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二六章
ああ、至福……。これぞ必殺ドラム缶風呂
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そんなこんなでようやく目的の数の魚をつかみ取り用の池に移したときには日はとっぷりと暮れていた。西の空をオレンジ色に染める夕日に照らされながら、おれたちは全員すっかり疲れ果て、畔道の上に座り込むやら、突っ伏すやら。
金子などレディーの前だというのに手も足も放り出して寝転がっている。おまけにシャツの裾が太めの腹の上でめくれあがり、堂々たるヘソ出し姿。こういうのに『萌える』マニアもいるのかも知れないけれど、おれにそういう趣味はない。疲れた足を引きずって金子に歩みより、頭を蹴とばす。
「なに、だらしない格好してんだ。ほら、さっさと起きろ」
「だあ~、おれはもうだめだあ。一生分、働いたあ。藤岡、すまん、先に往く。後のことは頼む」
「なに気分だしてんだ。シャッキリしろっての」
そう言って再び頭を蹴り飛ばしたものの、金子がそう言う気持ちもわかる。子供の頃から田んぼで過ごしてきたおれでさえ、これだけクタクタなのだ。完全インドア人間の金子にとっては地獄の重労働だったろう。それがとにもかくにもやり遂げたのは『スク水美少女』がそばにいたからにちがいない。スケベ根性と言えばそれまでだけど、それひとつで慣れない力仕事をやり遂げたとなれば、それはそれで大したものだと思うのだ。
おれはちょっと見なおした気分になってそのことを言ってやった。すると金子はたちまち跳ね起きた。頭から湯気をたて、烈火のごとく怒って詰めよってくる。
「な、なんだ、なんだ? 何を怒る?」
「怒るわ、たわけっ! 誰がスケベ根性だとう? きさまはおれをそんな男だと思っていたのかあっ⁉」
「ち、ちがうのか?」
金子の勢いにおれは思わず尋ね返していた。こめかみに冷や汗を流しながら頬を指先でポリポリかいたりしてみる。
――金子がこんなに怒るなんて。もしかしたら本気でイベントのために尽くしていたのか? だとしたら悪いこと言ったな。謝らないと……。
そう思ったおれの目の前で金子は腕を突きあげ、拳を握りしめ、堂々と叫んだ。
「おれのはオタク根性だ! 断じてスケベ根性ではな~い!」
反射的に金子の頭をぶん殴る。
――稲光を背負ってまで主張することか⁉
やっぱり、こいつはおれとは出身惑星からしてちがう生き物だ。
おれと金子がそんなやりとりをしている間に、さすがにへたばっていた女性陣三人も立ちあがってきた。
「ふう~。たしかに今日は疲れたな。魚というのはなかなかの相手だ。スーパー珍獣に進化するため、これからもつづけたいものだ」
それ以上、珍獣にならなくていい。
「泥だらけね」
と、雪森。顔に跳ねた泥を手の甲でぬぐう。輝くような白い肌に泥の縞が残ったけど、そんなときでさえ雪森はクールで美しい。
――雪森。泥だらけでも君は美しい。
思わずそんな一言を言ってしまいたくなる姿だった。
「お風呂っ!」
と、鈴沢が例によって腕組みしながら叫んだ。
「レディーがそろって汗まみれのずぶ濡れで、しかも、泥だらけなのよ。お風呂ぐらい、言われる前にちゃんと用意しておくべきでしょ。気の効かないやつね」
「うむ。その通りだぞ、弟よ。その程度の気を使えないようでは世の中に出てやっていけんぞ」
赤の他人の家に転がり込んで、掃除から洗濯から、家事一切を押しつけてずぼらな暮らしを送っている珍獣女に言われたくはない。
「無理言わないで、ふたりとも」と、雪森。
「藤岡くんも一緒に作業していたのよ。ひとりだけ抜けてお風呂の用意なんてできるわけないでしょう」
そういう雪森の声はいつもどおりのアイス・ボイス。だけど、飴でできた鐘の音のように甘く響き渡った。
「ふむ。まあ、しかたがないか。しょせん、弟にそこまで要求することもできまい。お父上にお願いして風呂を貸していただくとしよう」
「ここまで泥だらけだと、よそのお宅のお風呂を借りるのは気が引けるわ。その前に水浴びぐらい……」
雪森のその言葉におれはあることを思い立った。指をたて、頭の横に電球がつくおなじみのシーンが頭のなかに閃き、過去のある風景が思い出された。
