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二三章

まさか、女子に抱っこされるときがこようとは……

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 「お帰りなさいませ、ご主人さま」
 「おおっ」
 メイド服に身を包み、優雅に一礼。笑顔とともにメイド言語で挨拶するおれの姿に、女性陣三人がそろって感嘆の声をあげた。
 『おもしろければ何でもあり!』なオタク気質の陽芽姉ちゃん、クールで辛口なクールミントの雪森、演技には妥協のない鬼コーチの鈴沢。その三人が三人そろってうなるほど、おれのメイド振りは長足の進歩を遂げていた。
 実際、鏡の前で演技していても自分で自分の姿が信じられないほどだ。鏡のなかで動くメイドさんは表情といい、仕草といい、本物の女の子にしか見えない。自分にこんな才能があったなんて自分でも驚いた。この分ならいつでも歌舞伎の女形を張れそうである。
 すべてはおれの努力、そして、鈴沢の容赦ない演技指導の賜だ。クッキー作りの練習で一度、立場を逆転させたのがよかったのかも知れない。あれ以来、鈴沢の指導はきびしいだけじゃなくて少しは――本当に少しは、だけど――懇切丁寧な素人向けのものにかわった。それに、おれの方も相手がイライラする気持ちがわかるようになった分、素直に教えを聞くことができるようになった。その結果だ。
 「うむ。大儀である」
 客役の金子が実に偉そうな態度で部室に入ってくる。殿さま気分でふんぞり返っているのでただでさえ出ている腹がググンと突き出している。右手には扇子までもってこれ見よがしに扇いでいる。
 『メイド喫茶常連の少年が満足するなら、メイド戦術は成功まちがいなしだ』
 との、陽芽姉ちゃんの発言によって、いわば最終テストとして金子を客役にメイド喫茶を演じているのだ。
 ちなみに、この間、『実地研修』とのことで金子にメイド喫茶に連れて行かれた。陽芽姉ちゃんも同行し、メイド喫茶を初体験したのだが、
 『なかなか楽しかったぞ。おバカばかりでかわいいしな』
 と、気に入ってしまい、いまでは金子とともに女のくせにメイド喫茶に入り浸りである。まあ、何となくそんなことになるだろうという気はしていたけど。
 おれは机につけた椅子を引き、金子を座らせた。
 「少々、おまちくださいませ、ご主人さま。いま、お食事をおもちいたします」
 「うむ、くるしゅうない」
 と、手にした扇子をパタパタやりながら金子。
 ――何で、おれが金子をご主人さま呼ばわりしなきゃならんのだ。せめて、雪森相手なら……。
 ってちがう! そうじゃない!
 途方もなく大きな『釈然としなさ』はあるものの、これも仕事。イベントを成功させるための試練だ。シメてやるのは練習後のこととして、いまはとにかくメイドさん役に撤することにした。
 ……それにしても、メイドさんの中身が男友だちだとわかっていて気持ち悪くないのだろうか、こいつは。どう見ても、うれしそうなのだが。
 「ヌマエビのかき揚げの前菜、ザリガニのスープ、コイの洗い、ドジョウ鍋にございます」
 いやいや、メイドさんの格好で出すには相応しくない名前だとはわかってる。しかし、ナメてはいけない。これこそ日本の田んぼでとれる食材を生かした郷土料理、すなわち、おれたちのご先祖が昔から食べてきた伝統の味なのだ。栄養豊富でしかもヘルシー。おまけに食糧自給率アップにも一役買うという『これぞ未来食!』な料理の数々なのだ。
 金子は用意した料理をペロリと平らげた。ナプキンで口をぬぐうと偉そうな口調で宣った。
 「よい味であった。誉めてとらすぞ」
 こいつ、本物のメイド喫茶ではやりたくてもできなかったことをここぞとばかりにやっているにちがいない。後でどうシメてやろうかと考えながら、おれはこのときばかりは笑顔で応じた。
 「ありがとうございます、ご主人さま。これからも誠心誠意、仕えさせていただきます」
 小首をかしげ、ニッコリ微笑む。その態度が我ながら実に媚びていると思う。しかし、世のたいていの男はそんな態度に大喜びするわけで……同じ男でありながら男性不信に陥りそうな気がする今日この頃。
 パン、と、陽芽姉ちゃんが音高く両手をたたき、最終テストは終わった。
 「よし、そこまでだ!」
 「ええ~、もう終わりですか、お姉さま」
 金子がたちまち半ベソ状態になる。
 当たり前だ! いつまでもこんなこと、やってられるか。
 「見事だぞ、弟よ。実にメイドさんっぽい」と、陽芽姉ちゃん。
 「たしかに女の子に見える」と、雪森。
 「あたしのおかげよ」と、鈴沢。両腕を組み、フン! とばかりに小さな胸を張る。
 美少女三人に誉められるのはいいのだが……男としてはこれを喜ぶわけにはいかないよな、やっぱり。
 「いや、しかし、見事な進歩だぞ、弟よ。ハードな練習の甲斐あってすっかり新しい自分に目覚めたようだな」
 かわいいぞ。
 と、やたらうれしそうな笑顔で言う陽芽姉ちゃんである。おれはあわてて言った。
 「目覚めてない! 仕事と思ってやってるだけだ」
 「そうかたくなになるな。新しい自分を認めてよいのだぞ。よし。素直になれるよう、抱っこして校内を連れ歩いてやろう」
 「わあっ⁉」
 陽芽姉ちゃんの腕がいきなりおれの体の下に伸び、軽々ともちあげる。お姫さま抱っこの姿勢になっていた。メイド姿で女の子にお姫さま抱っこされるおれって……思わず耳まで真っ赤に染まる。
 「よせ、やめろ、おろせ!」
 「照れるな、照れるな、弟よ。イベントとなれば多くのお客さまの前で愛想を振りまかなくてはならないのだぞ。こんなことで恥ずかしがっていてどうする?」
 「お姫さま抱っこされるいわれはない! っていうか、何で女のくせして男をお姫さま抱っこなんかできるんだよ⁉」
 「はっはっはっ。この森崎陽芽を甘く見ないことだな。いつの日か超サイヤ人になれることを夢見て幼い頃から武芸に励んできたのだ。これぐらいのことは造作もない」
 やっぱり、オタクだったか。
 鈴沢の腕があがり、おれを指差した。冷静というより、そっけない口調で指摘する。
 「そのポーズ、いい。女の子っぽい」
 えっ?
