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二一章 夕日の前で『バカヤロー!』を叫ぶ

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 まだ六月末だというのに、週末の海は人でごった返していた。水着姿の無数の男女がもはや殺人光線と化した感のある太陽の光のもと、潮風と波の音に包まれながら浜辺を駆け、海に飛び込んでいる。
 「うっわ~。すっごい込んでるねえ」
 あたりを一望したが声をあげた。
 ネットで海水浴場の状況を調べて比較的、空いている場所を選んだはずなのだが、それでもこのありさま。混んでいる海水浴場はどんなことになっているやら。海のなかの水分子よりも人の数の方が多い……などというありさまになっていそうで怖い。
 すると、さきらがなんとも不満そうな声で言った。
 「人が多すぎるわね。こんな数の人間が一斉に海に入ったら、体温で海水温まであがってしまうわ。これじゃ全然、内部の機械を冷やせないじゃない」
 と、不満たらたらである。
 「地球をこんなに暑くしたのは人間でしょう。それなのに、責任もとらずにはしゃいでいるなんて……それだけは許せないわ。わたしが暑さのせいで爆発したら、半径一〇キロぐらいは壊滅するけど自業自得よね」
 「……それは勘弁してくれ。マジで」
 優司ゆうじがさすがに辟易へきえきした口調で言った。
 唯一の男子とあって、当然のごとく荷物持ちをさせられている。シートにビーチパラソル、弁当の詰まったバッグに浮き輪――アンドロイドであるさきらはさすがに、自力では水に浮かない――と、荷物の山に埋もれそうな格好ではあるが……。
 目の前に視線を向ければ、そこにはあまりにまぶしい水着姿の美少女ふたり。
 は陽キャのギャルらしく、華やかな色彩の水着にその身を包み、まるで南国の鳥のよう。さきらの方は、こちらは清楚な純白のビキニ。しかし、その色合いの割にやけに布面積が少なくて……。胸や尻のふくらみを隠しているんだか、強調して見せつけているんだかわからない。
 そんなふたりが夏の日差しに照らされながら、仲良く寄り添って立っているのだ。もはや、現実の風景とは思えない。
 ――グラビアアイドルの撮影。
 そう言われた方が納得できる。
 そんな光景だった
 。――と、とにかく、準備を……。
 ともすれば、ふたりの水着姿に張りついてはなれようとしない視線を、必死の努力で引きはがし、優司ゆうじは準備を進めた。ようやく見つけたわずかな隙間にシートを広げ、パラソルを立て、荷物を置く。とさきらは、そうして準備されたシートの上にお姫さまのごとく座り込む。
 がバッグのなかから一本のボトルを取りだして、優司ゆうじに手渡した。
 「はい、ゆ~じ。これ」
 「なに?」
 「日焼け止め。万遍なく、ちゃんとぬってね」
 と、はシートの上にうつぶせになり、背中のホックを外す。そして、その横には当然のごとく、同じ格好のさきらがうつぶせになっている。
 ふたり並んだ美少女たちのあまりにも無防備なその姿。いっそ、我が身が狼に変身しないのが不思議なほどのその刺激。優司ゆうじは顔を真っ赤にして叫んだ。
 「で、できるか、そんなこと!」
 「どうして?」
 「どうしてって……」
 の方から抱きつかれるのはしょっちゅうだが、自分からさわったことはいままでに一度もない、ヘタレな優司ゆうじであった。
 「恋人同士ならそれぐらい、普通じゃない」
 「いや、普通じゃないだろ! むしろ、バカップルのやることだぞ」
 「バカップルになりきるのが、恋愛の醍醐味ってものでしょうに」
 と、は溜め息をついた。
 すると、さきらもあきれたように口にした。
 「まったく、彼女に日焼け止めをぬってあげることもできないなんてね。あきれたヘタレだわ」
