おれは農家の跡取りだ! 〜一度は捨てた夢だけど、新しい仲間とつかんでみせる〜

藍条森也

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三章

少年は世界を救う夢を見るか

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 一瞬、おれはモデルが入ってきたのかと思った。それぐらい、その女子生徒は美人だった。
 おれは彼女を知っていた。
 雪森ゆきもり弥生やよい
 去年、同じクラスだった女子生徒だ。
 何だか狙ったような名前だけど、その名に恥じない容姿の持ち主だ。艶のある漆黒の髪。輝くような白い肌、高校生とは思えない赤い唇。短く整えた髪がよく似合う、極めつきのクールビューティー。
 スタイルだって抜群。背はおれと同じくらいあるし、手足はスラリと長い。スリムな体つきだけど、出るべき所はちゃんと出ている。ちょっと反則的なぐらいの美少女だ。
 こんな古ぼけた部室なんかじゃなくて、ファッション雑誌のグラビアページこそがふさわしい。はっきり言って普通の女子高校生とは所属するリーグがちがう。
 去年、入学したての頃はあまりの美少女振りに学園中が騒然となった。かく言うおれも一目見た瞬間、『この学校にきてよかった!』と、心から思った。初日から学年を問わず告白する男が殺到し、クラスの前はいつも黒山の人だかり。噂では男性教師のなかにもラブレターを送ったやつがいるとか。
 昨年、一年ナンバー1美少女に選ばれたのは当然として、学園ナンバー1の地位も非公式ながら確定済み。だが――。
 雪森を見た瞬間、おれは反射的に恐怖に襲われた。学園ナンバー1美少女は同時に学園ナンバー1危険生物でもあったのだ。
 こう見えて武術の達人だとか、毎晩のように夜の町で喧嘩しているとか、告白した男たちをことごとく酷い言葉で痛めつけたとか、手酷いフラれ方をしたのを恨んだ男が襲ったのを逆にたたきのめして病院送りにしたとか、そんな噂が山ほどある。
 あくまで噂でおれが直接見たわけではない。クールビューティーすぎて近よりがたい雰囲気があったし、何より、ろくに学校にこなかった。そのせいで一年間、同じクラスだったのに、話をしたことすらないのだ。
 たまにクラスで見かけると決まってひとりでポツンとしていた。誰かと一緒にいるというのを見たことがない。ひとりで席に座って窓の外など見ている姿がやけに様になるやつだった。
 欠席が多いくせに成績は常に学年トップ。テストはほとんど満点。カンニング常習者との噂もあった。ただし、公平を期して言うなら、その噂を聞きつけた教師たちが徹底的な監視のもとで追試を行なわせたことがある。
 カンニングの様子など一切発見されなかった。それにもかかわらず、余裕で満点をとってのけた。それからすれば学年トップの成績もやはり実力なのだろう。ろくに出席しないのにそれだけの成績をおさめるのだから、いわゆる天才というやつなのだろう。それとも、実は家で猛勉強しているとか?
