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第一部 はじまりの伝説
八章 たったひとりの人類大戦
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「亡道の……司」
マークスは呻いた。
その顔は『信じられないものを見た』ときの人間の表情の見本。そう言いたくなるものだった。目は見開き、汗が流れ、全身が小刻みに震えている。ふたつの拳は知らすしらず力いっぱいに握られていた。
「なぜだ、なぜ、きさまがいる⁉ きさまはあのとき、確かに倒したはずだ!」
そうだ。
そうでなければいけない。
亡道の司が倒れていなければあの戦いはいったい、なんだったのか。何百万という兵士たちはなんのために死んでいったのか。
亡道の司が生きている。
マークスにとってそれは、とうてい受け入れられないことだった。
現実から目をそらす。
いつだって勇敢で誠実だった騎士マークス。そのマークスがそんな思いに駆られたのは人生ではじめてのことだった。
そんなマークスに亡道の司は静かに言った。
「愚かな。我に死などあると思うか」
「な、なんだと?」
「そも、お前たち、天命のものは亡道を知らぬ。亡道のものを知らぬ。亡道にいかなる区別もない。生も死もない。故に、死ぬことなどない。永遠の存在なのだ」
亡道の司が右手――亡道の司に人間の体の呼び名が当てはまるとすれば、だけど――をあげた。五本の指がマークスに向けられた。
ハッ、と、マークスは直感した。
突然、亡道の司の指が伸びた。五本の指が神速で飛ぶ槍と化してマークスを襲った。
マークスは剣の束に手をかけ、抜き放った。
物心つく前から握っていた剣。
亡道の司を倒し、世界を守る。その一心で磨き抜いた剣。
王国を出奔してからも常に振るいつづけたその剣技。
それは、歳老いたいまでも決して衰えてはいなかった。それでも――。
とっさの出来事に対する反射神経はさすがに鈍っていた。
三本。
亡道の司の指を三本まではなんとか剣を振るって弾くことが出来た。だけど、親指と小指。両端にある二本の指までは防ぐことが出来なかった。その二本の指の爪先が巨大なハチの針みたいにマークスの肩に突き刺さった。
「グッ……」
マークスが呻いた。よろめいた。異界のものに身を傷つけられる痛み。それはまるで、自分の肉のなかに直接、酸を入れられるようなもの。傷口がブスブスと泡立ち、痛みと、それを越える熱さとが襲ってくる。
傷口は異界に侵食され、変質していく。それは――目には見えないほどゆっくりと、だけど――徐々に広がっていき、やがてはマークスの全身を異界のものへとかえる。
傷の痛みにマークスは膝を折りそうになった。騎士としての意地と誇りに懸けて持ちこたえた。脚に力を込めてまっすぐに立ち、剣の切っ先を亡道の司に向けた。
歳老い、傷つこうと、マークスはあくまでも騎士だった。
そんなマークスに向かい、亡道の司は嘲りの声を出した。
「老いたな、マークス」
「なに……?」
「かつて、我と戦ったときのお前であればこの程度の攻撃、難なく防いでいたろうにな。歳老いたばかりにその様だ。まこと、天命のものとは惨めなものよ。限られた時のなかで歳老い、衰え、死んでゆく。どうだ、マークスよ。そのような不自由な世界とは別れ、亡道のものとなる気はないか?」
「なんだと?」
「お前自身、よくわかっていよう。あの頃と比べ、自分がいかに歳老い、衰え、醜く、弱々しい存在になったかを。亡道のものとなればそのような時のしがらみに縛られることはない。永遠にかわることのない存在として、在りつづけることができる。
どうだ、マークスよ。あの頃の力を取り戻したくはないか? 亡道のものとなればそれができる。永遠にかわることなく存在できるのだぞ?」
「永遠にかわらないだと? この城の外にうごめく動く死体となってか?」
