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第一部 はじまりの伝説
五章 人類への責任か、巫女への恩義か
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マークスは忙しい日々を送っていた。
亡道の司は滅んだけど、この世界にはまだまだ異界からやってきた亡道の種たちが多く残っていた。亡道の種もまた、存在することによってこの世界を異界へと変質させる。放置しておくわけには行かなかった。最後の一体まで、討伐し尽くさなければならなかった。
そして、なによりも、亡道の司の存在によって変質させられてしまった世界を元に戻さなくてはならなかった。異界に汚染され、変わり果ててしまった空気を、水を、土を浄化し、腐りはてた体を引きずる動く死体とされてしまった動物たちを『ごめん!』と心のなかで謝りながら焼き払う。
そうして浄化したあとに草木を植え、新しい鳥や動物たちをはなしていく。
人の手で戻していくにはあまりにも広すぎる世界。それでも――。
人々は文句ひとつ言わずに黙々とその作業をやりつづけた。
その姿に僕は涙をこらえきれなかった。
この時代の人たちは亡道の司を倒しただけじゃない。亡道の司によって変質させられてしまった世界を一歩いっぽ、それこそ何百年もかけて元に戻してきたんだ。
僕たち子孫のために。
顔も知らない遠いとおい未来の世代のために。
僕たちがいま、豊かな自然のなかで生きていられるのもこの人たちのおかげ。もし、この人たちがあきらめてしまっていれば、僕たちもまた異界の跡が残る変質させられた世界で生きていかなくてはならないところだった。この時代の人たちがあきらめることなく世界の復旧に取り組んでくれたからこそ、僕たちは亡道の種に襲われることも、異界の影響を受けることもなく暮らしていられる。
――ありがとうございます。
僕は思わず頭をさげていた。
――あなたたちが守り、元に戻してくれたこの世界、今度は僕たちが守っていきます。
僕はそう誓わずにはいられなかった。
千年前の、苦難に立ち向かったすべての人々に対して。
そして、各地に先遣隊を派遣して調査を行い、復旧のための人員をそろえ、護衛のための騎士を選び、復旧隊を目的地に運ぶための船や馬車の用意をし、必要となる水や食糧、復旧のために必要な道具その他を用意する……それらの指示を一手に担っていたのが、正式に騎士団長となったマークスだった。
それは、単なる一王国の騎士団長なんかじゃない。
全人類の騎士団長だった。
亡道の司との戦いで壊滅的な打撃を受けた人類の軍勢。国単位で動いていてはまともな数の兵士をそろえられない。それでは、亡道の種の討伐も、世界の復旧も満足に進まない。
そこで、残されたすべての騎士・兵士たちをひとつの組織にまとめ、全人類共通の騎士団として編成した。
それが、人類騎士団。
その人類騎士団の団長となるのはもちろん、亡道の司退治の立役者マークスをおいて他にいなかった。
実のところこの時代、世界最大最強の権力者はマークスその人だった。国王がどんなに権力をもっていると言ってもしょせん、自分の国のなかだけのこと。他の国にまでああしろ、こうしろと指図できるわけじゃない。
でも、マークスならそれができた。人類のもつあらゆる軍事力をその手に握り、復旧のための全権を委任された人類騎士団の団長になら。
マークスはその気になりさえすればすべての国の国王に協力を要請することが出来た。『要請』と言っても実際は『命令』そのものだ。だって、すべての軍事力を握るマークスに逆らえる国王なんているわけがないんだから。
このときのマークスは事実上、世界の支配者だった。
その気になりさえすればいつでも外面を実態に合わせることだって出来た。世界中の王の首を刎ね、ただひとりの支配者として君臨することが出来たんだ。
そのことを怖れ、マークスを警戒する人たちもいた。
でも、同時に『亡道の司退治の勇者であり、高潔な騎士であるマークスこそ全人類の王にふさわしい!』として、マークスがその実態にふさわしい地位に就くことを望んでいた人たちもいた。
マークスの態度次第では全人類が真っ二つにわかれて大戦争に突入する……そんな危険さえあった。でも――。
マークスは決して自分の力に驕ることはなかった。すべての国王に対して進んで膝を折り、礼を尽くした。各国の政には決して手を出さず、口も出さず、『騎士団長』としての職務だけに自分の役割を限定していた。
その態度が『地位に驕ることなく常に謙虚に振る舞う』としてマークスの声望をさらに高めた。
亡道の司退治の勇者。
そして、復旧のための比べるもののない巨大な業績。
それらが加わってマークスは世界で一番の『評価され、賛辞される人間』になっていた。いつだって、自分を褒め称え、勇者と呼び、英雄と崇める人たちに包まれていたんだ。
でも、マークスを褒め称える人たちの誰も知らなかった。自分たちが賛辞の声を送るつど、マークスがどれだけ苦しんでいたかを。
――ちがう、ちがう、ちがう! おれは勇者なんかじゃない。英雄なんかじゃないんだ! おれはただの人殺しだ。何百万という兵士たちを亡道の司に突撃させ、見殺しにした。それでいて自分ひとり生き残った卑怯者なんだ!