「いいことがある。みんなもきっと気に入るよ。ちょっとまっててくれ。ほら、金子。手伝え」
「まだ私を働かせようというのか。私はイベントの立案が仕事だぞ。力仕事はお前の担当だろう」
「いいからこい。男はみんな、力仕事担当なんだ」
「男女差別はんた~い」
あくまでもブチブチ言う金子を無理やり引きずり、おれは実家に向かった。そして、しばしの後。おれと金子はドラム缶を転がしながら戻ってきた。
それにはさすがに驚いたらしい。陽芽姉ちゃんと鈴沢はもちろん、クールミントな雪森まであっけにとられた様子で両目と口を大きく開いて見つめている。
陽芽姉ちゃんが尋ねてきた。
「何だ、それは? 何をする気なのだ、弟よ?」
「ドラム缶風呂だよ」
「ドラム缶風呂?」
「そう。子供の頃、近所のイベントで泥相撲大会なんてのをやってさ。そのとき、入ったことがあるんだ。これが気持ちよくてさ」
「ほほう。なかなか興味深い。でっ、どうやって入るのだ?」
「まずは安定のいい場所にドラム缶を立てて……」
ドラム缶の下に穴を掘って即席の炉を作る。ドラム缶に水を入れ、即席の炉に薪をくべて湯を沸かす。火で直接ドラム缶を熱するわけだから底は焼けるように熱くなる。そのままでは入れない。そこで、木製の落とし蓋を入れてその上から入る。ようするに昔の五右衛門風呂というやつだ。
丸めた新聞紙にライターで火をつけ、その火を使って細い枝に火を移す。燃えあがったところで炉にそっとおく。最初は細い枝、ついで細い薪、それから様子を見ながらだんだんと太い薪を加えていく。
炉のなかの火が徐々に大きくなり、オレンジの炎がドラム缶の底を焼き、パチパチと爆ぜる音がする。その様子を膝の上に両手を当ててしゃがみ込んだ格好で、雪森が興味津々の体で見つめている。白皙の頬が炎に照られてオレンジ色に染まっているのが妙にセクシーだった。
「薪ってそうやって使うのね」
ふいにおれのそばに座り込み、そう呟いた。耳元でささやくように言われておれは思わずドキリとした。
「あ、ああ、まあね。薪はいきなり太いのを入れると火が消えちゃうから。これでもけっこう、コツがいるんだよ」
「ふうん」
雪森が感心したように呟いた。こういうときの雪森はおとなびたクールビューティーから一転して、好奇心いっぱいの子供のよう。これはこれでかわいくて魅力的。きっと、根っから知的好奇心の旺盛なタイプなんだろう。こういういまどきの日常ではお目にかかれない作業はどれも興味深いにちがいない。
雪森に感心されておれは誇らしい気分になった。学校の勉強では雪森には教えてもらうばかりでまったくかなわない。だけど、こういう『伝統の知恵』の分野においてはおれの方が先輩だ。興味を引くことを教えてやれる。それがうれしい。
「どうでもいいけどさあ」
鈴沢が腕組みして見下ろしながら言った。
「こんな調子でいつになったら沸くわけ? あたし、さっさと入りたいんだけど?」
「ん~。そうだなあ。これだと薪が少ないからけっこうかかるかなあ」
「まてない!」
鈴沢はキッパリと宣言した。いっそすがすがしいほどのワガママぶりだ。
「薪が少ないならもっと足せばいいでしょ。ドラム缶全体を炎で包むぐらい火を大きくすれば、きっとすぐに沸くわよ」
――ドラム缶を火で包んでどうやって入る気だ?
「割ったやつがもうないんだよ。足すためには薪割りからやらないと……」
「なら、割りなさい」
キッパリ。
腕組みしてふんぞり返った姿勢で迷いなく断言する。この小柄な体でどうしてここまで堂々と主張できるのか。
「ふむ。薪割りか」
陽芽姉ちゃんがあごに指を当てて呟いた。
「おもしろそうだな。弟よ、用意してくれ」
「わたしも経験してみたい」
雪森もそう言った。
そろって言われては否も応もない。おれは皮のついた幹のままの薪と斧をもってきた。
薪を足場のいいところにおいて斧を陽芽姉ちゃんに手渡す。
「薪割りはまず……」
おれは素人向けの方法を説明しようとした。しかし――。
ああ、忘れていた。相手が天上天下唯我独尊、こうと決めたら突っ走る校内ナンバー1珍獣であることを。そう。森崎陽芽とはやるとなったら他人の存在など無視してやるタイプ。説明なんてまつわけない!