「『動く死体』などお前たち天命のものの勝手な言い分。あれは生と死の区別のない状態。すべてが混じり合った状態なのだ。あの姿であれば死ぬことはない。衰えることもない。永遠にかわることのない存在でありつづけることができる」
「死ぬこともない、か。ならば、生きているとも言えないな」
「あの戦いで死んだ兵士たち。蘇らせたくはないか?」
「なに⁉」
思わぬ亡道の司の言葉に――。
マークスは思わず叫んだ。
「あの戦いでどれほどの人間が死んだ? 我ひとりを倒すためだけにとれほどの犠牲を出した? お前たちはそれでよいのか? 自分が生き残るためにあれほどの犠牲を出して、それで、のうのうとしていられるのか?」
「黙れ! きさまがこの世界に来たりしなければ、誰も犠牲になどならずにすんだんだ!」
「我に突撃して死ね。そう指示したのはお前だ」
「グッ……」
亡道の司の言葉は確かにマークスの急所をついた。
あの戦いから数十年。マークスは一度だって多くの兵士たちを死なせた罪悪感から解放されることなんてなかったのだから。
亡道の司はつづけた。
「だが、我ならば死んだ人間たちを蘇らせることが出来る。それどころか、あの戦いそのものをなかったこととし、ひとりの犠牲も出ないようにすることもできるのだぞ」
「なんだと⁉ あの戦いをなかったことに……本当に、そんなことができるというのか?」
「むろん。亡道の司の名にかけて嘘など言わぬ。亡道に生も死もない。同様に、過去も未来もない。この世界が亡道に染まれば時の順序など無意味。すべての過去とすべての未来が重なり合い、ひとつの時として混じり合う。その状態ならば過去に起きたことをかえるなどいともたやすいこと。あの戦いをなかったことにするなど簡単なことだ」
「本当に……本当に、あの戦いをなかったことにできるのか?」
「出来る」
「誰も……兵士たちの誰ひとり、死ななかったことにできるのか?」
「そうだ」
「本当に?」
「むろん」
「そうか」
と、マークスは手にした剣を降ろしながら息をついた。
「それができれば。
これまでの人生で何度、そう思ったか知れん。あの戦いで失われた何百万という生命。何百万という人生。その人生が残ることで生まれるはずだったさらに多くの生命と人生。そのすべてが失われてしまった。もし……もし、それを取り戻すことが出来るならどんな代償を支払っても惜しくはない。そう思ってきた」
その言葉の意味は僕にはよくわかった。マークスの記憶に共鳴し、マークスの記憶のすべてを見ている僕には。
この何十年もの間、死んでいった兵士たちと再会する夢を見ては喜びのなかで目を覚まし、それが夢であることに気付いて絶望の涙を流す。
そんなことを何度、繰り返してきたかわからない。マークスの抱えてきた悲しみと罪の意識。それを知るだけに僕は、マークスがなんと答えるかにハラハラしていた。心臓を直接、ギュッと握りしめられるような息苦しさを覚えていた。
亡道の司がさらに言った。
「ならば、話は簡単ではないか。亡道のものとなれ、マークス。さすれば、この亡道の司。その銘にかけて、死んでいったすべての兵士を蘇らせよう。もはや死ぬことのない新たな存在としよう。
これほど素晴らしいことはないではないか。万物が『死』から解放された世界が出来上がるのだ。それこそ、お前たち人間の究極の願望であろう。そこになんの問題がある? 亡道のものの姿は確かに、お前たちには異様なものとして映るであろう。だが、それは、お前たちが天命のものであるからだ。亡道のものとなれば、あの姿こそが自然。当たり前のものとなる。異様さなど誰も感じなくなる。皆が同じ姿であれば、誰も気にかけたりはせん。なんの問題もないではないか」
「なるほど。それは確かに魅力的だ。死んでいった兵士たちが蘇るとなれば、おれとしてはその誘惑には逆らえないな……」
ギッ、と、マークスは目を見開いた。
「だが、断る!」
いいぞ!
それでこそマークス!