マークスの記憶と共鳴している僕には、マークスのその思いが痛いほどにわかった。まるで、自分自身の思いであるように胸が苦しい。
何百万という兵士に『死ね!』と命令しておきながら、自分は生き残った。
そのことはマークスの心にとてつもなく重い罪悪感となってのしかかっていた。
マークスを褒め称える人たちの誰ひとりとして、そのことに気がつきはしなかったんだ。
マークスのその思いがなによりも強くなるのは王都に帰ったとき。天命の巫女の奏でる天命の曲を聞くときだった。
亡道の司は倒れた。
マークスがその剣で滅ぼした。それなのに――。
天命の巫女さまはもとの人間に戻ることはなかった。
来る日も来る日もハープをかき鳴らし、天命の曲を奏でつづけていた。王宮の最上階。そこに『安置』されたまま。
その曲を聴くたびにマークスの心は罪悪感に押しつぶされた。天命の巫女を犠牲にして生き残った自分を責めつづけた。
その思いとてつもなく激しいもので、僕ならとても耐えきれずに自殺していただろう。そう思えるほどのものだった。
でも、マークスは踏みとどまった。その罪悪感に必死に耐えていた。マークスにその力を与えたもの。それもまた天命の巫女さま。天命の巫女さまに対する騎士としての責任感だった。
マークスは激務の合間を縫ってついに国王に詰め寄った。
「陛下! いったいいつまで、天命の巫女さまにあのような辱めを与えておくおつもりなのですか⁉」
その弾劾に――。
国王は思いきり顔をしかめた。
「人聞きの悪いことを言うでない。誰も天命の巫女どのを辱めてなどおらん」
「あのように置物のごとく放置しておいてですか⁉ 天命の巫女さまは置物でも、人形でもありません。れっきとした人間なのですよ⁉」
「それはわかっておる。しかし……」
国王は苦り切った表情で口ごもった。
「『しかし』なんだと言うのです⁉」
マークスは一歩、詰め寄った。国王が怯えたように身じろぎした。国王の御前と言うことでさすがに武器はもっていない。それでも、マークスが激昂すれば国王の首ぐらい素手で簡単に引きちぎることが出来る。国王が思わず怯えたのも当たり前だ。
「そ、そのことに関してはだな。天命宮の天詠みから聞いてもらったほうが……」
「天命宮の天詠み……?」
マークスは聞き返した。
そのとき、わざわざ大きな足音を立てて宰相がやってきた。
「陛下。カルヴァラ王国の大使閣下がご到着なさいました」
国王は露骨に『助かった!』という顔をした。
「お、おお、そうか、そうであったな。今日はカルヴァラ王国の大使との面談があったのだったな。と言うわけじゃ、マークス。余はこれで失礼する。亡道の種退治のほうは任せるぞ」
国王はそう言うとそそくさとその場をあとにした。まさに『逃げ出す』という表現がぴったりの振る舞いだった。
マークスは誰にも聞こえないように小さく舌打ちした。マークスほど徳の篤い高潔な人物でなかったら床に唾ぐらい吐いていただろう。
マークスはその足で天命宮に向かった。
そこには国中から天命の理に秀でた人材が集められ日々、研究に励んでいる。この世のあらゆる存在の天命に干渉し、望み通りの結果を得られるという天命の理の研究に。責任者である最年長の天詠みを捕まえて問い質した。
「なぜ、天命の巫女さまをいつまでもあのままにしておくのです⁉ どうして、天命の巫女さまが自らにかけた天命の理を解いてあげないのですか⁉」
「う、うむ、それはだな……」
「なんです⁉」
