トゥナの手作りの国

藍条森也

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一〇章

反撃(3)

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 「やめて! もうやめて、トゥナ!」
 地下牢にアネモネの悲鳴が響いていた。彼女の横ではトゥナが何とか鎖をふりほどこうと両腕をムチャクチャに振りまわしていた。皮膚が裂け、血がしぶき、白い骨さえうっすらと覗いていた。
 「いいの、わたしはもういいの! わたしがグリムに取り入って、何とかあなただけは助けてもらえるようにするから、もうやめて!」
 「馬鹿言わないで! そんなことさせられるわけないでしょ! だいじょうぶ。絶対、切り抜けてみせるから……」
 トゥナはそう言って腕を振りまわしつづけた。
 アネモネを守る。
 そう誓った。けれどもう、それだけではない。グリム。あの男に屈するわけにはいかないのだ。それは、人類の未来を台無しにすることだ。トゥナはそのことを本能で感じ取っていた。
 腕が傷つき、千切れそうになる。
 ――それでいい。
 トゥナはそう思う。
 ――あんな奴に負けるぐらいなら、両手をなくしてでも自由になった方がいい!
 その一心で腕を振りまわす。血がほとばしり、アネモネの白い頬を濡らした。そのときだ。突然、大地が揺れた。
 地震か。そう思うほどの激しい揺れだった。そして、何かが崩れるような大きな音。それにつづいて何人もの野太い悲鳴。何事が起きたのか。トゥナとアネモネはそろって天井を見上げた。
 音は自分たちの頭の上、建物の地上部分から聞こえてきていた。突然、天井がバキバキと割れた。ヒビが入り、破片が降り注いだ。ポッカリと空いた天井の穴から巨大なドラゴンの頭がのぞいていた。
 「フォレスター!」
 トゥナは叫んだ。
 そこにいたのは紛れもなく、森の主であるドラゴン、フォレスターだった。
 フォレスターがジッとトゥナを見つめた。不思議なことにそこには安堵したような、愛しそうな表情が浮いていた。
 トゥナは見た。フォレスターの頭部、そこが切り取られ、機械の脳が乗せられていることに。
 「キオ!」
 すべてがわかった。キオが自分の機械の脳をフォレスターに乗せ、その巨体を操っているのだ。一〇万馬力もない。加速装置もない。役立たずの〝心を持つ〟ロボット。そのキオが大切な人を助け出すことのできるたったひとつの手段だった。
 フォレスターの肉体を操るキオがそっと頭を地下牢に差し込んだ。鼻先を壁にぶつけた、ガラガラと音を立てて壁が崩れ、トゥナとアネモネは自由の身となった。
 「……キオ」
 トゥナは手首の痛みも忘れて巨大なドラゴンとなったキオを見た。
 「ありがとう」
 一筋の涙と共にそう告げた。
 そこからはもう、キオの独壇場だった。トゥナとアネモネのふたりを背に乗せて暴れ回った。巨大な頭部で建物をぶち壊し、鞭のような尻尾を振るって側に立つ者すべてをなぎ倒した。グリムの手下たちは恐怖に駆られた。必死に銃を撃って対抗する。しかし、体長三〇メートルを超える巨体に人間用の銃で何ができると言うのか。為す術もなくなぎ倒され、逃げ回るのが精一杯だった。
 「やったあ! ざまあみろ、この悪党ども!」
 トゥナはフォレスターの背中で大はしゃぎだった。両手を振りあげ、ヒーロー番組に夢中になって応援する男の子のように声を張りあげていた。
 「キオ、もういいわ! これ以上やったら、みんなメチャクチャになっちゃう!」
 トゥナはアネモネの母親のことを忘れてはいなかった。もし、生きて捕まっているのとだとしたら、この建物のどこかにいるはずだ。この調子で暴れていては、アネモネの母親を踏みつぶしてしまいかねない。しかし――。
 「キオ!」
 フォレスターとなったキオは暴れることをやめようとはしなかった。それどころかますます激しく怒り狂うようだった。
 「いけない! キオの制御が効かなくなっているんだわ」
 トゥナはそう気付いた。フォレスターの巨大な肉体。そこにはフォレスター自身の記憶が残されている。その記憶がキオの意識を侵食し、野性のままに暴れさせているのだ。このままでは本当に止められなくなってしまう……!
 「アネモネ! 何とかキオをなだめて森のなかに連れて行って!」
 「トゥナは⁉」
 「あたしは……」
 トゥナはアネモネを見てニヤリと笑った。
 「グリムをぶちのめす!」