「すべての兵士たちは、きさまからこの世界を守るために死んでいった! この世界をきさまのものとしないために死んでいったんだ! それなのに、いくらかの人たちを蘇らせるためとは言え、きさまにこの世界を売り渡すなど……そんなことは死んでいった兵士たちへの裏切り! そんなことは決してせん! たとえ、『世界の半分をやろう』と言われようと……きさまに、この世界の一欠片でも渡しはせん!」
「……愚かな。自ら時に縛られ、歳老い、衰え、死に逝く定めを選ぶと言うのか」
「確かに、人間は歳老い、衰え、死んでいく。だが、だからこそ、成長がある。おれが歳老い、死んでいこうとも、その跡を継ぐ人間は必ず現れる。次の世代が思いを引き継ぐことで人類は成長していく。個々の人間は死のうとも、人類という種は無限に成長をつづける。そして、いつかは、永遠にかわらぬ存在であるきさまなど、足元にも及ばぬ高みへと至る! それが、人類というものだ。その証拠をいま、見せてやる!」
マークスは懐からひとつの小瓶を取り出した。小瓶の蓋を取り、中身の液体を亡道の司目がけて振りまいた。
「……これは」
はじめて――。
亡道の司の声に『動揺』と言っていい響きが生まれた。
ブスブスと、液体のかかった亡道の司の部分から煙があがっていた。小さな点がジワジワと広がり、亡道の司の身を侵食していた。今度は亡道の司こそが異界に侵食される側になったんだ。
マークスは叫んだ。
「この数十年、人類がなんの進歩もないと思ったか! きさまによって変質させられた世界。その世界をもとに戻すため、世界中の人間が異界の解明に取り組み、浄化するための術を見つけようと尽力してきた。その液体もそのひとつ。異界の侵食を防ぎ、浄化するための天命薬だ。異界そのものであるきさまには致命傷となる! そして……」
マークスは剣を構えた。
叫んだ。
「忘れるな! 天命の巫女さまの曲はいまも世界を覆っているのだ!」
天命の巫女さまの奏でつづける曲と共に――。
マークスは走った。
あの頃のような速さも力強さもない。それでも、いまのマークスに出来る最大の力と速さで亡道の司に突撃した。力任せに剣を突き立てた。
「おおおっ!」
裂帛の気合いと共に――。
マークスは剣を振るった。
亡道の司の身が半分にちぎれ、そのまま空気のなかに溶け込むように消えていった。
あとには静けさだけが残された。
――夢だったのか?
マークスが思わずそう疑うほど、なにも残っていなかった。
夢ではない証拠にマークスの両肩につけられた傷はいまもブスブスと泡立っている。
マークスはそっとその傷口にふれた。
「……死んでいった兵士たちを蘇らせることが出来る。本当に……断ってよかったのか?」
そう呟き、うなだれるマークスの顔が光に照らされた。
顔をあげた。マークスの眼前。そこに――。
大きな光の門が現れていた。
マークスは呻いた。
その顔は『信じられないものを見た』ときの人間の表情の見本。そう言いたくなるものだった。目は見開き、汗が流れ、全身が小刻みに震えている。ふたつの拳は知らすしらず力いっぱいに握られていた。
「なぜだ、なぜ、きさまがいる⁉ きさまはあのとき、確かに倒したはずだ!」
そうだ。
そうでなければいけない。
亡道の司が倒れていなければあの戦いはいったい、なんだったのか。何百万という兵士たちはなんのために死んでいったのか。
亡道の司が生きている。
マークスにとってそれは、とうてい受け入れられないことだった。
現実から目をそらす。
いつだって勇敢で誠実だった騎士マークス。そのマークスがそんな思いに駆られたのは人生ではじめてのことだった。
そんなマークスに亡道の司は静かに言った。
「愚かな。我に死などあると思うか」
「な、なんだと?」
「そも、お前たち、天命のものは亡道を知らぬ。亡道のものを知らぬ。亡道にいかなる区別もない。生も死もない。故に、死ぬことなどない。永遠の存在なのだ」
亡道の司が右手――亡道の司に人間の体の呼び名が当てはまるとすれば、だけど――をあげた。五本の指がマークスに向けられた。
ハッ、と、マークスは直感した。
突然、亡道の司の指が伸びた。五本の指が神速で飛ぶ槍と化してマークスを襲った。
マークスは剣の束に手をかけ、抜き放った。
物心つく前から握っていた剣。
亡道の司を倒し、世界を守る。その一心で磨き抜いた剣。
王国を出奔してからも常に振るいつづけたその剣技。