「……出来ないのだ」
「はっ? なんですって?」
「だから、出来ないのだ。天命の巫女が自らにかけた天命の理を解くことは……」
「どういうことです⁉」
「痛い! つかまんでくれ。おぬしの力で握られたら、わしの腕なんぞ骨まで粉々になってしまうぞ」
「……し、失礼しました。つい、興奮してしまって」
マークスは天詠みから手をはなし、非礼を詫びた。でも、問い質すことをやめる気はなかった。
「しかし、どういうことなのです? 天命の巫女さまの天命の理を解くことが出来ないとは。教えていただきたい」
天詠みは国王以上に苦りきった表情で答えた。
「言ったとおりの意味じゃよ。天命の巫女が自らにかけた天命の理はきわめて特殊なものでな。文字通り、一時も休むことなく天命の曲を奏でつづけられるよう、古今東西のあらゆる天命の理からそのエッセンスを抽出し、さらにそこに天命の巫女自身のオリジナルの天命の理をも加味しておる。この世でただひとりの天命の巫女がおのれのすべての才と力を傾けて作りあげた唯一無二の天命の理なんじゃ。わしらにはその天命の理を解くことも、解析することすらも出来ん。わしらではどうやっても天命の巫女が自らにかけた天命の理を解くことは出来んのじゃ」
いや、もちろん、わしらとて天命の巫女を助けるべく、研究はしておるのじゃぞ、研究は。
天詠みは言い訳がましくそう言った。
「そんな……それでは、天命の巫女さまは永遠にあのままだと言うのですか⁉ 人間に戻ることも出来ず、天命の曲を奏でつづける自動人形のまま。自らを犠牲にして守ったこの世界を見ていただくことすら出来ないと言うのですか⁉」
「う、うむ、実はな。ひとつだけ、可能性がないこともないのじゃが……」
「それはなんです⁉」
マークスは再び天詠みに詰め寄った。
「ヒッ」と、小さな悲鳴をあげて天詠みが後ずさった。
マークスはもう一度、頭をさげて、自分の非礼を詫びた。
「失礼しました。あなたに危害を加えるつもりはないのです。ですが、どうかその『可能性』について教えていただきたい」
「うむ……。実はの。この世界には天詠みの島と呼ばれる場所がある……と、言われておる」
「天詠みの島?」
「いや、あくまで『あると言われている』だけじゃぞ。そんな島が実際にあるかどうかは知らん。なにしろ、わしの知る限り実際にその島にたどり着いたものは誰もおらんのじゃからな。しかし、その島には神代の時代から伝えられた天命の理が残されていると言う。その島にたどり着くことが出来たなら、もしかしたら……」
「天詠みの島……」
天詠みの島。
その名前はマークスの頭のなかにくっきりと刻み込まれた。
――天詠みの島。天詠みの島へ行けば天命の巫女さまを人間に戻せるかも知れない。
相変わらずの殺人的な業務をこなしながら、マークスの頭のなかからその思いがはなれることはなかった。仕事からはなれるとすぐにひとりになり、ふさぎ込むようになった。
そんなマークスの態度に、婚約者として共に業務に励んでいる第一王女サライサが苛立った声をあげた。
「マークスさま。最近はなにやらふさぎ込んでいるご様子。なにか心配事でもおありですか?」
「サライサ殿下。いえ、心配事というわけでは……」
「ごまかさないで! 聞いております。天詠みの島のことでしょう」
「それは……」
「わたしも天命宮において学んだ身。天詠みの島の言い伝えについては存じております。まさか、マークスさま。天詠みの島を探しに旅立とうなどと考えておられるのではないでしょうね?」
