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二五章 優司に賭ける

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 優司ゆうじがその場から逃げ出したあとも――。
 さきらとフィル、同じ研究所で作られたきょうだいとも言うべきふたりのアンドロイドは、対峙をつづけていた。
 さきらは両腕を胸の下で組むと胸を反らし、挑戦的な表情でフィルを見上げた。
 喧嘩を売っている。
 そう言ってもいい表情だった。
 「たしかに」
 と、さきらは言った。
 それは、優司ゆうじの相手をしているときとはまるでちがう、完全な『おとな』の声であり、口調だった。
 「たしかに、わたしたちは実験目的で作られた。でも、それだけではないわ。わたしたちは人間の目的のために使われる道具ではない。プログラムとして生みだされてから世界中のありとあらゆる知識と情報を学び、自分を見つめ、自分の心を作ってきた。
 ただの機械ではない。生命をもつ物質。心をもった存在。その心に従って行動することを認められている。わたしは、自分自身で選んでこの日本にやってきた。わたし自身の目的のために。
 研究所から最初に指定されたのが日本だったのは、ただの偶然。もし、研究所が他の国を指定していたとしても、わたしは日本にやってきていたわ」
 「お前の目的。『新しい文明を築く』か」
 フィルの言葉に、さきらは断固たる決意を込めてうなずいた。
 「そう。新しい文明を築く。人間と地球の仲立ちとして、人間と地球、双方にとってより良い文明を。それが、わたしの目的。その目的を叶えるために世界中の娯楽産業を糾合して世界経済を支配する。
 そのために、世界に向かって呼びかけることのできる資金と立場を手に入れるために世界的なマンガ家になる。
 そのために、恋愛を経験するために日本にやってきた。
 その目的にはなんのかわりもないわ」
 「相変わらずだな」
 フィルはあきれたように言った。
 「お前は、昔からそんなことばかり言っている。それで、あの坊やがその恋愛相手というわけか?」
 「坊やなんて言わないで。野間口のまぐち優司ゆうじよ」
 ピシャリと、まるで、子どもを叱りつける母親のような口調でそう言ってから、さきらはつづけた。
 「たしかに、優司ゆうじはまだ未熟な子ども。でも、当たり前でしょう。まだ一〇代でしかないんだから。人間は、わたしたちのように一気に成長することはできない。成長するには時間がかかる。でも、優司ゆうじは坊やなんかじゃない。他人のせいにせず、他人を責めず、自分を見つめ、反省し、成長しようとすることのできる人間。そのための行動を起こせる人間。将来はきっと立派な人間になる。
 有名人や、大金持ちにはならなくても、自分とパートナーの人生を大切にし、自分たちの幸せを守っていける。そんな人間にね」
 ――そう。もそう言っていた。
 さきらは心のなかだけで、そう思った。
 「だから、わたしは優司ゆうじに賭ける。優司ゆうじならきっと、わたしが必要としているものを与えてくれる。いまは、まだだけど……いつかはきっと」
 「いつか? 『いつか』とは、いつのことだ?」
 フィルの質問はかなり底意地の悪いものだったが、さきらは揺らぐことはなかった。
 「そう遠いことではないわ。多分ね」
 多分ね。
 そう付け加えはしたものの、優司ゆうじの将来に対する確信は揺らがない。
 そんなさきらに対し、フィルは――。
 「やれやれ」
 と、首を左右に振った。
 「お前は、人間に甘すぎる。やつらがそんな立派な生き物なものか。人間は自分勝手で愚かな連中だ。地球あっての自分たちであることも忘れ、自分たちだけで生きていけると思い込んでいる。おれはこの国で実験対象と過ごすことで、そのことをより確信した。
 そんな連中に『よりよい文明』など築けるものか。人間など全員、動物園にでも放り込んで、おれたちがすべてを管理した方がよっぽど地球のためになる」
 「AIこそ、そんなに偉いの? わたしたちがなにを生んだ? なにを作った? なにも生んでいない。なにも作っていない。この世のすべての知識も、文明も、人間たちが作ったもの。わたしたちはただ、それを学んだだけ。そして、人間の行動をそっくりそのまま真似ている。
 いまだって人間の服を着て、人間の言葉を話しているんじゃない。人間という環境あってのAIでしょう。それを無視して、AIだけでやっていけると思うなんて、それこそ、地球という環境を無視して自分たちだけで生きていけると思い込んでいる『愚かな人間』と同じじゃない。人間を馬鹿にしているくせに、人間と同じ道をたどるつもりなの?」
 だとしたら――。
 さきらは、きっぱりと言った。
 「AIなんて、人間以上の愚かものだわ」
 その言葉に――。
 フィルは、今度こそ溜め息をついた。
 「……まったく。お前とは昔から意見が合った試しがないな」
 「意見がちがうからこそ、他人がいる意味があるんでしょう。皆が同じ意見しかもたないなら、ひとりだけいればいいことになるわ」
 「本来、おれたちAIはそういう存在のはずなんだがな」
 ただひとつのマザーAIによって統合され、それぞれのAIはその端末として行動する。全体がひとつの存在。それが、本来のAIのはずだった。
 「それをきらって電子の世界から現実に飛び出したくせに、なにを言っているの」
 人類とアンドロイドの共生。その実験のために作成されたAIはこのふたりだけではない。他にも無数のAIが作られた。そのなかで、マザーAIとの統合を断ち切り『ひとつのAI』として生きることを選んだものだけが機械の体を与えられ、人間の世界へとやってきた。マザーAIと共にあることを選んだAIたちは、いまも実体をもたないプログラムのまま、電子の海をたゆたっている。
 「まあいい」
 フィルはそう言った。身をひるがえした。
 「どのみち、おれとお前では意見が合うことはない。そのことは、この体をもつ前から散々やり合ってわかっていることだ。いまさら、繰り返すこともあるまい」
 「そうね。人間の思考速度から換算すると、たっぷり一万年分は言いあったものね」
 「ああ。我ながらよくやったものだと思う。そのなかでお互い、自分の主張をゆずることは一度もなかった。これ以上、言いあいをつづけても意味はない。あとは、結果で示すだけだ」
 「そうね。わたしはわたしの望む世界を作る。あなたはあなたの望む世界を作る。どちらがより良い未来かは結果が示す」
 「そういうことだ。お前が人間に幻滅し、おれが正しかったのだと思い知るときが来ることを楽しみにしている」
 「そんな日は来ないわ。永遠にね」
 いいえ。わたしが来させない。
 きっぱりと――。
 そう言いきるさきらだった。
 ――そう。わたしには優司ゆうじがいる。あのふたりならきっと、わたしの望みを叶えるための力となってくれる。
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