それは、歳老いたいまでも決して衰えてはいなかった。それでも――。
とっさの出来事に対する反射神経はさすがに鈍っていた。
三本。
亡道の司の指を三本まではなんとか剣を振るって弾くことが出来た。だけど、親指と小指。両端にある二本の指までは防ぐことが出来なかった。その二本の指の爪先が巨大なハチの針みたいにマークスの肩に突き刺さった。
「グッ……」
マークスが呻いた。よろめいた。異界のものに身を傷つけられる痛み。それはまるで、自分の肉のなかに直接、酸を入れられるようなもの。傷口がブスブスと泡立ち、痛みと、それを越える熱さとが襲ってくる。
傷口は異界に侵食され、変質していく。それは――目には見えないほどゆっくりと、だけど――徐々に広がっていき、やがてはマークスの全身を異界のものへとかえる。
傷の痛みにマークスは膝を折りそうになった。騎士としての意地と誇りに懸けて持ちこたえた。脚に力を込めてまっすぐに立ち、剣の切っ先を亡道の司に向けた。
歳老い、傷つこうと、マークスはあくまでも騎士だった。
そんなマークスに向かい、亡道の司は嘲りの声を出した。
「老いたな、マークス」
「なに……?」
「かつて、我と戦ったときのお前であればこの程度の攻撃、難なく防いでいたろうにな。歳老いたばかりにその様だ。まこと、天命のものとは惨めなものよ。限られた時のなかで歳老い、衰え、死んでゆく。どうだ、マークスよ。そのような不自由な世界とは別れ、亡道のものとなる気はないか?」
「なんだと?」
「お前自身、よくわかっていよう。あの頃と比べ、自分がいかに歳老い、衰え、醜く、弱々しい存在になったかを。亡道のものとなればそのような時のしがらみに縛られることはない。永遠にかわることのない存在として、在りつづけることができる。
どうだ、マークスよ。あの頃の力を取り戻したくはないか? 亡道のものとなればそれができる。永遠にかわることなく存在できるのだぞ?」
「永遠にかわらないだと? この城の外にうごめく動く死体となってか?」
「『動く死体』などお前たち天命のものの勝手な言い分。あれは生と死の区別のない状態。すべてが混じり合った状態なのだ。あの姿であれば死ぬことはない。衰えることもない。永遠にかわることのない存在でありつづけることができる」
「死ぬこともない、か。ならば、生きているとも言えないな」
「あの戦いで死んだ兵士たち。蘇らせたくはないか?」
「なに⁉」
思わぬ亡道の司の言葉に――。
マークスは思わず叫んだ。
「あの戦いでどれほどの人間が死んだ? 我ひとりを倒すためだけにとれほどの犠牲を出した? お前たちはそれでよいのか? 自分が生き残るためにあれほどの犠牲を出して、それで、のうのうとしていられるのか?」
「黙れ! きさまがこの世界に来たりしなければ、誰も犠牲になどならずにすんだんだ!」
「我に突撃して死ね。そう指示したのはお前だ」
「グッ……」
亡道の司の言葉は確かにマークスの急所をついた。
あの戦いから数十年。マークスは一度だって多くの兵士たちを死なせた罪悪感から解放されることなんてなかったのだから。
亡道の司はつづけた。
「だが、我ならば死んだ人間たちを蘇らせることが出来る。それどころか、あの戦いそのものをなかったこととし、ひとりの犠牲も出ないようにすることもできるのだぞ」
「なんだと⁉ あの戦いをなかったことに……本当に、そんなことができるというのか?」
「むろん。亡道の司の名にかけて嘘など言わぬ。亡道に生も死もない。同様に、過去も未来もない。この世界が亡道に染まれば時の順序など無意味。すべての過去とすべての未来が重なり合い、ひとつの時として混じり合う。その状態ならば過去に起きたことをかえるなどいともたやすいこと。あの戦いをなかったことにするなど簡単なことだ」
「本当に……本当に、あの戦いをなかったことにできるのか?」
「出来る」
「誰も……兵士たちの誰ひとり、死ななかったことにできるのか?」
「そうだ」
「本当に?」
「むろん」
「そうか」
と、マークスは手にした剣を降ろしながら息をついた。
「それができれば。
これまでの人生で何度、そう思ったか知れん。あの戦いで失われた何百万という生命。何百万という人生。その人生が残ることで生まれるはずだったさらに多くの生命と人生。そのすべてが失われてしまった。もし……もし、それを取り戻すことが出来るならどんな代償を支払っても惜しくはない。そう思ってきた」