「殿下。我々、人類はすべからく天命の巫女さまに恩義があるのです。その天命の巫女さまをあのままにしておくなど、騎士として……」
「マークスさま! たしかに、我々は天命の巫女さまに恩があります。ですが、それも過去の話。これから先に必要なのは世界の復旧です。そのためには膨大な人手が必要であり、それをまとめあげ、指揮することが出来るのはあなたしかいないのですよ」
「それはわかっております。しかし……」
「わかっておいでなら、まずはその責任を全うなさいませ。天命の巫女ただひとりに対する責任よりも、全人類に対する責任を。天詠みの島に関しては国王となったあと、調査隊を派遣すれば良いではありませんか。どうせ、天命の巫女さまの時は止まったまま。千年でも、二千年でも、あの姿のまま天命の曲を奏でつづけるのです。急ぐ必要などどこにもないではありませんか」
「それはそうかも知れません。しかし、殿下……」
「やめて! 敬語も敬称もつけないで! わたしはあなたの妻となる身なのですよ。妻として扱ってください!」
婚約者であるお姫さまの言葉に――。
マークスはギュッと拳を握りしめた。
――殿下の仰ることもわかる。確かに、亡道の司が倒れたとは言え世界の復旧まではまだまだ遠い。それなのに、復旧に励む人たちを見捨て、自分ひとり望みを追うなど騎士としてあるまじき振る舞い。しかし……しかし、それなら、自らを犠牲にこの世界を救ってくれた天命の巫女さまに対してはどうなのだ? 天命の巫女さまをそのままにしておくことは騎士としてふさわしい振る舞いだと言えるのか?
天命の巫女さまへの恩を返すためにすべてを捨てて天詠みの島を目指すべきなのか。
それとも、世界中の人々に対する責任を果たすためにこの場にとどまり、復旧の指揮をつづけるべきなのか。
マークスにとっても答えの出ない問題だった。
マークスは来る日も来る日も悩みつづけた。
そして、数年の時がたった。
亡道の司は滅んだけど、この世界にはまだまだ異界からやってきた亡道の種たちが多く残っていた。亡道の種もまた、存在することによってこの世界を異界へと変質させる。放置しておくわけには行かなかった。最後の一体まで、討伐し尽くさなければならなかった。
そして、なによりも、亡道の司の存在によって変質させられてしまった世界を元に戻さなくてはならなかった。異界に汚染され、変わり果ててしまった空気を、水を、土を浄化し、腐りはてた体を引きずる動く死体とされてしまった動物たちを『ごめん!』と心のなかで謝りながら焼き払う。
そうして浄化したあとに草木を植え、新しい鳥や動物たちをはなしていく。
人の手で戻していくにはあまりにも広すぎる世界。それでも――。
人々は文句ひとつ言わずに黙々とその作業をやりつづけた。
その姿に僕は涙をこらえきれなかった。
この時代の人たちは亡道の司を倒しただけじゃない。亡道の司によって変質させられてしまった世界を一歩いっぽ、それこそ何百年もかけて元に戻してきたんだ。
僕たち子孫のために。
顔も知らない遠いとおい未来の世代のために。
僕たちがいま、豊かな自然のなかで生きていられるのもこの人たちのおかげ。もし、この人たちがあきらめてしまっていれば、僕たちもまた異界の跡が残る変質させられた世界で生きていかなくてはならないところだった。この時代の人たちがあきらめることなく世界の復旧に取り組んでくれたからこそ、僕たちは亡道の種に襲われることも、異界の影響を受けることもなく暮らしていられる。
