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一九章

……甘く見ていた。男の娘道

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 「おお、それでこそ男だぞ、藤岡ぁ~!」
 「見なおしたぞ、弟よ。さあ、この姉が手伝ってやる。いますぐ着てみろ」
 「さわるな! 自分で着る!」
 「遠慮するな。手伝ってやる」
 「やめろ、女が男を無理やり脱がすなあっ!」
 そして――。
 おれはメイド姿になって鏡の前に立ったのだった。
 「――かわいい。
 鏡に映る自分の姿におれは思わずそう感じた。『女装した自分の姿にときめくなんて男としてどうよ?』という思いはあった。あったのだがやはり、かわいいものはかわいい。陽芽姉ちゃんも雪森も『かわいい』というより『きれい』というタイプだから、『かわいい』という言い方をするならおれが一番かも知れない。
 黒を基調としたカラーのせいか意外にほっそりして見えるし、長いカツラに包まれた顔もしっかり女の子している。男としてはあまりパッとしない顔立ちが、女装するとこんなにも様になるなんて。意外な発見だ。もし、こんな女の子が現実に現われたら一目で好きになってしまいそうな、そんな気さえする。
 鏡を見ているうちに何だかドキドキしてきた。胸の奥が熱くなる。いままで知らなかった世界、甘くて、切なくて、そして耽美な世界を垣間見てしまったような、そんな気分。世の女性たちが美しさを競う気持ちがヒシヒシと伝わってきた。無意識のうちにおれの手は口紅にのび……」
 「……って、陽芽姉ちゃん! なに勝手なナレーション入れてんだよ⁉」
 『――かわいい』以降はおれの台詞ではない。すべて陽芽姉ちゃんが勝手にナレーションしたものだ。
 陽芽姉ちゃんはケロリとした様子で答えた。
 「自ら本心を述べるのは恥ずかしかろうから、気を使ってかわりに描写してやったのではないか。喜べ」
 「誰もそんなこと思ってないっての!」
 「いいや、思っている!」
 ビシイッ! と指を差して陽芽姉ちゃんは断言する。
 「お前はそう思っている。まちがいなく思っている。自覚がないのは男としての意識が邪魔しているからだ。さあ、よけいなプライドをすてろ。自分に素直になれ。心を見つめるのだ。そうすればわかる。それこそがいまの自分の本当の気持ちなのだと。そうだな? そうにちがいない。絶対にそうだ」
 『う……。
 ……ちょっとそうかも』
 「金子ぉっ! 人の後ろに妙な看板もって立つんじゃない!」
 「正直になっていいわよ」と、雪森。
 「いまどき、女装趣味の男なんてめずらしくもないし」
 ……雪森にだけはそんなこと、言われたくなかった。おれは落ち込んだ。
 「いや、実際、冗談抜きでよく似合っているぞ、弟よ。これで卒業後の就職先は心配ないな」
 「勝手に決めるな!」
 「でも、本当、かわいいわ」
 「雪森……」
 「うむ。夏祭りの目玉となるのはまちがいない。これで成功に近づいたというものだ」
 「そ、そうかな……」
 『そう言われると、ちょっとうれしいかも……』
 「だから、妙な看板作るな、金子!」
 おれは再び叫んだ。しかし――。
 鏡のなかの自分をそっと見る。たしかにかわいかったりする。断っておくがおれは決してひ弱な男ではない。たしかに高二の男としては若干、背は低いし、細身でもある。しかし、あくまでも細身の筋肉質。服を脱げばたくましくうねった筋肉の束が現われる。子供のころから田畑の仕事をこなしてきたのはダテではない。
 ところが、こういうヒラヒラピラピラした服で全身を包むと筋肉がすっかりかくされ、『小柄で細身』という部分だけが強調される。しっかり『華奢な女の子』に見えるから不思議である。
 ……しかし、親が息子のこんな格好を見たらどう思うか。勘当されることは覚悟しておこう。
 「問題は立ち居振る舞いだな」
 陽芽姉ちゃんが冷静に指摘した。
 「尽くして尽くしてツクシンボーのメイドさんにしては言葉使いが乱暴すぎる」
 「仕草も女の子には見えない」
 「仕方ないだろ。生まれてから一七年、ずっと男をやってきたんだ。急に女になんてなれるか」
 「口調」
 うぐっ……。
 雪森に冷静に指摘されておれは口ごもる。
 「と、とにかく……! 一応見た目は女の子になってるんだ。それで充分だろう。別にそこまで徹底しなくたって……」
 「あま~い!」
 ボヤくおれに対して金子が叫ぶ。両腕を突きあげ、背景には砕ける波涛。メガネをギラギラと輝かせ、真性オタク男の主張がはじける。
 「男の娘とは単にスカートをはいた男ではないっ! それは女装した男だ。男の娘はちがうっ! 男でありながら少女としてのはかなさ、可憐さを備え、男をして起たせる存在、『男相手なのに……』という背徳感を抱かせ、どれほど惹かれようとも男であるがゆえに手を出せない絶対清楚系、それでもなおエレクトせずにいられないトキメキを与える究極の萌え属性っ! それがっ! 男の娘なのだあっ!」
 稲光を放ってのその叫びにおれは圧倒される。両腕を突きあげて叫ぶ金子の足元に膝をつき、打ちひしがれる。……いやまあ、後になって冷静になってみればそこまでのことではないとわかるんだけど、このときは金子の迫力に押されてその気になってしまったのだ。
 「無理だ……」
 おれは腹の底からしぼり出すような声で呻いた。
 「おれはそんな存在にはなれない。男を起たせるなんて無理だ。とてもできない」
 ……もしかしたら、このときこそ、おれが生涯最大の絶望を感じた瞬間だったかも知れない。あくまで金子の勢いに乗せられたせいで『男の娘』になれないことがショックだったのではない……と、思いたい。
 「ふっふっ、案ずるな、藤岡。この金子雄二が何の考えもなくきさまに女装させたと思うか⁉」
 「なに?」
 いかにもな仕草でメガネをいじりながら言う金子を、おれはすがるような目つきで見上げてしまう。
 「お前ひとりではたしかに無理。しかし、すぐれた導師がいれば話は別だ」
 「導師とな?」と、陽芽姉ちゃん。
 「そんな人材がこの学校にいるのか?」
 「ははっ。このボンクラめをして真の男の娘へと導ける存在、それは……!」
 「それは?」
 「一年D組! 鈴沢すずさわ鈴果すずか! ここ仙台に居を構える、日本有数の劇団『ラビュタ・カーニバル』の跡取り娘! そして、完璧なる萌え系美少女! 彼女ならば必ずや、この不器用男を可憐なメイドさんにしてくれることでしょおぉぉぉぉぉっ!」
 「ほう。そんな人物がいたのか。なかなかどうして、この学校も人材豊富だな。よし、弟よ。すぐにスカウトに行ってこい」
 「この格好でかよ⁉」
 「当たり前だ。人に見てもらうのが一番の上達方法。せいぜい、学校中をまわって色気を振りまいてこい」
 「色気って……」
 「イベントではその格好で大勢の人を相手にするのよ。この程度のことでたじろいでいてどうするの」
 雪森にまで言われ――。
 おれはメイドさん姿で校内を歩きまわるはめになったのだった。
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