おれが何か言う前に、いきなりピッチャーのワインドアップ・モーションのように両手で構えた斧を高々とかかげてのけた。
「わっ! バカ、よせ!」
おれは陽芽姉ちゃんの意図に気づいて叫んだ。だが、遅い。
「そお~れ!」
の、一言とともに斧が真っ向から振りおろされる。勢いといい、ぶれることのない線といい、さすがに『幼い頃から武芸に励んできだ』というだけのことはある。そのまま薪の真上に振りおろされていれば薪は見事に真っ二つになったにちがいない。しかし――。
素人がいきなりやってうまくいくわけないだろっ!
案の定、斧の刃は薪の端っこをかすめただけだった。なまじ勢いがあった分、薪は思い切り吹っ飛んだ。回転しつつ宙を跳び、そばにいた金子の顔面すれすれを通り過ぎる。
「わぎゃあえおおっ⁉」
と、金子が奇妙な悲鳴をあげて仰向けに倒れた。おお! インドア人間にしては機敏な動き。薪は倒れた金子のすぐ上を通過していく。
『顔面すれすれ』どころか、倒れていなければ『顔面直撃』だったな、これは。
だが、それはいい。問題はその後だ。薪を吹っ飛ばした斧はその後も勢いをゆるめず半月を描いて疾走し、もう少しで陽芽姉ちゃん自身の脚をぶった切るところだったのだ!
「おおっ!」
陽芽姉ちゃんが叫ぶ。
「ビビった。いまのはさすがにビビったぞ」
「あほうっ! はじめてのくせにいきなり振りおろすやつがあるか!」
おれは陽芽姉ちゃんから斧をひったくった。説明する前に手本を見せることにした。
「こうして薪の上に軽く打ちつけて斧の刃を食い込ませて、それから薪ごと斧をもちあげて振りおろす……」
スコーン、と、軽い音がして薪が真っ二つに割れていた。
「おおっ……!」
と、女性陣から感嘆の声がもれる。
「これでいいんだ」
と、おれは思わず得意になってしまう。
それから代わるがわる薪割りを体験した。正しい姿勢を教えるために肩やら手やらをもつことになって……。そのやわらかくて暖かい感触といったら。ううっ、農家の息子でよかった。
みんなで薪割りをしているうちにドラム缶風呂が沸いた。まずは陽芽姉ちゃんが入った……スクール水着をきたままだ。念のため。
こういう場合、レディファーストになるのは当然。そのなかでも部長が真っ先に入るのはまあ、『社会の常識』というやつだろう。
「これはたしかに心地よいな。いやあ、極楽、極楽」
と、肩までつかってオヤジみたいなことを言っている。
「そうだ、弟よ。おちょこに酒を用意しろ。温泉気分で楽しもうではないか」
「高校生がなに言ってんだよ」
「いいから早く出て、陽芽ちゃん。あたしも早く入りたい」
「まあまて。こんなに心地よいことはそうはない。もう少しゆっくりさせろ」
と、なかなか出ようとしない陽芽姉ちゃんだった。
陽芽姉ちゃんの後には鈴沢、雪森、金子と入り、最後がおれだ。湯を両手ですくって汗と泥にまみれた顔を洗う。雪森の入った湯。そう思うと何だかすごくドキドキした。最後なので湯はすっかり泥で汚れているけど、それでも天上の甘露のように輝いて見えた。雪森とおれとの間には金子も入っているわけだけど、それはこの際、忘れることにした。
しかし、これは何て気持ちいいものだろう。体をめいっぱい使った後、広々とした田園風景のなかで自分で薪を割り、自分で沸かしたドラム缶風呂にゆったりつかる。下手な温泉なんかよっぽど快適だ。頬をなぶる風も、風にゆれる稲の海も、どれも最高にすばらしい。ああ、何だかこのままとろけてしまいそうな……。
ガツン、と、いきなりドラム缶風呂に強い衝撃が走っておれは飛びあがった。鈴沢がドラム缶風呂を蹴りつけた姿勢のまま、ギロリと睨みあげてくる。
「なに居眠りしてんのよ。ドラム缶風呂で溺れて死んだ、なんてことになったらあたしたちが恥ずかしいでしょ。眠いならさっさと出なさい」