 どっちにしても、近よりがたい雰囲気と数々の恐ろしい噂のせいでいつも他の生徒からは遠巻きにされていた。ついたあだ名が『白雪鬼姫しらゆきひめ』。美貌と恐怖の伝説を合わせもつ、超有名人だ。
 その雪森がおれを見て言った。
 「……藤岡くん」
 『くん』? 『くん』だって? 名にしおう白雪鬼姫がおれのことを『くん』づけて呼ぶなんて。そんなキャラだったのか? だけど、それにしても――。
 ――何てきれいな声だ。
 考えてみれば雪森の声を間近で聞いたのはこれがはじめてだ。静かで、高く澄んだ、混じり気のない、天界の鐘の値を思わせるような声だった。その声を聞いただけで恐ろしい伝説の数々はすべて事実無根のやっかみにすぎず、本当の彼女は繊細で純粋な、汚れを知らぬ乙女なのではないか、と、そう思わされる声だった。
 「何だ、弥生。お前、この少年を知っているのか?」と、森崎先輩。
 「去年、同じクラスだったから」
 「そうか、そうか。それはますます運命的な何かを感じるな。では、少年。そういうことなら必要もないだろうが、一応、紹介しておこう。雪森弥生。我がSEED部の頭脳担当だ」
 やけにうれしそうに言う森崎先輩に対し、雪森は静かに尋ねた。
 「彼をスカウトしたの?」
 「鋭意、説得中だ」
 「そう。よろしく」
 おれは天地が引っ繰り返るほど驚いた。雪森が、あの悪名高き白雪鬼姫がなんと、おれに向かって軽く頭をさげたではないか。いや、いやいや、もちろん、挨拶しただけのことでそれ自体は不思議でもなんでもない。でも、しかし、雪森に関する恐怖の伝説の数々を考えると……。
 「さて、弥生。ちょうどSEEDシステムに関して説明しようとしていたところだ。発案者のお前から説明してやってくれ」
 「ええ」
 森崎先輩に言われて雪森は小さくうなずいた。
 「藤岡くん」
 雪森が静かにおれの名を呼んだ。
 「は、はい……」
 おれは思わず身を強ばらせた。
 ううっ。やはり、この声で『藤岡くん』などと呼ばれると、とても危険性物とは思えない。声だけで骨抜きにされてしまいそうな気が……。
 超美形でクールな『女教師』の個人授業。胸にズンズンきてしまうのはおれも男だ。許してほしい。
 「SEEDの意味については聞いた?」
 「いや……」
 「SEED、つまり、食料・エネルギー・イベント同時作」
 「食料、エネルギー、イベント?」
 「そう。わずかな土地で収入を増やすためにはより多目的に活用する必要がある。単に食料生産をするだけではなく、食料とエネルギーを同時に生産し、イベントも開催する。そのために農地に太陽電池を設置する」
 「ちょ、ちょっとまってくれ……!」
 「なに?」
 と、ちょっと小首をかしげて問い返す仕種が反則的にかわいい。その姿ひとつで骨抜きにされそうだった。
 「太陽電池なんて使えないだろう」
 「なぜ?」
 「だって、太陽電池なんて天候次第で全然、安定しないし……」
 「そのために燃料電池と組み合わせる。太陽電池で発電して得た電気で水を分解し、水素ガスを得る。その水素を使って燃料電池で発電。副産物として生成される水を生活や農業に使い、排水を再び電気分解して水素ガスにかえて燃料電池へ。そのサイクルが完成することで太陽電池でも安定して電気を供給できる」
 「でも、太陽電池で必要な電力を得るには広い土地が必要だって……確か、原発一基分の電力を得るのに山手線の内側と同じ面積がいるんじゃなかったか?」
 「太陽電池の効率はたしかに悪い。でも、それは欠点ではない。それこそが最大の長所」
 「どういうことだ?」
 「一億枚の太陽電池を一ヶ所に置くことはできない。それだけの数をひとりで管理することもできない。必然的に多くの土地に少しずつ設置し、多くの人間の手で管理されることになる。それは世界何億という貧農がエネルギーの生産者にかわるということ。現在では一握りの資源の持ち主の手に渡っている膨大なエネルギーマネーが多くの生産者に広く、薄く、分配されるようになるということ。太陽電池を基盤エネルギーとすることで貧困を根絶し、貧富の差を減少させる。それこそがSEEDシステムの目的」
 「つまりは世の中は太陽電池の本当の価値も、正しい使い方もわかっていないということだ、少年よ」
 森崎先輩が話を引き取った。
 「太陽電池はメガソーラーのように一ヶ所でまとめて発電するものではない。食料と同じように個々人が扱ってこそ意味をもつ。『広大な土地が必要』とは言っても、変換効率一〇パーセントの太陽電池で日本の総発電量を賄うために必要な土地は八〇万ヘクタールほどだ。日本の農地面積を四五〇万ヘクタールとして二割に満たない。つまりだ。日本の農地の二割に太陽電池を設置すればそれで事足りる、というわけだ。燃料電池と組み合わせることで不安定性も解消されるし、水不足の心配もなくなる。何より、太陽電池による売電収入があれば農家の経営はずっと楽になる。充分な収入さえあれば後継者に悩むこともあるまい。八〇万ヘクタール近い非耕作地もよみがえることだろう。それは君たち農家にとっても望むところだろう?」
