染み込んでくる。しかし、完全に亡道の世界によって呑み込まれ、滅びることはなくなる。千年に一度の最接近を受けても天命の世界は天命の世界のまま存在できる。滅びの定めはここに覆るのだ!
わしのなかの核はふくれる、ふくれつづける。世界を覆う。ふたつの世界を隔てる狭間の世界は完成した。もう二度と、天命の世界が滅びの定めを迎えることはない。
「これで……すんだのですね、マークスⅡ?」
――その通りじゃ、マークスⅢよ。
「もはや、この世界が亡道の世界に脅かされることはないのですね? 滅びの時を迎えることなく、存在しつづけることができるのですね?」
――その通りじゃ。
「亡道の世界が狭間の世界を破り、侵入しようと試みることはないのですか?」
――それはない。天命の世界と亡道の世界が重なりあうのは単なる自然現象。そこに、いかなる意思もない。亡道の司がこの世界を亡道に呑み込ませようとするのは、亡道の世界が天命の世界に入り込んだとき、その影響を受けて『意思をもつ個人』として秩序立てられるため。亡道の世界そのものにそのような意思はなにもない。わざわざ、狭間の世界を破ろうなどとは決してしない。
「それなら……それなら、もう本当に怖れる必要はないのですね? わたしたちは滅びの時を迎える心配をせずに日々の暮らしを営めるのですね?」
――その通りだ、マークスⅢ。おぬしももはや勇者である必要はない。わしが見せた幻覚の通り、愛する夫と結ばれ、愛する子をもつことができる。誰もが、己の人生を全うできる。それが、わしらの成し遂げたことじゃ!
おうおう、亡道の司め、うろたえておるわ。感じるぞ。大物ぶって超然とした振りをしていても内心、驚き、あわて、脅威さえ感じていることが。
亡道の司のそのようなうろたえ振りを身近に感じるのは実に良い気分じゃ。先ほどは亡道の司が感情をもっていることの残酷さを感じたが……いまは、感情をもっておることに感謝じゃ。
――天命の巫女。お前は自らを天命の曲を奏でる自動人形にかえた。この場にこうして現れるなど出来るはずが……。
亡道の司のその言葉に――。
天命の巫女さまは答えた。
「わたしは千年前にすでに、人間に戻っていましたよ」
――なに⁉
「他ならぬ、賢者マークスⅡによって人間に戻されたのです」
天命の巫女さまはわしを見た。『運命を選びしもの』に特有の覚悟と決意に満ちた視線。けれど、すべてを包み込む優しさと慈愛に満ちた視線。
わしはごく自然に天命の巫女さまの前に跪いておった。貴婦人に対する騎士の礼を取っていた。千歳もとうに越したいまのわしじゃが……このときばかりは、幽霊船の操舵室ではじめてハープをかき鳴らしづける天命の巫女さまのお姿を見たときの少年の心に戻っておった。
「その節はご苦労さまでした、マークスⅡ。あなたの尽力によってわたしは人間に戻ることができました。あなたの勇気と献身には感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました」
「……もったいなきお言葉です、天命の巫女さま」
あふれる涙と共に――。
わしはそう答えておった。
なんという感慨深いことじゃったろう。天命の巫女さまを人間に戻すために奔走した若き日々。人をすて、天命の理となってからの千年を超える年月。そのすべてがいま、報われた。そう思うことが出来た。
「亡道の司よ」
天命の巫女さまは亡道の司に語りかけた。
「千年前のあの日。マークスⅡの尽力によって人間に戻ったわたしは、再び自分自身に天命の理をかけ、ハープを鳴らしつづける役目を負いました。しかし、それは、自動人形に戻ることではなかった。千年の時をかけ、わたしのなかで亡道の世界を退ける新たなる曲を養うため。感じるでしょう? わたしのこの身のなかで『早く生まれ出たい』と、そう熱望し、脈動している曲があることを。いまこそ、この新たなる曲をもってあなたを、亡道の世界を退ける!」
――馬鹿な。そんなことができるものか。我らは亡道の司。亡道の世界そのもの。我らを退けることなど……。
「出来るのです」
――なに……?