鈴沢に怒られておれはあわてて風呂を出た。たしかにこのままだと熟睡してしまいかねないところではあったのだった。
実家に戻り、夕食を食べ、それからおれの部屋で作戦会議と相成った。開口一番、陽芽姉ちゃんが言った。
「しかし、あのドラム缶風呂は気持ちいいな。あれも祭りに使えるのではないか?」
「そうね。お客さんも泥だらけになるでしょうし、お風呂にも入りたくなるだろうから」
雪森もうなずいた。
「そういうわけだ、弟よ。ドラム缶風呂をいくつか用意したいのだが、できるか?」
「ああ、大丈夫。ドラム缶ならそこらにいくらでもあるよ」
「薪はそろえられるの?」と、雪森。
「ああ。それも大丈夫。果樹園やってる知り合いから分けてもらえるから」
「なんで果樹園から?」
「果樹は毎年剪定するからな。切り落とした枝が大量に出るんだよ。いままではただ捨てていたんだけど、最近、石油不足で薪ストーブが見なおされてるからってひとまとめにして安く売ってるんだ」
「ふうん」
「まあとにかく、祭りのメニューはできあがったわけだ。後は宣伝用イベントで皆に体験してもらうことだな」
「魚のつかみ取りや田んぼバレーを体験してもらうためには水槽じゃ追い付かないな。子供用のプールがいるか。それに、生き物セットに屋台……かなりかさばるな」
「トラックかバンが必要ね」と、雪森。
「そんなもの誰ももってないだろう。第一、運転免許もない」
「うちの親に言えばそれぐらい、出してくれるわよ」と、鈴沢。
「では、皆で頼みにいくとしよう。後は、祭りの名前や宣伝用ビラの作成もしないとな」
「ふっふっ、お姉さま。その点はわたくしめにお任せを。イベント一筋一七年! この金子雄二、全米も納得のビラを作ってご覧に入れましょうぞ」
「おお、頼もしい。その意気だ、頼むぞ、少年!」
「ははっ、お任せを!」
「話はこれで決まった。いよいよ出陣の時、奮起せよ、SEEDの戦士たち!」
「おおっ!」
金子などレディーの前だというのに手も足も放り出して寝転がっている。おまけにシャツの裾が太めの腹の上でめくれあがり、堂々たるヘソ出し姿。こういうのに『萌える』マニアもいるのかも知れないけれど、おれにそういう趣味はない。疲れた足を引きずって金子に歩みより、頭を蹴とばす。
「なに、だらしない格好してんだ。ほら、さっさと起きろ」
「だあ~、おれはもうだめだあ。一生分、働いたあ。藤岡、すまん、先に往く。後のことは頼む」
「なに気分だしてんだ。シャッキリしろっての」
そう言って再び頭を蹴り飛ばしたものの、金子がそう言う気持ちもわかる。子供の頃から田んぼで過ごしてきたおれでさえ、これだけクタクタなのだ。完全インドア人間の金子にとっては地獄の重労働だったろう。それがとにもかくにもやり遂げたのは『スク水美少女』がそばにいたからにちがいない。スケベ根性と言えばそれまでだけど、それひとつで慣れない力仕事をやり遂げたとなれば、それはそれで大したものだと思うのだ。
おれはちょっと見なおした気分になってそのことを言ってやった。すると金子はたちまち跳ね起きた。頭から湯気をたて、烈火のごとく怒って詰めよってくる。
「な、なんだ、なんだ? 何を怒る?」
「怒るわ、たわけっ! 誰がスケベ根性だとう? きさまはおれをそんな男だと思っていたのかあっ⁉」
「ち、ちがうのか?」
金子の勢いにおれは思わず尋ね返していた。こめかみに冷や汗を流しながら頬を指先でポリポリかいたりしてみる。
――金子がこんなに怒るなんて。もしかしたら本気でイベントのために尽くしていたのか? だとしたら悪いこと言ったな。謝らないと……。
そう思ったおれの目の前で金子は腕を突きあげ、拳を握りしめ、堂々と叫んだ。
