おれは農家の跡取りだ! 〜一度は捨てた夢だけど、新しい仲間とつかんでみせる〜

藍条森也

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一六章

氷の賢者の素顔は可愛くて……

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 それからは毎週まいしゅう、大忙しだった。金曜の夜に実家に向かってはSEED水田の世話に精を出す。
 SEED水田り込んだ米糠肥料のおかげか、SEED水田のなかはミジンコたちでいっぱいだ。このミジンコたちが魚たちを養ってくれている。ひいては、おれたちに糧を与えてくれる存在となる。まったく、ミジンコさまさまだ。感謝せずにはいられない。
 何でも食べるコイが他の魚を食い尽くしてしまうことを心配していたけど、その様子もなさそうだ。フナも、ドジョウも、メダカまでちゃんといる。小魚用の非難所を用意しておいたのがよかったのかも知れない。
 ザリガニやヌマエビも泳いでいた。ザリガニはいつでも子供に人気だし、食べてもうまい。どんどんふえてほしい存在だ。
 「いつまでも元気でいてくれよ」
 と、声をかけずにはいられない。
 生物量チェックを終えたら今度はみんなで畦の雑草とりだ。法面には何百株というクランベリーを植えた。水分を好むから水田まわりはピッタリの場所だし、実はポリフェノールを豊富に含み、健康果実として知られている。アメリカではブルーベリーの三〇倍もの消費量があるとか。生で食べる他、ジャムやジュース、果実酒にも向く……ということを雪森が調べてきて、決定したのだ。
 草とちがって木なら一度植えたら植えっぱなしでいい。毎年、種をまきなおす必要がない。クランベリーはごく丈の低い上に匍匐性だから、邪魔になるほど育たないし、枝を伸ばして勝手にふえてくれる。法面のグラウンドカバーには適任だろう。いずれは法面いっぱいに広がり、一面を赤い果実で満たしてくれるだろう。そうなれば安い値段で食べ放題にしてもいいし、ジャムや果実酒を作って売り出してもいい。食料の生産地を同時にイベント会場としてもとらえるSEEDシステムにはうってつけの果樹だ。
 ただ、いまはまだ植えたばかりでどの株も小さい。むき出しの部分が多くある。そこから雑草が生えて繁茂してはクランベリーのほうが負けてしまうかも知れない。そこでせっせと草取りをする必要があるのだ。クランベリーを植えた間の小さな隙間の雑草をとるのだから機械でガアッというわけにはいかない。一本いっぽん、手でむしるしかない。
 これがなかなか大変な作業なのだ。上からでは手が届かないから田んぼに入って下からむしるしかない。冷たいし、水の抵抗で体力を奪われるし、立ったり、しゃがんだりの連続で……水田育ちのおれでさえめげそうになったほどだ。
 「わっはっはっ。大変だろう。おれの子供の頃は草取りぐらいしなきゃ飯も食わせてもらえなかったんだぞ。せいぜい苦労して、いまの世のありがたさを思い知れ」
 と、親父が畔道の上に立ち、両手に腰をあてて豪快に笑い飛ばす。
 「嘘つけっ! 親父の年代なら子供の頃にはもう、除草剤を使うのが当たり前だったはずだろうが」
 「死んだじいさんのかわりに言ってやったんだ」
 ……そう言われると弱い。黙々と草取りをつづけるしかない。
 しかし、楽しみもあった。ホテイアオイの収穫だ。水面に群れているホテイアオイをひとつかみにして放り投げる。半分ほどを残して発酵槽に放り込んだ。このなかでホテイアオイはすりつぶされ、撹拌され、微生物の働きで分解され、バイオガスとバイオ肥料とに姿をかえるはずだった。理屈どおりに発酵槽が動いてくれるなら、だが。
 「でも、一株が三ヵ月で二〇〇〇株、なんていうほどにはふえてないよなあ」
 ホテイアオイを放り込みながらおれは言った。
 「熱帯植物だもの。この辺りでどんどんふえるには夏をまつ必要があるでしょう」
 「そうだな。けど、これだけのホテイアオイからどれだけのバイオガスがとれるのかな?」
 「それは、やってみなければわからない。素材に適した運転をすることでガスの発生量をふやせるとは聞くけど、ホテイアオイに適した運転方法なんてまだわからないし。できればいくつも用意して試したいところだけど……」
 「そんな余裕はないしなあ」
 「将来の課題というところね」
 ところで、我が家にはSEED水田だけではなく、親父の管理している普通の水田や畑もある。雪森は時間を見つけてはそちらの作業も手伝っていた。『協力してもらっているお返し』とか言うのではなく、純粋に作物が育っていくのを見ているのがおもしろいらしい。
 「あんな小さなお米の粒がこんなに大きく育つのかと思うと、すごく不思議な気がして」 それが雪森の答えだった。その気持ちはおれにもよくわかる。生まれた頃から稲の育つ姿を見ていたおれでさえ、毎年、そう思う。『細胞分裂がどうの』という理屈とは別の次元で『生命の神秘』というか、そんなものにふれる気分になるのだ。