 たしかに。米の販売価格が安すぎていくら作っても稼ぎにならないから米作りなどやめてしまい、そのかわりに少しでも副収入をと米作りをやめた田んぼでヌマエビやらジュンサイやらを育てているのが多くの米農家の現状だ。太陽電池による売電収入があればどれたけ助かることか。少なくとも、跡を継ごうとする息子に向かって『やめておけ』と言わなくてはならない、などという情況はなくなるだろう。実際、個人的に太陽電池を導入している農家は多い。しかし――。
 「太陽電池はコストが高い。たしか、火力発電の二倍ほどだったか。ドイツは太陽電池の普及に熱心だけど、おかげで高い電気代に悩まされているとも聞いた。それじゃ広まりはしないだろう。せいぜい、一部の熱心なエコ信者が取り入れるだけだ」
 「ほう。意外とくわしいのだな、少年よ」
 森崎先輩が感心したように言った。おれは思わずそっぽを向いてしまった。これでも、じいさんの田んぼを守る方法はないかと勉強したのだ。太陽電池の導入ぐらい、おれだって考えた。でも、設置コストを考えると現実的な利益はほとんどなかった。
 雪森が静かに答えた。
 「そのためのSEEDシステム。ひとつの土地で食料とエネルギーを同時に生産し、さらにテーマパーク化することでレジャー代を確保する」
 「テーマパーク化?」
 「そう」
 コクリ、と雪森はうなずいた。
 「たしかに太陽電池の発電コストは高い。でも、そのほとんどは設置コスト。設置してしまえば後は燃料はいらないし、ランニング・コストはほとんどかからない。ということはつまり、設置コストさえ賄うことができれば電気代は安くできるし、売電収入はまるまる利益になるということ。そのために農地をテーマパーク化して入場料を得る。その入場料で太陽電池の設置コストを賄う」
 おお、なるほど。
 おれは思わず手をたたいて納得していた。目からウロコが落ちる、というやつだ。たしかにそんな方法には気づかなかった。
 「でも、テーマパーク化って……たとえば?」
 「水路や溜め池を使ったプールやスケートリンク、水族館、森林浴場、果樹園、ミニ動物園、ファーマーズ・マーケットにレストラン、野外型のスポーツ施設に劇場、コンサートホール、美しい風景を利用してお祭りや保養地、菜園付きの別荘地、ロケ地などとして活用……」
 「よくそんなにスラスラ出てくるな」
 おれは感心するやら、あきれるやらで思わず口をはさんだ。雪森の頭のよさは知っているけど、いきなりこれだけのことを思いつけるものなのか。
 「はっはっはっ、なめるな、少年。どんな質問にも答えられるようシミュレーションは重ねてある」
 森崎先輩が勝ち誇ったように言う。それだけふたりは本気ということか。
 雪森がつづけた。
 「考えれば他にも方法は色々とあると思う。農地に関してはあなたのほうがくわしいわけだし」
 それはまあ、そうなんだけど……。
 「理屈としてはわかった。だけど、本当にそんなにうまくいくものなのか? わざわざ農地に人を呼ぶなんて大変なことだと思うけど」
 「だから、実証試験をしたいのだ、少年よ。そのために君の協力を願っている」
 「つまり、あなたの家の水田を使わせてほしいということ」
 「うちの田んぼを?」
 「そう。まだ初期型のデザインだけど……」
 雪森はチョークを手にとると黒板に簡単な図を描きはじめた。
 「畑とちがって水田は立体的な活用ができる。水田に太陽電池の屋根をかけ、水面ではバイオガスの原料となる浮き草も育てる」
 「バイオガス?」
 「ええ。ホテイアオイって知ってる?」
 「ええと……。聞いたことはあるような気が……」
 「南米原産の浮き草よ。『一〇〇万ドルの雑草』とも呼ばれているわ」
 「そんなに価値があるのか」
 「駆除するのにそれだけの費用がかかる、という意味」
 「駆除? たかが雑草を取りのぞくのにそんな費用がかかるのか?」
 「それぐらい、繁殖力が旺盛ということだ」
 森崎先輩がかわって説明してくれた。
 「何しろ、条件がいいと一週間で倍になるという代物だからな。世界中ではびこり、猛威をふるっている。水路を埋め尽くしたとか、船の航行を邪魔しているとか、そんな話はあちこちにある」
 言われてみれば川だか池だかを緑の浮き草が一面、覆い尽くしている様をニュースかなにかで見た覚えがある。あれがホテイアオイだったのだろうか?
