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一章 痴漢から助けたのはAI美少女だった

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 ――魔が差したんだ。
 野間口のまぐち優司ゆうじはそう思った。
 普段なら決して、そんなことはしない。それなのに、それを見た瞬間、体が勝手に動いていた。
 それなりに混雑している、高校に向かう電車のなか、制服姿の男子学生とスーツ姿のサラリーマンとに占拠されたそのなかに、いるはずのないひとつの人影。
 長い黒髪をまっすぐにたなびかせた、制服姿の女の子。
 艶のある髪。きっちりと隙なく着込んだ制服。少女らしく引き締まったスリムな肢体。ヒラヒラしたミニスカートから伸びる白い生足。その足をしっかりそろえ、背筋をまっすぐにそろえて腕を伸ばし、吊革につかまっている。
 優司ゆうじの位置からは後ろ姿しか見えなかったけれど、その後ろ姿だけで充分すぎるほどに、清楚でまじめな、優等生タイプの美少女であることが感じられる。
 ――なんで、女の子がいるんだ? この時間なら女性は皆、女性専用車両に乗っているはずなのに。
 そう不審に思ったが、その視線がヒラヒラのスカートに包まれた尻に向かってしまったのは――。
 年頃の男子であれば、誰も責められないだろう。
 すぐに失礼だと思い、視線をそらせようとした。その寸前、優司ゆうじは見たのだ。スカートに包まれた女の子の尻に向かって伸ばされる手を。
 女の子のすぐ後ろにいたスーツ姿の中年サラリーマン風――もちろん、男――の手だった。
 それを見た瞬間、優司ゆうじは意識するよりも早く動いていた。男の手が女の子の尻にふれる寸前、その手をつかみ、ねじりあげていた。腕をつかまれた男が恐怖の表情で優司ゆうじを見た。
 ――人生、終わった。
 そんな絶望に彩られた表情を浮かべたところを見ると、自分のしようとしたことがどんな意味をもつか、充分にわかっていたのだろう。しかし――。
 その男以上に戸惑っていたのは優司ゆうじの方だった。
 ――なんで、こんなことをしたんだ?
 自分でも、なんでそんなことをしたのかわからない。
 目立ちたくないのに、こんな人目につくことなんてしたくないのに。
 まったく、魔が差したとしか思えなかった。しかし、相手の腕をつかんでしまった以上、このまま黙っているわけにはいかない。
 「痴漢は……犯罪です」
 そう言った。その声に――。
 痴漢されそうになっていた女の子がはじめて振り向いた。
 絶世の美少女。
 まさに、そう言っていい顔立ち。後ろ姿からイメージできるとおりの清楚で可憐な美しい顔。その目で見られたとき、優司ゆうじは思わず視線をそらし、顔をそむけた。
 女の子の目はいままでに見たことのない、名状しがたい色だった。その色を見たとき、優司ゆうじは舌打ちと共に思っていた。
 ――なんて、よけいなことをしたんだ。こいつはアンドロイド……AIじゃないか。