――ありがとうございます。
僕は思わず頭をさげていた。
――あなたたちが守り、元に戻してくれたこの世界、今度は僕たちが守っていきます。
僕はそう誓わずにはいられなかった。
千年前の、苦難に立ち向かったすべての人々に対して。
そして、各地に先遣隊を派遣して調査を行い、復旧のための人員をそろえ、護衛のための騎士を選び、復旧隊を目的地に運ぶための船や馬車の用意をし、必要となる水や食糧、復旧のために必要な道具その他を用意する……それらの指示を一手に担っていたのが、正式に騎士団長となったマークスだった。
それは、単なる一王国の騎士団長なんかじゃない。
全人類の騎士団長だった。
亡道の司との戦いで壊滅的な打撃を受けた人類の軍勢。国単位で動いていてはまともな数の兵士をそろえられない。それでは、亡道の種の討伐も、世界の復旧も満足に進まない。
そこで、残されたすべての騎士・兵士たちをひとつの組織にまとめ、全人類共通の騎士団として編成した。
それが、人類騎士団。
その人類騎士団の団長となるのはもちろん、亡道の司退治の立役者マークスをおいて他にいなかった。
実のところこの時代、世界最大最強の権力者はマークスその人だった。国王がどんなに権力をもっていると言ってもしょせん、自分の国のなかだけのこと。他の国にまでああしろ、こうしろと指図できるわけじゃない。
でも、マークスならそれができた。人類のもつあらゆる軍事力をその手に握り、復旧のための全権を委任された人類騎士団の団長になら。
マークスはその気になりさえすればすべての国の国王に協力を要請することが出来た。『要請』と言っても実際は『命令』そのものだ。だって、すべての軍事力を握るマークスに逆らえる国王なんているわけがないんだから。
このときのマークスは事実上、世界の支配者だった。
その気になりさえすればいつでも外面を実態に合わせることだって出来た。世界中の王の首を刎ね、ただひとりの支配者として君臨することが出来たんだ。
そのことを怖れ、マークスを警戒する人たちもいた。
でも、同時に『亡道の司退治の勇者であり、高潔な騎士であるマークスこそ全人類の王にふさわしい!』として、マークスがその実態にふさわしい地位に就くことを望んでいた人たちもいた。
マークスの態度次第では全人類が真っ二つにわかれて大戦争に突入する……そんな危険さえあった。でも――。
マークスは決して自分の力に驕ることはなかった。すべての国王に対して進んで膝を折り、礼を尽くした。各国の政には決して手を出さず、口も出さず、『騎士団長』としての職務だけに自分の役割を限定していた。
その態度が『地位に驕ることなく常に謙虚に振る舞う』としてマークスの声望をさらに高めた。
亡道の司退治の勇者。
そして、復旧のための比べるもののない巨大な業績。
それらが加わってマークスは世界で一番の『評価され、賛辞される人間』になっていた。いつだって、自分を褒め称え、勇者と呼び、英雄と崇める人たちに包まれていたんだ。
でも、マークスを褒め称える人たちの誰も知らなかった。自分たちが賛辞の声を送るつど、マークスがどれだけ苦しんでいたかを。
――ちがう、ちがう、ちがう! おれは勇者なんかじゃない。英雄なんかじゃないんだ! おれはただの人殺しだ。何百万という兵士たちを亡道の司に突撃させ、見殺しにした。それでいて自分ひとり生き残った卑怯者なんだ!