 そう言って身を起こすと、優司ゆうじの手から日焼け止めを奪いとった。ちなみに、背中のホックを外したビキニはちゃんと腕で押さえているので胸は見えない。念のため。
 「こんなヘタレは放っておきましょう、。わたしがぬってあげるわ。優しく、丁寧にね」
 「わあ、ありがとう、さきら! あたしも、あとでぬってあげるからね。ふたりでぬりっこしよう」
 はうつぶせのまま、足をバタバタさせて喜んでいる。
 そして、はじまる水着姿の美少女同士の日焼け止めのぬりあい。それはもう『尊い』としか言いようのない光景であったのだが……。
 あまりの刺激にその場で固まり、縮こまっていることしかできない優司ゆうじであった。
 ともあれ、三人の海水浴ははじまった。
 海に飛び込み、ビーチバレーに興じ、スイカ割り。そのさなかにとさきら目当てによってくるナンパ男たちを、さきらの熱い吐息で退散させて……と、夏の浜辺のイベントを一通り、楽しんだ。
 それから、遅めの昼食。サプライズ展開と言うことで、三人それぞれに他のふたりには内緒で弁当を作ってきた。きたのだが……。
 優司ゆうじとさきらの弁当は、共におむすび。おむすびだけ。ご飯と海苔以外、弁当箱のなかにはなにもない。その寂しい光景に――。
 さきらが静かにキレた。
 「……どうして、おむすびしか作ってないの?」
 「お、お前だって同じだろ!」
 「これが、日本の海の風物詩だって聞いていたからよ」
 「だ、だったら、おれがおむすびだけでもいいだろう⁉」
 「日本人なんだから、少しは気を使いなさい。かわいい嫁に、おいしいものを食べさせてあげたいとか思わないの?」
 「嫁じゃないだろ、お前は!」
 冷静にしてクールなジト目で詰め寄るさきら。
 その雰囲気に気圧され、必死に虚勢を張る優司ゆうじ
 のっぴきならないその状況に『救世主登場!』とばかりにやってきたのが、坂口さかぐち
 「だいじょ~ぶ、だいじょ~ぶ! こうなると思って、あたしがちゃんとおかずとデザート用意してきたからねえ」
 と、が広げた弁当箱。たっぷり五人分は入りそうな大きな箱の中身はまさに宝石箱。フライドチキンに卵焼き、タコさんウインナーにリンゴのウサギ。色とりどりのミニトマト……。
 まさに、見るだけで涎が流れ、お腹が空く。そんな内容。優司ゆうじとさきらのお腹が同時に『グゥ~』と、大きな音を鳴らした。
 「なんで、アンドロイドの腹の虫が鳴るんだ!」
 と、いつもの優司ゆうじならすかさずツッコむところだが、今回ばかりはの弁当に気をとられて、それどころではなかった。
 「はい、食べて、たべて」
 は満面の笑顔でふたりに勧める。
 優司ゆうじも、さきらも、さっそくご馳走になった。一口食べて、
 「……うまい」
 と、優司ゆうじは目を丸くした。
 さすが、料理上手なの気合いの入った弁当。まさに天下一品の味わい。フライドチキンはサクサクだし、卵焼きは焼き加減といい、色合いといい完璧。市販品を買ってきて弁当箱に詰めてもこうはいかない。
 「へへっー。ありがとう」
 優司ゆうじとさきら、ふたりの作ってきたおむすびを両手にもって幸せそう。満面の笑みを浮かべている。
 「本当、おいしいわ。さすが、ね。優司ゆうじなんかより、ずっと頼りになるわ。絶対、結婚しましょう」
 「もちろん! 三人で結婚して、仲良くやろうねえ」
 さきらの言葉にも大はしゃぎである。
 そんな尊いふたりを見つめる優司ゆうじの表情はしかし、いたって真面目なものになっていた。
 ――坂口さかぐちさん、この気遣いといい、料理の腕といい、弟さんや妹さんの世話をしているからだよなあ。子どもの頃から幼いきょうだいの世話をしてきて、放り出して遊びに行きたいことだってあったろうに……。
 その上、おれまでこんな気遣いをさせてしまって……。
 ――これじゃいけない。