 「……すごいよな。生き物って」
 「ええ。この景色をずっと見ていられたら幸せでしょうね」
 畔道に立ち、風にたなびく稲をふたり並んで見守っていられる。おれはもう、それだけで幸せだった。
 そして、日曜の夕方。すべての作業が終わったあと、おふくろが言った。
 「もう夕方だし、風呂入って、ご飯食べていきな」
 陽芽姉ちゃんと雪森が風呂に入っている間、おれは夕食の支度を手伝わされた。親父が言うには、
 「よそさまのお嬢さんが風呂に入っているのに覗きなどさせては申し訳がたたないからな。お前は母さんと一緒に飯の支度をしていろ」
 とのことだが、その親父が居間でひとりでビールを飲んでいるのはどういうわけだ? もし、覗きなんかしてみろ。いくら借りがあったってタダじゃすまさないからな!
 おふくろはおふくろで何やら企んでいそうな笑みを浮かべている。
 「耕一、耕一、そんで、そっちの方はどうなってるんだい?」
 「……何がだよ?」
 おふくろは片手を口に当て、もう片方の手をパタパタ振って見せた。いかにも噂話に興じるおばさん。楽しそうではある。
 「やだよ、もう、この子は。とぼけちゃって。あのかわいお嬢ちゃんたちとどこまで行ったかってことさ」
 「どこまでって別に……」
 「おっ? 否定しなくなったね。ということは順調に進んでるってことだね。いやあ、我が息子ながらやるじゃないか」
 「あのな、おふくろ……」
 「ほら、いままでなら『ちがう!』なんて叫んでたところじゃないか。それをしなくなったんだから進歩たよねえ。いやあ、よかった、よかった」
 と、おふくろはおれの三倍はありそうな体でおれを抱きしめ、グリグリする。
 「やめろっての、この親バカ!」
 その夜。おれは何となく眠れなくて外に出た。月明かりを浴びてきらめくSEED水田を眺めていた。ふと足音が聞こえた。
 「藤岡くん」
 「何だ、雪森もきたのか」
 「ええ。何となく眠れなくて」
 「おれもだよ。何かここが気になってさ」
 雪森はおれの横に並んだ。おれたちは月明かりを浴びながらふたり並んでSEED水田の水面を見つめていた。
 「……不思議だよな」
 「何が?」
 「この四月まで、おれはすべてをあきらめたつもりでいたんだ。『すっぱりあきらめて、かわいい彼女作って、他の道で成功してやる!』なんてさ。それがいまでは希望をもって、取り組んでいる。じいさんの水田を……守れるかもって……」
 言っているうちにおれのなかに熱いものがこみあげてきた。目頭が熱くなり、涙があぶれ出した。
 「藤岡くん……」
 「あっ、ごめん。ははっ、みっともないな。いい歳して泣くなんて」
 「そんなことない」
 雪森が静かに言った。
 「涙を流せるほど真剣になれるものがあるって、素敵だと思う」
 「雪森……」
 突然、雪森が言った。
 「ごめんなさい」
 いきなり謝られておれは目を丸くした。
 「何が?」
 「こんなことに巻き込んでしまって。わたしたちのわがままに過ぎないことにあなたの気持ちを利用した。ご両親まで。失敗すれば借金が残るだけなのに」
 「雪森……」
 「本当にごめんなさい。そして、ありがとう。もし、失敗したら借金はわたしが何とかするから……」
 「なに言ってんだよ⁉ そんなこと言うと怒るぞ!」
 「えっ?」
 「言ったろ? おれは『じいさんの田んぼを守れるかも』って喜んでるんだ。ずっとそう思っていたのに、どうしたらいいのかわからなくてあきらめた振りをしてたんだ。そのおれにそのための方法を教えてくれたのはお前たちじゃないか。恩に着せられこそすれ、謝られる理由なんかない。お前は何も気にせず、自分のやりたいことを思う存分やってくれればそれでいいんだ」
 おれは田んぼに向き直った。大きく両手を広げた。
 「もし、失敗したら……借金なんて何億になったっておれが返してやるよ」
 「藤岡くん……」
 「それより、おれのほうこそ謝らなくちゃな。ごめん」
 「えっ?」
 おれは雪森に頭をさげた。そのことがよほど意外だったのだろう。雪森は目を丸くして驚いた。……このクールビューティのこんな表情を見られるというのもなかなか貴重な体験だ。
 「おれ、お前のこと、誤解してた。噂どおりの危ないやつなんだろうって。でも、実際のお前は真面目で、礼儀正しくて、やさしくて……すごい素敵な女の子だった」
 雪森の白い頬が赤く染まった。
 「……いいのよ。『半分くらいは事実』だって言ったでしょ?」
 「でも、ほんと、ごめん」
 おれは上半身ごと頭をさげた。やがて、
 「……ありがとう」
 雪森の小さな声がした。
 顔をあげると雪森は背中を見せて走りさっていた。
 ――『ありがとう』って言ったときの表情を見逃したのは一生ものの悔いだったな。
 おれはそう思って苦笑した。
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