マークスの記憶と共鳴している僕には、マークスのその思いが痛いほどにわかった。まるで、自分自身の思いであるように胸が苦しい。
何百万という兵士に『死ね!』と命令しておきながら、自分は生き残った。
そのことはマークスの心にとてつもなく重い罪悪感となってのしかかっていた。
マークスを褒め称える人たちの誰ひとりとして、そのことに気がつきはしなかったんだ。
マークスのその思いがなによりも強くなるのは王都に帰ったとき。天命の巫女の奏でる天命の曲を聞くときだった。
亡道の司は倒れた。
マークスがその剣で滅ぼした。それなのに――。
天命の巫女さまはもとの人間に戻ることはなかった。
来る日も来る日もハープをかき鳴らし、天命の曲を奏でつづけていた。王宮の最上階。そこに『安置』されたまま。
その曲を聴くたびにマークスの心は罪悪感に押しつぶされた。天命の巫女を犠牲にして生き残った自分を責めつづけた。
その思いとてつもなく激しいもので、僕ならとても耐えきれずに自殺していただろう。そう思えるほどのものだった。
でも、マークスは踏みとどまった。その罪悪感に必死に耐えていた。マークスにその力を与えたもの。それもまた天命の巫女さま。天命の巫女さまに対する騎士としての責任感だった。
マークスは激務の合間を縫ってついに国王に詰め寄った。
「陛下! いったいいつまで、天命の巫女さまにあのような辱めを与えておくおつもりなのですか⁉」
その弾劾に――。
国王は思いきり顔をしかめた。
「人聞きの悪いことを言うでない。誰も天命の巫女どのを辱めてなどおらん」
「あのように置物のごとく放置しておいてですか⁉ 天命の巫女さまは置物でも、人形でもありません。れっきとした人間なのですよ⁉」
「それはわかっておる。しかし……」
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「『しかし』なんだと言うのです⁉」
マークスは一歩、詰め寄った。国王が怯えたように身じろぎした。国王の御前と言うことでさすがに武器はもっていない。それでも、マークスが激昂すれば国王の首ぐらい素手で簡単に引きちぎることが出来る。国王が思わず怯えたのも当たり前だ。
「そ、そのことに関してはだな。天命宮の天詠みから聞いてもらったほうが……」
「天命宮の天詠み……?」
マークスは聞き返した。
そのとき、わざわざ大きな足音を立てて宰相がやってきた。
「陛下。カルヴァラ王国の大使閣下がご到着なさいました」
国王は露骨に『助かった!』という顔をした。
「お、おお、そうか、そうであったな。今日はカルヴァラ王国の大使との面談があったのだったな。と言うわけじゃ、マークス。余はこれで失礼する。亡道の種退治のほうは任せるぞ」
国王はそう言うとそそくさとその場をあとにした。まさに『逃げ出す』という表現がぴったりの振る舞いだった。
マークスは誰にも聞こえないように小さく舌打ちした。マークスほど徳の篤い高潔な人物でなかったら床に唾ぐらい吐いていただろう。
マークスはその足で天命宮に向かった。
そこには国中から天命の理に秀でた人材が集められ日々、研究に励んでいる。この世のあらゆる存在の天命に干渉し、望み通りの結果を得られるという天命の理の研究に。責任者である最年長の天詠みを捕まえて問い質した。
「なぜ、天命の巫女さまをいつまでもあのままにしておくのです⁉ どうして、天命の巫女さまが自らにかけた天命の理を解いてあげないのですか⁉」
「う、うむ、それはだな……」
「なんです⁉」
「……出来ないのだ」
「はっ? なんですって?」
「だから、出来ないのだ。天命の巫女が自らにかけた天命の理を解くことは……」
「どういうことです⁉」
「痛い! つかまんでくれ。おぬしの力で握られたら、わしの腕なんぞ骨まで粉々になってしまうぞ」
「……し、失礼しました。つい、興奮してしまって」
マークスは天詠みから手をはなし、非礼を詫びた。でも、問い質すことをやめる気はなかった。
「しかし、どういうことなのです? 天命の巫女さまの天命の理を解くことが出来ないとは。教えていただきたい」
天詠みは国王以上に苦りきった表情で答えた。
「言ったとおりの意味じゃよ。天命の巫女が自らにかけた天命の理はきわめて特殊なものでな。文字通り、一時も休むことなく天命の曲を奏でつづけられるよう、古今東西のあらゆる天命の理からそのエッセンスを抽出し、さらにそこに天命の巫女自身のオリジナルの天命の理をも加味しておる。この世でただひとりの天命の巫女がおのれのすべての才と力を傾けて作りあげた唯一無二の天命の理なんじゃ。わしらにはその天命の理を解くことも、解析することすらも出来ん。わしらではどうやっても天命の巫女が自らにかけた天命の理を解くことは出来んのじゃ」