「おれのはオタク根性だ! 断じてスケベ根性ではな~い!」
反射的に金子の頭をぶん殴る。
――稲光を背負ってまで主張することか⁉
やっぱり、こいつはおれとは出身惑星からしてちがう生き物だ。
おれと金子がそんなやりとりをしている間に、さすがにへたばっていた女性陣三人も立ちあがってきた。
「ふう~。たしかに今日は疲れたな。魚というのはなかなかの相手だ。スーパー珍獣に進化するため、これからもつづけたいものだ」
それ以上、珍獣にならなくていい。
「泥だらけね」
と、雪森。顔に跳ねた泥を手の甲でぬぐう。輝くような白い肌に泥の縞が残ったけど、そんなときでさえ雪森はクールで美しい。
――雪森。泥だらけでも君は美しい。
思わずそんな一言を言ってしまいたくなる姿だった。
「お風呂っ!」
と、鈴沢が例によって腕組みしながら叫んだ。
「レディーがそろって汗まみれのずぶ濡れで、しかも、泥だらけなのよ。お風呂ぐらい、言われる前にちゃんと用意しておくべきでしょ。気の効かないやつね」
「うむ。その通りだぞ、弟よ。その程度の気を使えないようでは世の中に出てやっていけんぞ」
赤の他人の家に転がり込んで、掃除から洗濯から、家事一切を押しつけてずぼらな暮らしを送っている珍獣女に言われたくはない。
「無理言わないで、ふたりとも」と、雪森。
「藤岡くんも一緒に作業していたのよ。ひとりだけ抜けてお風呂の用意なんてできるわけないでしょう」
そういう雪森の声はいつもどおりのアイス・ボイス。だけど、飴でできた鐘の音のように甘く響き渡った。
「ふむ。まあ、しかたがないか。しょせん、弟にそこまで要求することもできまい。お父上にお願いして風呂を貸していただくとしよう」
「ここまで泥だらけだと、よそのお宅のお風呂を借りるのは気が引けるわ。その前に水浴びぐらい……」
雪森のその言葉におれはあることを思い立った。指をたて、頭の横に電球がつくおなじみのシーンが頭のなかに閃き、過去のある風景が思い出された。
「いいことがある。みんなもきっと気に入るよ。ちょっとまっててくれ。ほら、金子。手伝え」
「まだ私を働かせようというのか。私はイベントの立案が仕事だぞ。力仕事はお前の担当だろう」
「いいからこい。男はみんな、力仕事担当なんだ」
「男女差別はんた~い」
あくまでもブチブチ言う金子を無理やり引きずり、おれは実家に向かった。そして、しばしの後。おれと金子はドラム缶を転がしながら戻ってきた。
それにはさすがに驚いたらしい。陽芽姉ちゃんと鈴沢はもちろん、クールミントな雪森まであっけにとられた様子で両目と口を大きく開いて見つめている。
陽芽姉ちゃんが尋ねてきた。
「何だ、それは? 何をする気なのだ、弟よ?」
「ドラム缶風呂だよ」
「ドラム缶風呂?」
「そう。子供の頃、近所のイベントで泥相撲大会なんてのをやってさ。そのとき、入ったことがあるんだ。これが気持ちよくてさ」
「ほほう。なかなか興味深い。でっ、どうやって入るのだ?」
「まずは安定のいい場所にドラム缶を立てて……」
ドラム缶の下に穴を掘って即席の炉を作る。ドラム缶に水を入れ、即席の炉に薪をくべて湯を沸かす。火で直接ドラム缶を熱するわけだから底は焼けるように熱くなる。そのままでは入れない。そこで、木製の落とし蓋を入れてその上から入る。ようするに昔の五右衛門風呂というやつだ。
丸めた新聞紙にライターで火をつけ、その火を使って細い枝に火を移す。燃えあがったところで炉にそっとおく。最初は細い枝、ついで細い薪、それから様子を見ながらだんだんと太い薪を加えていく。
