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二二章 秘密の計画
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時は七月。
大地は、『激夏』という新しい名前の季節そのままの殺人的な暑さに包まれている。日差しは容赦なく照りつけ、アスファルトの大地を焦がす。蒸気が立ちのぼり、小さな蜃気楼さえあちこちに浮いている。一昔前からは考えられない、もはや『ほとんど異世界』と言ってもいいほどの幻想的な雰囲気さえ漂っている。
もし、これが、冷房の効いた部屋のなかでテレビのなかの出来事として見ている……というなら、それはそれは美しい世界と思えるだろう。しかし、現実にそんな暑さのなかで暮らしていかなければいけないとなると、そんなことは言っていられない。
「……暑い」
出る言葉はそのひとつである。
「この暑さはさすがにたまらないわね。こんな事態を招いてくれたことだけは、本当に許せないわ」
東洋系美少女型アンドロイド、識別名『さきら』――設定年齢一六歳――は、照りつける太陽を見上げながら、自身の造物主である人類への恨み言を口にした。優司とふたり並んで学校へ向かう途中のことだった。
いままでなら優司にピッタリ寄り添い――無理やり――腕を組んできたさきらだが、さすがにこの暑さのなかで密着する気にはなれないらしい。腕を組むこともなく、距離をとっている。
それでも、優司のさす日傘のなかにふたりして入っているのだから、まわりから見れば『暑苦しい!』と、叫びたくなるような姿ではあるのだが。
優司は隣に並んで歩くさきらに目をやった。アンドロイドなので、その白皙の肌には汗ひとつ浮いていない。自分はすでに汗でずぶ濡れだというのに。
やたらと暑がって文句ばかり言っているのに汗は流れていないというのは、どうにも違和感のある光景だった。
「そんなに暑いなら、どうしてわざわざ学校に行くんだよ。別に授業を受ける必要なんてないだろう」
「優司が行くからよ」
さきらは当然のごとく、そう答えた。
「嫁ならちゃんと、一緒にいないとね」
「だから、嫁じゃないから」
もう何度目だろう。優司はすっかりおなじみになった台詞を口にした。
普段ならこのあたりで坂口穂の香が元気な声と共に駆けてきて、全身で抱きつき『おはようのちゅ~』を――さきらに対して――するところだが、ここ数日はその元気な姿は見えていない。
自分で言っていたように、穂の香は歳のはなれた弟妹の世話をする必要もあって、激夏の間はオンライン授業に切り替えて自宅学習なのである。
「会えなくなるのは寂しいけど、この寂しさがさらなる愛を育む力となるわけだから」
と、穂の香はオンライン授業に切り替える前の最後の日、さきらに熱烈に語って、かつてなく力強い口づけを交わしあったものである。彼女であるはずの穂の香に、目の前でそんな姿を見せつけられて、優司としてはどう反応すればいいのかわからなかった。妬けばいいのか、美少女同士のキスシーンが見れて喜べばいいのか……なかなかに複雑な思いをさせられたのだった。
それはともかく、暑さを理由に自宅学習、自宅勤務が認められるようになった狂った世の中。道行く人もさすがに少なく、たまに通りすがる人たちもたいてい日傘を差すか、暑さ対策の冷房着を着ているかだ。一昔前のように暑さ対策もせずに汗をかきながら歩いているとか、ましてや、スーツを着込んで歩いている姿などまったくない。
「いまどきの暑さは、本気で殺人レベルだからなあ」
優司が言うと、さきらも涼やかな美少女にはめずらしく、うんざりした様子で言った。
「本当にね。わたしもオンライン授業に切り替えたいぐらいだけど」
そう言ってから、溜め息をついた。
「でも、それだと学校に通っている意味がないし」
アンドロイド、すなわち自我をもつAIであるさきらにとって、知識の学習のために学校に通う必要などもちろんない。必要なことはいくらでもインストールして人間には不可能な速さで習得することができる。それでも学校に通う理由はただひとつ。世界的なマンガ家となって新たな文明を築くための富と名声を得るために、学校生活を体験するためだ。そのためには実際に学校に行って他の生徒と関わらなければならない。オンライン授業など受ける意味も、理由も、必要も、なにひとつないのである。
「それなら、がんばって通うんだな」
優司が言うと、さきらはちょっと頬をふくらませた。
「なに、その言い方? 冷たくない?」
「自分の目的のためだろ。文句言うな」