 鈴沢の言葉におれは鏡を見た。そこに映ったおれはお姫さま抱っこされた姿勢で顔を真っ赤に染め、両足をピッタリと閉じ、両腕を胸の前でそろえていて……たしかにどこからどう見ても女の子なポーズだった。
 ……いや、だから、いくら陽芽姉ちゃんとはいえ、女の子の体に勝手にさわるわけにはいかないから全身をちぢめているだけで、女の子化しているわけでは断じてない。ないはずだ。ないといい……。
 雪森がやけに刺のある言い方をした。
 「努力の成果ね。最近、鈴果とすっかり仲がいいもの。練習にも熱が入るわけよね」
 「どういう意味だよ?」
 雪森は両目を閉じ、うつむき加減になった。髪をかきあげながら『そっけない』の見本のような言い方で答えた。
 「手作りクッキーなんてもらってたじゃない。さぞ、おいしかったことでしょうね」
 何で雪森が知っている? もしかして、見てたのか? えっ? あれ? これってもしかして……雪森がヤキモチを妬いている?
 いや、まさか。そんなはずはない。とは思うものの、このツンツンした態度はドラマやマンガで何度も見たその手のシーンそのまま。まさか、本当に雪森が……。
 そう思うと雪森の『ツーン』とした態度がやけにかわいいものに見えてくる。おれは思わずニヤけてしまう。
 「い、いやあ、そんな。おいしいなんて別に……」
 ギロッ! と、おれの言葉に鈴沢がにらんでくる。おれは反射的に背筋まで凍りつく。
 その鈴沢が金子に目を向けた。
 「金子っ」
 「はっ、鈴さま」
 「メイド喫茶常連としての評価は?」
 「バッチリでございますよ、鈴さま。さすがに鈴さまの仕込み、完璧と申せます」
 「フン。まあ、当然ね」
 と、鈴沢はその代名詞とも言うべき『腕組みして小さな胸をグイッ』のポーズで言った。
 鈴沢の金子への気持ちはもう完全に冷めているらしい。以前のように緊張したりはまったくしない。呼び方も『金子くん』から『金子っ』になっている。金子はというと一年女子からほとんどイヌ扱いされてうれしそうだ。
 鈴沢は惚れっぽい。とにかく惚れっぽい。そして、冷めやすい。菊地先輩への関心はほんの数日で消え、次は二年男子、いまては一年男子へと移っている。共通しているのはとにかく趣味が悪い、ということだ。いまのお目当てはチビで小太りでいかにもひねくれた様子の陰欝なやつだし、その前の二年男子は本当はちっともモテないのに『おれはモテる!』と思い込んでいる激勘ちがい自信過剰ナルシー男。去年、今年と二年連続して女子から『キモいやつナンバー1』の称号を贈られている男だ。
 華奢で、小柄で、お人形のようにかわいくて、江戸時代のお姫さま役でもやったらさぞかし様になるにちがいない鈴沢が、こんな悪趣味な男にばかり関心をもつのだからまったく訳がわからない。遺憾ながら鈴沢をからかってきた相手の気持ちがわかってしまう。
 「それで」
 と、雪森。クールミントな口調が一際、際立ったのになっている。
 「いつまで抱っこされているつもり?」
 おれはいまさらながらに自分の姿勢の異様さに気がついた。顔を茹でザリガニの殻のように赤くして飛びおりる。陽芽姉ちゃんが残念そうに息などついてみせた。
 「やれやれ。皆に見せびらかしてやりたかったのだがな」
 「しなくていい!」
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