その言葉の意味は僕にはよくわかった。マークスの記憶に共鳴し、マークスの記憶のすべてを見ている僕には。
この何十年もの間、死んでいった兵士たちと再会する夢を見ては喜びのなかで目を覚まし、それが夢であることに気付いて絶望の涙を流す。
そんなことを何度、繰り返してきたかわからない。マークスの抱えてきた悲しみと罪の意識。それを知るだけに僕は、マークスがなんと答えるかにハラハラしていた。心臓を直接、ギュッと握りしめられるような息苦しさを覚えていた。
亡道の司がさらに言った。
「ならば、話は簡単ではないか。亡道のものとなれ、マークス。さすれば、この亡道の司。その銘にかけて、死んでいったすべての兵士を蘇らせよう。もはや死ぬことのない新たな存在としよう。
これほど素晴らしいことはないではないか。万物が『死』から解放された世界が出来上がるのだ。それこそ、お前たち人間の究極の願望であろう。そこになんの問題がある? 亡道のものの姿は確かに、お前たちには異様なものとして映るであろう。だが、それは、お前たちが天命のものであるからだ。亡道のものとなれば、あの姿こそが自然。当たり前のものとなる。異様さなど誰も感じなくなる。皆が同じ姿であれば、誰も気にかけたりはせん。なんの問題もないではないか」
「なるほど。それは確かに魅力的だ。死んでいった兵士たちが蘇るとなれば、おれとしてはその誘惑には逆らえないな……」
ギッ、と、マークスは目を見開いた。
「だが、断る!」
いいぞ!
それでこそマークス!
「すべての兵士たちは、きさまからこの世界を守るために死んでいった! この世界をきさまのものとしないために死んでいったんだ! それなのに、いくらかの人たちを蘇らせるためとは言え、きさまにこの世界を売り渡すなど……そんなことは死んでいった兵士たちへの裏切り! そんなことは決してせん! たとえ、『世界の半分をやろう』と言われようと……きさまに、この世界の一欠片でも渡しはせん!」
「……愚かな。自ら時に縛られ、歳老い、衰え、死に逝く定めを選ぶと言うのか」
「確かに、人間は歳老い、衰え、死んでいく。だが、だからこそ、成長がある。おれが歳老い、死んでいこうとも、その跡を継ぐ人間は必ず現れる。次の世代が思いを引き継ぐことで人類は成長していく。個々の人間は死のうとも、人類という種は無限に成長をつづける。そして、いつかは、永遠にかわらぬ存在であるきさまなど、足元にも及ばぬ高みへと至る! それが、人類というものだ。その証拠をいま、見せてやる!」
マークスは懐からひとつの小瓶を取り出した。小瓶の蓋を取り、中身の液体を亡道の司目がけて振りまいた。
「……これは」
はじめて――。
亡道の司の声に『動揺』と言っていい響きが生まれた。
ブスブスと、液体のかかった亡道の司の部分から煙があがっていた。小さな点がジワジワと広がり、亡道の司の身を侵食していた。今度は亡道の司こそが異界に侵食される側になったんだ。
マークスは叫んだ。
「この数十年、人類がなんの進歩もないと思ったか! きさまによって変質させられた世界。その世界をもとに戻すため、世界中の人間が異界の解明に取り組み、浄化するための術を見つけようと尽力してきた。その液体もそのひとつ。異界の侵食を防ぎ、浄化するための天命薬だ。異界そのものであるきさまには致命傷となる! そして……」
マークスは剣を構えた。
叫んだ。
「忘れるな! 天命の巫女さまの曲はいまも世界を覆っているのだ!」
天命の巫女さまの奏でつづける曲と共に――。
マークスは走った。
あの頃のような速さも力強さもない。それでも、いまのマークスに出来る最大の力と速さで亡道の司に突撃した。力任せに剣を突き立てた。
「おおおっ!」
裂帛の気合いと共に――。
マークスは剣を振るった。
亡道の司の身が半分にちぎれ、そのまま空気のなかに溶け込むように消えていった。
あとには静けさだけが残された。
――夢だったのか?
マークスが思わずそう疑うほど、なにも残っていなかった。
夢ではない証拠にマークスの両肩につけられた傷はいまもブスブスと泡立っている。
マークスはそっとその傷口にふれた。
「……死んでいった兵士たちを蘇らせることが出来る。本当に……断ってよかったのか?」
そう呟き、うなだれるマークスの顔が光に照らされた。
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