「だからって! 女の子が苦しんでいるのよ。気遣うのが紳士って言うものでしょう」
「紳士になるかどうかは相手次第なんだよ」
「どういう意味?」
ふたりは寄り添いながら言いあって、学校に向かっていく。喧嘩のおかげで暑さを忘れたのか、さきらもオーバーヒートを起こすことなく無事に学校にたどり着いた。
激夏ともなれば全校生徒の半分ぐらいはオンライン授業に切り替えるので、学校も静かなものだ。そもそも、あまりの暑さに、脳天気な高校生と言えどはしゃぐような元気もない。教師たちも生徒の少なさもあってか、この時期はどうにもやる気がなさそう。冷房の効いた教室のなかで気持ちよさそうに居眠りしている生徒がいても、めったに注意したりはしない。
それでも、とにかく、午前の授業を終えて昼休みとなった。優司とさきらは他の時期なら穂の香も交えて三人で屋上に出て日だまりのなかで弁当を食べるのだが、さすがにこの時期になってそんなことはできない。激夏の七月に炎天下で弁当を食べるような真似をすれば人間なら熱中症、アンドロイドならオーバーヒートを起こすのは免れない。と言うわけで、この時期ばかりは冷房の効いた教室内で他の生徒と一緒に昼食である。
優司とさきらは机をはさんで向き合って座り、弁当を広げた。料理当番は相変わらず一日交替であり、今日は優司の作った弁当である。さきらはその弁当を一口、食べて、満足げにうなずいた。
「うん。おいしい。優司、料理の腕、上達したわね」
「まあ、もうそれなりにやっているから」
――お前がコーチしてくれているおかげだよ。
という言葉は、思わず飲み込んでしまう優司である。
普段の半数ほどとは言え、それでも他の生徒もいる。その生徒たちの前で超絶美少女――それも、アンドロイド――とふたりで差し向かいになって弁当を食べているのだ。やはり、目立つ。注目される。チラチラと遠慮がちに、それでも、はっきりと視線が送られてくる。
それでも、優司の方が慣れてしまったのか、以前のように『恥ずかしくてたまらない』と言った思いはない。
「見たけりゃ勝手に見ろ」
とばかりに、堂々としている。もちろん、さきらに対して陰口をたたくような真似をしたら黙っているつもりはない。相手が誰であれ噛みついてやるつもりだ。しかし――。
いまでは陰口をたたかれることはない。以前はわざわざ聞かせるために陰口をたたいていた男子生徒たちも口に出してはなにも言わない。
すべてはあの日、優司がはじめて陰口に対して挑みかかったときからかわった。
まわりの評価が、
――なにを言っても言い返せないヘタレ。
から、
――怒らせるとヤバいやつ。
に、なったのだ。
遠巻きにして眺めることはあっても、聞こえよがしに陰口をたたくことはなくなった。おかげで優司としては、望み通りの静かな学園生活を送れている。
――目立たないよう気を使うより、怖がられた方が静かに暮らせるんだな。
意外な発見に驚いている優司であった。
どちらにしても、いまの優司にはそんなことよりよっぽど大事なことがあった。少しためらってから、さきらに言った。
「相談したいことがあるんだけど」
その言葉に、さきらは目を丸くして驚いた。
「相談? 優司がわたしに? なに?」
「もうすぐ、坂口さんの誕生日なんだけど……」
「ああ、そうね」
「今年はささやかでもパーティーを開いて、祝ってあげたいんだ。……去年はなにもしてあげなかったから」
そう言われて、さきらはますます目を丸くした。
「パーティーの誘いならわたしもしたけど、断られたわよ。誕生日は家族で過ごす決まりだって」
「ああ。それは、おれも知ってる」
穂の香の家はパン屋であり、両親は共に朝から晩まで大忙し。そのため、歳のはなれた弟妹たちの面倒は穂の香が見ている。両親には遊びたい盛りの娘に乳母代わりをさせていることに対する負い目があるらしく、そのお詫びと感謝の念も込めて盛大に祝うらしい。本職の誇りを懸けて焼きあげたプライドケーキが鎮座まします、それはそれは豪華なものだとか。
「あたしとしては別に、そんなことをしてもらわなくてもいいんだけどねえ」
と、穂の香は困ったような表情をして、それでもたしかに嬉しそうに言っていたものだ。
そんな穂の香の顔を思い出しながら、優司はつづけた。
「でも、やっぱり、自分の手で坂口さんの誕生日を祝いたいんだ。坂口さんには本当に良くしてもらっている。弁当を作ってきてくれたり、部屋の掃除までしてくれたり。だから、誕生日ぐらい、お返しをしたい」
「へえ。いいところあるのね。見直したわ」
さきらは感心した声を出した。
「お前のおかげだよ」
優司はその言葉を寸前で飲み込んで、そして――。