 雪森が再び説明をはじめた。
 「もともとは観賞用として持ち込まれたものだけど、それぐらい繁殖力の強い植物だから一度はびこるととってもとってもとりきれない。駆除するためには膨大な費用がかかる。だから『一〇〇万ドルの雑草』。
 でも、それだけの繁殖力があるということは、見方をかえれば無尽蔵の資源として利用できるということ。部長の言ったとおり、ホテイアオイはあちこちではびこり、猛威を振るっている。そんな場所でホテイアオイを駆除するのではなく、バイオガスを生産するようにすれば膨大なエネルギーを生み出せる。そのとき、『一〇〇万ドルの雑草』は『一〇〇万ドルのエネルギー作物』へとかわる。そこで……」
 カッ、と音をたてて雪森はチョークの先を黒板に描いた図に叩きつけた。その勢い、クールな視線の奥の光の強さがおれを驚かせた。そのときの雪森はまるでマグマを封じ込めた氷だった。表面は切れるほどに冷たいのに、その奥には鉄をも溶かす熱が宿っている……。
 「太陽電池の屋根をかけることで電気を、ホテイアオイを繁殖させることでバイオガスを、水中では魚介類を育てることで食料を、それぞれに生産する。ひとつの土地で電気とガスと食料の同時生産が可能になる。その美しい風景を利用して癒し空間としても提供する。それで太陽電池の設置コストを賄う」
 「まってくれ。太陽電池の屋根なんかかけたら光が差し込まなくなる。それじゃいくら繁殖力が強くても育たないだろう」
 「太陽電池にはセルとセルの間を空けて光が透過するようにしたシースルー型もある。それなら、完全に日差しを遮ることはない」
 「でも、日陰にはなる……」
 「植物が生長するのに必ずしも直射日光は必要ない。自然のなかでは背の高い木の枝葉に遮られて木漏れ日しか利用できないことはいくらでもある。それでも植物はちゃんと生きて、育っている。強すぎる日差しが却って害になることもある。そのことはあなたの方がよく知っているはずでしょう?」
 たしかに雪森の言うとおり。植物にとって日差しはあればあるほどいい、などという単純なものじゃない。トマトやキュウリなどの果菜類はともかく、菜っ葉類は暑さに弱い。ものによっては夏の西日などを受けると葉焼けを起こして枯れてしまう。それを防ぐためにわざわざ丈の高い作物の陰になるように植えたり、遮光ネットを張ったりするのだ。
 「透過率が五〇パーセントもあれば充分に育つはず。繁殖のペースは落ちるかも知れないけど、一週間で倍のペースが三週間で倍に落ちたところで膨大な数になることにかわりはない。
 一年三六五日を三週間二一日で割れば一七ちょっと。一株が一七回、倍々ゲームをしたら最終的にはどれくらいになると思う?」
 「ええと……」
 おれは口ごもった。倍々ゲームを繰り返せばあっという間に数はふえていく、ということは知っている。でも、何といってもたった一株からはじめるのだ。まして、何十回も繰り返すわけじゃない。たったの一七回だ。いくらなんでも何万という数にはならないだろう。二〇〇〇、三〇〇〇、せいぜいそのぐらいだろう。いや、念のためにもう少し多めに見積もって答えておくか。
 「五~六〇〇〇てところかな?」
 「一三万一〇七二株」
 「そんなになるのか⁉」
 「ええ。それが倍々ゲームの恐ろしさ。まして、一週間ごとに倍になったらどんなことになるか。想像するのも恐ろしいわね。家庭用の電卓なんかでは回数に達するはるか手前で桁数オーバーで計算できなくなるのは確実。一〇万株のホテイアオイからいったいどれだけのバイオガスが生産できることか」
 「ちょっとまってくれ。ホテイアオイがそんな便利なものなら、どうして誰もやらないんだ? 世界中ではびこって困ってるんだろう?」
 誰かひとりぐらい、資源として利用することを思いつきそうなものだ。
 おれは雪森にそう言った。雪森は静かに答えた。