「なぜなら、あなたは天命の世界を取り込んだから」
――⁉
「あなたがその身に取り込んだ天命の世界。それが、わたしの奏でる新たな曲と共鳴し、あなたを、すべての亡道のものを内側から破滅させるのです。そして、亡道の世界を退ける」
「くくく……く、く、くくくくく……」
くぐもった笑い声が聞こえた。おかしくておかしくてたまらない。その思いを必死に押し殺している。そんな声。
マークスⅢじゃった。
相棒であるリョキの背にまたがり、鬼骨を手にした今代の勇者が、身を震わせて笑っておった。そして――。
「あはは、あーはっはっはっはっ!」
爆笑した。
勇者が。
リョキが。
決戦兵たちが。
そして、このわしや、ゼッヴォーカーの導師までもが。
その場にいる誰もが笑っておった。おかしくておかしくてたまらぬと爆笑しておった。
何百という爆笑の声がひとつになり、共鳴し、渦となって大広間を埋め尽くした。その声は床と言わず、壁と言わず、天井と言わず、広間全体を揺るがせていた。そして――。
亡道の司は戸惑っておった。
うろたえておった。
わしはそのことをはっきりと感じ取っていた。亡道の司はいま、目の前で起きてることが理解出来ず、うろたえ、おののき、怖れてさえおったのじゃ!
「あははははっ! 無邪気だな、亡道の司! このわたしがお前たちを倒すための主役だなどと、本気で思っていたのか」
――な、なに……?
「きさまらを倒す主役はあくまでも天命の巫女さま。我らは全員、天命の巫女さまが準備を整えるまでの時間を稼ぐための囮に過ぎない」
――ば、馬鹿な。おぬしらはたしかに怖れておったではないか。おののいておったではないか。あれはいったい、なんだったというのだ。
その言葉に――。
ゼッヴォーカーの導師が答えた。
――説明しよう、亡道の司よ。人はあれを『演技』という。
――な、なに?
――説明しよう、亡道の司よ。お前は言ったな。亡道のものは決してかわれぬ。そう決めつけたことこそが我らの過ちだと。だが、我らがそんなことを見落とすと本気で思ったのか?
――な、なんだと?
――説明しよう、亡道の司よ。我らがどれほどの時間と、どれほどの思いを懸けて亡道の世界を研究してきたと思う? 我ら自身がいかに強くなろうとも、それだけではお前たちを退けられぬことはわかっていた。お前たちは我らの変化を取り込み、より強くなる。そのことは最初からわかっていたのだ。
――説明しよう、亡道の司よ。そこで、我々はその特性を利用することにした。お前たちにわざと我々の変化を取り込ませ、天命の要素と混じり合わせる。お前たちの取り込んだ天命の要素に天命の巫女の奏でる曲を共鳴させることでお前たちを破滅させる。そのためにな。
――説明しよう、亡道の司よ。すべては、千年前のあのときから決まっていたのだ。賢者マークスⅡの立てた計画に従い、我々は行動し、そしていま、その計画は成就する!
――説明しよう、亡道の司よ。 怖れ、おののいて見せたのは天命の巫女が準備を整えるまでの間、お前たちの意識を天命の巫女に向けさせぬための演技に過ぎん。
――その通りだ、亡道の司よ。
――騎士マークス……。
――すべては賢者マークスⅡの打ち立てた計画通り。相手の手のひらで踊っていたのはお前たちの方だ。
――もっとも。
騎士マークスの言葉にわしもつづいた。
――まったくの演技、と言うわけでもなかったがの。亡道の司一人ひとりがまったくちがう姿をとるとまではさすがに想定しておらんかった。それを見たときには正直、あせったぞ。これでは、すべての亡道の司に等しく効果を及ぼすことは出来んかも知れん。影響を受けず、生き残るものもいるかも知れん、とな。おかげで演技にも迫真の冴えが出たわい。
かんらかんら、と、わしは笑う。
亡道の司を出し抜き、騙してやったのは実に良い気分じゃった。
天命の巫女さまがつづけられた。
「わたしはもそう思いました。一度は不安に駆られました。ですが、だいじょうぶ。一人ひとりちがうとしてもその身に天命の世界を取り込んでいるのは同じ。ならば、わたしの新たな曲は確実に効果を発揮します。さあ、亡道の司、いえ、すべての亡道のものよ。わたしの曲を受けて退きなさい!」
――お、おおおっ!
