おれは農家の跡取りだ! 〜一度は捨てた夢だけど、新しい仲間とつかんでみせる〜

藍条森也

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一四章

氷の賢者もときには熱くなる

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 アパートに帰ると陽芽姉ちゃんはいなかった。いなくてもいいときにはいて、いてほしいときにはいないというのが何とも陽芽姉ちゃんらしいというか……。
 「……ええと。陽芽姉ちゃん、今日はいないみたいなんだけど」
 「いいわよ、別に」
 雪森は泰然たるものだった。男とふたりきりになるということをまるで意識していないらしい。
 ――これって、おれは男扱いされていないってことか?
 そう思うのはかなり切ない。
 「あっ、と、とにかく、あがれよ」
 「お邪魔します」
 と、軽く頭をさげながら言うとなかに入った。静かにドアをしめ、靴をそろえて室内にあがる。ひざまずいて靴の向きをなおす。自分の分だけでなく脱ぎ散らかしたおれの分まで。その仕草が礼法の先生みたいに様になっていたのでおれは驚いた。どう見ても昨日今日、身につけた付け焼き刃ではない。身にしみついた習慣だ。
 雪森ってひょっとして、お嬢さま育ちなのか? この前、連れて行かれたアパートを見るかぎり、とくにいい暮らしってわけでもなさそうだったけど。
 雪森は静かに正座した。この間も思ったけど、雪森の正座姿は本当に様になっている。まるで雪森のまわりだけ茶道教室になってしまったかのような、そんな上品で教養あふれる雰囲気になってしまうのだ。
 「それじゃ、はじめましょうか」
 「ああ、よろしく頼む。いや、頼みます」
 そして、勉強会がはじまった。これがまた驚きだった。雪森の教え方は懇切丁寧で、しかもやさしく、教師の説明などよりよほどわかりやすかった。
 「信じられない。数学がこんなにどんどんできるなんて」
 「数学は徹頭徹尾、論理だもの。ポイントさえつかめば一番わかりやすい科目」と、雪森。
 「その分、つまらないけど。機械的に計算していけばそれで答えが出てしまうから。小学校の算数のほうがまだ面白みがあった」
 と、いかにもつまらなそうな口調で言う。クールな美貌とあいまってシビれるぐらいに格好いい。おれも人生で一度でいいからこんな台詞を言ってみたい。
 二時間ばかりコーチしてもらったあと、雪森が言った。
 「この辺にしておく? 一挙にやるのもなんだし」
 「ああ、そうだな。ありがとう。こんなに気持ちよく勉強できたのははじめてだよ」
 「どういたしまして」
 と、雪森。クールな表情をわずかもくずさずに答える。こんなとき、ちょっと笑いながら言ってくれればうれしいのに。こいつの笑顔を見られるときはくるのだろうか?
 「お礼にお茶いれるよ。ちょっとまっててくれ」
 緑茶とせんべいを用意したところで、雪森の家でハーブティーをご馳走になったことを思い出した。小首を傾げた。雪森は『緑茶とせんべい』よりも『紅茶とケーキ』派だろうか?
 「こういうのはきらいかな? 紅茶とケーキがよければ買ってくるけど……」
 おれはテーブルに並べながら言った。
 「そうでもない。これはこれで好き」
 「そうか。よかった」
 お茶を飲むにも、せんべいを食べるにも音ひとつたてないあたりがいかにも雪森らしかった。その自然な上品さは雪森はやっぱり『お姫さま』だ。
 雪森がふと本棚を見た。
 「農業関係の本、多いわね」
 「……まあね」
 高校に入って農業はすてた。そのつもりだった。だけど、本屋で見かけるとやはりどうしても気になってしまい、こまめに買っていたのだ。『未練がましい』と思っていたけど、おかげで最新の農業事情に通じていられる。SEED部に所属したいまでは自分の未練がありがたい。
 「見ていい?」
 「ああ」
 雪森は本を手にとった。一冊いっさつ、丹念に眺めていく。その表情は授業を受けているときとはちがって真剣そのものだ。
 「おもしろいか?」
 「ええ。温暖化対策、収益を増すための工夫、水田に魚を戻す方法……創意工夫に満ちていてとても興味深い。下手なSFよりよほどおもしろい」
 「SF、好きなのか?」
 「ええ」
 と、雪森の答えはあくまでクールでそっけない。
 ――ヤンキーしていたのは退屈だったから。
 雪森がそう言ったのが何となくわかる気がした。
 これだけのクールビューティだ。きっと、小さい頃から別格だったろうし、それだけでもまわりからは浮いてしまうだろう。おまけに天才級の頭脳と運動能力まで合わせもっている。となれば、まわりの人間が近よりがたく感じるのも無理はない。おれはしばらくためらった末、思いきって聞いてみた。
 「……なあ」
 「なに?」