 「ホテイアオイの資源化は何度も試みられた。でも、うまくいかなかった」
 「何で?」
 「主な理由は残渣処理にかかる費用」
 「残渣処理?」
 「バイオガスを生産したあとには高栄養の残渣が残る。その残渣をそのまま捨てるわけにはいかない。浄化処理を施す必要がある。その処理にかかる費用とエネルギーのせいで利益が出ない」
 「じゃあ、意味ないじゃないか」
 「それは残渣を捨てる場合の話だ、少年よ」
 森崎先輩が言った。
 「栄養豊富な残渣はそのまま高品質の肥料として使うことができる。実際、バイオガス事業が成功するかどうかは残渣の使用場所が手近にあるかどうかにかかっていると言っていい。大量のホテイアオイからバイオガスを生産し、その残渣を使って新しいホテイアオイを栽培する。ひとつの農地でその循環を作りあげれば、残渣処理をする必要はない。費用もエネルギーもかからないどころか、肥料を作ったり、売り買いするためのエネルギーも費用もいらなくなる。二重の節約だ」
 「それに、ホテイアオイは別名『ウォーター・ヒヤシンス』と呼ばれるぐらい美しい花を咲かせる。群生させれば花期には観光客を呼ぶこともできる。つまり、イベント会場にすることができる」
 「つまりだ、少年よ」
 またしても、森崎先輩。
 「食料・エネルギー・イベント同時作をめざす我々にとって、理想的な植物、というわけだ。そこでだ、少年よ。君に協力してもらいたいのはここだ。我々はSEEDシステムを確立し、ゆくゆくは地域社会全体を巻き込んだ活動としたい。そのための説得材料としてまず、実験水田を作り、運用実績を重ねたいのだ。そのための土地を貸してほしい。ご両親にこの話をしてみてはくれないか?」
 なるほど。話はそうつながるわけか。そのためにおれを連れてきたというわけだ。ここに連れ込まれた理由がようやくわかっておれは安心した。
 雪森がさらにつづけた。
 「一ヘクタールの水田の二割に変換効率一〇パーセントの太陽電池をかけるとする。透過率が五〇パーセントなら発電規模は一〇〇キロワット。キロワット辺り六〇万で計算すると六〇〇〇万。太陽電池の寿命を二〇年とすると一年当たり三〇〇万。それだけの金額を毎年、レジャー代として確保できれば太陽電池の設置コストを賄うことができる」
 「年三〇〇万と聞くと大金に思うだろうが、ひとりあたり五〇〇〇円とすれば六〇〇人にすぎん。大した数ではなかろう?」
 一ヘクタールあたり、年に六〇〇人の観光客か。それぐらいならたしかにむずかしくはない気がする。自家生産の卵と米を使った卵かけご飯の店が大人気で遠くからも客がくるとか、田んぼの生き物を水槽につめたセットが人気商品だとか、釣り堀を作って雑魚釣りを楽しませているとか、そんな話はおれも聞いたことがある。グリーン・ツーリズムも人気だそうだし、地域をあげて取り組めば農地のテーマパーク化はむずかしいことではないだろう。それぐらいの観光客なら安定して呼べる気がする。
 「何しろ人間、生活費はちょっと値上がりしただけでもブーブー文句をつけるくせに、趣味だ、レジャーだとなると糸目をつけなくなるからな。まして、手近に遊び場があって、そこで遊ぶことで安いエネルギーと食料も手に入るようになる、となれば、こないほうがおかしい。それに、レジャーに費用を注ぎ込めるのは結局のところ、豊かな人間だ。SEEDシステムの導入によって金持ちが貧乏人の分まで食料代、エネルギー代を負担するという公平な社会ができあがる。それも自動的にだ。いい話だろう?」
 森崎先輩は腕を組み、自信満々で断言する。……胸の下で腕を組んでいるせいで、ただでさえミサイルみたいな胸がさらに競りあがっているのはちょっと困るのだが……。
 雪森が話を引き取った。感情を感じさせないどこまでもクールな声が火照った頬を冷やしてくれる。