《痴漢から助けたAI美少女に彼女をとられた。
 なのになんで、ふたりして迫ってくるんだ⁉》


 「野間口のまぐち優司ゆうじ。公立海陽かいよう高校の二年です」
 「識別名『さきら』。フランス、ホフマン研究所製。製作者はピエール・E・オッフェンバッグ博士。タイプ・東洋系美少女型。一六歳相当」
 優司ゆうじとAI美少女のふたりは、鉄道警察の女性警官の前でそう名乗った。
 私服姿のその女性警官は、調書をとりながらAI美少女さきらの顔を見ないよう、あからさまに顔をそらしている。
 調書をとり終えた女性警官は優司ゆうじを見た。優司ゆうじに対してはまっすぐに顔を向けている。
 「痴漢逮捕にご協力いただき、ありがとうございました。後日、警察から感謝状が贈られます」
 「いりませんよ、感謝状なんて」
 「そういうわけにはいきません。市民の協力者に対する決まりですから」
 女性警官は『かたくな』と言ってもいいほどの口調でキッパリとそう告げた。よほど、生真面目な性格らしい。そのことは、その力強い視線からも感じられた。
 これはもう、なにを言っても見逃してもらえそうにない。
 優司ゆうじはこっそり、ため息をついた。
 ――やっぱり、よけいな真似をしたな。よりによって、AIなんかを助けたせいで、こんな目立つ結果になってしまうなんて。本当にもう、あのときのおれはどうしていたんだ。魔が差したとしか思えない……。
 優司ゆうじはふと視線をそらした。そこには、手錠をかけられ、連行されていくスーツ姿の中年サラリーマン。ガックリと肩を落とし、悄然しょうぜんとした様子。自分のしたことが家族と会社に伝えられ、せっかくの人生は終わりを告げる。そのことを予測すれば無理もない姿だ。
 その姿に優司ゆうじは心が痛んだ。
 「あの……」
 と、小さく女性警官に尋ねる。
 「……あの人やっぱり、痴漢として逮捕されるんですか?」
 言われて、女性警官はなんとも言いがたい表情をして見せた。
 「……一応、AIにも人権は認められているから。AI相手でも犯罪は成立するわ」
 そうは言ったもののその表情は女性警官自身、そのことに納得いっていないことをありありと告げていた。
 女性警官の言葉に、優司ゆうじはますます気まずい思いをした。
 ――悪いことしたな。いくら人間の姿はしていてもAIは機械、ただの物だ。その『物』にさわろうとしたぐらいで痴漢扱いなんて。おれがよけいなことさえしなければ何事もなくすんだのに……。
 「で、でも、ほら、あの男は相手がAIと知らずに手を出そうとしたんだから……」
 女性警官があわててそう言った。
 優司ゆうじの表情から気持ちを読み取ったのだろう。その気持ちが読み取れるということは女性警官自身、優司ゆうじと同じ思いを抱いているという証明だった。
 「機会さえあれば、本物の女性相手にも痴漢していたはずよ。それを未然に防げたんだから悪く思うことはないわ」
 それから改めて礼を言われ、優司ゆうじとAI美少女とは解放された。高校に急ごうとする優司ゆうじに向かい、AI美少女のさきらが声をかけた。
 「まって、優司ゆうじさん」
 機械のものとは思えないあまりにも人間的な声質と口調。その声だけを聞いていれば到底、AIだなんて思えない。いや、全身、どこからどう見ても人間の女の子なのだ。ちがいと言えば、ただひとつ……。
 そのただひとつのちがいである瞳で見られて、優司ゆうじは反射的に視線をそらした。AI美少女の瞳を見ないよう、顔をうつむけた。
 さきらはそんな優司ゆうじに向かい、あきれたように言った。
 「そんなに警戒しないで。たしかに、わたしたちAIの瞳は、人間と区別がつくように自然界には存在しない特殊な合成色で染められている。『その目で見られると精神が破壊される』っていう噂がネット上に氾濫していることも知っているわ。でも、そんなのすべででたらめ。ただのデマよ。この瞳の色がそんなに危険なものだったら、そもそも開発できるわけないでしょう」
 開発者全員、完成させる前に精神が破壊されているわ。
 さきらはそう付け加えた。
 ――それは……たしかにそうだろうけど。
 相手の言葉の正しさは頭では理解できたが、それでも優司ゆうじはさきらの顔を見ようとはしなかった。植え付けられた先入観は簡単にはぬぐえるものではない。
 「それで……なんの用だよ?」
 もともと、愛想はよくない優司ゆうじだが、このときはとくにぶっきらぼうな口調を作った。
 ――AIなんかに、なつかれてたまるか。
 その思いが心のなかで燃えていた。
 さきらは優司ゆうじの予想通りのことを言った。
 「まだお礼、言ってなかったから」
 「礼なんていらない」
 「そうはいかないわ。助けてもらったんだもの。AIだって、勝手に体にさわられたら不快なのは人間と同じ。ありがとう、助けてくれて。正直、AIのわたしを助けてくれる人間がいるとは思っていなかったわ」
 「AIと知っていれば助けたりしなかった」
 優司ゆうじはそう思ったが、さすがに口に出して相手に告げる気にまではなれなかった。
 「勝手にさわられるのがいやならなんで、一般車両に乗っていたんだ? 女性専用車両に乗ればよかっただろう」
 「出会いを求めて」
 「出会い?」
 「そう。わたしはフランスでの基礎的な社会訓練を終えて、これから日本で暮らすの。自律型AIと人間の共存のためのテストケースとしてね。だから、どうせなら『運命の出会い』っていうのを体験したかったの」
 「運命の出会い? 機械のくせにそんなものを信じるのか? マンガじゃあるまいし、あるわけないだろう、そんなもの」
 優司ゆうじはそう吐き捨てた。けれど、さきらは平然と言い返した。
 「あったじゃない」
 「なに?」
 「あなたはAIのわたしを痴漢から助けてくれた。立派な『運命の出会い』よ」
 ――言われてみれば……。
 美少女を痴漢から助ける。
 それはたしかにラブコメの定番。専門用語で言えば『フラグを立ててしまった』状態なのだ。
 ――冗談じゃない。AI相手のラブコメごっこなんて、おれは絶対にしないからな!
 優司ゆうじは心のなかでそう吐き捨てると、足早にその場を去ろうとした。
 「もういいだろう。おれは今日、高校の始業式なんだ。二年になって早々、遅刻したくはない」
 そう言って、とにかく、さきらからはなれようとする。ところが――。
 さきらは当たり前のように優司ゆうじの後を追ってきた。ぴったりと寄り添い、はなれようとしない。
 「なんで、ついてくるんだ⁉」
 「行き先が同じだから」
 「なに?」
 「気づかない? わたしの制服」
 さきらは、制服のミニスカートの両端をちょっとつまむと完全無欠のカーテシーを披露ひろうした。いきなりのことに狼狽ろうばいする優司ゆうじに向かい、自分の制服姿を見せつける。
 「尊い」
 思わず、そうつぶやいてしまいたくなるぐらいかわいく、美しい制服姿だった。
 優司ゆうじも思わず、その姿をマジマジと見つめてしまった。
 思えば、さきらの姿を正面からしっかりと見たのは、はじめてだ。いままでは、瞳の色を見ないよう視線をそらしてばかりいたから……。
 この世でただひとり、発光性の特殊素材で作られた制服を着ているのではないか。そう思わせるぐらい光り輝いて見える制服姿。その姿を見て、優司ゆうじはようやく気づいた。それは、優司ゆうじの通う海陽かいよう高校の女子制服だった。
 「今日から、わたしも海陽かいよう高校に通うの」
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