亡道の司の悲鳴が響く。
天命の巫女さまがハープをかき鳴らし、千年にわたって養われた曲が世界を包む。
亡道の司が、
亡道の騎士が、
亡道の巨人が、
亡道の魚人が、
亡道の獣が、
亡道の種が……。
すべての亡道のものが滅びの時を迎えておった。その身に取り込んだ天命の要素が天命の巫女さまの曲と共鳴を起こすことで、存在そのものを内側から破壊していくのじゃ。
「マークスⅡ、いまこそ!」
――はっ!
天命の巫女さまの言葉に――。
わしは答えた。
――ゼッヴォーカーの導師よ。
――うむ。
――メルデリオの魔術士よ。
――イルキュルスの予言者よ。
――カーバッソの鋼打ちよ。
――ゴルゼクウォの力士よ。
――ハイシュリオスの戦士よ。
――ミスルセスの女帝よ。
――カーンゼリッツの学士よ。
――いまこそ、滅びの定めを覆すとき! 我がもとに来たれ!
『鏡』に入ったすべての先行種族がわしのまわりに集う。すべての『鏡』から先行種族の力が放たれ、わしの身に集中する。その力はわしのなかに飛び込み、千年の時をかけてわしのなかで養われてきた天命の理へと注がれる。
わしのなかの天命の理がふくれあがる。
大きく、大きく、どこまでも、この天命の世界そのものを覆い尽くすまで。
それは、狭間の世界。
先行種族たちが滅びを逃れ、生き延びるために作りあげた狭間の世界そのもの。その狭間の世界をもって天命の世界を覆い、亡道の世界との接触を断つ。
そう。
これこそわしが人の身を捨て、天命の理そのものとなった理由。
わしが人の身を捨てて天命の理となり、千年の間、眠っておったのは、再び亡道の世界との戦いに参加するためではない。天命の世界と亡道の世界を隔てる狭間の世界。その核をわしの身のなかで育てるためじゃった。
天命の世界と亡道の世界とを完全にわけるのではない。
そんなことはできない。
天命の世界と亡道の世界はもともとひとつのものであり、つながっておるのじゃから。もし、そのつながりを完全に断ち切れば、ふたつの世界はもろともに滅びてしまう。存在しつづけるためにはつながりは保たなければならない。そのために――。
狭間の世界という緩衝地帯を設け、一定以上に近づけなくする。
ふたつの世界が重なることがないようにする。
最低限のつながりは残るし、そのつながりを通じて今後も亡道の世界の影響は染み込んでくる。しかし、完全に亡道の世界によって呑み込まれ、滅びることはなくなる。千年に一度の最接近を受けても天命の世界は天命の世界のまま存在できる。滅びの定めはここに覆るのだ!
わしのなかの核はふくれる、ふくれつづける。世界を覆う。ふたつの世界を隔てる狭間の世界は完成した。もう二度と、天命の世界が滅びの定めを迎えることはない。
「これで……すんだのですね、マークスⅡ?」
――その通りじゃ、マークスⅢよ。
「もはや、この世界が亡道の世界に脅かされることはないのですね? 滅びの時を迎えることなく、存在しつづけることができるのですね?」
――その通りじゃ。
「亡道の世界が狭間の世界を破り、侵入しようと試みることはないのですか?」
――それはない。天命の世界と亡道の世界が重なりあうのは単なる自然現象。そこに、いかなる意思もない。亡道の司がこの世界を亡道に呑み込ませようとするのは、亡道の世界が天命の世界に入り込んだとき、その影響を受けて『意思をもつ個人』として秩序立てられるため。亡道の世界そのものにそのような意思はなにもない。わざわざ、狭間の世界を破ろうなどとは決してしない。
「それなら……それなら、もう本当に怖れる必要はないのですね? わたしたちは滅びの時を迎える心配をせずに日々の暮らしを営めるのですね?」
――その通りだ、マークスⅢ。おぬしももはや勇者である必要はない。わしが見せた幻覚の通り、愛する夫と結ばれ、愛する子をもつことができる。誰もが、己の人生を全うできる。それが、わしらの成し遂げたことじゃ!
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