 トゥナはフォレスターの背中から飛び降りた。走った。
 グリム。あの男、あのサピエンスだけは同じサピエンスの手で倒さなくてはならない。そうでなければサピエンスの名誉は決して回復されない。他の人種に任せるわけにはいかないのだ。
 トゥナは建物内を走り回った。建物の構造やグリムのいる場所がわかっているわけではもちろんない。しかし、見当は付いた。悪党などと言うものは一番、高いところにいるものだ。目くらめっぽうに階段を駆けのぼり、上へうえへと目指した。そして、いた。最上階の一番奥の部屋、まさに悪党がいると予想できるその場所に。突然の騒ぎにうろたえているグリムがいた。
 「グリム!」
 トゥナは叫んだ。
 「き、きさま、きさまの仕業か⁉ どうやって……」
 あの怪物を手なづけた⁉
 グリムは最後までは言えなかった。トゥナの力任せの一撃がグリムの頬をぶん殴ったからだ。
 「このゲス野郎!」
 トゥナの渾身の叫びが炸裂した。
 殴った、
 殴った、
 殴りまくった。
 殴るつど涙がこぼれた。失ったものの重み、この男に奪われたものの重みの涙だった。
 一般人の女性とは言え、幼い頃からの畑仕事で鍛えられているトゥナと、プロの犯罪者の男とは言え、抵抗してくる相手とまともにやり合ったことなどないグリム。体力的、技術的にはほぼ互角。となれば、たぎる怒りに突き動かされている分、トゥナの方が有利である。まして、グリムにはまだ、一馬にやられた傷が残っている。
 グリムも最初のうちこそ殴り返した。しかし、怒りのあまり、痛みにも気付かず殴りまくってくるトゥナに圧倒され、すぐにやられる一方になった。顔中の包帯がはがれ、一馬にやられたまま完治していない傷が剥き出しになる。その傷めがけてトゥナの拳がぶち込まれ、さらにひしゃげる。もはや親が見てもわからないのではないか。それほど顔が変形していた。
 一発、もう一発。もはや、それは戦いではなかった。トゥナが一方的に制裁を加えているだけだった。だが――。
 突然、トゥナの膝に激痛が走った。あまりの痛みに悲鳴をあげることさえできなかった。とても立っていられない。膝を抱えて転げまわった。
 ムチャクチャにぶん殴られ、すっかり変形した顔でグリムが笑った。その手には万年筆を思わせる小さな道具が握られていた。
 「残念だったな。おれはただ切り刻むだけじゃないんだ。他にもいろいろ他人を苦しめる方法は知っている。こいつは、とあるバイオハッカーが合成した特別な毒を塗った針でな。刺さった途端、体中に毒が回って痛みを与えるのさ」
 グリムは鼻血をぬぐいながらトゥナに近づいた。痛みに転げ回るトゥナを蹴り付けた。
 二発、
 三発。
 一発、一発、恨みを込めて蹴りつける。その目にはギラギラしたサディスティックな楽しみが浮いていた。
 「簡単には殺さんぞ。きさまにはさんざん煮え湯を飲まされたからな。徹底的に苦しめて『何でもするから殺してください!』と叫ばせてやる。殺してもらうためにおれ様のケツの穴を舐める、それぐらい、ひどい目に遭わせてやる」
 この期に及んでなお、そんなことを言う当たり、いっそ見事なサディスト根性と言えるかも知れなかった。
 グリムがニヤニヤ笑いながら万年筆型の短針銃をトゥナに向けた。もう一発、打ち込もうと指が引き金にかかった。そのときだ。
 「うわっ!」
 グリムの悲鳴があがった。何があったのか、グリムの右腕が跳ねあがり、短針銃が床に落ちた。
 トゥナはその機を逃さなかった。渾身の気力を振り絞って痛みに耐え、短針銃を拾った。メチャクチャに押した。悪魔の針が放たれ、グリムの脚に刺さった。
 グリムの悲鳴があがった。その悲鳴に関してトゥナは後にこう語った。
 『屠殺場に引かれていくブタも赤くなるような無様さだったわ』
 しょせん、他人に痛みを与えるだけの男。自分自身の痛みに耐える強さなど持ち合わせてはいなかった。
 「トゥナ!」
 アネモネが駆け込んできた。
 「フォレスターは森に連れていったわ。グリムは……」
 尋ねはしたものの言葉が終わらないうちに自分で発見していた。無様に悲鳴をあげながら床を転げ回るグリムの姿を。
 「見ての通りよ」
 激痛をこらえながらトゥナは言った。無理やり笑顔を作った。
 「もう誰も……あなたを脅かさないわ」
 アネモネがトゥナに抱きついた。トゥナは全力の愛しさを込めてアネモネの小さな体を抱きしめた。
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