 優司ゆうじは改めて、そう思った。
 ――坂口さかぐちさんが逆に甘えられる。そんな人間にならないとな。
 昼食を終えて腹がふくれるとあとはもう、泳ぐような気分ではない。シートの上に寝そべり、ゆっくりお昼寝。ビーチパラソルの陰に隠れて、潮風を聞きながらののんびりタイム。
 と言っても、三人そろって眠り込んでしまってはさすがに物騒なので、優司ゆうじは唯一の男子として、自主的に起きて見張りをしていた。もっとも――。
 おもに見張っていたのが水着姿で無防備に寝入る美少女ふたりだったのは、言うまでもない。
 とさきらが目を覚ましたときには、すでに夕暮れ。真っ赤な夕日が海の向こうに沈もうとしている時刻だった。
 さすがに、この時刻になるとあれほど賑わっていた浜辺も静かになっていた。人の姿はすっかり消えている。それを見て、さきらは『我が意を得たり!』とばかりにうなずいた。
 「うん。これぞ、まさに理想のシチュエーション。日本の海と言ったらやっぱり、アレをやらないとね」
 ――やっぱりか⁉
 不吉な予感が当たったことに頭を抱える優司ゆうじの前で、さきらは波打ち際まで駆け出した。夕日を前に立つと、両手を口に添えて思いきり叫んだ。
 「バカヤロー!」
 その姿に――。
 は腹を抱えて笑い転げ、優司ゆうじは頭を抱えた。
 さきらはやるべきことをやって気が晴れたらしい。やけにスッキリした表情になっている。
 「ああ、スッとした。やっぱり、これこそ『日本の海!』だものね」
 「……だから、どうして、そうまちがった日本観を」
 優司ゆうじは頭を抱えたまま呻いたが、は笑いながら言った。
 「いいじゃん、いいじゃん。必ずしもまちがってるとは言えないしさ」
 「そ、それはそうかも知れないけど……」
 「と言うわけで、あたしたちも叫ぼう! 響け、青春の主張!」
 「い、いや、おれはいいよ……」
 あからさまにたじろぎ、身を引く優司ゆうじだが、そんな『逃げ』を許してくれるふたりでは、もちろんない。左右から優司ゆうじを挟み込み、両腕にしっかり抱きつき、波打ち際まで連行していく。
 水着姿の美少女ふたりに左右から密着され、あまつさえ豊かな胸のふくらみまで押しつけられている。その状況で抵抗できる男などいるはずもなく、優司ゆうじは連行されるままに波打ち際までやってきた。隣に立つが『これが手本!』とばかりに一声、
 「バカヤロー!」
 と、思いきり叫んだ。
 逆隣では、さきらがまたも『バカヤロー!』と叫ぶ。
 そして、集中するふたりの視線。さすがに、この状況では自分ひとり黙っているわけにもいかない。優司ゆうじは覚悟を決めた。夕日を見た。両手を口に添えた。叫んだ……つもりが、口から出たのは、
 「ば、ばかやろー」
 という、大きくもなければ、勢いもない、情けないほど小さな声。左右からふたりの美少女にジロリと睨まれ、身をちぢ込ませて赤くなる。
 「声が小さい! もっと大きく!」
 「お腹に力を入れて」
 「バ、バカヤロー」
 「まだまだ! もっと大きく、思いっきり!」
 「人間の声帯は、その数倍の音量を出せる」
 言われて、優司ゆうじもさすがに意地になった。思いきり息を吸い込み、腹をふくらませ、渾身の叫びをあげた
 「バカヤロー!」
 バカヤロー、
 カヤロー、
 ヤロー、
 と、優司ゆうじの叫びが大海原の響き渡る。
 「うん、それでいい」
 と、優しく、そして、楽しそうな笑顔の
 「どう? スッキリしたでしょ?」
 そう尋ねるイタズラっぽい笑顔はまさに女神さま。
 「う、うん……そうかも」
 いかにも優司ゆうじらしく気弱そうに答えながら、優司ゆうじ自身も感じていた。
 ――ずっと、こうやって、叫んでやりたかったのかも知れないな。
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