いや、もちろん、わしらとて天命の巫女を助けるべく、研究はしておるのじゃぞ、研究は。
天詠みは言い訳がましくそう言った。
「そんな……それでは、天命の巫女さまは永遠にあのままだと言うのですか⁉ 人間に戻ることも出来ず、天命の曲を奏でつづける自動人形のまま。自らを犠牲にして守ったこの世界を見ていただくことすら出来ないと言うのですか⁉」
「う、うむ、実はな。ひとつだけ、可能性がないこともないのじゃが……」
「それはなんです⁉」
マークスは再び天詠みに詰め寄った。
「ヒッ」と、小さな悲鳴をあげて天詠みが後ずさった。
マークスはもう一度、頭をさげて、自分の非礼を詫びた。
「失礼しました。あなたに危害を加えるつもりはないのです。ですが、どうかその『可能性』について教えていただきたい」
「うむ……。実はの。この世界には天詠みの島と呼ばれる場所がある……と、言われておる」
「天詠みの島?」
「いや、あくまで『あると言われている』だけじゃぞ。そんな島が実際にあるかどうかは知らん。なにしろ、わしの知る限り実際にその島にたどり着いたものは誰もおらんのじゃからな。しかし、その島には神代の時代から伝えられた天命の理が残されていると言う。その島にたどり着くことが出来たなら、もしかしたら……」
「天詠みの島……」
天詠みの島。
その名前はマークスの頭のなかにくっきりと刻み込まれた。
――天詠みの島。天詠みの島へ行けば天命の巫女さまを人間に戻せるかも知れない。
相変わらずの殺人的な業務をこなしながら、マークスの頭のなかからその思いがはなれることはなかった。仕事からはなれるとすぐにひとりになり、ふさぎ込むようになった。
そんなマークスの態度に、婚約者として共に業務に励んでいる第一王女サライサが苛立った声をあげた。
「マークスさま。最近はなにやらふさぎ込んでいるご様子。なにか心配事でもおありですか?」
「サライサ殿下。いえ、心配事というわけでは……」
「ごまかさないで! 聞いております。天詠みの島のことでしょう」
「それは……」
「わたしも天命宮において学んだ身。天詠みの島の言い伝えについては存じております。まさか、マークスさま。天詠みの島を探しに旅立とうなどと考えておられるのではないでしょうね?」
「殿下。我々、人類はすべからく天命の巫女さまに恩義があるのです。その天命の巫女さまをあのままにしておくなど、騎士として……」
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「それはわかっております。しかし……」
「わかっておいでなら、まずはその責任を全うなさいませ。天命の巫女ただひとりに対する責任よりも、全人類に対する責任を。天詠みの島に関しては国王となったあと、調査隊を派遣すれば良いではありませんか。どうせ、天命の巫女さまの時は止まったまま。千年でも、二千年でも、あの姿のまま天命の曲を奏でつづけるのです。急ぐ必要などどこにもないではありませんか」
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天命の巫女さまへの恩を返すためにすべてを捨てて天詠みの島を目指すべきなのか。
それとも、世界中の人々に対する責任を果たすためにこの場にとどまり、復旧の指揮をつづけるべきなのか。
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☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。
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昨日の敵は今日のパパ!
波湖 真
児童書・童話
アンジュは、途方に暮れていた。
画家のママは行方不明で、慣れない街に一人になってしまったのだ。
迷子になって助けてくれたのは騎士団のおじさんだった。
親切なおじさんに面倒を見てもらっているうちに、何故かこの国の公爵様の娘にされてしまった。
私、そんなの困ります!!
アンジュの気持ちを取り残したまま、公爵家に引き取られ、そこで会ったのは超不機嫌で冷たく、意地悪な人だったのだ。
家にも帰れず、公爵様には嫌われて、泣きたいのをグッと我慢する。
そう、画家のママが戻って来るまでは、ここで頑張るしかない!
アンジュは、なんとか公爵家で生きていけるのか?
どうせなら楽しく過ごしたい!
そんな元気でちゃっかりした女の子の物語が始まります。
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