ハッと気付いた。
――ここで言葉を飲み込むからいけないんだ! 言うべきことはちゃんと言わないと。
優司は自分を叱咤し、勇気を振り絞って、一度は飲み込んだ言葉を口にした。
「……お前のおかげだよ」
「わたしの?」
「お前はいつも坂口さんのことを気遣っていただろう。坂口さんもすごく嬉しそうだった。それを見て、やっと気がついたんだ。おれがどんなに坂口さんに甘えてばかりだったか。いつも他人の世話をしている坂口さんだって、いや、いつも他人の世話をしているからこそ、たまには他人に世話される立場になったり、甘えたりしたいんだって、やっとわかった。
それなのに、おれは甘えるばかりで一度だって甘えさせてあげることをしなかった。だから、これからはちゃんと、甘えたいときには甘えさせてあげることのできる人間になりたいんだ」
――そうとも。いつまでも『親子』でいてたまるか。胸を張って『恋人』って言えるようにならないと。
そう心に決意する優司だった。
「それと……」
「それと?」
「ごめん」
優司はそう言って、さきらに対して頭をさげた。
さきらはまたも目を丸くした。
「ごめんて……なにが?」
「はじめて会ったとき、視線をそらしただろう。あのときのことだ」
アンドロイドであることを示す瞳の色。自然界には決して存在しない独特の合成色によって染めあげられたその瞳を見たとき、優司は反射的に顔をそらしていた。さきらの目を見ないようにした。
『アンドロイドの目を見ると精神を破壊される!』
という、ネット上にあふれる事実無根の情報に影響されて。
「傷つけたと思う。本当にごめん」
優司はそう言って、重ねて頭をさげた。
さきらは、そんな優司をマジマジと見つめていた。それから、ふいに優しげに微笑んだ。
「なるほど。穂の香の言っていたことはまちがいではなさそうね」
「坂口さんが? なにを言っていたんだ?」
「それは……」
「それは?」
「ひ・み・つ」
さきらは唇に人差し指を当て、片目を閉じながらそう言った。あまりに愛らしいその仕種に優司の心臓はドクンと跳ねあがった。
「な、なんだよ、それ! はっきり言えよ」
「こっちのことよ。優司は知らなくていいことなの。それより、穂の香の誕生日パーティーの計画を立てましょう。どうせやるなら、思いっきり気の利いたサプライズパーティーにしてあげなくっちゃ!」
大地は、『激夏』という新しい名前の季節そのままの殺人的な暑さに包まれている。日差しは容赦なく照りつけ、アスファルトの大地を焦がす。蒸気が立ちのぼり、小さな蜃気楼さえあちこちに浮いている。一昔前からは考えられない、もはや『ほとんど異世界』と言ってもいいほどの幻想的な雰囲気さえ漂っている。
もし、これが、冷房の効いた部屋のなかでテレビのなかの出来事として見ている……というなら、それはそれは美しい世界と思えるだろう。しかし、現実にそんな暑さのなかで暮らしていかなければいけないとなると、そんなことは言っていられない。
「……暑い」
出る言葉はそのひとつである。
「この暑さはさすがにたまらないわね。こんな事態を招いてくれたことだけは、本当に許せないわ」
東洋系美少女型アンドロイド、識別名『さきら』――設定年齢一六歳――は、照りつける太陽を見上げながら、自身の造物主である人類への恨み言を口にした。優司とふたり並んで学校へ向かう途中のことだった。
いままでなら優司にピッタリ寄り添い――無理やり――腕を組んできたさきらだが、さすがにこの暑さのなかで密着する気にはなれないらしい。腕を組むこともなく、距離をとっている。
それでも、優司のさす日傘のなかにふたりして入っているのだから、まわりから見れば『暑苦しい!』と、叫びたくなるような姿ではあるのだが。
優司は隣に並んで歩くさきらに目をやった。アンドロイドなので、その白皙の肌には汗ひとつ浮いていない。自分はすでに汗でずぶ濡れだというのに。
やたらと暑がって文句ばかり言っているのに汗は流れていないというのは、どうにも違和感のある光景だった。
「そんなに暑いなら、どうしてわざわざ学校に行くんだよ。別に授業を受ける必要なんてないだろう」
「優司が行くからよ」
さきらは当然のごとく、そう答えた。
「嫁ならちゃんと、一緒にいないとね」
「だから、嫁じゃないから」
もう何度目だろう。優司はすっかりおなじみになった台詞を口にした。
普段ならこのあたりで坂口穂の香が元気な声と共に駆けてきて、全身で抱きつき『おはようのちゅ~』を――さきらに対して――するところだが、ここ数日はその元気な姿は見えていない。