 「設置コストさえ賄えれば売電収入は純益として計算できる。一〇〇キロワット規模の太陽電池なら日本における平均期待発電量は一〇万キロワットアワー。キロワットアワー一〇円としても一〇〇万円」
 一〇〇万か。たしかに魅力だ。それだけの副収入があったら農家はずっと楽になる。
 「加えてバイオガスの収入。ホテイアオイの生息密度は一平方メートル辺り二〇キロほど。二〇アールの池なら四〇トン。二週間に一度、半分ずつを収穫したとすれば月に四〇トンの収量。一年間では四八〇トンになる。
ホテイアオイから実際にどれだけの量のバイオガスが得られるかは実際にやってみなければわからない。でも、家庭の生ゴミ一トンからは、平均して一五〇立法メートルのバイオガスが得られるとされている。それと同規模だと仮定すると七万二〇〇〇立法メートル。一般家庭における一日のガス利用量を二立法メートルとして三万六〇〇〇日分。一立法メートル辺り一〇円だとしても七〇万円以上。
 実際にはこの計算は最適条件下のものだから、冬のきびしい東北では半分以下の収量になると思う。それでも、三〇万からの収入が見込める」
 雪森の並べる数字に引き付けられたのはたしかだ。それもかなり強く。うちには二ヘクタールの田んぼがある。雪森の言ったとおりにやるとすれば合わせて三〇〇万からの収入になるわけだ。農業収入と合わせれば一家族が暮らしていくための金としては悪くない。まして、食料もエネルギーも自家生産となれば生活費はずっと安くなるわけだし……。
 それだけの収入が別にあるなら米の値段はずっとさげられる。どんなに安い外国産米にでも対抗できる。同じ値段なら誰だって、農薬に包まれて遠くから運ばれてくる作物より、地元でとれた新鮮な作物を買うはずだ。それが実現すれば……。
 ――じいさんの田んぼを守っていける。
 胸がドキドキしてきた。
 一度はすてた夢。
 あきらめたはずの目標。
 それがいま、叶うかも知れないこととして現れてきた。興奮するなというほうが無理だ。
 『みんなで田んぼを守っていこう』
 そうみんなに呼びかけたときのおれにはみんなを説得する材料がなかった。『こうすればやっていける』というビジョンなど何ひとつなかった。だから、みんなを動かすことはできなかった。でも、こんな計画があれば、『これでやっていける』と示すことができれば……。
 それに、おれだって『少年』だ。森崎先輩や雪森の言う『世界を作る』という話にロマンを感じないわけじゃない。だけど――。
 「ひとつ、気になるんですが……」
 「何だ?」
 「それをするためにはバイオガスを作るための設備やら、太陽電池やら、かなりの設備投資が必要ですよね?」
 「当然だな」
 「そのための費用は誰が出すんです?」
 「うむ。それは非常に言いづらいのだが……」
 と、森崎先輩は腕組みしながらウンウンとうなずくと、ちっとも言いづらそうではない様子で言った。
 「そちらに出してもらいたい」
 「あなたたちの実験のための費用をこっちに出せって言うんですか?」
 「勝手な話だということはむろん、承知している。だから、こうして頼んでいる。何しろ、しがない女子高生にすぎない身ではそれだけの設備をそろえる金を工面する方法がないのでな。そちらの厚意に甘えるしかない」
 「無理ですよ、そんなの。うちだってギリギリのところでやってるんです。こう言ったら悪いけど、あなたたちの遊びのためにそんな大金を出す余裕なんてないんです」
 「これは遊びではない。世界を救うための壮大な実験の第一歩だ」
 「世界を救う前にうちを救ってほしい情況なんですよ」
 「ほほう。うまいことを言うな、少年よ」
 誉められたからと言って喜ぶ気にもなれない。
 試してみたい。
 やってみたい。
 そう思ったのは事実だ。だけど……。
 肝心の初期投資をするための金がうちにはないのだ!