炉のなかの火が徐々に大きくなり、オレンジの炎がドラム缶の底を焼き、パチパチと爆ぜる音がする。その様子を膝の上に両手を当ててしゃがみ込んだ格好で、雪森が興味津々の体で見つめている。白皙の頬が炎に照られてオレンジ色に染まっているのが妙にセクシーだった。
「薪ってそうやって使うのね」
ふいにおれのそばに座り込み、そう呟いた。耳元でささやくように言われておれは思わずドキリとした。
「あ、ああ、まあね。薪はいきなり太いのを入れると火が消えちゃうから。これでもけっこう、コツがいるんだよ」
「ふうん」
雪森が感心したように呟いた。こういうときの雪森はおとなびたクールビューティーから一転して、好奇心いっぱいの子供のよう。これはこれでかわいくて魅力的。きっと、根っから知的好奇心の旺盛なタイプなんだろう。こういういまどきの日常ではお目にかかれない作業はどれも興味深いにちがいない。
雪森に感心されておれは誇らしい気分になった。学校の勉強では雪森には教えてもらうばかりでまったくかなわない。だけど、こういう『伝統の知恵』の分野においてはおれの方が先輩だ。興味を引くことを教えてやれる。それがうれしい。
「どうでもいいけどさあ」
鈴沢が腕組みして見下ろしながら言った。
「こんな調子でいつになったら沸くわけ? あたし、さっさと入りたいんだけど?」
「ん~。そうだなあ。これだと薪が少ないからけっこうかかるかなあ」
「まてない!」
鈴沢はキッパリと宣言した。いっそすがすがしいほどのワガママぶりだ。
「薪が少ないならもっと足せばいいでしょ。ドラム缶全体を炎で包むぐらい火を大きくすれば、きっとすぐに沸くわよ」
――ドラム缶を火で包んでどうやって入る気だ?
「割ったやつがもうないんだよ。足すためには薪割りからやらないと……」
「なら、割りなさい」
キッパリ。
腕組みしてふんぞり返った姿勢で迷いなく断言する。この小柄な体でどうしてここまで堂々と主張できるのか。
「ふむ。薪割りか」
陽芽姉ちゃんがあごに指を当てて呟いた。
「おもしろそうだな。弟よ、用意してくれ」
「わたしも経験してみたい」
雪森もそう言った。
そろって言われては否も応もない。おれは皮のついた幹のままの薪と斧をもってきた。
薪を足場のいいところにおいて斧を陽芽姉ちゃんに手渡す。
「薪割りはまず……」
おれは素人向けの方法を説明しようとした。しかし――。
ああ、忘れていた。相手が天上天下唯我独尊、こうと決めたら突っ走る校内ナンバー1珍獣であることを。そう。森崎陽芽とはやるとなったら他人の存在など無視してやるタイプ。説明なんてまつわけない!
おれが何か言う前に、いきなりピッチャーのワインドアップ・モーションのように両手で構えた斧を高々とかかげてのけた。
「わっ! バカ、よせ!」
おれは陽芽姉ちゃんの意図に気づいて叫んだ。だが、遅い。
「そお~れ!」
の、一言とともに斧が真っ向から振りおろされる。勢いといい、ぶれることのない線といい、さすがに『幼い頃から武芸に励んできだ』というだけのことはある。そのまま薪の真上に振りおろされていれば薪は見事に真っ二つになったにちがいない。しかし――。
素人がいきなりやってうまくいくわけないだろっ!
案の定、斧の刃は薪の端っこをかすめただけだった。なまじ勢いがあった分、薪は思い切り吹っ飛んだ。回転しつつ宙を跳び、そばにいた金子の顔面すれすれを通り過ぎる。
「わぎゃあえおおっ⁉」
と、金子が奇妙な悲鳴をあげて仰向けに倒れた。おお! インドア人間にしては機敏な動き。薪は倒れた金子のすぐ上を通過していく。
『顔面すれすれ』どころか、倒れていなければ『顔面直撃』だったな、これは。
だが、それはいい。問題はその後だ。薪を吹っ飛ばした斧はその後も勢いをゆるめず半月を描いて疾走し、もう少しで陽芽姉ちゃん自身の脚をぶった切るところだったのだ!