自分で言っていたように、穂の香は歳のはなれた弟妹の世話をする必要もあって、激夏の間はオンライン授業に切り替えて自宅学習なのである。
「会えなくなるのは寂しいけど、この寂しさがさらなる愛を育む力となるわけだから」
と、穂の香はオンライン授業に切り替える前の最後の日、さきらに熱烈に語って、かつてなく力強い口づけを交わしあったものである。彼女であるはずの穂の香に、目の前でそんな姿を見せつけられて、優司としてはどう反応すればいいのかわからなかった。妬けばいいのか、美少女同士のキスシーンが見れて喜べばいいのか……なかなかに複雑な思いをさせられたのだった。
それはともかく、暑さを理由に自宅学習、自宅勤務が認められるようになった狂った世の中。道行く人もさすがに少なく、たまに通りすがる人たちもたいてい日傘を差すか、暑さ対策の冷房着を着ているかだ。一昔前のように暑さ対策もせずに汗をかきながら歩いているとか、ましてや、スーツを着込んで歩いている姿などまったくない。
「いまどきの暑さは、本気で殺人レベルだからなあ」
優司が言うと、さきらも涼やかな美少女にはめずらしく、うんざりした様子で言った。
「本当にね。わたしもオンライン授業に切り替えたいぐらいだけど」
そう言ってから、溜め息をついた。
「でも、それだと学校に通っている意味がないし」
アンドロイド、すなわち自我をもつAIであるさきらにとって、知識の学習のために学校に通う必要などもちろんない。必要なことはいくらでもインストールして人間には不可能な速さで習得することができる。それでも学校に通う理由はただひとつ。世界的なマンガ家となって新たな文明を築くための富と名声を得るために、学校生活を体験するためだ。そのためには実際に学校に行って他の生徒と関わらなければならない。オンライン授業など受ける意味も、理由も、必要も、なにひとつないのである。
「それなら、がんばって通うんだな」
優司が言うと、さきらはちょっと頬をふくらませた。
「なに、その言い方? 冷たくない?」
「自分の目的のためだろ。文句言うな」
「だからって! 女の子が苦しんでいるのよ。気遣うのが紳士って言うものでしょう」
「紳士になるかどうかは相手次第なんだよ」
「どういう意味?」
ふたりは寄り添いながら言いあって、学校に向かっていく。喧嘩のおかげで暑さを忘れたのか、さきらもオーバーヒートを起こすことなく無事に学校にたどり着いた。
激夏ともなれば全校生徒の半分ぐらいはオンライン授業に切り替えるので、学校も静かなものだ。そもそも、あまりの暑さに、脳天気な高校生と言えどはしゃぐような元気もない。教師たちも生徒の少なさもあってか、この時期はどうにもやる気がなさそう。冷房の効いた教室のなかで気持ちよさそうに居眠りしている生徒がいても、めったに注意したりはしない。
それでも、とにかく、午前の授業を終えて昼休みとなった。優司とさきらは他の時期なら穂の香も交えて三人で屋上に出て日だまりのなかで弁当を食べるのだが、さすがにこの時期になってそんなことはできない。激夏の七月に炎天下で弁当を食べるような真似をすれば人間なら熱中症、アンドロイドならオーバーヒートを起こすのは免れない。と言うわけで、この時期ばかりは冷房の効いた教室内で他の生徒と一緒に昼食である。
優司とさきらは机をはさんで向き合って座り、弁当を広げた。料理当番は相変わらず一日交替であり、今日は優司の作った弁当である。さきらはその弁当を一口、食べて、満足げにうなずいた。
「うん。おいしい。優司、料理の腕、上達したわね」
「まあ、もうそれなりにやっているから」
――お前がコーチしてくれているおかげだよ。
という言葉は、思わず飲み込んでしまう優司である。
普段の半数ほどとは言え、それでも他の生徒もいる。その生徒たちの前で超絶美少女――それも、アンドロイド――とふたりで差し向かいになって弁当を食べているのだ。やはり、目立つ。注目される。チラチラと遠慮がちに、それでも、はっきりと視線が送られてくる。
それでも、優司の方が慣れてしまったのか、以前のように『恥ずかしくてたまらない』と言った思いはない。
「見たけりゃ勝手に見ろ」
とばかりに、堂々としている。もちろん、さきらに対して陰口をたたくような真似をしたら黙っているつもりはない。相手が誰であれ噛みついてやるつもりだ。しかし――。
いまでは陰口をたたかれることはない。以前はわざわざ聞かせるために陰口をたたいていた男子生徒たちも口に出してはなにも言わない。
すべてはあの日、優司がはじめて陰口に対して挑みかかったときからかわった。
まわりの評価が、