 太陽電池を買うための数千万もの金を、後継者を残すこともできない零細農家にどうして用意できる? できるわけがない! もし、どうにかして用意しようとすれば家も土地もすべて担保に入れて借りるしかない。そこまでやって失敗したらどうなる? じいさんの田んぼは他人のものとなり、きっと潰されて跡形もなくなってしまう。家からも追い出され、借金だけ抱えて夜逃げする羽目になる。
 そのリスクを考えたらとても受け入れられるような話じゃない。もちろん、このまま何もせずにいればやがてはそうなることはわかっている。しかし、いまのままなら少なくとも親父とお袋は農家として一生を全うできる。生まれ育った家で死んでいける。それなのに、借金まみれのホームレスとなって野垂れ死にする羽目になりかねない、そんな話に乗れるわけがない。
 ――結局、豊かになれるのは元々の金持ちだけなんだよな。
 またしても、だ。おれは苦い思いを込めて笑う。おれはまたしても現実に負けたわけだ。金のない人間は挑戦することさえできはしない……。
 おれはもう一秒だってこの場にいたくなかった。
 「悪いけど、これで失礼します。そんなことなら他を当たってください。金がありすぎで使い道に困っているような人にね」
 「まあ、まて、少年。たしかに勝手な話だが、君たちにとっても利益はあるはずだ。SEEDシステムが確立されれば君の家の収入もふえる。それは望むところだろう?」
 「成功するという保証は?」
 「ない」
 「失敗したとき、金を返済する当ては?」
 「ない」
 「それじゃ話にも何もなりませんよ。少しは現実的になってください」
 「では、世界のありさまを放っておくのか? SEEDシステムが確立されれば世界はかわる。飢えも、紛争もない世界が実現するのだぞ。その未来をみすみすすてると言うのか?」
 「そんなの、高校生の考えることじゃない。国の考えることですよ」
 「高校生は世界を救うことを考えてはいかんのか?」
 「……いや」
 あまりに真っすぐなその問いに、おれは視線を合わせていることさえできなかった。
 「高校生だろうと、赤ん坊だろうと、等しくこの世界に生きる身だ。ならば、自分の生きる世界のために考え、行動していけない理由はない。
 それにだ、少年。君は『金持ちに相談しろ』と言った。だが、SEEDシステムは金持ちのためのシステムではない。わずかな土地にしがみつき、小金を稼いで糊口をしのいでいる人々のための武器なのだ。我々の手で実現できなければ意味がない。金持ちの手で実現されてはダメなのだ。だから、零細農家である君に頼むのだ。せめて一度、考えてみてはくれないか?」
 ジッと、森崎先輩のメガネの奥の瞳がおれを見つめている。その真剣さが胸に痛い。おれは目をそらした。唇を噛みしめた。
 「……うちには無理です。中二病患者の妄想に付き合ってる余裕なんてないんですよ」
おれはそれだけを言うとドアを開け、外にむかって駆け出した。まるで逃げ出すように……。
 逃げ出すように?
 ちがう。おれは逃げたのだ。いればいるほど未練がつのってしまうから。無理だとわかっていても挑戦したくなってしまうから。だから、おれは逃げたのだ。
 ――今度こそすててやる。
 逃げながらおれはそう思った。
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