「おおっ!」
陽芽姉ちゃんが叫ぶ。
「ビビった。いまのはさすがにビビったぞ」
「あほうっ! はじめてのくせにいきなり振りおろすやつがあるか!」
おれは陽芽姉ちゃんから斧をひったくった。説明する前に手本を見せることにした。
「こうして薪の上に軽く打ちつけて斧の刃を食い込ませて、それから薪ごと斧をもちあげて振りおろす……」
スコーン、と、軽い音がして薪が真っ二つに割れていた。
「おおっ……!」
と、女性陣から感嘆の声がもれる。
「これでいいんだ」
と、おれは思わず得意になってしまう。
それから代わるがわる薪割りを体験した。正しい姿勢を教えるために肩やら手やらをもつことになって……。そのやわらかくて暖かい感触といったら。ううっ、農家の息子でよかった。
みんなで薪割りをしているうちにドラム缶風呂が沸いた。まずは陽芽姉ちゃんが入った……スクール水着をきたままだ。念のため。
こういう場合、レディファーストになるのは当然。そのなかでも部長が真っ先に入るのはまあ、『社会の常識』というやつだろう。
「これはたしかに心地よいな。いやあ、極楽、極楽」
と、肩までつかってオヤジみたいなことを言っている。
「そうだ、弟よ。おちょこに酒を用意しろ。温泉気分で楽しもうではないか」
「高校生がなに言ってんだよ」
「いいから早く出て、陽芽ちゃん。あたしも早く入りたい」
「まあまて。こんなに心地よいことはそうはない。もう少しゆっくりさせろ」
と、なかなか出ようとしない陽芽姉ちゃんだった。
陽芽姉ちゃんの後には鈴沢、雪森、金子と入り、最後がおれだ。湯を両手ですくって汗と泥にまみれた顔を洗う。雪森の入った湯。そう思うと何だかすごくドキドキした。最後なので湯はすっかり泥で汚れているけど、それでも天上の甘露のように輝いて見えた。雪森とおれとの間には金子も入っているわけだけど、それはこの際、忘れることにした。
しかし、これは何て気持ちいいものだろう。体をめいっぱい使った後、広々とした田園風景のなかで自分で薪を割り、自分で沸かしたドラム缶風呂にゆったりつかる。下手な温泉なんかよっぽど快適だ。頬をなぶる風も、風にゆれる稲の海も、どれも最高にすばらしい。ああ、何だかこのままとろけてしまいそうな……。
ガツン、と、いきなりドラム缶風呂に強い衝撃が走っておれは飛びあがった。鈴沢がドラム缶風呂を蹴りつけた姿勢のまま、ギロリと睨みあげてくる。
「なに居眠りしてんのよ。ドラム缶風呂で溺れて死んだ、なんてことになったらあたしたちが恥ずかしいでしょ。眠いならさっさと出なさい」
鈴沢に怒られておれはあわてて風呂を出た。たしかにこのままだと熟睡してしまいかねないところではあったのだった。
実家に戻り、夕食を食べ、それからおれの部屋で作戦会議と相成った。開口一番、陽芽姉ちゃんが言った。
「しかし、あのドラム缶風呂は気持ちいいな。あれも祭りに使えるのではないか?」
「そうね。お客さんも泥だらけになるでしょうし、お風呂にも入りたくなるだろうから」
雪森もうなずいた。
「そういうわけだ、弟よ。ドラム缶風呂をいくつか用意したいのだが、できるか?」
「ああ、大丈夫。ドラム缶ならそこらにいくらでもあるよ」
「薪はそろえられるの?」と、雪森。
「ああ。それも大丈夫。果樹園やってる知り合いから分けてもらえるから」
「なんで果樹園から?」
「果樹は毎年剪定するからな。切り落とした枝が大量に出るんだよ。いままではただ捨てていたんだけど、最近、石油不足で薪ストーブが見なおされてるからってひとまとめにして安く売ってるんだ」
「ふうん」
「まあとにかく、祭りのメニューはできあがったわけだ。後は宣伝用イベントで皆に体験してもらうことだな」
「魚のつかみ取りや田んぼバレーを体験してもらうためには水槽じゃ追い付かないな。子供用のプールがいるか。それに、生き物セットに屋台……かなりかさばるな」
「トラックかバンが必要ね」と、雪森。
「そんなもの誰ももってないだろう。第一、運転免許もない」
「うちの親に言えばそれぐらい、出してくれるわよ」と、鈴沢。
「では、皆で頼みにいくとしよう。後は、祭りの名前や宣伝用ビラの作成もしないとな」
「ふっふっ、お姉さま。その点はわたくしめにお任せを。イベント一筋一七年! この金子雄二、全米も納得のビラを作ってご覧に入れましょうぞ」
「おお、頼もしい。その意気だ、頼むぞ、少年!」
「ははっ、お任せを!」
「話はこれで決まった。いよいよ出陣の時、奮起せよ、SEEDの戦士たち!」
「おおっ!」
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