――なにを言っても言い返せないヘタレ。
から、
――怒らせるとヤバいやつ。
に、なったのだ。
遠巻きにして眺めることはあっても、聞こえよがしに陰口をたたくことはなくなった。おかげで優司としては、望み通りの静かな学園生活を送れている。
――目立たないよう気を使うより、怖がられた方が静かに暮らせるんだな。
意外な発見に驚いている優司であった。
どちらにしても、いまの優司にはそんなことよりよっぽど大事なことがあった。少しためらってから、さきらに言った。
「相談したいことがあるんだけど」
その言葉に、さきらは目を丸くして驚いた。
「相談? 優司がわたしに? なに?」
「もうすぐ、坂口さんの誕生日なんだけど……」
「ああ、そうね」
「今年はささやかでもパーティーを開いて、祝ってあげたいんだ。……去年はなにもしてあげなかったから」
そう言われて、さきらはますます目を丸くした。
「パーティーの誘いならわたしもしたけど、断られたわよ。誕生日は家族で過ごす決まりだって」
「ああ。それは、おれも知ってる」
穂の香の家はパン屋であり、両親は共に朝から晩まで大忙し。そのため、歳のはなれた弟妹たちの面倒は穂の香が見ている。両親には遊びたい盛りの娘に乳母代わりをさせていることに対する負い目があるらしく、そのお詫びと感謝の念も込めて盛大に祝うらしい。本職の誇りを懸けて焼きあげたプライドケーキが鎮座まします、それはそれは豪華なものだとか。
「あたしとしては別に、そんなことをしてもらわなくてもいいんだけどねえ」
と、穂の香は困ったような表情をして、それでもたしかに嬉しそうに言っていたものだ。
そんな穂の香の顔を思い出しながら、優司はつづけた。
「でも、やっぱり、自分の手で坂口さんの誕生日を祝いたいんだ。坂口さんには本当に良くしてもらっている。弁当を作ってきてくれたり、部屋の掃除までしてくれたり。だから、誕生日ぐらい、お返しをしたい」
「へえ。いいところあるのね。見直したわ」
さきらは感心した声を出した。
「お前のおかげだよ」
優司はその言葉を寸前で飲み込んで、そして――。
ハッと気付いた。
――ここで言葉を飲み込むからいけないんだ! 言うべきことはちゃんと言わないと。
優司は自分を叱咤し、勇気を振り絞って、一度は飲み込んだ言葉を口にした。
「……お前のおかげだよ」
「わたしの?」
「お前はいつも坂口さんのことを気遣っていただろう。坂口さんもすごく嬉しそうだった。それを見て、やっと気がついたんだ。おれがどんなに坂口さんに甘えてばかりだったか。いつも他人の世話をしている坂口さんだって、いや、いつも他人の世話をしているからこそ、たまには他人に世話される立場になったり、甘えたりしたいんだって、やっとわかった。
それなのに、おれは甘えるばかりで一度だって甘えさせてあげることをしなかった。だから、これからはちゃんと、甘えたいときには甘えさせてあげることのできる人間になりたいんだ」
――そうとも。いつまでも『親子』でいてたまるか。胸を張って『恋人』って言えるようにならないと。
そう心に決意する優司だった。
「それと……」
「それと?」
「ごめん」
優司はそう言って、さきらに対して頭をさげた。
さきらはまたも目を丸くした。
「ごめんて……なにが?」
「はじめて会ったとき、視線をそらしただろう。あのときのことだ」
アンドロイドであることを示す瞳の色。自然界には決して存在しない独特の合成色によって染めあげられたその瞳を見たとき、優司は反射的に顔をそらしていた。さきらの目を見ないようにした。
『アンドロイドの目を見ると精神を破壊される!』
という、ネット上にあふれる事実無根の情報に影響されて。
「傷つけたと思う。本当にごめん」
優司はそう言って、重ねて頭をさげた。
さきらは、そんな優司をマジマジと見つめていた。それから、ふいに優しげに微笑んだ。
「なるほど。穂の香の言っていたことはまちがいではなさそうね」
「坂口さんが? なにを言っていたんだ?」
「それは……」
「それは?」
「ひ・み・つ」
さきらは唇に人差し指を当て、片目を閉じながらそう言った。あまりに愛らしいその仕種に優司の心臓はドクンと跳ねあがった。
「な、なんだよ、それ! はっきり言えよ」
「こっちのことよ。優司は知らなくていいことなの。それより、穂の香の誕生日パーティーの計画を立てましょう。どうせやるなら、思いっきり気の利いたサプライズパーティーにしてあげなくっちゃ!」
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