 「雪森ってさ。友だちいたこと、ないんじゃないか?」
 雪森が視線をあげた。おれをキッとにらみつけた。おれは後ろめたい思いを貫かれてひるんだ。雪森がおれをにらみつけたのはほんの一瞬で、すぐに視線を本に戻した。
 「あなたが気にすることではない」
 そう言った雪森の口調はいっそうクールで、感情を感じさせるものはなかった。しかし――。
 ――やっぱり、そうだったみたいだな。
 それきり、ふたりとも何もしゃべらなくなった。雪森はジッと本を読んでいたし、おれはおれで気まずい思いを抱えながらお茶を飲んでいた。すると、
 「いま帰ったぞ、弟よ」
 音高くドアを開けて陽芽姉ちゃんがやってきた。
 おれはホッとした。このまま雪森とふたりきりだったらいつまでこの雰囲気がつづくかわからない。陽芽姉ちゃんがいれば重いムードにならずにすむだろう。
 「おっ? 何だ、弟よ。この姉のいない間に弥生を連れ込むとはなかなかやるではないか」
 「そんなんじゃねえよ。勉強、教えてもらっただけで……」
 「かくすな、かくすな。私は物分かりの悪い親ではないからな。世間から後ろ指を刺されるようなことになっても応援してやるぞ」
 今度は親になる気か、こいつは?
 パタン、と音をたてて雪森が本を閉じた。本棚に戻した。静かに言った。
 「これで失礼するわ」
 「あっ、送るよ」
 「いいわよ。わりと近くだし」
 「いや、送るよ。勉強、見てもらったんだし」
 雪森につづいてアパートを出ようとするおれの首根っ子を、グワシとばかりに陽芽姉ちゃんがつかんだ。そして、言った。雪森にも聞こえる声で。
 「見事、送り狼になってこい、弟よ。ついてるならな」
 「ふざけるのもいい加減にしろ!」
 バタン、と音高くドアを閉め、おれは外に出た。頭から湯気を立てて怒っているおれを、雪森がジッと見ていた。
 「な、なんだ?」
 「本当の姉弟みたいね」
 ……うっ。
 たしかに。
 言われてみればさっきのやりとりはまさに姉弟そのもの。『バカ姉と出来のいい弟』路線なのが救いといえば救いだが……。
 おれはドアに額を押しつけてうなだれた。
 「……いつの間にかそう仕込まれてしまった」
 「しかたないわよ。部長だし」
 「そうだ。陽芽姉ちゃんではしかたがない」
 おれたちはめでたく意見の一致を見たのだった。
 おれたちは並んでブラブラと歩き出した。雪森のアパートまではそう遠くない。だけど、女の子とこうして並んで歩くのはいい気分だった。道行く人が振り返り、視線を送ってくるのが気持ちいい。
 「……何か、見られてるけど。どう見えるのかな?」
 「男と女」
 ……ちがう。
 『男と女』の意味がちがう。
 それからいくらか話をしているうちに『好きな本』の話になった。
 「『フランケンシュタイン』? 『フランケンシュタイン』がいちばん好きな本なのか?」
 「ええ」
 「けど、『フランケンシュタイン』ってあれだろ? ウ~ウ~唸る怪物が暴れまわる……あんなのが好きなのか?」
 おれの言葉に雪森はキッとにらみつけてきた。その視線の強さにおれはたじろいだ。
 ――お、怒ってる。怒った雪森……はじめて見た。
 「それはバカな映画が貶めた姿よ。原作の『フランケンシュタイン』はまるで別物。第一級のSF作品よ」
 そう主張する言葉の強さにおれは驚いた。
 ――雪森もアツくなることがあるんだ。
 それは何だか新鮮な発見だった。
 雪森のアパートについた。もちろん、おれは送り狼になったりはしない。念のため。
 「ちょっとまってて」
 帰ろうとするおれにそう声をかけて、雪森は部屋に入っていった。すぐに戻ってきて一冊の本をおれに手渡した。
 「はい、これ」
 本のタイトルは『フランケンシュタイン』。
 「これって……」
 「読んでみて。印象がガラリとかわることは確実だから」
 「あ、ああ、ありがとう」
 おれは本を受け取りながら言った。
 ――雪森ってもしかして、おれにけっこう、好意をもってくれてるのか?
 おれはそう思った。好意の欠けらもない相手にわざわざ自分の愛読書を進めたりはしないだろう。となれば、これは……。
 いや、まさかな。単に同じSEED部員としての心安さなのだろう。そうとも。そうに決まっている。あんなモデル級美少女がおれになんて……。
 とにかく、せっかく貸してくれたのだから、帰ってすぐに読んでみた。そして、泣いた。
 ああ、知らなかった、知らなかったよ。誰かれなく殺し、暴れるだけの粗野な怪物と思っていたその存在が本来、こんなに高潔で、忍耐強く、しかもかわいそうな存在だったとは。
 最初から最後までおれは泣きっぱなしだった。本を読んで泣いたのは生まれてはじめてだった。こんな感動を与えてくれた雪森におれは感謝した。
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